空白
オウカが撤退した後、イオニスはひとりでブリーフィングルームに戻っていた。
「――完敗だったな。 俺たち全員が、あのガキを過小評価してたんだ」
イオニスを追ってブリーフィングルームに来たアルバートが、彼に声をかけた。
「そうだな。 スピードも、攻撃力も、技量も、みんな"あの子"が上回っていた。 汚れ仕事専門の精鋭部隊『ラストコール』が来ても、瞬殺だったと思う」
バンテージで損傷箇所を覆っただけの義腕を見つめながら、イオニスは呟く。
――"あの子"……ね。
イオニスが言い放った、オウカを示す何気ない単語。
それに反応して、アルバートの眉がぴくりと動いた。
「あのさ、ひとつ訊いていいか?」
「ん?」
怒っているような顔で電子タバコを咥えたアルバートを見て、イオニスは首を傾げた。
「――お前、あのガキに気があるんじゃねぇのか?」
イオニスは、壁にもたれかかりながら笑った。
「気がある? ああ、あるとも」
そして缶コーヒーを開け、ぐいっとあおった。
「桜をアイコンに、小柄ながら絶大な攻撃力で敵を圧倒する。 まさに、『蝶のように舞い、蜂のように刺す』って言葉を体現しているみたいじゃないか」
続いて、子供のように明るい笑顔をアルバートに向ける。
「それで、あのガキにぞっこんになって、監視衛星から防犯カメラ、兵士個人のカメラやD.N.Aにまでアクセスして、片っ端からガキの情報を集めるのか?」
そう言いながら、アルバートは空き缶をぎりぎりと握り潰す。
「毎日毎日、影でコソコソとガキの尻追っかけて。 しまいにゃ、ベッドの上で妄想しながらマスかくのか。 俺の時みたいによ」
痛いところをアルバートに突かれて、イオニスは黙った。
イオニスは優秀な兵士ではあるが、自分が好意を持った相手に対して、ややストーカーめいたアプローチをしてしまう面があった。
それも、"同性"に対して。
「いけないことか?」
イオニスの経歴には、米兵時代にとある過酷な作戦に派遣された――という記録が残されていた。
詳細は抹消されていたが、作戦が実行された時期は5年前で、イオニス以外の兵士は、全員戦死したということだけは判明している。
「嫌われるぞ」
その後、帰還したイオニスはPTSDを発症。
さらに、D.N.Aを経由して記憶の一部が消去されていた事も発覚する。
そしてイオニスは、PTSDの治療が完了してすぐに軍を除隊し、能力を買われてHSSに入社した。
「そうなのか……?」
それから、イオニスの"何かが"変わってしまった。
訓練兵時代からの付き合いであるアルバートは、その"何か"を知るために軍を抜け、イオニスを追ってHSSに入社したのだ。
「嫌われるのは……いやだな」
「だろ? だから、しつこく追いかけ回すのは止めろ。 何か用があれば、ガキの方からやって来るさ」
アルバートは、静かにイオニスの隣へ移動したあと、肩に手を置いた。
「――そうだな。 そうかもしれない。 あの子が来るまで、少し待ってみる」
そう言ってから、イオニスは笑った。
やっと、落ち着いたか……。
イオニスの様子を見て、アルバートは胸を撫でおろした。
いつの間にか好意を向けられ、隠し撮りされた画像で勝手に性欲を満たされる。
ついには、寝込みを襲われて――――
それから3年。
アルバートは、自分を犠牲にすることで、暴走しかけたイオニスを制御する術を編み出した。
「気分転換するために、少し外に出るよ」
中身を全て飲み干したあと、イオニスは缶をゴミ箱へ投げ捨てた。
「アルバートも来るか?」
イオニスに訊かれ、アルバートは自分の腕を見せた。
「腕のフィードバックに誤差が残っちまっててな、調整が終わってねえんだよ」
アルバートに断られ、イオニスは残念そうにしていた。
「そんな悲しい顔すんなよ。 また今度だ」
笑いながら、アルバートはイオニスの肩をぽんぽんと叩き、そのあと彼の頬へ挨拶代わりのキスをする。
「――じゃあな」
アルバートはブリーフィングルームを出て行った。
「……」
アルバートにキスされた頬を指先で撫でながら、イオニスは黙考する。
「――アルバートは、オレに気があるのか?」
◇
ブリーフィングルームを辞し、横須賀市街に出たイオニスは、本部の近くにあるファミリーレストランへやって来た。
「あの、すみません」
金髪のウエイターにステーキを頼んだあと、別のウエイターに声をかけられた。
「今、店が混雑してしまいまして、お1人だけこちらの席に相席させていただいても……」
「構わないよ」
やや食い気味にイオニスが答えると、1人の少年がウエイターに案内されてきた。
「どうもすみません。 あ、ココアとフレンチトーストをひとつお願いします」
艶がある黒檀のような髪、子供らしい仕草、星空のように輝く瞳。
少年を見たイオニスは、思わず息を呑む。
そして胸がじんわりと熱くなるような、不思議な感覚を覚えた。
――初めてアルバートと出会った、あの時のように。
「大丈夫だよ。 気にしてない」
イオニスの向かいに座った少年は、緊張しているのか落ち着きがない。
「そんなに緊張しないで」
少年の様子を見て、イオニスは微笑んだ。
「本当に、大丈夫だから」
イオニスの口元は、わずかに歪んでいた。
イオニスの目は、けだもののように少年を睨んでいた。
◇
1時間後。
食事を終えたイオニスは、店を出て本部へ戻ろうとしていた。
「――おじさん」
後ろから声をかけられ、イオニスは振り返る。
「きみは――」
イオニスと相席になり、ココアとフレンチトーストを楽しんでいた少年が、なぜかイオニスの後を追い、イオニスの腕を掴んでいたのだ。
「――――」
さらりとした黒髪が目を引く痩せぎすな少年は、じっとイオニスを見上げていた。
「――――」
少年と目が合い、潤んだ瞳に惹かれ――イオニスは無意識に喉を鳴らす。
「……どうしたんだい? オレと遊びたいのかな?」
イオニスは少年の肩に手を置き、静かに訊く。
「そうだね……」
少年は笑った。
「時間があるなら、ボクと遊ばないかなと思いまして」
そう言いながら、少年は何かを取り出した。
「それ、は――」
少年がイオニスに見せたのは、『ピエロのメイクをしたアイアンマン』のマスクだった。
「まさか、キミは……」
少年の正体に気付き、イオニスは懐のホルスターに手を伸ばそうとするが、民間人の存在を思い出した。
だが、それは少年――オウカも同じである。
「――何が狙いだ?」
訊かれたオウカは、答える代わりにイオニスの隣に移動する。
「さっき、あなたと全然戦えなかったでしょ? だから、リベンジマッチをしたくて」
オウカの目的を聞いて、イオニスは思わず苛立った。
こんな小さな子供が、まるで戦闘狂のように狂っている。 その事に。
「まるで戦闘狂だな」
イオニスは小さな声で言いながら、隣に並んだオウカの肩に触れる。
――少し骨ばってるな……。
擬似神経とD.N.Aを介して伝わってくる感触を、イオニスは楽しんだ。
「ボクは至って真面目だよ」
「そうなのか。 じゃあ、何歳なんだ?」
「12歳」
年齢を聞いて、イオニスは動揺した。
12歳という年頃であれば、学校で学び、友と遊び、色々な人生経験を積んでいるはずだったからだ。
「学校はどうした」
「研究を手伝ってたから行ってない。 でも、基本的な事は通信教育で済ませた。
というか、学校なんて機関に通って、思想教育じみた授業を受けるのは、無駄じゃない?」
終わりに「コスパ悪いし」と言い切ったあと、オウカは笑いながらマスクを放り投げ、桜の花びらに変える。
そんな芸当ができるのは、アーティファクトを有するオウカだけだ。
「ずいぶん変わってるね、キミ」
歩き出したイオニスは、同じく隣を歩くオウカの肩を静かに抱いたあと、D.N.Aを起動させた。
彼がD.N.Aを有しているなら、密かにハッキングできると思ったからだ。
「ボクの体にD.N.Aは無いよ」
自分の肩を抱くイオニスの手に触れ、オウカは呟く。
「じゃあ、どうやってアルバートのD.N.Aをハッキングしたんだ?」
オウカは、自分がハッキングを仕掛けたあの男の名前が、『アルバート』であると察した。
「アーティファクトで擬似的にD.N.Aを構築して、一時的にハッキングしただけ。 そういうのは治療の応用でできちゃうの」
答えたあと、オウカはイオニスの手を払い除けた。
そして、1枚の紙をイオニスの手に握らせる。
「これ、対戦場所。 時間は明日の23時。 忘れないでね」
オウカは手を振りながら、イオニスから距離を取る。
「待て――!」
オウカを引き留めようとして、イオニスは手を伸ばした。
だが、人気が無くなり、周囲が静まりかえった一瞬。
「またね」
オウカは花吹雪と共に消え去った。
◇
「――んで、お前はあの子供とタイマンする事になったってわけか」
ヘリキャリアに戻ったイオニスは、アルバートの部屋を訪れ、彼にそれまでの出来事を話した。
「ダメか?」
イオニスは、ベッドで横になっていたアルバートの顔を覗き込みながら訊く。
「いや、別に」
アルバートは仰向けから横向きに寝返りをうち、目をつむってしまう。
「あのガキには、お仕置きも必要だと思ってるしな。 いい機会なんじゃねえの」
なぜか怒っているアルバートに戸惑いながら、イオニスは考える。
――こいつは、人間関係で悩むと考え込む癖があるよな。
イオニスをちらりと見て、アルバートは心の中で呟いた。
「どんな子供だった?」
「少し大人びた感じの子供だった」
「風貌は?」
「黒髪のショートが綺麗で、目は星空みたいに輝いてた。 なんなら、写真を送ろうか?」
イオニスが提案するが、アルバートは「いらない」と即答する。
「戦いに行っても良いがな、無茶だけはするなよ。 俺、傷つくお前を見たくない」
再び仰向けになったあと、アルバートはイオニスの頬に手を添えた。
イオニスは、無言で頬に添えられたアルバートの手に触れる。
「ああ、無茶はしないよ。 この戦いはきっと……お互いを理解するための"語らい"だと思ってるから」
そう言ったあと、イオニスは立ち上がった。
「じゃあ、明日に備えてオレは休む。 それで頼みなんだが――」
「――わかってるよ。 お前の仕事は俺がやっておいてやる」
アルバートは再び横向きになってしまった。
だがイオニスは、そんなアルバートを見て目を細める。
「ありがとう。 それじゃ、おやすみ」
「……おやすみ」
イオニスはアルバートの肩を叩いたあと、部屋を出て行った。
その後ろ姿を、アルバートは静かに見送った。
次に、D.N.Aをクローズド回線に切り替え、HSSの社長に繋げる。
◇
「社長。 緊急の用件があります。
実は、あの子供がイオニスと接触し、明日の23時に1対1での対戦を申し込んできました。 ……イオニスも、これを受け入れています。
そこで、わたしはあるプランを実行に移す事にしました。
そのプランの内容はいたってシンプルです。
あの子供がイオニスと戦っている間に、あの塊へ電源を繋ぐだけで済むのですから」