24.1ジングル渓谷付近の戦闘
軍隊は社会の縮図と言われる。全ては有限で、限られた予算、限られた人員で戦場に挑まねばならない。常に最良の条件が整っているとは言えない。しかし指揮官は頭を働かせて選択と決断をしなければならない。
「さぁ往くぞ!」
DDAからの応援を指揮するウェッブ将軍が率いて来たのは、大型の鳥獣モアの代用騎兵。馬に持久力で劣るが機動性は高く積載量も大きい。人に比べてドワーフの小柄な体型には調度良い大きさで、維持費も安く抑えられる為に少数ではあるが戦闘部隊に採用されていた。
確かに、日本人が持ち込んだ自動車の登場で騎兵の時代は始まる前に終わったと言われるが、突破の衝撃力は変わらず大きい。自動車の配備数も限られる為に騎兵は重宝されて居る。
モアにまで甲冑を纏った重装騎兵が雨期には川となる乾燥した地面を駆けて、亜人を何するものぞとばかりに雄叫びをあげて突っ込んでいく。モアのくちばしが獣皮で出来たゴブリンの鎧を貫き血肉を撒き散らす。
「おごっ」
鮮血を吐き出しながら倒れる敵兵。戦場では生き物としての学術的な優劣は関係ない。敵だから災厄となる者を祓う。そして運の悪い者が死ぬ。切り伏せられた亜人は悲鳴をあげてもがいている。後続するモアの足が踏み潰すまでその苦痛は続く。
「豚の様に泣け!」
戦斧に切り飛ばされた首は綺麗な断面をしていた。将軍の技量を物語っている。ウェッブ将軍の縦横無尽に暴れる様は新兵なら憧れる光景だった。勇敢な将軍と無敵の兵士達。物語の英雄その者だ。だが突破の衝撃力はいつまでも続きはしない事をウェッブは経験から知っていた。敵が混乱から立ち直る前に引き上げを部下に命じた。
任務分析をすれば明示された目的はサカイ県の回復。その為の目標は敵野戦軍の撃滅。作戦は単純で渓谷の隘路を通過して来る敵に対して、瓶の蓋として出てくる敵を迎え撃ち消耗させるだけだった。
しかし、ネコのにくきゅう作戦は初っぱなからつまずきを見せていた。
数千の軍勢がぶつかり合う戦場。空では竜とヘリコプターがしのぎを削り合っている。人海戦術は兵力に圧倒的な差があれば十分に有効と言えた。
遠路、ドワーフ王国から到着したDDAとベーグルは「遊ばせている余裕はない」と挨拶もそこそこに、ブラドック兵団の増援に回された。
応援の到着で一時は戦線を持ち直したかに見えたが新たな危機が訪れた。右翼に展開するナンデヤネン大佐のノミカイイヤ第2連隊が抜かれた。ノミカイイヤ連隊は私兵ではなく正規軍だが壊乱状態に陥りJTFの右翼は崩れた。なし崩しで中央の第9連隊も脅威に晒されている。
事前偵察で前面に展開する敵兵力と流れは概ね掌握している。敵情判断に間違いは無かった。問題があったとすれば亜人を低く見た防御計画と予備陣地すら用意してなかった慢心だ。
「敵は我が軍右翼に前進の主攻を向けている様です。ノミカイイヤ連隊は陣地前面での敵撃滅に失敗、第7大隊の陣が破られ最右翼の第8大隊も……」
主抵抗線の存在意義は敵の前進を膠着させ徹底した逆襲を行う事にある。現状はハウ将軍と幕僚が練り上げた構想をぶち壊している。失われた部隊の敗因追求は後で、先ずは開いたら穴を塞がねばならない。
「予備隊を投入し、阻止陣地を編成せよ」
ハウ将軍は予備隊の第27、第29大隊を投入するが、突破口形成部は亜人に押さえられていた。戦術の基礎であり亜人でも気付いていた。弓兵と魔導師の優れた火網が形成されており多数の死傷者を出して予備隊の逆襲は頓挫した。
穴は亀裂へと拡大した。JTF主力が包囲される危機にあり戦線を下げるしか無かった。
街道は死の臭いが蔓延していた。混沌とした戦線を整理すべく憲兵も投入されている。ばらばらと兵士の群れが南下してくる姿が目についた。
憲兵は軽トラックで道を塞ぎ隊列を組んでいる。後方警戒は憲兵の業務であり彼らが居ることに不思議はない。
「どけ!」
憲兵に向かって怒鳴る兵士の表情には恐怖による混乱が浮かんでいた。乱れた服装、武器を手にしてない者の数も多い。命令を受けての行動には見えなかった。
「脱走兵だな。軍規を守らぬ屑が」
「うるせえ!」
押しのけようとした逃亡兵を切り捨てる憲兵。どよめき声が起きる。
「恥を知る者は戦列に戻れ」
前線の味方が撃ち破られた以上、何処かで食い止める必要があった。憲兵は督戦隊として逃亡を制止し前線に送り返した。
ただ送り返すだけでは烏合の衆で戦力とはならない。
泣きながら走って来る敗残兵をウェストファル大佐は臨時編成の予備隊、ウェストファル支隊として収容していた。ポンパドゥール軍の敗残兵を纏めあげた手腕を買われての事と言えば聞こえはいい。
(足手まといを押し付けられたと言うか、予備隊として後方に下がれると考えるべきか)
予備隊は敗残兵を収容して戦力を肥大化させているが、好ましい状況ではない。骨幹となる戦力が欠けていた貴重な日本人の火力を予備隊で遊ばせておく事もなく矢山3尉の増強中隊はブラドック兵団に回されている。
初戦の損害に対してDDAとベーグルの増援が到着したとは言え、優位性に揺らぎが見えた。敵情が当初の見積りと違い楽観は出来なかった。
物語は大抵、勇者が圧倒的な武力で敵を蹴散らせて活躍する。
(今は勇者が活躍する前の苦境か)
そんな理由では無いが、そう考えて勇者の登場を期待するしかなかった。
期待された勇者――いつも空からやって来る鋼鉄の竜の姿が今は無い。勇者の片割れであるベーグルは応援を要請していた。
「出撃回数の制限何て関係ありませんよ。地べたで戦っているのは私達で、空から眺めてる奴等に何が分かるって言うんですか。貴方も中隊も無事に帰りたければ努力はするべきです」
矢山にしてみれば借りを作ることは避けたかったが、松来は別の方向から攻めて来た。
「ここで敵を食い止められなければこれまでの投資を失う事になります。それだけではありません、エルステッドからの信頼も揺らぐでしょう」
エルステッドにやって来たベーグルの指揮官松来は矢山に顧客満足の観点から説明した。矢山にも防大に入る前、高校時代のバイト経験で何となくだが理解はできる。客から失った信頼を失った場合、取り戻すのは難しい。
黒ドワーフ相手に戦争をしてきたベーグルは、現地人相手に営業活動を積極的に行って来た。邦人保護が前提のアニマルコマンドーとは組織の成り立ち、方針が違った。遠慮の無い物言いにたじたじとなる矢山を擁護する者は居なかった。
「戦力の限定が戦場の限定にはなりません。使える手立てがあるなら使うべきです」
空自のみならず、ドワーフ王国に派遣していた特科部隊を呼び出そう。何なら日本から戦車でも送って貰えと言う意見が他からも出ていた。
「分かった」
矢山に約束は出来ない。後藤田に要望を伝えるだけだ。
指揮官の葛藤とは関係なしに太郎達は前線で火消しを行っていた。
今回太郎の元にはアニマルコマンドーの新隊員4名が配属されていた。聞けば実践経験はまだ無いと言う。
(俺の居た頃とは違うな)
内戦が終わり数ヵ月以上も過ぎている。主戦場がシュラーダーとの国境地帯に移った為、邦人保護が主任務のアニマルコマンドーに実戦の機会は減っていた。
「敵が後退するぞ」
味方の声に視線を向けると、角笛と振られる旗の指示で敵は潮が引く様に後退していく。
一時的とは言え襲撃を撃退し一息つける。軽トラックの荷台に積んでいるクーラーボックスからペットボトルをとりだし口に含むと角笛の音が三回聞こえた。
「懲りない奴らだな……」
交代した新手の集団が向かってくる。新兵の顔には絶望の色が見えた。
(まだまだ、こんな物じゃないぞ)
入社当初、太郎が越境作戦に参加した時は一個班で敵に囲まれた。それに比べて今は、味方が居て弾もある。全然余裕に思えた。
風にあおられたのかぺピのフードが捲れた。「あれ」と思った瞬間、ぺピの髪を結いでいた淡いピンク色のリボンが弾け飛んだ。
買い物に出かけると子供に見られておまけをして貰う事もあるぺピだが、戦場経験者だけの事はある。咄嗟に姿勢を屈めて頭を下げながら辺りを窺うと、味方戦列の向こう側で弓を構えたゴブリンの姿が見える。敵は味方の魔導師や日本人を狙い打つ狡猾な判断力を持っていた。着眼点は良いが誉める立場ではない。リーゼに視線を向ければ対弓兵戦で他の弓兵を相手にしており余裕はなさそうだった。
新手の集団が向かって来ていた。こちらの疲弊を待っているのか、敵は間段なく襲撃してくる。角笛が三回鳴ったら敵の突撃が来るとエルステッド側も覚えてしまった。
深呼吸をすると早く正確に魔法を紡いで行く。ミーナの詠唱を思い出しながら杖の先から火球が作り出される。吹き飛ばされる亜人の集団。
「無理するな。先は長い」
太郎の言葉にペピは額の汗を拭いながらこくんと頷く。
上空で激しい爆発が見えた。操縦席に竜の頭部が突き刺さったAH-1はバランスを崩し絡み合いながら墜落して行く。操縦士はもちろん竜も死んでいる。石油系燃料の燃焼する嫌な臭いが鼻をつくが問題はそれよりも大きかった。
地上に激突する寸前、AH-1からミサイルが放たれた。
「んあっ、ちょっと待てよ!」
思わず叫んだ太郎の前に一発のミサイルが迫っていた。戦死と言う二文字が脳裏をかすめた。
新手の集団に魔法を詠唱途中だったペピは反応できない。
リーゼは弓を構えるとミサイルに向かって矢を放った。太郎の目の前で閃光を上げて破壊されるミサイル。
(嘘だろ……)
矢でミサイルが破壊された事が信じられない。あまりにも非現実的な光景に唖然とした。
仲間は自分達の危機に気付いてなかったのか戦闘を継続している。
太郎が衝撃から回復していない間に、敵の角笛が勢いが増していた。日本人も無敵ではない。ヘリコプターを落とした事で敵の士気は上がっていた。エルステッド軍の指揮官は突撃してくる亜人の群れに対して脅える部下を叱咤激励しつつ応戦する。
彼我入り乱れての混戦で槍を突き出し、剣を振れば誰かに当たった。死傷者が量産されていく。暑さの中で、むせ返る程に濃厚な血の臭いがする。
戦場で怖じ気付いたら恐怖に飲まれ、隙の出来た兵士は殺されるか負傷する。実戦慣れをしていないアニマルコマンドーの新兵に負傷者が続出した。ベーグルとアニマルコマンドーは同じ日本人として統合運用されていたが、練度に差があった。
「手間をかけやがって」
苛立ちを感じる太郎だがそれも仕方が無い。自分のティーム以外にも面倒を見させられて引率教師の気分だった。
「や、山田さん!」
新兵Aが太郎に泣き付いて来た。もちろん名前はあるが今回限りの付き合いと思えば、覚える気は無い。
「うわ……」
視線を向けた太郎の目に写ったのはミノタウロス。ヨヨでミノタウロスを倒したのは結局の所で空自だった。――歩兵の火器では威力不足。かつて太郎の所属した班を壊滅させた恐怖が蘇る。
近くに居たエルステッド軍の兵士が数人がかりで斬りかかるが、ミノタウロスの戦斧が一閃すると倒れ伏していた。
(こいつ相手には無力だ……)
太郎がそう思っていると、クレアはミノタウロスを認めると好戦的な笑みを浮かべた。
「私がやる」
「よろしく!」
恥も外見もかなぐり捨てて女性に強敵を押し付けた。
クレアはゴブリンの隊列に突っ込みながらミノタウロスを狙った。
常識で考えるなら女性の細い腕で戦場を無双出来るとは考えられない。しかし住む世界が違えば前提条件も変わってくる。血中のマホー成分による力なのかクレアは亜人を圧倒し切り刻んでいた。骨が砕ける音と肉が引き千切れる音が太郎の元まで聴こえてきた。思わず魅了される剣舞だった。
走りながら足元の砂を手に取るとミノタウロスの顔に投げつけた。目に砂が入り動きの止まったミノタウロスの両足に斬りかかるクレア。強靭なミノタウロスの筋肉を相手にしてクレアの剣は欠ける事無く、よく切れる包丁の様に切り裂いた。
「――オオ!」
骨と肉の断面を露出させてミノタウロスが膝をついてもがいている。まだ闘争心は折れてないらしく武器を手放してはいなかった。太郎は警戒して銃口をミノタウロスに向けるがクレアの獲物だ。手出しはしない。
「戦争に卑怯は無いよね?」
クレアは動けないミノタウロスの首に刃を叩き付けた。
(砂なんてよく思いつくな……)
飛び跳ねはしないが駆け抜ける足の速さは人間離れをしていた。自分達、日本人とは違うと太郎は改めて感じていた。
他のミノタウロスがクレアを標的に向かってきた。仲間を倒されて殺気立っている。大きく振りかぶった剣の刀身はクレアの身長はある。
「糞喰らえ」と呟きクレアはミノタウロスの斬撃を軽々と回避すると、すれ違い様に喉を切り裂いていた。喉の筋肉までは鍛えられなかったのか血を吹き出して倒れる。
首、喉、脇は甲冑を着ている相手を倒す時も狙う場所で防御の弱い箇所だ。7.62mmの弾に耐えるミノタウロス相手では狙う箇所も限られた。クレアの着眼点は正しいと言える。
刀身にへばりついた脂肪と血を拭うクレア。隙が出来た様に見えるクレアの横から亜人が槍で襲いかかる。クレアは手を腰に回してナイフを外すと投擲した。ざくっと音を立ててナイフは敵の眉間にめり込んだ。倒れた亜人からクレアは腰を落として頭蓋骨に刺さったナイフをみしみしと揺すって抜き取る。太郎は感嘆の言葉を飲み込みながら自分の目の前に意識を戻す。
「あ──」
誰かの放った魔法が横から現れたゴブリンを吹き飛ばした。巻き込まれて倒れる敵に気を緩めて相手に礼を言ったりはしない。余裕がなかった。新手の敵が突っ込んできている。弾倉交換ももどかしい。
「あああっ――」
隣でアニマルコマドーの新兵Aが槍に足を刺されて悲鳴を上げている。太郎は槍を構えて止め刺そうと言う敵の背中を小銃に付けた銃剣で突き刺した。
「お前がへまするのは勝手だが、こっちに迷惑をかけるな」
倒れた敵の背中に足をかけて銃剣を抜きながら太郎はペピを呼ぶ。
「出て行った血液までは戻っていないので、しばらくは無理に動かない方が良いですよ」
「すみません……」
負傷した新隊員から興味を無くすと太郎は戦闘に戻った。治癒魔法を受けながら新隊員は、自分と大して歳も変わらない太郎だが飄々とした態度で敵を倒す姿に気圧されて言葉が出なかった。
「いい加減、鬱陶しくなって来たね!」
全身に返り血を浴びたクレアが幾つ目に成るのかミノタウロスの首を刈り取ると後ろに投げながら怒鳴った。その姿を見てぺピは水玉を浮かべるとクレアの上に落とした。水浴び変わりで火照った体に心地良いが、装備の手入れをしないと痛む。
突然浴びせられた水に驚いた敵。足並みを乱した所をクレアは追撃する。斬り込まれて足下の水溜まりに足を滑らせる敵兵。体制を立て直す猶予もなくクレアの剣が降り下ろされた。
「いったん下がろう」
全員が揃っている事を確認した太郎は後退を指示する。
†
延々と続いた戦闘は日が沈む頃になって落ち着きを見せていた。と言っても敵は夜目も利く。小規模の威力偵察と魔法や弓、投石による擾乱射撃を行いJTFに緊張を強いていた。
「幾ら夜目が利くとは言っても大規模な襲撃は統制上難しい。今日の戦は終わったと考えて良い」その様に判断が下された。
遺棄された敵の死体は陣地前縁だけで3,000を超えていた。敵の死体から使えそうな武具を回収すると穴にまとめて埋める。戦場ではありふれた作業だ。司令部では事後の行動計画の見直しが行われた。
「敵の統制は予想以上にしっかりしている。連合を組むに至った理由――亜人を動かした飼い主は誰かが問題だ。統率者さえ倒せば瓦解するはずだ」
偶然などと思っていない。部隊運用の一つを取って見ても知性が感じられた、
「首領の首を取れば戦に勝てる等希望的観測に過ぎん。現に内戦は指導者を失っても続いていたではないか。それよりも高地を押さえられれば不味い。神に見放されるのは此方になるぞ」
通信連絡の確保は絶対だ。連絡を遮断すれば脆い。指揮を失えば瓦解する。
「増援の要請は出したが、予備隊は常に用意して置くべきだ」
後方を絶たれた方が戦では捕捉撃滅される。
ゴブリンの夜襲を警戒して陣地の設営が始まった。投石機が並べられ射撃陣地の塹壕とは別に柵が張り巡らされている。
夜になると気温が下がり多少は過ごしやすくなる。太郎達は後方へ下がり休憩をしていた。車輛の荷台での雑魚寝だ。食欲よりも疲労から睡眠を求めていた。
JTFが陣地構築に移った頃、亜人は渓谷以外の迂回路を探して偵察を出していた。そもそも彼らは人跡未踏の秘境と呼ばれる場所を生息地としていた。人と違い鬱蒼と群生した樹海、険しい山も走破出来る。夜半に幾つかの集団が山中に入って行った。目的はJTF後背への浸透突破にある。
後方警備に当たる憲兵の部隊。足音が聞こえ検問の憲兵は誰何するも、無視して走って来る影があった。さすがに日本人の様に暗視眼鏡は装備していない。手元にある光源は篝火ぐらいだ。
「また脱走兵か」
苛立たし気に制止の声をかけたが返ってきたのは矢玉だった。
「何っ、射って来やがったぞ!」
幾らなんでも攻撃してくる事はおかしいと気付いた。
それは戦線を浸透突破した敵の威力偵察であった。小規模な小競り合いが夜半になっても止まなかった。
「ありゃ敵だ!」
憲兵と言っても前線に送り込まれた部隊は戦闘を想定した用意をしている。大規模な部隊なら前線の部隊が先に気付き阻止しようとする。小規模な部隊なら憲兵でも対処は可能だった。
戦闘の騒音は夜間だとよく響く。演習場でも夜は喋り声がよく聞こえるのと同じだ。自分たちに出番が無いとは言え雑音となって休む兵士の睡眠を妨害する。
緊張状態で浅い眠りだったのか、誰かが近付く気配を感じて太郎は目を開けた。
グレイスが枕元に立ってぼそりと何かを言っている。死んだ者が現れる訳が無い。
夢だと太郎は理解出来た。
だけども言葉は自然と出た。
「上に逆らう、協調性が無い屑はいらない。それぐらいは理解して下さい」
もっとも素直に「はい、ごめんなさい」と言えて態度を素直に改めれる人間なら別の道を進んでいた。皆仲良く明るい職場は太郎にとって幻想に過ぎなかった。
ふっと目を醒ました瞬間、大声が聞こえた。
「敵襲!」
雑毛布を跳ね除けてぱっと起きるパーティーの面々だが疲労の色は隠せていない。
クレアが剣を抜いて辺りを見回すと犬のように鼻をくんくんさせる。
「ゴブリンの臭いがする……」
太郎も鼻を鳴らしてみたが、乾いた土と血の臭いがするだけだった。
ふいにリーゼが弓を構えて矢を放った。呻き声と共に倒れる音がした。
「敵か」
太郎は駆け寄り死体を確認した。偽装材料の下に泥を塗った顔があった。
身軽な革製鎧を着て短剣と投石紐を腰に下げていた。
亜人のコマンド部隊と呼ぶべき襲撃部隊は巧妙な偽装を施して向かってきた。夜の山、篝火の光源を倒して攪乱してくる。陣地は混乱し火の手が上がっていた。
「もう、雑魚と言えないよ」
敵を片付けながらクレアの言葉に太郎も同意する。ある敵は電話線を切断していた。手当たり次第の破壊かは太郎に判断がつかなかったが、ここまで侵入されたのかと言う焦りはあった。
「小隊長に指示を聞いてくる。皆は待機で」
中隊長車の荷台で仮眠をしていた矢山の元に小隊長達は集まっていた。
一息つこうとした間隙を狙った様な襲撃。JTFの迎撃体制は整っていなかった。警戒配置に就いていた陣地前縁の部隊との連絡は途絶えている。
「電話線が切れているのでは?」
「いや、敵にやられたんだろう」
後方では陣地の設営がほとんど終わっていない。通信まで遮断されれば混乱に拍車がかかる。
戻って来た小隊長が太郎に地図を示して指示を出す。
「矢山3尉から後退に備えろと言う事で、山田。お前の班はリッツェン中隊と一緒に後衛に就け。俺達はシュマック大隊と1081高地を確保して主力の後退掩護をやる」
ここまで亜人に好き勝手やられれば一度後退して体制を建て直したい所だ。日本人はJTFの戦線後退を予測し動き出した。
砲兵の弾着観測は高地が望ましいと言う。高い場所は戦況がよく見えるからだ。亜人、特にゴブリンは夜戦に長けている上に高地を奪われればさらに損害が増える。命令を受領した太郎達は弾や矢の補給を受けてリッツェン中隊の展開する800高地に向かう。
リッツェン中隊は国王親衛隊から派遣された部隊で死傷者を出しながらも踏みとどまっていた。ポンパドゥールの弱兵とは違う。近衛騎士団を前身としており王への絶対的な忠誠を誉れとする彼らは臆病とは無縁だ。
親衛隊の奮闘で戦線の一部を辛うじて持ち堪えているが、全体的に見ればJTFは昼間の損害を合わせれば3割の死傷者を出している。欠員の皺寄せで徐々に押されていた。
800高地には塹壕の他に防御設備は柵すら無かった。
「中隊正面の敵は迂回機動をとらず向かって来るだけだ。各自が持ち場を守り戦えば良い」
中隊長の指示に各小隊長は部下を掌握して敵の攻撃に備える。太郎のティームはホンマヤネン少尉の小隊で魔導師、弓兵と共に火力部隊に組み込まれている。
日本人が現地人と組む従来通りの運用だ。
塹壕は急ごしらえとは言え1m程の深さがあった。上半身を地面に伏せて小銃を構える太郎。
隣の塹壕でペピも杖を構えていた。
この世界では血中のマホー成分(日本人の命名した仮名称)が作用して魔法が使える。それは全ての者ではない。魔導師と呼ばれる魔力が高く制御できる者達だ。
魔導師は魔力の伝導率が高い魔石を使うことで魔法の威力を増幅する。一般の者は魔力の低さから魔法が発動しない。生まれながらの遺伝である。
(魔導師か、魔導士か、魔道師か、魔道士か、魔術師か、魔術士か。結局は魔法使いだな……)
ぼんやりと呼び方について考えていると蠢く敵の集団を視界に捉えた。
「来たな」
敵は高地を確保しようとミノタウロスを先頭にして肉薄してきた。リッツェン中隊の居る丘もその一つだ。突撃梯隊の数は中隊規模。
「撃て!」
小隊長の号令であらゆる飛び道具の攻撃が始まった。防御において飛び道具はそれぞれの射界が網の目状で重なる様に配置されている。誘い込まれた敵は矢と石、魔法の歓迎を受ける。
降り注ぐ矢の雨。熟練した弓兵が操る長弓の猛威が吹き荒れていた。矢が弦から放たれ風を切り裂く音よりも敵の悲鳴の方が大きい。
「撃ち方止め」の声がかかり第一波を撃退した後、味方の敗残兵が飛び込んで来た。何処に隠れていたのか警戒線を構成していた部隊だ。このまま素通りはさせない。
「よく来た。お前達は栄光ある親衛隊に編入される」
喜べと人の悪い笑みを浮かべた中隊長の言葉に、生き残れたと思えば戦闘に再び戻るのだから敗残兵は意気消沈する。負傷兵の装備が与えられ塹壕に配置される。
リッツェン中隊は後退して来た部隊を収容して縦深陣地の構築を考えるが、間も無く新手の敵が現れた。今度は飛び道具を警戒して戸板の様な即席の盾を構えて接近してくる。盾で防ぐ密集した陣形は弓兵相手には十分かもしれない。
詠唱を始める魔導師達。杖の先から放たれた火球が爆炎となって集団を吹き上げる。
間髪入れず歩兵が逆襲に出た。塹壕から這い出して突撃に便乗するクレア。味方と共に斬り込んでいく。原始的な戦闘では士気の高い方に勢いがある。戦勢はリッツェン中隊にあり亜人は押されて後退する。
「ひぎィ!」
涎を垂らしながら飛ばされる亜人の首。絶え間ない襲撃に剣を鞘に収める暇はない。クレアは舌打ちしながら剣を振るっている。
太郎が銃剣でゴブリンを相手にしてると声がかけられた。
「山田君、小隊長が集合だってさ」
隣の班長、チャウネン軍曹が声をかけてきた。小隊長が班長以上の集合をかけて太郎もティームリーダーとして呼ばれた。
「クレアさん。ちょっと行ってくるんで、ぺピとリーゼに注意してあげてください」
「うん。いってらっしゃい」
クレアに後を任せて小隊長の元に向かう。
小隊長の前に一人の男が捕らえられていた。上半身は裸で背中に鞭打ちの生々しい痕が残り血が滲み出ている。
(何だこいつ)
訝しげに思う太郎達に小隊長は説明する。
「この糞野郎は亜人の指揮を執っていた」
先任が男の腕を見えるように上げると鍵十字の刺青が見えた。
「邪教徒か」
異端認定を受けた北方騎士修道会の信者である事は明白だ。亜人に戦術指導を行いJTFに被害を与えていたと理解できた。エルステッド軍に所属していた者も信者に居た事を考えれば、現在の苦境も納得が行く。集まった下士官達から侮蔑の視線が男に向けられる。
「さっきからだんまりを決め込んで、どうやって亜人を動かしたのか答えない」
小隊長が顔面を殴り付けると男は後ろへ吹っ飛んだがすぐに引き起こされた。
「軍には尋問の専門家が居る。俺と違って連中は優しくないぞ」
「我々は死を恐れない」
両脇を抱えられながら息も途切れ途切れに吐き出す男の言葉。小隊長は意味する事に気付いた。我々と言うからには個人ではなく複数の者が参加していると考えられた。だがあえて否定的な言葉を投げつける。
「ようやく喋ったと思えばそれか。糞の役にも立たない」
まだ何か言っていたが、小隊長は促し先任が男を連れて出て行った。
「連中は此方の手口を知っている。ただの亜人と考えるな」
亜人に人が協力している。厄介な事実を知らされたが対策は浮かばなかった。




