研究編・初期
はい、こちらは「カナブンといま」の、時空を超越した本編・研究編初期編です。既に一緒に研究しようかと、そういう展開になるとっかかりの部分から。それでは、始まり始まりぃ~。
<研究編・初期>
この研究所に、一般事務を行う人間は少ない。
彼女は、経理と庶務、それに他の研究所の機器借用依頼を担当していた。
彼女は値切るのが上手だった。値切るのを趣味としている節もある。
当然といえば当然だが、どんな研究所のどんな最新設備でも、使われなければただの「時間と共に金を食い潰すガラクタ」だ。だから、彼女に機器借用のコーディネートをさせれば一流である、と自負していた。
「あら、タカ、珍しいわねぇこんな処まで来るなんて。ちょっと顔色悪いわよ、お医者さんにでも見て貰ったら?」
「いや、久し振りに伝票の類を書いたら、気分が悪くなっただけだよ。
これ頼むよ。ちょっと風にあたってくる」
めずらしくタカの研究室から伝票の束が来た。普段は、消耗備品で落とせるようなガラクタとか、ちょっと値が張るものでも中型真空漕くらいしか伝票が来た試しが無かったのに。気になって、手元の計算を中断して、彼女は伝票の中身を確認し始めた。
「なになに、アルゴンガスに真空管に中空チューブラーに基盤類?古いブラウン管TVでも作るような内容ね。え~っと、それから和傘、和傘?何にするの?あとは、と色んな平面素材類ね。このなんだかっていうのは初めて見るけど、オーダー出来るのかしら?こっちの機器借用はと。△△△研究所の超大型電子顕微鏡に○○○研究所のナノ素子加工機?それとなにこれ、劇場貸し切りって?あの男何考えてんのよぉ~まったく」
タカの研究所の壁は、必要以上に厚い。エアロック式の出入り口の分は、ほぼそのまま壁である。もちろんパイプスペースやら何やら、凹んでいる部分はあるが。法律上設けねばならない消防隊侵入口も、簡易ではあるが構造は基本的にエアロック方式である。建てるときにそれで多少揉めたらしいが、詳細は不明である。
研究室と研究室との間の壁も、かなり厚い。開所して間もない頃、何かの実験で爆発事故があった。そのとき、隣の研究室では「ん?何か揺れた?・・・後が無いから地震じゃないみたいですね」「まさか、爆弾でも落ちたとか」冗談を言い合っていたそうだ。実際には、それこそ爆弾並の爆発があり、数名が重軽傷を負ったそうである。今は、その痕跡も無い。
「この研究所、広いよな」
「ああ」
「駐車場、職員の数より多いよな」
「ああ」
「この地下に何があるか知ってるか?」
「いや、知らん。たぶん知らない方が自分のためになるだろ」
元水戸徳川家別邸跡。
現在は、割と近くをつくばエキスプレスが走っている。
駅はそれなりに遠い。 平日は20分おきに、巡回バスが走っている。乗車時間は、約10分。
週末、土日祭日は、巡回バスは1時間おきになる。
特高電線(2万2千ボルト)が地上と地下、違う発電所から供給されている。
地下には、超小型強力自家発電機がある、らしい。
核を使っている、という噂もあるが、詳細は不明である。
燃料電池設備も、かなり大型のものが、あるらしい。
停電から自家発電まで、約21秒で切り替わる、事になっている。
その間のバックアップは、「安定電源(CVCF)」を兼ねた、大規模なコンデンサが地下1階にあることは、大抵の職員は知っている。
更にその下、地下2階、レベル4セキュリティレベルの場所には、駐車場を含めた敷地のかなりを占める、地下水漕がある。地下2階の残りのスペースは、備蓄食糧だ。誰も正確には把握してないが、何でも数千人が数ヶ月飲食出来る分がある、らしい。半年に1回、消防訓練で大量に水が使われる。そのとき、地下水漕の水は入れ替えられる。備蓄食糧は、賞味期限が切れる1年前には、ディスカウントチェーンに卸される、らしい。丁度消防訓練の頃、その備蓄食糧の入替のため、大量のトラックが出入りする。そのときばかりは、だだっ広い駐車場もさすがに一杯になる。
さらにその下、レベル5セキュリティの処に何があるかは、噂でしかない。
大規模な通信・管制設備、大人数を収容できる生活施設。
噂通りであれば、とても民間の研究所のレベルでは構築できるものではない。
元水戸徳川家別邸跡。
明治政府に接収され、かなり長期間、そのまま保存されてきた。
この研究所が作られた時には、通常の研究所の数倍の手間がかかった、らしい。
タカは推測している。
恐らく、2階から上はクラッシャブルゾーン。あの国のバンカーバスターでさえ、2階で止まるだろう。
1階から下は、核シェルター。それも恐らく、政府要人用。
自分が就職し、此処に配属された理由とも、多分絡んでいるのだろう。
とりあえず、自分の研究室が1階なので楽で良い、とだけ意識するようにしていた。普段は。
レベル2セキュリティは、各研究室毎に登録が必要である。
イマが貰うことになる入館証と登録も、レベル2セキュリティである。
他の研究室に登録していないので、当然タカの研究室しか入れない。
タカは、何故かレベル4セキュリティの入館証を持っていた。
自分でも、レベル3ならば理解出来るが、何故レベル4まであるのかは、確信がない。ちなみにレベル3セキュリティの人間は、レベル2セキュリティの研究室には自由に出入り出来る。臨時職員や助手達は、大抵レベル2セキュリティである。研究室の主、それに事務職員はレベル3セキュリティである。所長は、当然とは思うが、レベル5セキュリティであった。
イマは、タカの研究室の場所を、最初の時に覚えた。
だが、「判りやすいように貼らせて」とタカにせがみ、「カナブンとイマの部屋」という貼り紙をセキュリティ設備の脇に貼った。貼るに当たって、タカが所長から小言を言われたのは想像に難くない。
イマが中学生になる頃。
タカ(カナブン)は、既にイマの自宅の電話番号や住所も知っていた。
ただ、意味もなく訪ねることはしてなかった。
ある日。
タカは一大決心をしてイマの自宅に電話した。
「吉井様のお宅ですか。金澤と申します。お母様ですか。」
「・・・・え~っと、カナブンさん?いつもイマがお世話になってます。イマがご研究のお邪魔をしてるんじゃないかと心配してますのよ」
「邪魔だなんて、全然。却ってこちらが色々教わっています。イマさんの発想にはいつもびっくりしています。・・・・それで、お母様。今日はイマさんの事で、ご相談がありまして、お電話しました」
「まぁ、なんでしょうか、改めて・・・」
「あの、ですね・・・イマさんに、suicaをプレゼントしてはいけませんでしょうか。それと、私の研究所の入館証です。あ、別に無理に来て欲しいとかそういう訳ではなくてですね、イマさんが興味を持たれたらおいでになれるようにと、ただそれだけのことで、深い意味は無いですから」
「あらあら、まぁ、とにかく落ち着いて。こちらも落ち着きますから。・・・・・カナブンさん、いえ金澤さんは、お仕事でご研究をなさっていらっしゃるのですよね。そこに、イマがお邪魔したら、それこそお邪魔ではないかしら。それと、そのsuicaですか、あなたのことですから、きっと自動チャージのものをご用意なさるおつもりでしょ。それはおやめになって。イマだって何に使うか判らないでしょ?」
「あ、えっと確かに私の口座から自動チャージするsuicaを贈ろうと思ってます。それを、例えばお友達と何処かに行くとか、ジュースを買うとか、そういうのに使っていただいても全然構いません。自動チャージならたかがしれてますから。それにもし、イマさんが無駄遣いするような方だったら、私も此処まで親しくなれなかったと思います。研究の事は気にしないで下さい。・・・・えっと、正直に言いますと、イマさんがいた方が研究が進むんです。発想がどんどん進化するんです。私にはそれがとても嬉しいんです。」
「そうですか・・・・イマを信用して下さってるのね。ありがとうございます。でもそこまで甘えてしまっていいものかしら?それに、なんですか、研究所の入館証ですか?そんなもの、子供のイマに与えてしまってよろしいのかしら?」
「あの、suicaは私からイマさんへの、ささやかなお礼のつもりです。これまでも、色々と研究のヒントを貰ってますから。それから入館証ですが、これはお母様とイマさんでお話し合いになって、私の処へ来てもいいという結論が出てからで結構です。私としては、先ほども申し上げましたが、イマさんとお話しているとどんどん話が発展して、とても研究に役立つんです。・・・・・・正直なところ、イマさんと話していて楽しいというのはもちろんあります。でも、楽しいから話が弾んで、色んな発想が出るという事は、判っていただけますでしょうか」
「・・・・だいたいお話は判りましたわ。1つだけ教えていただけますか?あなたは、イマをご自宅へお誘いになるおつもりはおありになる?」
「・・・・・よこしまな気持ちは、ありません。ご存じの通り、私がイマさんを好きであることは確かです。でも、今のイマさんを傷つけるつもりは毛頭ありません。私は、イマさんと、20歳まで待ちますという最初の約束を破りません。これではお答えになってませんでしょうか?」
「・・・判りましたわ。今晩にでも、イマとよぉく話をして、ご連絡させていただきます。それでは、しつれいします。」
・・・・・ふぅ。関門突破。かな?
タカはどっと疲れを覚えた。
母親とイマの数日にわたる話し合いの結果、入館証発行の許可が下りた。
タカは、あらかじめ所長に報告してあった通り、イマの特別入館証の発行を依頼した。通常の手続きではハネられるのは目に見えている。だから、タカの研究内容をある程度把握している所長に、話しても差し障りのない程度に事情を説明してあった。所長は、「あの子か、噂には聞いている。いよいよか。そうか。すぐに手続きをする」と言ってくれた。
数日後の週末、タカは珍しくクルマでイマの家までやってきた。
タカの愛車は日産NOTEである。普段1人で乗るには必要充分、タカが持てる範囲の荷物なら積み込める。積めないような荷物は、レンタカーを借りるなり運送業者に頼めばいい。タカの家は、研究所からクルマで20分ほどの処にある一軒家を借家としていた。とにかく研究所への足が必要であったから、自分の必要十分条件を満たすクルマを探したら、これになった。
タカ「ごめんください。金澤と申します。イマさんはご在宅でしょうか?」
母親「金澤さん?・・・えっと、カナブンさんね。お会いするのは初めてかしら。イマから色々伺っていましたけど、素敵な方ね。イマ、呼んできますからちょっとお待ちになって」
頭の回転が早くて、社交辞令も必要最低限。いい母親だとタカは思った。
暫くして、イマが出てきた。
イマ「こんにちは、カナブン。今日はドライブに連れてってくれるんだよね?ねぇ、何処まで行くの? 」
タカ「イマにはつまらないかもしれませんが、私の研究所にご招待します。ここからだとちょっとしたドライブですよ。途中で休憩しましょうね」
イマ「え?カナブンの研究所?イマが行っても・・・・あ、そうか!入館証が出来たんだよね?見せて見せて」
タカ「はい、これです。普段は人に見せないようにして下さい。研究所に入ったら、逆に常に見えるように首からぶら下げておいてください」
イマ「いっつもカナブンから話だけ聞いてたから、どんな処だか見てみたい!さ、行こう!」
タカ「支度はいいんですか?」
イマ「全部出来てるよ。イマはこの鞄があれば大丈夫。しゅっぱぁ~つ!」
タカ「はい、では行きましょうね。シートベルトはちゃんと締めて下さい。私が危ない運転をしなくても、他の人から事故を貰うこともありますから」
タカは、ちょっとだけ自分の両親が亡くなった理由を思い出していた。
人から聞いた話でしか覚えていないが、雨の夜の交差点で、信号無視をしたトラックに横からはねられて、ひとたまりもなかった、らしい。
タカの運転は慎重だった。いつも安全運転を心がけているが、今日は大事なゲストが乗っている。途中、高速のパーキングエリアで、休憩を取った。トイレと、ジュース。
タカ「イマ、疲れては居ませんか?」
イマ「ううん、全然。カナブンは、ぶ~んと速く走んないからつまらないくらい」
タカ「スピード違反はいけませんからね。これでもかなり速く走ってる方ですよ。予定より早く研究所に着きそうですから」
イマ「ふぅん。じゃ着くまで寝ててもいい?」
タカ「いいですよ、でもそんなに待たせませんから」
イマの家から、1時間あまりで研究所に着いた。
タカは知っているが、これはイマの家から電車で来る時間とそうそう変わらない。ただ、最寄り駅から歩いて数十分をイマに歩かせたくなかった。
タカ「イマ、着きましたよ。ちょっと入館手続きが必要ですから、降りて貰えますか?」
イマ「ん~、もう着いたの?結構早いね。ここから研究室まで歩くの?鞄持って降りた方がいい?」
タカ「いいえ、入館手続きをして、駐車場に止めてから歩きますから、今はさっきの入館証だけ持って降りて下さい」
タカとイマは、守衛所の受付に立ち寄った。
守衛「タカか、週末も来るとは珍しい。・・・を、このおちびちゃんは、例のアレかな?」
イマ「おちびちゃんじゃない!よしい いま!ちゃんと名前あるもん」
タカ「はいはい、じゃ入館証だして。・・・これからたまに来ると思いますので、よろしくお願いいたします。」
守衛「はいよ、俺は顔を覚えた。ちょっとこの入館証借りてもいいかな?すぐ返すから。拡大COPYして、他の連中にも判るようにしておくよ」
タカ「そうしていただければ助かります」
イマは、入るときには顔で見分けるんだ、と単純に思った。
入館証の機能は、実際にはそう単純ではない。この表玄関を出入り出来るレベル0セキュリティから、レベル5セキュリティまで、ゲート毎にセキュリティチェックが設けられている。表門はセキュリティチェックでひっかかっても、守衛の裁量で何とかなるが、建物に入るにはそうはいかない。
イマには、レベル2セキュリティカードを発行して貰っている。これは、タカの研究室に入る事が出来る最低限のレベルだ。 イマに見せたいものがある。それは、研究室に行ってのお楽しみだ。
タカは駐車場のいつもの場所にクルマを止めた。
タカ「はい、今度はちゃんと荷物を持って降りて下さい。あ、鞄の中に、ゲーム機とか入ってないよね?それから携帯は、申し訳ないけど電源を切ってくれるかな」
イマ「はぁい。ゲーム機なんて入ってないよ。携帯は、お母さんやお父さんがたまにパソコンでGPSチェックしてるらしいけど、カナブンと一緒なのが判ってるから大丈夫だよね。はい、電源切りました」
タカ「では、ご案内いたします、姫。」
イマ「なんだよぅ、姫なんて。恥ずかしいでしょ」
タカとイマは、建物の入り口に近づいた。ふいに、イマが廻りを見回した。
タカ「ん?どうかしましたか?」
イマ「ううん、ちょっとね、見られているような気がしたの」
タカ「あぁ、防犯カメラですよ。建物の廻りにも、中にもありますから、あまり気にしないで下さい」
言いながら、タカはイマの勘の良さに少し驚いていた。(此の時点では、タカはイマの「目」の事を詳しくは知らない)
タカ「はい、ここに白い小さなものがあるよね。ここに入館証をかざして。別にくっつけなくてもいいから。ピッと音がしたらOKです」
イマ「判った。ここに、それピッ!あ、鳴った」
タカ「はい、これでイマはこの建物に入る事が出来ます。」
タカは自分も続けて入館証をかざし、建物の中に入った。
ちなみにテールゲート(他の人の後に続いて入る事)は出来ない。
何故なら、建物の入り口はエアロック方式(片方のドアが閉まらないともう片方のドアが開けられない)だから。入館証を当てた人数と、前室に居る人数をカメラが顔認識で確認する。
これがレベル1セキュリティ。
(たまに入退館の混雑時、トラブルをおこすことがある。対策は、「上を向いて」であった。あくまで余談である)
だから彼らももう1回ピッとやって、本当に入館した。
白く長い廊下が続いている。所々に鉄扉があり、やはりセキュリティチェック用と思しきものが付属している。
タカは、自分の研究室の前に立った。
タカ「イマさん、ここに入るには、もう1つ虹彩チェックか掌紋チェックが必要なんです。虹彩チェックというのは、目の中のパターンを読み取ることです。一人一人、目のパターンは違いますから。掌紋チェックは、手のひらに細かなしわしわがありますよね。指紋は判りますね。それの手のひら全体をチェックするものです。さて、どちらで入れるようにしますか?」
イマ「目?目は駄目。ほら、そこの機械、私届かないし」
タカ「では今度脚立でも用意しましょうか」
イマ「なによぉ、イマはすぐもっと背が伸びるもん!でも、手のひらの方がいい」
イマは、自分の「目」の秘密がばれることや、なにより「目」の力が強い光とかで失われてしまうことを恐れた。
タカ「じゃ、この処にあるくぼみに、左手を当てて下さい。そう、丁度親指と人差し指の間がその出っ張りにあたるようにして、全体をパーに開いて」
イマ「これでいい?」
タカ「はい、OKです。暫くじっとしてて下さい。登録しますから。それから、その出っ張りに手が当たる場所とか、ちょっと覚えておいて下さいね・・・・・はい、登録出来ました。じゃ、またこの白いところにピッとやって、10秒以内にさっきのくぼみに手を当てて下さい」
イマ「ピッ!それでパー!あ、なんかさっきと違う音が鳴った。あ、ドアが開いた!おもしろーい」
タカ「はい、これでイマさんは、私の研究室に入る事が出来るようになりました。どうぞお入り下さい」
タカも続けて同じようにした。タカは虹彩識別である。これは、レベル3セキュリティ以上では欠かせないためだ。レベル2セキュリティは、イマのように掌紋でもアクセス出来る。ちなみにこのドアもエアロック方式である。
ここから先は、タカのホームグラウンドだ。
研究室の中は、広くてがらんとしていた。真ん中辺りに、ごちゃごちゃと機材が固まっていた。
イマが見渡すと、隅っこの方にソファと冷蔵庫らしきものがあった。その脇にはトイレと思われるドア。
まるでここで生活しながら籠もりっきりで研究出来るみたいね、とイマは思った。実際それに近かった。
「さぁ、こちらです。真ん中で、その辺の椅子に座って下さい」 タカが言った。
「そうそう、これもプレゼントです」といってタカがイマに渡したのは、suicaカードだった。
「何これ?suica?何で私にくれるの?」イマが素直に訊いた。タカは、「いつでも、その気になったら此処に来て貰えるようにです。もちろん、お友達と何処かに行くのに使っても構いません。金額が少なくなったら、自動的にチャージされるようにしてありますから」と言った。イマは、何となくタカの気持ちを察した。
研究室の中心には、密閉漕にアルゴンガスを詰め込んで、その真ん中に2芯3極のコードが配線され、コードで宙に浮いているものがあった。角の丸くなった三角形、というよりも、ハート型に近い。色は真っ黒であった。
タカがイマに、「何色がいい?」と訊いた。、「赤!」とイマが答えると、タカがおもむろに手元を操作して、真っ黒な板が次第に赤くなっていった。そして、タカが小型ビデオカメラをイマの顔に向けて、「ちょっと待ってね。はい、笑顔!」というと、ゆっくりと、赤の単色変化だけだが、イマの顔が浮かび上がり、表情がぼんやりと映し出された。タカがイマに、「ちょっと違った顔をしてみて」と、イマが怒った顔や変な顔(?)をやってみると、その板はゆっくりと追随していく。
「これが私の研究内容です。イマさん。現在は此処までしか出来ませんが、フルカラーにしたり、反応速度を上げたりして、TVみたいに見えるようにするつもりなんですよ」「TVと何処が違うの?」「そうですね、まず使う電気の量が全然違います。今の実験では、丁度豆電球1つ分の電気しか使ってません。もっともっと減らせると思っているんですよ」「あのね、最初に見た真っ黒のとき、太陽光発電器のこと考えちゃった」「イマさんは勘が良いですね。こいつの原理の基は、まさに太陽光発電なんです。モーターと発電器の関係って知ってますか?電気で廻るモーターを、何か他の力で廻すと今度はモーターの電極に電気が戻ってきます。そういうことを、光で出来ないかなと思ったのが最初です」「じゃあ、ついでに発電もしちゃえばいいんじゃない?ソーラー発電からTVみたいなのになって、ついでに光で発電までしちゃえばいいんだ。あ、じゃあこの子の名前はソラ!決定!」「これこれ、勝手に名前まで。・・・ソラ、そら、太陽はソル、・・・・sol-αって処ですね。こう書いて、これで「ソラ」と読む。どうですか?」「カナブンにしては良いセンスじゃない。これで決定ね!」「決まっちゃいましたか。sol-α、ソラですね。イマ、良い名前をありがとう」
タカはイマの頭をくしゃくしゃっとなでた。
「しかし、発電ですか。そこまで思いつきませんでした。出来なくはないですね。・・・・動力源の光は、ソラの外の光。出来たら、室内でも使いたいですよね。蛍光灯程度の明るさ・・・」「イマね、お月様やお星様の下でも見てみたい」「月明かりですか?そりゃまた大変だ。ソラの高分子を・・・・そうか、分子は最小に、面は大きくすれば何とかなるかもしれませんね。 イマ、あなたは天才です。いやすごいひらめきがある。これでまだこれから中学生なんてもったいない。一緒に研究して欲しいです」「えっとね、イマは、他にも色んな事を知ったり覚えたりしたいから、今はだぁ~め、でぇす」「そうですか。・・・・イマさん、今日は本当にありがとう。是非また此処に来て下さい」「うん、suicaも貰ったし、じゃあお父さんやお母さんに聞いてみて、例えば土曜日の午後とかに遊びに来るかも。それでいい?」「全然構いません。私からお父様やお母様にお口添えしましょうか?」「ううん、そういうの要らない。だって、私のお休みの日の事だもん。学校に行く日じゃなければきっと大丈夫!」
イマが帰る段になって、タカはイマを自分のクルマに改めて乗せた。門までもそれなりにあるからだ。
「土日祭日は・・・・1時間おきですか。すみません、バスの時刻表をいただけますか?」 タカは守衛に頼んだ。
「5分ほど前にバスが出たばかりですね・・・・やはり帰りも送りましょう」
イマは、首を横に振った。「せっかくsuicaも貰ったから、電車で帰ってみる。でもね、バスを1時間待つのは正直つらいから、駅まで送ってくれると嬉しいな」
タカは嫌も応もなく最寄り駅まで送った。「本当に此処まででいいんですか?やはりお家まで送りましょうか?」
イマは再び首を横に振った。「ううん、今度自分で来られるようにしたいから、電車で帰る。また来てもいいでしょ?」
「はい、そのためのsuicaですから。楽しみにお待ちしてますよ」
そういって、二人は駅前で別れた。
イマは、家までの1時間あまり、研究所での事を思い返していた。
イマが発電を思いついたのには訳がある。最初にソラを見たとき、漆黒のソラに光が吸い込まれる様子が見えたからだ。そして、もっと見やすいようにタカから訊かれたとき、赤を選んだ。発光しても、ソラは光を吸い込んでいた。これは、絶対使える。中学生になろうとするイマでさえ、「目」のおかげでそれは理解出来た。
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興奮気味のイマから、数日に渡って研究所の話を聞かされた母親は、あることを考えた。
中学1年になるときの誕生日。
母親「イマ、今回のプレゼントは、自転車よ」
イマ「えぇ~、自転車なら大事に乗ってるから新しいのなんて要らないよぉ」
母親「そうではないの。折りたたみ式で、畳んだら電車に荷物として持って乗れるような自転車よ。駅で降りたら、また組み立てれば、ちゃんと走ることが出来るのよ」
イマ「だって、そういうもの・・・・あ、欲しい!お母さんありがとう!」
イマは理解した。母親が、研究所の巡回バスが週末は1時間に1回しかないので、駅と研究所の間を自転車で通えるようにと準備してくれたのだと。バスだと約10分だが、歩けば数十分かかる。自転車ならば、十数分で行けるだろう。これで、何時とか気にしなくてもいいようになる。イマは母親の気遣いに感謝した。