3
マチェーラは沈黙した。
うるさく喋らなくなったことに気をよくしたシュミットだったが、それがしばらく続くとなると気になってくる。
「おい、どうした?」
「急に喋らなくなったな」
エピティはそう言って近づくと、おもむろに拳でマチェーラを叩き始めた。
最初は軽く、そして徐々に力をこめて殴り始める。金属を叩く重い音が木々の間へ吸い込まれていく。
「うん、硬いな。普通の鎧ぐらいならへこむ程度の力をこめて殴っているのだがな。傷ひとつできない。剣だとどうかな?」
「やめろ。傷がついたら安くなる。それより手は痛くないのか」
「この程度痛くもかゆくも無いな」
呆れた様子で、そうかよと気のない声をシュミットは漏らす。
「おいマチェーラ。いいかげん何とか言え。このままだとエピティにバラバラにされるぞ」
『……私は、マチェーラ。マチェーラは人……? でも、私は……』
「おい!」
シュミットは大声で呼びかける。そこでやっと反応があった。
『あっ、え、なに?』
「やっと気付いたか。急に黙ってどうしたんだ?」
『その、よくわからないの……私って何だろうなって……』
「何って、精霊遺物だろ」
何を言っているんだという様子でシュミットは肩をすくめる。
『違うの。私は精霊遺物じゃない』
「見るからにそうだけどな」
『違う』
頑なな言葉に眉間に皺がよる。しかしマチェーラの言葉にも一理あるとシュミットは思いつく。なにしろ今まで見つかっている精霊遺物とは色々と違っている。
まず意思があり喋るということ。それが人のものと同じだとは思えないが、もしかしたらこれがマチェーラの機能かもしれない。
マチェーラは精霊遺物では無いと言っている。つまり精霊遺物とは全く違う技術で製作された古代の遺失技術の可能性もある。それが本当ならば、さらに高値でこのマチェーラは取引されるだろう。
そこまで考えたところで、重要なことを思い出す。
「なあ、エピティ。これから精霊力は感じるか」
精霊力とは、空気中に存在する力のことだ。これは大地の奥底から湧き出てくる世界の根源の力とされている。
人間も含めて全ての動植物は、その精霊力を体内に貯め込んでいる。その量は個人差があり、それによって様々な恩恵を得ることができた。エピティが邪精霊たちと戦えたのもそのおかげだった。
エピティのように持つ精霊力が多い者は、精霊力への感知能力が強い。逆にシュミットのように精霊力が少ないものは精霊力を感知することが難しい。
精霊遺物とは、何千年もの昔にあったとされる古代精霊期に使用されていた道具の総称だ。その時代には精霊力を様々な用途に使用でき、今とは比べ物にならない豊かな生活だったと言われている。
精霊力が結晶化した精霊石を使う【精霊機構】という道具が作られているが、それは精霊遺物には程遠い性能しかない。例えば料理に使用できる程度の火をだしたり、水がめ一杯程度の水を出したり。
精霊遺物と精霊機構に共通しているのは、両方とも精霊力を使用するということだ。つまりマチェーラから精霊力を感じなければ、それは精霊遺物では無いということになる。
いくらか期待しながらエピティを見やると、彼女は真面目な顔で小さく頷いた。
「ああ。かなりの精霊力を感じるな」
まさかとは思っていたが、いくらかの落胆を感じながらシュミットは苦笑する。
「やっぱりな」
「最初はこの大きさや宙に浮かぶことに驚いたが、それよりこの精霊力の大きさこそ驚きだな。マギテクニ級はある」
「本当か! 久々の当たりだ」
『……それで、私はどうなの?』
騒ぐ二人に、放っておかれたどこか恨めしげな声でマチェーラが呼びかける。
「ああ。お前はやっぱり精霊遺物だ」
『何で! 違うよ!』
叫び声にシュミットはうるさそうに顔を歪める。
「そう言ってもな、精霊力を使ってるってことは精霊遺物に違いないんだよ。諦めてくれ。お前は精霊遺物なんだよ」
『そんな……』
打ちひしがれたマチェーラの声。シュミットとエピティは顔を見合わせるが、肩をすくめるだけだ。
「とりあえず移動するぞ。このままここにいても仕方が無いからな」
そう声をかけるが返事は無い。ため息をつくシュミット。操縦席のパネルを拳で軽く叩く。
「とにかく動け。俺はお前の所有者なんだろ。言う事を聞け」
『……うん』
「しかし、どうやって移動する。道はないし、周りは木が並んでいるぞ」
エピティの言葉に周囲を見回す。
ここは道から外れた山の中だ。ここは多少開けた場所だが、周囲は木々で遮られている。馬車二台分はありそうなマチェーラが通れるような隙間は無い。移動するには木々をなぎ倒すしかないだろう。
「木を切り倒して道を作るわけにはいかないしな」
「そうしてもいいが、かなりの時間がかかるぞ」
道まで出ることができればマチェーラでも移動できる幅はあるだろう。しかしそこまでの距離があり、さらに山なので上り下りがあって木を切り倒すのは大変だ。また木の数も多い。二人でやろうとすれば一日どころか一月かそれ以上の時間が必要だろう。
「どうするか……」
二人は腕を組んで頭を捻るが、いい考えは浮かばない。
そうしていると、マチェーラがおずおずと発言した。
『……あの、私なら空を飛べるから、木を切らなくても大丈夫だよ』
「空を飛ぶ?」
二人から同時に向けられた視線に怯えるかのように、マチェーラは操縦席のパネルを点滅させた。
「それは……鳥のようにっていうことなのか?」
信じられないといった気持ちを隠そうともせずシュミットは言う。
たしかにマチェーラは宙に浮かんでいた。しかし、それが鳥のように空高く舞うとなれば話は別だ。あまりにも荒唐無稽すぎる。
『でも、できるみたいだし……』
「なあエピティ。そんなことできると思うか」
「そうだな……大精霊術師ならできるかもしれないが。私は聞いたことが無い」
大精霊術師とは精霊術師のランクの一つで、マーリーン級と認められる人間の総称である。マーリンとはその昔にいた強力無比な精霊術の使い手で、人々から大精霊術師と尊敬された人物だ。彼を称え、それと同程度の実力者のことをマーリン級と呼ぶ。
疑わしげな二人の視線に、マチェーラは強く否定の言葉を返す。
『嘘じゃないよ!』
「じゃ、まあ、やってみてくれ」
気楽な気持ちで言ってみたシュミットだが、それをすぐに後悔することになった。
『わかった。上昇するね』
かすかに体が浮かび上がるような感覚と、直後にゆるく頭から押し付けられるような感覚。それを感じたと思った瞬間、シュミットはマチェーラとともに上空へ昇っていた。
「おおっ?」
急速に下側へ移動していく視界。微かな振動。バキバキと枝が折れる音。マチェーラの体の一部が木々の枝に引っかかったせいだったが、そんなことに気付く余裕も無いままシュミットの視界が一気に開かれた。
「は?」
それは上昇したマチェーラが木々よりも高い場所まで達したからだった。さらに上昇は続き、自分がいた山よりも高い位置でやっと停止する。
「…………」
驚愕した表情でゆっくりと立ち上がると、音がしそうなほどぎこちなく周囲を見回す。
それは絶景だった。眼下には緑が広がる山々。空と雲は驚くほど近く、遥か遠くに空と大地が溶ける場所が見える。
顔の向きを変えればさっきまでエピティと潜っていた縦穴が見えた。それは山に囲まれてぽっかりと空いた空き地にあった。光が届かないほど深い穴。それがいくつも空いている光景は、まるで吸い込まれてしまうような恐怖を覚えた。
一度シュミットの体が震えた。高空にいるための寒さだけではない。根源的な恐怖だ。
高い場所。人がいるべきではない場所。ここは自由に飛べる鳥が住む場所だ。地面に両足で立つ人間は、ここに立つことはできない。もし立とうとすれば、無様に足掻きながら地面へ叩きつけられるだけだ。
それに気付いてしまうと激しい恐怖でシュミットの手が震えだす。足から力が抜け、へたり込むようにして操縦席へ座ると肘掛であり操縦桿でもあるそれを手が白くなるほど握り締めた。
「……下ろせ」
『ほら、空を飛べたでしょ。あれ、どうしてそんなに怖い顔なの?』
「いいから早く地面に下ろせ!」
上昇したときと同じぐらいの速度で下りてきたマチェーラへ、エピティが興奮した様子で近づく。
「すごい、すごいぞ! 本当に空が飛べるんだな! まさか空が飛べる精霊遺物だったとは。これを売るのはやめにしないか? ……ん? どうしたんだシュミット。そんなに青い顔をして」
蓋が開いたままの操縦席から顔を出したシュミットは、非常に顔色が悪かった。そしてふらふらとした様子で、そのまま操縦席から転がり落ちた。
高さは人の身長より高い程度とはいえ、打ちどころが悪ければ最悪死ぬ高さだ。しかも頭から落ちようとしていたので、エピティは慌てて飛び出すと落ちてきたシュミットを受け止める。
「どうしたんだ! ひどい顔だぞ」
「……俺をビサイクみたいに言うんじゃない……」
エピティはほっと胸を撫で下ろす。
「そんな冗談を言えるなら安心だな。で、何があった?」
「……俺は、高い場所なんか全く怖くないと思ってたんだ」
「確かに。なにしろあの穴を何度も行き来していたからな」
シュミットとエピティはあの底が見えない縦穴を何度も潜っていた。
命綱も無しにいつ崩れるかも分からない道とも言えぬ道を何度も往復する。実際何人もの人間が、あそこで命を落としていた。そんな場所なのに、シュミットは恐怖を感じなかった。初めて潜った時さえも。
しかしそれは、自分が地面と繋がっていると知っているからだということに、シュミットはマチェーラとともに高空へ昇って自覚することとなった。
上空から地上を見下ろし、足の下には何も無いという不安。それに気付くとそれが恐怖へと変化するのはあっという間だった。
「鳥は鳥だからああやって空を飛べるんだ。人間には無理なんだ……」
「何を言っているのかいまいち理解できないが、とにかく怖かったんだな」
エピティは子供をあやすようにシュミットの頭を撫でる。いつもなら怒り出す状況だが、シュミットの精神状態は普通ではなかった。されるがままに頭を撫でられ続けていた。
『……あのー』
控えめにマチェーラの声が聞こえた。それで我に返ったシュミットは、慌ててエピティの腕の中から逃げ出す。
「何やってるんだエピティ!」
「ふふ。可哀想だったからなぐさめてやったんだ。いつもは私が子ども扱いされるからな、なかなか楽しかったぞ」
「うるさい!」
「涙目のシュミットは可愛いかったぞ」
目を吊り上げて凄むシュミットだが、その顔と耳は恥ずかしさで真っ赤になっている。それを見たエピティはさらに笑みを深めた。
『あのー』
睨むシュミットと笑顔のエピティに、マチェーラが恐る恐る再び声をかける。
『私が空を飛べるってことはわかってもらえたと思うけど、それで、どうするの?』
「そうだな。じゃあ空を飛んで街まで戻るか」
「駄目だ! 絶対に駄目だ!」
先ほどの恐怖が抜けていないのか、シュミットは必死の形相で叫ぶ。
「なら、どうやってマチェーラを動かすんだ」
シュミットは苛立ちのあまり歯軋りをする。
確かにマチェーラを移動させるには空を飛ぶしかない。しかしもう一度マチェーラと一緒に空を飛ぶなど、どうしてもシュミットは嫌だった。
そこまで考えたところで気付く。別にマチェーラと一緒にいる必要は無いのではないのだろうか。
「そうだ! マチェーラだけ空を飛べばいい! 俺達は歩いて移動するんだ」
『それは無理だよ』
申し訳無さそうなマチェーラの声。不思議そうにエピティが聞く。
「どうしてだ?」
『私の操縦席に乗ってもらわないと動けないの』
「な、なら、俺じゃなくてエピティが乗ればいい」
『それもダメみたい。私のユーザーのシュミットじゃなきゃ操縦できないから』
マチェーラの言葉にシュミットの表情が固まる。
「操縦? マチェーラは一人で動けないのか?」
疑問を感じたエピティはそう質問する。
『うん。基本的にはシュミットと一緒じゃないとダメみたい』
「面倒だな。こうやって話ができるところをみると、マチェーラは自分の意思があるみたいだし、自分で動くことはできないのか」
『できるけど……』
その言葉にシュミットの硬直が解除される。勢い込んで聞く。
「俺が乗らなくても動けるのか!」
『で、でも、動けるのはシュミットから半径五メートルだけだし』
「五メートルとはどの程度の距離だ」
『えーっと……だいたい五メントぐらいかな?』
メントはその昔に剣の長さを統一するため作られた長さの単位だ。一メントが普通の剣の長さとなる。
「短すぎる! もっと離れて移動できないのか!」
マチェーラ自体の大きさがかなりあり、五メント以内だとほとんど体のすぐ横にいなければならないような状態となる。
『無理みたい。それ以上離れると通信リンクが切れて動けなくなる』
聞いたことの無い言葉にシュミットは首を傾げる。
「通信リンクってどういう意味だ」
『あの、えっと、私とシュミットで繋がってる目に見えない糸みたいなもの、だと思う。それが離れすぎると切れちゃうみたい』
うまく想像できないが、とりあえず頷くシュミット。その顔は苦虫を噛み潰しているかのようだ。
「その糸をなんとかして伸ばす方法は無いのか?」
『方法はあるんだけど……それが使えないみたいで……』
「何でだ」
『あのね、衛星? っていうのに糸を伸ばして、そこからシュミットに繋げばどんなに離れても大丈夫みたいなんだけど……』
「けど?」
鋭い目つきのシュミットへ、マチェーラは恐る恐る言う。
『その衛星に繋げられなくて……ごめん……』
「ああ、くっそ!」
思わず髪の毛をかき回すシュミット。苛立ちのあまり血が出そうなほどの力を込めて爪を頭へ突き立てる。
「観念するしかないみたいだな」
面白そうに口元へ笑みを浮かべるエピティ。
しばらくして髪の毛がぐしゃぐしゃになったシュミットは、大きなため息をつく。そして俯けていた顔を勢いよく上げた。その目は自棄になったかのような決意の光があった。覚悟を決めたのだ。
「乗るしかないのか……」
「このまま置いておいて、また違う日に回収にいくという手もあるぞ」
『そんな! 一人で置いていかれるのなんてやだよ! また化け物に襲われるかもしれないのに!』
薄情なエピティの言葉に、震える声で叫ぶマチェーラ。
「そういうわけにもいかないからな。このまま置いておいたら誰かに盗まれる可能性がある。それに言う通り、邪精霊がまた来るかもしれないしな」
邪精霊に襲われていたとき展開していた防御膜は、あれだけ攻撃されても壊れなかったのでかなり頑丈なのだろう。しかしそれがどこまで耐えることができるのか。あれ以上の数で襲われたらどうなるのか分からないのだ。
せっかく見つけた世界に二つとないであろう精霊遺物を失うのは、何としてでも回避したいのが発掘屋であるシュミットの気持ちだった。
恐怖に怯えそうになる気持ちを抑え、気合を入れるために顔を両手で叩く。パンと小気味良い音が響いた。
「よし! 乗るぞ」
そう意気込んだところで、マチェーラの操縦席がかなり高い場所にあることに気付く。シュミットが手を伸ばしても、それより一メントほど高い。
最初に乗り込んだときは地面へ埋もれていたので、それだけ低くなっていたのだ。
「ジャンプすれば届くか」
『あ、大丈夫だよ』
マチェーラの声がすると、操縦席の側面にある場所に切れ目ができた。縦にできた切れ目に沿って金属の表皮が下にずれ、それが地面まで達すると階段が出現した。これを使えば簡単に操縦席までいくことができる。
「こんなことまでできるのか」
素直に驚きの表情を浮かべるエピティ。それに比べてシュミットは驚きよりも苛立ちとともに顔の片側を歪めて苦い表情をしている。
「そんな機能より、乗らなくてもいいようにしろよ……」
そう吐き捨てて階段へ足を進めようとすると、エピティが声をあげた。
「これに私も乗ることはできるのか?」
先ほどシュミットが乗り込んだ操縦席は一人ぶんの椅子とスペースしかない。立っているのであれば二人乗ることができそうだが、それでもかなり窮屈なことになるだろう。
そうシュミットが考えていると、マチェーラから思いがけない言葉が返ってきた。
『うん、できるよ。二人までなら』
蓋が開いている操縦席の後ろにある部分が動き出す。同じ様に蓋が開き、側面がずれることで階段が作られた。その開いた中には同じ操縦席が存在している。
「そうか!」
エピテイは嬉しそうに駆け寄ると、一段飛ばしで階段を駆け上がる。そして操縦席へ飛び込む。すると歓声が聞こえた。
「すごいぞ、何だこれは! 意味がわからない光るものがいっぱいある」
『あっ。そんなに乱暴に触ったり叩いたりしないで。それはシュミットにしか使えないから。ああっ、狭いからって無理矢理シートを動かそうとしないで! 座ってるところの横に調整用のレバーがあるから』
「ん? これか」
エピティは手探りでそれらしきレバーを発見すると、それを押し上げながら足の力でシートを後ろへ押す。すると勢いよく滑り、ガコンと大きな音をたたて移動できる限界で止まった。その際に小さく何かが割れる音がした気がするが、エピティには全く気付いていなかった。
「おお。広くなった」
『きゃあ! そんなに乱暴にしないで!』
姿が見えず、そんな騒がしい声が聞こえる巨体を見上げながら、シュミットは盛大なため息をついた。
「はあ……面倒なことになりそうだな……」