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残念な山田  作者: きらと
30/36

24.2 後退

 焦げた臭いが辺りを漂っている。炸裂した火球が塹壕の土砂を噴き上げる中で、ひゅんひゅんと音を立てて矢が飛んで来る。噴き上がる粉塵と閃光は魔法の攻撃を嫌と言うほど身を持って教えてくれた。

「糞亜人どもめ」

 抵抗を悪足掻きとあざ笑っているかの様に、次々押し寄せて来る亜人の軍勢を前にして「ぶち殺せ!」と怒声を上げて部下を叱咤激励する下士官達。前の敵と隣に立つ古参兵のどちらが恐怖の対象かは難しい質問になる。

 近接戦闘と言うか、混戦になれば武器は剣の刃だけではない柄でも何でも使う。押さえつけ首を絞めたり何でもする。殴り飛びかかり突き刺す。陣地戦に移行すると兵士は寝て、起きて、偽装をして、戦闘を繰り返す。予備陣地があれば陣地変換が加わる。足は水虫かマメ、靴擦れに悩まされる事になる。

 JTFは数度に及ぶ亜人の波状攻撃を撃退したが、夜襲で亜人に警戒陣地を抜かれ包囲の危機にあった。相手は知能の高いボーダーゴブリンを重用している。

 ポークチョップをぶちまけた様な光景が戦場の各所で見受けられ、後にエルステッドの戦史編纂委員会は周辺の戦闘を一括りにして「ポークチョップの戦い」と表記した。

 亜人の目的はチクタン正面、いわゆるハウ・ラインのJTFを撃破して脅威を排除、王都に推進することにあった。

 この程度の事は容易に予想出来たが、他にも考える事はあった。防御で「主動の地位を確保」する事は困難で、なおさら敵の迂回や包囲を警戒せねばならない。

 亜人は果敢にも側背を攻撃し局部的包囲で陣地を潰して来た。そうなると士気の崩壊は早く、退却目標の指示や収容陣地の用意をする前に部隊は崩壊する。

「正面を牽制して迂回を行う、か」

 ハウ将軍は副司令官のアスファルト将軍に予備隊をかき集めた支隊を指揮させ危機を打開させようとした。

 だが回復は出来なかった。抵抗線で敵の通過を阻止出来れば問題ないが、各所でJTFの防御は破られアスファルト支隊だけでは手が足りない。小さな綻びが大きくなるのも時間の問題だった。

 ハウ将軍の苦境を知った軍はJTFへの増援を計画、王宮で協議されマカダミアン将軍の指揮下で第1旅団と第7旅団を配属して新たに第10軍団が編成された。しかし第10軍団の招集が終わり到着するまで耐えることは出来ないとして、ハウ将軍はJTFの後退を決定した。

 理由は明白だ。負け戦のパターンにはまり込んで居る。

 積極的な逆襲を行っても主抵抗線の回復は出来ず、逆に予備隊を消耗し陣地が落とされている。戦況を考慮すれば後退が避けられなくなっていた。

 負け戦を認めて後退を決断する事は勇気が要る。しかしハウ将軍は決断した。

「フィダカァ山脈を主抵抗線として、ロクシナイ峠に防御の重点を置き、敵の攻撃を撃滅して消耗を狙う」

 額に汗を浮かべる幕僚達に混ざって天幕の中に迷彩服を着た日本人の姿があった。日本はJTFに一種のOMLT(Operation Mentor and Liaison Team)として人材を派遣している。任務は王軍への教導で、作戦計画の作成、通信の構築等業務全般を助言した。今回の場合、全ての稜線を確保する事は不可能と言う結論が出ており、撤退に対して日本人から反対意見は出なかったが「警戒拠点として極力、高地は確保しておくべきです」と言う助言が出た。

「ハウ将軍より後退命令です。バーゴイン兵団が先行してロクシナイ峠までを確保します」

 電報起案用紙を受け取るとブラドック将軍は麾下の部隊に後退を命令した。

 旅団司令部から連隊本部、連隊本部から各大隊、中隊へと指示は伝わる。

 後退はすんなりと進まなかった。山岳戦に長けたシバリアンゴブリンが動いていた。ゲリコマとは厄介で、浸透突破した敵によって各所で電話線が切断され連絡が阻害されていた。有線である以上、埋設しようが見る者が見ればわかってしまう。ましてや相手は後方攪乱をする為に動いていた。

 800高地のリッツェン中隊も電話線が敵に切られる為に、昔ながらの伝令が走ってやって来た。若い兵士だ。就職活動で企業を訪れる青年の様に、汗だくになった兵士の姿を見て労いの言葉をかける中隊長。下士官以上が集まって後退の指示を受けた。

 エルステッドは内戦で人的資源を多く失ったが、いまだに部隊の指揮官は出自で任命されている。その為、家柄は良くても士官としての不適格者が存在した。

 古今東西、無能は部下を統率できないと実証されてきた。周囲を巻き込み破滅する。

「撤収する」

 部下の元に戻ってくると後退を大声で叫ぶ士官。敗残兵から再編成された小隊の指揮官だ。

 先任の下士官は唖然とした表情で士官の顔を穴が開くほど眺めた。

 ざわめきが起きた。次の瞬間、兵士が我先にと逃げ出した。整然とした後退ではない。

 予想外の流れに撤収を知らせた士官は狼狽しながらも制止しようとした。

「おい、止まれ!」

 剣を振り上げて怒鳴ったが士官の努力は報われなかった。

 末端の兵隊は戦況全体を知る術がない。恐慌状態に陥ると脆い。どさくさに紛れての逃亡で指揮官の制止を無視している。実戦経験者はともかく、徴兵で充足を補っただけでは兵隊は使い物に成らないと言う証明だ。

「うわ」

 塹壕から頭を出していたクレアの声に反応して太郎は後を見た。逃げ出す兵士と止める士官の姿。

「親衛隊までか……」

 太郎は友軍の崩壊に目を見開いた。精強な親衛隊と言っても隣で戦っていた者が逃げ出せば脆い。中には精勤章を幾つも付けた古参兵や、戦功章の略受を付けた下士官までが居る。群衆心理が動いた。

「糞、あれは駄目だ」

 吐き捨てる様に漏らした太郎の言葉にぺピは眉をひそめる。

「そんなもんですか?」

 戦友愛による仲間意識は団結を固めるが、庇いあいによる不正、事故等の隠蔽と言う負の側面もある。特に負けている時は負け犬根性が感染する。数人が数十人、小隊が中隊の壊走へと波及していく。

 幸いにしてはホンマヤネン少尉は小隊の統制をまだ失っていない。

「ゆっくり慌てず迅速に後退するぞ」

 叩き上げの下士官は逃げるタイミングを見落とさない。先任の助言でホンマヤネン小隊は撤収に移り、残っていた軽トラックに乗り込み始める。

 太郎達にも乗車して後方に下がる様に小隊長の指示が出たが、どこから現れたのか次々と沸き出してくるゴブリンがいた。味方の背中に追いすがり後退は困難だ。

「あいつらを近付けるな!」

 後退を嗅ぎ付け目敏い、と亜人を改めて評価する太郎。射程を活かして火力でごり押しする日本人の戦い方から言えば、混戦状態に持ち込まれる事は望ましくない。

 駆け込み乗車で軽トラックは走り出す。

「追いつかれるぞ!」

 ドライバーはアクセルを踏んで一気に加速したが、目の前に木が急に生えた。

「はぁ!?」

 ハンドルを回してギリギリ回避する。

 進路上に丸太が飛んできたのだった。当たれば攻城用の弩よりも威力は大きい。

 太郎の背中が冷えた。ドライバーも顔面に汗を浮かべている。

 一本、二本と避けるが弾着の間隔は集束して来た。

「うっは」

 荷台に座るクレアやリーゼに出来る事はない。ぺピは魔法を詠唱して落下して来る丸太を避けようとしたが間に合わない。太郎は丸太から木の香りを嗅いだ気がした。

「糞が!」と、ののしるドライバーの声が聞こえた。

 目の前に突き刺さった丸太を避けようとして軽トラックは横転した。打ち付けられた激しい衝撃が太郎達の体を襲う。呼吸が止まる様な激痛に太郎は意識を手放した。最初に確認したのは仲間の無事だ。

「皆、無事か?」

 数秒間、気絶していたらしい。荷台から投げ出された太郎は節々に痛みを感じながらもパーティーの掌握に努めた。

 ふらつく頭を押さえて周りを見ると、クレアは雄たけびをあげながら周囲を取り囲むゴブリンから仲間を守ろうと全身を血に染めて戦っていた。その気迫は敵を怯ませている。

 他の仲間を探すとドライバーはフロントガラスに頭をぶつけて血を流している。

(死んでいるか……)

 治癒魔法をかけれるぺピを探せば倒れている。側ではリーゼが弓を射ていた。迫るゴブリンに対して阻止すべく太郎も加勢したが、敵は銃声で怯む事はなかった。

 わざわざ言われるまでもなくリーゼは群れの指揮官を探していた。矢を放ったリーゼは手応えを感じず舌打ちを漏らした。ゴブリンの指揮官は熟練した戦士らしく、リーゼの放った矢は指揮杖に弾かれた。

 味方は落伍した者を振り返る事無く撤退している。

(不味いな……)

 緊張感から喉が乾いてきた。小隊長は元からの部下ではない太郎達が落伍しても助けには来ない。その事を理解していた。

 決断は早かった。

「逃げよう」

 額の汗を拭うと小銃を首から提げてペピを背負う太郎。女々しくて卑怯な奴と思っていた太郎の意外な物を見てクレアは目を見開いたが、先頭に立ち突破口を開く。リーゼは後衛に付いて矢で牽制を行っている。

 雨が降って来た。急激に降り始めた雨は体力を奪う。水溜まりばしゃばしゃとはね上げながらクレアはゴブリンを切り裂き先を目指す。味方が撤退し取り残された太郎達。周りに味方はいない。

「クレア、頭下げて」

 リーゼが呼びかけると頭のあった場所をリーゼの放った矢が通過した。

 詠唱をしていた敵の魔導師が倒れる。魔法の詠唱から発動までの速度を考えれば剣で切るより矢で射る方が速い。必殺の一撃だった。クレアの剣を振る腕と足はクルクル動き、止まらない。

 気が付けば亜人の囲みを抜けていた。周囲に敵がいない事を確認して小休止を入れる。

「ん――」

 ペピの気が付いた。軽い脳震盪だった様で意識はしっかりしている。

 体は水分を求めていた。岩場に座り込んでペットボトルのスポーツ飲料を回し飲みする。

「あれがフィダカァ山脈。ロクシナイ峠まで行けば味方がいるだろう」

 太郎が指差す遠方の山々に視線を向けるパーティーの面々。疲労は多いが気力は失われていない。逃げる事には馴れていた。それに過去の経験から考えれば今はまだ最悪の状況ではないからだ。

「案内は宜しくお願いしますね」

 雨を避けて深く被ったフードからぺピは声をかけてきた。

「南に向かえば山にぶち当たる。はぐれても一本道だし分かるさ」

 少しは気楽だった。雨が敵の視界を妨げ追撃の足を遅らせてくれる。

「さあ、そろそろ行きますか」

 太郎の言葉と同時に立ち上がりパーティーは移動を再開する。


     †


 夜が明けてホッジ高地に近い平原を進んでいると何処かから子供の悲鳴が聞こえて来た。パーティーで一番耳の良いリーゼが指差す方向から聞こえる。伺う様な視線を浴びて太郎は平手を顔の横に上げて振り、近付く様に指示を出した。

 縄で数珠繋ぎになった非戦闘員の列が見えた。ツチブタに騎乗した亜人に囲まれて駆り立てられて居る。捕虜になった味方の兵士ではない。服装から平民と確認出来る。ゴブリンは尻尾を振りながら時おり味見をする様に女子供の顔を舐めていた。

(住民は全員避難させたんじゃないのかよ。ぱっと見てゴブリンが20と言った所か……)

 ふと違和感を感じた。注意して見ると男が生かされている。

「珍しいね」

 太郎の心を読んだ様にクレアが声をかけてきた。

 男達を生かすのはそう多くは無い。

 囚人や捕虜は交戦相手に内応する可能性が高い。投降し転向したとしても裏切るかもしれない。朝鮮半島では南北双方によって多くの人命が奪われたが、原始的本能から敵の排除を行えと殺戮の指示が湧き起こったのだろう。危険要素を排除しただけだ。

 戦時下では必然として虐殺も容認できる。古代中国では万単位の捕虜虐殺をした将軍がいる。捕虜を受け入れる方が珍しい。

 三國志の英雄、曹操は討伐すべき黄巾賊を自軍に取り込んだと言うが、その決断を部下が盲目的に受け入れたとは考えられない。戦国時代の日本では降将とその兵は先陣として忠誠を試された。消耗は予定されていた。忠誠をいかに証明するか。

 捕らえられた男達は兵士ではない。いかなる目的が在って生かされているのかは謎だった。

「で、どうしようか」助けるか見過ごすか。軽口を叩きながらもクレアは剣の柄を握り周囲を警戒している。

「やれると思います?」

 試す様なクレアの物言いに対して逆に尋ね返す太郎。クレアは余裕を感じさせる笑みを浮かべ、リーゼは背負っていた弓に矢をつがえる。ぺピは軽く杖を上げた。仲間のやる気満々な態度に苦笑を浮かべる太郎。命令があればすぐ飛び出せる。

「――じゃ、やりますか」

 笑みを深めるとクレアは立ち上がり敵の正面に一騎駆けをした。

 雄叫びを上げて現れた戦士の姿にゴブリンは戸惑いを浮かべながらも一人と見るや全員で向かってきた。小回りの利くツチブタは虫に比べて従順で、手軽な乗り物として運用されている。

(馬鹿が……)

 敵と切り合う距離に近付いた瞬間、クレアは体を沈めた。

 太郎は小銃を連発で、リーゼは得意の速射で、ぺピは威力の高い火球で両翼から挟み込む様に攻撃した。クレアが剣を振るまでもなくゴブリンは掃討された。

「敵が纏まって来てくれたから良かった」

 避難民の代表がやって来た。

「助けていただいてありがとうございました。俺はキタ村のクローラーと言います。こいつらはキタ村の住民です」

「ああ、逃げるついでなんで気にしなくて良いです」

 逃げると言う事は不名誉な事で軍人や兵士は口にしたがらない。平然と答えた太郎にクローラーは驚きの表情を浮かべる。

「王軍の兵隊さんじゃない?」

「ええ、俺達はベーグルの……ドワーフ王国の傭兵ですから」

 傭兵と聞いて納得した空気が流れる。恰幅の良い中年男性近付いて来た。

「私、商人をやってるカトキチと申します。どうでしょうか、私達を安全な所まで護衛して頂けませんか。勿論、お礼はさせていただきます」

 カトキチは王都に弟が店を持っており謝礼は払える言ってきた。

「山田さん」

 ぺピが申し出を受けろと視線を向けて来る。

「あ……。逃げていると言っても一応、仕事中何で味方と合流するまでなら良いですよ」

 ゴブリンを倒した手際から避難民に頼られてしまった。今更見捨てる事も出来ず太郎は了承した。

 脚力を鍛えられた兵士と一般人は違うのも当然で、女子供を連れての逃避行は部隊の行軍速度より落ちる。足の遅い者に合わせていてはいつ追い付かれるか分からない。

「男は女子供を守ってやれ」

 自警団員だったクローラーの指示で男達はゴブリンの死体から武器を拾って装備した。取り合えず身を守れる武器を持てば落ち着けた。

「俺が前行くんでぺピは右方警戒、リーゼは左方警戒、クレアさんは後方警戒お願いします」

 少人数の行動に比べて大部隊の移動は目立ち、敵が追撃して来る状況下での後退は厳しい戦いとなる。


     †


 ソウヤネン大佐の第5連隊が殿軍を命じられた。第1大隊が隘路を塞ぎ、その右後方に第2大隊が展開し交互に躍進しながら段列や負傷兵、後退する友軍の後衛に当たる。

 これに対して亜人は右側面から突き崩しを狙った襲撃を繰り返した。

 努力を尽くした後で戦場で死ぬのは運が多分にある。

「残された家族には王室から褒賞金が出る。安心して死ね」

 後衛を任じられた兵は指揮官の言葉を信じて蛙のように塹壕で這いつくばりながら待機する。目に見える敵の存在は戦友愛を成長させ部隊の意思を統一する。

 しかし全てが秩序を保って後退出来た訳ではない。最左翼1426高地の中隊も撤退を開始していたが、一部は取り残されていた。彼らが向かったのは後方の予備陣地。落伍した兵を収容している内に雑多な集団が形成されていた。

 陣地に籠る集団の中に士官が一人残っていた。だが指揮官ではない。憲兵大尉フェレルは官品の横領を行っていたスティラー上等兵を逮捕しに来ていた。

 エルステッドが必要とする物資・装備があればアニマルコマンドーに要請される。余剰が無ければ近場の関西補給処の駐屯地から、無ければ関東補給処から運ばれて来る。手間をかけられて日本から来た物は何であれ希少価値が付く。横領、横流しを考える不心得者は少なくなかった。

 何にしても戦場の最前線にまで追いかけてきたフェレルの執念は猟犬並みだった。

 視線の先、陣地の外には亜人の死体が無数に転がっている。味方の遺体は出来る限り範囲で回収し埋葬していた。

「で憲兵大尉殿、どうしましょうか」

 尋ねてきたのはオ軍曹。チョ少尉が戦死して小隊を実質的に指揮している。亜人の包囲を受けて残余戦力は円形陣地を築いて耐えていた。

 憲兵は逮捕や捜査活動を行うだけではない。フェレル自身、匪賊や亜人の討伐に参加した経験を持つ。しかしフェレルの口から出た言葉は、この場の状況に合わない物の様だった。

「士官学校で習ったのは身だしなみだ。常に物品の愛護と整理整頓、清潔清掃を求められた。分かるか」

「中隊と変わり無いですね」

 惚けた様子にあしらわれていると感じたのか若い兵は苛々した態度を隠そうとはしない。しかしオ軍曹は「面白い」とばかりに口元を微かに歪ませると装備の点検を部下に命じた。

 フェレルの湾曲した物言いの意味を理解しての行動だった。直接的な指揮をする立場にこの「憲兵大尉殿」は居ない。フェレルに着いてきた部下も戦闘で全員戦死している。自分の立ち位置を認識した上での控え目な助言だった。

 疲弊した兵の士気は低下する。軍隊にとって士気の崩壊は敗北に繋がる。

 日常と変わらず身だしなみを整えると言う事は、特に困窮した状況下では重要な意味を持つ。意識を高める事に繋がり規律と秩序が維持される。

 陣地に迫った敵を切り伏せ凪ぎ払う戦闘で歩兵は汚れていた。視認性を下げて偽装に効果的と汚れは放置されている。だが武器の汚れは切れ味を鈍らせる。塹壕では、槍や剣を裁断布で磨く兵士達の姿があった。

「ヒョンソク、お前一走りして応援を呼んでこいよ」

 玉ねぎをかじりながら同郷のギュドンが軽口を叩く。玉ねぎはゴブリンにとって毒となる為、討伐では現品給与として大量に支給されている。

「無茶言うな」

 状況として亜人は重包囲を行っている。主力は後退し取り残されていた。

 手元にある玉ねぎを見詰めながらヒョンソクはこれからの事を考える。生きて村に帰れるか。それだけが願いだった。

「ほら水だ」

 ポムシクは水の入った皮袋を戦死した味方から集めてきた。包囲下では何もかもが制限されて、死者の持ち物も有効利用している。

 玉ねぎだけはあるから飢えには程遠いが、疲労から来る眠気は周囲に対する警戒の意識を低下させる。水でも飲めば少しは意識もしっかりする。

「おお、あり――」

 受け取ろうとした兵士が側頭部に矢を生やして倒れた。敵の弓兵だ。

「ヨンソク!」

 立ち上がったジウォンも喉元に矢を受けた。今まで会話をしていた仲間の死に戸惑いを覚えながらも配置に着く。

「糞、奴等来るぞ!」

 弓兵が頭を押さえている間に歩兵を接近させる。ありきたりな手だが今はそれさえ耐える事が難しい。


     †


 陥落した街、制圧された陣地には無数の首がトロフィーの様に掲げられていた。亜人は子供を産む女、労働力になる子供以外に価値を見出ださない。反抗的な成人男性を捕虜にすると言う概念はなく虐殺された。

 大鍋で煮られる首は食用ではなく肉の繊維を頭蓋骨から剥がす為の物で、鶏ガラに作業は近い。頭蓋骨は持ち帰り戦利品として飾られる。その横で平然と食事をする姿は異様だ。

 高地に漂う死臭をたどれば、塹壕に投げ込まれた死体が折り重なって小蝿がたかっている。生き残りは帰巣本能で巣に帰る動物の様に南へと脱出していた。

 ジュンギは負傷したスヨンを背負って、死体から流れた血でぬかるむ斜面を駆けていた。同じ村で兄弟の様に育った家族と言える存在だった。遠くに見える煙は、敵が田畑を焼いている。

「絶対連れて帰ってやるからな」

 スヨンの返事はないが見捨てる事は出来ない。臆病者と呼ばれようと生き残ってこそ意味がある。オ軍曹は自分の武を誇っていたが亜人に頭を割られて死んだ。

(根性だけであっても数には勝てない)

 武具の擦れる音が聞こえた。はっとした。

(藪が動いているだと!)

 全身に偽装材料を付けてコボルトが脇から現れた。向かってくるコボルトに対してジュンギの両手は塞がっている。

「畜生!」

 回避はできずジュンギは槍で貫かれた。倒れた二人の体は鈍器や鉈でばらばらに解体された。

 個々の兵士が脱出劇を演じてる頃、要領の良い者は逃げ延びる事が出来た。

 古参兵であるセレッソ軍曹は経験上、危険を察知する嗅覚を持っていた。「マンセー」を叫んで逆襲の為に突撃する味方を尻目に部下を引き連れてさっさと戦場を離脱した。本来なら咎める上官も、寄せ集めの敗残兵ではいない。

「班長、馬車を調達できました」

「でかした」

 セレッソ軍曹の班は運良く馬車に乗る事が出来た。陣地は放棄されるが敵に少しでも撤退を気取らせない為に天幕は張られたままだ。馬車の荷台には食糧や水、金目の物も積まれていた。部下は「行きがけの駄賃でさ」と視線に答える。

 途中、水の補給で味方の陣地に寄った。後方から先に逃げ出したのか部隊は配置されていなかった。

「何もなしか」

 天幕を巡っていると死臭がし呻き声が聴こえた。

「こいつは驚いた……」

 いわゆる野戦病院な大隊収容所の天幕では医官が残っていた。

「軍医殿、味方は皆逃げ出しましたよ。逃げなくて良いんですか?」

「分かっているが足がない」

 そう答える医官は手を休めず、移送できない重傷者の処置を施していた。

「あ……あ……」

 患者から虚ろな瞳を向けられた医官や衛生兵は「連れて行けなくてすまん」と謝罪を告げて止めを刺している。撤退の邪魔になる。置いて行くよりも人道的と言えた。

 義務を果たそうとする医官の真摯な姿勢を見てセレッソは声をかけた。

「俺達の馬車で一緒に行きましょう」

 単なる親切心だけではない。打算的な考えもあった。

 治癒魔法使える魔導師がいつでもどこにでも居るわけではない。医官や衛生兵は貴重な癒し手と言える。戦闘職種ではない彼らを護衛する事で逃げる言い訳になった。


     †


 退路の啓開は脱出の成否にかかっている。先頭を太郎のパーティーで固めたのは当然だ。救助した難民は不平不満を訴えてくる。

(こいつら、現状を分かっているのか?)

 味方の勢力圏であっても前線と銃後に境が無く市民生活が脅かされるならば、後方と言う言葉に意味はない。文字通り「安全な場所」を求めさ迷う事になる。太郎達に出会えた事は幸運の範疇に入る。

 ドサッと言う音が聞こえた。振り替えると背後を歩いていた男性が倒れていた。背中に矢が刺さっている。

「敵だ!」

 慌てる避難民達とは異なり戦闘慣れした太郎達は周囲を警戒する。女性達に悲鳴を抑える様に太郎は指示を出すが耳を素通りしている。

 背後からコボルトが現れた。これまでゴブリンが前に出ていた為に存在を忘れていたが、DDAとベーグルを苦戦させた相手だ。

「止まるな走れ、走れ!」

 武器を持つ者が足止めを行いその間に距離を取ろうとする。が、先頭を走っていた女性が背中から槍の穂先を出して崩れる。敵は前にも回っていた。

 前後から斬り込んで来るコボルトはおおよそ50で対処できる数の限界に近かった。その為に迎撃をすり抜けて女子供に被害が出ていた。倒れた者は後から来る者に踏みつけられる。背後に迫る刃の脅威。手を貸して起こす者は居ない。

 半数近い損害を受けてようやくコボルトは後退する。カトキチは泣きながら家族の遺体を抱き締める者を促し埋葬をする。

 太郎達はコボルトを20匹も倒す活躍を見せたが残された者達の視線は厳しかった。そんな反応に気分を害する訳でもなく太郎は先を促す。

(死体を埋めてる時間も惜しい)

 死者の埋葬に手を貸さず、太郎達は周囲を警戒する。

 犠牲を少なくする努力を考えれば、他の手段があったかもしれない。

 だが太郎は後悔をしていない。するとしたら足手まといな者を助けた事だ。

 助けられる者なら助けたが無理はしない。どうでも良いと言うわけではないが、それが太郎の行動規準だった。

「ローラ、頑張れ!」

「無理……足が痛い、もう歩けない……」

 トビーは息子のヤコブを抱きながら妻の手を引き上げようとするが、彼女はへたりこんだままだ。

「置いていかれるぞ」

 所帯持ちや家族連れは震え泣き愚図る女子供を宥めて先を急がせる。

「大声を出せば敵に見付かりますよ。囲まれたら守りきれる自信はありません」

 太郎の言葉に睨み返す気力も無いらしくうつむく。

「山田さん。何処かで休めませんか」

 クローラーの言葉に頭をふる。

 ゲーム的に太郎は考えた。通常、イベントは連続して発生する。これがゲームならセーブポイントもあるしレベルを一気に上げるチャンスだが、現実的にはパーティー壊滅の可能性も高い。

(余計なフラグは回避すべきだな)

 自分から見え見えの地雷を踏みに行くのは馬鹿としか言いようが無い。

「足手まといになるなら置いて行きます」

 目の前で困っていれば助けるが、ついでの護衛であり自分達の行動が優先される。クローラーは何か言いたそうに口を開くが、結局その後の出来事で話せなかった。

「皆伏せろ」

 リーゼの声で草地に体を沈ませると竜の編隊が頭上を通過していく。先程の戦闘で倒したコボルトの死体は茂みに隠したから、空から簡単に見つかるとは考えられない。大人しくしていれば竜に気付かれないと考えた。

「恐いよ」

 傍らに子供を抱き締める母親姿があった。

 時おり地面すれすれを滑空する竜は哨戒任務を帯びている事を窺わせる。

「ひっ!」

 悲鳴の声を漏らした女性を竜ははっきりと視界に収めたが他の竜には知らせる素振りを見せなかった。

「助かった?」

 急上昇する竜。獲物を急降下で襲う機動だ。

「手を離すな」

 夫は子供を抱き締める妻の手を取り駆け出した。

「馬鹿!」

 竜は玩具を見付けたように瞳を輝かせて急降下した。魔法を詠唱しようとするぺピの杖を押さえる太郎。抗議の視線を向けてくるが太郎は無視して前進を促す。

 地面を這って進む太郎達の姿は草に隠されている。大口を開け土砂ごと一家を飲み来む竜。血の臭いが漂ってくる。音を立てて噛み砕く姿が確認出来た。食事に専念する竜が太郎達を追いかけて来る事は無かった。

 しばらくして竜が飛び去るとエンジン音が聞こえて来た。目を凝らす太郎。偽装網をかけられているが特徴あるシルエットが見えた。

「あれは!」

 軽トラックやピックアップトラックを急造で使うテクニカルと違い正規の軍用車両、エリコン社の25mm機関砲を搭載した87式偵察警戒車が現れた。久々に見た「本物」の力強い勇姿に太郎はほっと息を吐いた。

「味方だ」

 緊張感の抜けた太郎の様子を見て、偵察警戒車がゆっくり頼りにできる物だと周りの者は受け止めた。手を振る太郎に気付いた偵察警戒車が近付いてくる。

 熱さも喉元を過ぎれば忘れると言う。避難民は危険が遠ざかり物を考える余裕が出来た。恩を仇で返す様にクローラーは敵意に満ちた言葉を投げかけてきた。

「俺達を助けてくれた事には感謝してます。だけどあんた、ろくな死に方しないぞ」

 クローラーだけではない。友軍と合流した太郎が別れを告げると、他の避難民達は批難に満ちた視線を向けてきた。逃げる為に一家を見捨てた。その事にわだかまりを感じていた。

 あーもう、面倒くさいな、と言う言葉を飲み込んで「此方も、別に理解しろとは言いません」と太郎は無視しようとしたが、若者はどこでも頭に血が上り易いのか絡んでくる。

 カトキチはクローラーを引っ張りながら謝罪していた。太郎は平凡な会社員のつもりだが、端から見れば危険な傭兵。無頼で知られている傭兵を相手に噛みつく何て自殺願望でしかない。

 吐息が太郎の唇から漏れる。兵士と一般市民では考え方に違いはある。それでも亜人の脅威に曝された経験があれば協力すると考えていた。

(ここまで甘いのか)

 平和ボケと言われる日本人の太郎から見て空気の読めなさが異常だった。

「貴方は戦闘経験ある?」

 クレアが間に割って入った。太郎を庇う気は無かったが、同じ事を他の傭兵に言えばクローラーは殺される。若者に学ぶ機会を与えた。

「亜人や賊と戦った事なら何度かある」

「だったら分かるでしょう? 戦場で綺麗事は通じない。他人を思いやっても自分が死ねば助ける事も出来ない。全て終わりよ」

 クレアから滲み出る実戦経験者の纏う説得力と存在感に、たかが自警団員のクローラーが反論は出来なかった。

「……はい」

 納得はしていないが理解したクローラーは声を搾り出して答えた。

 頭を何度も下げるカトキチに太郎は手を軽く上げると、避難民と別れて原隊復帰の報告に向かう。矢山から告げられたのは、逆戻りの偵察命令だった。

「味方の反撃が始まるからな」

 JTFへの増援である第10軍団は、敵軍の擾乱と戦力の撃破を目的として反攻準備に入っていた。「これ国家存亡の危機である」と、日本人にも王家から協力が要請されていた。

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