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Kanの短編集

東方仏龍虎伝 ―中華風仏教戦乱ファンタジー―

作者: Kan

ポカ猫様主催の「ジャンルシャッフルなろうコン」参加作品です!

企画のルールに従い、ポカ猫様の「現代恐慌派」を目指し、執筆しました。

中国・中華風ファンタジーですが、史実ではありませんので、ご注意ください。

 李春は、類まれな名将であった。凛々しい色白の美男子、歳はまだ二十八歳。農村で生まれた彼は、虎老(ころう)国の焔帝(えんてい)によって、その才能を見出され、武将として登用され、今日まで数多くの軍功を挙げてきた。

 大陸全土を巻き込んだ反乱が起こり、国家が分裂し、それ以後、乱世が百年も続いていた。しかし、十二の国が八国にまとまり、四つとなって、天下の統一は間近であった。

 虎老(ころう)国の皇帝を名乗った、焔帝(えんてい)が、数多ある諸国を攻め滅ぼし、大陸の大部分を支配している。今や、残された敵国は、北方の龍神(りゅうじん)国、西方の猿美(えんび)国、南方の象宝(ぞうほう)国だけであった。


 李春は、北方の龍神軍と平原で争った帰り、何かに呼ばれている気がして、ふと立ち止まった。

(なんだ、俺を呼ぶ声が聞こえてくる……)

 李春は、軍隊から一人離れると、霧深い山中に迷い込んだ。この山のことはかねてより噂で聞いていた。ここは古より、人外のものがいるとされる霊山、僧侶が一人住んでいるということであった。

 竹林は深く、猿の鳴き声がどこからか聞こえ、屏風のような峰が白雲に包まれている。


(この山のどこかに僧が……)

 と思っていると、霧深い中に古びた寺院が見えてきた。その近くに、不思議な白髭の老人が、谷底を見下ろすように霧の中に立っているのが見えた。


「あなたは……」

 李春は声をかける。

「何か御用かな」

 老人は、李春に顔も向けない。

「あなたは、僧侶とお見受けしますが……」

「いかにも」

 李春はこの老人の存在を疑わしく思った。

「わたしの心に呼びかけたのは、あなたでしょうか?」

「わたしではない。それは己の声だろう。そなたは、因縁と業の作用によって、自らここにやってきたのだ」

 僧は時々、難しいことを言うものである。

「よく分かりませんが……」

「まあ、よい。せっかくここまで来たのだ。本堂を参拝していきなさい」

 李春が不思議に思いながら、寺院に入ると、香が漂い、金色の仏像が祀られ、壁に書が飾られていた。見ると、そこに記されていた僧名は、法晏(ほうあん)。これに李春は驚いた。


 すぐに僧の元に駆け寄り、地面に跪くと、李春は平伏した。

「わたしは李春と申す者。かつて、戦乱の世の軍神と呼ばれたお方が、国家崩落の際、落ち延びて、僧になったと聞いたことがある。その僧の名前は、法晏。もし、あなたがそのお方でしょうか……」

 すると、李春が言い終わらないうちに、僧は高笑いした。

「これはまことに希有な出来事だ。その僧とは、確かにこのわたしのことだ……」

「あなたが……。軍神と呼ばれた孫康(そんこう)将軍なのですね。これも何かの縁。どうか、わたしに兵法を御教授ください。実はわたしは、焔帝を退き、新しい国主となりたいのです」

「なに、国主に。それは何故だね」

 法晏は、じろりと李春を睨んだ。


「焔帝は、天下の暴君であり、民衆は疲弊しています。わたしはその手足として一生を終える気持ちはありません。もし、わたしが代わりに天下を掌握したら、民衆のための仁政を行えることでしょう」

「ふん。しかし、わたしは今や、僧にすぎない。兵法を教えるわけにはいかんわい」


 それでも李春は、どうにかして、法晏を軍師として招きたいと思った。

「しかし、あなたは、かつて優れた将軍だった。あなたの国は、焔帝に滅ぼされたと伝え聞いております。焔帝に復讐したいとは思いませんか」

「復讐の心は、己を滅ぼす悪心だ……」

「では、俗世から離れ、山の中にこもって、ただ静かに座っているだけで、満足だとそう仰るのですか。わたしはあなたに兵法の助言を授かりたい……」

「ふん。ただ静かに座る、これほど難しいことはないわい。わたしには亡国の仲間たちの供養をする務めがある。だが、そなたの気持ちはよく分かった。お受けしてもよい。しかし、その場合、そなたに頼みがある。もし、あなたが焔帝を退いて、王位に着かれたら、その時は、わたしにも政治をさせていただきたい」

「それは何故ですか……」

 李春はこの思いがけない要求に驚いた。


「今、焔帝は、仏教弾圧をしている。多くの寺院が破壊され、布教が禁止されている。残された寺院は、あまりにも少ない。わたしは、国家の力で、仏教を再興したいのだ」

「それが望みならいくらでも叶えましょう。焔帝を退き、王位を獲得したら、あなたをわたしと同等の地位にお招きしましょう……」

 こうして、ふたりは約束をし、寺院の中に入り、焔帝殺害の計画を立てた。


 僧は、腕組みをして、袈裟の乱れを直すと、低い声で語り始めた。

「まず、あなたは民衆や家臣に請われて、焔帝を殺したのでなければならない。下々の支持がなければ、皇帝を名乗ることは難しい。間違っても、あなたが私利私欲のために王位に付きたかったと考えさせてはならない。そのためには、多くの準備が必要となる」

「わかりました。言われた通りにします」

 李春が、いくつか助言を受けると、いつの間にか、法晏は煙のように消えてしまった。李春は、城に帰ると、さまざま有力者とつながりを強めた上で、焔帝を殺害することにし、そのための準備を急いだ。



 決行の夜、李春は、後宮に忍び込んだ。そこには、李春がかねてから愛していた女性がいた。焔王の側室の梓萱姫(しこんひ)であった。


 月夜、柳が揺れる庭、そこに可憐な美人が物憂げに佇んでいる。それは梓萱姫だった。李春は、草葉の影からそっと現れた。梓萱姫は驚いた様子で、声を小さくし、息を潜める。

「どうしたの。こんな時間に。もし、誰かに見つかったら……」

「君にあることを伝えに来たんだ。これから俺は、人生でまたとない冒険をするつもりなんだ」

「なにをするの?」

「今夜、焔帝を殺す。そして、俺が皇帝になる」

「そ、そんな……。もし失敗したら……」

 梓萱姫は、驚いて李春を見つめる。その瞳は大きく、透き通るようで、美しかった。

「準備はできている。失敗はしないはずだ。そして、俺が皇帝になった暁には、君を皇后にしたいんだ……」

「わたしを皇后に……」

 梓萱姫はにこっと微笑むと、すぐに悲しげにうつむいた。

「どうした、嬉しくないのか?」

「嬉しい。でも、人はあまりにも重い運命を背負うと、変わってしまうものよ」

「俺はこのままさ。信じてくれ」

「わかった……、気をつけてね」


 李春は、梓萱姫を残し、一人で、焔帝の寝所へ向かった。見張りの者がふたりいた。李春は、そのふたりに近づくと、何も言わず、剣を二振りした。ふたりは音もなく、床に崩れ落ちた。そして李春は息を潜めて、寝所に入った。血しぶきが天井を染めた。こうして、焔帝は死んだ。ここに天下は再び分裂したのである。



 李春は再び、霊山に馬を走らせた。

「焔帝を殺害しました。しかし、天下は再び分裂してしまった。どうすれば、この広大な天下を我ものにできるでしょうか」

 法晏は、僧とは思えぬほど、鋭い目つきをしている。

「この難所を乗り越えれば、そなたの天下は間近だ。心を乱さずに味方を増やすことだ。まずは己が継承者、皇帝となることを証明せにゃならん」

「はい」


「そして、いいかね。政治には、二つの道がある。一つは、民衆に恐怖心を叩き込ませる道、これは恐怖政治、もう一つは、民衆に真心を尽くす道、これは仁政、どちらを選択するかはお前の自由だ。しかし、お前の心に少しでも乱れがあれば、いつでも、焔帝の二の舞となるのだぞ」

 李春は恐れ入って、平伏した。

 法晏は李春に、短い経典を渡し、この日も煙のように姿を消した。

 手渡されたのは、困ったときに唱えると難を逃れるという経典である。李春はそれを大切に持ち帰った。


             *


 それから五年の時が経った。ここは、北には長城が連なり、西には砂漠が広がり、南には森が広がり、東には大河が流れている交通の要所。焔帝は、この場所に、難攻不落の都城を築いた。


 都城には、李春の住する金色の宮殿があり、富める街が広がっていた。深い堀と高い城壁に囲まれ、宮殿の周囲にはさらに頑強な城壁が廻らされていた。その城壁の内側には、赤い虎の旗がはためいている。それがこの国の国旗である。


 今や、李春は天下を四分したうちの一国の主であり、焔帝の虎老国を継ぎ、天神帝(てんじんてい)を名乗っていた。彼が、これだけの国の主となれたのも、あの軍神、法晏を幾度となく訪ね、助言を授かったからであった。しかし李春は、あの老人との約束を守ろうとしていなかった。いつまで経っても、法晏を軍師として、そして同等の地位を持つものとして招こうとしなかったのである。

 李春は法晏に、実権が奪われるのを恐れていたのだ。

(あの僧が、俺との約束を忘れるはずはないが……)


 あの霊山には、ここ一年ほど、通っていなかった。だんだん、あの僧の実力を知るにつれ、李春は恐ろしくなってきたのだ。



 あれからというもの、李春は、仏教が恐ろしく感じられたのだった。あの僧が、何らかの呪力で、報復してくるのではないか、という恐怖心が常に彼の心の中にあった。そして、彼が決心したのは、焔帝を越える徹底的な仏教弾圧であった。


 側近、重臣たちが居並ぶ、皇帝の間で、李春は、一段高い壇上の椅子に座っている。

「俺はたった今、重大な決断をした……」

「なにを、ですか?」

 重臣たちは驚いた顔で、李春を見る。

「廃仏の(みことのり)を出す」

「は、廃仏!」

 側近は震え上がった。それは許可を得て、存続していた寺院をも残さず弾圧することを意味していた。そして、それはあの僧、法晏との絶縁を象徴していた。


 李春は、廃仏の詔を出したが、僧たちは従わなかった。その日も、市街には読経の声はとどろいていた。その夜、李春の軍勢は、市街にある仏教寺院に押し入った。

「なにをなさる!」

 多くの僧侶は、軍勢の侵入に恐れ入り、境内を逃げ惑った。中には経典を握りしめ、外に持ち出そうとした者もいた。しかし軍勢は、僧たちに矢を一斉に射掛けると、仏像や経典を奪い、伽藍(がらん)もろとも燃やしてしまった。

 中には、そうしたことに動じず、火達磨になっても、禅定を貫いたものもいた。

 

 信者たちはその様子を見て、門の前にひざまずいて声を出して泣いた。そこにも兵隊たちは殺戮の矢を降らせた。

「うわぁ、お許しを……」

 矢が突き刺さり、顔面から真っ赤な血を吹き出して、罪のない民衆は、地面をのたうちまわり、しばらくして静かになった。


 翌日も、李春の軍勢は、砂岩にある石窟寺院に雪崩を打って攻め入った。ここには四十二の洞窟があり、無数の石仏が彫られている。

 李春の軍は、石窟寺院を破壊し、ここにいた僧侶も次々と斬り殺し、生け捕りにした者は、生き埋めにしてしまった。

 そして、大地を見下ろすようにして立つ巨大な如来や仁王の石像を、次々と打ち壊していった。未来仏として信仰され、国家安寧の象徴である弥勒菩薩は、今まさに皇帝の権威を妨害するものとして、容赦なく砕かれて、砂の上に落ちた。ここでも、多くの秘蔵の経典が焼き捨てられた。


「この世に、仏法はいらない、王法あるのみ!」

 李春が、こんなことをしているのも、ただ恐怖心があったからだ。

(仏教を根絶やしにしなければ、いつか必ず、あの法晏の呪力が俺を脅かすだろう……)



 その恐怖を紛らわすためなのか、李春の生活は豪華絢爛を極めた。彼は、金色の宮殿の中で、毎晩、酒宴を開き、酒をあおり、肉を喰らった。味わったことのない山海の珍味を集め、料理人たちに料理の腕を競わせた。

 四方から、見たことも聴いたこともないような楽器を取り寄せ、故郷の曲を演奏させ、美しい踊り子の少女たちに、舞を披露させたのだった。

 金色の宮殿には、高価な玉や金を揃え、青磁や白磁の名器を飾った。庭園には、梅や牡丹といった花が咲き誇り、いつの季節も、花が絶えることはなかった。

 李春の趣味で、庭に虎を百匹飼い、孔雀を百羽、宮殿内に放し飼いにしているばかりでなく、鳳凰などの神獣を捕らえさせようとして、家臣を全国に送り出していた。

「俺は上手くいっている。これだけの権力を振るえるのも、天が俺を味方しているからだ。いや、今や、この俺こそ、神なのだ……」


 また、後宮での遊びに夢中になった。だが、どんな側室も李春にとってはどうでもよく、皇后の梓萱姫だけが大好きだった。

 焔帝が築いた莫大な資産は、このような遊興のおかげで、無くなっていった。

 


 李春は、資産が減るにつれ、農民にとっても暴君となりだした。都城の周囲には無数の村落が広がっていたが、高い税金や兵役を課せられ、逃亡する者が後を立たなかったのである。


 李春は、他国へ逃亡する者に、容赦なく矢を降り注ぎ、その家族を生き埋めにした。歯向かうものは許されなかった。李春は、厳罰をもって、国を統治しようとしたのである。


 ある日、一人の重臣が、李春にこう進言した。

「このような悪政を続けていれば、必ず天の報いを受けますぞ」

「なに。貴様、俺のすることに反対するのか。ええい。構わぬ。斬り殺してしまえ」

 家臣は、すぐさま周囲の者に絡め取られ、宮殿から引きずり出され、その五体はばらばらに引き裂かれた。その叫び声は都城のどこまでも響いて聞こえたという。その死体は、見せしめのために市場に掲げられた。恐怖政治が行われたのである。


             *


 北方の龍神国から、青き龍の旗を掲げた騎馬民族の軍勢が幾度となく、戦を仕掛けてきていたが、北方の長城で防いでいる。騎馬民族たちの猛攻は、日増しに激しくなっていった。李春はしかし、よく持ち堪えていた。


 しかし、そうこうしているうち、龍神軍が、北方の長城を突破し、国土に侵入したとの知らせが来た。それは実は、龍神軍のものたちの謀略により、長城の兵隊に寝返りが起こったことが原因だった。長城の兵隊の多くは農民であったから、これは農民の反乱とも取れる出来事だった。

「我が国土に攻め入るなど、袋の鼠だ」

 李春はしかし、深く入り込んだ軍勢はいくらでも包囲できると考えた。ただちに軍勢を揃えると、龍の旗の軍勢に野戦を挑んだ。



 日の赤く燃える平原で、赤き虎と青き龍の二つの軍勢が入り混じり、激しい戦闘となった。


 敵の騎馬隊は一丸となって、疾風のように押し寄せ、虎老国の軍勢を蹴散らして、また遠ざかる。馬の駆ける音が地鳴りとなって迫ってくる。

「怖じけづくな! 俺の後についてこい!」

 呉霄(ごしょう)は、李春の配下で、先鋒隊の隊長を務めている男だ。彼は、馬に乗り、槍を振り回し、二人、三人と敵兵を次々に切り落とし、戦場を駆け巡った。

 彼は、敵の軍勢の中を走り回り、陣中に斬り込んでいった。矢が雨のように降る。本陣には、敵将と見える男がふたり、馬に乗っていた。それを見た時、一人は僧侶であることを知った。

(何者……)

 呉霄は、その敵将に槍を振るった。敵将は、すぐさま切りかえしてきた。呉霄はその場から逃れるも、敵将は追いかけてくる。二頭の馬はもうもうと土煙を上げながら、並んで走り、二人の間で、槍が激しくぶつかり合った。

「貴様。やるな!」

 呉霄は、五十合もすると、その場から離れた。あまり深追いしてはいけない敵と思われる。敵将は疾風のように追いかけてくるが、呉霄はすぐさま、近くの敵兵の山を切り分けて進んだ。突然、山のようになった死骸に道を塞がれ、敵将の馬は足を止めた。呉霄は、自陣に返ると、このことを李春に告げた。


「その場に、僧がいたのか……」

 李春は青ざめた。まさかあの法晏なのではないか、という不安が彼の心を覆い尽くしてしまった。自分が約束を破ったばかりに、法晏は敵国に味方してしまったのではないか、と思うと李春は気分が悪くなり、吐瀉物を地面に吐き散らかした。


 野戦においては、龍神国の軍を討ち果たすことができなかった。一度、破られた長城は、反対に敵の拠点とされ、そこから害虫が広がるように、次々と軍勢が国土に侵入し、他の城も次々と落とされた。それと共に、虎老国の至るところで、農民の反乱が巻き起こった。それは長く続いた悪政への不満が噴出しているようであった。


              *


 こうなるとますます、李春は政治を拒み、現実から逃避し、都城の宮殿に立て篭もった。なぜ、対策を打たないのか、それは現状があまりにも深刻であるからであった。そして、李春はこの城が難攻不落であることを夢のように信じていたのである。


 国が危うくなればなるほど、酒宴は頻繁に行われるようになった。李春は、政治を疎かにし、毎晩のように皇后を訪ねた。


「このままでは、私たちも殺されてしまいます……」

 絶世の美女である梓萱姫は、李春にすがりついた。彼女の大きな瞳を見ていると、くらりと夢を見ているような気持ちになる。愛おしさに狂いそうになる。しかし、現実は二人の前に、地獄が迫ってきているのであった。

「そなただけは大切に守るぞ……」

 李春は、彼女を抱きしめると、どうにかして、二人だけは生き残れないものかと、思った。


              *


 長城が攻略されてから二月の間に、虎老国の主要な拠点はすべて落とされてしまった。そして、いよいよ、敵軍にこの都城を包囲されたのである。籠城となってから一月、毎日、城壁の外で、敵兵の怒号が響き渡り、激しい投石が行われ、都には、矢が雨のように降り注いだ。

「いよいよ、この時が来てしまったか……」

 李春はがっくりと首を垂れた。しかし、家臣団は諦めず、決死の戦闘を繰り広げていた。



 呉霄は、軍勢を揃えると、都の門を開き、外に打って出た。しかし、四方から矢を射られ、呉霄の軍勢は瞬く間に形を崩し、戦場で散り散りになった。

 それでも、呉霄は矢を避け、敵兵を切り崩しながら、敵の群れなす中を馬で駆け巡った。

「我らは、死を覚悟の上だ!」

 呉霄を捕らえようと騎馬兵が絶え間なく迫ってきたが、次々に、呉霄の槍の餌食となった。落馬するもの、蹴散らされるもの、斬り裂かれるもの、呉霄の走り去った跡には、死体が転がっている。

「やつを止めろ!」

 敵将の怒号が響く。しかし、敵兵の中でも混乱が起きていた。もう少しで、呉霄は本陣に斬り込める。

 呉霄は、何本もの矢が鎧に刺さったまま、ただ気合だけで、敵の陣中を疾走していたが、次第に敵兵が群がり、矢はもはや豪雨と化した。本陣の手前で、全身に矢を浴びて、ついに呉霄は落馬した。

 あっという間に死体に敵兵が群がり、呉霄の首は取られてしまった。



 このことがあって間もなく、都がもう敵の手に落ち、宮殿を囲む城壁のまわりに敵兵が蟻のように群がった。火のついた矢が空に向かって放たれていた。


「もう駄目だ……」

 李春は側近と重臣に囲まれ、頭を抱え、椅子に座っている。

「殿、籠城を続けますか、それとも、打って出ますか!」

 しかし、李春には答えが出せない。なにか考えようとしても、地獄の光景が浮かんで、ものが言えなくなる。彼は、その場から逃れようとして厠に向かった。


 事態が差し迫っていることもあって、今や、一人になれるのは、厠にいる時だけである。

(何故、皇帝になどなってしまったのか。そもそも、俺はその器ではなかった……)

 李春が手を洗っているとその時、厠に敵兵が入ってくるのが見えた。その敵兵は李春に向かって走ってくるようだった。李春は、わあと叫んで、震え上がり、ふらふらと立ち上がると、剣を握りしめ、叫び声を上げ、相手の首を斬りつけた。血が噴き飛び、首がごろりと転がる。李春は、わっと叫び、その敵兵の体を無我夢中で切り裂いた。


 李春が、はっと我に返ると、それは自分の従者であった。

「いかん。幻が……」


              *


 敵軍の将軍は、城壁の上に立ち、黒煙に満ち、真っ赤に燃え盛る宮殿を見て、僧侶にこう語りかけた。

「これで、ご満足でしょうか」

「否、李春は、自ら滅びたにすぎないのだ。確かに、わたしはこの虎老国という国が憎かった。わたしの国を滅ぼし、仲間を惨殺したたのは、焔帝であり、その家臣たちであり、この国なのだ。わたしはこの国を滅びさえすれば、それでよかった。そこで、わざと心の弱い李春を呼び寄せ、そそのかし、王位を継がせたのだ」

「彼を利用したのですね」


「さよう。しかし、それは彼の煩悩が招いた結果よ。李春は今、あの城の中で自ら滅びてゆくのだよ。今まさにこの国は、内側から崩壊し、永久に無くなるところなのだよ」

 そう言うと、法晏は燃え盛る城を眺め、虚しい声でふふふと笑うと、呪文を唱えた。

「祖国の供養もこれで終わった。もう何も思い残すものはないわい……」

 そして法晏は、城壁からひょいと飛び降りた。

 将軍が驚いて、すぐに見下ろすと、砂埃の中、法晏の亡骸が転がっていた。

「袈裟を着ていても、武者であったか……」

 将軍は、そう呟くように言うと、あらためて燃える宮殿を眺めた。


              *


 黒煙が空を覆い、燃え上がる炎が宮殿の階下から迫ってきているようだった。

「ご乱心だ……」

 側近の一人がそう叫ぶと、李春ははっと周りを見た。

「ご乱心だと、この俺がか……馬鹿言うな!この俺は冷静だ。おかしいのはお前たちだ。お前たちは皆、悪魔だ!悪魔なんだよ!」

 李春が、恐怖に震え、剣を持って、側近たちに歩み寄ると、皆、部屋から逃げ出した。李春は、窓から先まわりし、階上から、逃げ惑う人々に次々と矢を射掛けた。

「死ね死ね死ね! どうにでもなってしまえ!すべて終わってしまえ!」


 そこには、もう皇后の梓萱姫と李春しかいなくなった。

「李春様。もうこの国もお終いです。来世でも、一緒になりましょう……」

 皇后が、涙を流し、李春の胸にすがってきた。しかし、李春はもう誰も信じることができなかった。そして、来世という一言に震え上がり、恐ろしい眼で、皇后を見つめると、

「来世だと!」

 と叫んだ。

「この俺に地獄に落ちろと言うのか!」

 李春は、剣を手にし、皇后に一気に振り下ろした。甲高い悲鳴が上がった。皇后がよろめき倒れる。

「な、なにをなさるのですか!」

「お前も……お前も、あの悪魔の手先か!」

 李春は、恐ろしくなって、皇后に剣を再び、下ろした。皇后は李春の目には、悪魔に見えていた。悲鳴が上がる。めちゃくちゃにその体を斬り刻んだ。

「悪魔め!」

 李春はそう叫びながら、血塗れになり、皇后の体を斬り刻み続けた。指が飛び散る。血肉にまみれる。そして、我に返り、その皇后の無残な亡骸を見て、床に転がると、

「ああ、なんてことだ……!」

 と言って、大声で泣いた。


 城は、火が燃え広がっていた。もう、逃げ場はない。李春は皇后の亡骸にすがりつくと、狂ったように泣き続けた。


 気がつくと、倒れた棚の近くに、以前、僧に渡された経典が落ちていた。李春はわあと叫んで、その経典を蹴り飛ばした。自分が弾圧してきた仏教の経典からは、ありありと地獄の責め苦が見えていたのである。

「地獄になど行きたくない!そんなものがあるものか!そんなものがあるものか!」

 しかし、もし地獄があるとしたら、救いを求めることのできるものはこの経典の他になかった。

「俺を、この俺を、助けてくれ……」

 李春は必死になって、それを拾い上げた。


 そして李春は、今まで一度も唱えたことのなかった経典を唱え続けたのである、燃え盛る炎の城の中で。それは後悔と憎しみの入り混じった凄まじい声だった。しかし、その声は間もなく、ぴたりと静まった。

 

             完

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公が李春ときいて、「李陵」と「杜子春」ぽい物語かなと思いきや、見事なKanさまワールドでした。 因果応報、とっても読みやすくて、ちょっと現代的でファンタジックな世界観がよかったです。 …
[良い点] ∀・)まるで史実かのような壮大的かつも具体的な世界観。そして卓越したスートーリーラインと読みどころが満載ですね。でも特筆したいのはこの三国志的な戦国時代の雰囲気をキッチリと描ききっていたと…
[良い点] 拝読させていただきました。 普段こういった歴史もの、それも異国のお話を選んで読むことがない私などでもスラスラと読みやすい文章で、とても新鮮でした(・・*) 最初は政治(国)を善き方へと…
2020/01/17 10:37 退会済み
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