23.1 事件の余波
エルステッド北部サカイ県の都市バーバリアン。内戦の最後に反乱勢力が立て籠った為にJTFの攻撃を受けてヨヨが灰燼に帰した後、サカイ県の中心的役割を担っている。
日差しが頭上に照りつける時刻。街の一角で捕物が行われようとしていた。通りは交通規制が敷かれ売春宿が憲兵隊に包囲されていた。住民は巻き添えを食わないように遠巻きに見ている。日に焼け退色しひび割れた宿屋の外壁に看板がぶら下がっている。3階の窓に外に待機する憲兵の視線が集中していた。
濃厚で淫靡な栗の華の香りが漂う。いつもは街の喧騒が薄い壁越しに聞こえてくるが、今は女の喘ぎ声とベッドがきしむ音しかしない。部屋の外では、扉を囲む様に憲兵が配置され待機していた。日本人の教導で誕生した憲兵の対テロ部隊で市街戦に特化している。
甲冑の上に羽織ったポンチョは日本人の着る迷彩服2型に似た斑模様をしている。市街地での治安維持、捕り物には重い金属製の甲冑より身動きの取りやすい布製の甲冑が採用されていた。
憲兵達は女の喘ぎ声に欲情を感じるでもなく、緊張感を顔に張り付かせていた。
『宿泊客、従業員の退去を確認した』
無線からお膳立ては出来たと報告が入った。現場指揮官の憲兵大尉は部下に突入の指示を出す。一人がドアノブに手を掛けて勢い良くドアを開ける。室内になだれ込んだ憲兵が住人の男に剣先を向ける。一般の歩兵の使用する剣は両刃の直身だが、憲兵は捕り物で振り回す為に片刃の直身となっていた。
黒人女性の上にのしかかっていた黄色人種の男は唖然とするが、気を取り戻して怒鳴る。
「お、おい。何だあんたらは!」
女はオーガズムを感じてぐったりとしており身じろぎもしない。
「犯罪者を探しているならお門違いだ。出ていけ!」
股間を拭わず立ち上がると男は扉の外を指差して怒鳴る。普通に考えて憲兵相手にそこまで強気に言えれば大した物だが、憲兵の構えた得物は逸れない。
「間違いではない。コウ・ラック、お前を北方騎士修道会のメンバーとして逮捕する」
北方騎士修道会は国王によって異端認定を下されており、邪教の信仰と内戦の扇動で王家転覆を企てた大逆者として処罰される。事実無根であれば良かったが幾つもの計画と証拠が出ていた。
「公安の裏付けがある。観念するんだな、コウ大尉殿」
大尉と言う言葉にびくりと体を反応させたコウ。憲兵隊公安部は軍情報部の指揮下で対敵諜報活動にも従事しており、情報収集能力は随一だ。白を黒と塗り替えれる実力があり、公安に目をつけられたら吸殻を捨てるような微罪ですら白日に晒される。
これがでっち上げなら問題はない。だがコウは外国人出稼ぎ労働者の役柄を演じ北方騎士修道会に協力するシュラーダーの将校だった。このまま捕まれば憲兵お得意の尋問が待っている。沈黙を保てる自信は無い。北方騎士修道会が王家に叛逆する者として異端認定されている以上、最後は内乱罪で処刑される。
がっくりと方を落とし諦めた態度を見て連行しようと憲兵が近付く。
「――捕まってたまるか!」
不意を突いてコウは枕を憲兵に投げつけて戸棚の引き出しに手を突っ込んだ。鍛えられた俊敏な動き。掴み出したのはシュラーダー製のクロスボウ。小型で軽量化されているのが特徴だった。
豹変したコウの態度とクロスボウの出現に緊迫する空気。室内に居た憲兵はコウに槍を向けて刺殺しようとした。
しかし先を越された。
クロスボウが向けられる前に窓ガラスにひびが入り割れた。その瞬間、コウは側頭部から血を流して倒れる。斜め向かい側の建物で警戒していたアニマルコマンドーによる支援射撃だ。頭部の一部が吹き飛んで壁に血の染みを作っていた。憲兵は気を取り直してコウが手に握るクロスボウを蹴飛ばして一応、脈を確認する。
「ボードレール11、こちらリリーブラウン20。容疑者の死亡を確認」
憲兵の言葉に女が叫び声をあげる。愛していた訳ではない。代金を貰っていない事に気付いたからだ。
この日、エルステッド全土で行われた一斉摘発で北方騎士修道会関係者が多数逮捕されたが、逮捕時の抵抗により少なくない人数が殺害されている。
†
夜も更けてきた王都だが官庁街と歓楽街には灯りが灯っている。歓楽街の明るい雰囲気とは真逆な行政府。国王を除けばこの国の最高権力者である宰相の勤め先だ。蝋燭の灯りの下で、焼きモグラの肉を薄く切ってパンで挟んだ物をつまみながら宰相ウス・ピタは幾つかの書類を読んでいた。貧相な食事だが、一国の宰相ともなれば決済を待つ書類も多い。仕事の終わる時間が遅くなるのはいつもの事だった。そこへ足音も高く、第一陸軍卿のカースマルツゥ公爵がやって来た。顔色の悪さが緊急事態を物語っている。
「閣下、夜分遅く失礼します。緊急の用件があり参りました」
ナプキンでパンくずのついた口元を拭いながらピタは頷き続きを促す。
「ドワーフ王国のDDAと我が軍が協定により協力関係にあるのは以前に御説明させて頂いた通りです」
宰相就任時に軍から越境作戦を含む機密事項を説明された。その一つが、前任者によって締結されたドワーフ王国との軍事協定だ。魔導兵器開発の技術供与、義勇兵の派兵等、様々な面で協力関係にある。
「うん。それで?」
ピタは頷き前置きはいいと続きを促す。
若い頃の戦傷で痛めた足を引き摺る様にして壁に近付くと、かけられたエルステッドの地図を前にサカイ県の境界にある王家直轄領ヒニョキュニの山間部を指差す。そこには魔導兵器の研究施設を中心とした街が建設されていたが、一般向けの地図では街が存在しない事になっている。
平時から戦争に備えるのは国として当然の事であり、戦況を一変させられる物があるなら誰しも欲しい。秘密兵器、決戦兵器と言い方は色々とあるがそう言う方向性で研究されていた。
「結論から言いますと、黒ドワーフから接収しドワーフ王国の容認で引き揚げ時に持ち込んでいた魔導兵器が奪取されました。賊は北方騎士修道会です」
魔導兵器は試作品が完成し調整中と報告を受けていた。黒ドワーフの反乱で始まったシュラーダーの間接侵略がシュラーダー正規軍の大規模な動員による直接侵略に変化した場合に対して用意されていた代物で、後方である比較的安全なエルステッドが保管場所に選ばれ疎開して来た。物が物だけ秘密を知る物は限定されていた。それをまんまと北方騎士修道会に奪われてしまった。
「街は敵の手に落ちており、制圧状況から内通者による手引きがあったと考えられます」
無能な敵、常勝無敗な味方と言う物は非現実的で、敵の多くも内戦時に実戦経験を積んでいる。
ピタは憤怒の表情に変わる。直轄領を侵すと言う事は王家に対する挑戦とも取れる。異端認定を受けた北方騎士修道会による報復行動と考えられた。
「卵は速やかに奪還しなければならん」
卵――魔導兵器の開発は諸外国でも行われていたが、シュラーダーに知られればややこしい状況に陥るのは確実だった。魔導兵器開発を遅らせる為に国内の混乱を画策し、せっかく安定させた治安情勢が再び悪化させるかもしれなかった。
「もちろんです閣下。ですので所定の計画に従い部隊を動かしました」
すでに軍と憲兵により竜航路、水路も含めて交通網は遮断したと陸軍卿が報告し国外への持ち出しは防げると一安心する。情報の漏洩については調査が必要だが、まずは目の前の武装蜂起鎮圧が優先される。
「卵はグ・ヴェン・ピィーからは運び出されていないと思われます。部隊にリップノイズ作戦の発動を命じました」
リップノイズ作戦は封鎖計画の第2段階で地上軍を投入したしらみ潰しの掃討作戦となる。完全な滅菌を目的にしている為、壮絶な市街戦の発生が予想された。
「敵はどの程度の人数を集めている?」
「支持者を中心とした民兵が集結しており1万は下らないと思われます」
1万と言う数を聞いて宰相は呻く。そこまで集まれば投降の説得は無意味だ。軍に荒事を頼むしかなく、憲兵だけでは対処不能な事態に進んでいた。
最悪、日本人に要請して街を完全に消滅させ、魔導兵器その物を隠蔽する事も計画に含まれている。
†
路上を埋め尽くす人の波で渋滞が発生している。街は逃げ出そうとする住人、人の盾として脱出を妨害するゲリラ、鎮圧に向かうJTFで入り乱れて混乱の坩堝だった。
グ・ヴェン・ピィーの街は防衛上の観点からメインの大通り以外は入り組んだ路地で繋がっている。逃走経路は限られて避難民が大通りに集中していた。
上空を飛ぶヘリコプターに注意を払う者は居ない。イロコイの名を持つUH-1汎用ヘリコプターは、略奪と放火によって黒煙が立ち込める市街地上空に達した。機内には胸甲と冑だけと言う軽装備のエルステッド軍の兵士が乗っている。狐の意匠を持つ部隊章は創設間もない第5偵察連隊。エルステッドでは現代の竜騎兵と区分されており、精鋭と言う点では同じだった。装備している武器も様々で接近戦では歩兵となりあらゆる手段で戦う。
今回の北方騎士修道会による蜂起は、シュラーダーの対外政策に呼応した動きと見られた。事態を長引かせる事は好ましくない。リップノイズ作戦にエルステッドは第12軽歩兵連隊、第5偵察連隊を投入していた。
第5偵察連隊に所属するジニー・ポラキニョーウ大尉は、友軍の前進を支援すべく部下と共に先行していた。この瞬間、同様の任務を帯びた日本人のティームも市内で動いている。
「まさか地元で戦争をするとは思わなかったな」
部下の会話が耳に入る。内戦が終わってから専らとシュラーダー領内での越境作戦をしてきたから国内情勢に疎いが、王家に反旗を翻せばどんな報いを受けるかは理解していた。酷い内戦を経験し国も民も懲りている。
「正気じゃねえよ」
ジニーも内心で部下の言葉に同意した。
「ああ。せっかく静になったってのにまったく傍迷惑な連中だ」
矢と魔法の弾幕以外に、投石器からタールや油の入った樽もかなりの数が射ち上げられていた。これらが引火してナパーム弾の効果を出している。中には釘や廃材を入れた物があって危険度はさらに高い。
北方騎士修道会が内戦終結後にこれ程の装備を隠匿していた。これだけでも大事だ。関係者の責任が問われることになるだろう。
「何て物を持ち込んでるんだ」
「シュラーダーの連中だろ。あいつら根暗だからな」
揺さぶられるヘリコプターの機内で軽口を叩く部下達は死を達観していた。
部下とはドワーフ王国、シュテンダール辺境伯領、死霊山脈と周辺諸国を共に戦ってきた。雪原で、樹海で、乾燥地帯で。体に刻まれた傷の数だけ場数を踏んでいる。少々の事では動じない。
シュラーダーの介入でエルステッドを含めた周辺国の情勢は悪化した。どの国でも反乱が発生し、ゲリラはシュラーダーから武器援助を受けていた。
賊の討伐は人手が足りない。金のある商人は傭兵を抱え、金の無い村は自警団を作った。日本人は内戦終結後に失業した軍や憲兵の元兵士を招致して現地協力者を確保した。これはエルステッドの失業者問題や治安問題解決に貢献しており、両国の国益に沿う事だった。
いまもどこかで戦っているかつての仲間を思い出して呟いた。
「どこに行ってもやる事は同じか」
日本人に雇われても軍に残れても戦う敵は変わらない。
出撃前の打ち合わせで情報幕僚から与えられた情報を再確認する。
「賊軍の討伐が本作戦の目的だが、我々は敵司令部を叩く。司令部は市庁舎を接収し利用している。中隊規模の守備隊で弓兵に魔導師、連弩、投石器の保有も確認されている」と言う事だった。
ジニーの部隊単独で司令部の制圧をしろと言う訳ではない。出来れば一番乗りをして欲しいのが連隊本部の要望だが競争相手は他にも居る。軽トラックで自動車化されている第12軽歩兵連隊の前進速度に徒歩では追従出来ない。
(だからこそ、偵察の名目で日本人の力を借りているとも言えるな)
降下するヘリコプターの窓越しに広がる町並みを眺めながら考え事をしていたジニーの考えは寸断される。
「2分前」
着陸地点が迫り副操縦士がジニーに報告した。ジニーは頷くと機体の外に視線を戻す。黒煙と炎を見つめるジニーの顔は無表情だ。
先行した空自の攻撃隊が防空陣地を潰していた。米軍の「AirLand Battle doctrine」に基いた行動だ。
圧倒的な光景も当然で、空自はF-15E戦闘爆撃機、A-10対地攻撃機などを本格的な導入に向けた実地試験として投入していた。
戦争の教義は知らなくても意味は分かる。面倒な相手を先に潰してくれれば、それだけジニー達の危険は下がる。
住宅地にある広場に着陸したヘリコプターから飛び出すと周囲を警戒する。敵の姿はない。地図を取りだした。最近、築かれた街なので道が無くなっていたり、街は成長している。位置を確認しながら市庁舎を目指し移動する。
表通りは避難民と敵の抵抗で前進は遅延していると聞いていた。ジニーのティームは裏通りを選んだ。八百屋の裏手に大根やカボチャ、野菜が転がっている。勿体無いと言う感情が浮かぶ。
「ポラキニョーウ大尉」
部下の指し示す方向を見れば通りの先にゲリラの車列が見えた。前線の応援に行く部隊かと考えたが、部隊を展開させる為の移動にしては様子がおかしい。荷馬車には略奪品か、金目の物が山積みされている。
(あいつら逃げようと言うのか)
行きがけの駄賃とばかりに部下に攻撃を指示した。随伴していた魔導師は詠唱を始める。
先頭の馬車に風の魔法が放たれた。荷台が持ち上げられて横転する馬車。矢が止まった車列に浴びせられる。悲鳴をあげて倒れる馬にも容赦をしない。
剣や槍を手に後続車両から降りてきた敵兵に向けて、矢と魔法で攻撃する。
甲冑には幾つかの種類が存在する。大きく分けると板金鎧、鎖鎧、皮鎧に分けられるが、大抵の鎧は熟練した射手の放つ矢弾で貫ける。結局、機能を追求すれば全てを弾く完璧な鎧は存在しない。
応戦する敵兵は、前線で戦う他の者と違い元から戦意も低かったのか逃げ腰だ。北方騎士修道会と言っても信仰で固く結ばれている様ではないと理解できた。
最後尾の馬車も魔法の攻撃を受けて炎に包まれている。前後を塞がれた敵は立ち往生するしかない。ざわめきが起きる。全員が戦闘に慣れている分けでも無い。戦場を経験したと言っても戦闘職種以外に後方支援の役割もある。ここに居るのは後者だ。実戦慣れをしておらず遮蔽物に隠れる事もない。まるでかかしの兵隊でいい標的だ。
(恨むなよ)
憐れみを感じながらも敵だ。戦争での殺人は単純作業。躊躇すること無く矢を放ち射殺する。主を失った馬が群れを作ってうろうろしている。
敵の車列を始末した後は前進を再会する。目標の市庁舎は廃墟の中で比較的綺麗な状態を保った館なのでランドマークとしても目立つ。司令部の所在が報告されており、指導陣の死体を確認する為に爆撃目標から除外されていた。
途中で軒下に吊るされた死体が目につく。街を占領したゲリラによる住民への見せしめだ。大衆の支持を失えば狩られるのは自分達だと言うのに、狂気に取り憑かれている。
(糞ったれだな)
死体を下ろすのは敵を掃討してからになる。先を急ぐと正面に敵が現れた。狭い路地で隠れる事も難しい。敵に見付かったと舌打ちをする。現れた敵は前線の応援に向かう途中だったのだろう。迷うことなく喚声をあげて向かってきた。
敵の数は多い。応援する剣の腕も疲れてくる。鎧の中が蒸れてきた。
流れる汗を拭わず剣を敵の肩に叩き込んだ所で刀身が真ん中で折れた。
「糞」
直ぐに予備の剣を鞘から抜いて構える。持てる装備には限界がある。それでも得物は予備を携行するのが常識だ。
「ポラキニョーウ大尉!」
数が多く圧されて来た。ここで時間を食われては支障が出る。退き時と判断した。
「下がるぞ」
ティームの魔導師が制圧射撃で後退を支援する。後退するジニー達を見て敵は勢い付くが、狭い路地逃げ込まれると数の優位が崩れる。誘い込まれるのを警戒して慎重に追尾してきた。
†
第12軽歩兵連隊の先鋒を勤めるオロ・ナミィ大尉の偵察ティームCは、軽トラック3両で市内へと向かっていた。ティームには同乗者が居た。山田太郎とそのパーティーである。ベーグルは便利屋であり便りになる味方であった。
(で、こいつは使えるのか?)
オロはバックミラー越しに太郎を視界に入れるとそう思った。鍛えられた部下達に比べて太郎の貧弱な肉体は不安を誘う物だった。太郎の抱えた得物、64式小銃の性能は噂でしか聞いたことが無い。火を吹く雷の武器。
(飛び道具の一種とは分かるが、どこまで期待できるのやら)
DDAに比べてエルステッド軍における車輛の配備数は少なく、限られた自動車化部隊として第12軽歩兵連隊は精鋭と言えるが火力指数は低い。その為にベーグルから複数のパーティーが駆り出されていた。
機動戦の遂行においては適時性が重要とされる。どこの時代、どこの国でも戦争の原則として変わらない物だ。
エルステッド軍に対して日本人は、諸職種連合作戦の遂行は「敵に対して主動的に動け」と助言している。
その第一歩が、偵察の為の部隊を有効に活用する事だ。
アニマルコマンドーとベーグルの支援を受けた連隊主力は順調に前進していた。だが市外縁部では孤立した敵が残っていた。降伏すると言う選択もあったが、未だ抵抗を続けている。
地図を開いてオーバーレイに色鉛筆で書き込んでいたオロは呟く。
「しぶといな。やっぱり、とっとと司令部を落とさないと駄目か」
意見を求められた訳ではないので太郎は黙ってオロの言葉を聞いていた。
無線を聞いていた通信士が報告して来た。
「ナミィ大尉、友軍が敵の追撃を受けています」
呼出符号でジニーのティームだと分かる。
「俺達が一番近くに居るのか」
救援に向かいたいと言う意思を込めて太郎に視線を向けた。日本人との共同作戦でありオロの独断で計画を変更するには差し障りがあったからだ。
視線に気付いた太郎は水分補給をしようとペットボトルに伸ばしていた手を止める。
「行きましょう」
寄り道になるが太郎は頷いた。助けたいと言う行動に理由は必要ない。
(――それに恩を売っておくのも悪くはない)
オロは地図を再確認するとドライバーにルート変更を指示し救援に向かわせる。
†
街道を塞ぐ様に停まっている憲兵隊の軽トラック。木の杭を組み合わせたバリケードが並べられ土嚢が積み上げられている。仮設の検問所があり傍らのポールには赤い旗が揚がっていた。街を出ようとした者は全員拘束されている。住民であろうと敵を手引きした者が混ざっているかもしれないからだ。
迂回しようにも街の周囲は柵で遮断されており上空を監視の飛竜が飛んでいた。憲兵の精鋭、第1竜兵連隊「ダベローニャ」の竜だ。
緊迫した空気が漂っているのも当然で、憲兵は軍による作戦終了までは誰も出すなと指示を受けていた。今回の北方騎士修道会による騒乱は、憲兵にとって腐敗した組織のイメージを一新する機会だった。手落ちは許されない。
「24、異常なし」
『了』
車載無線機に向かう憲兵は定時報告を終えると街の方向に視線を向け溜め息を吐いた。
耳には街が離れているにも拘わらず激しい爆音が聞こえた。焦げた臭いさえ嗅ぎ取れる。
王家直轄領は開発や住民の移動が制限されていた。景観を損ねる事は不敬と言う理由だったが、今は都市開発が進んでおり研究施設の高い煙突が立ち並んでいる。
グ・ヴェン・ピィーにおける魔導兵器の研究で街が築かれ金が落とされた。住民として集められた者は魔導師、錬金術師、鍛冶師、薬剤師等一流の技術者で将来的には学園都市としての計画もあった。国にとって人を育てる場所は財産になる。
街は当然の様に戦略的な価値も高い。警備には国王親衛隊が当てられていた。
本来なら治安維持は憲兵の任務だが不祥事続きで外されていた。
親衛隊はそれなりの実積もあったが都市の重要度から考えればまだ不足してる物がある。警備の強化は必然で、近いうちにアニマルコマンドーを配備しようと言う話もあった。そして実行する前に襲撃事件が発生した。
轟音を響かせて街の上空を通過するF-2の編隊は爆撃を終えて浜松基地に帰投する。
空自の近接航空支援は、地上から連絡を受けたE-707早期警戒管制機の正確な情報伝達によって敵を潰していた。
敵も対抗手段をあれこれと考えている。街の各所で立ち上る煙は、敵が家具や解体した家を燃やして爆撃の目眩ましをしようとした結果だ。
(だからか……)
敵と遭遇し兵力差から後退していたジニーは袋小路に追い込まれた。地図では道があるはずの場所に壁が出来ていた。開発中の街だから地図の表記も変化する。その事は事前に伝えられていたし、十分理解していたはずだが火災の煙を突き切って走っている内に迷い混んでいた。
「戻るぞ」
敵の矢玉は尽きたのか飛んでこない。それだけが慰めだった。
民家の横を走り抜ける瞬間、ベランダに置かれたプランターから花の香りがした。
戦場に似つかわしくないが、ふいに家で待つ妻の事が脳裏に浮かんだ。ジニーは親の奨めた見合い相手と結婚したが仕事柄家に帰れる事は少ない。反政府分子のテロリストを狩りたてて飛び回る日々だ。それも仕方無いと考えている。
(最悪俺が死んでも家名は残せる)
妻は夫の留守を気にしていない。よくある親同士の決めた婚姻。ジニーより10歳も若く青春の盛りであった妻は自由を謳歌している。黒髪と同じ色の瞳、豊かな胸が魅力的で若い男が必ず視線を向ける容姿をしていた。前時代的なエルステッドの文化・習慣では浮気をしても許せる国民性がある。
(――と言っても、他の男に抱かせるのは癪だな)
今の所はジニーの率いるティームの方が実戦馴れをしており敵の攻撃に耐えている。
最小の損害で最大の戦果を得る事は難しくない。
一個連隊で一国を支配するのは至難の業だが、一個連隊で一都市を制圧する事は可能だ。しかしその後維持する事は厳しい。
今回の場合、敵は都市防衛の為に戦力を分散せざるを得ない。こちらは分散した敵と逆襲して来る予備隊を撃破すれば良い。その為には正しい情報の入手と安全な経路の確保は絶対だった。
敵を侮るなとよく言われる事だが、相手を変な信仰にはまったゲリラと舐めていた。
全体的に優勢だとしても局地的な戦場で敵に圧倒される事もある。今置かれた状況がそれだ。
(――装備も良い物を揃えており錬度も高い。あれは実戦経験者が居るな。土地勘が無いのはお互いに当てはまる。街は包囲して空を抑えているが無傷とは行かない……)
敵に追い込まれた。何人かは生き残れるかもしれないがティームの損害を覚悟した。それでも自分が死者の仲間入りをするつもりはなかった。将校、それも歴戦の指揮官は簡単に失って良い物ではない。率いる兵に対して非情なのではなく、死線をくぐり抜けたからこそ出た考えだ。
戦場で撤退戦ほど楽な物は無い。形振り構わず逃げれば良いからだ。中途半端が一番悪い。撤退戦で苦戦するのは何かに執着した時だけであり、目的の為なら全てを捨てると言う覚悟が指揮官に無かった場合に大損害が発生する。0か1かしかない。ジニーの決断は悲観論では無く客観的に妥当な物だった。
「ポラキニョーウ大尉!」
後尾を守っていた部下から声がかけられた。振り向くと追い付いた敵の姿があった。
(糞、余計な時間を食ってしまった)
そして追い込まれた場所は再び袋小路だった。
背後の壁を振り返る。軽く壁を叩いた。返ってきた感触から壁の厚さは魔法で破壊出来ない程では無いと考えられた。
「ミユキチ――」
部下を呼び寄せて壁の破壊を指示しようとした時に、敵兵を撥ね飛ばしながら軽トラックが現れた。オロのティームだ。
クラクションが魔笛の様に鳴り響き、荷台に据え付けられた連弩から放たれる矢玉が敵を倒していく。数人が釘で打ち付けた様に串刺しにされている。太郎達も銃や弓で援護射撃をした。
軽トラックと言えば農家のイメージで日本人が見ればあまり格好の良い代物ではないが、この時のジニーには救いの神に思えた。
「行くぞ」
オロのかけ声に続いて軽トラックの荷台から太郎達も飛び降りると戦闘に加わる。
「下車、戦闘用意」
予令の段階でクレアは豹の様に駆け出して、最初の一撃で下士官の首を刎ねた。子犬を撫でる手は殺しも行う。殺す事を生業として殺される事も認識しているから切換が早かった。
鎧に覆われた腹や胸ではなく脇や首を狙っている。致命傷となる部位は知っていても、実際に狙うのは難しい。どこでこれだけの戦技を身に付けたのだろうと太郎は感じた。
(良い女は秘密を持つ、か)
他の仲間も手際良く動いており、リーゼは最初の矢を放っていた。狙うのは指揮・統率者。魔法でもかかっているのかと言う位に面白いほど矢が当たる。
「まるでアマゾネスだな……」
アマゾネスは古代に存在した女性集団で男勝りな活躍をしたと記憶している。
優秀な仲間に恵まれていて、手持ち無沙汰になった太郎は観客に追いやられた。苦笑を浮かべる。
クレアは良い働きをしていた。自分よりも大柄な男達を翻弄している。長剣を小柄な女性が振り回す様はお遊戯か演目の様だが、彼女は戦士だ。確実に相手を無力化している。
降り下ろされる敵の剣を咲けてがら空きになった下半身を狙い太股を切り裂く。命のやり取りをしていながらも彼女の口元はきゅっと笑みが作られていた。
「あの小さい姉ちゃん、凄ぇ……」
太郎の隣に居たエルステッド軍の下士官もクレアの小さな体に秘められていた戦技に感心しているように見えたが、その後に「めっちゃこえー」と付け加えていた。
民家の壁や路地に撒き散らされる血潮は目にも鮮やかで、演目の主人公となったクレア達の活躍を見て口笛を吹くエルステッド軍の兵士。信者は老若男女の区別無く切り伏せて行った。武器を持って向かってくる敵なら当然だ。
目を奪われていたジニーは気を取り直して部下に指示を出す。追撃を受けていたジニーのティームも反撃に加わる。踵からくるぶしに至るまで血に浸る屍山血河と言う状況で、路地の光景を見たら当分は肉が喉を通らなくなる。
(野犬は餌に当分困らない、か……)
市庁舎まですんなりと通してくれるとは思ってはいなかったが、案の定で敵と遭遇した。小さく溜め息を漏らす太郎。太郎にはベーグルから与えられた任務がある。任務の性質上、目立つ訳には行かなかった。
敵は軽トラックで現れた新手に狼狽したが直ぐに対応した。圧されていた体勢を立て直そうと指揮官が叱咤号令をかけていた。それは目立つ行動でありリーゼの矢が標的として捉える。
狂信者はゾンビの様に感情を持たずに襲いかかって来ると言うのが太郎のイメージだった。だが彼らは感情を持っている。怒りや恐怖を浮かべながらも向かって来る。太郎よりも年若い少年兵の姿もあった。博愛主義も戦場では薄っぺらな話となる。
(良く鍛えられているな)
組織では指揮官が倒れれば次席に指揮権の委譲行われる。簡単に頭を潰せず、指揮を代行して誰かが指示を出し続けていた。目の前の敵は、信仰で結ばれた組織は疫病の様に広まり厄介だと言う証明だ。
敵は損害を出しながらも戦意に溢れていた。しかし長くは続かない。
ジニーと合流しても太郎達は20名に満たない兵力だが火力指数は高い。徐々に敵を押し返し始めた。
クレアだけではない。味方の魔導師も近接魔法支援に徹しており敵に猛威を振るっている。ある兵士は魔法の直撃を受けて腰から上を吹き飛ばされ、下半身はだくだくと血を流して倒れる。隣に並んでいた仲間の死に何事かと視線を向けた瞬間、リーゼの矢が脳髄をえぐり意識を刈り取っていた。味方に余裕があったので太郎も練習のつもりで敵の頭を狙って射った。銃声が響いた後倒れる敵兵の頭はマネキンの様で派手さは無かった。
鉤十字の刺青を入れていれた兵士の腕が切り飛ばされて来た。信者の証明と言える。太郎は路肩に蹴り飛ばした。
(理解出来ない)
体にわざわざ刺青を入れる心情が太郎には理解できなかった。親から貰った体だからと言う意味ではない。痛みを味わい将来消せない物を付ける。
(誤字とか、ダサいデザインだと終わってるだろう)
兵士には部隊の刺青を入れる者も多いが太郎はやろうとも思わない。
勢いは戦況を動かすと言うが、倒しても向かって来る敵はルーチンワークとは言え正直にきつい物を感じていた。
「退け! 後退する」
ようやく敵は後退し始めた。
オロは追撃をせず集結を命じた。
戦闘騒音で命令伝達は大声を出さなければ聞こえない。クレアは近付いてくる太郎の気配で向けようとした剣を止める。
「クレアさん、集合ですよ」
太郎の言葉にクレアの足が止まる。
「あ、終わり?」
答えながらクレアは剣に付いた血を振り飛ばす。包丁も手入れをしないと切れ味が鈍るように、剣も付着した肉の繊維や油脂分は拭き取らないと切れ味を鈍らせる。
路上に漂う血の臭いに寄せられた羽虫達が死体にたかり始めていた。
オロの部下は手分けして、負傷して置き去りにされた敵兵に止めを刺して行く。悲鳴を聞きながら太郎も9㎜拳銃を取り出して手伝いをした。速やかに処置をして先を進むのが使命だからだ。
ジニーの部下と話していた先任下士官がオロに近付いて来た。
「向こうの指揮官は?」
オロの問いに「あちらです」と促す。
軽トラックに戻ると友軍の負傷した兵士達が手当てを受けている。治癒魔法をかけていたぺピはポーチから瓶を取り出し黄緑の乾物を差し出す。
「これを食べて下さい」
モル地方の特産品であるアボガドロ。果肉を食べる事で患部の炎症を和らげる効果があり救急品として重宝されている。
指揮官がオロに気付いて礼を述べた。
「第5偵察連隊、ポラキニョーウ大尉。救援に感謝します」
着飾る社交場ではなく戦場なので伸びた髭、汗だくの体臭、血に汚れた甲冑とお世辞にも綺麗な身なりではないが、第一印象は悪くなかった。
「第12軽歩兵連隊偵察、ナミィ大尉」
お互いの自己紹介と敬礼を交わす二人を見て、学生の延長と軍隊の上下関係は違うと太郎は再認識した。
上から爆発音が聞こえた。見上げると飛んでいたヘリコプターの一機が派手に炎をあげている。搭乗員の脱出は不可能に近い。落下する炎の塊に硬い表情と視線を向ける。
「ナミィ大尉、負傷者の手当が終わりました。こちらの現在員は事故無し、揃っております」
救える命もあれば、目の前で救えない命もある。部下の報告にオロは頷く。双方の部隊に戦死者は無い。生存率の高さが精強さを窺わせる。
「俺達は、このまま市庁舎に向かう。あんたらはどうする?」
ここに残るなら後続の中隊に収容するよう伝えておくと言われジニーは答える。
「俺達の目的地も同じです。同乗させて貰えるなら宜しく頼みます」
オロは頷くと無線の通信系を連隊に切り換えた。
「アラサー6よりアイム3。送れ」
『アラサー6、こちらアイム3送れ』
連隊本部が出る。
「交戦中の友軍を発見、レノヴォ41と合流した。このままボッチに進む」
『アイム3了』
倒した敵の死体を脇にどけると軽トラックの荷台に戻る太郎達。それぞれ次の戦に備え準備をする。太郎は弾薬箱から弾を取りだし弾倉に詰めると手のひらに叩いて弾を揃える。クレアは刀身の血糊を拭って油を塗っていた。
「クレアさん、血が着いてますよ」
「あ、うん」
手を止めると、顔に着いた返り血をぺピからタオルを受け取って拭う。
「出発!」
エンジン音を唸らせ軽トラックの車列は市庁舎を目指す。
†
住宅街を抜けて通りが広くなって来た。偵察ティームの車列は官庁街に出た。今までの抵抗に比べて辺りに敵の姿は見受けられない。前進するまでに経路の安全を確認したいがぶっつけ本番、そこは諦めていた。待ち伏せがあると確信しており部下に警戒を指示している。
「攻撃を受けたら止まらず走れ。停まれば目立つ的だ」
無線を通してコウの指示を聞いていたジニーは戦馴れをしてると納得する。軽トラックは積載量と移動速度で優れているがエンジン音目立つ。利点だけではなく欠点も理解する事が指揮官には求められている。
太郎も薄っすらとは考えていた。
(見通しが良い。待ち伏せには最適だな)
そう考えていると、荷台から周囲を警戒していた魔導師の一人が叫んだ。
「敵だ!」
同時に路地から軽トラックに向かって火球が飛んできた。
操縦手がアクセルを踏んで増速させる。軽トラックの尾灯をかすめて民家に飛び込んだ火球は民家の壁に当たって煉瓦の破片をばらまいた。
(車の移動は楽で良いけど目立つな――)
魔導師相手は厄介だと太郎は頭を下げて舌打ちをする。
「リーゼ、魔導師を潰せ」
調査員には必要と判断すれば独自の行動が認められている。太郎の指示より前にリーゼは脅威を排除すべく反応していた。
リーゼは正規軍の射手よりも腕が上だと見せ付けた。リーゼが操る長弓から毒を塗りこんだ矢が放たれる。一撃必殺で魔導師の喉に命中。喉を掻き毟りながら相手はもがき苦しんでいる。
苦悶の表情を見て太郎は顔をしかめる。
(あの死に方は嫌だな)
銃の速度に詠唱が敵うわけない。太郎も魔導師を狙って射撃を始めた。
隠れていた他のゲリラが盛んに矢を撃って来たが、邪魔はさせない。
リーゼから放たれた矢が突き刺さった敵は脳髄を抉られて倒れる。弓より銃の精度が上だと認識しており、太郎に魔導師の排除を任せた役割分担だ。
「止まれ!」
オロが叫んだ瞬間、民家の壁が崩れ前を塞いだ。停車した軽トラックは敵にとって良い的となる。バックで逃げ切ろうとするが、敵も好機とばかりに攻撃を集中してきた。投げられた壷が割れて中身の液体を飛び散らせた。
「おいおい、勘弁してくれよ」
火矢が液体に点火して炎の壁を作り上げた。
てきぱきと動く兵士達だが、本職の軍隊が出張って来ているので太郎達にやる事が無いと言う訳でもなかった。ぺピが他の魔導師に混ざって消火に当たっている。
魔導師の詠唱を邪魔する様に別の方向から矢が集中する。
「手を貸すぞ」
太郎が振り向けば、負傷者を車内に残してレノヴォ41の兵士が応援に駆けて来た。借りを返すと言う分けではない。協力して脅威を速やかに排除すれば、それだけ速く市庁舎に迎えるからだ。
「エラスチン、敵の弓兵と魔導師を潰せ」
「了解」
ジニーの指示でエラスチンと呼ばれた下士官と数人の兵士が駆けて行く。弓兵よりも育成に手間のかかる猟兵出身者で、狩り出す事にかけては長けている。
待ち伏せも一般の歩兵相手なら出血を強いれたのだろうが、エルステッド軍の精鋭と称される部隊。いつまでもやられっぱなしではない。
協力してゲリラを掃討すると瓦礫を道から取り除いた。新手が現れる前に、オロは部下達へ前進継続を指示する。
「アラサー6、アイム3。前進を再開する」
『アイム3了解』
現在地から北へ1㎞ほど進んだカチン通りに市庁舎が置かれている。ランドマークとしても目立つ市庁舎の建物で遠目に見えた。
煙が上がっている。市庁舎の屋上には投石器や連弩が設置されていたが空爆でほとんど破壊されていた。
「司令部の移動は確認されていない。ここのまま徒歩で市庁舎まで前進する。ベーグルから意見は?」
「先程の戦闘は敵にも知れてるでしょうね。この先がすんなりと通して貰えれば良いのですが」
「敵の戦力が分散している事を願うだけだな」
太郎のパーティー以外にも複数のティームが戦闘に参加していた。工場や魔石貯蔵庫、確保すべき目標は幾らでもあった。太郎の目的は市庁舎にある卵の回収だった。
(大切な物は手元に置いておきたい。だからこそ司令部に置かれているはず、か)
88式鉄帽の顎紐を緩めて額の汗を拭う太郎。爆撃で舞い上がった砂塵にぺピは咳き込んでいる。クレアは背中をさすっていた。
「すみません」
そう言うぺピに何でもないと笑顔で首を振りながらクレアはペットボトルの水を差し出していた。二人から視線を外し太郎は眼前の建物に視線を移す。街並みは破壊され尽くしていた。空爆によって半壊した建物は修復より取り壊しを選ぶだろうと考えられた。
しばらく走るとオロがドライバーに停車を指示した。敵の兆候を確認したのだった。待ち伏せの格好の場所は受ける側もよくよく考えて観察すれば分かる。
クレアが鞘から剣を抜く。人を切りすぎると刀身が反って戻らないと聞いていたが日本刀とは違っている。
荷台から降りた太郎の足元で紙袋がくしゃっと丸まっていた。カタカナが見えた。拡げてみるとパン屋の名前が書かれていた。エルステッド軍に納品されている日本の業者の物だ。この辺りで誰かが食事を取った事は間違いない。
(敵か、それとも友軍か)
味方であれば敵地に痕跡を残すことは極力避けると、ごみを持ち帰る様に教育されている。後は敵が、街の警備をしていた親衛隊から入手した戦利品と考えられた。
市外縁部の防御線をJTFが破った事で敵の後退と集結が確認された。手前の建物の入口付近には土嚢が積み上げら連弩の残骸が残っていた。あからさまに目を引く。
(他の場所か……)
ベーグルの調査員は偵察行動が主任務で無駄な戦闘をしない。情報収集が目的だ。だが必要に応じ戦闘も行う。今回の任務の一つにエルステッド軍を支援すると言う指示を受けていた。
「ナミィ大尉、あそこですか」
「だな」
視線の先に二階建ての建物があった。太郎の言葉で表情を引き締めるパーティー。荷台に揺られるお客様気分は終わりだ。
瓦礫や車の残骸を遮蔽物利用して慎重に進む。市街戦で怖いのは地雷と狙撃兵だが、ここにあるのはブービートラップと猟兵。空爆で掃除は粗方済んでいるとは言え生き残りは居る。
敵の猟兵を狩るべく素早く目標の建物に接近した。不用心にも開いてる窓から中へと侵入する。何かを咀嚼する音が聞こえた。干し芋をかじりながら猟兵は長弓を脇に置いて待ち伏せをしていた。体にはスウェーデン製のリバーシブルな偽装網を着ていた。エルステッド軍から鹵獲した物か盗品と考えられる。
(まるで海藻まみれな海藻人間って感じだな)
嘲笑を浮かべて太郎は発見した敵に背中から必殺の7.62㎜弾を叩き込み先に進む。他に居た猟兵も呆気なく排除される。今日の殺害戦果は合わせて8名を数える。太郎も朝から細々と障害を掃除し、味方の前進を支援していた。
軽トラックに戻ると連隊本部から通達が来た。別の中隊が市庁舎まで到達したとの事だった。
「尖兵を命じられた偵察なのに先を越されましたね」
「まったくだ」これでは偵察としての面目がない。
前線では司令部にエルステッド軍が迫ったと言う事で敵の圧迫が減った。防衛線を下げて再構築を図っていると判断できた。
(――あるいは司令部救援の準備か。どちらにしても速やかに司令部を制圧すべきだな)
卵の回収。それが何よりも優先すべ指示だった。
†
第12軽歩兵連隊の車輌が区画の通りを封鎖しており、アニマルコマンドーのガンシップが篭城する賊に銃撃を浴びせていた。UH-1汎用ヘリコプターに5.56㎜機関銃を搭載しただけの機体だが十分だ。
帰隊報告の為に連隊本部の置かれた喫茶店に近付くと、オロは顔見知りの士官へ挨拶をした。
「連隊長は?」
「中に居るよ」
冑を脱ぐと天幕の中に入った。
「連隊長。ナミィ大尉戻りました」
大佐の階級をつけた連隊長に申告する。太郎達、ベーグルの人間とは顔合わせを終えているので会釈だけする。
「おう」
振り返った連隊長は眼帯をしており凶悪な相貌をしていたが、ジニーは気圧される事無くオロに紹介される。
「こちらは第5偵察連隊のポラキニョーウ大尉です」
「ヴァンジッタート大佐だ。君らの無事は原隊にも伝えておいた」
「ありがとうございます」
ジニーは市庁舎突入の命令を受けていた。単独での制圧を狙っていた訳ではないが、先を越される現状に複雑な心境のジニーだった。ヴァンジッタート大佐はニヤリと笑みを浮かべる。
「おたくも一番乗りを狙っていたんだろう?」
「それは……」
「先陣は譲らんが、うちの兵隊と一緒に行くなら良いだろう。ティルニー中佐の所に案内してやれ」
頭さえ潰せば組織は瓦解する。それがゲリラや反乱を鎮圧した戦訓だ。
市庁舎には正面と裏からそれぞれ1個中隊が突入する。太郎やジニーのティームは正面の攻撃に加わる。
アニマルコマンドーの隊員が迫撃砲の射撃準備をしていた。
(いつの間にあんな装備を用意していたんだ)
太郎がベーグルに移動した後、虫の対策としてアニマルコマンドーの火力が増強されていた。
本来なら納税等の各種手続きで開かれている正面入り口には、木材を積み上げたバリケードが構築されている。建物の外に敵兵の姿は見受けられない。
「もう逃げたとか?」
静けさに疑問を感じたぺピに太郎は答える。
「空でも飛べない限りそれは無理だ。きっと中で待ち伏せしてるだろう。嵐の前の静けささ」
嵐がどう言う物かわからないぺピは曖昧な笑みを浮かべる。
小休止を終えると攻撃が始まった。
入り口に迫撃砲の弾が飛び込み扉とバリケードを破壊した。兵士の間から歓声が漏れる。対抗心を燃やしたのか「あれぐらいなら私でも出来ますよ」と言うぺピに太郎は苦笑を浮かべる。
前進する軽トラックの荷台から建物を見上げれば、庁舎の窓は全て閉ざされている。
吹き飛ばされた木材を踏み潰して軽トラックが入り口に飛び込んだ。
ジニーは荷台から飛び降りて剣を構え警戒の視線を周囲に向ける。敵は爆撃の混乱から立ち直っていないらしく周囲に敵影は見受けられなかった。焼け焦げた死体が所々に転がっている。
「キム」
猫族兵士が駆けて来た。
「はい、ポラキニョーウ大尉」
キム・チバー。猫族ユカチ兵の出身で、死霊山脈のツアーにガイドの一員として参加した後エルステッドにやって来た変わり者だ。
「俺は中に入る。後は任せたぞ」
キムは指名された残りを指揮して周辺警戒に当たる。上空の航空支援もあるし、敵の増援阻止は出来るとの判断だ。
ジニーは、扉の残骸に向かって走る。二人の部下も後に続いている。
オロが一足先に玄関に着くと、扉を蹴り壊して体を中に滑り込ませた。
ジニーも部下と共に建物へ侵入した。日陰は日向に比べて涼しさが感じられた。
入ってすぐの広間には負傷者が大勢横たわっていた。
介護に右往左往していた敵がジニー達の姿を確認して、あわてて剣を向けてきた。
(遅い)
抵抗の素振りを見せた者は斬り倒し、残った負傷者を次々に刺殺していく。脅威の排除だ。戦闘の喧騒や悲鳴を聞いて他の部屋から敵が飛び出てくるが、勢いはジニー達にあった。血の濃厚な臭いが満ちたホールに数分後、静寂が生まれる。
「こいつら包囲されていたのに不用心過ぎるぞ」
並んだ死体を一瞥して告げたオロの言葉にジニーも同意する。一方で、司令部がここまで手薄とは考えられなかった。
「待ち伏せをしているとか」
「負傷兵を囮にしてか?」
嫌そうな顔を浮かべるオロ。否定材料を探すが、それよりも司令部の制圧を優先する。
「後衛は前衛より前に出るなよ」
下士官が注意喚起をする。前衛と後衛の役割分担は基本だが、戦闘になると忘れがちになる。
正面玄関が制圧され太郎達も中に入る。
目指す部屋は二階の市長室。卵は指揮官の手元に置かれていると確信していた。指揮官の部屋なら一番良い部屋だから市長の執務室と考えられた。
「山田さん」
「ん?」
ぺピが魔力の反応が強くなっていると報告して来た。
「魔導師が何人か居ますよ」
太郎はぺピの注意に頷いて止まろうとした。直後に敵の攻撃が始まった。
太郎の動きに気取られたと判断した訳ではない。予定していた攻撃範囲にそれなりの人数が入った段階での攻撃計画だった。
オロに声をかけようとした瞬間、オロの顔が砕けた。首から上を破裂させて倒れたオロ。無残に砕かれた頭蓋骨から脳髄や血液、皮膚や筋肉の繊維がぶちまけられていた。完璧に死んでいる。
唖然とする兵達に矢玉と石、魔法の十字砲火が浴びせかけられた。一瞬の出来事だった。先頭を進んでいた兵士達が薙ぎ倒され死者の仲間入りをする。
「待ち伏せだ!」
陳腐な台詞と思いながら太郎は第5匍匐の姿勢で床の物影を這った。ぺピが後に続いている。ぺピの隣に滑り込んだ若い上等兵は震えていた。
「フェアファクス、その尻を上げろ!」と叱咤したエルステッド軍の下士官は頭に矢を突き刺したまま倒れた。倒れてきた下士官の遺体をクレアは受け止める。
敵の弓兵は良い腕をしている。
(どうにかしないと――)
このまま身動きのとれない状態は、外から敵の応援が来る可能性があり不味いと太郎も認識していた。
「ナミィ大尉が……」
呟く兵士を見て歴戦の兵士でも仲間を失うと脆いとぺピは実感した。ミーナを亡くしたばかりだから、なおのこと他人の死に対して敏感になっていた。
勇将の下に弱兵は居ない。都合の良い時に使われる言葉で、頭脳を失えば脆いと言う現実を見過ごしている。
太郎の反応は冷ややかだった。
(英雄は要らない、か。権力者にとっては、むしろ死んでくれた方が象徴として使いやすく実害も無くて都合が良い)
目下の急務は現状の打破で、クレアとリーゼは廊下の角で敵から見て死角にいる。自分のパーティーに損害が無い事を確認した太郎は他に目を向ける余裕があった。太郎から5メートルほど離れた柱の影にジニーがいた。エルステッド軍の指揮系統では最先任者に当たる。
「ポラキニョーウ大尉、目眩ましをしますから援護を宜しくお願いします」
太郎の言葉にジニーは頷くと魔法と矢による制圧射撃を行わせた。
実戦経験を積んだ指揮官は判断が早い。貴重な時間を浪費すればするだけ味方の損害は増える。
太郎の為に稼いだ時間は10秒も無いが十分だ。その間に太郎は発煙手榴弾を敵の方向に向かって投擲した。
「行け」
煙幕が張られると煙にまかれて敵の攻撃が止まった。ジニー達は逆襲に転じ煙の中に突き進む。
短剣を片手に駆け抜けたリーゼ。擦れ違い様にゴポッと血を吐きながら倒れる敵兵。
リーゼは弓の腕前を誇っているが白兵戦の技量も高かった。森では視界が常に開けているとは限らない。剣を片手に亜人渡り合う事もある。食肉工場で屠殺の行程を行う様に、手慣れた感じで喉頭を切り裂いて行った。
鍛えられた兵士程、体から無駄な贅肉が削ぎ落とされている。戦場で女性らしさを求めるのは間違いだと太郎も思うが残念に感じた。
数分後、周囲の敵を掃討完了した。床に血や肉片が飛び散っており歩く度にぴちゃぴちゃと音が鳴る。
廊下の両端に展開し周囲を警戒、部屋を確認しながら進む。
部屋の一つから女性の悲鳴が聞こえぺピは近付いた。
扉をそっと開けると足を負傷した女性が押し倒されていた。鉤十字の刺青が見えた。
押さえつけているのはオロの部下だ。上着を脱いでいた兵士がぺピに剣を向けるが友軍と言う事で剣を下ろす。
「こんな時に何やってるんですか!?」
ぺピの言葉に壁にもたれかかっていた古参兵が答える。
「俺らは所謂、消耗品だ。役得ぐらい無ければやってられねーよ」
危機に陥ると生物として種を残す本能だろうか、暴行行為も珍しくない。指揮官を失えば兵士は暴走すると言うが、復讐心等で歯止めが効かなくなっていた。
「直ぐに済ませるからよ」
部屋から押し出される瞬間にぺピは、女性の虚ろな瞳と視線が合った。こんな時でなければ暴行を止めるのだが、捕虜は取らず皆殺しにしろと命じられていた。看過せざるを得ない。殺して奪った者は殺され奪われる事も受け入れなければならない。罪を犯せば罰が下る。
扉の外にクレアが立っていた。お互いに何も言わず、クレアがぺピの腕を引っ張り太郎の後を追う。
廊下の突き当たりで組織的抵抗に遭遇した。
「連弩だ!」
迂回経路はない。正対する形に分隊規模の敵が固まって布陣していた。
連弩は竜を撃墜する為に運用されていた。それが人体に放たれた場合は凶悪な効果を産み出す。
(屋内に持ち込むなんて正気か?)
撃ち込まれた壁は穴が開くどころか崩壊していた。
「山田さん」
ぺピが杖先を太郎の脇腹に当てる。見れば戦闘服が裂けて血が滲み出ていた。
(破片で切ったか……)
治癒魔法をかけてくれているぺピに礼を言う。
下士官が怒鳴った。
「糞、あいつを黙らせろ」
魔導師を呼び寄せ指示を出す。紡がれる炎の詠唱を聞いて慌てて次弾を装填しているが間に合わない。火球が連弩にぶち当たり弦を焼き切る。取り付いていた射手は体に燃え移った炎に悲鳴をあげて逃げ出す。
床や壁の建材が破片となって飛び散った。素早く曲がり角から人影の頭に照準し、銃弾を送り込む。7.62㎜弾が杖に手を伸ばした敵兵に直撃。頭が飛び散る程の威力ではないが、脳漿と血液が床に広がる。
死体に視線を投げかける太郎。頭部に開いた穴を見るたびにマネキンを思い出す。
「進め!」
魔導師が黙った隙に距離を詰める。
「降伏する」と、慌てて手をあげる敵が居た。
「ふざけるな!」
投降しようとした敵兵は殴り倒された。
仲間を失った怒りから殺していく。ジニーは制止をしないし太郎も参加した。時には共に手を汚す事も共同作戦では必要だからだ。
抵抗を排除した後は前進を再開する。
一階の制圧を終えたジニーは、後続に後を任せて二階に向かった。B中隊が新たな増援として一階の確保と残敵の掃討にあたる。終わりは近い。
「ポラキニョーウ大尉、フィッツウィリアム大尉から支援要請です」
フィッツウィリアムはジニーと同じく第5偵察連隊で建物の反対側から侵入していた。
「こっちも手一杯だと言ってやれ」
敵は効果的な戦力分断を狙っているのか、あちこちに散らばっていた。戦力差を考えれば自分のテリトリーに引きずり込んで叩くのは正しい。最悪でも首謀者の死体を確認しなければならない鎮圧側としては、敵の手に乗るしかない。
一階の広いエントランスを抜け、長い廊下に入る。
この先に二階へ上がる階段がある。作戦前に見取り図を確認した所、市長や上級職員の執務室と会議室、職員の控え室等が用意されていた。だから余程の事が起きない限り対応が出来る自信がある。
階段方向から敵が現れる。クロスボウを持った敵が3人。
室内の近接戦闘で幅を取らないクロスボウは有効だ。射たれる前に太郎は小銃を構えて素早く敵を制圧する。手慣れた物で殺す事に感覚は麻痺していた。
「この上に魔力を感じます」
周囲を索敵していたぺピが報告する。
「敵の魔導師ではない?」
「はい」
先程倒した敵で魔導師は品切れだった。地下に潜るよりはましだと階段に向かう。
階段を慎重に登る。先を進むクレアの臀部が柔らかな曲線を描いているが、そんな物に気を取られては何があるか分からない。
階段を上ると銃声を聞き付けて駆けつけてきたのだろう。新手の敵を発見した。階段で最寄りの遮蔽物はない。身を隠すことは諦めた。小銃の弾を入れ換えるよりも腰の9㎜拳銃に手を伸ばした。
敵は素人ではない。上からの優位と遮蔽物を利用して矢を浴びせくる。
(弓ばっかり幾ら用意してるんだ?)
ジニーが指揮官先頭とばかりに剣を構えて飛び出した。下手に隠れるよりも動き回り位置を変える方が有効な対策だった。
ジニー敵の注意を引いてくれている。太郎は射撃のタイミングを待つ。
9㎜拳銃と言う味気の無いネーミングセンスの銃はシグザウエルP220。45ACP弾に威力で劣る物の殺傷能力には十分な性能を持つ。
敵がジニーを射ようと身を乗り出して来た。太郎はジニーの後に続いて敵に向けし発砲する。9㎜パラべラム弾よりも先に、後ろにいたリーゼの矢が敵の甲冑をにめり込み背中から矢の先が突き抜けていた。
「お見事」
太郎の称賛にリーゼは何でもないと言う態度で返す。
死体を踏み分けながら階段を上るのは苦労する。太郎は死体を下に蹴り落とした。滑る死体に苦情を言う者はいない。死者に対する冒涜と言う考え方もあるが邪魔なのは事実であり二階へ進む事が優先される。
上から戦闘の騒音が聞こえて来た。魔法による爆風と衝撃波が、天井の建材が降ってくることで伝わった。屋上から進入した別の部隊だ。剣戟のぶつかり合う音が聞こえる。
上下から追い込まれた敵は二階に押し込まれる。掃討は順調に進んでいる。階段周辺で戦闘は激しくなる。
後ろから仲間が続いているので後方の心配は無い。
『三階、制圧完了』
無線機から報告が聞こえる。
廊下に転がっている死体を跨ぎ先を急ぐ。
「ビングリー、ダーシー、クロフォード。ベーグルに着いていけ」
「了解」
森島から魔導兵器の研究資料を回収しろと太郎は命じられていた。
科学とか化学、学問は得意ではない。自分にはどれが研究資料か判断が付かないと森島話した。森島は「見れば分かる」と言っていた。同席していた他のリーダーも疑問の色を浮かべていた。
ジニーのティームが先行して階段を上がると廊下の手前で左右の壁側に散開した。その後ろに太郎達が続く。
階段から二階に上がった太郎は窓から市庁舎の中庭に死体が転がってる事を目撃した。一瞬ではあるが平服の姿から非戦闘員と理解できた。
(狂信者による虐殺か……)
足元が疎かになり転がった死体を避けようとして血溜まりで足元を滑らせる。
「うおっ」
その時、刀身が横合いから突き出されてきた。偶然による回避が何度命を救ったかと反復する暇は無い。
(まだ敵が残ってるじゃないか!)
前衛はしっかりと掃除をしろと内心で罵倒しながら、小銃の被筒部で剣を受け止めようとした。
銃剣程度ならまだしも剣の打撃に耐えられなかったのか被筒が大きく曲がって銃身部で刃は止まった。
「糞っ……」
物陰に潜んでいた生き残りだ。階段の出口を太郎が塞いでいる為、他の者も手出し出来ない。
太郎は床尾で打撃を与えるが相手は体を反らして避ける。太郎自身は本格的な格闘の訓練は受けていない。有効な打撃を与えれるとも思っていなかったのですんなり右手を離して9㎜拳銃に手を伸ばした。
(死ね――)
敵の顔面に銃口を向けた瞬間、ペピの魔法攻撃で首がもげ飛んでいた。
「あ……」
間の抜けた声が思わず太郎の口から漏れた。いつもの如く獲物を先に取られた気分で、突き出した腕の収まりがつかない。ニヤニヤしてるクレアの視線を感じて目をそらす太郎だった。
護衛にジニーが付けてくれた三人よりペピの方が役に立っている。
「大丈夫か?」
先を進んでいたジニーが尋ねてくる。内心はともかく大丈夫だと上げて、太郎は小銃の状態を確認する。銃身に剣の食い込んだ後がくっきりと残っている。外観からはそれ以上の判断できないが途中で暴発があれば怖い。
(帰ったら嫌味を言われるだろうな……)
ベーグルの武器係に渡す時を思い浮かべて溜め息を吐く。
小銃を背中に回す。手持ちの飛び道具は9㎜拳銃のみ。一気に心細くなった。
廊下を進むと残った敵が向かってきた。
室内と言っても遮蔽物の無い廊下では的だ。リーゼは弓を構え先頭にいた敵の頭に矢弾を撃ち込み射殺する。後ろの集団に魔法が炸裂し人体だった物が焼け焦げた臭いと共に広がる。
数発の9㎜パラベラム弾で床に沈んだ敵を見てジニーは尋ねた。
「それも武器か?」
頷く太郎の横で、クレアが倒れた敵の首に剣を突き刺して止めを刺していく。
目的の一室の前に到着した太郎達。柱の影にしゃがみこむと太郎は拳銃の弾倉交換を行った。小銃と違い、あまり数を持ってきていない。ぺピが杖を敵の方向に向けて援護してくれていた。確認した限りで残る敵はこの先だけだ。
市長の執務室の前に来た。ジニーが右腕を動かし突入の合図を出した。
脱ぎ散らかされた下着、食べかけの料理に生活臭が漂っているが人の気配は無い。
「あ……、ここではないな」
司令部の機能を収めるには狭すぎる。兵士は命令に従うだけで良いが、現場の指揮官は与えられた情報に少しは疑問に思う事も必要だ。
「会議室の方じゃないですか」
会議室なら司令部として十分な広さがある。誰もが単純な事を見落としていた。
「隣だ。急げ!」
ジニーの命令に部下は従った。押し入った事は聞こえているはずだが会議室から敵は出てこない。息を潜めて隠れているとは思えない。庁舎内は完全に制圧下にあり残るはここだけ。
一斉に室内へ踏み込んだ。戦闘のプロである兵士達が先に進む。
「今度は正解か」と呟く太郎は、争う声を壁越しに聞きながらジニーの指示を待つ。
「良いぞ」
部屋に入ると倒れ伏す敵の死体をジニー達が確認している。敵の幹部らしい。
「こいつは憲兵隊のイニェツ少佐だな」
ジニーの言葉で下士官が思い出した様に答える。
「前にゲリラ掃討で一緒しましたね」
特殊な任務は遂行する人材も限られた者になる。自然と顔見知りが出来た。しかし国賊となった裏切り者にかける情は無い。
何とも表現しにくい空気が漂う中で、太郎は部屋の隅に置かれた木箱に視線を向ける。映画やTVでも馴染みのある放射能のマークがついていた。
(え……これって核兵器?)
正確には魔導兵器の起爆剤に放射性同位元素が使用されていた。魔法と科学の融合である。
子供に刃物を持たせる時は注意しなければならない。ましてや危険な大量破壊兵器を玩具のように与える事は出来ない。
――見れば分かる物。この世界では日本人にしか意味は理解出来ない代物だ。
自分達はこれを奪い返す為に送り込まれたと理解した。
†
一仕事を終えて玄関前に座り込んだ太郎達。卵の回収報告をして迎えを待っていた。
「ひい、ふう、みい――」
クレアは倒した敵の懐中から抜き取った財布の中身を確認している。傭兵の特権と言えた。
魔力を消費したペピは目を閉じている。リーゼは皮鎧を脱ぎ捨てると身軽な姿になった。白いシャツの胸元に風を送っている。
太郎達の目の前を通る輜重兵の車列。討ち取られた首級が荷馬車に積み上げられていた。血抜きをされていない為に荷台から滴り落ちる血が道に血溜まりを作っていた。
(首で戦果確認か……)
ぼんやり眺める太郎の足下を濡らしていたが、戦闘で汚れており今更気にはしない。
連隊に要請が出たのか市庁舎前の広場から瓦礫が取り除かれヘリコプターの着陸場所が確保された。
「さあ、帰ろう」
降りてきたCH-47に木箱を運び込むと太郎のパーティーも乗り込む。
飛び立つヘリコプターによって巻き起こされた風で死体を覆っていたシーツが捲り上げられる。爆撃によって起きた炎に焼かれた死体は死後硬直が激しくて四肢の向きが死亡直後のままだ。
上空から崩れた街並みが見える。金の卵を生む事は成らず街に大きな被害を出したが、北方騎士修道会の武装蜂起は鎮圧され作戦は終了した。この戦で討ち取られた賊の首級は一万余、友軍の死傷者も少なくなかった。
ヘリコプターは機首をアニマルコマンドーの宿営地に向ける。
眼下に封鎖線の検問を通過して出て行く車列が見えた。保護された非戦闘員を乗せた車列だ。太郎から見える距離ではないが、大半は若い女性で暗い表情から何があったかを片鱗ではあるが窺わせた。




