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『ケンカするほど仲がいいって言うよね……』
「「フンッ」」
やっと終わった口喧嘩に、マチェーラは疲れた声でつぶやく。
『それでどうするの? もう夜だけど』
二人が言い合っている間に太陽は姿を消していた。街は暗闇に閉ざされてしまっている。人が少なくなった大都市は光が無く、まるで滅びた古代文明の遺跡のようだった。もしかしたらあと数百年後にはそうなるのかもしれない、そう感じ取れるほどうそ寒い光景だ。
「しまったな。エピティが余計なことを言うから」
「お前が先に言ったんだろう! これだから高所恐怖症の男は……」
「おい! 高所恐怖症は関係ないだろ!」
『ケンカはやめてー!』
マチェーラの悲鳴が響くと、やっと二人は口を閉じた。
「まったく、シュミットが一言多い」
「それはお前だ……しかしまいったな。位置が分からないぞ」
ドッグの街は寂れている。夜になっても明かりを灯す家は少ない。かつては整備されていた街灯も、すべて光が消えている。
それでもこの街に慣れた二人なら、問題なく歩くことができた。しかし今二人がいるのは、街の上空だ。これまで見た事が無い景色であり、自分の位置が街のどこなのかわからなかった。普段の街中を歩くのとは勝手が違っている。
昼間であれば問題ないのだろうが、現在は夜だ。二人は周囲を見回すが、星明りだけでは暗すぎる。
「ううむ……視点が変わるとここまで分からなくなるのか」
エピティがうなる。同じくシュミットも難しい顔をしていた。
「夜目はいいはずなんだがな」
発掘師という地下に潜る仕事をしているため、自然に目は鍛えられていた。
なんとかわかる建物はないかと目を凝らすシュミットに、マチェーラが助け舟をだした。
『私がなんとかするよ』
「なに?」
すると一瞬で景色が切り替わった。
黒く塗りつぶされていたものが、淡く緑色に染まっている。その中で建物の形が黒く浮き上がって見えていた。
「これは」
『暗視モードっていうみたいだよ。弱い光を強くして、暗くても見えるようにしてるんだ』
鮮明に見えるとはいえないが、それでも先程までの何も見えない状態よりずいぶんましだ。建物だけでなく、通りを歩く人間や野良犬といった姿もわかる。
「これはすごいぞ」
シュミットはこの機能の素晴らしさを直感する。
地下に潜っているときに一番気をつけなければならないのは、暗闇からの奇襲だ。松明の炎では光は弱く、遠くまで照らすことは不可能だった。しかしこの機能があればより遠くまで、そしてよりはっきりと暗闇を見通すことができる。これでかなりの危険回避が可能になるだろう。
そこまで考えたところで気付く。マチェーラの大きさでは縦穴に潜ることができないことに。思わずため息が漏れた。
「無理か……もっと小さかったらなあ」
『どうしたの?』
「いや、この機能があれば楽に潜ることができると思ったんだが。この大きさだとどうやっても無理だと気付いたんだよ」
ノームの縦穴自体の大きさは大きいが、その側壁のい横穴は人が通れる程度の大きさしか無い。広くても四、五人が並べるほどだ。天井も低い。
『あっ。それだったら』
何かに気付いた様子のマチェーラ。その声を聞いたシュミットは目を向ける。といってもマチェーラの中にいるのだから、どこを向いてもそちらへ向くことになる。ただマチェーラの声がやや視線を落とした前方から聞こえてくるので、自然とマチェーラと会話するときにはそこへ目を向けるようになっていた。
そのとき淡く緑に輝いていた視界が急に黒く塗りつぶされた。と同時に金属に囲まれ、光るパネルが並ぶ最初に見た操縦席へと変化する。
二人が戸惑っていると、暗い操縦席が急に明るくなった。思わず目を閉じる。数秒後、光に慣れてから目を開けた。
「何をするんだマチェーラ!」
「うう、まぶしかったぞ」
『ご、ごめん。こうしないと説明できないから。シートの下を見て。えっと左じゃなくて右のほう。そこに小さい扉があると思うんだけど』
シュミットとエピティは座っているシートの下をのぞきこむ。狭い操縦席で苦労しながら体を曲げると、そこには確かに小さな扉らしきものがあった。見たことが無い文字が小さく書かれている。指をかけるためのへこみがあった。
『そこを開けて見て』
へこみに指をかけて引くと、固かったがパカンと音をたてて開いた。影になっていて中身がわからないため、手を入れて探る。
『中に袋が入っているのがわかる? それを出して』
「これか? 見た事が無い形の袋だな」
引っぱり出したのは、くすんだ緑か砂色に近い四角形の袋。それに幅広のベルトがついている。体に固定するためのものだ。破れやほころび、汚れといったものは無く新品同様だった。
「かなり丈夫な布でできてるな。この金属の飾りはなんだ?」
「何だこの縫い目の細かさは! 私は貴族の人間だからな、それなりの職人が作った服をいくつも見ているが、こんな素晴らしい縫い目を見たことが無い」
シュミットはベルトを繋ぐための金具や、ファスナーを触ってはその感触を確かめる。エピティはそのきめ細かな縫い目に驚愕していた。
『それは緊急脱出時物資で、中を見て。今シュミットが触ってる金具を横に動かしてみて。うん、それで開くから。エピティもその歯みたいに並んでる金具についてる、そうそれを動かして。開いたら中身を出してね』
シュミットは乱暴にひざの上に袋の中身を落とす。これまた見た事が無い物がいくつも出てくる。その一つを手に取った。
それは薄い膨らんだ長方形の袋だ。手の平程度の大きさで、液体が入っている。透明で滑らかな表面のそれは確実に布や動物の皮といった素材ではあり得ない。理解不能な文字が書かれているそれを、薄気味悪そうにシュミットは見る。
「なんだこの箱は? 鉄製?」
エピティが手に取ったのは、角が丸い金属製の立方体だ。くすんだ銀色で、これにも文字が書いてあった。指先で叩くと中にはみっしりと物が入っているようで、音は鈍い。
しげしげとエピティが観察していると、指がかけられるような円形の部分があることに気付いた。折り畳まれているそれに指をかけて引いてみる。すると金属製の箱の表面がペリペリと剥がれた。見た目より金属は薄く紙のようだった。
「これは?」
中に入っていたのは赤茶色のペースト状の物だ。そこからなんとも食欲をさそう良い香りがする。思わずエピティは鼻を鳴らし、口の中に唾液が出てきた。
そこで空腹を自覚したエピティは、どろどろした物体に指を突き入れると、すくったそれを口に入れた。その目が大きく開く。
「う、うまいっ!」
叫び声をあげるエピティ。それに驚いたシュミットは、もっていた袋を落とした。
「ど、どうしたんだ?」
「シュミット、こんな美味いものは初めて食べたぞ! たぶん肉だな。どろどろにつぶした肉に塩と香辛料、それとよくわからないが、とにかく美味い! たまらん!」
貴族とは思えない行儀の悪さで、手でつかんではそれを口へ運び続ける。手に持てる大きさのそれは、あっという間に無くなってしまった。
「ああ……無くなってしまった……」
こころから残念そうに、空になった箱を見つめるエピティ。このまま箱にこびりついた汁を舌で舐め取りそうだ。
「食い物があったのか?」
『ああ、食べちゃった……』
「ん? 何かまずかったのか?」
そう言うエピティの手は、まだ未開封の箱をつかんでいる。
『それは保存用の食料だから……だけど、大丈夫かな……?』
心配そうなマチェーラの声に、シュミットはその理由に気付き、ああと手を叩く。
「マチェーラの中にずっとあったんだからな。精霊遺物と同じ時代に作られたものか……」
その言葉に込められた不穏さに気付き、二つ目を開けようとしていたエピティの手が止まる。
「つまり、どういうことだ?」
「……その食い物は、少なくとも千年以上昔のものだってことだ」
重々しいシュミットの声。真顔になったエピティはそっと持っている箱を袋へ戻した。
「……なんだか急に腹が痛くなった気がする……」
「そうか。じゃあゆっくりと移動するか」
「やめろ! 早く、早く行けっ! も、もらしたらどうするんだ!」
『キャー! 私の中でそれはやめてー!』
女性二人の悲鳴が響く中、シュミットは移動を開始した。
マチェーラの暗視機能のおかげもあり、移動はスムーズだった。
『あれが?』
「ああ。あそこがこの街の領主であり、エピティの上司、そして俺のお得意様でもある人の屋敷だよ」
それはドッグの街で一番大きな敷地を持つ場所だった。頑丈な鉄製の柵に囲まれた屋敷はかなり大きい。目立つ屋敷より小さいが、その他に建物がいくつかある。それだけ建物があるというのに、かなり広い庭も存在していた。
シュミットはその庭にゆっくりとマチェーラを降下させる。
「着いたぞ」
「は、早く開けてくれ」
固定ベルトをすでに外したエピティが、青い顔で腹を押さえていた。
『う、うん』
二つの操縦席の天井が同時に上がっていく。それがすべて開ききる前に、エピティは素早く外へ飛び出した。
「わああああっ!」
叫びながら屋敷へと駆け込んでいくエピティ。遠くなるその声に、シュミットはくつくつと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふはは。いい気味だ」
『大丈夫かな……』
心配するマチェーラを鼻で笑う。
「心配するだけ無駄だ。あいつの体は無駄に頑丈だからな。少々腐ったものを食べたぐらいじゃ死にはしないさ。逆にいい薬なんじゃないか?」
『ひどい……』
「それより、さっき何か言いかけてなかったか?」
『それは……さっき袋から出した物をもう一度出して。その中に、こう頭にかぶれて、丸い筒が二つあるやつがあると思うんだけど』
「これか?」
それは名状しがたい物体だった。短い筒が二本突き出している。それによく分からない部品がいくつもついていて、全体的に横幅がありそれなりの重さがあった。それに黒いベルトが繋がっている。それの数本が組み合わされ、頭にかぶれるような形になっていた。
「一体何なんだこいつは?」
『それは暗視装置で、それを使えばさっきみたいに暗くてもよく見えるようになるんだよ』
「本当か!」
シュミットは驚くと、その表情を笑顔に変えて暗視装置をさっそく装着しようとする。
「どうやるんだ?」
『まずはそのベルトを頭に……そうじゃなくて、筒がある場所を目の部分に当てて……落ちないようにベルトで締め付けて、調整の仕方は……うん、これでできた』
「何も見えないぞ」
暗視装置を装着したシュミットは周囲を見回すが、真っ暗で何も見えない。
『まだスイッチを入れてないからだよ。右側にあるからそれを押して』
「これか?」
シュミットは手探りでそれらしき物を見つけると、指先でぐっと押し込む。すると視界が一気に開けた。マチェーラに乗っていたときと同じ、淡い緑と黒で縁取られた世界だ。
「こいつは最高だな」
口元に笑みが浮かぶ。
『その機能を止めたいときは、さっきのスイッチをもう一度押せばいいよ』
「なるほどな。これはずっと使えるのか?」
『えっと……使い続けてるとダメみたい。どのぐらいかは、ちょっとわからないよ』
「ふうん。これと同じような物か」
シュミットは自分の胸に装着している精霊遺物を触る。それは明るい光を照射する物だが、いつまでも使えるわけではない。燃料として精霊石を使用するのだ。それが切れると光も消える。それでも松明や油ランプより長く使えるので、シュミットは重宝している。
暗視装置を身につけたシュミットは立ち上がり、操縦席から周囲を見回す。浮かび上がる景色に、ひときわ明るいものが見えた。白く塗りつぶされた影はこちらへと近づいてくる。
「誰だ?」
「シュミット様ですか?」
しわがれた老人の声。しかしそれに弱々しい雰囲気は無い。
「バルノさんか」
暗視装置を外すと、そこにいたのは手にランプを持った一人の老人だった。髪の毛は白く、立派な口ひげも白い。しわがいくつも見え、たれたまぶたで目はほとんど見えなかった。高齢の顔からは想像できないほど、一部の隙も無く執事服を着こなした姿は、一本の棒の様に真っ直ぐ立っている。
「いやはや、突然巨大な影が庭に現れたと思ったら、エピティ様が駆け込んできまして。何事かと思い外に出てみれば、これは一体なんですかな?」
片目を微かに見開きながら、バルノはマチェーラの巨体をしげしげと観察する。
「これはまあ、何と言うか、精霊遺物だな」
「なんと! こんな大きなものを掘り当てたのですか。はて、これはたしかに素晴らしいことですが、どうやってこれを運んで来たのですかな? 屋敷の門は閉めていましたので、開けたならばわかるはずですが……」
「門は通らなかったんだ」
「では、どうやってですかな?」
シュミットは無言で空を指差す。バルノの眉がピクリと上がった。
「上、ですか?」
「ああ。コレで空を飛んできた」
シュミットはマチェーラを手も平で叩いて言った。バルノは疑わしげにシュミットを見る。それに肩をすくめた。
「まあ信じられないのもわかるけどさ。マチェーラ、階段を出してくれ」
『うん』
ひとりでにマチェーラの一部が変形し、階段となる光景を見てバルノは小さく口を開けた。長い付き合いでもあるバルノがそんな驚きの顔を見せるのは初めてだったので、シュミットは思わず小さく笑った。
シュミットは軽快に階段を下りてバルノの前に立つ。
「すごいだろ。これだけじゃない。マチェーラ、この人はバルノさん。この屋敷で執事をしてる。自己紹介してみろ」
『えっ、うん。あの……はじめまして、マチェーラです』
少し口の開きが大きくなったが、それだけでバルノは平静に戻る。穏やかな笑みを浮かべると優雅に頭を下げた。
「これはご丁寧に。私は紹介の通り、バルノと申します。この屋敷の主人にお仕えする執事をやっております。どうぞよろしくお願いいたします」
『あ、は、はい。よ、よろしくおねがいします!』
丁寧な言葉にマチェーラは焦りながらそう答える。みっともない様子を嘲笑するわけではない、心からの笑顔をバルノは浮かべた。
「この方、でいいのですかな? これはどういったことなのでしょうか?」
「説明が難しいんだが、とりあえずこいつは喋る精霊遺物って思ってくれ」
なるほど、と頷くバルノ。普通ならこんな不気味なものを前にすればうろたえそうなものだが、有能な執事であるバルノはこの程度では動じない。
「では、どうしてそのマチェーラ様をこちらへ連れてきたのですかな?」
「こんな大きなものを置いておける場所が無いからだな。ここならいくらか安全だろうし」
「確かに。ではそうですな……使っていない厩舎がありますからそこにしましょう。屋根もありますし、広さも問題ないでしょう。少しにおいがしますが……」
目線でバルノが伺いをたてる。
『だ、大丈夫。においは分からないから』
その言葉にシュミットは振り向く。
「お前は声が聞こえて目も見えるのに、においは分からないのか」
『うん』
「……最初からだが、理解できないものだなお前は」
『そんな言い方しないでよ』
「ほほ。仲が良いですな」
その言葉に力が抜けるシュミット。
「とりあえずその厩舎まで行こう。案内してくれバルノさん」
「わかりました。こちらです」
バルノはランプを片手に歩き始める。
「行くぞ、マチェーラ」
マチェーラは静かに地面から浮かび上がる。それを確認したシュミットはバルノの後に続いて歩く。それに合わせてマチェーラも音も無く空を滑り進む。
それを首を後ろに向けてみたバルノは、ほうと感嘆の息をつく。
「これは素晴らしい。本当に空を飛べるのですな」
「よかったら今度空を一緒に飛んでみるか?」
「ほほ。それは楽しみです」
『シュミットは平気なの? 高い場所が怖いのに?』
「うるさい! 余計なことを言うな」
楽しそうなバルノの声が聞こえた。
「これが厩舎です」
厩舎は木造製でかなり大きい。屋根の高さは十メントを超えている。
馬房の数は二十はあるだろう。中心の広い通路の左右に並んでいた。しかし、そこに馬の姿は一頭も無い。長い間使われていないらしく、臭いは気にしなければわからない程度に微かだ。
「古いですが造りは頑丈です。最低限の手入れはしていますので支障はないかと」
「広いな」
厩舎中心を貫く通路は、マチェーラが収まるだけの広さがあった。
「よし。とりあえずマチェーラはここでいいな。ありがとなバルノさん」
「いえいえ。シュミット様はお帰りに?」
「今日はいろいろあって疲れたからな。さっさと帰って寝たい……」
鎧持ちとの戦闘や、マチェーラとともに雲の上まで行ったことを思い出し、疲れた顔でため息をつく。あまりにも起きたことが多すぎた。とにかく落ち着きたい。
シュミットが背中を向けて去ろうとすると、マチェーラが呼び止めた。
『ねえ、どこ行くの?』
「家に帰るんだよ」
『だったら私もいっしょに行くよ』
シュミットは呆れた顔で振り向く。
「はあ? 何言ってるんだ」
『私がシュミットから離れると動けないこと覚えてる?』
「俺の家は街中にあるんだよ。お前が通れるような道も、お前が入れるような広い部屋も無い。ここにいろ」
『そ、そんな』
「お前、ここに何か文句があるのか」
『そうじゃないけど……ひとりだと寂しいし……』
後半の声は小さく聞き取れなかった。
「とにかく、今日はここにいろ。明日になったらまた来るから。じゃあな」
『う、うん。また明日』
ひらひらと手を振って歩き去るシュミットに続き、バルノも一礼するとそれを追う。
「お送りしましょう」
「いいよ、勝手に出て行くから」
「門を閉めていますので、私が開けませんと出られませんよ?」
「……だったら頼むよ」
ばつが悪そうに口元を歪めるシュミットに、バルノは柔和に微笑む。
「ところで、その手に持っている物は何ですかな? 見たことも無いものですが、それも精霊遺物ですかな」
バルノはシュミットが片手に持つ暗視装置へ目を向けた。
「ああ。これを使えば暗闇でも昼間のように見えるんだ」
「それはすごい」
シュミットは暗視装置を顔に装着する。二回目なので最初のときよりは素早く装着できた。
「どうだ」
顔のほとんどを奇妙な装置に覆われた姿を見たバルノは、神妙な顔になって言った。
「その姿で暗い街中を歩くのはやめたほうがいいでしょう。誰かが暗がりでその顔を見れば悲鳴を上げて逃げるか、化け物かと思って襲いかかってくるでしょうな」
無言で暗視装置を外すシュミットを見ながらバルノは静かに笑った。
一夜明け、自宅へ帰ると倒れるようにベッドで眠りに落ちたシュミットが起きたのは、いつもよりかなり遅い時間だった。高い位置の太陽の光に目を擦る。
「ふぁーあ……」
干し肉とチーズで朝食にする。どちらも安物で味気ないものだが、保存がきくのでシュミットはこれをよく買っていた。
まだ疲れが残っている感覚を覚えながら、シュミットは荷物を背負い家を出る。彼の家は表通りから離れた、古い家が並ぶ路地裏の小さなものだった。家の前の道は人が一人通れるぐらいの幅しか無い。周囲の家のなかには岩壁が崩れて、中が覗けるようになってしまったものもある。
シュミットがなぜこんな場所に住んでいるのかと言えば、金が無いからだ。街の中で家を買おうと思えばとんでもない金がかかる。なので大概の人間は借家に住む。
だからといってシュミットのように小さいながらも一軒家を借りれば、部屋を借りるより高くなるのが普通だ。しかしこの家の持ち主はシュミットの知り合いであるため、タダ同然の価格で借りていた。
シュミットの家から昨晩マチェーラを預けた屋敷までは近く、少し歩けば到着する。
屋敷の敷地は高い金属製の柵で囲まれている。そしてその柵よりも大きく立派な大扉が鎮座していた。
その前に立っていると、やがて置くの屋敷から人が歩いてくる。使用人の中年女性だ。顔も体もふくよかで丸いが肥満体という見た目ではない。女性はシュミットの顔を確認すると扉を開けた。
「どうぞお入りください。バルノより承っています」
「いつも悪いね」
軽いシュミットの言葉に、女性は丁寧におじぎをかえす。
扉からは真っ直ぐ屋敷向かって石畳が敷かれている。しかし石は割れたり欠けたりしている場所が目立つ。広い庭も丁寧に管理すれば美しい景観なのだろうが、生垣は手入れがされず枝が伸び、花壇には雑草が緑を増やしていた。
それらは見慣れた光景なので目を向けることなくシュミットは歩く。そのまま屋敷に向かうのかと思われたが途中で曲がり、マチェーラがいる厩舎へと向かった。
「おーい、マチェーラ」
『あ、シュミット』
厩舎の中にマチェーラはしっかり鎮座していた。シュミットはそれに手を上げてみせる。
「よく眠れたか」
『う、うん。でもここは暗くて一人じゃ怖かったよ……』
「ははっ。泥棒でも幽霊でも、お前の姿を見たら逃げ出すさ」
『もうっ! シュミットはひどいよ。近くにいてくれないと、なにかあったとき動けないんだからね』
「悪かった悪かった」
マチェーラの言葉を聞き流しながら、昨日回収し忘れたロープで縛った荷物を外す。
「マチェーラ、操縦席を開けてくれ」
操縦席が開くと、シュミットはそこから昨日中に忘れていた自分の武器を回収した。思わず安心して息をはく。普段なら絶対これを忘れることなどありえないが、様々なことがありすぎてそこまで気が回らなかったのだ。
『それって何なの? ずいぶん大事そうにしてるけど』
「これは俺の相棒の武器だ」
『武器?』
マチェーラは不思議そうな声をだす。それは武器と言われても見た目がただの棒だったからだ。先端に穂先が無いので槍ではない。棒の横に取っ手らしきものがあるが、それにどういう意味があるかわからなかった。
「まあ見た目からは武器に見えないかもしれないが、これは精霊遺物だからな」
『えっ、そうなんだ』
「ただの精霊遺物じゃないぞ。俺が改造して武器にしたんだ」
そう言って自慢げにそれを眺める。
『それってどんな武器なの』
「この穴が空いた筒の中には、動く棒がある。取っ手の部分にあるこの突起を指で引くと、その棒が高速で移動する。その勢いを利用して筒の中に入れた物を飛ばすんだ。原理としてはボウガンや弓と同じだな」
『じゃあ矢を飛ばすの』
「いいや。これを使う」
シュミットは腰につけたポーチから何かを取り出した。大きさは手の平に握れるぐらい。円筒形で金属製だ。その先端に赤く輝く石がはめ込まれていた。
「この先についてるのは火の精霊石だ。これが当たると爆発する」
『爆発! なんで矢じゃなくてそれを使うの?』
「矢だと邪精霊にはほとんど効果が無いからな。とは言っても、鎧持ちや甲羅に覆われているようなやつにだと矢とほとんど威力は変わらない。だから目や口みたいな弱いところを狙わなきゃいけないんだけどな」
そう言いながらシュミットは手に持った武器を様々な角度から確認して、傷や故障がないかどうか点検している。その目は真剣だった。それが命を預ける相棒だという言葉が感じられる手つきだ。
「よし。本格的な点検は家に帰ってからだな。今日はもう潜る気は無いし」
「……シュミット」
背後から低くかすれた声が聞こえた。振り向くと、そこにはやつれた顔をしたエピティの姿があった。常に生気があふれている姿からは想像できない状態に、シュミットは驚く。
「どうしたんだエピティ。ひどい顔だぞ?」
「昨日、あれを食べた後から調子が悪くてな……ウップ……頭も痛い……」
「食あたりか。あんな何千年も昔の食い物をたべるからだ。食い意地が張りすぎなんだよ。これからは無闇に拾い食いをするのはやめるんだな」
冷たいシュミットの言葉に、エピティはうめき声を漏らす。
「おはようございますシュミット様」
いつの間にか執事のバルノが厩舎の中にいた。気配も足音もしなかったが、これはいつものことなのでシュミットもエピティも気にしない。
「勝手に入らせてもらったけど、いいよなバルノさん」
「ええ、シュミット様ですから。ところで、アスプロ様のことですが……」
「まだ帰ってないんだろ。いつごろになりそうだ?」
「さあ? アスプロ様のことですから……おそらくあと数日中には帰ってこられると思いますが。精確な日までは……」
シュミットは肩をすくめる。
「いつものことか。まあ時間があれば、それだけこいつについて調べることができるからな。それでしばらくはこの場所で作業したいんだが、許可してくれないか?」
そう聞くとバルノは鷹揚に頷き「ええ、存分にお使いください」と言い残して去って行った。伸びた背筋が揺れることなく歩き去り、やはり足音はしなかった。
「よし。許可ももらったし、はじめるか」
『はじめるって、何をするの?』
シュミットは手の平でマチェーラを叩き、口元を歪めた。
「お前を隅々まで調べるのさ」