第六幕 「生贄」
――眠れんかった……。
長老は一人むくりと起き上った。水無月は隣の部屋でまだ眠っているようだ。
昨日のあの後、長老は水無月の事が気になって眠れなかった。お告げの後、村人は歓喜し、長老だけ絶望の淵に落ちた。生贄として指名された娘がすぐそこにいる。今はとても悲しい気持ちで溢れている。悲しみの海に溺れてしまいそうだ。
水無月が嫌われているから、村人達が自分の娘が選ばれなくて安堵の息を漏らし、余所者が選ばれて嬉しいだろう。だが、長老にとって水無月は、どんなに価値のある金品よりもとても大事な……孫娘のようなものだ。そんなに大事な家族を、生贄として差し出すことなんて、長老にはできなかった。
「おはようございます長老様」
後ろから声が聞こえた。明日にはいなくなってしまうことが分かっているからか、言葉一つ一つが遺言のように聞こえてしまう。
「水無月……もうすぐ、お別れだな……」
「何を言うんですか! 私、ここを出ていきませんよ? ここに残りたいんです。叔父さんには納得してもらいます!」
――違う、儂が言いたいのは……。
水無月の無邪気な笑顔に、真実を話すことができない。
よく見ると、水無月はすでに着替えていた。長老より早く起きていたようだ。
「私、出かけてきますね」
そう一言告げると、水無月は一人外へ。
――男にでも会いに行ったのか?
気になった長老は、急いで着替えて、彼女を追いかけることにした。
――長老様、元気がなかったな……。
祠への道を歩きながら水無月は、どうしたらあの叔父を納得させられるかを考えていた。
――諦めちゃ……だめだよね。
不安な気持ちに駆られる。昨日起きた数時間の出来事が、まるで夢の中のお伽話のように感じられる。
そして、彼に気持ちを伝えられたことも。
「本当に……夢じゃないよね」
パン! と思いきり顔を叩く。軽く痺れるような痛みが顔中に広がり、頬が手形を残して薄い赤に染まる。どうやら夢ではないようだ。
そう認識すると、さらに顔が林檎のように真っ赤に染まる。お互い気持ちを伝えられた。その現実を思い出すと、照れくさくなってたまらなくなる。
「水無月? 顔が真っ赤だよ?」
「ひゃぁあ!? 星神様!?」
気が付いたらいつもの場所に辿り着いていた。目の前に星神様の顔。真っ赤な顔がさらに真っ赤になる。
――今の私はタコより真っ赤じゃないかな……。
「ずっと待ち遠しかったよ! さ、君の叔父をどう説得するか考えよう?」
「あっ! えっと……」
心臓がバクバク鳴り続ける。口から飛び出すどころか、飛び出す前に破裂してしまいそうだ。
そんな様子に気づいたのか、星神様はクイッと下を向いている彼女の顔を自分の方に向けた。
「真っ赤な水無月も可愛い」
「へっ!? い、いきなり何を……?」
「笑ってる顔も、照れてる顔も、慌てふためく君の様子も……俺は君のそんな些細な動作が好きだ。」
いきなり褒められて、水無月はどうしていいか分からなくなった。
「一生懸命、知恵を絞っている君も素敵だけど……そんなに固く考えてたら、何も考えられなくなるよ?」
ジッと一点を見つめてくる。そんな純粋な目で見つめられると、スッと何だか爽やかな気持ち、とても楽になる。きっと彼なりに何か、気分転換しようとしているのだろう。
「ね? 水無月は俺のどこを好きになってくれたの?」
「わ、私は……その……優しくて――」
「うん」
「神秘的で……かっこよくて、そんな、人間より人間らしいあなたが好きです」
一瞬の沈黙。
黙ったかと思いきや、その後すぐに彼は倒れた。
「星神様!? ……あれ、真っ赤だ……」
今の星神様は、少し前の彼女と同じ状態になっていた。
「やばい……改めて言われると――すごい照れる……」
地べたに俯せになって、青々とした草に顔を埋めている彼は、まるで褒めなれていない子供のようで、可愛らしかった。
「えいっ!」
「ぐぇっ!?」
水無月は星神様の上に、覆いかぶさるように仰向けで勢いよく乗っかった。彼女の下で、彼は少々苦しそうだ
「このぉ! ははっ!」
「きゃぁ! あははは!」
やり返すように彼女をひっくり返し、お互い空に向かって仰向けになる。美しく澄んで見える空を見て、大きな声で……ただ笑った。
「なんか……恋人同士みたいですね!」
むくりと星神様が起き上がり、急に水無月の視界が薄暗くなった。その瞬間――水無月は自分の唇が、何かに塞がれているのが分かった。塞いでいたのは――星神様の唇。
「みたいじゃない。俺達は「恋人同士」、なんだよ」
もしかして初めてだった? という彼の言葉は聞こえず、水無月の頭の中は真っ白になっていた。
「あれ? あ、水無月ぃーー!?」
「あの女……やはり密告していたんだな」
「イチャつきおってからに……男は奴の手先か?」
「早く捕えるぞ。長老様の気が変わらないうちに、対処せにゃならんからな」
「じゃあ合図するぞ。一……二……三!」
「っ!!」
気づいた時には遅かった。後ろを振り向く前に、頭を棒のようなもので殴られ、押さえつけられた。
「くっ……逃げろ水無月!!」
「な、何を――きゃあ!!」
遅かった。何もかもが遅かった。彼の言葉が届く前に、水無月は殴られて気を失ってしまった。
襲いかかってきたのは三人の男。どうやら村の人間のようだ。だが一体何の為に襲ったのか、ある考えが浮かぶまで分からなかった。
「お前ら……まさか――!」
顔面蒼白。まさに今彼はその言葉がぴったりなほどに、目的に気づいてしまったら、さらに青くなった。
「気づいたか。そうだ、この女は生贄になんだよ」
「余所者が村のために死ねることに寧ろ感謝してほしいね」
ハハハ、と男たちは笑う。まるでゴミを見るような目で彼女を見下ろしながら、蔑むように笑った。
「か、彼女をはな、せ――あがっ!!」
さらに頭を殴られる。数回殴られた後、無理やり立たされ、鳩尾にとても重い拳が入る。そのまま立て続けに殴られ続けた。
「はっ……はぁ……!」
何回殴られただろうか。口の中で鉄の味が広がり、体中に鈍い痛みが残る。頭がすごくフラフラする。
――マズい……目の前が霞んできた……。
神といえども、今は殆どなんの力も持たない。今の彼に男三人相手にして勝てるはずがない。一部除いて、普通の人間と大差ないのだ。
だんだん暗くなる目線の先に見えるのは……気を失って縛られた水無月。駆け寄りたくても、手足は縛られて全身殴られて体が痺れる。身動きが取れない。
「さあ行くぞ」
男が水無月を背負う。
――待て! 彼女に触るな!!
上手く声が出せず、心の中で叫んでも、男達には届かない。近くにいた彼女が、どんどん遠くなっていく。
――連れて行かないでくれ!! お願いだからぁ!!
大粒の涙が零れ落ちる。涙が零れるたびに、彼女は見えなくなっていく。
――頼む、水無月。俺を一人にしないでくれ!! やっと、初めて知った恋なんだ……置いてかないでくれよぉ頼むからああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
そして、星神様の記憶はそこで一旦途切れた。
「ぅ、ぅあ……」
なんとなく重い瞼をゆっくりと開けてみる。布で視界をおおわれており、何だか薄暗いことしかわからない。縄のようなもので手足を拘束されている。身動きが全く取れない。だけどここがどこかは分かる。この家に漂う金木犀の匂い、これがあるのは長老、もとい水無月の住む家だけだ。
「起きたか……」
「ぁ……長老様?」
長老の声が聞こえた。その言葉には何か寂しさが感じられた。
「一体、これは……?」
「まだわかんねぇのか」
男の声が聞こえる。村の若い男だ。他にも何人か男達の笑う声や罵声が聞こえる。
「――っ! まさか!?」
「気づいたようじゃな……水無月。先程までお前が何をしていたか、他の男たちに聞いた」
「あ……」
「何やら、見知らぬ男と話していたようじゃな」
ドクリ。水無月の心臓の鼓動が跳ね上がった。全て見られていたことに全く気付かず、しかも皆に知られてしまった。
完全に、彼女のことを敵とみなしただろう。
「鬼神様がお前を指名した理由が分かった気がするよ」
水無月の体に嫌な汗が溢れ出す。次に長老が吐き出す言葉を聞くことを耳に入れたくないが、拒否をすることができない。そして、その言葉はとても哀しそうに放たれた。
「水無月、お前は明日正午に鬼神様の生贄として捧げられる。村の糧になることを誇りに思え」
村人達は、歓喜した。
水無月は、絶望した。