人魚の涙
暗い海の底で一匹の人魚が眠るように暮らしていました。
ある日のことです。人魚は水草から丸い泡が上に向かってゆらゆらと昇っていくことに気づきました。
何となく気になり、透明な泡を追いかけて上へ上へと泳いでいくと、海の色が段々と薄くなります。
そして、人魚は海が唐突に終わったことに気づきました。海の上に出てしまったのです。追いかけていた泡もどこかへ消えてしまいました。
「ここはどこだろう?」
ずっと海の底で暮らしていた人魚は初めて海の終わりを見ました。
上をみるとまだ青い色が広がっていますが、人魚はそこには行けないようです。
「珍しい。人魚は久方ぶりに見た」
突然人魚の後から声がかかりました。振り返りますがそこには何もありません。
「上だよ、上」
人魚が上を見上げると大きな何かがいました。
「初めまして凄く大きな方。私は人魚。貴方は誰?」
「初めまして人魚の娘さん。私はドラゴンだよ」
空中に浮かぶドラゴンは優しい声で答えます。
「ドラゴンさん、そこにはどうやったらいけるの?」
「君も飛びたいのかい?」
ドラゴンは目を瞬かせると、少し考えてから人魚の近くの海中に手を差し入れました。
「ドラゴンさんの手は私の鱗みたいに硬いのね。それにしっぽの色が同じだわ」
おずおずとドラゴンの手に乗った人魚は、思わぬ共通点に嬉しくなりました。
ドラゴンは小さく笑うと人魚を乗せて高く飛び上がります。
「すごいわ! 私もドラゴンさんと同じ海に行けたわ!」
人魚は初めて見る景色に大喜びです。
「これは海でなくて空だよ。この白いのは雲」
そういうが早いかドラゴンは雲の中を突っ切りました。
「ふわふわだわ。掴めないわ。とても楽しいわ」
2匹は暗くなるまで一緒に空を飛びました。
天が星々で瞬く頃、人魚は目をキラキラさせながらドラゴンを見上げて言いました。
「ドラゴンさん、またお会いできますか?」
「もちろんだとも」
人魚の娘に請われたドラゴンはすぐに返事をしました。
それから2匹は時々会って話をしたり、空を飛んだり、泳いだりしました。
光るものが好きだというドラゴンのために、人魚は海の底の真珠を集めました。
ドラゴンも自分のお気に入りの金塊を持ってきては、2匹しか訪れない小さな島に飾り付けました。
そんな幸せな日々は唐突に終わりをつげます。
偶然通りかかった船乗りが小島に気づいてしまったのです。
「なんだこの島? なんでこんなにお宝があるんだ?」
「この真珠の数、人魚が来てるんじゃねぇか?」
「たしか積荷に綺麗なリボンがあっただろ? あれで罠を作れ」
そうして船乗り達は綺麗なリボンでくくり罠を作り、いくつかの真珠と金塊を持って一旦引き上げていきました。
そんなことは知らない人魚はいつも通り小島に真珠を飾ろうとやってきました。
何だか島の真珠の数が減っているようです。
「風で落ちてしまったのかしら?」
不思議に思いながらも、夕日で赤く染まった海から島に上陸した人魚は、みたこともない綺麗な細い物を見つけました。
風にゆらゆらと揺れながら、木々からぶら下がっている細い物に人魚は目を輝かせます。
「とっても綺麗! きっとドラゴンさんも喜んでくれるわ」
金糸や銀糸を使ったリボンは夕焼けを反射して輝いています。
人魚は輪になったリボンに手をかけました。
しゅるしゅるという音と共にあちこちの木から垂れ下がっていたリボンがいっせいに動きました。
驚く人魚にリボンが巻きつきます。
そのまま勢いよく木に叩きつられた人魚は、目の前が真っ暗になりました。
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「すげーだろ! 人魚を捕まえたんだ!!」
「見ろよ! 真珠に金もあるぞ!」
大きな声に目を覚ました人魚は、ヒトがあの島に飾り付けた真珠や金塊を持っていることに気づきました。
「返して!!」
叫んでから、体が動かないことに気づきました。
あたりは暗くてよく見えません。ヒトは火をつけて灯りにしているようでした。
何とか目が慣れた人魚は体中が縄で縛られていました。痛くて痛くてたまりません。
それに海も遠いようです。体から力が抜けていきます。
痛くて悲しくて人魚は泣きました。ぽろぽろ流した涙が淡い水色の宝石に変わっていきます。
「水宝石だ!」
人だかりが宝石になった涙に群ります。
小島の飾りが盗まれたことが悲しくて、動けない体が痛くて、人魚は泣くことしかできません。
ぽろぽろぽろぽろ。流れた涙からできた宝石で町の大通りが埋め尽くされます。
人魚の声が枯れた頃、朝日が昇りはじめました。
太陽に照らされた宝石たちが光を反射して、大通りを煌めく光の海に変えました。
「やっと見つけた」
人魚の後から声がかかりました。
ヒト達は人魚の後ろを見、人魚は上を見ました。
怒れるドラゴンは大通りをズタズタに切り裂くと人魚を連れて眩しい彼方へと去っていきました。