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イマ放浪編・その2

いやぁ、イマのお母さんの秘密関係を放浪編に混ぜたら、また文字数制限にひっかかってしまいました。

ともあれ、イマ放浪編の続きです。それでは、始まり始まりぃ~。

<イマ放浪編・その2>


イマは、マジェスティで研究所に通うようになった。一番最初に行った時には、守衛から呼び止められ、研究所のレベル0セキュリティで、イマのスクーターも登録された。はぁ、やっぱりそういう手続きがあったのね。すっかり仲良しになった守衛と立ち話をしているうちに登録は終わった。

実は、予算が少し余ったので、二輪用ETCも取り付けていた。支払いの問題があったが、滅多にカードを父親にも使わせない母親が、父親名義のカードでETCカードを手配してくれた。ついでに家族カードも渡してくれたが、これは釘を刺された。「給油用、ですのよ、イマさん。普段のお買い物では決してお使いにならないように」いずれにしても助かる。イマは素直に、給油用にだけカードを使った。おかげで、アルバイト代は純粋に自分のために貯める事が出来た。


イマは、主に日曜日に、マジェスティで出かけた。買い物に行くときもあったが、普段は日帰りツーリングである。いや、本人は真剣にツーリングと考えていたが、スクーターに乗って鞄を斜めがけにしている姿は、どう見ても普段の通勤・通学にしか見えなかった。やはり自転車に乗っている時からの癖である。やがて、マジェスティの大容量インナーに鞄をしまって、風でばたつかない服装で出かけるようになった。ようやくバイク乗りらしく見えるようになったが、ヘルメットからはみ出している、バイク乗りの間で言われる通称「しっぽ」が目立った。長髪のバイク乗りも多かったから、当初は誰も気にしていなかった。そのうち、峠に出入りするようになって、「スクーターで峠攻めかよ、やっぱ男だな」と思われるようになった。

あるとき、珍しく用足しのために峠の頂上付近にある無料休憩所という名のトイレと自販機が並んだ場所を利用した。ヘルメットを取ったその姿をたまたま見かけた連中がいた。3人。彼らに、「吉井 今と言います。これからもよろしく」と名乗った。女だ。しかもかわいい。こいつがスクーターで峠を攻めていたやつか?すげぃぞこれは。たちまち、その峠攻めを行う連中の間で評判になった。本当に女か男か、賭をやり出すものまでいた。

暫くぶりに、イマはその峠を攻めた。普段はVサインを返してくれる反対車線のバイク連中が、慌てたように後ろでUターンしている様子が何度も見えた。いつの間にか、イマのマジェスティの後ろには、バイクの集団が出来ていた。イマは、内心あっちゃあ~、面倒な事になるかな、と思った。そこで、例の無料休憩所で、わざと止まった。後ろの連中も、続々と止まった。イマがヘルメットを取ると、歓声が上がった。やっぱ女の子だ、かわいい、ガセじゃなかっただろ、賭は俺の勝ち、様々な声が聞こえた。イマは、休憩所のベンチの上に立ち、出来るだけ大きな声で言った。

イマ「あのぉ~、私、イマと言います。バイクが好きです。未だ高校生です。みんなよろしく!」

最初よりも大きな歓声が上がった。近寄ってこようとするものが沢山いた。イマは急いでヘルメットを被り、マジェスティで峠を下っていった。もう、この峠には来ないかな。そう思っていたそのとき、後ろからまたバイクの大集団が追いかけてきた。イマは、普段はやらないような攻め方で、峠を急いで下りていった。しかし、スクーターとスポーツバイクでは勝負は見えていた。イマは、覚悟を決めた。峠の入り口付近にある、広い駐車場のあるドライブインに入った。追いかけてきていたバイクも続々と入ってきた。気のせいか増えていた。反対側からUターンしてきた組がまたいたのだった。イマは、ドライブインの店内に入って、出てきたおじさんに頼んだ。

イマ「あの、私、暴走族とかじゃありませんから。それで、みんな追いかけてきたので、お話したいんです。もし、どこかのバスが忘れていったような拡声器があったら、貸していただけませんか?」

最初は呆然と外を眺めていたおじさんだったが、「拡声器?あるよ、なんなら店から駐車場に案内する設備を貸してやってもいい。どうだい?」おじさんも興味津々のようであった。イマは、「それじゃ、最初は手に持つ拡声器を貸して下さい。それから、放送設備をお借りします。ご迷惑をおかけします」といって、おじさんが差し出した拡声器を持って表に出た。より一層大きな歓声が上がった。

イマ「みんなぁ~、聞こえる?みんな悪い人じゃないと思うけどぉ、このままだと邪魔になるし、警察が来たら面倒だから、私の話を放送でしま~す。聞こえなかった人には、順繰りに、何か話すって伝えて下さぁ~い」

言い終えてから、また中に入り、おじさんから放送設備を借りた。

イマ「あ~、みんな聞こえますか?私は、イマと言います。バイクが好きです。未だ高校生です。彼氏は・・・・居るような、居ないような?みんな、バイクが好きな人達だと思います。でも、自分とバイクを大事にして、決して無理はしないで下さい。自分が無理をしなくても、他から貰う事故もあります。バイクは、そういうとき、とっても弱いんです。決して無理をしない、そう約束出来る人。はい、判りました。私も約束します。また、たまに遊びに来ます。そのときは、特別扱いとかしないで、バイク仲間だと思っていただければうれしいです。・・・・そろそろお巡りさんが来てもおかしくないので、みんな、順番に解散して下さい。それじゃあ、また。道の上でお逢いしましょう」

イマは、途中タカから聞いた言葉も思い出しながら、喋った。何を喋ったのか、具体的な内容はよく覚えていなかった。ただただ、みんなを安全に解散させたい。その思いだった。

イマの声を聞いて満足した連中は、次々と駐車場を出て行った。中にはぐずぐずしているもの、それに店内に入ってくるものもいた。イマは、店内に来た連中に、「お土産ですか?それなら、こちらのお店の人とどうぞ」そういいながら、小走りに店外に出た。追いかけてきたものがいる。頭の上、ちょっと嫌な感じ。

「よぉ、お嬢ちゃん、かっこいいじゃねぇかぁ。お兄さん達と遊ばない?」

やっぱり。イマは黙ったまま、調息した。

「返事がねぇなぁ、威勢の良かったお嬢ちゃん。ちょっとこ・・・」最後まで言わせず、イマは踏み込みがてら上段後ろ回し蹴りを食らわせていた。蹴りをもろに頭に食らったその男は数メートルぶっ飛んだ。全く予想外の反応に、周りの連中の反応が変わった。ヤバい、と逃げ出すもの。このやろう、と向かってくるもの。向かってくるのは、さっきの男の仲間と思われる連中、2人であった。イマはもう一度調息をして、待った。相手の呼吸が、聞こえる。まず右。パンチを繰り出してきた男の腕をとり、その勢いを利用してもう一人の男めがけて投げつけた。「つ、つえぇよ、こいつ。あ、やべぇ」サイレンの音がした。パトカーであろう。イマは、辺りを見渡して、誰も残っていないことを確認してからマジェスティで滑り出た。丁度パトカーとすれ違ったが、呼び止められる事も無かった。


イマはその後、真っ直ぐ家に帰った。途中、バックミラーで、つけてきているバイクが居ないことは、何回も確認した。

家についてすぐ、シャワーを浴びて、着替えて部屋に戻った。ベッドに倒れ込んで、タカの襲撃事件のときと、どっちが大変だったのかなぁ、私の時には黒服の男って居なかったなぁ、と考えているうちに、疲れて居眠りをした。


タカは、定期的にイマのレポートをメールして貰っていた。相変わらず、発信元は不明。

あるときその中に、ドライブインの事件の事が書かれていた。助けは、介入寸前に中止。タカは悪い予感がした。

レポート用紙に、あることを書いて、とある場所に置いた。監視カメラの、通常静止位置。ズームすれば、読めるだろう。タカはそこまで計算していた。書かれていたのは「イマが、研究から離れつつあります。それにバイクで、男友達も出来ることと思います。バイクですから、心配です。それなりの手配をお願いします」とあった。



イマは、ふと気が付いて、ネットを巡回してみた。あるある、イマに関しての書き込み。写メを撮ってアップしているものもいた。これはちょいとヤバいかな。ちゃんと名乗っちゃったしな。

学校に通っている平日中に、学校までその噂が流れてきた。本格的にヤバい。珍しい名前だから。

イマは、カナブン(タカ)に電話した。電話は久し振りである。

イマ「カナブン、ちょっとヤバいことになっちゃった。あのね、私がバイクに乗ってること自体で、騒ぎになっちゃってるの。学校まで噂が広まってきてる。ちょっと、いいえだいぶまずいことになりそう」

タカ「判りました。何とかします。少なくとも今週と来週はおとなしくしてなさい。いいですね?」

最後は、ちょっと叱られている気分になった。イマは電話を切り、おとなしくしていた。その日は、学校からの呼び出しは無かった。

タカは、困ったお嬢さんになってしまいましたねぇ、彼女も。そう思いながら、いざというときのために教えて貰っていた手段を使った。とある番号への電話、そして暗号コード。緊急用のコードを使った。そして、研究所の外に出て、携帯電話が受信出来るようにして暫く待った。それほど待つこともなく、電話がなった。

「矢島です。緊急コードを受信したと聞きましたので、あなたをモニタしている連中に確認した処です。緊急事態は、イマさんの方ですか?」さすがに察しが良い。「そうです。イマが、スクーターで峠を走っていて、バイク連中と騒ぎを起こして、ネット上に広まって、学校まで噂が届いているようなんです。「イマ」という名前までね。彼女の勉学に影響が無いようにしたいんです。何とかなりますか?」「そうですか・・・今、確認しました。はい、事実のようですね。まずは、学校から手配します。後は何処までさかのぼりますか?」相変わらず必要最小限のいい方である。何処まで隠滅するのかと確認しているのだ。「ドライブインでしたか、その事実は不特定多数が見ていますから、諦めます。但し、その場で揉めた事から今までのことを、お願いします」「判りました。では」電話が切れた。


暫くして、噂は噂で立ち消えになった。学校からの呼び出しも無かった。ネットの書き込みも、いつの間にか消えていた。良かった。タカに助けられた。ほんとは私がタカを助けるって決めてたのに。イマは感謝した。

次に研究所にアルバイトに行った時のことである。事務員から、「此処宛てで、イマちゃん宛てっていう、珍しい封書が届いているわよ。一応検査機にかけたけど、危険物は入って無いわ。開けて大丈夫だから。はい」とイマに封書が手渡された。確かに研究所宛て、吉井 今様となっている。裏書きには「野崎 伸也」と書いてあった。見覚えのない名前だった。イマは、「ちょっと席を外します」と言って、外の芝生でその手紙を開いた。

驚いたことに、あのバイク騒ぎの時の人からだった。本人曰く、最初に峠の無料休憩所で彼女がヘルメットを取った姿を見たもののうちの一人だという。必死に検索して、まずは名字から父親の役所を突き止め、さらにその名字と名前の組み合わせからこの研究所を突き止めたと書いてあった。確かに、名字を名乗ったのは最初の3人だけだった。他の2人には、固く口止めと、「イマちゃんとの約束」を守らせてありますから、ともあった。彼は、責任を感じていた。最初に自分達が騒がなければ、あんな騒ぎにならなかっただろうと。だから、彼はバイク仲間に、「イマちゃんとの約束」だけ覚えておいて、他は忘れてくれと頼んで廻っていた。中には脅されたり、殴られたりしたこともあったろう。イマは想像した。手紙には、他からも手が廻っているようで、みんな「約束」だけ守っています、とあった。

最後に、こんな私ですが、1回でいいからお会いしたい、会って直接謝りたいとあった。連絡先として、住所・氏名・家の電話番号・携帯電話番号等が書いてあった。イマは、ある種感動していた。バイク仲間って、やっぱり、いい。

イマは、その手紙の事はタカに伏せた。バイトが終わって、帰宅してから、イマは「184」を付けて手紙にあった携帯宛にかけた。暫く呼び出し音が鳴った後、出た。「はい、野崎です。どちら様でしょうか?」思っていたより、深みのある、良い声だった。「イマと言います。覚えていらっしゃいますか?今日、お手紙を拝見しました」野崎は慌てた。電話を受けたとき、彼は仕事中だった。「すんません、少し抜けます」「あんましサボるなよぉ」・・・イマは、電話の向こう側で微かに聞こえるやりとりを聞いて、少し楽になった。仕事をしている人だ。きっと、悪い人じゃない。

野崎「お待たせしました。そちらからご連絡いただいていて、申し訳ないです。改めて自己紹介します。野崎 伸也といいます。電話、ありがとうございます」イマは少し面白かった。この人も、敬語だ。

イマ「改めまして。吉井 今です。念のため、今は184を付けて電話させていただきました。後で、ちゃんと番号表示するようしてかけ直します。それで、お手紙の件ですが、えっと、今お仕事中ですよね?手短かに言います。明日じゃなくて、その次の日曜日、13時位にあのドライブインでお待ちします。あのおじさんにもちゃんとお礼しなきゃと思いつつ、あの峠に最近立ち寄らないようにしてますから。よろしいでしょうか?」

野崎「よろしいもよろしくないも、あ、失礼、私の方で都合を合わせます。1週間後の日曜日に、あのドライブインですね?判りました。お会いできることを楽しみにしています。あ、仲間は連れて行きません。かれらの分も私が謝罪しますから」

イマ「その件は、お会いしたときに。では、また。この電話を切った後、ワン切りがあると思います。それが私の携帯番号です。では、失礼します」

電話は切れた。野崎は、ほっと一息ついた。そのとき、ワン切りがあった。番号表示がある。彼はしっかりメモリした。「峠のイマちゃん」の名前で。


イマは、母に「シンヤさんって言う、バイク仲間が出来たの。今度会う約束したよ。一緒にツーリングに行くかも」と伝えた。母は、カナブンさんが待っていらっしゃるから、イマは、自由に出来ますのね。と自分を納得させた。

約束の日。イマは、早めに行って、おじさんにお詫びとお礼をした。おじさんはイマのことを覚えていてくれた。

「あんだけの頭数を、説得しちゃうんだからねぇ。すごいよねぇ、あんた。「イマちゃんとの約束」ってやつは、店でも話題にするやつがいるよ。「バイク乗りはバイクと自分を大事にする。無理はしない」ってね。いい話だねぇ」

おじさんも、凄いよ。後から来た警察にとぼけ通したんでしょ?イマは口には出さなかったが、そのことも感謝していた。「おじさん、カレーライス下さい。あ、食券買わなきゃ」「いいよ、今日はおごりだ。はい、カレーライス一丁!」奥に引っ込みながら、おじさんは自分で自分にオーダーの復唱をしていた。観光シーズン以外は、パートなども雇わず、一人でやっているらしい。間もなく出てきたカレーを食べ終わる頃、バイクの音がした。イマは、わざと振り向かなかった。間もなく、誰かが店内に入ってくる気配があった。他に客は居ない。目の前に、ヘルメットで潰れた髪をかき上げながら、男が来た。「吉井 今さんですか?野崎 伸也と申します。正確には違うかもしれませんが、改めて、初めまして。よろしくお願いします。」ペコリと頭を下げた。やっぱりいい人だ。頭の上を確認して、イマは思った。

イマ「吉井 今です。改めて、初めまして。こちらこそよろしくお願いします。・・・念のため確認ですけど、20歳より若くはないですよね?でしたら、私には敬語を使わなくて結構ですよ。その方が私もくだけて話しやすいですから」

野崎「はい、21歳です。敬語、駄目ですか?じゃ、自然に出てくる言葉で、ということで。よろしく。あ、おじさん、コーヒー・・・の食券買ってきます」野崎、いやこの先シンヤとイマから呼ばれる男は、コーヒー2杯分の食券を買って、おじさんに渡した。

イマ「ありがと。私の分も、なのね。野崎さん、えぇい面倒、シンヤ。そう呼んでいい?じゃ決定!シンヤはご飯食べてきた?」

シンヤ「いや、未だです。でも今日は遅く起きて朝昼兼用の食事をしてきましたから。・・・・何から話そうか、来ながらずっと考えてきたんですけど、イマちゃんの顔を見たら忘れちゃった」そういって笑った。イマも笑った。


間もなコーヒーが出てきた。シンヤはブラック。イマは、シンヤの分もポーションを使って、思いっきりミルク状にした。

シンヤは、真面目な顔になって、話した。「あのときのことは、本当にご迷惑をおかけしました。他の2人の分も合わせて、お詫びします」そういうと、シンヤは椅子から腰を下ろして、土下座をした。イマの方が慌てた。「もう、あのときのことはいいから。全部終わりました。顔を見せて、本名を名乗った私のミスですから」「いいえ、それに舞い上がって、言いふらした私達のミスです。本当に済みませんでした」「いいから、椅子に戻って。話づらいから」イマが促して、シンヤは席に戻った。彼らは彼らなりにけじめを付けてきた、とシンヤは言った。峠で会うバイク仲間に、片端から謝って、「約束」以外忘れてくれとお願いしていた。イマは想像した。殴られたりしたこともあるんだろうなぁ。シンヤは、他からの手も廻っていて、大半は「イマちゃんとの約束」だけ覚えて、他を忘れる約束をしてくれたという。イマは一番気になっている事を訊いた。「あの、私あのとき、3人ほど倒しちゃったんですけど、その話はどうなってますか?」「あれは、女にのされた恥ずかしい奴らということで、シメられました。もうバイクには乗ってないです。奴らがイマちゃんを追っかけることもないでしょう。でもね、「約束」ももはや伝説化してますが、その「強いイマちゃん」の話も、一緒に伝説になって伝わってますよ」シンヤはニヤリとした。あちゃあ~、やっちまった。イマは一瞬そう思ったが、もうそうなってからでは何も出来ない。話題を変えた。「ねぇ、シンヤ。今から走らない?もっともっと話したいし、それに一緒に走りたい。この峠は暫く避けたいから・・・そうだ、横浜の大黒へ行こう!決定!」「え?今から大黒ですか?確実に夜になりますよ。門限とかは・・・」「関係なぁ~い。あ、シンデレラタイムが限界かも。12時超えたら魔法が解けて、化け物がシンヤを襲うかもよ」「・・・判りました、じゃ、早速。おじさん、お邪魔しました」「あぁ、またおいで~」シンヤとイマは、手早く準備を済ませて、バイクに乗った。「では、参りますよ。先導します」「はぁい、ついていきまぁ~す」彼らは、出発した。途中、シンヤは舌を巻いていた。マジェスティクラスのスクーターで、これだけ乗りこなしている。凄いもんだ。シンヤの愛車は、往年の名車XJ400であった。廃車寸前のものをレストアしたものだ。見た目もぴかぴか、なにより軽快に走る。シンヤは、このバイクのためにバイトし、そして今の職を選んだ。

大黒ふ頭には、ハイな奴らがクルマやバイクで集結していた。でも、悪い人はいないみたい。イマは、一通り見渡して、思った。暴走族とは、テリトリーが違うのだ。二人は、屋台のホットドッグをほおばりながら、色々話した。

シンヤは、イマが4月3日生まれの16歳で、未だ高校1年であることに驚いた。イマは、シンヤが大学を中退してまで、石工に弟子入りしたことに驚いた。イマは言った。「あの、ね。イマは合気道を習っていたことがあるの。そのときに、卒業試験って言われて、岩とお話したことがあるの。暫くしたら、岩が「ここだよ」って教えてくれたんだ。それで、そこをちょっと突いたら、岩が砕けたの」シンヤは2つの意味で驚いた。この子は、やっぱり自分を護る術を知っている。それにこの子は、岩と話したことがある。シンヤは言った。「私はね、イマちゃん。大学にいた頃、ワンゲル部、要は登山するクラブに所属してました。ある岩山の登山のとき、手がかりにピッケルを打ち込む場所で迷ったんですよ。そのとき、岩が「ここだよ」って教えてくれたんだ。岩と話が出来たのはそれっきり、後は無いです。でも、いつかまた話したくて、石工を目指したんです」「イマも、岩とお話できたのはそれっきり。後で、色んな石や岩にお話してみようとしたけど、出来てないの」「じゃあ、今度、私の仕事場で、石と話すのを試してみませんか?いや、無理にとは言いません。その気になったら、電話下さい。親方と話しておきますから。・・・おっと、そろそろシンデレラは帰る時間ですね。途中まで送って行きます。綾瀬方面で良かったんですよね?」「う~んと、そんな感じ。シンヤのお家は何処?千葉?じゃあ回り道させちゃうよ」「いいんです、さすがに家までは行きませんから、高速で分かれる処まで一緒に走りましょう」二人は支度を調えた。シンヤがまた言った。「先導しますから」「はい、ついていきます」

帰り道、二人は高速の分かれ道で手を振って別れた。間もなくイマは家に着いた。まだ24時にはなっていない。

イマは、そぉ~っとカギを廻し、そぉ~っと小声で「ただいまぁ」と言った。母が起きていた。

母親「イマさん、お帰りなさい。随分遅かったわね。スクーターで、あちこち廻られたのよね。自分とスクーターを大事にして、無理はしないで下さいね。では、お休みなさい」母は自分の寝室に下がった。

イマは、良かった、門限とかで怒られなかったぁ、と一安心した。よし、これからはシンデレラタイム。勝手に門限を決めた。そして、ふと気が付いた。私は、お母さんとカナブンから教わった事を喋ったんだ。小腹が空いていたので、ダイニングにあった、ラップがかかったおかずの幾つかに手を付けた。そうか、お母さんはやっぱり心配して、ご飯を待っててくれたんだ。感謝。しかしイマは、シンヤの事で頭が一杯だった。

イマは疲れて、眠かった。あっさりとシャワーを浴びて、ノートPCを取り出して繋いだ。「伝説」の検索のためだ。

例の事件のことは、相変わらず綺麗さっぱり無くなっていた。検索条件を変えてみた。「イマちゃんとの約束」というサイトの書き込みがヒットした。その中には、さっきまでシンヤと話していた通りの「伝説」が載っていた。「イマちゃんは強いから、約束を破った人はやっつけられちゃうかもよぉ」と結ばれていた。イマは半ば呆れながら、まぁこの程度ならいいでしょ、と思って、PCを落として眠りについた。


タカには、「シンヤという石工とつきあい始めている」旨のレポートがメールされた。予感の一つが当たった。

もっと悪い予感、外れてくれたらいいんですが。タカは思った。


ある日、もう年の暮れ。イマは、シンヤにメールを送ってみた。「これからお仕事場に行きます。場所だけ教えて」と。

返事は、間もなく来た。「こちらは未だ仕事です。一応、場所を伝えます」と、住所と簡単な案内が書いてあった。イマは、お仕事中の方がいい、行こうと決意し、マジェスティに乗った。仕事場も千葉県だった。1時間あまりで着いた。シンヤは、びっくりしていた。「だから、イマ、仕事中だから」奥から声がした。「おぉい、見学くらいさせてやれよ」親方からだった。イマは心の中で感謝した。シンヤは、お墓ではなく、何か石碑になるような石と向き合っていた。実は、向き合ってからもう数日経過している。どうしても、石ノミを入れるべき処で迷っていた。イマはシンヤの後ろに立ち、その石と向き合った。無意識のうちに、調息していた。じっと石を見る。すると、「ここだよ」と石が言ったような気がした。イマはすぐにシンヤに、「ここ!石が教えてくれた!」と言った。そこは、シンヤも今朝から気になっていた処であった。決心して、石ノミを当てた。木槌を振り上げたとき、当てた石ノミの処から、ボロボロと崩れてきた。そして、その石の一番美しいと思われる形になった。いつの間にか、奥から親方が出てきていた。「おまえ、なかなか出来るじゃねぇか。きれいな形になったな。お嬢ちゃん、石と話が出来るのかい?もったいないねぇ、石工になりなよ」冗談交じりで親方から声をかけられた。イマは「だぁめ、です。私は他にやりたいことがいぃ~っぱいあるの。また遊びに来てもいいですか?」「あぁ、お前さんなら何時でも歓迎だ」親方から認められた。シンヤは、改めてイマの能力にびっくりした。でも、あそこは自分も気にかけていた処だ。自分だって負けては居ない。シンヤは、そうやって自分を励ました。イマに言った。「ありがとう。おかげで仕事を進められる。でも、あそこは俺も目を付けていた処だからなぁ、負けてないから」苦笑いを含めて、イマに感謝した。イマは、「忙しいみたいだから、また来る。場所は判ったから、ちゃんと来れるよ。じゃ、またね」言い残して、去っていった。シンヤは、つくづく不思議な子だなぁと思った。でも、来てくれた。嬉しかった。もっと話したかった。今度は、ちゃんと休みを合わせて、合う約束をしよう。シンヤは、5歳も年下の女の子に惚れた事に、未だ自分でも気が付いていなかった。


年が明けて、間もない頃。石工は、何故か冬場が忙しい。石碑もだが、墓の注文が山のようにあった。シンヤは、なかなか休みが取れないことに、少し焦れていた。そんなとき、イマは時折、仕事場に来てくれた。それは、シンヤにとって何より嬉しかった。この頃、イマは暫くアルバイトも休んでいた。勉強と、研究と、石屋さん。結構忙しい。研究室でも、タカが気づく位、イマがぼーっとしていることがあった。もしかしたら、いやきっと、恋をしてるんだね。タカは暖かく見守る事にした。

2月。シンヤは、久し振りに休みを取ることが出来た。というよりも、見かねた親方から、「お前、ちょっと休め」と言われたのだった。早速、イマにメールした。「休みが取れた。久し振りに一緒に走りたい。伊豆まで行こう。今度の日曜日、朝6時に大黒ふ頭。OK?」イマは、待ち焦がれたメールにドキドキした。「OK。6時に大黒ね。ちょっと早いけど、伊豆半島を廻る気かしら?とにかく行きます!」イマは、週末が待ち遠しかった。土曜日には、早々に支度を調えた。寒いから、これと、これ。あと・・・下着。どうしよっか。よし、勝負下着、行きまぁ~す!

このショッピングモールに来るのも、考えてみれば久し振りだ。イマは、普段足を踏み入れたことのない、高級下着ショップに入った。見ているだけでドキドキする下着が並んでいる。値段も、バイトを休んでいるイマの小遣いでは、ぎりぎりであった。ふと、手前のワゴンに目がいった。それほど派手じゃないし、これなら買える。決定!イマはその下着を買って、ワクワクしながら家に帰った。「お母さん、私、明日早いから。お休みぃ」晩ご飯を終えると、イマはいつものようにだらだらとダイニングに居ることなく、部屋に戻っていった。母親は、まぁ、明日はデートかしら、といつものように勘が良かった。

翌朝。イマは午前4時に目が覚めた。支度して出かければ、丁度いい。実際には支度は殆ど済んでいた。イマは、ちょっとためらいつつ、あの下着を身につけた。つめたぁ~い。それにちょっと透けてる。まぁ上に羽織れば問題なしっと。イマは身支度を終え、出かけようとした。ダイニングキッチンに母がいた。「イマ、はい、おにぎりと暖かいお茶のポット。これくらい、鞄に入るわよね?ちゃんとご飯は食べるんですよ。晩ご飯も、一応用意しておくけど、気にしないでね。行ってらっしゃい」 母は偉大だ。ありがたいものを貰った。イマは、父が起きない程度の声で、「じゃ、行ってきまぁ~す」と出かけた。寒くても、マジェスティは元気だった。もちろん、イマの普段の愛情メンテの賜物である。あまりふかさないように暖気運転をして、イマは出発した。

大黒ふ頭には、他のバイクは見あたらなかった。この季節でこの時間なら、当たり前であった。イマが到着したとき、未だ6時より全然前であったが、シンヤは来ていた。革製のツナギに、革製のジャンパー。かっこいい、とイマは思った。

シンヤ「どう、俺の一張羅。寒いから、中にフリースとか着てるんだけどね。イマもかわいいね」

イマ「おはよ、それにありがと。寒かったでしょ、今暖かいお茶とおにぎり出すね」

シンヤはきっと何も食べていない。イマはほぼ確信があった。「おぉ、それはありがたい。さすがは女の子、気が利くねぇ」ほめられて、おにぎりとお茶を口にするシンヤに、イマは内心ペロッっと舌を出した。はい、偉大なる母のおかげです。

シンヤは、それから自分の荷物をごそごそと探り、何かを取り出した。特定小電力無線機、通称「特小」とヘッドセットだった。2つ分。「イマちゃん、ちょっとこれを身につけて、ヘルメットの中にヘッドセットを入れてみて。そう、それで被って、どう、違和感ない?」「ない。大丈夫」「じゃ、スイッチ入れるから。っと、こちらも、ちょっと待ってて。」シンヤは少し離れた処から、無線を使った。「イマちゃん、聞こえますか?ちょっと時期はずれだけど、これが俺からのお年玉兼お誕生日プレゼントです。一緒に走るとき、会話出来ると便利でしょ?」「うん、すっごく便利。シンヤの声もよく聞こえるよ。うれしいぃ~」「あのね、イマちゃんのは、いちいちスイッチ操作とか面倒だと思うから、VOXっていう、何か喋ると通じるモードにしてある。だから、何か話したいときは、最初にちょっとあ~とか言ってから話しかけて。俺のも同じにしておくから」「あ~、了解了解。こんな感じ?」「あ、そうそう。さすがはイマちゃんだ。すぐに使えるね。じゃあ、そろそろ出発しますか」「えと、了解。最初のは、そんなに長く延ばさなくていいのね。だいたい判った。じゃ、ちょっと荷物片付けて、この無線機の収まる場所も決めちゃいましょ」

広げた荷物を片付け、一息いれると、早速出発した。東名から、伊豆スカイラインへ。この時期、凍結の恐れがあるから、慎重に走った。時折、お互いに無線で声を掛け合った。バイクもだが、無線も楽しかった。途中から、熱海側に下りた。それから下道を、ひたすら半島を廻るように走った。走りっぱなしでも退屈はしなかった。無線で色んな話が出来たから。途中、「道の駅」で、給油と昼食を取った。いくら燃費がいいといっても、イマのマジェスティは燃料タンクが小さい。給油は必須であった。自分達のガソリンも切れかかっていた。お腹が空いていた。

その「道の駅」は、小さいながらも地域の観光案内もやっていた。2階で。食事の後で、2階も覗いてみた。様々な伊豆の観光施設の案内があった。しかし、今は完全な時期はずれである。幸い、雲も少なかったから、二人は走りながら景色を楽しむ事にした。

半島をほぼ一周する頃。イマが、ちょっとだけ我が儘を言った。「ねぇ、沼津って近い?ちょっと寄りたい処があるの」

「それほど遠くないけど、帰りがちょっと大変になるよ。それでも構わないなら、行こう」「うん、行く行く。沼津市内に入ったら、たぶんイマが案内出来るから」 彼らは、それから半島を外れて、西に向かった。それほどかからずに、沼津まで来た。「イマ、何処に行きたいんだい?」「え~っとねぇ、ラーメン屋さん!小さい頃にお祖母様とお母さんと一緒に食べに来た事があるの。何のご用かは忘れたけど、店は覚えてるから」シンヤはちょっと危惧した。そんな小さい頃の記憶だろ?ラーメン屋って、今でもやってるんだろうか?間もなく、イマの先導で、幹線道路から外れて市街地に入った。「え~っと、あ、あったぁ!あのラーメン屋さん!あそこだよ、シンヤ」本当にあった。黄色い看板が目印らしい。目の前は駐車場もなかったが、ろくにクルマが通らないのか、その店の近辺には路上駐車が一杯いた。バイクなら、ちょっと歩道の脇に置かせて貰った方が、下手に傷つけられないな。そう判断したシンヤが、率先して歩道に上がってバイクを止めた。イマもそれに倣った。

店は、繁盛していた。空いている席は、ちょっと見にはないように見えた。店のおばちゃんが、「はい、2名様、こちらのカウンターでよろしければどうぞ~」と案内してくれた。シンヤは戸惑っていた。繁盛はしているが、此処の何処がイマのお気に入りなのだろう?イマはワクワクしていた。メニューをちらっと見て、例のものがあることを確認した。

「シンヤ、決まった?じゃ、注文するね。すみませぇ~ん、湯麺大盛りワンタン入り一つと、シンヤは?」「じゃ、同じものを」「はい、合計2丁でぇす。お願いしまぁ~す」「はいよぉ~」フロアのおばちゃんと、厨房のおじちゃんの両方から返事が来た。

出来てくるまで、イマが理由の説明を始めた。「あのね、イマが小さい頃、このあたりの、多分別荘か何かとおもうんだけど、お祖母様とお母さんがパーティにお呼ばれしたの。そのとき、イマも一緒に連れてきて貰ったんだ。そしたらねぇ、パーティってつまらないだけじゃなくて、食べ物も殆ど無かったのね。あんまりお腹が空いたもんだから、お祖母様が帰りの駅までのクルマに、「この辺りで一番おいしいラーメン屋さんに連れていって!待っててくれたら、その分メーターを上げて、駅まで送っていただくから。これ、前金ね」といって一万円札を出したの。運転手さんはびっくりしてたみたいだけど、それで連れてきて貰ったのが此処だったの。お祖母様とお母さんは、今頼んだのと同じメニューを頼んだの。イマも食べたかったけど、あんまり量が多いと食べきれなくてかえって失礼だからって、普通のラーメンを食べたの。それもとってもおいしかったんだけど、あのときお祖母様とお母さんが頼んだものが食べたかったの」

シンヤは、納得した。それでか。イマ、君は色んな意味で運がいいみたいだね。そうこうしているうちに、頼んだものが目の前に来た。シンヤはちょっと驚いた。俺は食べきれる量だけど、これ、かなり多いぞ。イマは大丈夫なのか?

イマ「あれぇ、前よりちょっと小さく見える。おじちゃん、大盛り用のどんぶりって、取り替えた?」「いや、ここ十年以上同じどんぶりだよ」「そっかぁ、私が大きくなったってことだね。じゃ、いただきましょ、シンヤ。いただきまぁ~す」

言うなり、イマは山盛りの野菜からずんずんと食べ進めた。勢いが凄い。シンヤはもう呆れ慣れてしまった。負けちゃいられない、俺も食うぞ!・・・・・暫くして、シンヤは具と麺は食べ終えた。未だ、ワンタンとつゆが残っている。結構、お腹は一杯に近い。隣を見ると、イマは黙々と食べ続けていた。鼻水と涙が出ていた。シンヤは、ティッシュを取って、ぬぐってやった。「あいがと」言葉にならないイマの返事が返ってきた。イマは、食べきる自信はあったが、さすがにつゆは無理だと思った。それより、お祖母様とお母さんがおいしそうにこれを食べていたのを思い出して、涙と鼻水が出ていた。・・・・間もなく、二人ともつゆを残して食べ終わった。イマは最後に、「ふぅう~、お腹一杯!」と宣言した。「おじちゃん、ごめんね、つゆはのみきれないやぁ」「いいよぉ、つゆは味も濃いからねぇ、無理しなくて」一息入れて、じゃ出ようかということになった。「あ、此処のお会計は、私ね。私の我が儘で来たんだから」とイマが強引に払った。金額は、あのボリュームにしては驚くほど安かった。

外に出てからも、イマは「あぁ~、お腹一杯。それにちょっと疲れちゃった。何処かで休憩出来るかな?」と最後の方はまるで台本を読むようにシンヤに言った。シンヤは、判っていた。此処に寄ったのは、思い出もあるだろうけど、時間調節だ。彼女は、覚悟している。シンヤは、迷った。身体は、イマを欲しがっていた。しかし、頭では、それは駄目だと判っていた。シンヤは決心した。「疲れたのは一緒だけど、ここは帰ろう。念のために、もう一度マジェスティに給油して、そうか、おれも給油するか。途中のサービスエリアで休憩しよう。それなら、道が凍り付く前に帰れる」

イマは、一大決心をして言った言葉の返事に、少しがっかりして、少し安心した。やっぱり、シンヤはいい人だ。

シンヤとイマは、約束を守って、途中SAで休憩する他は、真っ直ぐ東京に向かっていった。シンヤから、無線で「今日はイマの家まで送らせてくれ」と言われた。途中から、イマが先導して、イマの家に着いた。

ヘルメットを取った二人の顔からは、湯気のように白く汗が登っていた。「寒かったね。無事につきました。今日は楽しかった。またツーリングに連れていってね」イマが言った。シンヤは、「また暫く忙しいんだ。暖かくなる頃には、きっと一段落するから、そうだね、桜が咲く頃にはツーリングに行こうか。今日は、ありがとう。じゃ、また」小声で言うなり、シンヤは静かにバイクを出していった。親や近所の目を気遣ってくれたのだろう。イマはまた心の中で感謝した。マジェスティをいつもの処に置き、「今日はご苦労様」となでてやってから、イマは家に入った。「たっだいまぁ~。イマ、帰着しましたぁ」元気を振り絞って、言った。お母さんが出てきた。「あら、お帰りなさい。思ったより早かったですわね。今日は楽しかったですか?」「はい、目一杯楽しんで参りましたぁ~、シャワー浴びるねぇ~」と母親の顔をしっかり見返して、にっこりほほえんでから奥に行った。イマは、しまった、今日は勝負下着だった、これ洗濯にだせないや、と更衣室に一緒に持って入った鞄にしまった。シャワーの後、「お母さん、今晩ご飯要らない。沼津のラーメン屋さんでね、目一杯食べてきたから。じゃ、疲れてるから、おやすみなさぁ~い」と言って2階に上がっていった。母親は、沼津のラーメン屋さん、と聞いて、すぐに思い出した。お母様とイマと一緒に行った処ね。よく覚えていたわね。それに早かったし、今日はイマは無事、ってとこかしら。きっと下着はランドリーに出てないでしょうけど。イマの母親は、前日にイマが慌ててショッピングモールに行って、何か小さな袋を持って帰ってきていたことを知っていた。だから、そこまで推測し、ある程度覚悟していた。今日は、本当にいい人とツーリングだったのね。


イマは、相変わらずちょこちょこと石屋に顔を出した。ツーリングに行ける日を楽しみに、シンヤの仕事っぷりを見ていた。親方は、同業者がどんどん減って、注文が集中しているから暫く我慢してくれ、と思っていた。まさにシンヤの弟子入りは渡りに船だったのだ。シンヤの腕も、どんどん上達していた。


もうすぐ桜が咲く、シンヤとツーリングに行ける。イマが指折り数えていたある日。その電話はかかってきた。

野崎「あの、大変恐縮ですが、「峠のイマちゃん」の携帯でよろしいでしょうか?野崎と申します。何やら、息子が大変お世話になっていたようで」「はい、イマといいます。吉井 今です。・・・失礼ですが、これはシンヤ、いえ野崎 伸也さんの携帯ですよね?野崎さんと名乗られましたけれど、お父様でいらっしゃいますか?」

イマは一気に緊張した。何かあった。そうでなければ、こんな事は無い。

野崎「はい、伸也の父です。伸也の勤めていた石屋さんでも、あなたのことは伺っておりました。ただ、どうしても連絡先が判らず、息子の携帯がかろうじて無事だったので、かけさせていただきました。吉井 今さんですね?よかった、ようやくお名前が判った。あ、いや、失礼。失礼次いでですが、メールも一通り、読める分は目を通させていただいております」

イマ「伸也さんに、何か、何かあったんですか?いえ、あったんですね?もしや事故とか?」

野崎「はい、そうです。今、お立ちになってらっしゃいますか?それでは、何処かに座って。よくお聞き下さい。伸也は、昨日亡くなりました。仕事帰りに、大型トラックの左折に巻き込まれたそうです。トラックの運転手はウインカーをちゃんと出していたと主張していたようですが、幸い目撃者がおりまして、ウインカーは出ていなかったそうです。完全な貰い事故です。巻き込まれた際に、伸也はとっさにバイクを蹴飛ばして避けようとしたみたいですが、こちらは運悪くガードレールの支柱に直撃しまして。ヘルメットも原型を留めないくらいくいらいの衝撃で、即死だったそうです。・・・・イマさん、お聞きになってますか?大丈夫ですか?」

大丈夫ではなかった。イマは言われるままに座ったベッドに横たわり、泣いていた。「・・・・はい、ご返事しなくてごめんなさい。・・・・それで、伸也さんは、遺体は今何処に?」「一応警察の要請で解剖をしまして、縫合と修復、といいますか、一応まともな顔で、今は葬祭場の慰安室におります。・・・・来られますか?ご連絡先ですが・・・後ほどメールで送らせていただきます。お気をしっかりなさって下さい。それでは、ひとまず失礼します」電話が切れた。イマは自分の携帯の通話を切る気力も無かった。シンヤが死んだ?まさか。「イマちゃんとの約束」、ちゃんと守ってたよね。自分を大事にして、無理はしないって。・・・それでも、死んじゃうんだ。貰い事故。そうか、カナブンのご両親と一緒なんだ。どれだけ自分が注意していても、避けられないことはある。でも、何でシンヤなの?神様は、何でシンヤを選んだの?・・・・

イマは、暗くなってもベッドに横たわっていた。さすがに心配した母親が、「どうかしまして、イマさん」と様子を見に来た。一目で、尋常ではないことが判った。カナブンさん?いえ、今のイマなら、シンヤさんね。事故にでも会われたのかしら?母親は、回り込んでイマの目を見た。目の焦点が合っていない。色は、かぎりなく透明に近い灰色になっていた。大変。お祖父様の亡くなったときと同じみたい。母親は、構わずイマの頬に平手打ちを行った。「イマ!イマ!あなたまで逝ってしまう必要は無いのよ!起きて!しっかりして!イマ!イマ!」平手打ちを繰り返すうちに、頬に赤みが差してきた。イマの目の色が戻ってくる。「・・・・・ってお母さん!痛いじゃん!何してるの!」「それはこちらの台詞ですよ、イマさん。あなたは今、自分の意志で死にかかっていましたのよ」「・・・・そう、死んじゃえばよかったんだ、私も。お母さん、シンヤが、シンヤが死んじゃったてぇ~」イマは母親に抱きついて泣いた。

翌朝までに、葬儀関連のことがイマの携帯にメールされてきた。今度は、シンヤの携帯じゃない。連絡先が判ったから、送って来たんだ。イマは、自分でも意外と冷静に、こちらの住所・氏名・電話番号・保護者名等を返送した。

シンヤの携帯にはみんな入っているんだろう。でも、昨日の電話の内容からすると、携帯も全く無事では無かったのだろう。そんなことまで考えられるようになっていた。イマの感情は、一番低い、死にそうなレベルで、起伏が無くなっていた。お母さんは、シンヤのことを知っていた。でもお父さんはきっと知らないだろう。お母さんと相談して、お葬式に行ってこよう。イマはそう思った。・・・・イマの記憶は、それから数日、途切れ途切れだった。シンヤの傷だらけの顔。貰った無線を、お供えしたこと。箸で、骨を拾ったこと。・・・・ふと気が付くと、桜が咲き始めていた。シンヤと約束したツーリングの時期だね。シンヤ、あたし一人で走るよ。イマは、気力を少しずつ取り戻した。


イマは、アルバイトを再開した。マジェスティには、ある小物が付いた。シンヤの削っていた、石のかけらである。ハンドルに、しっかりとタイラップで取り付けられた。シンヤ、これがある限り、私あなたを忘れない。


研究室に来たイマの顔を見て、タカは様々なことを悟った。情報は、ある程度貰っていた。

タカ「お帰りなさい、イマさん。ここも、あなたのホームグラウンドですよ」

イマは、堪えきれずにタカの胸にしがみついて、ひとしきり泣いた。その後、涙を手でぬぐいながら、言った。

「ただいま、カナブン。イマ、帰ってきました」


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