12
マチェーラはバルノの声に振り向いた。調理場の台を布で拭いていた手が止まる。
「掃除はそれぐらいでいいですよ。今日はもう休んでください」
「わかりました。おやすみなさい」
ランプを持ったバルノが去っていくと、マチェーラは布と水が入った桶を仕舞い、置いておいたランプを持って調理場を出る。すでに夜となり、屋敷の中は真っ暗だ。廊下の壁にはランプが設置されているのだが、そこに火は無い。節約のためだった。
マチェーラは井戸へ行くと桶へ水を汲み、それを持って自分の部屋へ向かう。小柄な彼女にはそれを持って二階まで階段を上るのは大変だったが、なんとか部屋までたどり着く。
部屋に入ると使用人服を脱ぎ、下着姿になると桶の水で湿らせた布で体を拭き、寝巻き用のワンピースに着替えベッドへ入る。しかしなかなか寝付けない。
今日グラーフを見つけた後は屋敷へ戻った。グラーフを紹介した際にもバルノはあまり驚きはしなかった。中年の女性使用人は表情も変えなかった。そういえば、あの女性の名前を聞いていないなとマチェーラは思う。
屋敷に戻ると、ちょうど昼食の準備をしている所だった。広い調理場にいたのはバルノと女性使用人の二人だけ。たった二人でも作る量は少ないので十分だ。マチェーラが増えたとはいえ、エピティを含めてたったの四人。それだけの住民しか広い屋敷にはいない。
マチェーラは食事の準備を手伝わされた。バルノからはその手際を褒められたが、なぜ自分が料理できるのかわからなかった。料理をしていたような記憶は思い出せないのに、手は勝手に動いていた。
ベッドの中で自分の手を見る。薄い皮膚越しに青い血管が浮いていた。この血に精霊種族の血が混じっていると言われたが、実感は無い。
ずっと不安だった。自分が何者であるのかもわからず、知っている人間もいない。ただ流されるように、頭に浮かんだ言葉を告げてマチェーラはシュミットと契約をした。
今日のシュミットの言葉を思い出す。仲間。エピティの言葉を思い出す。友達。
「……?」
そのとき頭を何かがよぎる。漠然とした何か。しかしそれ以上に安心感を覚えた。
「仲間……友達……」
徐々に疲れた体は眠りに落ち、そして夢を見る。
そこは長い廊下だった。白くて木でも石でもない滑らかな素材で全てができている。その両側にいくつも金属製の扉が並んでいた。
そこを裾の長い貫頭衣を身につけた人々が歩いている。子供から大人まで、年齢は幅広い。ただし老人はいなかった。彼ら彼女らは、みんな不安そうな顔をしている。
急に場所が変わり、マチェーラは水が流れ出ている管の前に立っていた。顔を上げるとそこには自分がいた。壁に鏡がはめ込んであるのだ。その顔を見てマチェーラは驚く。髪の毛の色が銀色ではなく、明るい茶色だったのだ。
場所がまた変わる。今度は四角い部屋だ。隙間無くベッドが置かれているそこに、その数と同じ人数の人がいた。全員マチェーラと同じ程度の年齢の子供達だ。不安そうな顔をしている者もいるが、会話をすれば明るく笑う。
突然部屋の入り口が開いた。金属の扉が横に滑り、自分達とは違う服を着た大人たちが入ってくる。子供達を見回すとその一人を指さし、その子を剣を腰にぶら下げた屈強な男が連れて行く。子供は泣き叫んでいるが、マチェーラたちは恐怖で声を出せない。
連れて行かれた子供が部屋に戻ってくることはなかった。それからも次々と子供は連れて行かれ、そして誰も戻らない。ついにマチェーラの番が来た。
泣いても手を掴む男の力は揺るがない。いくつかの扉を通り抜け、薄暗い部屋へたどり着く。似た景色を知っていると思ったところで、思い出す。いくつもの光るパネルが並んでいる光景は、ロートケールの操縦席に似ていたのだ。
腕に針が刺し込まれると、意識が途切れた。暗転した世界から戻ると、耳障りな哄笑が響いていた。その声を発しているのは、頭髪が抜け落ちたしわだらけの老人だ。狂ったように笑い声をあげている。
唐突に笑いが止み、マチェーラへと顔が向く。まるで人形のような、人間味の無い動きだった。口元が不気味な三日月を描く。
「クハハハッ! 私はこの手で精霊種族、いや精霊を作り出したのだ! アハハ!」
頭に霧がかかった状態で、自分の体を見る。と、それは見慣れた自分の体ではなかった。いや知っている体のはずだ。矛盾する思考の中、目が焦点を結ぶ。服を身につけていない裸身は、青く輝いていた。両腕を見開いた目で観察すると、それは青い光で作られていた。
場所が変わる。一人で檻の中にいて、膝を抱えて座り込んでいる。周囲からは唸り声や聞いたことも無い叫び声がひっきりなしに聞こえた。それらを閉め出すために両手で耳を塞ぐ。それでも防げない轟音と、体が吹き飛ばされるほどの衝撃が襲った。
体の痛みを感じながら、身を起こす。周囲では破壊音と悲鳴がいくつも聞こえる。衝撃で鍵が壊れたようで、檻の扉が開いていた。
恐怖とここから逃げたい一心で、檻から抜け出す。半開きになった扉の向こうから光が見えていた。そこへ何も考えず手をかけ、外へ飛び出す。そこには……
「ハッ……!」
マチェーラは飛び起きる。全身は汗まみれだ。震える肩を抱きしめる。
「……あれは、邪精霊……?」
シュミットたちがグラーフを発見してからもう十日が経過していた。
シュミットとエピティは連日のようにノームの縦穴へ潜っている。暗視装置のおかげで暗闇でも楽に動けるようになったからだ。エピティもリッターを装着すれば同じく暗闇は関係なくなる。しかも戦闘力が格段に上がり、鎧持ちが数対程度なら楽勝だった。またグラーフによる索敵とナビゲートが大いに役立った。道を間違えるということが絶対に無いのだ。新たな道でも完璧に覚えることができる。
マチェーラは屋敷の使用人として働いていた。最初は何かと失敗していたが、今ではそれなりに仕事ができる。広い屋敷の構造も把握したので、慣れていないときのように迷うことはない。
たった三人で広い屋敷を管理しているのだが、それほど忙しいわけではない。客が来ることはなく、来てもシュミットだけだ。庭は荒れているが、定期的に草刈りはしているので伸び放題というわけではないので、毎日やる必要も無かった。一日で屋敷全てを掃除できるはずもないので、その日によってやる場所を決めているため、マチェーラは余裕を持って仕事をすることができた。
「あとはこれを……」
マチェーラはバルノから渡されたメモ見ながらドッグの街を歩いていた。抱えた袋が小柄な体には重たそうに見える。彼女はおつかいをたのまれていたのだ。
この街は広いが、行く場所は限られている。人や店がある場所が少ないからだ。なので道を覚えるのは簡単だった。最初こそ迷っていたが、もう一人で買い物はできる。
ここ数日はよい天気だったが、今日は雲が多く青空はわずかに残るだけ。雨が降るかもしれないので早めに買い物を終わらせたい。
「これでよし、と。どうしようかな……行ってみようかな」
マチェーラは買い物を終えたのに何か迷っているようだ。ちらりと屋敷があるのとは違う方向へ目を向けた。その先にはマチェーラの服を買ったあの店がある。
数日前に偶然街中であの店の女店主と出会い、それから歳の離れた友人のような関係になったのだ。というより実際は叔母と姪といった感じだった。マチェーラはよくあの店へ行き、何か買うでもなく立ち話をする。シュミットとマチェーラはほとんど一日縦穴へ潜っているため、話し相手がいないということもあった。
しばらく考え、マチェーラは店へと歩き始めた。
「本当にこんな場所にいるのかねえ?」
マントとフードで姿を隠した男が投げやりにつぶやいた。同じく姿を隠した人物が舌打ちをする。すでに何度も聞いた言葉だったからだ。
「任務です。いいから探しますよシャガル」
二人がいるのはドッグの街の入り口付近、巨大な門を抜けてすぐのところだ。愚痴を言った男は振りかえり、巨大な門を見る。
「こんだけ立派なのに、開けっ放しのうえ門番もいないなんて、どうなってんだ?」
「だから資料を読んでください。読んでなくてもこの街を見ればわかるでしょう」
門から伸びる大通りには、人の姿がまったく無かった。
「これだけでかい街なら、普通は大都会って言われる気がするんだけど」
「かつては大都会。今はもう、寂れた消滅寸前の田舎町。それでも人はいるはずです。行きましょう」
肩を竦めると、歩き出した背中をサラハは追いかけた。
しばらく歩いたところで立ち止まる。
「誰にも出会わないな」
「……二手に別れて、とにかく人を見つけたら聞いてみるのです。シャガルはこの大通りを中心に探し、私はそれ以外を調べます」
「なんで俺がそこを担当するんだ?」
「……この広い町で迷わずにいる自信がありますか?」
その言葉に大いに納得するシャガル。
「たしかに。俺なら絶対に迷子になるな」
「……まったく、どうしてこんな男が相棒なんだろうか……」
心の底から怨嗟の声を漏らすサハウ。これが上からの直々の命令でなければ、こんな人間とは組まなかった。そもそも魔術師と騎士で所属する場所が違うのだ。組織自体は国軍という大きな枠組みの中に入っているが、ルストビア国では魔術師が所属する軍と騎士が所属する軍は完全に別組織に別れていた。
「……わかったなら私は行きます。これが失敗できない任務だという事を忘れないでください」
呆れたように肩を竦めて気だるそうに歩いていく背中に、怨嗟のこもった目線を向ける。しかしそんなことには気付かない様子で、シャガルの姿は離れていく。
意識して呼吸を深くして、サハウは精神を落ち着ける。これは重大な任務だ。これを失敗すれば自分の立場が危うい。シャガルも同じはずなのに、なぜあの男はそれを認識できないのか。再び怒りが燃え上がってきたことにはっとなり、心を静める。
踵を返し、シャガルが歩き去った大通りから外れた路地を進む。
一本道を外れただけで別世界だった。左右から迫ってくるような圧迫感を受ける狭い道。隙間無く建物が並ぶ様子は、まさに都会といった様子だ。しかしそこに人の気配は無い。
かつては人が多く住んでいた家は沈黙し、窓も扉も多くが壊れ、暗闇に沈んだ室内をのぞかせている。赤いレンガや白い石製の壁も、ひび割れて崩れかかっていた。今にも倒れそうで、近くを通ることもはばかられるものも多い。
不意にここには目標である少女はここにいないのではという不安にかられた。ここに来るまでに周辺を探索した際に、何対かの邪精霊と戦闘したことを思い出す。あれらに襲われれば少女一人など簡単にひき肉にされてしまう。
そんな不安をかぶりを振って頭から追い出し、渡された資料を思い出す。それによると対象の少女は、膨大な精霊力を持っている。それがあれば簡単に死ぬことは無いだろう。ただ資料には、少女は精霊術を使うことは無かったとも書かれていた。精霊力を多く持っているにも関わらずだ。
いくら精霊力が豊富にあっても、それを使えなければ意味が無い。それが本当なら今ごろ邪精霊に襲われて死んでいるのではないか。そんな想像をしてしまう。
「死んでいてもいい。死体さえ見つかれば……」
少女はルストビア国で行われていた研究の実験体だった。
その研究とは、見つかったとある精霊遺跡についてだ。その遺跡は広いうえに、それ自体が精霊遺物という構造を持っていた。見たことが無い材質で作られた廊下と壁、炎でも太陽でもない光で天井から降り注ぐ光、自動で開く鉄の扉。そして、数々の奇妙な精霊遺物。
見たことも無い多くの機械に針がついた筒。部屋を一つ埋め尽くす巨大な装置。人が入れるほど巨大なガラス管と、その内部に貯められた液体。色とりどりの錠剤。
その発見に最初は歓喜したが、精霊遺物は使用方法がわからなければ意味が無い。そこで国中から精霊遺物の研究者を集め、遺跡に残っていた本や書類の解読をはじめた。
そして一人の研究者が結果を出す。それはなかば狂った研究者だった。狂っているからこその行為、人体実験によって一つの精霊遺物の使用法を発見する。それは人の体を造り変える物だった。最初の犠牲者は、邪精霊へと造り変えられた。
それを受けて国からの後押しにより、死刑囚や重犯罪者、孤児を使っての人体実験がくり返された。それに伴ういくつかの精霊遺物の使用法の発見により、その実験は次なるステップへ向かう。そして狂った研究者によって多くの犠牲の果てに、一つの結果が身を結んだ。その成功例が、銀髪の少女だった。
少女は精霊術を全く使えない、最下級であるピクシー級からその精霊力を大きく引き上げた。この研究結果はつまり、最下級の精霊力を持つ人間を精霊術師として、またはそれ以上に引き上げることが可能になるかもしれないということだ。また、精霊術師の実力を底上げすることも可能になるかもしれない。
この研究結果を王へ披露するため少女を移送しようとしていたその時、事件は起きた。その研究所をかねた精霊遺跡から、多数の邪精霊が逃げ出した。なぜこれほどの邪精霊がいたのかというと、狂った研究者が無断で生み出していたのだ。
その混乱の結果、少女は行方不明。原因となった研究者とその他多くの人間を諸共に、精霊遺物と遺跡は破壊された。
研究者が行った愚行に、思わずサハウの顔が憎悪に歪む。
彼が不幸だったのは、その狂った研究者が自分が所属する派閥に存在していたことだ。おかげでこんな任務を言い渡されることになった。精霊遺跡を失い、その研究結果も多くが消失した。人的被害も深刻だ。なにしろ解き放たれた邪精霊がルストビア国の各地で暴れたのだから。
これで研究の成功例である少女まで失えば、大失態で終わる話ではない。少女を確保したところで取り消せるような失態ではないが、それでも何とかしなければならないのだ。すでに上司の首に縄はかかっていて、いつ自分の首にそれが巻かれるのかもわからない。
崖の縁に立つ自分を今一度自覚するサハウの顔に焦燥が浮かぶ。
「絶対に見つけなければ……」
路地を歩くサハウ。すでに時間はかなり経過している。人と出会うことはほとんど無かった。見かけても姿を隠したサハウを見て、逃げる者ばかりだ。人が少なく出入りも無いこのドッグの街では、よそ者はよく目立つ。
苛立ちを隠せないサハウは、路地の片隅で座る老婆を発見した。それに彼の鼻が反応した。多くの任務で培った感覚が、その臭いを嗅ぎつけたのだ。
サハウは老婆の前へ立つと静かに言った。
「人を探している。心当たりはないか?」
しかし老婆はただ座っているだけだ。そこにサハウは懐から取り出したものを老婆へ握らせる。金貨だ。その老婆の表情が微かに動くと、その金貨を恭しく自らの懐へおさめた。
金貨というのは情報代としては破格である。一枚で庶民が半年以上は生活できる金額だ。しかしサハラには出し惜しみする余裕は無い。一刻も早く情報が欲しかった。
「……誰を探してるんだい?」
「子供です。銀色の髪の毛の少女。どんな情報でもかまわない」
老婆は枯れ木のような指を動かし、彼を近くへ呼び寄せた。
サハウが腰を折りその耳を近付けると、老婆は彼の耳元でささやいたのだった。
サハウは老婆に礼も言わず立ち去ると、大通りを目指した。本当なら走りたいところだが、それで目立ってしまってはまずい。万が一にも少女を取り逃がすような事態は避けなければいけなかった。早足で大通りへ出る。
すると視線の向こうで、あたりを見回している人影があった。シャガルだ。大通りの中心でキョロキョロと周囲を見回している姿はひどく目立つ。思わずサハウは舌打ちをしたくなった。先程よりも早足でそちらへ向かう。
「どうしました、シャガル」
「おお、サハウか。実はな、見つけたぞ。銀色の髪の娘だ」
サハウは驚愕の表情を浮かべた。まさかシャガルにそんなことができるとは思っていなかったのだ。彼に大通りでの捜索を命じたのも、そうすれば自分が見つけやすいと考えただけだった。
「で、では、それはどこに?」
「それなんだがなあ……すまん。逃がしちまった」
少しも悪びれた様子も無く、シャガルはそう言った。サハウは開いた口が塞がらない。
「なぜそんなことに。最初から話してください」
サハウと別れたシャガルは、のんきに鼻歌を歌いながら、ぶらぶらと人通りの無い大通りを歩いていた。特に目を引く様なものはない。どれこれも、同じ様にくたびれてしまっている。
一匹の痩せた野良犬がいたが、通りの端を鼻で地面の臭いをかぎ続けていて、シャガルへは一度も顔を向けなかった。ここでは人も犬もまるで活気が無かった。
「屋台でもないかなあ」
大きな街では通りに沿っていくつもの屋台が軒を連ねているものだ。そこかしこから美味しそうな香りが漂い、それに引かれた人々が買い求める。そんな光景はこの街には一切無い。屋台どころか営業している店すらほとんどないのだ。
屋台の香りを思い出したシャガルは、空腹感を抑えながら歩く。と、そこでとある建物の扉に看板がかかっているのを発見した。そこには営業中と書かれている。
寂れた外観からはどんな店かも分からない。そこが飯屋であればいいなと思いながら、シャガルは扉を開けた。そして目に入った光景に、思わず肩を落とした。
「いらっしゃい。奥さんか恋人にでも贈り物を買いに来たのかい」
陽気で人懐っこくシャガルを迎えたのは、髪の毛を頭上で結んだ女性だった。若い顔立ちだが、おそらく三十前後の年齢だろう。
「ああ、いやあ……そうじゃないんだけどな……」
棚に並んでいる女物の衣服を見て、ここが食い物を出すような店ではないと理解したシャガルは店を出ようと思ったが、そこで自分の任務を辛うじて思い出した。
しまりのない顔でカウンターの女店主へと近づく。
「実は客じゃないんだよ。人を探してるんだ」
「おや? どんな人だい?」
シャガルの表情は演技ではなく自然な笑みを浮かべている。それは演技でも何でもないので、女店主は特に警戒を覚えることも無かった。しかし、シャガルの一言でそれは変化する。
「銀色の髪の毛の女の子なんだけど、知らないかな?」
「……いいや、知らないね。どうしてその子を?」
わずかに女店主の表情が緊張していることを、何事にも大雑把なシャガルが気付くことはなかった。力の抜けた笑みで彼は答える。
「詳しいことは言えないんだけどさ、俺の上司がさあ、どうしても連れて来いってうるさいんだよね。面倒だけどこれが仕事だからさ」
「ふうん……」
女店主は興味が無さそうな態度を取る。しかしその目は冷徹にシャガルを捕らえていた。
その時、店の扉が開いた。二人の顔がそちらへ向く。
「こんにちは・・・」
顔を出したのは銀色の髪の毛の少女、マチェーラだ。使用人服で胸に多くの荷物を抱えている。
その姿を見てシャガルは目を丸くさせると指さして何かを言おうとしたその前に、女店主は叫んだ。
「逃げな、マチェーラ!」
その迫力に押されたのかマチェーラはびくりと体を震わせると、慌てて店の扉を閉じた。
事態についていけなかったシャガルは口と手を中途半端なままで、閉じられた扉をただ見つめていた。やっと我に返り、女店主に問いただそうとそちらを向けば、すでにその姿はどこにもなかった。彼は店内に一人取り残されてしまったのだ。
「……というわけなんだけど」
サハウは思わず頭を抱えた。せっかく見つけた少女をみすみす逃がしてしまうとは。
「どうしてすぐに追いかけなかったのですか!」
「いや、俺もすぐに外へ出たんだけどよ、いなくなっちまってたんだよ。で勝手に探して迷子になったらお前に怒られるかなーって思って、ここで待ってたんだけどさ」
なぜサハウが怒っているのかわからいといった顔で、シャガルはそう説明した。サハウは深々とため息をつく。
「……マチェーラというのが少女の名前ですかね」
サハウが見た資料には、少女の名前は無かった。そこには番号だけが書いてあった。あの場所では人ではなく、誰もが実験動物として扱われていたのだ。
「その少女は銀髪で、使用人服を着ていたのですね」
「おう。それは間違いなかったぞ」
サハウがあの老婆から得た情報は、銀髪の使用人が最近街の領主の屋敷で働き始めた、というものだった。その情報とシャガルの話は合致する。
「もしかしたら街の外へと逃げているのかもしれませんが、とりあえずその屋敷を確認してみましょうか」
マチェーラは大通りを走るのではなく、路地へとその体を滑り込ませた。複雑に入り組む路地を、マチェーラは必死で走る。胸に抱えた荷物が重い。
女店主に叫ばれて反射的に逃げたが、これでよかったのかと自問する。彼女の表情はマチェーラにそうさせるほどの迫力があった。
あの時こちらを向いて何かを言おうとしていた男は誰なのだろう。見たことの無い顔のはずだが、そもそも記憶があやふやなマチェーラにはそれが知り合いかどうかなど不明だ。
走り続けた体は悲鳴をあげている。息が苦しい。すでにその速度は歩いているのより少し速い程度だ。やっと屋敷へとたどり着いた。
足を引きずるようにして扉を開ける。するとそこにはシュミットとエピティがいた。エピティはリッターを装着しておらず、その隣にそれが護衛のように立っていた。
二人と一体の顔がマチェーラへと向けられた。
「どうしたんだマチェーラ。そんなに汗をかいて」
「なんでそんなに息切れしてるんだ?」
『体温、脈拍ともに上昇。呼吸の様子から運動していたと思われます』
「荷物があるってことはお使いか? そんなに急がなきゃいけないことだったのか」
マチェーラは荷物を落とし、ふらふらと怪訝そうなシュミットの胸へすがりつく。混乱するシュミットは、どうしていいかわからない。
「何があったんだ、マチェーラ。いいから離れろ」
呼吸が落ち着くまでマチェーラはシュミットにしがみついていた。それからマチェーラは何があったか話す。とはいっても話す内容は、あの店に行ったら男がいて、女店主に逃げろと言われたから逃げた、というだけのものだった。
「シュミット、すまん。私には意味がさっぱりわからない」
「……そうだな、多分だがその男はマチェーラに用があるんだろ。で、そいつはその居場所を聞いていた。そこに偶然マチェーラが来た、ってところか?」
運が悪いなお前は、とマチェーラを見る。
「逃げろって言ったのなら、お前がここにいいるっていう情報は言ってないはずだ。まあ、無理矢理に吐かされる可能性があるがな」
その言葉に狼狽するマチェーラ。それを笑うシュミット。
「あいつはそんな簡単にやられるような女じゃない。気にするな」
「私も同感だな。あの人ならどうとでもするだろう」
しかしマチェーラの表情は強張ったままだ。
「さーて、その男がマチェーラの知り合いか、または関係者だとしてだ、どうする?」
マチェーラは記憶を失っている。男と会えばそれを取り戻す手助けや、その素性を明らかにできる可能性もある。しかし、あの店主が逃げろといったのが気になった。
この死にかけた街に居座るような人間は、大なり小なり後ろ暗い部分がある人間ばかりだ。それでもあの女店主とはそれなりの信頼関係を築いている。彼女が逃げろと言ったのなら、おそらく男は友好的な相手ではない。
シュミットは見捨てるという選択肢を考えるが、俯いて唇を噛むマチェーラを見るとそれもできそうに無かった。エピティも許さないだろう。
「とりあえず、姿を一旦消すか」
「しかし、どこへ隠れる。そんな場所があるか?」
すでに街へ入られているなら、確かにこの街は広く空き家だらけなので隠れる場所はいくらでもあるが、完璧とは言えない。では外はというと、まず人の出入りがないので街から出ようとすれば目立つ。
「よし。ロートケールの中に入れマチェーラ。あれにまさか人がいるなんて思わないだろう。しばらく不便かもしれないが、それしかない」
「……うん。わかった……」
「よし。ではさっそく行こうマチェーラ」
エピティは不安そうなマチェーラの手を取る。まだ強張った表情ながら、マチェーラはかすかな笑顔を見せた。
厩舎の中にあるロートケールへ向かう。燃料槽の扉はずっと開きっぱなしだった。
「窮屈かもしれないが、ここに隠れていてくれ。すぐに何とかしてやるからな」
「ありがとう、エピティ」
互いに手を握り合い、女同士の友情を確かめている二人。感動的な場面だが、かやの外のシュミットとしてはどうでもいい事だった。
「あれー? 人の気配がして来てみれば、大当たりじゃねえか」
突然聞こえた声に、全員が勢いよくそちらへ顔を向けた。見ると厩舎の入り口に二人の人間が立っていた。
「あれがお目当てのものってことでいいんだよな?」
「銀色の髪に背格好も資料通。間違いありません。すぐに確保しましょう」
それはシャガルとサハウの二人だった。シャガルの顔を確認したマチェーラの体が強張る。それを見たシュミットは、彼らがマチェーラを探している人間だと確信した。
「他にも人が二人と、あれは鎧か? いるけど、それはどうする」
「面倒です。殺さない程度に排除しましょう」
シャガルは背負っていた身長ほどもある大剣を、片手でいとも簡単に抜いた。それを見たシュミットの顔が引きつる。
「問答無用かよっ!」
シャガルは弾き飛ばされたように加速した。たった数歩で距離を縮め、その剣をシュミットへ振り下ろす寸前、赤い影が割り込んだ。それはグラーフが操るリッターだ。赤い鎧が持つ同じほどの長さの武器は、速度の乗った斬撃を完全に受け止めている。それを見たシャガルの顔が驚きを浮かべた。
動きが止まったシャガルへ向けて、エピティが剣を繰り出す。容赦のない攻撃は的確に相手を殺そうとするものだった。不意打ちであるはずの高速の剣は、かすりもせずにシャガルによって回避された。
一歩で距離を離したシャガルが楽しそうに言った。
「本気じゃねえっつっても、俺の攻撃を防いだぞあの鎧。誰が入ってるんだ?」
「油断するからです」
シュミットには見ることすらできない一瞬の攻防だった。エピティも鬼気迫る表情をしている。しかし二人の男は涼しい顔だ。彼らにとっては取るに足らない事なのだろう。自分達の不利をそこで確信する。
「マチェーラ、早く入れ! 逃げるぞ!」
『二名を高脅威敵性物に設定します。エピティ様はリッターを装着してください』
「わかった!」
「えっ、きゃっ!」
シュミットはマチェーラを燃料槽へ押し込み扉を閉める。グラーフはリッターの背中を開き、そこへエピティは体を滑り込ませた。
それが何を意味するか分からないシャガルとサハウは、一瞬動きを止めた。
「っ、シャガル! あの赤い鎧を倒しなさい!」
地面を蹴り、シャガルが肉薄する。すでに装着を終えていたエピティは、精霊力が込められた剣を横へ振るった。込められた精霊力に目を丸くし、シャガルは慌てて剣へ精霊力を纏わせたが、最初から力を抜いていたためその量は少ない。全力で振るわれたエピティの攻撃は大きくシャガルを吹き飛ばした。
その光景に驚いたのはサハウだ。人格はともかく、その実力を評価していたシャガルが全力では無いとしても攻撃を返されるとは思ってもみなかったのだ。
ロートケールの各部に光が灯る。マチェーラが光の体となり、ロートケールと融合したのだ。シュミットが叫ぶ。
「エピティ、いったん逃げるぞ!」
エピティはシュミットを片手で抱き上げると跳躍し、ロートケールの上へ乗る。そしてシュミットを開いている操縦席へ投げ入れた。
「痛っ! 無茶をするなっ!」
『シュミット、操縦席を閉じるよ。固定ベルトもつけるからねっ!』
シャガルは吹き飛ばされながらも空中で姿勢を立て直し、着地と同時に再び跳びかかる。
「やるじゃねえか。これならどうだっ!」
「シャガル、殺すのはやめなさい!」
死体をでもいいから見つけろと命令されているが、殺してその死体を回収しろとは言われていない。それどころか生きているなら絶対にそのまま連れて来いと厳命されている。なにしろ唯一残った研究結果。これがあると無いのでは、その評価が全く違う。
サハルの声も届かず、精霊力によって光り輝くシャガルの大剣は勢いよく振り下ろされる。それに気づいたシュミットが叫ぶ。
「防げ、マチェーラ!」




