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「は?」

 シュミットは思わず間抜けな声をだした。

 目を瞬かせて何度も確認するが、そこにはさっきまであった邪精霊の巨体は存在せず、あるのは少しえぐれた地面だけ。そこからあの光の温度を教えてくれる煙が細く立ち上っていた。

「ん? 邪精霊はどこにいったのだ。光ったと思ったらいないぞ」

「……マチェーラ、邪精霊はどうなったんだ」

『敵性反応消滅。私の攻撃で消えちゃったみたい……』

「はは……」

 思わず乾いた笑いが漏れる。

 あの邪精霊は鎧持ちの中でも強い部類に入るものだ。普通の精霊術師ならば十人以上は必要になるだろう。

 それをたった一撃の攻撃で、しかも跡形も無く消し去るとは、マーリン級の大精霊術師までいかなくとも、その下のマギテクニ級の最上位程度の力が無ければ無理なことだ。

「なんてもの見つけたんだ」

 発見される精霊遺物はほとんど破壊されているものがほとんどだ。使用可能なものは小型の物が多く、武器のたぐいもそこまで威力が無いものが多い。

 その分ほとんど無い大きな精霊遺物はその実用性は非常に高い。あの国はこんなすごい精霊遺物を隠している、なんていう噂はどこでも聞く。

 このマチェーラは、国家機密ほどの精霊遺物かもしれない。その事実にシュミットの体が震えた。

「よくわからないが、つまりはマチェーラが倒したということでいいんだな。良くやったぞ。よし、撫でてやろう」

『あ、ありがとう……』

 思考制御用パネルをせっせと撫でるエピティに、マチェーラはどう反応していいのかわからず、平坦な声で礼を言うしかなかった。

「とりあえず邪精霊も倒したし、行くか」

『うん』

 マチェーラは上昇をはじめた。その速度は遅く、人間が歩くよりも遅いかもしれない。

「もっと速く動かないのかマチェーラ?」

『私じゃなくてシュミットがこの速さで動かしてるんだよ』

「おい、シュミット。もっと速くするんだ」

「うるさい、黙ってろ」

 そう返す声は微かに震えていた。シュミットの顔には汗が浮かんでいる。

 今の彼は恐怖と必死に戦っていた。たしかに上昇する速度が遅いことには気付いている。しかしあの空の高さまで上ることを思うと、どうしても恐怖が先にくるのだ。

 足元が見ていることも恐怖を加速する。徐々に高くなってくる景色に合わせて脈拍が速くなった。まだ地面とマチェーラの距離は五メントほどだ。生えている周囲の木の高さの半分以下である。この程度でそんな状態ならば、この先どうなるか目に見えていた。

 それでも時間をかけてシュミットは木の上までマチェーラを上昇させた。

「おおっ! 本当に飛んでるぞ!」

 木のすぐ上なので遠くまで見渡せるような景色ではない。それでもエピティにとっては感動できる景色だった。

 エピティは自分の足元の景色を見て歓声をあげる。

「本当に地面についていないのだな。鳥とはこんな気持ちなのか」

 ついと上を見上げると、高く翼を広げて飛ぶ鳥の姿が見えた。

「おいシュミット。あの鳥がいる場所まで上がろう。そして一緒に飛ぶんだ。きっと楽しいぞ!」

 しかしシュミットから返事は無い。そのことに首をかしげる。

「どうしたんだ?」

「…………」

 シュミットからの返事は無い。今の彼はそんな状態では無かったのだ。湧き上がる恐怖を押さえ込むことに必死だった。顔色は青く、だらだらと冷や汗が顔を流れる。

 浮かんでいる高さは、マチェーラが木の先端に触れそうなほど近い。

 ここは周囲に連なる山々の中ほどなので、それなりに景色は良かった。下っていく木々に覆われた斜面が続いている。後ろに振り返れば天へ伸びる山の頂上が見えるだろう。

 すぐ下は木が葉を広げていて、高い場所にいるという感覚は無い。だというのにシュミットはこれ以上空高くまで上昇することができなかった。

「聞こえているのかシュミット。もっと高く上がるんだ」

「これ以上高くなんて無理だ!」

 体を冷たくさせるこの恐怖など知らないエピティの言葉に叫び返すシュミット。

「なぜだ。もっと高くまで行けるだろ、マチェーラ?」

『うん。大丈夫だけど、シュミットがここまでしか上昇させてないから……』

「そうか。シュミット、怖いのか」

「……ああ、怖いさ。お前もあの高さまで飛んでみろ。足がすくんで何もできなくなるぞ」

 確かな恐怖がこもった言葉に、エピティは明るく答えた。

「それはないと確信できるな。なにしろあの空へ行けると思ったら、体が宙に浮きそうなほど楽しみでたまらないからな。いや、すでに浮いていたな。これは面白い」

 あっはっは、と笑い声をあげる。その声に自分を挑発するものが含まれていることを感じ取り、シュミットの顔が引きつる。

「言ったな……だったら、どうなるか試してやるよ」

 エピティの顔が、してやったりと笑顔になる。

「ああ、やってみろ。ただし、シュミットにできるならな」

 シュミットは歯を噛み鳴らすと、パネルを掴む手にさらなる力が入る。強く掴みすぎて震えていた。唇は引き結ばれ、目は血走っている。

 その表情を心配するマチェーラが声をかける。

『ほ、本当に大丈夫? 無理しなくてもいいよ……?』

 そんなマチェーラの声が聞こえていないのか、シュミットはじっと前を睨みながら、ぶつぶつと何事かをつぶやいている。

『シュミット?』

「やってやる、ああ、やってやるよ……」

 本来ならこの程度の言葉に惑わされるシュミットではない。ただ高い場所にいるという恐怖のせいで、自分の精神状態のコントロールができていなかった。エピティとこの程度のやり取りは日常茶飯事であり、普段はシュミットがほとんど無視している。

 カッと目を見開くと、シュミットは頭上にある青い空を見上げた。

「うおおおおおっ!」

『わっ』

「おおっ?」

 急激な上昇と体を押し付けられる負荷。最初にシュミットを乗せて上昇したときの何倍もの速度で、マチェーラは空へと向かっていく。

 数秒でエピティが見ていた鳥と同じ高さに到着した。その鳥は急激に近づいてくる、見たことも無い巨大な物体に恐れをなし、警戒の鳴き声をあげながら大きく進路を変えた。その横を通りすぎ、さらなる高さへと向かう。

「おおおっ」

 戸惑い混じりの歓声をエピティはこぼす。すでに自分達がさっきまでいた山ははるか低く、地の果てまで見渡せそうな高さだ。

「すごいなこれは、想像以上だ!」

 雄大な景色に嬉しそうなエピティ。彼女は本当に高い場所に恐怖を感じないようだった。

 それとは逆にシュミットの顔は強張っていた。無理矢理に恐怖を押し込めているため、どこか銅像のような雰囲気を放っている。その顔を流れる汗が、彼が人間であると証明していた。その両目はただ空の一点を凝視している。

『本当にだ、大丈夫なの、シュミット?』

 マチェーラの声は届かない。聞こえないのではなく、それに反応するだけの余裕が無いのだ。恐怖を精神力で抑え込んだシュミットは、ただ上へ向かうこと、ただそれだけを一心に念じていた。

 そしてその高度は、ついに雲を越えた。

「おお! 雲より高いぞ! ん、止まったな」

『ここが限界高度みたい。これ以上は行けないよ』

 雲の上の光景は神秘的だった。

 頭上には雲ひとつ無い青。足元を白い雲が流れていく。周辺に雲は少ないが、遠くには雲でできた絨毯が広がっている。雄々しく屹立している入道雲も見えた。

「なんという景色だ……」

『すごいね……』

 エピティとマチェーラは感嘆の息を漏らす。

 ここは誰も見たことが景色だ。まるでおとぎ話か神話の一場面のような景色に、胸を突かれない人間はいないだろう。が、ここにその例外がいた。

 シュミットの顔が白い。蝋のようなその色は、彼を非人間的にさせていた。乾いた唇はひび割れてしまいそうだ。

『どうしたの?』

 唇を震わせるシュミットに気付いたマチェーラが、怪訝そうに問いかける。そこでシュミットの限界が訪れた。

「うわああああっ!」

『きゃっ』

「おおお?」

 急激に変化する視界。白く染まったかと思った瞬間には、地上の景色へと変わる。雲を突き抜けて下降したのだ。

 その速度は上昇よりも速い。重力があるので道理だろう。みるみる木々が立ち並ぶ山が近づいている。

『お、落ち着いてシュミット!』

 悲鳴混じりの声はシュミットに届かない。彼の目はただ地上を向いている。

「戻るんだ、下に、地面があるところに……!」

「もう戻るのか。ただ上にあがっただけじゃないか。これでは全然空を飛んだとは言えないぞ。まあ、あの景色は素晴らしかったが」

 雲の上の光景を思い出し、満足そうに頷くエピティ。すると何かに気付く。

「このままの速さで下りていって大丈夫なのか?」

 急激に下がる高度。マチェーラの降下スピードは弓矢よりも速い。

『だ、ダメっ、シュミット! もっと速度を落として! このままじゃぶつかっちゃう!』

「マチェーラがどうにかできないのか?」

『シュミットが動かしてるから、私で勝手に止めるのは無理なの! お願い、シュミット』

 シュミットは一秒でも早く地面へたどり着きたかった。それ以外なにも考えられない。どんどん大きくなる地上の姿に安堵する。

「もうすぐ地上だ……」

 その瞬間、シュミットを乗せたマチェーラは木々へ激突した。重力による加速も手伝ったそのスピードは、容易く太い木々をへし折り、その速度をいくらか殺しながらマチェーラは山へめり込んだ。

 そこは山の斜面で、真っ直ぐに落ちてきたシュミットはそこの土を吹き飛ばす。巻き上がる土砂と石。土煙が晴れると、そこには最初に見たときと同じ様に土に埋もれたマチェーラの姿があった。その周囲を囲むように土が盛り上がり、折れた木々が散乱している。

「ううむ……たしかにこのベルトは必要だな。これが無ければ放り出されていただろう」

 墜落の衝撃でふらつく頭を押さえながら、エピティは言う。

「マチェーラは大丈夫なのか。かなり激しくぶつかったみたいだが」

『私は大丈夫……うん、どこも壊れてないよ』

「それは良かった。頑丈なのだな……ところでシュミットは?」

 操縦席の中でシュミットは力なく体を投げ出していた。力なく体を折り曲げている姿は死んでいるかのようだ。しかし死んではいない。下を向いた顔からは、小さく声が聞こえている。

「帰ってきた、帰ってきた、帰ってきた……」

 シュミットは空に対して大きな心の傷を抱えてしまったようだ。その声がしばらく途切れることはなかった。


 シュミットが落ち着きを取り戻したころには、すでに夕方となってしまっていた。太陽が西の山へ触れている。

「まったく、時間を無駄にした。軟弱だぞシュミット」

「……」

 いつもなら反論するところだが、今回は何も言えない。

 ただ無言でシュミットは制御パネルに触れる指に力を入れる。

「それで、本当に飛べるのかシュミット?」

「ああ、大丈夫だ」

「さっきみたいに落ちたりは無しだぞ」

『無理しないほうがいいと思うけど……』

 二人の心配そうな声に顔を引きつらせるシュミット。

「なに、あんな高さまでいかなけりゃいいだけだ。木の上まで出ればそれでいいんだ」

 緊張で硬い声。エピティはつい心配そうな表情になる。

「くそ、あのときエピティに登録させておけばよかった……」

『ごめん……』

「気にするなマチェーラ。全部あいつの自業自得だ』

 シュミットは大きく深呼吸。目を閉じて精神を落ち着かせる。

「よし、いくぞ!」

 威勢の良いかけ声とはかけ離れた、あまりにも襲い上昇速度だった。

「……シュミット、これは赤ん坊より遅いのではないか?」

「黙ってろ、集中できない」

「これでは街にたどり着くまで、どれだけ時間がかかるかわからないぞ……」

 たっぷりと時間をかけて木の上まで上昇すると、同じくゆっくりと前に動き始める。

 緩やかに下る斜面に並ぶ木に沿うように、シュミットは操縦する。

『あれがエピティたちが住んでるところなの』

「ああ。あれが私達の街、ドッグだ」

 その町はまだ遠くにあり、建物の詳細はわからない。山裾の平地にあるその街は、きれいな正四角形を形作っていた。

『四角なんだね』

「あれは四方を高い岩壁で囲っているんだ。外敵を防ぐためにな」

『敵って?』

「主に邪精霊だが、まあ人間相手でもあるな」

 マチェーラが驚きの声を出す。

『人が攻めてくるの? もしかして戦争してたり……』

 エピティは安心しろと笑う。

「今はもう誰も攻めて来ないだろう。その理由が無いからな」

『どうして?』

 弾む二人の会話にシュミットは混ざらない。彼はマチェーラを操縦することに集中しているからだ。充血した目は、すぐ足元の木と前を交互に細かく何度も確認する。

 氷の上を歩くような慎重さで進ませる。赤子の這うより速いが、子供の歩くぐらいの速度でしか無い。宙に浮かんでいるので地形に影響はされないが、それでも山道に慣れているシュミットたちが歩くのより遅かった。

「うるさいぞ」

「だったら早く街まで行くんだな。退屈でしょうがないんだ」

 シュミットがあまりに遅く動かすものだから、エピティは退屈でしょうがなかった。自分の足で歩くわけではなく、またマチェーラを操縦できるわけでも無いので、ただじっと座っている事しかできないからだ。

 なので記憶を失っているため見るものが珍しいマチェーラを話し相手にすることになった。最初は集中できないと怒っていたシュミットだったが、退屈で仕方ないエピティと同じく退屈なマチェーラは黙ったと思ったらまた話をはじめる。

 止めさせようにも自分が進む速度を上げられないのが原因でもあるので強く言えず、ただ唇を噛みしめるしかなかった。

「ええと、何を話していたか。ああ、なぜドッグの街に攻めてこないかだったな。それはだな、もうこの街にうま味が無いからだ。シュミットが発掘師をしているというのは説明したな」

『うん』

「発掘師は精霊遺物を見つけてそれを売る。ものによっては一攫千金の代物だ。それを狙って昔は多くの発掘師たちがここに集まってきていた」

 精霊遺物は地中深く埋まっている物が多い。

 太古に繁栄していた古代精霊期のものが、長い年月の果てに深く地中へと紛れてしまったからだ。

 その性質上、精霊遺物が見つかることは少ない。鉱山の発掘をしていたときに偶然見つかったり、古文書や言い伝えを頼りに発掘師が未踏の地へ分け入り、数々の苦労の果てに見つける。

「発掘師の仕事は過酷だ。山や森の奥には、強力な邪精霊が多くいる。さらに野生動物も。道なき道を行くのは並大抵の苦労ではない。やっと見つけたと思ったら壊れていて使い物にならない精霊遺物だったり、その残骸すら見つからないことが多い」

『じゃあ、どうしてここに発掘師の人たちが集まってきたの?』

「ここがそんな危険の少ない場所だったからだ」

 街から離れた場所にある、シュミットたちが潜っていた縦穴は【ノームの縦穴】と呼ばれている。ノームとは古代精霊期にいたとされる精霊種族だ。土の精霊術を使い、穴を掘って地中に暮らしていたとされる。

 真っ直ぐ底が見えないほど深いノームの縦穴は、その謂れもあり精霊遺物が眠る場所と言われていた。

「だからあの穴は百年以上も昔から、多くの発掘師たちが潜っていた。あまりにも分かりやすいからな、迷うことも無い。それにそこまで山深い場所では無いから移動がしやすい。その探索の容易さから発掘師が集まり、それを狙った商人達も集まり始め、やがてあのドッグの街ができあがった」

『そうなんだ。あれ、じゃあなんでその穴の近くに街を作らなかったの? そうしたほうがいろいろと便利だと思うけど』

「それはだな、あの場所が街づくりに向いていなかったからだ」

 この地方に広がる山脈の一部になぜか丸い空白があった。そこにノームの縦穴が存在する。その場所はなぜか植物が存在しない。あるのは土と石だけだ。

「なぜかそこは作物が育たない場所だったんだ。近くに川もなく、地面を掘っても水が無いので井戸も作れない。なのでそこに街を作るのを諦めたんだ。まあ、もっと大きな原因があるんだが、な」

『その原因って?』

「邪精霊さ」

 ノームの縦穴には無数の邪精霊が生息していた。浅い場所では普通の邪精霊しかいない。しかし少し深くまでいけば鎧持ちが多数現れる。

 邪精霊は一般人では抵抗できるはずも無い存在だ。鎧持ちとなると、精霊術師であっても実力がある物でなければ単独で倒すことは難しい。たとえ外に出てくることがまれだとしても、そんな存在がすぐ近くにいる場所で生活しようと思う人間はいなかった。

「そういうわけであの場所にドッグの街はできたんだ」

『なるほどー』

「四方を囲む壁は、野生動物や邪精霊から街を守るために作られた。それだけじゃなく当時は精霊遺物の発掘が盛んで、街はかなり潤っていたんだ。それを狙って犯罪者やら、他国の兵士、甘い汁を吸おうとする貴族とかだな」

『貴族って、この国の貴族が? 同じ国の人がどうして?』

「ああ。ドッグの街は自然発生的に作られた街だからな。そこを管理する領主がいなかったんだ。ここは隣の国のすぐ近くにある辺境だしな。昔は人一人住んでいなかったんだ」

 では誰が街を管理していたのかというと、発掘師たちと商人達だ。彼らによって作られた街なのだから当然だった。しかしそこで生み出される富は年々増加し、それに国と貴族が目をつけるのは必然だった。

 なかば独立した国となっていたドッグの町はそれに反発。最終的に国の軍と戦闘にまで発展した。しかしそれは小競り合い程度で終わり、国の監視役である人間を置き、いくらかの税を納めることで和解する。

「こうしてドッグの街は発展していったんだが……それはもう昔の話だ」

『どういうことなの?』

「それは自分の目で見ればいい」

 太陽はすでにほとんど姿を消し、あたりは薄い闇に包まれていた。

「なんとか夜までに到着できたみたいだな」

 いつの間にか山の斜面を下り終えていた。平地が広がり、その先にドッグの街が見えている。距離は近いのですぐに岩壁の近くまでたどり着いた。

「さて、どうやって中に入るか……」

 いくらか高さに慣れたようで、シュミットの声から硬さがとれている。とはいっても浮かんでいるのは街を囲む岩壁と同じ程度、十メントほどの高さだった。

 街を囲む正方形の壁には、それぞれの辺に門が存在する。大きな馬車がすれ違える幅があり、マチェーラが通ることができそうだ。しかし街の道幅が狭い場所もあり、街の中を通るのは無理だろう。

「やっぱり上からいくしかないか」

 シュミットは浮かぶ高さを上げる。岩壁に接触しないように十分な高さまで上昇させると、そのまま街の中へと進む。

『え? いいの、このまま入って?』

「まあ、大丈夫だろ」

「門番がいれば別だけど、どうせいないからな」

 シュミットたちを乗せたマチェーラは、街の建物の上をゆっくりと移動する。幾人かの人間や子供がそれを見つけるが、大騒ぎになるほどでもない。なぜならば、この広大な街の通りには人影がほとんど無かったからだ。

「この街を見てどう思う、マチェーラ」

『えっと、なんだか人が少ないなって』

「そうだ。ここにはもう人がいないんだ」

 この町の大きさならば、通りに人が溢れていてもいいはずだ。建物は壁の中に隙間が無いほど密集している。それだけの建物に人がいれば、常に祭りのような賑やかさだろう。

 しかし眼下に広がるのは寂しい光景だ。大通りである広い道に人影は存在せず、裏道や路地に一人二人歩く姿が見えるだけ。すでに夜になりかけていて夕食の準備に忙しいはずなのに、食事を煮炊きする煙は数えるほどしかなかった。

 このドッグの街は瀕死の状態だった。

『どうして人がいなくなったの?』

「縦穴から何も取れなくなったのさ」

 余裕が出てきたシュミットが会話に参加した。

「最初は縦穴の浅い場所でいくつも精霊遺物が掘り出せた。けど彫り続けていればやがて無くなる。そうすればさらに深く。また無くなればまた深く。それを続けていった結果、全て彫りつくしてしまったんだよ」

 実際はまだノームの縦穴の底まで行ったわけではない。しかし安全に掘れる限界までいってしまったのだ。

 その深さでは、鎧持ちの邪精霊が頻繁に出現する。強い精霊術師がいれば確かに倒せるが、狭い洞穴という場所ではどうしても戦闘も逃走も難しい。また暗闇ということで不意打ちされる事も多くなる。そして一度に戦うのが一体だけとは限らない。複数の鎧持ちと遭遇することになると絶望的だ。

 そうやって命の危険が増すと同時に、精霊遺物の発見率も下がっていった。危険とそれに対する報酬が釣り合わなくなったのだ。そうなると発掘師たちは見切りをつけ、新たな鉱脈を探しに街を出る。人が少なくなれば商人たちの売り上げも減少し、やがて街を出て行く。こうしてドッグの街は衰退し、今では瀕死の状態となっていた。

「そういうわけでここいるのは、どこにも行き場が無い人間と、もうどうしようもない老人だけになったのさ。ひどい場所だろ」

 口元を歪めるシュミット。

「たしかに人は少ないが、そこまで私は酷い場所だとは思わないぞ」

「それはお前が騎士だからだろ。国から給料もらってるんだからな。ここじゃあ仕事なんか無い。庶民は出て行くことができなけりゃ餓死するしかないんだからな」

『えっ、エピティって貴族なの!』

 驚くマチェーラ。シュミットは小さく苦笑する。

「見えないだろ。これが生粋のお嬢様なんだからな」

「うむ。私はエピティ・アダゴニス。イムダグノ王国の貴族、アダゴニス家の長女だ。そして王国の騎士をしている」

 自慢げに胸をそらすエピティ。

「たしかに騎士だな。たった一人の騎士団の」

 からかい混じりのシュミットの言葉に、見えないのにエピティは彼がいるだろう方向を向いて目を吊り上げる。

「一人だが、私は正式な騎士だ」

「その騎士が、どうして俺みたいな発掘師と一緒に縦穴へ潜ってるんだろうな」

「それは……」

 言葉に詰まるエピティ。

「仕方が無いだろう。ヒマなのだから」

 小さく笑うシュミット。その声が届きエピティは声を大きくする。

「私が暇なおかげでお前が助かっているだろう! 私がいなければ今日だって鎧持ちにやられていたはずだ。それにこのマチェーラも見つけられなかっただろう」

「確かにそうかもな。けど俺はべつに一人でもいいんだ。お前と会うまではずっと一人で潜ってからな。それに一緒に行くようになったのは、お前がヒマでしょうがないから連れて行ってくれって頼んだからだろ?」

 再び言葉に詰まるエピティ。それに畳み掛ける。

「騎士の仕事ってあんだったっけな? お前はドッグの町の騎士団に所属してる。その騎士団の仕事は?」

「……街の防衛と治安維持だ」

「街の防衛は敵が攻めてきたときだからな別にいい。で、治安維持は? そのためには街にいなきゃいけないはずだけど、お前はなんで俺と一緒に潜ってたんだ。発掘師はお前の仕事じゃないだろ」

 悪意がたっぷり込められた言葉に、エピティの体が震える。

「う、うるさい! お前こそ高い所がこわーいって泣いて私に縋ってきたくせに! この弱虫が!」

「な、何言ってるんだ! 泣いてなんかいなかったぞ!」

 思わずエピティがいる後ろへ向かって叫ぶシュミット。しかし振り向いても外の景色が見えるだけで、彼女の姿は三重はしない。

「いいや。絶対に泣いていた。悔しかったらもう一度雲の上まで行ってみるんだな!」

『ちょ、ちょっとケンカしないでよ!』

 慌ててマチェーラが止めに入るが、言い合いは止まらない。マチェーラの移動も止まり、とある民家の屋根の上に浮かんだまま二人は聞くに堪えない口喧嘩をしばらくしていた。お互いの顔が見えないのにこれだけ続くのは、それだけ二人の関係が深い証拠でもあるだろう。

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