第八幕 「二つの眼」
ガキガキガキ、二つの何かがぶつかり合う音が聞こえる。その力同士がぶつかるたび、地面にヒビが入るような音が聞こえる。
「ハアッ……ハッ……!」
星神様はひたすら斬りつける。相手は未知の鬼。考えもなしにそのまま向かっていけば、五百年前の繰り返しだ。できる限り首や胸元を狙うが、なかなか刃が通らない。鋼のように堅い爪が邪魔をする。相手は軽く傷ついただけで、星神様はかなり消耗していた。
「負ければ地獄……か」
下には鬼神様が開いたままの地獄の門があり、奴の足はまだ地獄から出ていない。門からは様々な鬼と亡者が見える。もはや人の姿をしていない亡者は地獄から抜け出そうとする亡者を引き戻す。ずっとその様子が見える。それだけでなく鬼の拷問の様子もよく見える。もう見れたものではない。
このまま落とされれば、星神様も地獄へ引きずり込まれる。二度と出てくることができない。
「諦メロ……オ前ノ様ナ力無キ神ガ勝テルト思ッテイタノカ!?」
「思っていたさ……寧ろお前に勝つことしか考えてないね……!?」
何か力を感じた。後ろを見てみると、水無月達が祠で何かを見ている。そこに何かあるのだろうか?
「ヤメ、ヤメロウォ……! ソコヲ開ケルナ! アア……傷ガ疼クゥゥ……!!」
急に鬼神様が苦しみ始めた。その様子は、何かにおびえているようにも見えた。
早急に星神様は、彼女たちの下へ向かった。彼が来たことに気づいた水無月は、笑顔と悲しみが混ざったような顔をしていた。
「星神様! 聞いてください、鬼神様を倒す術が分かったんです……星神、様?」
星神様は、祠の中の眼を見た瞬間……まるで別人のような顔になった。
「……俺の、眼」
「へ? 何を……」
「片方は……俺の左目だ……」
そういうと、彼の眼無き左目からは涙が流れていた。その涙が地面に落ちた瞬間、片方の眼は空色に輝きだした。まるで美しい、晴天の澄んだ空の色。その光は、なぜだか太陽のように暖かく感じた。
――ああ、なんて暖かいのだろう……。
眼は、星神様の在るべき場所へ吸いこまれるように向かっていき、その場所に収まった。
亡くなった左目が、戻ったのだ。
「あ、ああ……」
――頭に、忘れてしまっていた物が蘇ってくる……。
まるで散らばった鏡の破片を繋げるように、欠けていた物が修復されていく。
「星神様……め、目が戻った! 無くなった目が戻ってきましたよ!」
水無月は泣いて喜んでいた。ボロボロと大粒の涙は流れていく。
「水無月、やったよ……やっと思い出した」
「え……? あっ、もしかして!」
「水無月……思い出した!! 名前を思い出したんだ!!」
「オ、オォオアアアあアアああぁァアアぁあああああ!!!!」
谷中に叫び声が響き渡る。その声はまるで、苦しんでいるようだった。
「アア……ヤメロ……ヤ、奴ガ出テクルゥ……!」
「どうやら祠の封印を剥がしたおかげで、彼の弟君の方の呪縛が弱まっているようだ」
陽英はその場の状況を冷静に分析する。その言葉を聞いて舞い上がっていた二人は状況を再認識した。
「そ、そうでした……鬼神様のことを忘れてました」
「一体、どうすればいいのだ……」
ガンッ。
下から何かを打ち付ける音が聞こえた。下を見ると、自尊心の高い陽英が、星神様に向かって土下座をしている。これにはその場にいた水無月と長老は驚いた。
「星神様……どうか、私に力を貸してください!」
「滅す方法を、知っているんだな? 話してくれ」
陽英は自分が何者か、これまでに何があったかすべて話した。もちろん、水無月の正体も。
「そうだったのか……。だがなぜここにある眼を戻せば鬼神が倒せるんだ?」
「それは、私の推論ですが……恐らく右目を失った際に神の力が一部欠落し、そこに鬼が付け入ったのではないでしょうか」
「ああ! それで右目を戻せば力が戻って、鬼を追い出せるかもしれないってことですね?」
「恐らく、だがな」
「俺が右目を奴に戻せばいいのだな? 陽英殿」
「はい。鬼が出てきた瞬間に、即滅します!!」
――正直、やばいかもな……。
星神様は、この単純な作戦でも成功させる自信がなかった。何しろ先程の戦闘と村人に襲われた時にかなりの体力を消耗しているのだ。残った力を全部振り絞らなければ、地獄に真っ逆さまだろう。
「星神様ぁーーーー!!」
後ろから水無月の声が聞こえた。振り向き、向けられた顔はとびっきりの笑顔だった。
「頑張ってください!!」
「……ああ!!」
その一言だけで、疲れや痛みは吹き飛んだ。
そして、鬼神へと、向かっていった。
「……っ!! 来ルナァ……来ルナァアァァアアアアアア!!!!」
ただ無鉄砲に鬼神様は虫を追い払うように腕を振り回す。その様子はまるで五百年前の星神様と同じだった。我を忘れ、ただ攻撃を当てようとする。そんな攻撃、彼には一発も当らなかった。寧ろ蠅が止まっているように見える。
「哀れな鬼よ……!」
「グギャァァ!? ウ、腕、ガァア!」
星神様は的確な動きで、左の中指から魚を二枚に下すように真っ二つに斬っていった。丸太よりも何倍も太い腕を、刀一本で骨ごと刻んでいく。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「ウググ……コンナ、コンナ奴ナンカニィィイイイィィィイ!!!」
刀は肘まで達し、一気に肩まで切り落とした。
血が出ないほど綺麗に、真っ二つに斬られた腕は地獄の門へ落ちていき、鬼たちが喰らいついていた。
「ウ、腕……俺ノ腕……!」
「腕を気にするとは余裕だな」
ハッと気づいた鬼神様は声の聞こえた方を見る。そこには右肩に悠然と座っている星神様が居た。
「ちょっと押されたくらいでここまで取り乱すとは……。天下の鬼神様も終わったな」
スッと立ち上がり、手に持っていた眼を鬼神様の顔に向ける。眼は星神様の手から離れ、橙色の夕日のような美しい光を放ち、空っぽの右目の部分に近づいて行った。
「ヤ、ヤメロ!! コイツガ……コイツガ目覚メテシマウ!! セッカク苦労シテ手ニ入レタ器ナノニィイィ!! ウ、ウアァアアァアアアアァァァァアァァアア!!」
眼があるべき場所に収まり、鬼神様の黒い体が橙色に光りだす。その光の中心から、誰かが出てきた。
もう一人の、星神様だ。
「鬼よ滅されろ!!」
星神様が弟神様を抱きかかえ、水無月達の下に戻ってきた。それを確認すると陽英は、何やら術の詠唱を始めた。
水無月は、弟神様を凝視する。
――星神様に、そっくり……。
星神様は、目も髪も服もすべてが空色だが、弟神様は彼とうり二つの顔に、すべてが橙色だった。まるで沈みかけた夕日の空のように服の裾は若干、夜空の様だった。
「う、ぐぅ……」
何やら陽英の様子がおかしい。なんだか苦しそうで、嫌な汗をたくさん掻いている。
先ほどより小さくなった鬼神様が、陰陽術の陣のようなものに縛られている。その中でもがき苦しみ、足掻いている。
そして、陽英は叫んだ。
「くっ……やばい、全員離れろおお!」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
奇声が新たに谷中に響き渡る。村人を気絶させた時とは違い、何だか鼓膜が破れるような力強い声だった。何か危険を感じ、全員速攻で岩陰に逃げ込んだ。
「叔父さん、何が起こったんですか!? 鬼神様は……鬼は――?」
「見てみろ」
陽英が指差した方を見ると、地獄の門から鬼達が溢れ、鬼神様の周りを囲んで奴を守っているように見える。陽英が何か合図をすると陣が小さくなり滅そうとするが、代わりに鬼達が滅されていく。
「奴らが盾になっているのか……」
「弟君が解放されてから奴の力が弱まったのか、地獄から鬼が溢れている。このままでは限がない……門を閉じねば!!」
「儂が行こう」
長老が急に立ち上がり、鬼の方へと歩いていく。
「長老様!? 何をしてるんですか!!」
水無月が手を掴んで引き留めるが、長老はその足を止めようとしない。長老は水無月の方を向き、悲しい顔をした。
「水無月……見たところ、そこの星神様がお前の恋人じゃろ? 儂はお前を苦しめた。お前の両親を殺した。今こそ……ケジメを付けさせてくれ。そして――幸せになってくれ」
「な、何を言っているんですか!? 自ら死ぬつもりですか!!」
長老は彼女の意見を無視し、陽英と星神様に告げた。
「陽英殿、星神様。あの門は鬼神様と開く手助けをした儂にしか閉じることはできん。しかも閉じるには一人分の魂という対価がいるんだ。できれば抑え込んだまま、奴を門の中に押し込んでほしい」
「ま、待ってくれ長老殿! そしたら貴方はそのままずっと地獄に閉じ込められるぞ!? 鬼神がまた出てくるかもしれない!」
星神様が声を荒げながらも説得を試みる。だが、彼の決心は一寸も揺らがなかった。
「大丈夫じゃ。奴は代々村長の術の手助け無しには門は開けられん。全てが、終わるんだ」
もう彼女は何回泣いただろうか。膝を落とし、長老の服にしがみつき泣いた時は、恐らく今までで一番の涙を流しただろう。そんな水無月の頭を、長老が子供をあやすように優しく撫でた。
「いっ逝かないで、ください……! だっ、て、長老様はっ悪くないんです! 悪いのは、鬼神様なんです! たった……たった一人の家族なのに、一人にしないでください!!」
「……水無月、最期の爺の願いくらい聞いてくれ……それにお前は一人じゃないんだ。彼らが居る」
「長老殿、準備ができました。急いで」
陽英の言葉に気づいて水無月は門の方を見る。見てみると鬼神様は鬼と共に、殆ど門の中に入っていた。
水無月を突き放し、門の方へと……地獄への道を歩く。水無月はさらに泣き崩れた。
「哀れな鬼よ……儂と共に地獄へ堕ちようぞ。水無月!」
水無月の方を向き、笑顔で伝えた。
「逝ってきます」
長老は、地獄へ堕ちて行った。鬼に引きずり込まれる様子を、水無月達は最後まで見届けた。
地獄の門は閉じ、灰となって谷底へ舞って行った。
すべてが、終わった。