14
操縦席の天井が開いていく。シュミットの体を固定するベルトが外れた。
『燃料槽に行ってね』
開いた操縦席で立ち上がりそちらを見ると、下方にある燃料槽の扉が開いている途中だった。周囲は暗いが、弱い照明のおかげでそれを確認することができた。
操縦席の横へ階段が現れ、それを下りて燃料槽へと向かう。
「マチェーラ!」
「ん、えっ、シュミット?」
マチェーラは閉じていた目を瞬かせ、こちらを覗き込むシュミットに驚く。
「無事かマチェーラ」
「う、うん。それより私、思い出したの、自分のことを!」
そう言って勢いよく立ち上がろうとしたマチェーラは、自分が狭い燃料槽の中に丸まった体勢でいたことを忘れていた。開いた燃料槽の扉へと頭をぶつける。金属製の扉は非常に硬く、マチェーラは頭を押さえてうずくまる。
「痛たたた……えっ?」
マチェーラの動きが止まる。今の自分の状態を理解したからだ。彼女はロートケールと同化する前、シュミットによって燃料槽の中へ放り込まれた。その時に服を着たままだった。あの時は突然シャガルとサハウに襲われたためそんなことを気にする暇も無かったため、服を脱がずに光る体へと変身したのだ。そのため着ていた使用人服は、すべて灰になってしまっている。
つまり今のマチェーラは一糸纏わない裸だった。
彼女の目が覗き込んでいるシュミットの目と合う。
「っ……きゃあああああっ!」
密閉された空間にマチェーラの悲鳴が響き渡る。
「どうした? 何があった?」
心配そうなエピティの声が聞こえるのと、マチェーラの平手がシュミットの頬へ振り抜かれるのは同時だった。
「くそ……」
赤く腫れた頬を押さえながらシュミットが悪態をつく。その背中側ではマチェーラが目を潤ませて鼻をすんすん鳴らしながら、シュミットの上着へ袖を通していた。ちらりと目を向けるとすぐさま気配を察知して睨みつけるマチェーラ。
「はあ……」
クスクスと無邪気な笑い声が聞こえた。どちらへ向くべきか逡巡して、シュミットは頭上へ向けて言葉を発した。
「カナーリエン、お前はどうして急に出てきたんだ。これまで全く姿を見せなかったのに」
『私に姿は無いよ。AIだもん』
「茶化すな。姿が無いって、このでかいのがお前の体じゃないのか?」
シュミットは薄暗い周囲を見回す。彼の横にはロートケールが鎮座している。その巨体がすっぽり収納されているカナーリエンの大きさは、それよりも数倍大きい。まるで自分が怪物に飲み込まれたような気分がした。
『違うよー。体なんて無いもん』
カナーリエンの舌足らずな声と短すぎる説明に苛立ち舌打ちをすると、グラーフが補足する。
『私たちAIはシュミット様の言う戦闘機のような体は必要ありません。存在するには相応の記憶領域があればいいのです。ただしそれは存在するためだけのもので、このように話したりしてユーザーを支援するにはその他の機材および設備が必要となります』
自分が聞きたい事とはずいぶん外れた答えに、シュミットの顔が曇る。
「AIっていうのは結局何なんだ」
『AIというのは人間によって作られた、限定的な知能を持つ存在です。AIは用途によって組み上げられます。私やカナーリエンは精霊力駆動型戦闘機での戦闘行為専用として製作されました。ですので専門的な医療行為や乳幼児の世話といったデータは入力されていないので、それは不可能です』
「AIが人の意識みたいなものであるという事しか理解できなかったんだが……人間も意識することで自分の体を動かしてる。だったらこれが体でもいいんじゃないのか?」
『確かに精霊力駆動型戦闘機を動かしているのは私たちAIですが、それは戦闘機の動きを制御しているコンピュータに指令を送っているにすぎません。AIが存在しているのはそのコンピュータ内部の記憶領域の一部です。AIの体ということなら、それになるでしょう』
さっぱり理解できないグラーフの説明に、シュミットは頭痛をこらえるかのように顔を大きくしかめた。エピティもしきりに首をかしげている。
「……ああくそ、もう理解するのは諦めた。とにかく精霊遺物の中に喋る何かがいるっていう事でいい。でだ、マチェーラ。さっき思い出したって言ってたな。何をだ?」
シュミットはマチェーラへと振り返る。すでに服を着ていた。シュミットの服は彼女には大きいので袖を数回折り返している。裾は下半身を隠していたが、それでもその下には下着が無いのが恥ずかしいので、マチェーラは赤い顔で服の裾を押さえていた。
「……思い出したの。自分のこと、それとどうしてロートケールの中にいたのかも。私は隣の国、ルストビア国の孤児院に住んでたの」
その孤児院は小さな建物だった。補修が行われていない屋根や壁はところどころに穴とヒビがある。その建築様式と壁に掲げている紋章から、ここが教会施設であるとわかる。
小さな畑が建物の前にあった。農民ではない素人の修道女と子供達では満足な作物は育たないが、貧しい食卓をわずかでも潤してくれる。
マチェーラはその畑で何人かの同じ孤児院の子供達と草抜きをしていた。年長者は真面目にやっているが、幼い子供達は飽きて走り回ったりしている。それを追いかける年かさの修道女は大変そうだ。
ずっと腰をかがめていたため痛くなったマチェーラは、ふうと息をはくと腰を伸ばす。すると急にあたりが騒がしくなった。孤児院の建物の前で孤児院の院長である修道女と鎧を着た数人の騎士が言い争っている。それを遠巻きに子供達が見ていた。
急に修道女が騎士に突き飛ばされ、地面へ倒れた。マチェーラは思わず彼女の元へ走り、倒れた体を抱き起こす。痛そうに顔を歪めているが、修道女に大きなケガもなく意識もしっかりしていたのでマチェーラは胸を撫で下ろした。
すると急に腕を掴まれ、強引に力で体を持ち上げられた。悲鳴を漏らしながら腕を掴んだ人物を見ると、それは修道女を突き飛ばした騎士だった。その騎士はうすら寒い眼差しで怯えるマチェーラの顔を眺め、その体を肩へ担ぎ上げる。小柄な少女の体はあまりにも軽かった。
修道女が自分の名前を叫ぶ声で我に返ったマチェーラは、必死で腕と足を暴れさせた。しかしその程度で屈強な騎士の腕がゆるむことも無く、マチェーラは涙と鼻水で顔を汚しながら悲鳴とともに運ばれていく。
「……それで孤児院の近くに馬車が停めてあって、私はその中に入れられたの」
馬車の中には数人の子供達がいた。全員怯えていて、馬車のすみの壁に背中を押しつけて体を小さくしている。その光景に一瞬硬直したマチェーラだったが、すぐに逃げることを思い出し馬車から飛び出そうとしたが、その前に扉は閉められてしまった。扉へ体当たりするように飛びつくが、外から鍵がわりの横木がしっかりと扉を閉じてしまっていた。
手で何度も扉を叩いたが、木製のそれはびくともしない。微かに修道女の「マチェーラ」という叫び声が聞こえる中、馬車は振動とともに動き出す。足から力が抜けたマチェーラは馬車の床に座り込み、ただ泣くことしかできなかった。
それからおそらく十日以上かけて様々な場所へ馬車は移動し、そこで子供達を増やしながら目的地へ辿り着いた。精確な日数はわからなかった。マチェーラは突然の誘拐と孤児院から引き離された衝撃でしばらくは呆然としていたからだ。物心ついたときから孤児院で暮らしていた彼女にとって、院長の修道女は母親であり、孤児院の子供達は兄弟姉妹である。その突然の別れは晴天の霹靂でしかなかった。
「馬車が到着したのは山の中にある洞窟の前だったと思う。その暗い洞窟をずっと歩いていくと明るくなってた。白くてすべすべした壁と床だったよ。天井が光ってて、廊下に鉄の扉が並んでて、この場所と似てる気がする」
マチェーラたちはその施設の部屋で服を全部脱がされ、見たことも無い機械で全身を調べられ、薄く裾の長い貫頭衣のような服を着せられた。そして長い廊下を歩かされ、いくつも並ぶ鉄の扉の向こうにある部屋へ入れられる。ここまで連れて来た騎士が「ここがお前達の寝床だ」と告げた。
「部屋いっぱいにベッドが並んでた。六個あって一人ずつ寝るの。だから一部屋に六人。他の部屋もそうなのかは知らないよ」
最初は恐怖していたが数日すると慣れてくる。同室の人間たちと会話するようになり、笑う余裕もでてきた。しかしそれも長く続かなかった。
「……人がいなくなるの。知らないうちにいなくなったり、騎士やきれいな服を着た偉そうな人に連れて行かれてそのまま戻ってこなかったり」
マチェーラ達は様々なうわさを聞いた。その中にはもといた場所へ帰されたというものもあったが、そんなことを信じる人間は一人もいなかった。一人消え、一人増え。二人消え、二人増え。そんなのがどれだけ続いたのだろうか。施設は窓も無く外へ出ることもできないので、マチェーラは日時の感覚が無くなっていた。
「……ある日、ついに私が呼ばれたの。よくわからない変なものが一杯ある部屋に連れて行かれて、そこで腕に針を刺されたら急に気を失って、気がついたらあの青く光る体になってた……」
マチェーラは沈黙し、頭を深く俯かせた。重苦しい、誰も喋らない時間が続く。
「……つまりマチェーラは、ルストビア国のやつらにそんな体にされたってことか」
「たぶん、やったのは変な笑いかたをするお爺ちゃんだと思う。目が覚めて最初に見たのがその人だし、その後もいろいろあったから」
「いろいろってのは?」
「変な鉄の塊みたいなのを体にくっつけられたり、白くて丸い輪っかをくぐらされたりしたよ。それと光の体になる所を何度も見せたり……血を抜かれたり」
シュミットの顔が歪む。どうにも体から血を抜くという行為が気味悪く思えたからだ。
「よくそれで死ななかったな」
「細い針を腕に刺すと、勝手に血が抜けて容器に貯まるんだよ。ちょと痛いだけだし、量も少しで大変っていうわけじゃなかったから」
マチェーラの顔が悲しそうな笑みを浮かべる。
それを見てシュミットの表情も変わる。突然誘拐され、奇妙な施設へ監禁。さらにはその体を人とは違う異形の何かへ変化させられた。そんな彼女へのおぞましい所業の心の傷を思えば、どうしても同情と哀れみを感じられずにはいられない。そしてそんな行為を強要した人間達に怒りを感じないはずもなかった。
やけに大きな自身の怒りに戸惑いながらシュミットが奥歯を強く噛んでいると、いつもと変わらない様子に聞こえるエピティの声がした。
「それで、そこからどうやって逃げ出したんだ?」
「それは……私にもよくわからないんだけど……」
マチェーラはその日、何人もの騎士が現れて部屋から連れ出された。部屋は一人部屋で、体が青い光になってからそこへ入れられていた。
どうやら施設の外へ向かっているようだ。もうずいぶん昔のように思える最初にここへ来たときに通った洞窟を進む。久しぶりの太陽の光が目に痛かった。
洞窟の前には小さいが頑丈そうな馬車がある。その中へマチェーラは入れられる。逃げようとも思えなかった。たとえ逃げようとしても、十名以上もいる騎士達を相手にそれは無理だっただろう。
扉が閉じられ窓が小さく暗い馬車の中、マチェーラはこれからどこへ連れて行かれるのだろうと、あまり働かない頭で考えていると急に周囲が騒がしくなった。外の光景は見えないが、騎士達が大声で何か言っているのはわかる。
このよのものとは思えない悲鳴がした。獣のような叫びと、地面を激しく叩く音。騎士達の金属鎧が擦れる音に混じる湿った音。マチェーラと馬車の壁を隔てて、そこでは尋常ならざる何かが起こっていた。
マチェーラは思わず音から後ずさるように移動して、馬車の壁へぴたりと身を寄せた。音はさらに激しくなり、そして馬車を轟音と衝撃が襲った。
マチェーラは悲鳴をあげながらその体が投げ出される。彼女とともに馬車は吹き飛ばされ、地面を数回転がった。
「ううっ……」
奇跡的にマチェーラは怪我らしきものは無かった。多少の擦り傷はあるが血がにじむ程度で、骨が折れたような痛みも無い。それでも衝撃は頭をふらつかせ、朦朧としながら倒れた状態から顔を上げた。
馬車の壁は無くなっていた。無残に引き裂かれたのは壁だけでなく、天井や床にまでおよび馬車の半分が壊れたような状態だ。土ぼこりが舞う中、その大きく開いた穴の向こうから唸り声と、輝く一対の光が見える。それは徐々に近づき、姿を眼前に現せた。
それは異形の生物だった。体毛は一切無く、奇妙に白い皮膚は内側から筋肉によって膨れ上がっている。腕の筋肉が異様なまでに多く、まるで丸太のようだ。それとは不釣合いに細く短い足は四本もあった。
自然の生物からかけ離れた邪精霊がマチェーラを無機質な目で見ている。
引きつったマチェーラの口から悲鳴があがる。同時に体が輝き、全身が青い光へと変化した。邪精霊の目がわずかに細められ、巨体が襲いかかる。
「……それからは夢中で逃げたよ。どこをどうやって逃げたのかも覚えてない。気づいたら山の中にいて、道も無いしどうすればいいのか悩んでたら、また邪精霊が出てきたんだ。それで逃げてたらロートケールがあって、隠れられそうな場所があったからそこへ入ったの。すぐ近くに邪精霊が追いかけてきてたから、慌てて扉を閉めたよ」
マチェーラは知らないことだが、シュミットたちと出会った時にいた邪精霊も彼女が逃げてきた施設で作られたものだった。
「そこがロートケールの燃料槽だったわけか」
マチェーラはうなずく。
「そうしたらなぜかロートケールと私が一緒になって、記憶も無くなっっちゃたんだ」
『記憶が無くなったわけじゃないよ。ワタシのデータと記憶が混じって、どれが自分の記憶なのかわからなくなったから、ちょっと思い出せなくなってたんだよ』
幼い少女の声はロートケールのものだ。
「どういう意味だ」
『えっとねー、マチェーラがワタシと繋がったことで、知識の共有? みたいなことになったんだよ。AIと操縦者はナノマシンで意識が繋がってるけど、データが共有されちゃうなんてことは無いんだー』
その説明では理解できないシュミットはグラーフへさらなる答えを求める。
『例えば私が搭載されている戦闘機はエピティ様が操縦しています。しかし厳密に言えばエピティ様が動かしているのではなく、エピティ様の命令どおりに私のようなAIが戦闘機を動かしているのです。なぜそうなるのかといえば、戦闘機の動かし方を知っているのはAIだけだからです。動かそうとする意識は共有しますが、その動かし方は共有しないということなのです』
難しい言い回しに頭をひねるが、何とかシュミットは理解する。ロートケールもそうだ。動けと念じれば動くが、それがどうして動くのかそれ自体は全くわからない。
『ですので本来AIが人と知識を共有することはありません。しかしマチェーラ様は人でありながら、AIとしてロートケールを操作していました。なぜそんなことになったのか、カナーリエンは理解しているのですか』
『うーんとね、ワタシってね壊れてたんだ。ワタシの色んな場所が穴だらけで、そこにマチェーラが入ってきて、ワタシとマチェーラは一緒になったんだよ』
壊れていたというが、ロートケルの喋り方は幼いがしっかり受け答えもできている。問題があるような部分は見受けられない。しかしグラーフは違った。
『故障、データの破損ですか。たしかに私のデータには口調こそ幼いですが、カナーリエンはもう少し知性の高いコミュニケーションが可能であるとあります。そう考えると、たしかに現在のカナーリエンは異常であると言えます』
グラーフの無礼な言葉に怒ることなく、それどころかカナーリエンは笑って言う。
『うん。ワタシちょっとおかしくなってるみたい。でも壊れてるときは何もできなかったし、今はこうやって喋ったりもできるしマチェーラと繋がれてよかったよー』
そう言われてもカナーリエンと繋がったという感覚が無いマチェーラは、ただ戸惑うばかりだ。
「どうして私と繋がって、その、おかしくなっちゃったの……?」
『こうなるより前はもっとおかしかったんだから、マチェーラは気にしなくていいのにー。んーと、たぶんワタシとマチェーラが直接ナノマシンを使わないで繋がったからじゃないかなー?』
それがどういうことなのか理解できない三人はただ首をかしげるだけだったが、グラーフは違った。平坦な中に強い意思があるかのような声でカナーリエンへ問う。
『ありえません。人間とAIがナノマシン以外の方法で接続するなど不可能です』
『でも、できちゃったんだもん』
まるでイタズラを叱られた子供そのものの口調でロートケールは言う。
『ワタシの中にマチェーラの意識が精霊力と一緒に入ってきたんだよ』
『精霊力によってAIと人間の意識が通信可能というデータはありません。しかし仮説なら立てられます。何らかの原因で生体コンピュータと人間の脳が精霊力を介して通信可能になったならば、それはありえるのかもしれません。おそらくマチェーラ様の体が光に、精霊力エネルギーへと体を変換できることが一因と考えられます』
一向に話へついていけないシュミット達はただ聞くことしかできない。
「生体コンピュータとは何なんだ?」
『生体コンピュータは私たちAIが存在する記憶領域と、精霊力駆動型戦闘機を制御するための機械です』
生体コンピュータよりも素粒子コンピュータのほうが演算速度や処理速度は優れていた。それなのになぜ生体コンピュターが使用されているのかというと、グラーフやカナーリエンが精霊力機関を使用しているからだ。
『精霊力は人間や精霊種族の脳内で発生する意識によってコントロールされます。大気中や体内の精霊力は、意識によって活性化し、指向性を与えられその動きや性質が変化し、エネルギーとして実在化します。精霊力は生物の脳内での意識でしかコントロールできません。素粒子コンピュータや半導体素子によるAI制御では不可能なため、生物の脳を模して生体細胞によって製造された生体コンピュータ上のAIが搭載されたのです』
精霊力機関はその名の通り、精霊力で動く機械だ。それを使用するグラーフやカナ-リエンを動かすには、精霊力をコントロールできる脳と意識が必要だった。その代用品が生体コンピュータとAIである。
「つまり、お前らの脳みそがこの精霊遺物の中に入っているってことでいいのか……」
気味悪そうにシュミットは暗い周囲を見回す。この場所がまるでカナーリエンという巨大生物の胃袋のように思えた。
そこであることに気づく。精霊力が生物の脳でしか使えないなら、他の精霊遺物の中にも同じ様にそれが入っているのではないのだろうか。例えば自分が使っている、胸につけた光を出す精霊遺物も。
「もしかして……これにも生体コンピュータとかいうやつが入っているのか?」
『はい。そうです』
『ワタシのよりすっごい小さいけどねー』
シュミットは精霊遺物がまるで金属製の虫か何かのように感じられた。落ち込んでいく気分を何とか奮い起こす。
「お前達のことはもういい。それより、これからどうするかだ」
「あの二人を倒すのではないのか?」
それが当たり前のようにエピティが言った。
「最終的にそれしかないのならな。できれば戦わないですむ方法がいい」
『それは無理ではないでしょうか。相手は対話をすることなく攻撃してきました。これは明確な敵意があるということです。逃亡するのも難しいと思われます』
「絶対に待ち伏せしているよな……」
ノームの縦穴の底まで落ちてからかなりの時間が経過した。しかしあの二人は降りてきていないようだ。このまま地の底で息を潜めていればいなくなるかもしれないが、それは望みが薄いだろう。諦めるより先に探しに来るはずだ。
「戦うしか無いのか。しかし勝てるのか?」
「大丈夫だ。絶対に勝てる!」
エピティはグラーフを纏った巨体で力こぶをつくるかのように腕を曲げた。思わず根拠の無い自信にため息をつく。
「……とりあえず、俺達はどうやって戦う?」
『一対一の単独戦闘をするしかありません。できればお互いに離れた場所で』
「武器はあるのか」
『では私たちの機能と性能を説明しましょう』
『ワタシのすごさを教えてあげるねー!』
人とAIの相談は光の届かない地の底で続く。
地上へ残されたシャガルとサハウは巨大なノームの縦穴を前にして途方に暮れていた。落下位置を確認しながらここへやってきたのだが、マチェーラを乗せた巨大な物体はどこにもない。ということはこの穴の中へ落ちたはずだ。
「どうするよ……」
すでにかなりの時間をこの場所で過ごしていた。シャガルのあくびまじりの声にサハウは目も向けない。
ノームの縦穴は山脈にぽっかりと空いた丸い窪地に、いくつもその口を開けていた。そのうちのどれかに落ちたはずだが、その一つがわからない。潜ろうにも深さがわからず、その装備も無い。穴の側面を見れば下りるための階段らしきものがあるが、幅は狭くいつ崩れてもおかしくないように見えた。もし足を踏み外しでもしたら、いくらサハウたちでも無事ではすまないはずだ。
「……あの精霊遺物は空を飛んでいました。ですので無事である可能性は高いです。それならばここで出てくるかどうか待っていて、一日経過しても姿を見せなければ、しらみつぶしに探していきましょう」
サハウの言葉にシャガルは心から不満そうな顔になる。
「一日中ここで待ってるのかよ。寝ててもいいか」
「いいですよ」
暇そうにあくびをするのを見せられるのも鬱陶しいので、サハウはそう言った。シャガルはそれを聞くと、本当に地面へ横になり数秒もするとイビキをはじめた。起きていても寝ていてもうるさいなと、サハウは忌々しげに睨みつけた。
変化があったのは日が傾き夕暮れが近い時刻になったときだ。曇り空が晴れることはなく、薄暗い。そのとき耳慣れない音がサハウの鼓膜を振るわせた。それは高い風の様な音で、切れることなく聞こえ続けている。それが徐々に大きくなっていた。
「シャガル、起きてください!」
意識を集中し気配を探ると、地中から強力な精霊力が高速で地上へと向かっていた。それはすぐにノームの縦穴から飛び出し、いっきに上空数十メントまで上昇した。
地上から見上げるサハウにはただの長方形にしか見えない影だった。ただその大きさが桁違いで、全長は十数メント、幅も五メント以上はあるかもしれない。
その巨大な影からもう一つの影が飛び出した。それは人型をしているが、大きさがおかしい。上空に浮かぶ影より少し小さい程度なのだ。人型の影は地上へと落下し、轟音と地響きとともに地面を大きく陥没させて着地する。
その姿を見てサハウもシャガルも絶句した。身長が十メントはある赤い鎧姿の巨人が目の前に屹立していたのだ。薄暗い曇り空の下でも輝く赤色の表面に、薄く六角形が浮かんでいる。
鎧の形は見たことが無いものだった。両肩が横に大きくせり出し、膝から臑の部分は長い楕円形の盾の様な形になっている。背中には突き出た棒のようなものが斜め下に向かって生えていた。
呆然としていると、赤色の巨人は信じられない速さで接近すると、その手に持った十メントはあろうかという長すぎる特大剣を振り下ろした。青い光を纏ったその武器を、泡をくってサハウとシャガルは回避する。
地面へ激突した剣は大量の土砂と衝撃波を撒き散らした。直撃こそしなかったがシャガルは大きく体を飛ばされる。土煙から顔をかばいながら薄く目を開けると、その視線の先から赤色の巨体が土煙を貫いて向かってきていた。
「オオオオオッ!」
咄嗟に剣へ精霊力を込め、振り下ろされた常識外の剣を受ける。不意を突かれたため十分に精霊力を込めることができなかったシャガルは、高速で後方へ吹き飛ぶ。
「シャガル!」
攻撃を避けたサハウは追撃を受けたシャガルへ思わず名前を呼んだ。助けに行こうとしたが、その余裕は無かった。上空から直径数メントもある青色の光が迫り、その体を飲み込んだからだ。
「やったか!」
上空数十メントから地上に出現した直径が十メント以上もある青い球体を見ながら、シュミットは期待をこめて叫んだ。そこへ口調とは裏腹に水を差す言葉が投げられる。
『無理だと思うよ。まだエネルギー反応消えて無いし』
数秒間続いた青い光の球体が消える。そこにはクレーター状に抉れた地面と、無傷で服に汚れすらも無いサハウの姿があった。シュミットの顔が引きつる。
「あの攻撃で無傷なのかよ!」
あの青い光は精霊力を収束させただけのものだ。しかしその攻撃力は、ロートケールが邪精霊を消滅させたものの数十倍はある。それを受けても無事というのは、それだけの防御力をサハウが有しているということになる。
シュミットが防御力に呆然としているのと同じ様に、サハウも先程の攻撃に驚いていた。
「かなりの威力ですね。防御できなかったら危なかった」
サハウは攻撃が当たる前に周囲を精霊力の壁で覆っていた。最初は前面だけに壁を作ろう思っていたが、嫌な予感がして体全てを隠したのだ。そうしていなければ多少なりとも被害を受けていただろう。
えぐれた地面は直径にして十メント以上。これはマーリン級であるサハウに近い威力の攻撃でだった。しかし彼の表情は冷静だ。
「それでも、私のほうが強い」
サハウが手を掲げると、巨大な火の玉が出現した。それは高速でシュミットの乗るカナーリエン向けて射出される。
「くるよっ!」
「わかってる!」
シュミットはマチェーラの悲鳴に叫び返す。お互いの姿は見えない。それぞれロートケールの操縦席に座っているからだ。
空中へ浮かんでいたカナーリエンは、その巨体からは信じられない速さで横へ滑る。まるで瞬間移動したかのようだった。狙いを外された火の玉は、残像をすり抜けて空の彼方へ消えた。
『やったね! 練習の成果だよ!』
カナーリエンの楽しそうな声。シュミットたちがこの時刻まで地上へ出てこなかったのは、地下でカナーリエンやグラーフを使っての戦闘練習をしていたからだ。新兵のための仮想練習プログラムがあり、それを使用した。エピティはもともと実戦経験も豊富で自分の体と同じ様に動かすことができ、武器も長さこそ違うが同じ剣なのでさほど問題は無かった。
問題があったのはシュミットだ。まず宙に浮いて空を飛ぶ乗り物で戦うという未知の状況に慣れなければいけない。動きだけでなく、カナーリエンの大きさにも慣れなければならなかった。それも短時間で。
半日にも満たない練習時間であったが、それでもシュミットはカナーリエンをそれなりに扱えるまでには上達していた。
しかしシュミットの顔は引きつり、顔色は悪く冷や汗が止まらない。相手はマーリン級という指折りの精霊術師だ。あの巨大な火球を見ただけでそれがわかる。比べてシュミットは精霊術がまともに使えない最下級の人間だ。あんな強力な精霊術など数える程度にしか見たことが無い。あれが直撃したときのことを考えると、恐怖がこみ上げる。
「またくるよっ!」
サハウは火球を一つではなく、複数自分の周囲に出現させた。どの大きさも先程の火球と大きさは遜色無いものだ。それが次々と放たれる。
「ウラアアアッ!」
恐怖を跳ね除けるためにシュミットは叫びながらカナーリエンを操縦する。連続で迫る火球を左右に、あるいは前に移動することで回避していく。一瞬後に違う位置へ出現しては、また違う位置へと姿を見せる光景は、まるでコマ落としの映像だった。
回避するが迫る火球は途切れない。それもそのはず、サハウは放つたびに新しい火球を生み出していた。カナーリエンは上空に大きな円を描くようにして火球を避け続ける。
一向に止む気配の無い炎の飛礫に悪態をシュミットがつぶやいていると、地上のサハウも上空を逃げ続ける姿に苛立っていた。なりふり構わず全力で精霊術を使えば、カナーリエンを炎の渦に巻き込むことは可能だ。しかしそれで回収すべき少女まで消し炭に変えてしまえば、任務達成は不可能になってしまう。
「最低でも、死体が残るようにしなければ……」
精霊術の威力を絞るしか無い状況に歯噛みする。相手の移動速度はなんとかサハウの目が追いつける速度だった。移動先を予想して火球を発射するのだが、カナーリエンは空中だと言うのに前後左右、さらに上下の方向へ急に移動する。空中での緊急停止まで可能で、なかなか狙いを定めることができない。
「何とか動きを止めることができれば……」
連続で火球を回避し続けるシュミット。彼に舌足らずな声援が送られる。
『すごーい、またよけた。アハハ! 忙しいけどなんだか楽しいよねー』
「のん気なこと言ってる場合かっ!」
上下左右に振られるこの状況を、カナーリエンはまるで遊園地のアトラクションか何かのように思っているのだろうか。無邪気に遊ぶ子供のように笑い声をあげる。
シュミットにはそんな余裕は一切無い。カナーリエンと違って生身の肉体を持つ彼は、急制動と方向転換をするたびに、体へ強烈な圧迫感が襲う。慣性の法則による力だ。あらゆる方向へ揺らされる頭で意識が朦朧としてくる。
体をベルトで固定していなければシートから吹き飛ばされている状況だが、本当ならこんなものではすまない。カナーリエンに搭載されている擬似無重力状態発生装置による緩和がなされていなければ、彼の意識は一瞬でブラックアウトしているだろう。
「きゃあああああっ!」
マチェーラもシュミットと同じ状況だ。急速に変化する視界を見ることすらできず、ただシートにしがみついて悲鳴をあげ続けていた。
何個目なのかわからない火球を回避する。目標を見失った火球は空の彼方へ消えていくはずなのだが、今回のはそうではなかった。火球はカナーリエンが回避した瞬間に爆発した。轟音と巨大な炎が空に大きく広がる。
シュミット達は思わず悲鳴をこぼした。幸いにも距離が離れていたので被害は少なかったが、表面の一部が溶けたり剥がれたりしている。初めての傷だった。
「何だ……」
広がった炎が消えて見えるようになった光景に、シュミットは硬直する。動きが止まったそこへ、いくつもの火球が射出されていたのだ。
『逃げて! このままじゃ当たっちゃうよ!』
カナーリエンに言われるでもなく、シュミットは高速で回避行動を開始する。移動するだけでなく角度をひねることで回避するが、火球は近くで次々と爆発した。直撃こそしないが確実に被害は増え、攻撃で剥がれた表面の青い金属が空中へ舞う。
『シュミット、防御!』
目の前に火球が三つも迫っていた。それは偶然なのかそう追い込まれたのか、回避できないタイミングだ。シュミットの目が見開かれる。
上空に巨大な炎の花が開いた。火球三つ分のそれを見上げながら、サハウは目を鋭くする。直撃したのは確実だった。しかも三つ同時なので、これで仕留めてもおかしくない。だが、その期待は裏切られ、青い光に包まれたカナーリエンが姿を見せる。
「危なかった……」
シュミットは安堵の息をはく。マチェーラも同様だ。
「こ、怖かったよー」
青色の光でできた防御シールドのに包まれたカナーリエンは無事だった。火球三つ同時の攻撃を受けても、その防御シールドは揺るぎもしなかった。ただし防御シールドの展開が遅ければどうなっていたのかはわからない。
「どうやれば勝てるんだ……」
シュミットは数十メント上空から、カナーリエンの何十分の一という敵の姿を見下ろしながら、その脳裏を絶望が侵食しはじめているのを感じた。




