第七幕 「鬼神様」
遂に、その時は来てしまった。
白装束に着替えさせられ、裸足のまま少しずつ死への一歩を歩む。
目の前を儀式用の衣装を着た長老が歩き、男達に囲まれ、女子供からは石やゴミを投げられる。それが当たると地味に痛い。
周りから聞こえてくる罵声や笑い声はもう気にしない。今まで散々嫌われてきたのだ。昨日も散々罵られたので、気にする必要もない。
――ああ、死ぬのか。
水無月の頭の中で「死」、この一つの単語が頭の中でぐるぐると廻り続ける。
――「死」。生きとし生ける者全て平等に訪れる命の終わり。
「長老さ……あぁ!」
ただ無言、棒で殴られる。喋るなという無言の命令を下される。
「構わん……何だ?」
「あの、死んだら……どうなるんですか」
沈黙。いや、見張りの男達から小さな声で「地獄に堕ちろ」と呟く声が聞こえる。その問いに、長老は静かに答えた。
「……死んでみなきゃ分からんよ、それは……」
回答を聞いた後、水無月は一言も喋らなかった。
気づいたらもう「地獄の入り口」に着いていた。谷沿いの真ん中には星神様のよりも大きい祠があった。あそこには鬼神様の大事なものが祀られ封印されていると聞いたことがあった。
崖から落ちるか落ちないか、そんなギリギリのところまでたたされた。水無月の死まで、もうそんなにかからない。
「鬼神様鬼神様。貴方様のお言葉通り、水無月と言う名の娘を連れて参りました。どうか我々の願いを叶えて下さいませ!!」
儀式が始まった。村人たちは跪き、長老は祠の前で祈り、何かお経のようなものを呼んでいる。
――最期に……貴方に会いたかったな。
星神様に想いを告げられ、水無月も彼に想いを伝えた。伝えたばかりだったのに、二人の恋はこれからだったのに。こんな運命はあまりにも悲しすぎる。虚しすぎる。やり残したこと、やりた会った事がまだたくさんありすぎる。
「力無き我には手助けしかできぬ!!」
谷底の闇に歪みが生まれた。
――もっと二人で、遊びたかったな。
「どうか開きたまえ!!」
何か赤い炎のようなものが見える。
――恋人らしいこと……一回もしていないなぁ……。
「地獄の炎、現世の呪縛を溶かしたまえ!!」
血のように深紅の炎が大きく燃え上がる。
――初めての恋を知ることができたから……よかったかな?
「我にできることはもうありませぬ!!」
炎の中の闇にヒビが入り、何か手のようなものが見えた。
――死にたくない。
「残りは自らのお力で開かれよ!!」
ビキビキビキと闇から夜の闇の色をした怪物が現れた。
――星神様と一緒に居たい。
「我の名の下にこの地へ君臨せよ!!」
巨大な鬼が徐々にその姿を露にする。
――星神様、貴方を……
「鬼神様あああああああ!!!」
巨大な手が水無月へ近づく。
――愛していました。
「水無月ぃぃい――――――――――――!!」
「……!」
来た。水無月の愛する人、星神様。どうやら神として残っている力で、ものすごく勢いよく空から飛んで。
しかし、遅かった。
巨大な黒い手は水無月を掴み、谷底へと引きづり込む。炎はすでに消えており、谷底に見えるのは別の世界……「地獄」だ。
一つの希望を持って、水無月は心から叫んだ。
「星神様ぁーーーー!!」
ドスゥ。
何か肉が裂ける音が聞こえた。黒い手の中から見ると、鬼神様の大きな口の中で星神様が一本の刀を突き刺していた。
「ぎゃあぁァアあぁあァァアぁぁあああアァアアアア!!!!」
恐ろしい悲鳴が谷中に木霊する。その恐ろしい鬼の声に、数人の村人達は気を失った
「え、きゃあああああああああ!?」
――落ちる!?
星神様の強襲に彼女を掴んでいた手が緩み、そのまま谷底向かって落ちて……否、落ちずに何かに包まれた。
星神様だった。
「よかった……間に合って……」
「ほ、星神様……」
死への恐怖、村人達の蔑む視線への恐怖、初めて見た鬼神様の恐怖。それらから解放されたことが分かると安心したのか、彼の胸に顔を埋めて大粒の涙を流し始めた。
「ナ、何ダオ前……?」
「星神様さ……運命に抗う為に、ここに来た」
ギロリと大きな左目で二人を睨む。今の状況を長老と村人は理解できずにいた。
「な、何が起こったんですか長老!?」
「あの男は……!?」
地獄から現世に現れ、目の前に具現化した鬼神様と、突如空から現れた謎の男。何が起こったかは当事者にしかわからないだろう。
「水無月……」
だが長老は何となくこの状況を理解していた。今やってきて水無月を助けた男は恐らく彼女と恋仲で、そして鬼神の昔話に出てきた――兄神様であるということを。
「貴様……儀式ノ邪魔ヲスルトハ、ドウナルカ分カッテイルノカ!?」
怒号をまき散らす鬼神様。その中で星神様は冷静に彼女を地面の上に連れて行った。
「水無月、ここで待ってて。五百年前に果たせなかった俺の願いを、今そこ叶えてくるよ」
「あ、まっーー!」
水無月が言葉を発する前に、彼は鬼神様に斬りかかった。といっても油断していた時とは違い、なかなか攻撃がうまく届かない。
何もできず眺めていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「これは一体何事だ!!」
「叔父さん!?」
数人のお供を連れて、基塚陽英がやってきた。村の変に騒がしいことに気づき、顔色を変えてやってきたのだ。
「水無月、何があったんだ! あれが鬼神か……なんて恐ろしい……!」
「じ、実は――」
「くっ……邪教信者めが……! 姪を生贄にだと……」
話を聞いて衝撃を受けたのか、驚きが隠せないようだ。お供に何か指示を出そうとするところに、長老がやってきた。
「陽英殿」
「長老殿! 貴様私の大事な姪を生贄にするなど正気か!?」
長老の胸ぐらをつかみ、思いきり怒鳴り散らした。あれほど冷静だった陽英が取り乱している。水無月は驚いていた。それほど身内の自分を心配してくれていたことを知り、何だかうれしかった。
そして長老の口から、驚きの言葉が飛び出した。
「陽英殿……儂は、鬼神様を滅する方法を知っておる」
「何……!?」
「水無月の父……英月殿が死ぬ前に儂に託したのだ。兄か、水無月にその時が来たら教えてくれと」
「助かりたいからと嘘を吐くな!!」
「嘘ではない!!」
長老の真剣な目に睨みつけられ、陽英は反論できなかった。ゆっくりと長老を下し、長老は急に頭を下げた。
「すまん……水無月。儂は今までお前に嘘を吐いていた」
「嘘、ですか?」
「ああ……お前の両親が死んだのは、儂のせいだ。すまない……すまない……」
長老は頭を少し上げ、しかし顔は地面を向きながら、泣いていた。
「今から儂の話すことは、すべて真実だ。落ち着いて聞いてくれ」
「……はい」
「儂は若いころ……鬼神をあまり信仰していなかった。村中の異常な依存に、嫌気がさしていた。しかし、次期村長と決まっていた儂は、嫌々と信仰していた」
陽英は驚いて目を丸くし、水無月は声が出なかった。その様子にかまわず、坦々と話を進める。
「今から十五年前、水無月達がここにやってきて住み始めた。儂や村の者たちは普通に歓迎したよ。そしてお前が十歳の時、あの事件が起こった……」
「あの事件……?」
長老は一瞬言葉に出すのを戸惑ったが、覚悟して言葉を紡いだ。
「お前の父、英月殿は陽英殿と同じく鬼神様を滅そうとしたのだ」
「何ぃ!?」
「父が……鬼神様を?」
「そして鬼神様は村に災いがくると予言し、生贄を要求した」
「まさか……」
「要求した生贄は、水無月の両親。儂が二人を殺したんじゃ!!」
――八年前。
『済まぬ……いくらでも儂を恨んでくれ……』
『いいです、長老様。水無月のこと、よろしくお願いします』
死ぬことを覚悟した二人の夫婦は、これ程になく素晴らしいくらい、清々しい笑顔をしていた。
『長老様、貴方に一つお願いがあります』
『なんじゃ……儂にできることならなんでもする!!』
『俺の家に日記がたくさんありますが、そのうちの二十一冊目の七月二十九日のところに、鬼神を滅する術、真実が書いてあります』
『何!?』
『もし水無月がすべてを知りたがったら、この村に俺の兄が来たら……そこに書いてある内容を伝えてください』
『分かった……必ず、伝えよう!』
『それでは、逝ってきます』
勇気ある夫婦は、自ら谷へ落ちて行った。
「いくらでも儂を恨め水無月……お前の両親を死に追いやったのは儂なんだ! この罪、いくら償っても償いきれん……!」
長老は大粒の涙を流しながらその骨や血管が浮かび上がっている弱弱しい拳で地面を殴る。ゴッゴッ鈍い音が鳴り、地面には血が染み込んでいた。
そして懐から一冊の本を取り出した。
「これが例の日記だ。儂には勇気がなくて読めんかった……お前たちが読むべきだ。……読んでおくれ」
受け取った水無月は、急いで七月二十九日の場所を開く。開いたところには――驚きの真実が書かれていた。
七月二十九日 晴れ
俺は偶然知ってしまった。一族の秘密を。
恐らくこの事実は、一族の誰も知らないことだ。誰もそんなそぶりは見せていなかったから、間違いないだろう。
俺が住む京からさほど遠くない山にある星洋村、そこに存在する鬼神伝説。そしてこの伝説に出てくる空姫……。
この空姫は、基塚家の祖だ。
「何!?」
「これは……一体?」
なぜ俺がこれを知ることに至ったかは、今ここに記す。
五年前、兄上は基塚家当主になった。別に俺はこのことに関して異論はない。俺達は互いに認め合っているからな。
俺は立派に兄の補佐を務められるよう、日々陰陽術を磨いてきた。そして書庫を漁っていたら、厳重に鎖で施錠された箱を見つけた。
中に入っていたのは、空姫……否、基塚空の日記である。ここに書
かれている重要な部分のみ抜粋したものを書いておく。
『私は愛する人を裏切った。私は星神様を助けたい、命に代えても。
待ってて星神様……今の私には無理でも、いつか私の子孫が貴女を
鬼から解放しに参ります』(一冊目から抜粋)
『私は長年の研究の末、ようやく彼を助ける術を見つけました。弟
子に調べさせに行った所、あの時に抉り取られた彼の右目は、あの
時と同じ場所に保管されているそうです。彼を助ける唯一の術、そ
れは……彼の右目を返すこと』(千二十五冊目から抜粋)
空姫はこの事を記述した後、すぐ死んでしまったらしい。さぞ無念だったことだろう。私は鬼神を滅しに行こうと思う。娘は三歳
になったばかりで不安だが、大丈夫だろう。
俺はご先祖様の未練を果たし、星神様を必ずもう一度空姫に会わ
せたい。
絶対に。
日記を読み終えた二人は、目の前の真実に言葉を失った。
「空姫が……私達のご先祖様……?」
「空姫は、確か伝説で登場した姫君……勤勉な弟だったから、ここに書かれていることは真実だろう」
そういうと陽英は、何かに気づいた顔で長老の肩を掴んだ。
「長老……ここに書かれている『あの時と同じ場所に保管されている』、それはここで間違いないですか!?」
「あ、ああそうだ。恐らく保管されているのは、あの祠だと……」
そういいながら祠を指さす長老。三人で祠に向かって走る。見てみるとその祠には、複数のお札が貼られていた。
「これは封印の札……間違いないここにあるはずだ」
そういうと陽英は何かお経のようなものを呟き、お札をどんどん剥がしていった。お札を剥がすと、周りに巻きついていた鎖が外れ、粉々になって地面に落ちた。鍵のようなものがついていたが、これは容赦なく壊した。
そしてついに、扉が開いた。
「ええっ!? これって……」
水無月は一人驚きの声を上げた。残りの二人は声すらあげなかった。それほど中に入っていた物は衝撃的だったのだ。
中に入っていたのは、もちろん眼だったのだ。だが五百年以上たっている割にはあまりにも瑞々しく、美しい光を放っていた。だが、それだけではなかった。
「二つ……だとっ?」
眼は二つ、入っていたのだ。