第四幕 「侵入者」
水無月が倒れた日から三日……水無月自身は徐々に熱は下がり、今は大人しく寝ている。さり気に星神様がおいて行ってくれた薬草が効いたのだろう。苦しかった咳も、今はほとんどでなくなった。
「星神様、どうしてるかなぁ……」
ポツリと呟いた。だが、その言葉を言った瞬間、また顔が赤くなった。
――一体、この気持ちはなんだろう……。
この三日間、水無月は彼のことしか考えられなくなっていた。いや、彼のことしか頭になかった。彼の言葉、行動……様々なことを思い出すたびに、顔が林檎のように真っ赤に、体が太陽のように熱くなる。胸の鼓動が止まらず、ずっと風邪のせいだと思っていた。
――やっぱり違うのかなぁ……。
しかし、違うのではと思いながら、水無月は今の自分の気持ちに気づかず自覚できずにいる。
「大丈夫か? 水無月」
「あ……長老様」
奥からお盆を持った長老が出てきた。きっと彼女に食事を運んできたのだろう。
「どうだい、少しは楽になったか?」
「いえ、まだ……」
水無月は申し訳なさそうに布団に潜る。そんな様子を見て長老は、彼女の額にのせていた布を取った。
「最近よく外に出ているが……何かあったのか?」
「え……!?」
「その様子だと……男でもできたか!」
カァァと顔が赤くなる。長老に不意を突かれた今の水無月の顔は、林檎という可愛らしいものより、茹蛸の様にさらに真っ赤になっていた。
「その反応は図星じゃな? 誰だ? この村の男か!?」
楽しそうにニヤニヤと笑いながら聞いてくる。その質問に水無月は何も言うことはできなかった。
「長老様のバカ」
布団に潜ったまま、小さく拗ねた子供の様に呟いた。
「いやスマン、遂にお前も嫁にいけるのかと思ったらなぁ……嬉しくてたまらんわい!」
「ちちちち違います!! え、えっとそう! 好きとかそういうんじゃなくて、あー、んと友達というか、友達以上恋人未満くらいな感じですよ! ただ普通より仲がいいだけで!」
あたふたと慌てながら言いたいことだけは言い切った。
「これこれ、大きい声を出すな。熱が上がるぞ」
「誰のせいですか……」
そういうと長老は、しんみりと悲しい顔になった。
「あんまそんなこと言わないでくれ……お前が幸せになってくれなかったら、お前の両親に合わせる顔がない……」
「……長老様」
「何だ?」
「どうして私を育ててくれたんですか?」
その場に沈黙が走る。長老は驚いて目を丸く見開いていた。
「私の両親は……鬼神様に関して何か、村の信仰に関わる悪いことをしたんですよね……」
「そうじゃが……」
「ならば何故、村の長でお告げを聞く聞き手、信仰心が一番熱い長老様がそんな異端者の娘を引き取ってくれたのですか?」
熱でまだ赤い顔を長老に向けて話す。そんな真剣な眼差しを向けられ、長老は少しずつ語り始めた。
「罪滅ぼしだ」
「え……?」
「今のお前に話すことはできない。だが、儂はあの時は村の長として、人間として、適切な処置を取らねばならなかった。お前の両親に何があったかは話せない。じゃが、儂は罪を犯したんだ。いや……罪滅ぼし以前に、孤児となってしまった幼子を、ほおっておけるわけないだろう」
「……」
水無月は言葉が出せなかった。これを聞いて長老が何かを隠していることは分かる。だけど問い質せなかった。今の長老の顔は、悲しみと後悔と、何かに対する怒りが混ざり合って、とても複雑な顔をしていたからだ。
水無月は両親の事をあまり知らない。両親がどんな仕事をしていたか、なぜこの村に来たのか、両親の生まれた地も知らない。両親が死んだ時、悲しみの反動で忘れてしまったのだ。今から知る由もないし、知る気もないが、もしかしたら自分が余所者だという事に何か関係があるのかもしれない。
長老は優しい人だ。村で嫌われ、疫病神のように人々に見られてきた水無月にとって、長老の優しさはこの上なく嬉しかった。優しいからこそ水無月に話せないことがあるのだ。そう考えながら、水無月はこれ以上聞くのはやめた。
「ごめんなさい、変なことを聞いて……」
「いいんだ。お前だって年頃の女子じゃ、聞きたくなることだってあるじゃろう」
そういうと長老はにっこりと微笑んだ。
「さて、今から外に出なければならん。大人しく寝ておるのだぞ?」
水無月の返事を待たずに、スクッと立ち上がってすぐ寝室から出て行ってしまった。
「お父さん……お母さん……」
そう呟き、そっと窓を眺める。今はお昼を過ぎたころ。太陽が空高く上がっているのがよく見えた。格子の隙間からは少々暑い日の光が差し込む。
「星神様……」
水無月は、今でも父と母が大好きだ。育ててくれた長老様も同じくらい大好きだ。だけど星神様も同じくらい――否、それ以上に大好きで……愛してる。
――そうか。
「私、星神様に恋してたんだ……」
急に眠気が襲ってきた。今自覚したこの思いは、まだ胸の中に閉まっておこう。
水無月はそのまま、眠りについた。
水無月が眠って一時間くらい経った頃、村の一つの空き家――ここは今村人が会合をする場所になっている。そしてその場所には一人、異彩を放つ客人が訪れ、信じられない言葉を長老に放った。
「そ、それはどういうことだ……!?」
「何ってそのままの意味ですよ、長老殿」
やけに身なりのいい全身白の服装に身を包んだ男はのことは、みな初めは国の役人かと思った。だが、その考えは間違いで、男は先程長老に言った言葉を繰り返す。
「貴方方が信仰している邪教……鬼神信仰を滅ぼす。ただそれだけのことです」
「何だと貴様!? 俺達の鬼神様を侮辱するのか余所者があぁあ!!」
村の男が男に掴みかかろうとする。
ザッ
「くっ……」
だが、男の付き人に刃を向けられ、攻撃するのをやめた。
「では物わかりの悪い貴方達のために、もう一度説明しましょう」
男はコホンと一つ咳ばらいをした。
「幕府から依頼されたのです。鬼を信仰する不気味な村を調べてこいと。そしてここに来てから三日間、十分調べさせていただきました」
男は自分が正しいと言うように、頭をウンウンと上下小さく揺らした。
「結果この村は、幕府のご意向に反する鬼に支配された村と判断しました。ゆえに適切な処置を――陰陽師として取らせて頂く」
男は立ち上がり、長老たちを見下すように顔を見る。
「この村の鬼神を、滅させて頂く。そしてこの村を――将軍家に献上させて頂きたく頂戴する」
ザワザワと、部屋の中がざわめく。
「どういうことだよなぁ?」
「ようするに、俺達の村を滅ぼされるってことか!?」
「いや、鬼神様をだよ!!」
そんな様子を見て、男はいやらしい顔で村人達を見つめる。
「黙らんかぁ!!」
ピタッと声が止まる。その場にいた十余名が一斉に黙り、一瞬の静寂が生まれた。
「基塚殿、私達の心……生活の支えは鬼神様なのです。村と鬼神様は共存して生きております! どうか、それを奪わないでくだされ!」
男――もとい基塚陽英は、長老の願いに耳を傾けず、淡々と一人で話を進めていく。
「これは幕府の命令……貴方達のような下級身分には、初めから願いを申す権利はないのですよ」
「そん、な……」
長老は肩をガックリと落し、その顔は絶望に染め上げられた。
「それにその『鬼神様』とやらは、時には生贄に村人を指名することもあるらしいじゃないですか」
ハッと長老は顔を上げ、陽英を見る。彼の顔は、いやらしい笑みを浮かべ、その二つの目は長老を見下していた。
「大丈夫です、安心してください。私は村の方々に危害を加える気は更々ありません。普段通りの生活をしてられますよ。ただ一つだけ、言っておきます」
「鬼を滅した頃に、この村の長は――一体誰に変わるのですかね?」
今は夕方。カァカァと鴉の声が聞こえる。お昼ご飯が枕元に置いたままで、かなりの時間寝ていたようだが、長老が帰ってきてはいないようだった。
「まだ……眠いな……」
少々まだ眠気が残る目を軽くこする。もう体は熱くなく、熱は完全に下がったようだ。ダルさが少し残る体をゆっくりと起こす。窓には大きな夕日の西日が差しこんでいた。
――恋……か。
ここ数日、自分の中の気持ちの正体が分かり、今の水無月は先程みたいに動揺せず、寧ろ清々しく落ち着いていた。
「星神様……私、気づいてしまいました……」
今水無月の中にあるのは、気づいてはいけないことに気づいてしまったという罪悪感で一杯だった。
――そりゃそうだもん、神様と、人間だもの……。
「それに、鬼神様の話と一緒じゃない……」
――どうせ、結ばれないんだ。
そう複雑な気持ちに駆られていたその時――
『それは一体どういう!?』
『いいですから彼女と話をさせてください!』
外から、長老様の声と知らない男の声が聞こえた。ガラリと扉が開き、彼女の寝室にズカズカと入り込んできた。
「やっと見つけた……!」
「え……?」
水無月は目を丸くして驚いた。驚くのも無理はない、なぜなら今入ってきた男――基塚陽英は、幼い時に亡くなった父にそっくりなのだ。
「やはり……そうか」
陽英は水無月の顔を見て、どこか懐かしむ顔と、何やら安堵する表情を見せた。
「覚えていないのも無理はない……英月が出て行ったのはお前が三歳の時だからな……」
「それってどういう――」
陽英は、水無月を思いっきり抱きしめた。まるで、わが子のように。
「私は、お前の父、基塚英月の兄で、お前の叔父だ……」
水無月は何が起こったのか、まったくわからなかった。