第一幕 「水無月という人」
続きです! 本当の物語はここからww
チチチと小鳥の声が聞こえてくる。村の桜がすべて散り、窓から葉桜が顔をのぞかせている。太陽が燦々と心地よい光を放つこの季節、ここ星洋村はとても賑わっていた。
「これで鬼神様の話は終わりじゃ」
「えーもっとききたいー」
「なんかべつのおはなししてー」
数人の子供たちが一人の老人に話をせがむ。駄々をこねる子供たちに老人は少々困った顔をしていた。
その様子を横で見ていた少女がふぅと溜息をつき、老人に助け舟を出した。
「長老様、そろそろ出かける時間じゃないですか?」
長老様と呼ばれた老人は、何かを思い出したかのように目を大きく見開いた。
「そうじゃったそうじゃった。ほれ子供たち、儂は用があるから畑仕事の手伝いでもしてきなさい。他の話は明日するとしよう」
そういうと子供たちは一瞬ブスッと不満そうな顔をしたが、最後は笑って帰っていった。
「ふぅ……助かったよ水無月」
「いえいえ、礼には及びません!」
水無月と呼ばれた少女はにっこりと笑ってそう答えた。
彼女たちの住む場所は星洋村。太東山と太西山、二つに山に囲まれた村である。豊かな自然に囲まれ、飢えて死ぬということのないとても豊かな土壌と気候に恵まれ、人々はとても平和に暮らしていた。昔はあまり知られていなかった村だが、今では時折近道に山を通る商人や旅人がいるので、今の村はとても賑やかだ。
しかし、徳川の世に代わってから、この村には一つだけ、不安になっていることがあった。それは禁教令である。
この村では「鬼神様」と呼ばれる鬼を信仰し、占星術で政を行う。余所者から見れば、邪教を信仰するということは西洋の宗教を信仰する信者と同じである。他にも地域の神を信仰するところはあるだろうが、鬼を信仰する地域は恐らく他にはないだろう。禁教令が禁止しているのは西洋の宗教であるが、さすがに幕府の役人がこのことをしれば、村人の有無にかかわらず、徹底的に弾圧されるだろう。
「長老様、私ちょっと山に山菜を取りに行ってきますね」
「む? そうか、気をつけてな」
ガラリと扉を開け、水無月は走って太東山に向かっていった。だが、村の田畑に近づくと、水無月に冷たい視線を向けられた。
「ほら、あの娘よ……」
「あまり外に出てほしくねぇな……」
所々から聞こえないように言っているのだと思うが、小さく陰口が聞こえてくる。実は水無月は村の人間に好かれていない。理由はごく単純、彼女がこの村の人間ではないからだ。だが、余所者というだけで村の人間は別に商人や旅人は嫌わない。そうなってしまったのは彼女の両親が原因だ。実際の理由は水無月も知らないが、村の信仰に関わることでやってはならないことをやったらしい。そのとばっちりを水無月は受けており、両親は水無月が十歳の時に事故で亡くなった。独りになった水無月を引き取って八年育ててくれたのは今の長老様である。
――早くここから離れよう。
そう考え、水無月は走ってその場を離れた。
「ほんっとうにこの山何でもあるなぁ……あ、ゼンマイみっけ」
水無月は一人山の中、山菜をたくさん積んでいた。
この太東山は山の幸が豊富で、キノコやら薬になる草やら何でもある。だから山に山菜狩りに来る人間も珍しくない。それに比べ、太西山は遠くから見れば太東山と変わらず、緑が美しい山だが、実際近づいてみれば気味の悪い形をした木が生えており、これも神が居なくなってしまったから荒れ果てたのだと長老様が話していたのを、水無月はよく覚えていた。
「何でこっちにも神様がいないはずなのに、こんなに綺麗な山なんだろうなぁ……」
ザクザクザクザク、土の道を歩き続けてもうどれくらい経ったのだろう。考えながら歩いていたら、見覚えのない分かれ道に来てしまった。
「あれ……? こんな道あったっけかなぁ……? まぁいいや、右にいこ!」
そんな軽い考えで道を選ばなければよかったと、この後彼女はとても後悔する。
「ま、迷子になった……」
だが時すでに遅し。自らが来た道もわからず、引き返すこともできないでいた。自らの軽率な行動が彼女の身を滅ぼしたのだ。だが幸いまだ昼間だ。誰か森の中に来てくれるかもしれない。彼女はそれを期待してできる限り村のある西へ向かおうとしていた。
「太陽が見えない……これじゃあ方角がわからないよ……」
森の木々が綺麗に生い茂った葉で空を覆ってしまい、空が見えない。少々熱くなってきたこの時期、日陰から漏れる木漏れ日は心地よいがそんなことも言ってられない。水無月は川を下って行けば出られるだろうと川を探し始めた。
「川すら見つからない……」
しょんぼりとその場にしゃがみ込む。小一時間は経っただろうか、かなり山を歩き続けたため、もう疲れ果てている。
「なんか結構広いとこに来たなぁ……こんな大きな木あったんだぁ――ん? あれなんだろう?」
巨大な木の根の間にあったのは――小さな祠。大分古いもののようで、祠自体がかなり傷んでしまっている。
――こんなとこにあったんだぁ……どんな神様か知らないけど、祈っておこう。
無事に帰れますように。そう願いを込めて祠に向かって拝んだ。だが、その時――、
ピーヒャララ、ピーヒャララ。
木の上のほうから、美しい笛のような音色が聞こえてきた。上を見上げてみると、とても若い、自分と同い年くらいに見える青年が、草笛を吹いていた。青年の周りには、音色を聴きつけてやってきた小鳥たちで溢れ、その様子はまるで花畑のようだ。
「とても綺麗な音色ですね!」
「え!? お、わっとっとととうわああああああ!!」
急に話しかけられて驚いたのか、青年はバランスを崩して真っ逆さまに勢いよく落ちて行った。
「ご、ごめんなさい! 驚かせちゃいました!?」
青年は痛そうに腰をさすり、ゆっくりと起き上った。
「い、いやぁ大丈夫……ちょっとびっくりしただけだから」
青年はにっこりと笑った。だが水無月はその若干反対の気持ち。申し訳ない気持ちで一杯だった。それと同時に、違和感が頭をよぎった。空色の髪に烏帽子を被り、髪で左半分が隠れている。まったく見覚えのない顔なので、村のものではないだろう。だったら旅人だろうか? その割には服装が旅には不向きそうで、貴族のようにも見える。だが、今どきの役人でもこのような物は見たことがない。あまり見慣れない服装だった。
「星洋村の娘かい? 道に迷ってしまったようだね」
青年は優しく語りかける。
「あ、えっと……貴方は……? 旅の方ですか?」
「俺? 俺は……その祠に祀られてる神様さ」
「ええ!?」
青年は急に突拍子のないことを言い、水無月は驚いて目を丸くした。
「か、神様って……ほ、ホンモノ?」
「そう。だけど何百年も人から忘れ去られてしまって自分の名前も思い出せなくなった神様、だけどね」
空色の髪、空色の狩衣に黒い単を着た神様はそう言った。
彼はこの村ができる前からこの山に住んでるらしく、この山のことで知らないことはないらしい。昔は村人がいつも自分に幸せを願って拝んでくれていたが、ある日を境にパッタリ無くなった。その原因は――
「ええ!? 鬼神様の伝説に出てくる兄神様なんですか!?」
「うん、信じられない?」
「だって、殺されたって……」
「現に生きているから今ここにいるんじゃないか。ま、あの時は運よく死ななかっただけなんだけどね。それに……俺はもうすぐ死ぬから」
名前を忘れられた神はいつか必ず消えていなくなる。水無月はそう長老から聞いたことがあった。神様は信仰心で生きていて、人間が感謝して名前を呼ぶから生き続けて感謝する人間を見守り続ける。だが、名前も忘れられ、感謝されなくなった神様はいずれ存在が消えてなくなってしまうという。
「明けの時から宵の時に代わるときに、俺はこの世界から消えてなくなるんだ。だから残った時間を静かに過ごそうかなと思っていたところに……君が来た」
水無月に向かって、優しく微笑む。水無月には初めの言葉の意味が分からなかったが、その暖かい顔に見つめられ、水無月は顔が熱くなる。
「そういえば、君の名前を聞いてなかったな」
「あ……私はみ、水無月です!」
「水無月か……いい名前だね」
とても爽やかな顔で名前を褒められ、彼女は顔だけでなく全身が熱くなってきた。
カァーと鴉の声が聞こえてくる。そろそろ帰らねばならない。
「あ、あの! もう暗くなるんで」
「そっか、帰らなきゃだね。道なら、目の前にある獣道を歩いていくといい。まっすぐだから、迷わないよ」
「えっと……ありがとうございます!」
急いで走って帰ろうと、山菜の入った籠を持って走り出そうとする。
「待ってくれ!」
兄神様は水無月を引き留めた。彼は何かを言おうか言わないか迷ったが、何はともあれ話してみることにした。
「な、なぁ。明日もまた……ここに来てくれないか?」
「え……?」
「俺が……消えてしまうまでの間、俺の話し相手に……なってほしい。俺……水無月がついさっき来るまで、何百年も一人だったから……何か、思い出がほしいんだ」
話した内容が自分勝手だと思い、恥ずかしくなって赤くなってしまった彼は、彼女の返答を待った。彼女は少々頭を抱えて悩んでいる。
「いいですよ」
水無月はにっこりと笑顔で返した。
「ほ、本当か!?」
兄神様は嬉しそうに顔を明るくする。
「そのかわり……私からもお願いがあります」
彼女が言ったお願いは、気になっていること一つ。
「貴方のこと、なんて呼んだらいいでしょうか? 教えてください!」
彼女は、そう願う。
「だったら……」
自分を呼ぶ仮の名。放った言葉は、一つだった。
「だったら、弟と同じように、星神様って呼んでくれないか」
カァーカァーと鴉が鳴く。夜の闇まであと少し。
これは二人の男女の、一つの恋の行方を知る、記録である。
マジで頑張ってます。