彼女の話
久々の投稿です。
『「あのっ!貴大君は、そんなに、仮面を被らなくても、良いと、思うよっ!」
整った顔立ちが驚きと興奮の色に染まっていく。私の婚約者が恋に落ちていく瞬間を、私は生涯忘れることはないでしょう。
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後ろで一つに纏めた黒色の髪。奥二重で少し切れ長の目には何の変哲もない黒の眼鏡をかけている。それが私、小鳥遊玲香です。小鳥遊財閥は、学園事業やデパート、さらには金融業など幅広く事業を行っている財閥です。私はその小鳥遊財閥の一人娘の跡取りで、東条貴大の婚約者でした。今どき婚約者がいる高校生なんて珍しいと思いますが…財閥間では当たり前のことなのです。
肩まである明るい茶色の髪を耳の後ろで二つに結び、ぱっちり二重の大きな丸い目と、ふっくらとした淡いピンクの唇。その顔が織り成す表情はコロコロと変わり、いつも明るい女の子、それが田中玲奈さんです。財閥関係者が集まる閉鎖的な小鳥遊学園に特例で高校から編入してきたにも関わらず、彼女の周りにはいつも人がいました。田中玲奈さんは花皇財閥の現当主の隠し子でした。彼女の母親が亡くなられたため当主に引き取られ、この小鳥遊学園に編入してきたのです。そんなイジメがあってもおかしくないような状況下で人気者になったのは、ひとえに、彼女の容姿と性格と努力が成したことなのでしょう。財閥関係者でプライドが高い方が多い小鳥遊学園で最近まで一般人として生きてきた人が上手くやっていくには並大抵の努力では足りなかったでしょう。でも、そんな彼女を目の敵にする方も多いようでした。いわく、男子を侍らせている。ぶりっ子なのがウザい。彼女の努力も虚しく、一年生の一学期が終わる頃には、酷い言葉をかけられるのは日常茶飯事、物が盗られたり、服が破られていたりと彼女はいじめられるようになりました。しかし、彼女は笑顔を絶やさずにいました。そんな健気な姿は財閥の中でも上位と言われる方々の心を打ちました。上位財閥の方々はその多くが生徒会や風紀委員会に所属しています。そのため、普段はこういった事件に腰の重い生徒会や風紀委員会が対策を始めたのは非常に早く、主犯の方々はあっという間に捕まりました。夏休みには全て済まされていたのか、彼ら、彼女たちは二学期の始業式にいませんでした。俺が守らなければ玲奈はいじめられる危険にさらされる、俺がいなければ玲奈はダメになる、と保護欲をそそられた大勢の男子からの人気は高まりました。しかし、彼らにはやはり婚約者がいます。多くの女子は婚約者であり、彼女たちからは依然としてあまりよく思われていなかったようです。
彼女が私の婚約者である、東条さんが好きというのは周知の事実でした。彼女は私を邪魔に思っていたようで、東条さんがいない所では
「あんたみたいなブスで陰気で鬱陶しい奴なんかが貴大君の婚約者だなんておかしいわ!親の権力だけで隣にいさせてもらってるだけなのに貴大君の隣に居座らないで!さっさと消えてよ!」などと言われました。まぁ、こんな事は他の方々から言われていたのであまり気にしていませんでした。つまり、私は何もせずただただ傍観者に徹していました。本当に何もせずにいたのです。全ての事件の黒幕が私ではないかという噂が二学期から流れはじめたのは当然だったのでしょう。
―小鳥遊玲香は田中玲奈を目の敵にしている。
だからあの日、中庭で田中さんが東条さんに告白をしていても、止めることはできなかったのです。止めたと知れ渡ったら、噂が本当になってしまうと、そう、思い込んでいたのです。閉鎖的な空間の中でそんな状況になって私は疲れていたのだと思います。上位財閥の方々やその他の学生に糾弾される、東条さんの婚約者としてますます釣り合わなくなってしまう、それを恐れていました。上位財閥は小鳥遊グループと提携をしていたり、良きライバル関係にある財閥ばかりでした。その関係でご子息達とは仲良くさせていただいていました。それまで気さくに話をしていたのに、2学期以降蔑んだ目で見られるようになりました。私は弱いです。いくら表面上は冷静沈着を装っていても、周りから糾弾されるのがすごく怖かったのです。それに、これ以上蔑んだ目で見られたくなかったのです。
顔を真っ青にして壁の影から東条さんに隠れて見ている私と、顔を真っ赤にして東条さんの前で告白している田中さん。私と田中さんが東条さんを挟み真逆の反応をしている、その景色はとても滑稽だったでしょう。
「貴大君のことが、本当に好きですっ!付き合って下さい!!」
「あー。ごめん。僕、婚約者いるから。」
「知ってるよ…。ごめんなさい、迷惑をかけて…。でも、どうしても伝えたかったの。」
「ありがとう、田中さん。田中さんにそんなふうに言ってもらえて嬉しいよ。でも、玲香はよくやってくれている。君とそういう関係になるのは玲香に申し訳ないんだ。」
そう言うと東条さんは笑いました。―だから、ごめんね。
私は本当に嬉しくて涙を零しました。でも、私の幸せはそこまででした。
「あのっ!貴大君は、そんなに、仮面を被らなくても、良いと、思うよっ!」
「は?」
田中さんの突拍子もない言葉に、普段滅多に感情を表に出さない東条さんの目が大きく見開かれて、それを見た田中さんがまくし立てるように理由を言っていきました。私の顔は真っ青を通り越して青紫です。
「貴大君はいつも、いつも、嘘の笑顔を浮かべていて、小鳥遊さんの前でも嘘の笑顔でっ!だ、だからっ!玲奈の前では、仮面は外しても、いいんだよ!」
「だから、なに?」
「っ!その…。」
「そうしているのはメリットがあるからなんだけど。でも、君の言うようにすることで、何か俺…僕にメリットがあるの?」
「幸せになれる!!」
「は?俺が不幸せってこと?」
「そうだよ!貴大君見てると心の底から笑ってないもん!心の底から笑ってない人は不幸せっておばあちゃんが言ってたよっ!」
「いや…これは…」
「ね?私と付き合えば、幸せになれる!」
「意味が分からない。新興宗教?」
「っ違うもん!みんな、言ってくれてるもん…。」
「お前…。馬鹿なの?」
「バっ!失礼だよ!」
「失礼なのはそっちだろ…。」
「何が失礼なの?玲奈は貴大君のことを思って言ったのに…。」
「思って?」
「そうだよ。玲奈の前でだけでも、心から笑ってほしいんだよ…。」
「ふーん。」
「うん…。ねえ、お試しで1ヶ月だけ付き合ってみない?お試しだからきっと小鳥遊さんも許してくれるよ。それに心から笑わせてあげられなかったら諦めるから!」
「…だめだったら諦めるんだよな?」
「っ!もっもちろんだよ!」
「じゃあ1ヶ月間よろしくね、玲奈?」
これが私の知り得る全てです。この後は、見ていられなかったんです。あの後どうなったか、想像すらしたくなかったんです。でも、婚約破棄がされるという噂が真実味をおびはじめ、学園でお二人の仲睦まじい姿を延々と見させられ、私はもう、倒れそうでした。泣きたくて、でも小鳥遊財閥の跡取りとして人前で泣いてはいけない。それが凄く辛かったです。でも、泣きたいほど悲しいことを、辛いことを誰にも言うことができませんでした。
その1ヶ月後、私は学園を退学しました。お父様とお母様は何も仰りませんでしたが、叔母様や叔父様達が小鳥遊財閥として名折れであり、小鳥遊財閥にふさわしくないから絶縁をするべき強くだと仰り、私は小鳥遊財閥から名前を消され、家を出ることになりました。
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「玲香~!早くしてよぉ!理人、先に行っちゃうよぉ!」
「まっ、待って下さぁい!」
あの後、私は父方の祖父母(父は小鳥遊グループに婿入りしたのです)を頼って新しい学校へと行きました。田舎町の小さな学校です。そこの皆さんは明るくて、優しい方ばっかりで、私はもう感無量でした。修学旅行では、東京でネズミーランドに行ったり、原宿でクレープを食べたり、双子コーデもしました。
「すみません。晴香さん、寺岡君。…えーと。」
「小坂圭介だよっ!」
「す、すみませんっ!」
「ったくアン○ャッシュの児島じゃねーんだし、こんなこと言わせるなっつの。3ヶ月もたってんだし、早く覚えろよな。」
「あ!児島くーん!」
「理人ぉ!テメエなあ!」
「イタッ!別に圭介のことを言った訳じゃないのに反応してる…小坂君は自覚症状ありなんだな…ブッ…クハハハ!」
「何だとコラァ!!」
「…こいつらいつもこんなんだから、気にしないでね?それはそうと、玲香は何でまだ敬語なの?」
「これは癖というか…。」
「まぁいいけど。…別に、玲香は慧君狙いじゃないんでしょ?慧君は玲香みたいな人も好きそうだし…。」
「え?慧君…ですか?」
「知らないの!?それはそれで問題よ!私が教えてあげる!慧君っていうのはね…「お前…。敬語の話はどこ行ったんだよ。玲香が困ってるじゃねーかよ。もう少し頭を使え。あ、アレか。お前の頭は緩いから使えないのか~!ハハハッ!」
「はぁ?理人にだけは言われたくないわ!」
「な?玲香困るだろ?」
「い、いえ、そんなことは「ほら困ってる!」
「理人にな!」
「理人、いい加減黙れよ。それはそうと、慧、そんなに良いヤツか?」
「うん!かっこいいし、かわいいし、頭いいし、運動できるし…」「…もういい。」
「えーまだあるのに。まあ、とにかく最高よ!」
「そうかよ…。」
「圭介が凹んでる~!マジウケる!」
「っ!黙れ理人! …バレるだろ?」
「何がよ?」
「小坂君!あなたの班を静かにしなさいっ!」
「俺っ!?班長、晴香なんだけど!?」
「いいんです!早くしなさい!」
「へぇー。圭介、私を売るんだ?」
「はぁーーーーー!?」
先生に怒られるまで話は続きました。そんなことは初めてでした。そんな新しい経験、友達は小鳥遊学園を忘れさせてくれました。最近では小坂君、寺岡君、晴香さんと行動を共にしています。小坂君は晴香さんのことが好きなんですが、晴香さんは慧君のことが好きで小坂君が歯噛みしている…だそうです。寺岡君から教えて頂きました。晴香さんは誰が誰を好き、とかいう恋愛関係に詳しいのに、晴香さんを好きだということには気づかないところが笑えてしまいます。晴香さんは優しい人です。転校してきて、慣れない環境下で困っていた私に「私、晴香っていうの!仲良くしてね!とゆー訳であいつらと一緒に花街商店街行こう!」と誘ってくれました。嬉しくて泣いてしまった私に、晴香さんは驚き、小鳥遊財閥のことは伏せて大体の理由を話すとますます親切にしてくれるようになりました。
修学旅行はとても楽しかったです。晴香さんとホテルで徹夜でお話をして、晴香さんがどれだけ慧君を好きかが分かりました。小坂君や寺岡君ともどんどん仲良くなりました。本当に本当に幸せな時間でした。
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―しかし、そんな楽しい日々は長く続きませんでした。
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「皆さん、今日集まってもらったのは悲しいお知らせがあるからです。本校の生徒3人が不幸にも通り魔事件に巻き込まれてしまいました。堀越晴香さん、川崎夏菜さん、平岡慧くん。彼らは本当に素敵な人達でした。死んでしまうのは非常に悲しく、そして惜しいことです。彼らに黙祷を1分間捧げましょう。それでは、黙祷。」
校長先生の話が耳を通り抜けていきました。隣では小坂君と寺岡君が泣いていました。―晴香さんが死にました。その1週間後、小坂君が飛び降り自殺をしました。それからのことは、全く覚えていません。ただただ悲しくて、辛くて、苦しくて、虚しくて、何をしても心にぽっかりと穴が空いたようでした。寺岡君と2人でずっと死んだようにしていました。
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そしてその半年後、高校2年生の3月のことでした。寺岡君と2人で喫茶店で勉強をしていたときのことです。その日は喫茶店に私達以外誰もいませんでした。少しの違和感をそのままに2人で勉強をしていると、信じられないことが起こりました。
「やっと会えたね、玲香。」
東条さんが、そこに、いました。驚く私に寺岡君から信じたくない事を聞かされました。
「玲香、ごめん。東条様に言われて、君をずっと見張っていた…。本当にすまない。」
「訳がわからないです…。どうして…。」
「まあ、訳が分からなくていいよ。君は今から僕と暮らすんだから、一生。…ああ、寺岡君ありがとう。喜びたまえ、君のお父様の会社は潰れない。もちろん君のお姉様の婚約も破棄されないよ。」
「っ本当ですか!?ありがとうございます!!」
「それじゃあ僕らの愛の巣へ行こうか、玲香。嫌とは言わせないよ。この半年間自由にさせてあげたんだ。君の一生を僕に捧げてもらうよ。」
私は東条家に連れて行かれました。いいえ、あれは誘拐でした。
「玲香が田中玲奈との茶番が終わる前に退学したからこんな面倒なことになったんだよ。まあ、都合がいい面もあったけどね。元々君のご両親は僕との婚約に反対だったんだ。娘には自由に結婚をしてほしいとかで。本当に訳が分からないよね。僕らはこんなにも愛し合っているのに…。でも、上手く小鳥遊の人間を焚き付けられたから君は小鳥遊財閥の人間ではなくなった。そんな君をどうしようと、僕の勝手だよね?君に拒否権なんてないんだよ、玲香。」
私はその時知らなかったのですが、東条グループは既に東条貴大さんが事実上のトップの状態でした。そして、東条グループは他の財閥を抑えトップになっていました。誰も東条貴大に逆らえなかったのです。
私達は18歳になった日に結婚しました。
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それから辛い日々が始まりました。私はお父様とお母様に認めてもらいたかっただけで、決して東条貴大さんが好きではありませんでした。だというのに結婚。それだけでも辛いのに、彼に監禁され外に出ることはなくなりました。家政婦さんと東条貴大さん以外と話すことがなくなりました。そして、テレビもスマホさえも渡されず、私は世間との繋りを一切絶たれてしまいました。毎日やることがなく人形のような日々を送っていたある日のことです。お父様の側近の方が家政婦として家に来られました。そして、ある事実を知らされたのです。それは東条貴大を憎み、今回の動機となるには十分なものでした。
「東条貴大があの通り魔事件の犯人を誘導して堀越晴香を殺させた。」
直接的な手を下してはいないものの、それは私の心を破壊しました。そう、私は最愛の友人を殺した犯人と結婚し、監禁され、管理されていたのでした。側近の方は一緒に家を出ようと言ってくださいました。しかし、私は東条貴大を殺したくてたまりませんでした。家を出れば2度とその機会は無くなってしまう。その誘惑と戦い悩んでいると、東条貴大が帰っていました。肉が抉れるグチャという音がし、断末魔がリビングにこだましました。側近の方が物を言わない肉の塊になって倒れ、血に濡れた包丁と返り血を浴びた東条貴大の高笑いが断末魔の代わりにリビングに響きました。
「残念だね、玲香!本当に残念だね。かわいそうだよ…。こんな男に唆されて僕から逃げようとするなんて…。でもね玲香、側近の人は君が殺したんだ。君が殺した!そうだよ、君が僕から逃げようとするから…。さあ、一緒に生きよう!今までみたいに…ずっとずっと…永遠に!玲香、君を愛している!」
頭が真っ白になりました。もう訳が分かりませんでした。東条貴大のために、私なんかのために、晴香や側近の人…4人も死んだのです。4人も。一体何人がこの男のこんな茶番のために人生を狂わされたのでしょう。一体何人が私のせいで人生を狂わされたのでしょう。
「東条貴大!私は、お前が、大嫌いだ!」
気づいたら私はそう叫んで東条貴大が持っていた包丁で東条貴大を刺していました。呆然としている私と2つの屍を家政婦さんが見つけ、警察の方が駆けつけるまで、何も覚えていません。
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私は、これを悪いことだとは微塵も思っていません。東条貴大が狂わせた人々の報いを東条貴大自身が受けただけのことです。後悔もしていません。東条貴大の被害者がいなくなったことを喜ぶのみです。』
私は、「東条貴大の本性―私が殺人をした理由― 小鳥遊玲香」と書かれた本を閉じた。壮絶な人生だった。
「玲香。ゆっくり休め。私も…俺も、もうすぐそっちに行くから。
―晴香と圭介と笑っていてくれ…」
彼女の墓の前に花を置くと、私は墓を去った。
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