6 ゴブリン
神に仕える従軍司祭は王の代理者として評決を下す。罰を与え、ただ死ねと告げる。報復の連鎖で死よりも惨たらしい拷問を加えられるよりも、すっぱりと処刑される方が慈悲深いと言えた。
刑の執行が終わりを告げる頃、宿営の天幕を張り始めたJTF。後続部隊の到着を待って進撃を再開する。それまでしばしの休息だ。
隊列に随行していた商人が酒屋や雑貨屋などの出店を開き始めていた。料理を調理する臭いが濃厚に漂っていた死臭を払拭する。商人の開く店舗は軍の兵站を支えている。戦場には酒が付き物で商品には娼婦も揃っていた。
早めに課業から解放された兵士達は、酒や料理に舌鼓を打っていた。
「今度の戦、楽勝だな」
ほとんど危険な目に遭わず難所を越えられた事から楽観的な言葉が出る。
「この勢いだとヨヨも直ぐに落せるんじゃないか」
アルコールも入っており気が大きくなったのか、早くも先勝気分になったのは仕方ない。中には酒に飲まれて喧嘩や暴れたりする者もいるので、野戦憲兵が店舗を巡回している。
「早く家に帰らないと嫁さんが別の男に寝取られているかもな」
「うるせえ、お前の妹だってわからんぞ」
青年の冷やかしに反論する小太りの男だが、妻に見切りをつけられる事を内心で恐れていた。冗談では済まない。間男は存在する。
農村部で男手は駆り出されたが出合いの機会はある。村に後方警備の部隊や外国人の男が出入りする可能性はあった。場合によっては逃亡兵やゲリラと言った犯罪者の可能性もある。家に帰れば妻が妊娠していた。相手は誰だと言う話も珍しくない。
「俺の妹は違う!」
野次を受けていかに妹が可愛いかを語り始める青年。傍から見ればシスコンで気持ち悪いだけだ。
「兄様、兄様と言ってな──」
気持ち悪いと自覚しつつも反論せずには居れない間抜けぶりを、仲間は囃してて酒の魚にする。
酒を飲み陽気になっていた兵士達は、武装した日本人傭兵に囲まれて移動するドワーフの少女を視界に入れた。
(ドワーフが、何だってこんな所に?)
北のドワーフは対外拡張を目論むシュラーダーと国境問題のごたごたもあるがエルステッド内戦には関与せず、基本的に中立姿勢を取っていた。今回の内戦でドワーフが革命軍に関与する可能性は低い。
(まあ、難しい事は俺にはわからん)
ドワーフが見た目通りの年齢とは限らないと知っているが、やはり少女の姿は戦場に不釣り合いだった。物珍しげに視線を向けるのは他の者も同じだ。
視界を遮って給仕の女中が料理の皿を目の前に置いた。
「はい焼きモグラの塩とタレ、お待ちどうさま」
「おお、来た来た」
料理の香ばしい香りに疑問を一先ず置いて、追加の皿へと意識を向けた。
ドワーフの少女は自己紹介を兼ねた雑談をしながら、太郎達の案内で露店商などが立ち並ぶ天幕の間を歩いていた。夜店やバザーの出店程度の物だが兵士で賑わっている。
少女の後ろから続く太郎は、女性らしい軟らかい線を服の上から眺めて情欲を感じ軽い罪悪感を覚えた。
(俺はロリコンではない!)
エルステッド来てから女性との接触が少なく、禁欲生活を強いられて来た。個人的なオカズの雑誌はPXの委託売店でも売っていた。井上なんて堂々と雑誌片手にトイレに行ったぐらいだ。夜中にベットを軋ませるわけにも行かず、悶々とするのもしかたがない。
葛藤する太郎とは異なり、他の者はこの機会に女性と知り合おうと積極的だ。
ライトノベルやゲームの中でしか存在しないドワーフ。それが年若い少女の外観をしている。あわよくばお近づきになりたい、甘い経験や美味しい思いをしたいと言う男の本能だ。
「で、シエラさんの旦那さんは何をしてるんです?」
専ら井上が話しかけシエラが答える形だ。他の者も耳を傾けている。
女性に対する積極性では羨ましいと太郎は思った。
「王立図書館の司書をしてるけど、専門は古代史の研究って言ってたよ。あれはほとんど病気に近いね。家でも休みの日は一日中部屋に篭っているから」
年齢は32歳の既婚者。子供は居ないと言う。遠慮の無い物言いに夫婦仲の良さが端々から感じ取れた。
少し気にかかる女性だったが、恋愛感情を育む前に失恋した。
(何だ結婚していたのか。あれで32、何てエロゲーだよ……)
太郎はシエラと並んだ自分を想像してみて苦笑した。日本なら未成年との淫行に間違われる。警察官から間違いなく職務質問を受けるだろう。
「残念だったな。旦那さんが居るんだってよ」
「残念って何だよ。俺は別に人妻好きじゃ無い。どちらかと言うと2次元に萌えを感じる……」
ネットは無くてもアニメとゲームがあれば生きていける。半分そう信じていた。
「リアル合法なドワーフだぞ」
伊集院が冷やかし、太郎が反論している内にアニマルコマンドーの宿営地に着いた。
「じゃあ、またね」
シエラは太郎達と別れて、長机の並べられた天幕に向かう。机の下に市販のクーラーボックスをOD色に塗った配食缶が食器を入れたボックスと並んでいる。食事の用意をする配膳所だ。
「こっち?」
案内されて椅子に座ると、シエラの前にアイスコーヒーの入った紙コップが置かれた。
「ありがとう」
冷えた飲み物は貴重だ。
(あ、砂糖が入ってるんだ)
砂糖も希少価値が高いが、それ以上にほろ苦さと酸味が珍しい。
視線を周りに向けてシエラは興味深く天幕の中を見ていた。並べられたOD色に塗装されたクーラーボックス、飯缶やプラスチック製食器。全てが物珍しい。微かに調味料の香りがした。ここで食事をとる場所だとシエラにも理解できた。
(作りは単純、確かで丈夫な素材。何の皮かな)
深く腰かけて足をぶらぶらさせながら、情報に対する対価を期待する。
シエラの居る配膳所から離れた天幕に幹部と陸曹が集まっていた。机の上に地図が広げられている。中隊本部の表札を天幕入り口の支柱に掲げられていた。
「ゴブリンがエルステッド領に迫っている……か」
明日の行動予定を説明していた中隊長金田1尉は、矢山3尉の報告に眉をひそめた。害獣としての脅威を雑学程度の智識としてはある。今後の戦争計画にどう影響するのかが不明だった。
「シュラーダー側にはゴブリンの移動を阻止する積もりは無いようです」
シュラーダーにとっても厄介な害獣であるゴブリンをエルステッドにぶつけて消耗させる。相手にしてみれば損は無い。漁夫の利を狙うシュラーダーらしい策であった。
「お互い共倒れしてくれれば好都合だからな。ゴブリンの接近は、偵察報告にはあがっていなかったな」
広げられた航空写真と地図を確認する。国境沿いは森林が広がっている。
「はい」
エルステッド全土をカバーするには空自の戦力も少ない。中韓との関係が緊迫しつつある情勢下、日本を周辺国の脅威から守ると言う普段の業務も疎かに出来ない。
(俺達もエルステッドだけに関わっている訳にもいかんしな)
隣国の侵略に備えるのが自衛隊の任務で、エルステッドでの活動は訓練を兼ねた物だ。
エルステッド軍の連絡将校が金田に解説する。
「ゴブリンは普段、人里離れた渓谷に集落を築き生活しています。こっちから接触する事はまずあり得ませんが、繁殖期になると女性を繁殖用に、子供を労働に使役させる為、人里に現れて襲撃して来る厄介な連中です」
最近では少なくなったが、一時期はエルステッド領内にもゴブリンが多かったと言う。
「厄介な敵か」
「ええ、出来ることなら根絶やしにしたいですね」
連絡官の言葉から、ゴブリンに対する苛烈な敵愾心を感じた。誤解でも無く事実、エルステッドで暮らす者にとってゴブリンには、憎しみと恨みが積もっている。
「ともかく、そのドワーフから話を聞こう」
指揮所から配膳所に向かう。
「あ~あ~あ~あ~」
ドワーフは扇風機に顔を向けて気持ちよさそうにして待っていた。
あどけない表情に金田は頬を弛める。日本に残して来た家族を思い出す。娘の小さい頃も、似たような事をしていた。
「お邪魔するよ」
金田の言葉にぱっと起き上がるシエラ。子供っぽい所を見られて頬が少し赤い。
†
JTF司令部の天幕に主だった指揮官、幕僚が集まっている。
「ゴブリンだと!」
食後のお茶を楽しみ、戦勝気分で談笑していた司令部の空気は一変した。アニマルコマンドーの報告にエルステッド軍司令部の面々は表情を曇らせる。
「奴らの動く狩りの季節には早いな。何かあったのか」
今回のゴブリンによる動きは、シュラーダーの関与が窺える。ゲリラに呼応した動きと考えられた。
「蛮族どもめ。忌々しい奴らだ」
ゴブリンの被害には内戦前から苦しめられている。繁殖期が特に酷い。餌を求めて全てを奪い尽くす。
「僭越ながら閣下……」
LOが口を開いた。アニマルコマンドーは、保有するヘリコプターの大半を投入し支援する用意があると伝えた。迅速な兵力の展開から考えれば当然だった。コーンウォリス将軍は「卿等の王家と我が国に対する献身には感謝する」と頷き返し具体的な作戦立案の打ち合わせに入った。
JTFは革命軍の撃破殲滅が主目的であり、ヨヨ解放を目的に作戦を進めていた。2正面作戦になるため、兵力の増員を求めるがJTFから戦力が抽出される形になる。
「こちらでUAV――空から偵察を送った所、確かに亜人の移動を確認しました。このまま進めば近日中に領内に入る事でしょう」
結論は出ていた。サカイ県の北部国境に集結中のゴブリン。これを放置する事は無い。下手に放置すればシュラーダーに介入の口実を与えかねない。
「領民に被害が出る前に討ち滅ぼさねばならん」
サカイ県自体がゲリラの策源地と言う事で、皆殺しにすると言う方針であったが、万が一にフィダカァ山脈を越えられでもしたら軍としても面目が立たない。
迎撃作戦の名称は、内戦初期に国王へ終生の忠誠を尽くし戦死した名将から採られた。「ポチ」作戦である。作戦立案に当たって敵、我が関係部隊の状況をまとめあげ、方針、指導要領の構想、各部隊の任務、兵站・人事、指揮・通信を手際よく決めていく。受動的な防御から、敵を包囲殲滅する攻勢移転だ。
「日本人の火力、エルステッド軍の兵力を組織的に有効活用できます」
指揮権はエルステッド軍にある。指揮系統の統一は、軍隊の運用で常識だ。
日本人の提案をコーンウォリス将軍は了承した。
「ネコのしっぽ」作戦に参加していたJTFからアニマルコマンドーとエルステッド軍の分遣隊が討伐隊として抽出される。エルステッド軍の支援としてアニマルコマンドーは矢山3尉の小隊に参加を命じた。
同日主力部隊は、サカイ県の要所を制圧する為に進軍を開始。目標は県庁所在地であるヨヨ。現在はゲリラの本拠地と言える。その為、ヨヨ攻略では激しい抵抗が予想されるが、シュラーダーの援助で拡張されていた飛竜の厩舎は破壊し尽くしており、空からの脅威は存在しない。
圧倒的航空優勢でエルステッド軍がゲリラを順調に掃討しているが、戦況はどう動くか最後まで予断を許さない。
†
『敵はヨシノヤを通過、ナカウに前進中――』
オーバーレイを被せた地図にゴブリンの位置を書き込むエルステッド軍の通信士。日本人の教育で車載無線機は使える。地図から顔を上げて矢山に報告する。
「マツヤの到着は10分後です」
頷く矢山。矢山小隊は行動命令に従って通信の構築、空自との連絡調整でエルステッド軍を支援している。指揮所と予備隊を兼ねていた。
空を覆う黒煙。友軍が空からの支援で敵を追い込んでいた。爆風で巻き上げられる土砂や木々が遠目にもはっきりと見える。
山田太郎は竹の支柱で支えられた偽装網の下に車輛と共にいた。竹の支柱も日本から持ち込んだ物で、自衛隊でも官品の支柱より愛用されている。
(少しでも日陰があると、やっぱり違うよな)
ペットボトルのラベルを剥がしてごみ袋に分別して捨てる。
(さて、楽に終わってくれるかな……)
交換機に地面から伸びた電話線を眺めながら、太郎はそう思った。
エルステッド軍から部隊通信の教育に送り込まれた兵士たちは物覚えが早く、野外電話や携帯無線機を十分に使いこなしている。特に工兵上がりの兵士にとって電話線の応用架設、埋設は手馴れた物で、細部の確認を日本人が行っているが即席の戦力である太郎達より技能は上だった。
風に乗って蛮族の悲鳴が聞こえる。樹海を燃やし尽くす勢いの炎。
(山火事みたいだな。でも、あれだけ燃やしても生きてるんだろうな……)
基本計画に従って、最初に矢山小隊の降下誘導で空輸されたエルステッド軍軽歩兵が森の外周に展開したのが3時間前。ゴブリンが事前に前進経路を偵察していたとしても、エルステッド軍の待ち伏せに気付く訳がなかった。
着陸地域から各々の配置に移動を始めた頃、前方地域に空爆が始まった。敵を待ち構える罠に向けて追い立て、包囲網が完成した。
ゴブリンが突破口を目指す地域の前面――森の外が主戦闘地域となる。ここにエルステッド軍と矢山小隊が展開している。彼らの役割は瓶の蓋だ。
「ゴブリンなど蛮族に過ぎない。遠慮はいらんぞ!」
指揮官陣頭の精神が抜けきっていないらしく、分遣隊を指揮するハウ将軍は矢山の車輛に同乗していた。司令部の幕僚が全員乗れる訳がなく、お供は一部だけだ。
「ゴブリンの外見に騙されてはいけません」
何かと人道主義だと甘い日本人に、ハウ将軍の幕僚が油断するなと釘を刺してきた。
「奴等は子供の様な外見ですが、我々とは異なり狂暴で残忍な害獣です」
子供と言う事に内心で少し動揺するが、表情には出さず尋ねる。
「つまりは猪や猿のような獣ですか」
「そうです。まさしく獣です! 群れに襲われた村など無惨な有り様です……」
我が意を得たと力説する幕僚。先任に相手を任せ、偽装を施されたピックアップトラックの座席で矢山3尉は、取り巻く世界について思いを馳せる。
アニマルコマンドーは、これまでゴブリンと接触がなくて、ゲリラに対しては、ほとんど損害を受けてこなかった経験から楽観視していた。
物語や伝説には往々にして元になった出来事が存在する。
竜や妖精は滅んだ絶滅動物、魔法は失われた技術。その様に考える事も今なら出来る。
問題点があるとすれば子供の外見。子供は守るべき対象であると認識している日本人にはきつい相手になる。
「小隊長。そろそろ出てきますよ」
車載無線機で戦闘前哨とやり取りしていた先任の言葉で、森の切れ目に目を向ける。
地響きを上げて木々をへし折り、黒い群れが勢いよく表れた。
牛ほどの大きさのある昆虫に騎乗したゴブリン。見た目は確かに子供の様だった。虫の数は多い。赤、茶、黒。草履の様な形は共通だが、色は様々だ。
「気持ち悪いな……」
矢山の口から漏れた言葉に周りの者も同意する。
これまでは人間相手の戦争で、ゴブリンと本格的に交戦するのは今回が始めてだ。
ゴブリンは醜悪さからかけ離れた外見だが、乗っている虫の動きが不気味さと嫌悪感を誘う。
(まるでゴキブリだな)
ゴキブリに対する人間の生理的嫌悪は、原始的な恐怖から着ている。この種の昆虫と過去の時代に戦ったのかもしれない。
「放てぇ!」
エルステッド軍が矢の雨を降らせる。
「くっ……」
視線をそらせて太郎は背筋を震わせた。
矢が風を切る音は、シュラーダーでの越境作戦を思い出させた。ちょっとしたトラウマになっている。
弓兵が制圧射撃で敵の頭を押さえようとする。騎手の何人かは倒すが、固い外角に弾かれ虫への直接被害はない。
「矢では、あんまり効果は無いようですな」
敵の前進速度に衰えは見えなかった。
「うん。そうですね」
先任の言葉に矢山は小さく頷く。注意は虫の方に集中しており、乗っているゴブリンは目立っていない。
(罪悪感を持たずに射てそうだな)
高速で動き回る敵に損害を与えられないまま、盾となっているエルステッド軍の戦列が圧迫され少なからず損害が生じ始めていた。
(まさか原始的な馬防柵がいるとは考えなかった。次は用意しないと……)
矢山は戦況を見て眉をひそめた。予備陣地を今回は構築していない。包囲を破らせるつもりはないが、自分達の戦力が少なく感じた。
歩兵は死力を尽くして戦っているが、盾を粉砕する虫の脚力を前に方陣は崩れていく。
「ゴブリンを巧く懐柔できれば、頼りになる戦力ですな」
先任の言葉に矢山は苦笑した。
「話が通じる相手ならですがね。交渉してみますか?」
「いやいや、私は遠慮しますよ。うちの子供何て親の言う事を聞きもしないですし」
その時はまだ軽口を叩く余裕があった。
泥の中を這い回る様に、歩兵は惨めな死しかない。
ゴブリンが剣を一閃させるたびに、腕、足、頭、内臓が飛ばされ大地は血に染め上げられていく。
子供に見せたくない戦場。だが年端もいかない子供も雑兵として動員されていた。
「うわああ」
前の者が倒れれば、否応なしに敵と相対する。泣いても敵は遠慮をしない。殺すか殺されるか。
「泣く暇があったら手を動かせ!」
殴殺、刺殺、斬殺、絞殺。あらゆる手段を使って排除するしかない。
原始的闘争に近い白兵戦。漂う血の香りに太郎が顔をしかめて眺めていると同じ班員の橘がやって来た。
「まるで草刈機だな」
エルステッド軍は自分達の盾になってくれている。不謹慎だと橘を睨む。
「あんな虫なんて銃でイチコロさ」
橘は優位を信じて疑わない。
「油断は良くないぞ。うちの子供なんて突然、ウンチを漏らすんだ」
車体を挟んで右方警戒の為、反対側にいた高橋が眼鏡のレンズを拭きながら言った。
「例えが酷いですよ、高橋さん」
「ともかく、大した敵だよ」
確実な死がやって来る。虫の破壊力に感心した。戦史研究の好きな高橋は、敵にも創意工夫された戦術を感じて嬉しくなった。
矢面に立たされているエルステッド軍にとっては感心している余裕はない。ゴブリンは自軍の負傷者を気にせず突っ込んで来る。虫の脚に踏み潰され、五臓六腑をぶちまけて倒れ伏すゴブリン。悲鳴と骨の砕ける音が耳をつく。
「狂ってやがる……」
戦術は粗いが、虫の運用だけは評価できる。さらに、醜悪な虫の姿を見ただけで対峙する兵の士気を砕く。それだけでも効果は十分だ。
(だが)
虫の機動力の高さは問題があった。随伴歩兵とは切り離されている。早ければ良いと言う物でもない。
機動打撃は普特機の連携で初めて効果が出る。戦車だけで突出しても、単独では意味がない。
(連携と言う物を知らないのか)
角笛の音が聞こえる。添付書類の別紙3逆襲計画に従って、一部の大隊が、ゴブリンの徒歩部隊と虫部隊を分断すべく側面に移動開始した。
普及率の低い無線機よりも昔ながらの角笛や太鼓が情報伝達で役立つ。
人体を切断する不気味な音節を奏でながら射程に入ってくる。続けて矢山も射撃の号令をかけた。
火器の一斉射撃が開始された。激しい銃声に前に詰めていたエルステッド軍の兵士が幾人か振り返る。初めて聞く者達だ。不思議そうに視線を向けてくる。
日本人の持つ武器が何なのか分らぬままゴブリンは正面に突破口を求めてがむしゃらに突撃して来る。
機関銃の効果は目覚ましい。ここでも十分に威力を発揮した。1㎞圏内の敵の先頭集団を撃破し断片に変えてしまう。
エルステッド軍と連携して火力で敵の前進を妨害する事が、アニマルコマンドーに期待された動きだ。火力運用計画では、(ア)各1個班をもって歩兵中隊を直接支援。(イ)分遣隊の全般支援。となっている。
ここまではエルステッド側優勢に進んだが、ワーテルローで突撃したミシェル・ネイの騎兵を撃破したほど一方的な展開にはならなかった。
「あれ……」
太郎が、正しい姿勢、正しい見出しで撃ったにも関わらず手応えの無さに呟きを漏らした。
他の者の射撃に注目する。機関銃の射撃に混ざってよく判らなかったが、小銃で狙っている虫の足止めには成功していない。
その意味する所は、アニマルコマンドーで装備する火器で虫を倒すのは困難。
「嘘だろ。弾をはじいてるぞ!」
橘の声が喧騒な戦場の中ではっきりと聞こえた。
「黙って射て!」
班長は班員を掌握しようと叱咤する。
12.7㎜機関銃以外ほとんど役にたっていない。火制範囲と言う物もあるし機関銃には限りがある。M2重機関銃の最大発射速度は400~600発だが、持続速度は40発。歩兵の主要装備は小銃だ。機関銃との貫通力は歴然としており、数発の7.62㎜弾では敵の外角に損傷を与えられず勢いを止められなかった。
日本人達は現代兵器は無敵ではない事に衝撃を受けた。
勿論、武器が無敵ではないと頭では解っていたが、火力を過信しどこかで敵を侮っていた。
矢山は火力指数算定式を頭に描いて状況打破を模索するが、虫の前では役に立たない。
(馬鹿な。こんな筈では無かった……)
遮蔽物のない森。虫の地形踏破能力は高く、弾幕を張っても防げない場合は対処のしょうがない。
「小隊長、突破されます!」
常識が通じない世界だが、今まで銃で倒せない敵はいなかった。武田騎馬隊を打ち破った伝承の様に、野にさらされる敵の骸を想像していた。
平坦な普通地形を1.0として、戦力比に応ずる攻撃前進速度を導き出した瞬間、血の気が引いた。
(不味い……)
矢山の思考は停止する。部下の声が届いていない。
「矢山3尉!」
日本人は銃への過度な信仰に近い自信を打ち砕かれた。今までも竜の様な大型生物に小銃では威力不足だった。だが、それでも勝って来た。本来任務である地上で対処不能な脅威が出現した。
小銃が効かない。絶対的な自信は崩れさり、恐怖が襲いかかってくる。
「やばいぞ!」
ゴブリンが操る虫。防御力の高さに驚愕し動揺が走った。
前衛のエルステッド軍は練度の高さで装備を補って勇戦していたが、虫の猛進撃を前に戦列の一部が崩れる。
地上戦でゴブリンの操る虫は無敵だと言えた。
騎兵の打撃力は大きい。それを越える戦車の登場みたいな物だ。
前に展開する歩兵がドワーフの槍に腹部を貫かれる姿が見えた。ぶらぶらと長い腸がホースの様に揺れて血を撒き散らしていた。
「何たる様だ。隊列を乱すな!」
接触線のエルステッド軍指揮官は部下を叱咤激励するが、混乱はすぐに治まらない。
優れた森の狩人であるゴブリンは見逃さず、そこから綻びを拡げようと攻撃を集中させる。入り乱れる両軍。
「無様な。これが私の兵とは嘆かわしい」
ハウ将軍は顔をしかめて呟いた。コの字に描かれた前線の帯が虫の色で斑に成っている。
「閣下――」
高級参謀のボラ・ギノール大佐が借りていた双眼鏡を差し出し前線を指差す。
エルステッド軍が圧される戦況だったが、敵の動きが一瞬鈍り喚声が聞こえた。
「リッシュモンか」
受け取った双眼鏡を覗き込んだハウ将軍は、虫の群れの後背に回り込んだ友軍を確認した。
計画通りの動きに満足した。近接戦闘に入った為、弓兵を後方に下げて予備隊から歩兵を投入する。
「押せ!」
楔を形成する虫は徒歩部隊と切り離されている。前後からエルステッド軍の攻撃は激しく、虫の方向転換は現実的ではない。
ハウが勝利を確信した刹那、前方から虫が飛び出す姿を視界に捉えた。
「虫だ!」
機関銃の数が限られている為、すぐには対応できなかった。死角からピックアップトラックに虫が体当たりして来る。野戦魔導師が詠唱を始めるより早く迫ってくる。
「あっ、危ない!」
警鐘の声が誰かの口から漏れた。ドライバーも銃を手に座席から離れており、回避できなかった。
装備する車輛は民生品の寄せ集め。魔法の脅威が高い為、気休め程度の装甲強化だけだ。巨大な虫との追突までは想定していない為、横転する。
矢山は地面に激しい衝撃で叩きつけられ呼吸が止まる思いだった。
「くっ、痛っ……」
お陰で頭が冴えてきた。
深呼吸して周囲を見渡す。支柱はへし折られ、偽装網も飛ばされている。
予想外の動きに困惑していたのは、アニマルコマンドーだけではない。
同乗していたハウ将軍も車輌から投げ出された。駆け寄り矢山3尉は手を差し伸ばす。
「閣下、お怪我は」
ハウ将軍は手を軽く振り応じるが、意識は眼前の光景に捉えられていた。無意識の内に罵り声が漏らす。
「野蛮人共め。戦いの作法を知らんらしいな」
ハウ将軍が指揮杖をベルトにさして、剣を鞘から抜いた。視線の先には警護を破って向かってくる虫がいた。前線での陣頭指揮は、身を危険に晒す事で兵士との連帯感を強める。だがそれで死んで指揮系統を乱しては本末転倒だ。先ずは生き延びる事が先決だ。
「しょ、将軍!」
ハウ将軍を守ろうと矢山は小銃を探したがどこかに飛ばされて無い。9㎜拳銃を抜こうとした瞬間、肌寒い冷気を感じた。
かき氷のような粉雪が視界を覆った。
「雪?」
氷の矢が魔導師の詠唱で放たれ車輌に群がろうとした虫の足を止めた。吹き飛んだ虫の脚と金属のざらりとした擦れる音がする。
喜ぶ間も無く新手が迫る。虫を先頭に棍棒や剣、槍を手にした随伴歩兵の姿が見えた。
「糞っ!」
歩戦分離の定石に従って、虫と随伴歩兵の分断が図られた。敵の勢いは止まらず数騎が前哨を突破した。矢山の後ろにいた魔導師が前に出る。
「悪い子にはお仕置きが必要です」
詠唱を始めた魔導師を守り山田達は銃を射つ。
杖を振るった瞬間、激しい風が巻き起こり周りの樹木もろとも、敵を吹き飛ばす。
(凄いな)
荒い呼吸を繰り返ししゃがみこんだ魔導師は、消耗の激しさを物語っていた。威力は大きいが銃と違い、いつでも使える訳ではないのが難点だ。
「山田、伊集院。手を貸してやれ」
「はい」
先任に言われて駆け寄る山田達。
伝承によると、古代の魔導師は巨大なゴーレムを操り城塞を破壊し軍勢を蹴散らしたと言う。現在では失われた技術で、その様な技術を持つ魔導師はいない。
(さすがにゴーレム何か出てきたらご都合主義だよな)
魔法で稼げた時間は僅かな物だが、司令部付隊が体勢を建て直す時間を与え、警護の兵が集まって来た。
次々と新手の敵が現れる。しかし友軍が背後から挟撃している効果もじんわりと現れている。敵の勢いが微かに鈍って来ていた。
患者集合点にハウ将軍と魔導師を搬送する太郎と伊集院。
当面の脅威から離れると雑談する余裕が生まれる。
「なぁ……」
「ん?」
乾いた唇を気にしていた伊集院に、太郎が何となく思いついた事を口にした。
「殺虫剤は効かないのかな」
殺虫剤ではないが、虫除けスプレーを支給されていた。
「あれだけ、馬鹿でかいと1本では済まないな。ホームセンターに行ってダンボールで箱買いだ」
伊集院の言葉に違いないと笑う太郎。魔導師は、先程まで命のやり取りをしていたにも関わらず笑い合える日本人に驚いていた。
指揮所は安全圏に離脱した。残された前線の兵は悲壮感に包まれていた。挟撃が成功してるとは言え、矢面に立たされるのは自分達。依然として敵に勢いがある。
指揮官陣頭の弊害がここで現れた。指揮を執るべき将校、下士官に相当する各級指揮官が次々と凶刃に倒れていく。
敬愛する上官の元でなら戦えるとよく言うが、頼るべき者を失った時は脆い。熟練兵が倒れれば統率する者がいない。
小隊、中隊、大隊と恐怖が伝達していく。
「逃げろ!」
誰かの声が引金となった。1人が逃げ出せば、2人、4人、8人と増えていく。
「うわああああぁ……!」
士気が崩れ逃げる兵士の背中に、ゴブリンから毒矢が降り注ぐ。虫は陸の無敵艦隊と言った感じで兵士をなぎ倒し吹き飛ばす。
支援を行っていたアニマルコマンドーにも損害が出始めた。ここまで接近する事は、今回想定していなかった。
「手榴弾!」
班長の指示で安全ピンを抜き、安全レバーを保持したまま虫の群れに投擲する。
熱風が巻き上げられる。
爆発で四肢を吹き飛ばすゴブリン、ひっくり返ってもがく虫。
「頂き!」
ここぞとばかりに、殺到して槍を突き刺すエルステッド軍の兵士達。爆発の衝撃で失神していた虫が痛みにもがくが、遠慮はしない。
「鬱陶しいんだよ!」
復讐の機会を逃さない。仲間を失った怒りを込めて降り下ろされる槍。虫の断末魔の声を聞きながら止めを刺す。
日本人もその様子を見て動いた。
(あれなら、やれる!)
節足動物の外骨格は強靭だが腹部は脆い。同様に、そこを狙って攻撃する。
勢いを盛り返し、叱咤激励の声が飛ぶ。
「日本人にばかり良い格好をさせるな!」
雄叫びを上げてエルステッド軍の歩兵が虫に突っ込んでいく。ゴブリンとの戦闘経験は彼らの方が長けている。対魔法戦術以外にも、まだ学ぶ事は多い。
各班長が矢山の指示の無い中、当初の指示通りに戦っていた。
(何で、こんな簡単な事に気付かなかったんだ!)
騎手を失えば虫の統率は乱れる。騎乗している者を重点的に狙う。
「騎手に火力を集中しろ」
矢山は覚悟を決めた。見た目が子供に似ていようと関係無い。とにかく頭さえ潰せば何とかなる。
敵に野戦魔導師が居ないのは幸いだった。数でも押されているのに魔法なんて使われたら、無残な敗北しかない。
手榴弾の携行数にも限りがある。空自は空爆を行える回数も限られている。近接航空支援も最初の一撃だけだ。
撃たれたゴブリンが矢山の前に倒れている。肺に穴が開き内側から出血している。
(獣人か……)
戦場は男の聖域と言うわけではないが、女性の外観が戦場に不釣り合いだった。普段ならともかく、今は憎しみしか沸かない。
「メス豚め。盛りやがってうるさいんだよ」
部下を失った怒りを込めて引金を引いた。
戦闘服が汗以外に虫の体液で湿って肌に張り付く触感が不快だ。
(酸性の体液で無いだけましか)
ゴブリンや虫の咆哮が白昼夢のように感じられた。
†
突破はそれだけで完結する戦術ではない。関ヶ原で島津勢が行ったのは撤退だ。突破は戦果拡張の手段であり、敵を捕捉撃滅する事が最終目的だ。ゴブリンは選択を誤った。
抵抗は生きる事その物。努力を怠った者に勝利はやってこない。
エルステッド軍の準備した作戦計画が役に立った。
日露戦争の韓城堡の戦闘でも準備せずに攻撃し、第1日目の陣前攻撃は頓挫した。この戦場では平地部落点在の堅固な陣地だった。ゴブリンは、この時の日本軍と同様の失敗だった。
「くたばれ、ゴブリン!」
ほとんど日本人の火力支援無しに、エルステッド軍は敵の突進を阻止した。エルステッド軍は自信を深める事となった。一方、日本人は自信を喪失した。
「1・2班はエルステッド軍を援護してカツラヅラ林に前進、3班は負傷者の後送準備」
メモ用紙に青色のボールペンで矢印が描かれる。矢山の言葉に先任は弾薬使用の統制について尋ねた。
「APから目標奪取までの弾薬使用はどうしましょう」
虫の突撃を破砕した後は、徒歩の敵を潰すだけ。
「配分は任せる。再補給は、目標奪取後に実施する」
「了解」
陰鬱な日本人達に比べてエルステッド軍の士気は高かった。
「情は無用。殲滅あるのみ」
接触線に沿って用意された油の壷が割られ、火がつけられた。森と共にゴブリンは焼き払う。
にゃーにゃーと、鳴き声を上げながらゴブリンが炎と煙に揉まれ死んで行く。銃弾にも耐えた甲殻を持つ虫達も焼け死んでいく。
(これが戦か……)
炎から逃れようと出てきたゴブリンには矢弾が降り注ぐ。
捕虜などいらない。いかに容姿が愛らしかろうと、相手は倒すべき敵。情は無用だ。
感傷に耽る太郎に伊集院が近寄ってきて言った。
「バーベキューみたいだな」
「えっ?」
「ほら、あの虫なんて海老みたいじゃないか」
炎に包まれひっくり返りもがいてる虫。
網の上で調理される海老やトウモロコシが脳裏に浮かんだ。
「だったら食って来るか? 俺は遠慮するけど」
冗談で返したのに伊集院は笑わない。
「試しても良いな」
感性の違いに呆れる太郎。陰鬱な空気が弛緩した。
鎮火した後、エルステッド軍は実況見聞を行ったが、死体は損壊が激しく、誰が族長かは識別困難だった。