3 日常に慣れはじめた
王都から離れた街道は大きな石がごろごろしている。王都から離れると人通りも減り、道の保守・整備は後回しにされていた。限られた予算で治安維持も行わねばならないし国にしてみれば仕方の無い事だった。
少女と祖父である老人を乗せた荷車をロバが牽いていた。収穫物を市場に売りに行った帰りだ。領主が代わっても統治する者が居る以上、税は納めねばならない。
使い古された車輪が軋み音を立てている。そろそろ、鍛冶屋に頼んで修理をして貰わないといけない。
「夕方までには帰れそうね」
少女――コゼットは頭をこくりこくりと揺らす祖父に話しかけた。家では祖母が夕飯の支度をして待っているはずだ。
「ん。ああ、そうだな」
荷おろしで疲れていた祖父は再び居眠りに戻る。苦笑を浮かべるコゼット。
貧しくも家族と共に暮らせる事は幸せだ。両親は2年前の王都攻防戦に巻き込まれ行方不明になった。寂しくないと言えば嘘になるが、理不尽なのが人生の常とこの年齢で学び取っていた。昨年も、領主の命令で食糧の徴収にやって来た兵士は、野盗同然に村から冬を越す食糧を奪い取って行った。
「今日も暑いね」
額に浮かんだ汗を布切れで拭う。まだ陽が高く気温は高い。
コゼットは12才になる。日本人の感覚から見ればまだ幼い少女だが、この世界では結婚適齢期だ。労働力である子供を生むのは女性として生まれた以上、最重要使命である。
人格は既に出来上がっており、将来を約束された相手もいる。村の幼馴染みだ。今日も帰ったら会う約束をしている。
浮き立つ気持ちが、表情に笑みとなって表れる。
山道に入り、王都から離れるに連れて人通りがめっきりと減った。立ち並ぶ樹木の木陰に入ると少しは涼しくなる。
髪をすきながら視線を周囲の風景に向ける。木の裂けるような音が聴こえた。見渡すと、道沿いの木が揺れている。
「えっ」
地響きをあげて木が倒れた。立ち上る砂煙で視界と道を塞がれる。
慌ててロバを止めるコゼット。祖父も物音に目を醒ます。
「何だガキと爺じゃねえか」
「ガキでも女は女だ。売れば幾らかは金になるぞ」
「へっ」
地面に唾を吐きながら、みすぼらしい姿をした男達が現れた。武装しており剣呑な空気を発散している。
(野盗!)
コゼットが祖父に顔を向けようとした瞬間、クロスボウの矢が祖父の胸に突き刺さった。
「ぐっ……」
「お爺ちゃん!」
手を伸ばそうとしたが、その腕が途中で掴まれた。
「へへへ」
近付いた野盗の顔。振りほどく事の出来ない力。恐怖に心臓が掴まれた。
「商品ってのは品質を知っておく事も大切だよな。おら、来いよ」
安っぽい無頼漢の台詞を口にしながら下卑た視線でコゼットを眺めて、男は荷馬車から引きずり降ろす。
「痛っ」
地面に押し倒され呻くコゼット。手が擦りむいて薄っすらと血が浮き出ている。目を開けると目の前に探険の刃先が突き出されえいた。
コゼットの着ている胸元の結び目を切り裂きながら男は言う。
「俺はな、子供の時に押し入った盗賊に母親が殺されたんだ」
生臭い息を避けるように顔を剃らすコゼット。顎を捕まれ唇を剣先でつつかれる。
「だったらどうして……」
冷静な部分で疑問を抱いた。自分の親を殺されていながら、どうして自分まで盗賊になるのか。
震えながら出した言葉に、男は仲間を見て笑みを深めた。
「だからな、普通の状況ではたたないんだ。動くなよ。大事なお爺ちゃんが死ぬぞ」
首筋を男の舌が這いずり、コゼットは嫌悪感で身を固くする。男の仲間が発する嘲笑も耳に届いていない。
抵抗しても殺されるだけ。相手が満足すれば開放されるかもしれないと自分に言い聞かせる。
「そうだ。死体のように動くなよ」
満足そうにベルトを緩めて男が覆い被さって来る。コゼットは諦めて目を閉じた。
発育途上の胸を荒々しく鷲づかみにする男。せめてもの抵抗と首をそむけるコゼット。祖父の虚ろな表情が視界に入った。胸が上下しておりまだ息はある。処置が間に合えば助かるかもしれない、早く終わってと祈った。
(お爺ちゃん……)
男の手がコゼットのきつく閉じた足の間に伸びてくる。脳裏に浮かぶ婚約者の顔。
(ごめんなさい──)
その時、生温かい物がコゼットの顔にたれてきて、固い木の実の殻を砕いた様な音が響いた。
ぐっと重みを感じる男の体。獣のような体臭。我慢の限界だった。
「嫌!」
反射的にはね除けると抵抗は予想外に無かった。瞳を開けると、頭に穴を開けて男は息絶えていた。コゼットの胸には男の血が飛び散っている。
(えっ)
悲鳴をあげようとするが、掻き消すように男の仲間達が空を指差して喚いている。
他人が騒いでると逆に冷静に物事が見える。
コゼットの視界に映ったのは鋼鉄の怪鳥、日本人の乗り物だ。
逃げ出そうとするが、大道芸人の様に奇妙な動きで体をぶるぶると震わせた後、崩れるように倒れていく男達。流れ出る血で致命傷を負った事は理解出来る。
騒音と共に強風で砂を巻き上げながら乗り物は降りてきた。コゼットの周りに兵士がやって来た。緑を基調に斑模様の服を着ている。
「大丈夫だ。俺達は敵じゃない」
怯えるコゼットに両手を上げて害意が無い事を示す。
「怪我は無いかい。お嬢さん」
こくりと頷くコゼットは、落ち着いて兵士達の姿を観察した。
その姿はコゼットも知っている。2年前、王都に迫った叛乱軍を一掃した傭兵部隊、アニマルコマンドーだ。
†
夕暮れが訪れて気温が幾ばくか下がった。
エルステッドから借り上げられたアニマルコマンドーの宿営地。周囲は立入制限区域となっており、不審な徴候を確認すれば警衛は誰何の確認をせずに射殺することが許されている。危険な生物や敵性勢力が存在する以上、必要な処置であり完全な治外法権だ。
自販機コーナーの長椅子に、缶コーヒーを片手に青年が腰かけている。物思いに耽る表情には疲労が浮かんでいた。
機械化された工業文明がほとんどない剣と魔法の世界。ヒロイック・ファンタジー。創作の世界で冒険物の定番と言える。現代人がその世界で活躍できるのは勇者の素質とかご都合主義な物を除くと、知識で優れているとか、相手を圧倒する近代兵器を駆使できる時だ。
エルステッドに駐留する日本人にとってはスカッと出来る状況ではない。惑星全土を制圧するには不足だが、限定された地域の確保に必要な戦力がある。それだけだ。
ここでの時間経過は地球に比べて早い。大規模な兵員増強が出来ない理由の一つでもあり、長期間の駐留で物資を消費すれば地球での生産が追いつかない恐れがある。限られた装備と兵力。世界の蹂躙と言えるほど大暴れは出来ない。
「矢山3尉。何か悩み事か?」
「いえ……」
矢山と呼ばれた青年は振り返り答える。
小柄な体に彫りの刻まれた顔。中隊長の金田1尉だ。
「そうか? 悩んでますって顔してるぞ。聞いて欲しい事があるなら聞くが」
財布から小銭を取り出した金田は、矢山の心中を読んだかのように笑みを浮かべる。矢山は、吸殻で一杯になった煙缶に視線を向けて迷うようなそぶりを見せるが口を開く。
「あいつらの事です」
視線の先、宿営地をサンダル姿で歩く隊員の姿があった。だらしなく見えるが課業外なので問題はない。
アニマルコマンドーは企業の体裁を取っている為、任務中はやる事をしていれば、他は何をしていても良いと言う部分がある。
「ああ、なるほどな」
ペットボトルのキャップを緩め口に含む。冷たい清涼飲料が喉を潤す。
矢山は、幹部学校での教育を終えて中隊に戻る間もなくエルステッドに送り込まれた。金田から見て、着任したばかりの若手幹部自衛官は同じ反応を示す。
「玉石混交で全体的にはだらしなく見えるかな」
戦争は空爆で終わるが、わざわざ地上軍を行かせる意味は大きい。エルステッドへのプレゼンテージだけではない。自衛隊への戦訓の反映だ。隣国の脅威に対抗する為にも実戦経験は不可欠だった。
アニマルコマンドーでは指揮官、隊員の双方向な自己成長を前提に編成されている。幹部と陸曹が居れば、隊員は素人でも軍隊に出来ると言う有事の検証にもなった。
「演習は実戦と違う。これは良い機会だ。しっかり勉強しろよ」そう言って送り出されて来た。情報操作の隠蔽で入校したりしている事になっていた。
「元々、ニートや中途退職者を兵隊にする事が間違いだったんですよ。素人相手に過剰な期待をする物では無いですが、そう感じました」
矢山は部下として与えられた隊員達を苦々しく思っていた。武器を扱う集団が民間企業の半端な立ち位置であるのは国策だと理解している。
だが経験の蓄積なら自衛隊を派遣して貰いたいと考えていた。又聞きではなく現職自衛官に経験を反映させられる。
「教育の形は色々ある。陸士に教育を反映させる時と同じさ」
矢山の裁量で部下を任せられている。矢山自身、正直嬉しい気持ちと緊張感が半々だ。部下にはしっかりした物を求めたい。
「小隊の指揮が不安か?」
部下がどうこうと言うのは、金田にしてみれば指揮官の重責に対する言い訳にも聞こえた。
「ええ。ここでのミスは部下の命を奪いますから」
真面目な回答だが面白味は無い。ここでは隊員を損耗しても指揮官が無能だと叱責される事はない。隊員は消耗品であり、幹部や陸曹の経験を上げる事が優先されている。
「そうだな。きつい言い方になるが半端な気持ちの指揮官は生き残れない。敵が殺す前に部下に始末されるのは昔だけではない。ここでもそうだ。矢山3尉、良識はいらない」
隊員の死が将来の戦いで陸士の損害を抑える経験になる。消耗品と割り切れば悪い事ばかりではない。早く良識を棄て、エルステッドでのやり方に慣れねば神経が磨り減るばかりだ。ペットボトルの残りを流し込みながら、金田は矢山に近々実戦の機会を与える事を決めた。
†
着任以来、太郎は班での巡回任務中、数回の戦闘を経験した。これが多い事なのか、日常的な事なのか分からなかった。班長に訊ねてみると「これでも減った方だ」と答えが返ってきた。
(途上国ってのは、やっぱり貧乏で治安が悪いんだな)
太郎の抱いた感想もあながち間違いではない。エルステッドは内戦で疲弊しており、軍も討伐を行う手駒が足りなかった。
(だからこそ、俺達の仕事があると言えるのかな)
無線や野外電話の使い方だけならエルステッド軍にも普及している。日本製の装備をベンチマーキングしようにも産業革命以前の世界では基礎工業力、技術力が隔絶しておりコピーすら出来なかった。
それ程火力面で優れたアニマルコマンドーの車列を襲う向こう見ずな馬鹿は、王都解放後のエルステッドに居ない。居るとしたら日本人の力を知らない新参者だけだった。
ゲリラは基本的に非力な者を襲う。
商人や農民の荷馬車を襲撃し略奪をすると同時に、国には治安維持能力はないと喧伝する。上手い手口だ。
初期LVでの経験値稼ぎと同様に、アニマルコマンドーの上層部は新隊員に比較的倒し易い敵を叩かせて経験を積ませようとしていた。
「この世界はゲームだと思え。お前達は役割を演じれば良い」
しかし単純なゲームではない。命を代償にした闘争だ。
「今日は2人殺したぞ」
「俺は1人」
そんな会話をゲームのスコアの様に話す班員達。簡単な敵を倒させる事で、死に対する恐怖を緩和させ麻痺させていた。
太郎は死体を見て慣れたとは言えないが、それでも自分が射った獲物は戦果だと素直な喜びは覚えた。
残酷なのではない。人殺しを生業とする状況に合わせようとしているだけだ。
「給料日が楽しみだな」
ここでの見返りは賞与のみ。日本での名誉は期待できない。だったら、現状を受け入れて楽しみ方を見出だす方がましだと思えた。
隊舎の居室で班員と共に太郎はくつろいでいた。卓上に置かれた酎ハイやカクテル、ビールの缶。焼酎の瓶、つまみの類い。営内での飲酒が認められている為、珍しい光景ではない。
戦地での楽しみは限られる。主に食べる事と飲む事。私物のTVを持ち込んでも良いが受信できる番組はない。実質、DVDを見るかゲームをするだけだ。
今日の巡回で遭遇した戦闘について話が盛り上がっていた。敵は山賊で手応えはなかった。
「村での戦闘って死角が多くて嫌だな。いきなり矢が飛んで来るしさ」
太郎の言葉に井上がソルティー・ドックの瓶を置くと言った。
「84RRや重迫が欲しいな。民家に篭った敵も一撃だ」
84㎜無反動砲。普通科隊員であった井上には馴染みの武器だ。普通科の職種としては、5.56mm機関銃と共に後期教育で習った。
「迫撃砲か。RPGでも良いよ」
ミリタリーオタクだった太郎も、FPSゲームでお気に入りの武器をあげる。
「それと、もう少し武器を増やして欲しいな。弾に制限って難易度はいらねーよ」
武器・弾薬の入手。東側兵器が安価で入手しやすいと言うイメージがある。
「AK-47、vz.61スコーピオン、RPD、SVDドラグノフ――」
太郎の言葉に反応して東側製品の名称をあげる横井。銃オタクで、普段から何かと国産装備を馬鹿にしている。その知識も雑誌やゲームによる物で、あやふやな点が多い。
井上がうんざりした表情で告げる。
「外国から輸入する手間を考えろ。無理をしなくても国産が手に入るんだぞ」
輸送コストと継続した維持を考えれば、国産が1番信頼できる。新たに武器を導入すれば教育をする人手も必要になる。
「そもそも仮想敵国である東側武器って何を考えて――」
「あー、はいはい。マジになるなよ」
井上の言葉に横井は呆れた表情で答える。銃オタクと元自衛官。水と油な関係で仲が悪い。
険悪になる空気を感じて太郎は話題を変える。
「それにしても毎日、巡回、巡回。違った任務につきたいよな」
アルコールが入り気が大きくなっている。やる気が違う方に流れている。さきいかをつまみながら伊集院が同意する。
「俺達には刺激が足りない。もっと手応えのある敵とか出て来いよ。魔法使いなんて大したこと無いな」
「例えばミノタウロスとか?」
「んー救出とか潜入とか難易度の高い任務とかでも良いよな」
「お前はどこの特殊部隊だ」
初陣を終えた新隊員の間に、敵を侮り自らを過信する空気が流れていた。慣れた頃が一番危険だ。自分だけではなく周りを危険に晒す。
班長達も敏感に隊員の弛みを感じ取っていた。新隊員には毎度の事で対応には手慣れた物だった。
翌日の朝礼で先任から隊員にとって思いがけない言葉が出た。
「喜べ。特別賞与が出るぞ」
ボーナス。先任の言葉に整列していた隊員の間からどよめきが起こる。
「ただし、全員じゃない」
顔を見合わせる隊員。
「偵察任務に行って貰う。お前達はやれば出来るんだろ?」
口だけじゃないと言うなら新隊員だけでやってみろと班長が言う。慢心こそが敵だ。
後ろから班長に囁く班員。
「無茶ですよ班長、俺達だけなんて……」
振り返った班長は人の悪い笑みを浮かべていた。
「自信がないなら偉そうな事を言うな。出来るのか出来ないのか」
昨夜の酒盛りを思い出して顔色を変える。
命令に服従しても陰口を叩くと言う事は、指揮官を信用していないと言う事だ。戦闘集団に階級があるのは役割と責任があるからだ。指揮系統は指導者原理そのものだ。組織への忠誠こそ求められる。
本当に新隊員だけで敵地に放り込む事はない。班長以上も同行する。
今回の作戦は、指揮権に服する意味を再認識させる躾としても好都合だった。
†
隣国シュラーダーでの情報収集を目的とした不正規な越境作戦。アニマルコマンドーではベテランの陸曹が錬度を上げる為に幾度も国境を越えているが、危険性の高い任務となる。
移動はヘリコプターではなく徒歩で潜入する。敵にはレーダーなどの防空機器が無くても、優秀な目と耳がある。見張りの視力を侮れない。
人間の能力は環境に左右される。事実、日本人と昔ながらの狩猟生活を行うマサイ族を比較した場合、身体能力で大きな差がある。
町中にいてもヘリコプターの爆音は耳に届く。この世界ならなおのこと目立つ。
「――だから行軍で移動なのか」
個人偽装網に偽装材料を取り付けて太郎の所属する班は移動していた。
エルステッドの乾燥した気候に比べて、じめじめとした蒸し暑さを感じる。植生も活発で、頭上を針葉樹の葉が覆っている。
(日影でも暑いのは変わらないよな……)
熱いい息を吐きながら表情を歪める。
靴ずれにならないよう小休止の度に靴下を直しているが、足の裏に痛みを感じた。それと暑さで疲れた為だ。
「暑い……」
襟元と背中、脇の下。サウナ程とは言わないが汗だくだ。
「喉が乾いた。ジュース飲みたい……」
「冷たいなら水でも良い」
せめて車輛で移動したかったと思う太郎達だった。
「コンビニか自販機でもあればな」
振り返った班長の視線で黙り込む。ここは敵地で緊張感が足りない。
敵はゲリラやシュラーダーの兵だけではない。野生の動物もいる。亜人なら交渉も出来るが、野生の動物では話も通じない。
動物は警戒心と縄張り意識が強い。日本でも野生の熊や猪に人が襲われる事がある。同じように油断すれば自分がやられる。獰猛な未知の野獣という意味では此方は一層手強い。
(糞ガキどもめ)
班長はそっと溜め息を漏らす。
この瞬間にも同じ任務を帯びた班が数個動いている。どの班長も同じように新隊員に悩まされていた。
襲ってきたゲリラを潰すには隠れ場所を見つける事だ。シロアリやゴキブリの様な害虫駆除と同じだ。元から叩くと言う子供でも分かる理屈だ。
エルステッドとドワーフ王国の中間に位置するシュラーダーの突出部。シュテンダール辺境伯領の街、オラニエンブルクに近い川沿いの切り開かれた場所に訓練施設を確認した。陳腐な言い方をするなら秘密基地だ。
矢山3尉は林の中に選んだ監視所から駐屯地を一望している。
敵施設の外周は簡易な柵が組まれている。堀は無い。
見張りの櫓は映画のように丸見えではなく、狙い撃つには難しい。兵舎と幾つかの倉庫、厩舎そして練兵場が見える。樽が幾つも積まれていた。川が近い事から水には困らないと予想できた。
「騎兵は数える程で歩兵が主体です」
これまで戦ったゲリラ平均年齢は12~15歳くらいの若年層が多かった。物事の善悪が自分で判断できる前に革命の大義で洗脳され狩り出された少年兵士だ。ただの農民と侮る事はない。
兵舎の数から、概算で連隊規模の兵力が存在すると想定できた。
「かなりの規模ですね。魔導師と弓兵もいます」
今回は、隣国が軍事支援を行っていると言う証拠固めだ。
「街道から近い駐屯地だし物資の輸送量も多い。これでシュラーダーが知らないと言うことはないな」
「これだけの駐屯地を築いていてば、暗黙の了解にしてもそれなりの支援はしてますよね」
この情景を見れば、阿呆でも馬鹿でもなければシュラーダーとゲリラが繋がっている事は分かる。先任が頷き同意する。
アニマルコマンドーとしては敵の根拠地は破壊したい。エルステッド側が同意するかは別だ。シュラーダーとの外交問題に発展し国内に介入される事をエルステッドは恐れていた。両者の国力を考えれば仕方が無い。
(いささか歯痒い状況だな)
アニマルコマンドーはエルステッドで補助警察的な立場で、内戦にも本格的介入はしていない。要請があれば動くが今の所、邦人を守るのが主任務だった。
(ま、きっかけさえあれば話は別だな……)
矢山はシビリアン・コントロールを叩き込まれた日本の自衛官だ。自ら戦いを求めるつもりはない。出来れば無事に家に帰りたいとさえ思っていた。
「小隊長。大名行列みたいなのが来ましたよ」
身なりの良い騎馬の一団が、駐屯地へ街道を進んでいる。軍旗からシュラーダーの正規軍と判断できた。警戒している空気はなく時折、笑い声が聴こえる。
(どこかの偉いさんか。真昼間に堂々と現れるとは、自分の国とは言え迂闊すぎるぞ)
しばらくして駐屯地へ入って行く姿が見えた。
(ゲリラとシュラーダー。真っ黒な関係か……)
エルステッドの反政府ゲリラとシュラーダー。両者には何らか合意があると上層部も判断していた。
今回の来訪は、両者を結びつける協力関係を現す出来事と言えた。
求めていた決定的証拠だ。
「撮影できたか」
「はい。後は持って帰って提出です」
シュラーダーとの繋がりを掴んだ。矢山3尉は任務達成と判断、各班に引き揚げを指示する。
†
太郎達の班は敵とかなり接近していた。偽装の施された監視所と言えば聞こえは良いが、茂みに囲まれた単なる窪地だ。
(ああ、神様……)
息をころして身を屈める太郎達に敵が近づいて来る。
太郎は緊張で尿意を感じた。数メートル先に敵がいる。
(早く、早く行けよ……)
歩哨は用を足しに繁みに近付いてきただけだ。だが本人以外に理解できる訳もない。気付かれたと思ったのか班員の1人が先走って行動に移る。
「殺れます、班長」
横井は銃を構えた。横井の独断で班長が止めようとした。
「馬鹿、止せ!」
引金が引かれた。自信のわりに銃弾は敵の肩をかすめて外れた。傷口を押さえて敵が叫び声をあげた。
銃声だけでも警鐘には十分だった。声を聞き付けて敵が集まってくる。
「馬鹿かお前は!」
「何やってるんだよ」
愚の骨頂。周囲の班員から罵声を浴びせかけられる横井。
「あっ」
太郎には櫓から音をたてながら矢が向かってくる様子が見えた。視線を向けた班員達も口を閉じる。精々30本程の矢だが、空が黒く染まっている様に見えた。
(し、死ぬ!)
怯える太郎達の周りに突き刺さる矢。風を切る矢の音が、身近に迫った死を実感させる。
当たらなかったのは偽装材料と迷彩による視認性低下の効果だが、運と言う偶然の要素も大きかった。
「糞……」
班長は横井に殺意を感じながらも、矢山3尉に交戦に入ったことを報告し脱出経路を急ぐ。
「撤収」
班長の指示で動き出す。逃げる時は素早い。
頭の悪い働き者は間違ったことを信じて動き回り、全体を危険に曝す。マイナス効果のスパイラルと言う実例だ。
走りながら後ろに視線を向けた太郎は既視感のある光景を見た。
魔導師が今まで見たことの無い大きな杖をまるでロケット発射筒を扱うように肩に担いでいた。
(あれって……)
脳裏に浮かぶRPGの射撃姿勢。
(やばい!)
本能が危険を告げた。その瞬間、杖の先が光り輝き激しい魔力が杖先から放たれた。
弾着は外れて切り株に命中し轟音をあげた。爆風で腐った木片と土砂がばらばらと降り注ぐ。
「ぶわ。ぺっ……」
口の中に入った唾液混じりの砂利を吐き捨てる。
獲物を狩る猟師として敵の錬度は高い。農民とは言え動物を狩る事は、生活の糧として染み込んでいる。痕跡を見つけ出す腕は確かな物で現代人とは年期が違う。
(死にたくない)
敵の捕虜になったらどうなるかは写真や映像で嫌と言うほど見せられた。手榴弾や銃での自決は論外だ。そこまでの義理はない。
「西だ、川に向かえ」
太陽の落ちている方角。地形目標も分かりやすい物を選んでいる。バラバラになる事も想定した回収地点だ。
楽に逃げ果せたわけではない。敵にも考える頭がある。その事を忘れてはならない。
感知能力の高い魔導師を乗せた飛竜が、樹海の木々をかすめるように低空飛行して追跡の兵を誘導している。時おり、嫌がらせで上から矢を降らせてくる。今の所は針葉樹が傘になり護られている。
騎兵は樹海に入ってこない。馬蹄の音は太郎達から離れていく。迂回して国境沿いを固めるつもりだ。それまでに包囲を抜けねばならない。
偽装材料の植物が色を変えて枯れているが替えている時間はない。
「痛っ」
太郎は小さく呻く。
生い茂る植物を掻き分ける途中で、葉が刃の様に皮膚を切り裂き擦り傷を作る。他にも汗で濡れたシャツが、装具の締め付けで肌と擦れて痛みを感じる。
(身体中ボロボロだな)
自嘲気味な笑みを浮かべていると、後ろから呻き声と物音がした。
振り返ると最後尾を走っていた浅黒く痩せた顔に眼鏡をかけた班員が倒れていた。横井なら自業自得だが森本だ。太郎より年上で、神主の息子だと自己紹介で言っていた。
「森本!」
生き残るのは強い者だが、それ以上に運が必要だ。運の悪い者は何処にでも居る。
森本に走り寄ると首筋に矢が刺さっていた。敵が適当に撃った流れ矢だ。
森本の顔は蒼白で、唇を震わせて呼吸が荒い。素人目にも致命傷なのは明らかだ。
(無理だ。助けられない)
班長は素早く周囲に目を走らせて観察する。流れ矢とは言え、矢が飛んできたと言う事は、敵の追っ手が迫っていると言う証拠だ。
魔法の治癒があれば、脳を破壊でもされない限り、出血程度では死に至らない。しかし今は魔導師がいない。
負傷者を連れての移動は班の移動を遅延させる。敵に追われている状況では最悪だ。
顔を見合わせる班員。森本の様子を見て班長は銃剣を取り出した。
エルステッドは日本に比べて薬学が発達している。だが魔法の秘薬と言うような万能薬は存在しない。今、森本を救う手だてはない。指揮官の責任で決断した。
「班長!」
何をするか察した太郎が言葉を続けるよりも早く、森本の体に黒光りする銃剣が振り降ろされた。一瞬、痙攣をして森本は呼吸を止めた。太郎は拳を握り締めて黙り込む。
硬直した班員に見向きもせず、班長は黙々と森本の装具を回収し遺体に火をつける。
何をしているかは理解できた。遺体から身元が割れないようにしているのだった。仲間が死んだらそうしろと教えられていた。
人間1人を焼却するには膨大な燃料が要る。この場にそれだけの物は存在しない。時間も限られており必要な処置だけが素早く行われた。
「もう良い。行くぞ」
灰にする必要はない。表面が焼かれて身元を表すものは無くなった。
(関与しない、か……)
肉の焦げた臭いが鼻をつく。が不快感を持ちながらも班長の指示に従って移動する。
低く雨雲が進路上に立ちこめている。
「雨が降りそうだな」
何気ない言葉に班員の1人が過敏に反応した。
「本当に迎えに来てくれるんだろうな」
圧し殺していた不安をかきたてられた。視線を交わす班員達。太郎も、気象の影響を受けないかヘリコプターとの合流に不安を覚えた。
(生きて帰るんだ)
黙々と先を急ぐ班長の背中に着いていく。