第二話 アグト=ローズワーズ
アグトは薄ぼんやりとした感覚で目を覚ました。木製造りの天井に視界の端には不規則に揺れる明かりとパチパチと木が燃え跳ねる音が聞こえる。今アグトが横になっている場所はふかふかとしたベッドの上で、意識を失う前の記憶と照らし合わせるとここはセラの家だと推測できた。
「知らない天井だ」
目を覚まして開口一番にそう呟いた。視界の右端の直ぐに窓が見え外はまだ暗く数時間程しか眠っていないらしい。
「あら、もう起きちゃったの?」
暖炉の近くに聞こえるセラの声にアグトは顔だけを動かす。体はもう動くが気持ちの問題か動かす気にはなれなかった。外に居た時と違ってローブは脱いでおり、暖炉の明かりでセラの顔が露になる。金髪のセミロングに青色の双眸はどこまでも澄み渡っていた。
「ちょっと待っていてね。もう少しで晩ご飯ができるから。今日はシチューね、久しぶりの来客だから味の保証はできないけど」
暖炉の炎で熱している鉄鍋はグツグツと音を立ててセラはそれを木製のオタマで底が焦げないようにかき混ぜていた。かき混ぜて匂いがアグトの元まで漂いアグトの腹はぐうーと虫が鳴る。その音を聞いたセラはくすりと笑うと、シチューが出来上がりを確認して器にシチューを注いだ。
「……ここは?」
「ここは私の家、ていうのはわかるか。あなたが聞きたいのは多分この地帯の事でしょ?」
アグトは無言で頷く。それを見たセラは空いた器を手に取り再びシチューを注ぎながら話し始めた。
「ここは人間界と魔界が挟む唯一どこの国の領土でもない広大な危険区域、とでも言ったらいいのかしら。そんなところよ、だからあなたのような子供、というより人そのものが立ち入らない場所なのよ?」
それを聞いたアグトは思わず息を呑む。国の端から端へと飛ばされたからだ。ルブリニカ王国は唯一魔界領域に近い国だ、その中でもアティール家が受け持つ領地はその真逆で人間界側にある。その途方もない距離を転移されたとなると驚かない訳がない。
セラは両方の器と二つスプーンを持つとアグトのもとへ歩み寄り片方のシチューとスプーンを差し出す。それに応じてアグトもまた上半身をむくりと起き上がらせ受け取った。優しくスプーンからシチューをすくい念入りに冷まして口に運ぶ。滑らかな舌触りにシチュー独特の甘さと暖かさが口いっぱいに広がりアグとを落ち着かせた。
「ふぅー」
「ふふふ、美味しい?」
「……はい、温かいです」
美味しいと聞かれたがアグトはそう答える。シチューにはセラの温かさが入っているようにアグトは感じ、普通以上に美味しく感じられた。
「……そう、よかった」
セラはその返答に満足した様子で優しく微笑む。胃の中が空っぽで空腹だったアグトはシチューを無我夢中に飲み始めた。
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鉄鍋に残っていたシチューを食べ尽くしたアグトは完全にベッドから起き上がりセラが座るテーブル側向かい側に座っていた。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「お粗末様、それはとても嬉しいわね」
それなりに落ち着いたアグトは再びこの部屋を見回す。さっきまで寝ていたベッドに小さなテーブルに真ん中には燭台が置かれ、側には二つの椅子がありその椅子にセラとアグトが腰をかけている。さらに見回す、本棚がずらりと並んでその棚にはびっしりと本の背表紙が見えた。
食後の紅茶を用意され「ありがとうございます」と一言の残すと紅茶を啜った。
「さて、そろそろ話を進めようか。それで、どうしてこんな危険区域に?」
「…………実は――」
アグトは一瞬どう答えたものか迷った。自分の素性を明かしていいのか、自分が『異端』である事でここからも追い出されるのではないか。しかし命を救ってくれた人に真実を伝えようと決めこれまでの経緯を話した。
「なるほどね。まあ、あれじゃあ『異端者』と勘違いしてもおかしくないわね」
適正魔法診断の属性の判別は至って簡単。魔水晶に魔力を流し魔水晶が属性にあわせて変色をする。その色で判別をするのだ。火属性ならば水晶が赤色に染まり、水属性ならば青く染まる。地属性ならば茶色に、風属性ならば緑色に染まる。更に光属性と闇属性が存在し、前者は黄色に染まり後者は紫色に染まっていく。
そしてそれ以外の現象。水晶の破壊――それが『異端者』と呼ばれる者たちだ。
『異端者』それは魔法使い世界で最も疎まれてきた存在だ。魔力を持ち、どの属性魔法にも適さない。適正魔法がないのではなく、それでいてそれが何なのか認識出来ない。それが異端と言われるゆえん。恐怖を具現化した存在とも言われている。
「でも安心して、あなたには適正魔法がちゃんとついているわ。それも異常なほどに」
「えっ!」
セラはそう言うと自身のポケットから何かの欠片を取り出した。それは砕けた魔水晶の欠片で、それは個々がそれぞれ異なる色を放っている。それを見たアグトは目を見開いた。
「ど、どういう……」
「わからない? あなたは適正は全てなの、それは世界に居るか居ないかわからないとされたおとぎ話の産物の存在なのよ」
「で、でも水晶は砕けて……」
アグトは戸惑いながらも言葉を紡ぐ。それを聞いたセラ「ああ」と合点がいった声を漏らした。
「大丈夫よ、それはあなたの魔力が異常だったからよ。魔水晶があなたの魔力に耐え切れず変色する前に砕け散ったのよ」
事実、今この手にある魔水晶の欠片が証明している。と付け加えた。
普通魔力供給時のみしか変色しない魔水晶がアグトの大量の魔力によって今もなお変色し光を放っている。それはアグトの魔力の異常さを現すのには十分だった。
「それにあのドラゴンを一瞬でも足止めする魔力、そんなのを流された魔水晶が砕け散らない訳がないわ」
セラはアグトの魔力の異常さを呆れながらそうとも付け加えた。こんな危険区域に住んでいる人にそこまで言われては流石にアグトも自身の魔力に呆れる。
「はは、魔力だけは歴代最強だったから。でも魔法が使えないんです」
「なら私が魔法を教えようか?」
「えっ」
アグトは自身の今までの経緯を振り返ってこの異常な魔力を持っていても無意味でしかないと自嘲した。そんなアグトの虚くセラの発言に口をポカーンと開ける。その表情を見たセラは堪えきれなかったのか、ぷっと吹き出し始めた。
「はははっ! あーいやーごめんね。アグトの顔が面白かったから」
「か、からかわないでください!」
「ごめんごめん、でも私は君に魔法を教える事はできると思うわよ」
ひとしき笑ったセラはそう告げる。
魔法が使える? そう思った時アグトは感情が高まった。もし使えるのならあいつらを――。
そんな思考をしていたアグトの表情をセラは見て少し悲しそうな表情をする。
(確かに復讐心を無くせとは思わない。だけどそれだけに呑み込めれてはいけない。その感情は魔法の技術を高めるための糧にさせないと。この子の成長は私にかかっている)
セラは密かに決心をした。
「お願いします。僕は魔法が使えるようになりたいです!」
「じゃ決まりね。そして今日からあなたの名前はアグト=ローズワーズ。そう名乗りなさい」
「アグト=ローズワーズ……うん、いい」
アグトは自分の名を呟き満足した。その様子を見たセラもまた満足した顔をしている。
「じゃあ、ようこそ我が家に。そしておかえりなさい!」
「はい、ただいま」
セラとアグトの間に暖かい雰囲気が生まれそして二人は再び紅茶に口を付けた。