25.2 おしまい(1)
空は無限に広がらない。大気圏の外は人体に有害なニコチンやタール、ポリフェノール、ワックスエステル等の漂う宇宙が存在する。
空飛ぶ蒟蒻もどきは、今は亡き巨匠ルネ・マグリットが見れば喜んで絵に残す様な光景だが、危険な宇宙に飛び出す能力があるとは考えられなかった。移動速度は鈍重で「あれはこけおどしだ。行動範囲は限られる」そう判断された。
蒟蒻に向かうヘリコプターの機内で振動に身を任せていると、自衛隊にいた頃をふと太郎は思い出した。
教育期間中、訓練ではなく人間関係の辛さからネットで相談したら、返事が書き込まれていた。
「営内で問題あるなら営内班長か班付に相談しましょう。無理なら先任に相談しましょう。嫌なら辞めましょう」
結局は辞めろと言う風に受け止めた。それ以外の選択が無いように思えた。まだ一月も経っていないのにだ。
自衛隊の落伍者は人生の脱落者にさえ思えた。自分自身に負けたと言う気持ちが大きかった。だが根性が無いのに対面を気にしても仕方がなかった。
社会に出れば義務教育時代と違い守ってくれる教師や親は居ない。仕事を覚える能力が高ければまだましだったが、それも無く、コミュニケーション能力の低い者はケツを割るのも当然だった。自衛隊にしてみても見込みの無い新隊員は1ヨクト(10の-24乗)秒相手にするだけでも時間と国費の無駄だった。
太郎は社会を舐めて甘えていたと言う事だが、反省も無く退職した。ニートな日々は気楽でさえあった。体こそ大人になっても精神は子供のままだった。
(その結果、親に見限られた)
結局は自業自得だが、今度の仕事が終わったら日本に帰り迷惑をかけた親に謝ろうと思っている。これから生き残れたらと──。
「見えてきた。あれだ」
巨大な蒟蒻が浮いている。報告書にあげる名称が蒟蒻では締まらないので『方舟』と呼称するが、現場では既に『蒟蒻』で通っていた。
†
物語は唐突に始まり唐突に終わると言うが、打ち切りエンドであっても視聴率の低下、作者の精神面の弱さ等で出来事には必ず兆候がある。唐突に感じたなら見落としていただけだ。全ては連続した物語なのだから。
計画は計画通りに行く。歯車が狂った様に見えても予定調和で、計画通りに行かないならば努力が足りなく計画立案の漏れで、失敗を犯すのはいつも人間だ。
例えば山を登るなら時間に余裕を持ち、水分は十分にとって、休憩も適時取っていく。危険見積もりも当然だ。それを怠った時に「予想外」が起きる。
戦争は相手の抵抗力を奪えば勝ちとなる。首都を落として意志を挫く、野戦で敵を撃破する。どれも目的は同じだ。手っ取り早いのが、戦力を集中した敵を一撃で葬る決戦だ。
今回の場合、縦深打撃と新型反応爆弾により敵の攻撃企図を破砕し、第一線を突破、第二線形成の余地を与えず十分な戦果をあげる事が出来た。それでも敵は奥の手を出してきており再び苦境に陥った。釣り出されたのは人か亜人かを語るにはまだ早すぎる。ともかく日本から派遣された自衛隊にとって、ここは新しい器材や部隊運用の理論を試す試験場だった。その事をシュラーダー側も薄々感じていたが問い質しはしない。
愛とは自分を犠牲にする事だと言うが、外交は国家の本音を隠して建前を取り繕う。近年では独裁国家の軍事パレードに参加する某国や某団体の高官も存在するが、利害関係が一致してる間は上部だけでも融和姿勢を見せればお互いが幸せになれる仕組みだ。
──だが末端の戦う兵士に細かい事情はどうでもいい事だ。端的に言えば「奴らに地獄を見せてやる」と言う感情だけだ。
「トマトは崩れやすいから食いにくいな」
撃墜された竜から遺体を収容するシュラーダーの兵士達を眺めながら、ハンバーガーを平然と食べ続け早川2曹はぽつりと呟いた。
早川は北海道の名寄に駐屯する第3普通科連隊第2中隊所属で、2中隊は1中隊と交代で前へ出てきた。定番の装備である分隊支援火器のミニミ、84mm無反動砲の他に、中隊は出発前に日本で桜にWマークの刻印されたFN SCARとFNP-357を受領していた。さすがにNo中隊全てに行き渡らせる量は無く、試験的な運用と言う説明だった。
手元の包み紙を丸めていると、アンビで1中隊の負傷者も後送されてきた。外国人に協力する善良な日本人の市民団体が喜びそうな光景だが、「天皇陛下万歳」等と叫んで死にに行く右翼はここには居ない。やいのやいの言っても戦争は人を裸にする。あくまでも命令されたから動く仕事に過ぎない。戦争に勝つためには守られねば成らない秘密がある。異星への派兵も同じだ。
負傷者の収容で部隊は関係ない。クジラ号と呼ばれるアニマルコマンドーの黒いフィルムが貼られたワンボックスカーも搬送に使われている。血塗れの魔法少女達が運び込まれる時に泣き叫んでいた。
戦車と共に先陣切って前進した第1中隊が損害を受けた事に驚きを感じたが、それも戦争なら仕方無いと割り切っていた。原因は空にある。
(あれは規格外だろ)
空に浮かぶ方舟は縦横無尽に暴れていた。仲間を殺した憎むべき敵だ。
不可視の防壁には魔力が供給されていると魔導師連中から報告を受けていた。浮力の動力源も魔石なり魔力だと推察できた。「要は燃料切れにして落としてやれば良いんだ」とあらゆる投射兵器が投入され防壁を叩いた。エルステッド軍の旅団偵察ティームが竜による降下を計画したが現状では難しい。
指揮官は如何なる時でも任務を分析して「演じるべき役割」を導き出す。彼我の状況、地形・気象を基に「具体的に達成すべき目標」を明らかにする。
(──と言っても、あれは無いよな……)
陸教や武器学校で方舟の様な存在は教えられなかった。味方の攻撃は、ガラスにぶつけた卵の様に手前で爆発を繰り返すだけだった。
正にファンタジー世界だった。だがそこで考える事を止めた。考えるのは幹部の仕事であり、陸曹はその指示を円滑に回す。役割を演じきるだけだ。
ハンバーガーの包み紙に視線を戻す。日本人が調理する日本人好みの味の店で、給食として大量に仕入れていた。
(また食えるか、生き延びれるか……)
兵士が戦うのは戦友の為ではない。給料分の仕事と言う大義名分の為だ。逆境にあっても、状況は変わると信じて足掻き続けるしかない。
AH-64戦闘ヘリコプターの機長である岸田英明2尉は、蒟蒻の登場に呆然自失状態に成ったが、プロとしては対応策が求められる。「どうするんだ、あんなすげえ魔法。魔力は無限ってわけはないだろうけど?」相方の言葉に考える。映画に出てくるエイリアンの宇宙船とは違う。どちらかと言うと長方形。外殻は鋼材とは違う見た目だ。
「映画とかだと、シールドを解除する周波数とかが分かるって描写だったと思う」
戦闘機から放たれたミサイルの爆発に耐える物は、何らかの放電からエネルギー磁場を形勢してると考えられた。モース硬度で調べられる次元ではない。
「そこまでご都合主義じゃねえな……やっぱり正面突破で、内部に入って破壊するしかないな」それをするのは自分達ではない。
「取り敢えず荷物を減らして帰るか」
亜人対策として持ち込んでいたメソミルを詰め込んだヘルファイア対戦車ミサイルをAH-64が憂さ晴らしに撃ち込んだ。
「あれ」岸田は間の抜けた声を洩らす。
予想外の事にミサイル着弾による爆発が蒟蒻をぷるぷると震わせた。メソミルが効果を表したのだった。「もしかしたら行けるか?」と、続けて撃った実体弾は通過した。
「良いぞ! ぶちのめしてやれ」メソミルが磁場を中和したのは明らかだった。僚機も攻撃に加わるが、蒟蒻の外殻は厚く致命傷とは成っていない。
回収された破片から、蒟蒻を空に飛ばす魔力の源は、現地人がエナジア、エナゴスと呼ぶ空気中の蒟蒻だと知った時、科学者連中は叫び出した。本来生息不可能な空にマナティが飛ぶのも空気中の魔力を帯びた蒟蒻が原因だった。物理の法則どころか地球の常識を無視した世界だった。
外から破壊できないなら内部を制圧するしかない。大きさから考えて主要部を制圧すればなんとかなると判断された。だが中には亜人をぎっしりと詰め込んでいる事が予想できた。信念の無い雑兵でも数は力になる。抵抗を排除して制圧するには、最低でも中隊規模の投入が必要だった。アニマルコマンドーでは、「突入部隊の隊員には除倦覚醒剤のメタンフェタミンを投与する」と決定されていた。
†
ひとときに過ぎない平和であっても、実現する為に出来る事をやる。それが戦争だ。
「カンガルー・ステーキ」作戦。ジャンプをして蹴り飛ばすと言う所から名付けられた反攻作戦が始まる。死はある意味で自由へのジャンプとも言え、皮肉が込められていた。
「アヴァロンまでの行程は、現地人に任せていては多数の損害が予想されます。少数精鋭の投入。奇襲による迅速な制圧が望ましいと思います」
蒟蒻の中枢である指揮所──アヴァロンへ調査員を全て投入する。移送にはUH-60より最大積載量の多いNH90ヘリコプターが選ばれた。2個小銃班が搬送出来る優良物件だ。正式採用されればUH-90と呼ばれる事になる。
「成功すれば英雄だな」
ただし調子に乗れば自分が転ける。クリエイターが調子に乗りすぎて転けた糞ゲームと同じだ。
「報酬を期待してるよ」
企業は事前団体ではない。利益を追求している。結果を出せなければ価値はない。
アニマルコマンドーに採用された事で太郎の人生は変わった。ベーグルでは、必要なら手を汚す事を覚えた。
まだ現実感の無い夢の中の様な気分をたまに味わう事もある。
方舟を囲むように展開する連合軍。攻撃開始線の後方から轟音が聴こえた。対空戦闘と言えば高射特科の本領だが、野戦特科の攻撃で15SP、FH-70、MLRSと豪華に大判振る舞いだった。88式地対艦誘導弾まで撃ち込まれている。蒟蒻表面の砲台を破壊し、可能なら蒟蒻本体に傷を与える事が目的でもある。
「いよいよ始まりました」
ポンテフラクト城の司令部では電子機器が運び込まれ、リアルタイムに前線の様子が中継されていた。
「ああ。鉄量が勝敗を決める。これがこれからの戦争だ」
地上の亜人にも攻撃が行われており、退路には空自によってM23化学地雷が散布されていた。噴霧されたVXガスの攻撃を受けてばたばたと死んでいく。「これは正義の聖戦である断じて勝たねばならない」と言う事で手段を選ばなかった。
戦争の全般指導を行う総司令官は揺れ動いては成らない。学級会や仲良しクラスではないのだから、他者の意見に決断を左右されて方針をコロコロと変える様では困る。断固とした意思で戦いを終わらせるべく、鉄槌が降り下ろされた。
蒟蒻は矢や投石機の届く高さではない。UH-60多用途ヘリコプターが近寄って援護射撃をした。ミニガンの弾着は外殻に凄まじい粉塵を撒き散らしている。
「効いてる、効いてる! 日本を舐めるんじゃねえ」
F-15、F-2が呼び出されて、ゆるゆると動く方舟にミサイルを浴びせた。風を切り裂く爆発音が悲鳴の様に聴こえた。
「あんなにでかい的なら外すわけない」
A-10がクラスター爆弾を投下し激しい爆撃を見せたが、表面の損傷は粘着性のある流体で直ぐに覆われた。
ヘリボーンを行う編隊は間髪入れずに降下する。機内で太郎は仲間達に声をかけた。
「皆、健康状態は」
男女同権とは言うが、男は女に配慮し守る物と言う事は常に変わらない。
ぺピが軽感冒。それ以外は異常無しの報告を受けると、服装や装備をそれぞれ点検をする様に指示を出した。太郎も首からぶら下げた認識票やポケットに脱落防止と防水処置をして入れた身分証明証を確認する。88式鉄帽の中には、ビニールに入れた負傷箇所を記入する紙が納められている。さすがに識別帽や作業帽で出かけようとは思わない。弾帯に付けられた水筒、弾のう、救急品袋、銃剣、小銃の脱落防止等も万全だ。
戦場には何でもある。顎紐を絞めると気持ちも引き締まった。低体温症になるほどの高度ではない。防寒着の類いは着ていない。
太郎は胸ポケットに小瓶を入れていた。触手対策の塩が入っている。他にユカチ兵が身につけた白い羽根は勇気を表し魔除けの効果がある。
突撃開始の指示が来た。「行くぞ」と太郎は仲間に声をかけた。太郎達は主力ではなく前衛だ。
「一暴れしますか」
太郎の言葉にクレアは不適な笑みを浮かべた。これまでの給料はこう言う時の為に支払われて来た。傭兵は命を対価に契約の履行を求められる。ただそれが今日なだけだ。
喧嘩は素手の勝負を求められるが、殺し合いは競技ではない。勝つためにはルール無用、使える物は使う。
クレアはM4A1、リーゼは対人狙撃銃のレミントンM700、ワッケはミニミを与えられていた。ぺピとマリーの飛び道具としては自前の杖以外に拳銃を装備している。今回は特例処置として銃火器が貸与されていた。銃について博識になった積もりになるミリオタの手合いと違い、初めて火器に触れる彼女らは素直に射撃の手順を教わった。
(的に当てられるだけたいした者だよ)
現地人に銃の分解結合は知識として必要ではない。世界の平和を守るという意識もいらない。必要なのは引金を引けば弾が出ると言う事だけだ。本当に優秀な人材は一朝一夕で吸収してしまう。「スポンジのようなと」言う例えを文章でよく見かけるが、太郎は自分の様な凡人とは違うのだと痛感させられた。
ヘリコプターから降り立つと足元がぶよぶよした。装甲でも生地でもない。プリンやゼリーよりも固い。ゴムに近い感触だった。所定の計画に従って各班事にかかれと指示は出ていた。
上空をフライパスしたのは飛行開発実験団のF-23戦闘機。91年、アメリカ空軍のATFに落ちた後、日本で少数機体が導入された物だ。ここぞとばかりに、ありとあらゆる装備が投入されていた。
「なんか居るかも知れない、ここ」ワッケが口ひげをひくひくさせながら言った。その言葉に呼ばれたわけでも無いがガーゴイルが姿を表した。
「あ~やっぱり」
警備員の巡回と警報装置は警備の基本だ。一定の経験を積んだ兵士は『予測』が出来る。感ではない。経験による物だ。最初の一体を潰しても次が来る。速やかな対処が求められる。
ぺピが嫌そうな顔をしていたが、無線機から指示が届くと太郎は「機動戦闘車が援護してくれる」と頭上を指差した。
CH-47輸送ヘリコプターーが機動戦闘車を方舟に降ろした。警備のガーゴイルが標的を変えてCH-47に殴りかかろうと向かってくる。機動戦闘車の反応は早かった。車長は迅速に指示を出した。「前方ガー助、砲手、対榴、撃て!」
105mm砲の威力は予想以上で、呆気なくガーゴイルを粉砕した。
ガーゴイルに手こずる様なら、機動戦闘車で注意を引き寄せている間に迂回して後ろから叩くと言う手も考えていた。「歯応えが無さすぎる」と太郎は訝しげに周囲を警戒した。
ガーゴイルで終わりでは無かった。破壊された砲台や入口らしき場所から新手がやって来る。亜人の群れだ。
案の定、敵が集まってきた。
一斉投擲による投石、吹き矢による射撃を浴びせて来る。数が多いだけに面に対する制圧効果は大きい。
「あいつら、毒を使うから気をつけろよ!」
蒟蒻ならエンピで簡単に塹壕を掘れそうだが、余計な荷物と持って来ていない。こちらが機動戦闘車の後ろに隠れてる間に突撃してきた。味方の機関銃が連発射撃で鎧や盾を打ち砕き敵を薙ぎ倒す。
空からの援護在ったが、敵は中から無尽蔵な様に沸き出して来る。
「うーわ、気持ち悪い」ぞろぞろ出て来る光景は、まるでゴキブリか何かの虫の様だった。
銃を背中に回して使いなれた剣に替えると敵の隊列に斬り込むクレア。血を流し倒れる敵は、自分の強さを感じ快感に変わる。強者の余裕だ。もっとも一人が強くてもティームが壊滅する事もある。仲間との連携は必須だ。
「やばい、尿漏れした。イラつく」クレアの言葉にぎょっとした。
イラつくのは敵が多いからだ。
捌きやすくなる様に、太郎は雑納から魔除けの塩手榴弾を取り出した。ベートーベンがハカタアコウの塩が有効だと言っていたので上に報告した所、塩から微量なマホー成分が検出された。秘薬や霊石と言う物は根拠があって使われる物だ。塩が魔除けと言うのも事実無根ではない
塩手榴弾は塩の他に、亜人の食欲を増殖させるアセルファムカリウムやスクラロースが複合されていると言う凶悪な代物だった。投げ込まれた塩手榴弾の爆発を浴びた亜人達は共食いを始める。
「えっ」血肉を飛び散らせて隣の者に喰い付く亜人達の表情は餓鬼その物で、太郎は初めて使い予想外に効果が高く驚いた。まるでピラニアか鮫の様だった。
(こいつら共食いさせれば楽に絶滅させれるのでは?)
そんな物騒な考えが浮かんだのも仕方ない。
日本人は医者や薬局と同じで、病根を完全に根絶させれば存在価値も低下する。ある程度、技術提供や軍事力の展開を限定してるのもこの事が理由だ。




