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「……という訳なんだけどさ」
話し終えたシュミットは、カップを口へ運びのどを茶で潤す。
場所は先程バルノと会ったホールに隣接する応接室の一つだ。広い部屋の中には大きなテーブルと椅子がいくつか並んでいる。そこに座っているのはシュミットとエピティ、そしてバルノだ。他の人間の姿はない。
話を聞いたバルノは小さく頷きを数回した。エピティは会話に加わらず、ずっと茶と一緒に出された焼き菓子を口へ詰め込んでいた。
「なるほど……信じられないようなお話ですが、嘘ではないようですね」
ほとんど閉じられたまぶたの奥から、鋭い視線が飛ぶ。その迫力にうろたえることなくシュミットは頷いた。なにしろ本当のことなのだから。
そのときドアをノックする音が聞こえた。バルノが許可するとドアが開き人が二人入ってきた。
一人は中年女性の使用人。シュミットも見知った顔の女性だ。もう一人も同じ使用人の服を着た少女だ。
小柄な少女は顔を俯きがちに下げている。その髪の毛は青白い輝きを帯びた銀色。少女は使用人服を着たマチェーラだった。
「おお。似合っているぞ」
エピティがそう褒めると、マチェーラは恥ずかしそうに顔を赤らめた。
中年女性が運んできたカートにはティーセットが置かれていた。カップを置くとマチェーラへ「こちらへどうぞ」と声をかけた。恐る恐るといった足取りでその席へ少女が座ると、カップへポットから茶を注いだ。湯気とともに甘い香りが広がる。
「あ、ありがとう……」
中年女性の使用人が出て行きドアを閉めるとバルノが穏やかな目でマチェーラを見た。
「どうやら服の大きさは問題ないみたいですな」
「連れて来た俺が言うのもなんだが、よくこいつに合う大きさのものがあったな」
「なにがあってもいいように準備はしてありますから」
バルノはどうぞとマチェーラに茶をすすめる。マチェーラは恐る恐るカップに口を付け、その目を大きくした。
「こちらのお菓子もどうぞ。遠慮はなさらなくてけっこうですよ」
一枚に手を出すと止まらなくなった。マチェーラはビスケットに似た菓子を次々と口へ運ぶ。かなり空腹だったようだ。菓子が全て無くなったところでバルノは口を開いた。
「ところでシュミット様。こちらへいらしたのはマチェーラ様の服を用意してもらうためだけですかな?」
バルノは何もかも承知している様子で、あえてシュミットへそう問いかけた。それに若干の申し訳なさを含ませて彼は頷く。
「それなんだけどな、こいつをしばらくこの屋敷で面倒見てもらえないかと思ってさ。とりあえずマチェーラ、というかあの精霊遺物の調査が終わるまでなんとかしてもらえないかな、と……」
「はい。いいですよ」
バルノは一切躊躇することなく了承した。
「いいのか?」
「はい。とはいっても使用人として働いてもらうことになりますが。ただでさえ人が足りていませんからね。それでいいと本人がおっしゃるならば」
バルノがマチェーラへ視線を向けると、急な話に戸惑っているようで顔をバルノとシュミットへ交互に振っている。
「マチェーラには知り合いや、親兄弟はいるのか。いるのならそこへ連れて行ってやってもいいが」
「えっ……それは……わからないから……」
「親の名前は?」
「……わからないよ……何も、思い出せない……」
泣きそうな顔でマチェーラーは顔を俯かせてしまう。
「大丈夫ですよマチェーラ様。しばらくすれば落ち着いて何か思い出せるかもしれません。その間はこの屋敷で一緒に生活していきましょう」
優しいバルノの言葉に元気づけられたのか、マチェーラは涙を浮かべながらも頷いた。その様子にエピティは顔をほころばせ、シュミットはため息をついた。
「さて。マチェーラ様がここで暮らすのはよいとして、そのための品物がありません。具体的には服や下着、その他の生活用品といったものです。その買出しに行ってもらいましょう」
バルノはそう言ってシュミットを見る。それにシュミットは嫌そうに顔をしかめる。
「女性の荷物持ちをするのは男性の特権ですよ。ちなみにこれが必要な品物の詳細です」
「いつもながら手際の良いことで……ちなみに代金は?」
「シュミット様からのお願いですからな。その程度の代金は……」
有無を言わせぬ笑顔を浮かべるバルノ。
「手数料ってわけか……はあ、まったくやってられないぜ……」
そう言いながら買い物リストを受け取るシュミットだった。
シュミットたち三人はドッグの街中を歩いていた。ここが街の主要道路だというのに人の数はあまりにも少ない。歩いているのも疲れた顔をしたくたびれた人間ばかりだ。
活気がなくよどんだ空気に、マチェーラはビクビクしながら周囲を見回していた。
「人がいないね……」
「仕方が無いさ。ここはもう死んだ街だ」
かつての繁栄を感じさせる大通りも、ここまで荒れてしまえば物悲しさしか無い。
三人がやってきたのは、その通りにある一軒の店だ。建物自体は大きい。しかし石でできた壁は汚れやひび割れが目立ち、一目では営業しているのかと疑いたくなる。木製の扉にぶら下がった「営業中」という文字だけが、この店が生き残っていることを知らせていた。
「いらっしゃい。あら、お久しぶりね」
店内のカウンターの中にいたのは一人の女性だった。髪を頭上でまとめていて、それが若々しい顔に似合っていた。おそらく年齢は三十かそこらだろう。
「今日はそっちのお譲ちゃんの服をお求めかしら?」
女性は糸の様に目を細めた笑顔を浮かべる。それを受けてマチェーラは小さく頭を下げた。
この店は服や下着、さらに靴や帽子といった身につけるもの一式を扱っている。店内にはいくつも棚が置かれ、そこには多くの商品が置かれていた。この死んだ街で誰が買うというのか、そう思える高級品もいくつか存在していた。
外観からは想像できない整頓されてきれいな店内に、マチェーラはしきりに頭を動かして観察しては小さな歓声をもらしている。ここに何度も来ているシュミットとエピティの二人はそれらに目を向けることもない。
「こいつに服と下着をいくつか見繕ってくれ。値段は安いやつだ」
「あらあら。女性に良い服を贈るのは男の甲斐性よ」
「知るか。そんなのキザな貴族のやることだ。まったく、無駄な出費だ……」
口元をゆがめるシュミットに女性は苦笑すると、カウンターから出てまだ店内を見回しているマチェーラの手を取った。
「じゃ、私が服を見たたてあげるわね。ふふっ。ここは若い女の子が全然いないから、ちょっと退屈なのよね。久しぶりに腕が鳴るわ」
いい笑顔を浮かべた女性に手を引かれるまま、戸惑うマチェーラは店の奥へ連れて行かれる。助けを求める目をシュミットへ向けるが、それを簡単に無視した。
「……さーて、どうするかな……」
「私はちょっと見てくるぞ」
エピティはそう言って店内を物色しはじめた。この店は女性用の商品がほとんどだ。なので暇つぶしに商品を冷やかすこともできず、シュミットは手持ち無沙汰だ。不機嫌そうに女性達の買い物が終わるのを待つしか無い。
「おまたせー」
いい加減イライラしながらシュミットが腕組みをして待っていると、やっと店員の女性がマチェーラを連れて戻ってきた。
「どう、可愛くなったでしょ?」
マチェーラが着ているのは膝下までの長さの薄緑色のワンピースにレースの縁取りがされたボレロだ。それは確かによく似合っていたが、特に興味が無いシュミットは何も反応を返さない。この店の女性店主が不満げに手を腰に当てる。
「女の子の服を褒めるのは一般常識でしょ」
「そんな常識聞いたことがない。終わったんだったらさっさと袋に入れてくれ。いくらだ?」
「まったく……そんなんじゃ恋人なんかできないわよ」
店主は苦笑しながら手に積み重ねた服を袋へと入れる。枚数は言っていなかったが、その多さにシュミットは値段のことを考えると眉間にしわができた。
「全部で、おまけもいれて千リラね」
「高くないか」
「これでもずいぶん安くしているわよ。甲斐性見せなさい」
はあとため息をつきながらシュミットは懐から硬貨を数枚だして女性へ手渡す。それを確認した女性は笑顔を浮かべながら服のつまった袋を差し出した。
「お買い上げありがとうございましたー」
「ん? 買い物は終わりか」
店内を見ていたエピティが手に数枚の布を持ってる。
「これをもらおう」
「あら、これは下着?」
「うむ。もうそろそろ古くなってきたのでな」
「これよりももっと可愛いのがいいと思うけど。例えば、そこにいる男の子を悩殺できそうなやつとか」
「余計なことを言うな。行くぞ」
シュミットはマチェーラの服が詰まった袋を抱え、足早に店を出る。その後ろを慌ててマチェーラがついて行く。手早く会計を終えたエピティもそれに続いた。
「あの……ありがとう……」
小さい声で後ろを歩くマチェーラは、シュミットの背中に礼を言う。それにシュミットは顔をむけることもせず鼻で息をしただけだった。バルノから渡された買い物リストを取り出して見ると、その顔が歪んだ。
「何だ? 手鏡に櫛に石鹸、タオル……はあ? ランプまで必要なのか? これ全部俺が買うのかよ……」
それらの金額を想像すると憂鬱な気分なる。
「だったら別に買わなくてもいいよ」
「そうしたいのは山々なんだけどな、買わないとバルノさんに怒られそうだからな」
「バルノさん優しそうだけど」
マチェーラが不思議そうにするとエピティが言った。
「たしかにバルノどのは常に優しく笑顔を絶やさない人だ。しかし怒らないわけではない。声を荒げることも無く笑顔を浮かべ続けているが、あの迫力は相当なものだ。そこらの邪精霊などよりよっぽど恐ろしい」
「ぜんぜん想像できないけど……」
「知らないほうがいいことってのは世の中にあるもんなのさ」
買い物を終えたときには、シュミットが両手でなんとか抱えられるほどに荷物は増えていた。その重さにシュミットの顔にしわができている。
「荷物持つよ。私のものだし」
「お前みたいな子供には重いだろ。いいから運ばせろ」
「私は子供じゃない!」
頬を膨らませる姿はマチェーラをよけいに子供っぽく見せていた。
「じゃあ、お前はいくつなんだよ」
「十四才だよ!」
それにシュミットとエピティは驚いた顔で、マチェーラの顔を見た。その年齢の割には背が低く、未発達な体と細い腕に足はかなり年齢を下げて見える。人によっては十才ぐらいに見えるのかもしれない。
「いや、嘘だろ」
「嘘じゃないよ!」
「そういえば、何で自分の年齢がわかるんだ? 記憶が戻ったのか?」
その言葉にマチェーラは立ち止まる。どこか呆然とした顔だ。
「……そうだ、私は十四才だって、さっき急に思い出したの」
立ち尽くすマチェーラにかける言葉がないシュミット。
「まあ、記憶が戻るのは良いことじゃないか。これならすぐに全部の記憶が戻るのかもしれないぞ」
エピティに優しく肩に手を置かれたマチェーラは、こくんと頷くと歩き始めた。
シュミットはちらりとそれを見る。見た目はどこにでもいる子供だ。髪の毛が銀色というほかは何も変わったところはない。最初に見たとき、全身が青白い光になっていたのは理由の見当もつかない。厄介なものを見つけたものだと、大きく嘆息した。
荷物を抱えて屋敷へ戻るとバルノが待っていた。着替えたマチェーラを見て笑顔を浮かべた。
「可愛らしくなりましたね。よくお似合いですよ」
「荷物はここに置いておく。それじゃ」
「どちらへ?」
「あのマチェーラ、精霊遺物を調べなきゃな」
短く言ってシュミットは背中を向けると、厩舎がある方へ歩いていく。
薄暗い厩舎の中には、今朝と同じく金属でできた巨体が鎮座していた。無造作に近づくとその表面を手で触る。冷たく鉄と同じ硬い感触だ。
「浮け」
念じてみてもその巨体に変化は無かった。マチェーラがあの燃料槽の中へ入らないことにはやはり動かないようだ。燃料槽の中に頭を入れて観察してみたが、いくつか継ぎ目が見られる金属の滑らかな壁があるだけだった。数箇所壁に穴が開いていたが、その他に特徴らしきものは何も無い。動かせそうな部分も無かった。
操縦席へ上るための階段が出せないので、厩舎の片隅にあったはしごを使い、そこは開いたままだったので操縦席へ入る事ができた。しかし何も新しい発見をすることはできなかった。光っていたパネルは全て黒くなっている。適当に触ったり押したりしてみたが、再び光が灯ることは無かった。シートの下のように開く場所は無いか探してみたが、狭い操縦席の中にそんな場所は存在しなかった。
「駄目か……わけがわからないぞ、これは……」
そもそも精霊遺物が正体不明の代物だ。わかっていることは精霊力を使用して動くということだけであり、その原理も材料も全てが謎だった。これはシュミットが見てきたものなかでも極めつけで、わかったことといえば、燃料槽の扉を開ける機構は彼が使っている武器と同じ原理だということぐらいだ。
「扉を開け閉めする構造が分かったところで意味は無い、か……」
なんとなく厩舎の天井を見上げていると、声が聞こえた。操縦席から下を見るとマチェーラとエピティがいた。マチェーラは使用人服に戻っている。
「バルノさんがごはんだって」
いつの間にか正午をとっくに過ぎていた。
翌日、屋敷へやってきたシュミットはマチェーラへ言った。
「あれを動かすぞ」
ほうきを持って掃除をしていたマチェーラはきょとんとした表情で彼を見た。近くで剣の素振りをしていたエピティも、手を止めてそちらを向いた。
「あれって?」
「マチェーラだ。小さいお前じゃないほうだ」
「小さいってどういうこと!」
シュミットは屋敷でバルノに昼食をご馳走してもらった後も、あの大きなほうのマチェーラを調べてみたが、何も得られるものは無かった。そこで小さいほうのマチェーラに手伝ってもらおうと考えたのだ。
「バルノさんに許可をもらわないと……」
「じゃあ、もらってきてくれ」
マチェーラはほうきを持って屋敷の中へ入っていった。それを見送るとおもむろにシュミットは口を開いた。
「あいつ、あの後どうだったか?」
「昨日は緊張していたようだったが、寝て起きたらいくらか落ち着いたようだな」
シュミットは昨日はずっとマチェーラを調べていて、そのあとは屋敷へ顔を出すことなく家へ帰った。なのでこの屋敷に住んでいるエピティにその後の様子を聞いたのだった。
彼女がなぜ住んでいるのかというと、この屋敷の一部が騎士達の宿舎となっているからだ。ただし今いる騎士はエピティただ一人である。
「気になるか」
「気にならないと言えば嘘になるな……」
なにしろ精霊遺物の中から出てきた人間だ。しかも最初に見たのは人の姿をした光の状態だ。怪しすぎる。そもそも人間なのかどうかもわからないとシュミットは思っている。
その顔を勘違いしてエピティが笑みを浮かべてシュミットを見やる。
「何だ、一目ぼれか?」
「は? 何言ってんだお前は?」
「あっ、シュミット、エピティ。バルノさんがいいよって……どうかした?」
三人は厩舎へやってきた。あいかわらず金属の巨体がそこにあった。
「あらためて見てみると、やっぱり大きいな」
「よし、マチェーラさっそく動かしてくれ」
「う、うん」
マチェーラは窮屈そうに燃料槽の中へ体を入れた。膝を抱え丸くなるとちょうどいい広さだった。木のうろにいるリスを連想させる姿だ。
「よし、浮け」
シュミットがそう口にして念じるが、金属でできたマチェーラに変化は無かった。顔に疑問を浮かべもう一度念じるが、やはり動かなかった。
「どうなってる? おい、マチェーラ。お前がそこに入れば動くんじゃなかったのか」
「わ、私にもわからないよ」
その後何度かやってみたが無駄だった。気合を入れて叫んでみたりもしたが意味は無く、そのことにシュミットは苛立ちをつのらせる。怒りに任せて金属の体を殴ってみたが、ただ手が痛いだけだった。
それをぼうっと見ていたエピティが、何かに気付いた様子になるとこう言った。
「そういえば、最初にそこが開いた時、中にいたマチェーラは光の体じゃなかっただろうか。その状態でいなければいけないんじゃないか?」
「なるほどな。その可能性はある。マチェーラ、できるか?」
「えっ、うん、やってみる……」
マチェーラは燃料槽から抜け出すと、その場に立ち目を閉じた。すると体の周囲に青い光が浮かんだ瞬間、その光は一気に膨張した。強い光はシュミットとエピティの目を焼き、思わず腕で顔をかばう。光と同時に熱が周囲に広がった。
「何がどうなったんだ……」
光がおさまり腕を下げて見えたのは、青白い光の体になったマチェーラの姿だった。一度見たものだったが、その姿にはやはり驚きを隠せなかった。シュミットが目を見開いていると、マチェーラも閉じていた目を開けた。
「どうなった?」
「うん。光の体になっているな」
エピティの言葉にマチェーラは自分の手や体を見て驚いた顔を見せる。
「わっ! 本当に光ってる!」
「自分の体だろ。驚くことがあるのか?」
「前は突然だったから自分の体を見るひまなんてなかったんだよ」
しげしげと自分の体をマチェーラが観察していると、エピティが気付いた。
「服はどうしたんだ?」
「服?」
光の体となったマチェーラは、肩や腰といったその体の輪郭が全て見えていた。さっきまで着ていた使用人服は足首まで長いスカートなので脚の線など見えるわけが無いのだが、今はそれがはっきりと確認できている。
マチェーラの足元には何かが落ちていた。地面に落ちていたのは黒く焦げて煙をのぼらせる布きれだ。小さい火をあげているものもある。それはマチェーラが着ていた使用人服の成れの果てだった。それ気付きマチェーラは悲鳴をあげた。
「キャーッ! 服がー!」
すると全身の光が弱くなり、肌の色を取り戻す。マチェーラは光の体から、人間と同じ体へと戻ったのだ。そこに立っていたのは服も下着も纏わない、裸の少女。
思わぬ事態にマチェーラはただ瞬きをくり返す。シュミットも不意を突かれた顔でそれを見ていた。二人の目が合う。しばしの静寂の後、最初に口を開いたのはエピティだった。
「裸だな」
みるみるうちにマチェーラの瞳に涙が浮かび、それが零れ落ちる寸前で彼女の目が吊り上がる。右手が大きく振り上げられた。
「うえええええええっ!」
勢いよく振りぬかれた平手は、シュミットの頬で盛大な音を立てた。
叩かれた頬を押さえて憮然とした表情をしていたシュミットは、厩舎へとやってきた人の気配に顔を向けた。そこに立っていたのはエピティと、涙目で彼を睨むマチェーラだ。マチェーラは簡素なワンピースを着ていた。足元はサンダルだ。
「やっときたか」
マチェーラたちが戻ってくるまでけっこうな時間が経過していた。それは彼女が泣き止むまで時間がかかったからだった。
マチェーラが裸を見られ、シュミットの顔にビンタをお見舞いした後、エピティはマチェーラに上着を貸して屋敷へと戻っていった。それからシュミットは赤い手形の残る頬を押さえながら二人を待っていたのだった。
憮然としたシュミットの目線に対し、マチェーラは鋭い目で見返してきた。涙がたまったその目に浮かんでいたのは怒りだ。シュミットは舌打ちする。
「お前みたいな幼児体形を見たところでなんとも思わないからな」
「そっちが思わなくても、こっちはそうじゃないんだよ! 二回も裸見られた! それに今回はばっちり全部見られた!」
「毛も生えてないくせに色気づくな」
あまりの言い草に顔が真っ赤になり、やがてその両目が歪むと涙があふれ、マチェーラは大声で泣き出した。慌ててエピティがなだめる。
「おいシュミット、口を慎め。お前が悪いんだからな」
「勝手に裸を見せつけてきたんだろうが。俺のほうが気分悪い」
「びえええええ! シュミットがああああっ!」
「あー、よしよし。泣くなマチェーラ」
やってられないとばかりにシュミットはため息をつき、頬が痛んで顔を歪めた。
小一時間泣き続け、マチェーラはやっと泣き止んだ。
「泣き止んだか。じゃあさっさとアレを動かすぞ」
「だったら後ろを向いていろ。いいな、絶対こっちを向くんじゃないぞ」
シュミットは肩を竦めて背中を向けた。エピテイはそれを確認すると、マチェーラへ大丈夫かと聞いた。マチェーラが小さく頷くと、エピティは用意した大きな布を広げ、マチェーラの体が絶対に見えないようにする。反対側は金属の巨体が塞いでいるので問題ない。
「まだか」
「もうちょっと待て。絶対振り向くなよ」
はいはいと答えにならぬ言葉をつぶやくと、シュミットの後ろで強い光が弾けた。思わず振り向くと、エピティに睨まれ再び背中を向けた。布が擦れる音がしばらくした後エピティから許しの言葉が出た。
「もういいぞ」
振り向くと光の体に変化したマチェーラの姿があった。ワンピースを着ている。
「服は燃えなかったのか」
「どうやらこの体に変化するときに熱くなるようだ。光になったあとはちょっと触ると熱く感じるぐらいだな。服も着れる」
「つまり毎回服を脱がなきゃいけないわけか。面倒だな」
シュミットが目を向けると、マチェーラはエピティの背中へ隠れる。それに一言何か言おうとすると叩かれた頬が痛み、言葉は止められた。マチェーラが目だけを背中から出してそれを見る。
「痛い?」
「……ああ。思いっきりやられたおかげでな」
「シュミットが悪いんだからね。裸を見たくせに謝らないし」
「お前こそ俺の顔を叩いたことを謝れ」
マチェーラはさっと再び隠れる。シュミットは小さく舌打ちした。
「シュミット、いいから謝れ」
険しい表情で睨むエピティ。これに関しては男であるシュミットに勝ち目は無い。おおきく息をはくと、ぞんざいな口調で言う。
「……裸を見てどうもすいませんでした」
マチェーラがエピティの背中から出てくる。その表情から完全に許したわけでは無さそうだが、それでも多少は譲歩してくれるらしい。
「じゃ、その中に入ってくれ」
マチェーラはさっきと同じ様に狭い燃料槽の中で丸くなる。するとその体の周囲に青い光が弾け、マチェーラの目が閉じられた。体から力が抜けていて、眠ったように見える。
「どうしたマチェーラ。寝たのか」
『ううん。違うよ』
マチェーラの口は動いていないのに声が聞こえた。
「お前、どうやって喋ってるんだ。口が動いてないぞ」
『喋ってるのはこっちの体。大きな私のほうだよ』
よく聞いてみると声は高い位置から聞こえていた。そこへと顔を上げて見えるのは、金属でできた巨体。
「……そっちが喋ってるのか」
『うん。あそこに入ったら急に眠くなって、気付いたらこっちの体になってたの』
エピティが丸くなっちいるマチェーラを揺すったり、顔をつまんでみたりしたが反応は無い。シュミットも光に変化した腕をとり脈をはかると、何も感じなかった。
「死んでる?」
「死んでないよ!」
さっきまで動かなかったマチェーラの顔が急に動き、驚いたシュミットは思わず飛び退った。
「死んだのかと思ったぞ」
「シュミットが何かしようとしてたのがわかったから、慌てて起きたんだよ」
「なるほど……どちらの体にも自由に意識が移動できるということか。そしてあの光の体には脈が無い。心臓が無いのか? マチェーラ、人間の体に戻ってくれ。その状態で脈があるのかどうか調べたい」
「いやだよ。また服を脱がなきゃいけないし」
「そうか。まあいい。じゃあそっちのでかい体のほうに戻ってくれ」
不満そうな顔でシュミットはもとの体勢に戻ると、すぐに両目が閉じられる。
『戻ったよ』
「よし、浮け」
音も無く金属の巨体は地面から浮き上がった。その動きで燃料槽の力が抜けたマチェーラの体が転がり落ちそうになり、慌ててエピティが支えた。
『あ、あぶなかった』
「ここは閉めておかなければ駄目だな」
エピティが力強く燃料槽の扉を閉めた。これでマチェーラが落ちる心配は無い。
シュミットは自分の身長より高くまで浮かばせると、マチェーラの巨体の下を調べ始める。昨日は浮かせられないので調べることができなかったのだ。
しかしこれといった発見は無かった。下側も同じ様に全て金属で覆われていて、ほかの部分と同じ様な外見だ。継ぎ目の線が見えるが、そこにわかるような隙間は無く、動かしたり開いたりできるような場所も見当たらなかった。
何も分からなかったことに舌打ちしながら、マチェーラを地面まで下げさせる。
『何かわかった?』
「何もわからないってことが収穫だな。お前も何か思い出さないのか?」
『……私、ずっと逃げてたんだと思う。すごく怖いなにかから。必死でずっと逃げてて、それで、隠れたの』
隠れたという単語にシュミットはマチェーラの燃料槽の扉を見た。あの中にマチェーラは入っていた。あんなに狭い場所に好んで入る人間はそういない。それなりの理由があったなら、逃げなければならない何かから身を隠すためならば、あの中へ入る事もありえる。
「邪精霊じゃないのか? 最初に私達が見つけたときに攻撃されていただろう」
二人がマチェーラを発見したとき、いくつもの鎧持ちがマチェーラの防御シールドに攻撃を加えていのは確かだ。そこで疑問が浮かぶ。
「邪精霊に追われていてあの中に逃げ込んだのはいいとして、なぜマチェーラはあんな場所にいたんだ。道も無い山の中に」
この周辺はほとんど山脈によって土地が作られている。そこまで高くも険しくも無い山ではあるが、マチェーラのような少女が一人で歩くような場所ではない。
「それにどうしてマチェーラ、いや精霊遺物を動かせるんだ。鎧持ちから逃げていて偶然あの中に逃げこんだとしたら、動かせるはずがない。あれは古代精霊期の物なんだぞ。今の技術では再現不可能な代物なんだ」
『そ、それは、言葉や意味が勝手に頭に浮かんでくるんだよ』
マチェーラに精霊遺物の知識が無いことは自分がよくわかっている。しかし何かの拍子に断片的な知識が浮かんでくるのだ。この事実に一番困惑しているのは彼女だった。明らかに自分の知識では無いことがわかるのに、それが自分のものであるかのように感じる。その齟齬は言葉にできない不快感を伴うことだった。
「……まあ、後からいろいろ思い出すかもしれないしな。でだ、他に何かわかることはあるか。例えばそうだな、お前は空を飛んで防御と攻撃ができる。他に何かできることはあったりしないのか?」
『……それしかできない、みたい……』
申し訳無さそうな声。沈黙が流れる。
「それだけか」
『うん……』
思わずため息をつく。マチェーラは思い出せないことばかり。精霊遺物を調べても、わかることは何も無い。ないない尽くしの現実に疲労がどっと肩にかかる。
そんな気落ちした様子のシュミットに対して、エピティは明るい声で言った。
「せっかくこれを動かすなら、また空を飛ぼう。雲の上までまた行ってみたいんだ!」
シュミットは顔を引きつらせた。先日の恐怖はまだ心に残っている。青い顔のシュミットを見てエピティはにやりと口元を歪めた。
「高所恐怖症を克服しないとな」
「しなくていいだろ!」
「しかし移動手段としてかなり使えるだろう?」
シュミットの仕事場である縦穴まではいつも歩いている。馬や馬車を使えば移動も楽になるのだが、問題は維持費だった。馬は食料だけでなく様々な面で金が必要なのだ。
しかしこの精霊遺物ならそれを気にしなくていい。さらに空を飛べるので道や地形に関係なく進めるので大幅な時間短縮にもなる。空を行けば動物や邪精霊に襲われる心配も無いなどいいこと尽くめだ。
理性ではわかっているが、本能的な恐怖がシュミットを躊躇わせる。その強張った顔をエピティがにやにやとしながら見ている事に気付き、思わず言ってしまった。
「わかった、やってやろうじゃないか!」
「よし。早速出発だ」
エピティは階段を出す必要も無く、自分の脚力だけで飛び上がると操縦席の中へ飛び込んだ。それを苦々しげに睨みながら、シュミットは自分が座る操縦席への階段を出させた。思わずため息が漏れる。自分が原因なのだが、この階段がまるで地獄へと続いているかのように感じられたのだった。