9 ヨヨ
エルステッド王国北部、シュラーダーと国境を接するサカイ県。
豊潤で肥沃な大地とは言い難いが、エルステッドにとっては国土だ。みすみす反乱を許すわけにはいかない。
JTF総司令官コーンウォリス将軍は、フィダカァ山脈から北東のロクシナイ峠に指揮所を進めていた。峠からは、北西に細長く広がるビクトリア湖の景観が一望できる。
ワニや住血吸虫が生息するとは言え、食料や水の供給等で恩恵を与えてくれている。
「ようやくここまで来たか」
感慨深げに湖を眺めるコーンウォリス。
ゴブリンの襲来。予想外に善戦した敵の反撃による自軍の損害。エルステッド軍にとって、戦況は目まぐるしささせ覚えてしまう程だった。
「今暫くで此度の戦も終わりましょう」
「そう願いたい物だな」
幕僚の言葉に答えるコーンウォリスの表情は優れない。
(全てを日本人に頼り過ぎだな)
処理能力を超えた情報過多は逆に司令部を麻痺させると言えたが、基本的進攻計画は事前に立案されており、指揮官に求められるのは状況に応じた手配や対応の指示だ。今の所、上手くさばかれている。
(この戦が終わった後、シュラーダーとの事もある。益々、日本人に頼る事になろう)
日本人以外の傭兵は今回の内戦で役に立たなかった。エルステッドでの傭兵市場は日本人の独占状態だ。
「何れにしても、今後の禍根を立つ上でも、反乱の芽は完全に潰さなければならない」
「御意」
ここでゲリラを捕捉撃滅する事は、当初の計画から決まっていたJTFの方針だ。
戦争の基本は兵の質。物量はあれば最高だが、質より量というのは金を持つ国に言える事だ。訓練をするのも良い武器を揃えるのも質を求めるからだ。
自衛隊の派遣は、ゲリラ相手に過剰な装備で役不足。だがアニマルコマンドー単体では人材面で力不足。そう言った日本人側の事情もあり、反乱鎮圧はエルステッド軍と共同となっており、日本人は全般支援に徹していた。
「これで王手だ」
ビクトリア湖から北東に250㎞、シュラーダー国境から南へ70㎞に位置するヨヨは交通の要で、高層建築物こそ無いものの地方都市としてはそれなりの発達をしていた。
街の東西にそれぞれ2本、南に1本の幹線道路が整備されておりダイヤモンド状の外縁部を構成している。
革命軍が蜂起した時、軍事的脅威の低かったヨヨは防備が手薄だった。王都と違い城塞都市として城壁で囲まれている訳でもない。聖域であったサカイ県に、フィダカァ山脈を越えてJTFが迫ると防備の脆弱性が問題となった。
敗残兵が組み込まれ、再編成と陣地の強化などが行われている。急拵えの柵や障害物が積み上げられたが、気休めにしかなっていない。
今、ヨヨをJTF6個連隊が静に取り囲んでいる。アニマルコマンドーや空自の支援もあり、ガリア討伐のローマ軍より強靭な布陣だ。北側は特に厳重で近衛騎兵、軽歩兵など機動打撃部隊が国境に至る街道を封鎖していた。
空には珍しく空自の姿が無かった。これまで空爆で叩かれていた革命軍にとっては意外な事だが、ヨヨに1発の爆弾も落とされていない。ヘリコプターさえも襲って来なかった。
空は晴れ渡っており風も穏やかだ。気象が影響を与えているとは考えられない。
静けさが逆に警戒心を呼び起こす。包囲下の人々は攻撃命令を待つ兵士の熱気に晒され、押し寄せる破滅への足音を感じていた。
†
アニマルコマンドーの宿営地では中隊ごとに集まり、状況や任務の説明が行われていた。
立てられたボードに広げられたヨヨ周辺の地図は、航空写真からおこされた物でエルステッドの地図より精密だ。
「逃げ込んだ敵兵力は、各地から集まって3万を超える。これに元からの住民や避難民、ゲリラの家族が加わって8万と言うのが概算だ」
それだけの人数を賄う糧食が備蓄されているとは考えにくい。兵糧攻めにすれば餓死を避ける為、包囲を突破しようと出てくると思われた。
「革命軍は、シュラーダーの掌で踊らされている事に気付きもしない。余計な手間をかけやがって……」
シュラーダーは、国内で対立する勢力に武器を与え反乱を煽った。周辺国の不安定化は、自国の権益を守る手段の1つでもある。
「我々に対する牽制のつもりか、シュラーダーが動員令を出した。実際に国境を越えて南下して来る事はないだろうが、警戒の兵を割かねばならん」
シュラーダーとエルステッドは表立って開戦こそしていないが、実質的敵対国だ。動員令を出すだけで実際に動かなくても、エルステッドは警戒をしなくてはいけない。
「万が一、革命軍の支援として侵攻してきたら……と考えれば、迅速に終わらせる必要がある」
包囲側も大軍の維持で余裕があるわけではないが、兵站線が維持できるだけ革命軍よりマシだった。
日本人は糧食班が調理した温食か携行食で済ませている。比べると、エルステッド軍には補給の問題が改善すべき点として上げられる。
軍の兵站部門が発展しなかったのは、本格的外征を体験していない事、従軍する商人達がいる事なども要因である。現に宿営地の側に商人の天幕が立ち並び、防具の修繕を行う鍛冶屋、焼きもぐら、焼き犬などの露店も見られ、焼き犬の香ばしい香りが鼻をくすぐる。
屠畜、食肉、皮革。これらの業種を生業とする商人は、軍に武具や糧食を納品する事で一般の商人よりも利益を上げていた。
国内での作戦とはいえ、鉄道の敷設、道路の整備、馬匹による輜重部隊の輸送能力の向上等も必須だ。現在は商人や日本人に頼っているが、いずれは輜重部隊の保持をと考えている。
「上手くいけば2日以内にヨヨを解放し、帰れるだろう」
日本人から見たところ、エルステッドの貴族は軍を上手に扱えていなかった。他の貴族や商人は、戦後の恩恵をいかに受けれるか考えている。
日本人に全てを任せれば、この戦争も1ヶ月で終結できる。
(戦争は爆弾を落とせば勝てると言う単純な物だ。結局、空爆するか地上戦で攻めるかどうかは、上の政治が決める事だな)
日本の支援が無ければ、戦費でエルステッドの国家経済は崩壊していた。もちろんタダではない。
石油だけでも100億バレルの埋蔵量が存在するエルステッドの採掘権。これは日本の国家戦略上、重要な価値を持つ。
中東依存率を下げ、国内需要全量を補うエルステッドは魔法の泉だ。日本の現行石油備蓄制度が5.5億バレルである事から、この数字の大きさは誰にでも理解できる。
アニマルコマンドーの駐留と航空機の派遣に年間900億円の支出がある。石油価格が下落しているが、石油以外にも銅、ダイヤモンド、金、ウラン、スズ、鉄鉱石、プラチナ、コバルト、ニッケル、石炭、アスベスト、マンガン、クロムなど鉱産資源が確認されている為、損は無い。
「本日0800、国王命令によりJTFはヨヨ市への攻撃を開始する。街から1人も生きて出すな」
コーンウォリス将軍や譜代の貴族は王に忠誠を誓っている。革命軍は自らの大義を信じている。全ての人は自分の信じるものを選ぶ権利がある。だが社会の規則を破るのは別だ。
革命軍の指導陣は、貴族を自由や人権を脅かす悪魔と呼ぶ。彼らは歴史や文化を否定し、ただ闇雲に現在の社会を壊そうとしている。革命軍の勢力圏にある解放地区では、革命の大義に便乗して、商家や民家に押し込み強盗をする無頼の輩もいる。治安の低下は、一般庶民の勤め先を減らし失業者を増やす。家族を殺された者も少なくない。
エルステッド軍は、命令に疑問を感じない。革命軍は愛国の看板を掲げる強盗。厳罰を下さなければ、国の安定はないと将兵は認識している。
だが日本人は違う。疑問を感じて隊員から質問の声が上がる。
「中隊長、女子供もですか」
金田は表情を変える事無く告げた。
「エルステッド側の公式要請であり、テロリストの協力者として対処する。非戦闘員とは見なさない」
それにと言葉を選んで金田は続ける。
「親を殺された子供は復讐に走る。障害は排除されねばならない」
明言を避け、暗に子供を殺せと言っている。その意味が理解されると声にならないざわめきが起こった。矢山が苦悶の表情を浮かべているのが見えた。復讐の連鎖を絶つ為に、皆殺しにする――
指揮官に重くのしかかってくる責任を考えれば、命じられるだけの一般隊員はまだマシな方だ。それでも割り切れないのが心情で、太郎は命令を頭で反復する。
(子供を……)
太郎にも中二病の妄想癖はある。美少女や少年兵が戦場で無双する姿。ゲームやアニメ、ライトノベルの世界。その世界で子供は大人以上の活躍をする。だが現実にはあり得ないし、社会が認めない。
現代日本の様な治安が安定した国の社会的通念では、子供は守るべき存在であり、事の善悪が判断出来る前に人殺しの教育を行うなど児童虐待と見なされる。その感性から、子供は好んで殺したい相手ではない。
少なくとも太郎は最低限の常識や倫理観を持っているつもりだ。百合やロリ系の創作物やエロ同人誌を好んで買う性癖があり信号無視の軽犯罪を侵しても、社会的弱者である老人女子供は守る者と言う一般的で善良な市民だ。
最低限の常識があれば、殺す殺すと言っても実際は、理性が殺意を止める。
(子供に何ができると言うんだ。殺す必要があるのか?)
創作物の世界で子供が目覚ましい働きで活躍する事は多々あるが、現実には1000人に1人もそんな超人は存在しない。それどころか、子供を戦場に出せば批判の対象となる。
子供が戦場に動員されるとすれば、総力戦の末期や内戦、紛争地帯で人的資源が枯渇し、早急な兵力増強が求められる時だ。
(そう考えれば、日本で少年兵の私立校とかナンセンスだよな)
武器を持って敵として対峙する相手なら子供でも倒す事に疑問はない。
(襲ってくる敵は殺せるが、無抵抗な相手は……)
上の判断に倫理観などと言う物は無い。兵士は駒であり、個人の葛藤に興味はない。子供も成長すれば脅威になるから、芽の内に摘み取る。ただそれだけだ。
「罪は購わねばならん。王の御意思だ。それと、街には極力損害を与えず掃討する」
(本気か)
太郎は金田の言葉に眉を動かした。
自国民の生命・財産を守る。それは軍隊の不変の存在理由だが、それだけが理由ではない。
(北の防衛拠点としても利用価値は高い――か)
戦後の対シュラーダー戦略を考えての物だと理解できた。
包囲して空爆で片付ければ、損害は抑えられる。しかし包囲の維持だけで物資は消費して行く。シュラーダーの介入問題もあるし、早期に終わらせねばならない。
無傷で確保を考えれば空爆は行えない。結局は地道に制圧するしかない。時代が変わろうと戦場を最後に支配するのは歩兵だ。
(また血が流れるな)
例え敵が烏合の衆であっても数は力だ。必ず発生するであろう仲間の損失を予測する。
立ち塞がるのは追い詰められ、武装した群集。エルステッドの立場にすれば、投降を受けいるわけにはいかない。
制空権を持ってるのに支援がない。自殺行為な作戦だ。
「起立!」
考え込んでいる内に話は終わり、先任が号令をかけた。敬礼をして解散、それぞれの班長に従い動き出す。
†
駐車場に向かい歩くアニマルコマンドーの隊員。連日の戦闘で迷彩服も薄汚れている。
「臭い」
太郎は襟元にばたばたと風を送りながら言った。
「早く帰って洗濯したいな」
「だな」
うんざりした表情で告げる太郎に班員は異口同音に同意する。
汗臭くなった被服は健康管理の面で不衛生だが、真水はペットボトルの飲料より貴重で洗濯も出来ない。住血吸虫の生息する河川や湖も危険だ。水が普通と言うのは日本だから言える事だ。
細長い尻尾を降りながら地面を鼻先で擦るイボイノシシの家族を眺めながら歩いていると太郎が突然叫んだ。
「ぶわっ」
太郎は唾を吐いて顔の前で手を振っていた。
「何してるんだ」
振り返った井上が尋ねる。
「虫だよ、虫」
忌々しそうに羽虫を追い払う太郎の側に蚊柱が浮かんでいた。ユスリカで有害動物ではないが、未知の動植物は幾らでもいる。
離陸するヘリコプターの強風に舞い上げられる砂塵を見て、それでも口には入れたくないと思った。
†
地上部隊が市内に突入した。革命軍の指揮所は待機していた部隊に迎撃を指示する。温存していた投石器から偽装が取り外され発射準備に入る。
「まだ、あんな物を隠してやがったのか」
上空で監視していたOH-6から投石器の位置が地上部隊に報告される。
建物に被害を与えないと言う制約に縛られている為、ゆっくりではあるが敵を確実に掃討しつつある。疲弊し消耗した敵は、追い詰められ街の中心部に後退している。
彼我にとって最後の戦い――決戦だ。
エルステッド軍はともかく、日本人には間延びして緊張感の欠ける戦いだった。
民家の壁にもたれ座り込んだ3班の面々。進んでは止まるの繰り返しに太郎はぼやいた。
「爆撃で潰せば良いのに」
航空優勢で頭上を取っているにもかかわらず、空爆が政治的判断により行えない。
「ゲームじゃないのに武器制限で難易度上げてクリアを目指すとは、命懸けなのに変な戦争だな」
太郎の呟きを掻き消す様に、班長が前進を命じた。
太郎が先頭だ。音を立てないようにと言うが、装具の擦れる音、足音等ははっきりと聞こえた。「なるべく」と言うただし書きが付く。
死臭を帯びた風が流れている。不快さに鼻をひくつかせていた。何度も嗅ぎ慣れた臭いだが平気な者は居ない。
視界に入るのは、尖兵の騎兵中隊が前を塞いでいる姿、馬の臀部と砂埃だ。
「我々だけで十分。今回は手出し無用」
矢山にむこうの指揮官はそう言った。
(もう少し言い方があるだろう)
傍らで聞いていた太郎達は、不快感を持った。
アニマルコマンドーは脇役の補助である為に従わざるを得ない。車輛が後ろに回った事でエルステッド軍は火力の支援なしで進むことになった。
「お手並み拝見と行きましょう」
日本人の強みは銃の射程と威力。矢山小隊は班単位で支援に付けられ、ヨヨの南側にある大通りを進んでいる。3班は実質が5人。他の班も似たり寄ったりの人数だ。
†
敵の抵抗に攻めるどころか圧されていた。
「退くな、男を見せろ!」
下士官が周りの兵に指示を出していた。大声を上げれば、それだけ目立つ。
敵が咆哮をあげて向かってきた。
「グンナ曹長!」
下士官の顔面が鷲掴みにされた。引きちぎられる頬肉。
腕の一閃で肉の断片に変わり吹き飛ばされる兵士達。
異形の者として忌み嫌われる亜人、その中でも戦闘能力の高さで知られる種族――
「ミノタウロスだ!」
牛一頭を食い尽くすと言われるミノタウロス。どうやって交渉したのかヨヨ防衛の切り札として投入されていた。打ち下ろされる戦斧。地面や壁に当たった時、細かい破片が勢いを付けて飛んで来る。
(アレだけでも凶器だな)
純粋な闘争本能で動く亜人は脅威だ。怯む、手加減、そう言った言葉は亜人に似つかわしくない。狩る者である亜人は戦場の支配者だ。
亜人の強靭な肉体は、剣の斬撃を弾いた。恐慌状態陥る部下を前に、指揮官は後退を指示しようとするが、飛び降りてきた亜人に頭部を踏み砕かれて即死する。遭遇戦は指揮官にとっても、その部下にとっても悲惨な結果に繋がった。
「小隊長が殺られたぞ!」
丸太のように太い腕が顔面を粉砕する。
尖兵である前衛を命じられた中隊長は、自分の判断で行動する。部隊を指揮をする上で、他の中隊長以上に責任が有る。
(だからと言って、この選択は……)
クラウスは新米士官だ。少尉の階級にみあう指揮をとれる前に戦場で矢玉の洗礼を受けた。
これまでの戦闘で中隊の主だった士官が戦死し、唯一の将校として中隊を指揮する事になった。
日本人に頭を下げるしかない。大見得を切った手前、自分の誤りを認めることは屈辱だった。
「糞」
クラウスは呻いた。
矢が飛び交う音に慣れない。部下の死に顔を思い出して息苦しい。荒い呼吸を繰り返す中隊長に先任は気遣わしげな視線を向ける。
(何で俺なんだよ)
本来なら栄誉だが、その心構えがまだ出来ていない。
再編成で後方に部隊を下げるなり、交代の指揮官を送ってくる事を期待したが、その命令はなかった。
(司令部はヨヨ攻略を急いでる)
兵の犠牲を省みない強引な攻め方に、シュラーダーの介入が噂されていた事を思い出す。
「ぶへっ!」
敵の拳から放たれた一撃は前にした部下の顎を吹き飛ばした。続けて、側にいた兵士の側頭部を殴打した。拳の威力は冑ごと頭蓋骨を陥没させている。脳が粉砕され眼球が圧力で飛び出ていた。
士官、下士官、兵卒を問わず血祭りに上げられる。太陽で焼けた大地が血で湿り色付けられる。
(戦場は過酷? そんな生温い物じゃない。地獄だよ)
振り返った敵の全身が見えた。返り血を浴びた上半身には牛の頭部が乗っている。
クラウスはミノタウロスの口元に笑みが浮かぶのを見た。ミノタウロスの筋骨隆々とした極太の腕が振り上げられた。
「中隊長!」
部下がクラウスの盾になろうと駆け寄ってくる。
最後の戦は日本人の手助け無しで勝利を掴むと言う連隊長の訓示を思い出しながら、クラウスはぼんやりと考えた。
(やはり空からの援護を頼むべきだったのでは……)
今更ながら空爆の有効性を思い知った。ここまで混戦になれば日本人の航空支援も封じられる。
†
3班は前衛の戦闘が始まると傍観していたが、圧されている事に気付いた。班長が手近な下士官を捉まえて状況を聞いていた。
「ファンタジーのモンスターか」
ゲームに出てきそうだと言う言葉が聞こえ、太郎も内心で同意する。
ミノタウロス。幻想世界の住人が何かを口上を述べて笑っている。通訳なしでは正確なことを理解できないが、力量の差を嘲っていると予想できた。
「あんなのありかよ」
「レベルが違いすぎるな」
敵は初戦で味方の士気を打ち砕いただけでなく、簡単に中隊を撃破している。
(化物……)
創作物の好敵手では、武人として強者との闘争を楽しむと言う者がいる。目の前の敵は、そう言った類いではなく純粋な戦闘機械だった。
「話して分かってくれる相手じゃ無いよな」
「へっ」
希望的観測の言葉に失笑が漏れる。
連隊からすぐに援護が来ない事は理解出来る。前衛を任ぜられた。にも関わらず中隊は壊滅的損害を受けている。兵には戦闘開始前の余裕が、最早無い。
挟み撃ちをしたくても、逆にこちらが掻き乱され、致命傷になっている。
矢弾が飛び交い混乱する中、前衛に後退の指示が出る。もっとも防戦どころか戦列を組むだけで手一杯況だ。それも維持すると言うより、ただ固まっているに近かった。
「むこうの指揮官は戦死した」
指示が無くて動けなかったが、指示をすべき中隊本部が撃破されていると合点が行った。
班長は小隊長に連絡し後退の許可を貰い、エルステッド軍も下がるよう伝えた。
「井上、2階に上がって援護しろ」
民家の窓を指差し指示する班長。
「了解」
移動目標各個射。階段を駆け上って行く井上。
「後退するぞ!」
返事をしようとした瞬間、黒い塊が視界に映った。
「う」
四肢が切断され、跳んできた友軍の遺体だ。服に着いた血に顔を歪ませる太郎。高橋が肩を軽く叩き慰める。
高橋は太郎と2歳しか歳が離れていないが、妻帯者で子供も居る事か落ち着いて大人に見える。
「行こう」
家族の居る高橋や恋人の居る班員の話を聞いていると羨ましく思う太郎だった。
独身は孤独だ。良い恋人がいればそれに状況も変わるが、出会いもない。エルステッドに来て、女性と接触する機会はほとんど無かった。
(いかに死ぬかと格好を付けるより、人生をより楽しんだかが重要だよな)
自分の遺伝子を残す種の存続から考えれば、妻帯者こそ人生の勝ち組に思えた。
(俺が死んだら山田家は終わりだな)
太郎が負の感情に苛まれている間に、中隊の生存者は後退し3班が後衛の位置に就いた。
ミノタウロスを引き離そうと、井上が上から牽制射撃をしてる間に発煙弾で煙幕を張った。
「井上、戻って来い。下がるぞ!」
煙幕が通りを覆うと井上が合流し後退する。駆ける太郎達の背後で、敵の咆哮が聴こえた。