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残念な山田  作者: きらと
19/36

19 探索

 蒸し暑さを感じる夜。宿屋は濃厚に漂う血と硝煙の臭いに満ちていた。

 床に転がるのは甲冑を着た憲兵の死体と空薬莢。血溜まりに膝を着いた太郎は弾倉を交換しながらぼやく。

「腐っても憲兵、噛み付いて離さない猟犬か」

 額を流れる汗を手近にあった布切れで拭う。気付かない内に返り血を浴びていた様で赤黒く染まる。

 窓から外を見るとまだ敵の数は多い。対して銃の弾は残り少なくなっていた。

 分隊規模、多くても小隊規模と想定していた宿改め。考えていたよりも数が多い。

 ミーナも魔法の詠唱に疲れてへたり込んでいる。

「ああっ、もう! 何とかならないの」

「何とかね……」

 一階に目を向けると、クレアも死体に剣を突き刺して肩で息をしていた。

 死臭を嗅ぎ付けてやって来た羽虫の羽音に鬱陶しさを感じる。

(観光気分だったけど、やっぱりろくでもない仕事だ)

 顔に寄って来た羽虫を扇ぎながら溜め息を吐く太郎。


     †


 ピエトログラードからレイシストの街に帰って来た太郎達。

 下宿先の部屋に戻ると太郎は疲れから熟睡していた。

 時刻はすでに正午、普通であれば大抵の人間は起きている。

 では昼過ぎでも寝ているのはニートや無職、怠惰な者かと言うとそうではない。勤務形態や業種にもよる。

 部屋は個室で、風呂とトイレは共用。この宿はベーグルの運営する部門の一つで、現地に溶け込む為に用意された物だ。住人は調査員に限られており、防諜もしっかりしている。

 部屋の扉がノックされる音がした。

「山田さん、起きてください」

 若い女性の声に反応して意識が覚醒する。

「んっ……」

 ベットから起き上がり首筋を鳴らしながら扉を開けると、洗濯かごを持ったドワーフの少女が廊下に立っていた。

「おはようヘンリエッタ」

「もう昼ですよ」

 ヘンリエッタと呼ばれた少女は、宿屋に隣接する洗濯屋の娘だ。昨晩相手した娼婦と背丈は変わらない。

「これ頼まれていた分です」

「ああ、ありがとう」

 渡されたかごには綺麗に畳まれたシーツが入っている。

 受けとる瞬間にヘンリエッタが囁いた。

「森島課長がお呼びです」

「うん」

 現地人の協力者は人目に触れたくない場合の情報伝達に重宝される。小遣い稼ぎの協力者は金で裏切る事も考えられる。その為に家族や周りの親しい者を利害関係でこちら側に取り込み裏切れない様にしている。

「では失礼します」

 ヘンリエッタの背中を見送り背伸びをする太郎。

 机の上にあるペットボトルに手を伸ばす。

 飲みかけの水は雑菌が繁殖すると言うが、気にせず太郎は飲み干す。

「ふぅ」

 着替えると部屋に置いてある自転車を用意する。

 一般的にママチャリと呼ばれる普通仕様の物で、駅前の長期間放置されていた自転車がこちらに輸出されていた。買ってから暇が無く、タイヤが減るほどには乗っていない。

 ベーグル本社まで自転車で片道20分程。道は悪くない。風を感じながらペダルを踏む。

 工兵の訓練の一環として、主要都市や街道は整備されている。走った感じでは不便を感じなかった。これも身近な出来事の情報収集に当たる。

 本社の前で茶色い毛並みの犬が糞をしていた。

「おいおい、リディア。糞をするなら場所を選べよ」

 リディアと名付けられた番犬。警衛所で飼われている。

 リディアの頭をひと撫ですると建物に入る。

 前回来た時と比べると内装も整い大分整理されている。森島の元に行くと予想外の言葉を聞かされた。

「アニマルコマンドーとエルステッド軍がシュラーダーに攻め込んだそうだ」

「え」

 JTFの活躍で昨年に北部からゲリラは一掃した。しかしエルステッドに対する侵略行為が終わった訳ではなかった。

 越境して攻め込んでくるゲリラに対してJTFは、シュラーダー領内の訓練キャンプを襲撃した。

 シュラーダーから表立った抗議は来なかった。自分たちの関与を認める様な物だ。

 エルステッドの強気な姿勢にシュラーダーの主導は崩れた。今回の作戦で聖域はないとシュラーダーやゲリラにも教え込んだ。

「それは良かったですね」

 ドワーフ王国では黒ドワーフの本領に攻め込むだけになり、調査員の業務も危険度が低下している。

 シュラーダーが大人しくなるなら、こちらでの活動もやりやすくなると考えれた。

「で、お前ら暇だろ」

 休日中に呼び出された事に、厄介事だと太郎は予測していた。即座に否定する。

「そうでもないですよ」 

 野盗化した黒ドワーフ敗残兵の掃討、商人の警護。変わった所では竜の卵を手に入れて来ると言う依頼もあった。

(竜の巣行って、ついでに竜退治させるつもりか?)

 スギタ村の件から「楽な仕事には裏がある」と太郎は考える様になった。

「若い内は進んで苦労をしろと言うからな。お前達にぴったりな仕事があるぞ」

 聞いてないなと思い溜め息をはく太郎だが、素直に森島が差し出したファイルを受け取る。

「エルステッドですか」

 ドワーフ王国での反乱が鎮圧された頃から、エルステッドで出没する盗賊の数も減少傾向にあった。派遣されていた義勇兵の帰還、それに伴う治安の向上とも考えられたが、問題が発生した――

 エルステッドのクッチェラ公爵家令嬢が何者かの襲撃を受け行方不明になった。

 エルステッドでは、内戦でかなりの数の貴族が家名を跡絶えさせた。残る貴族には王から権力と富の再分配が行われている。

 有力貴族となればなおのこと、嫉妬と憎悪を買っている。

 外国勢力ではなく同じエルステッド貴族による犯行と考えられた。

「死体は発見されていないから、誘拐目的で連れ去られたと見て間違いないだろう」

 犯人からの要求はまだ届いていない。

「誘拐の捜索って、俺達は警察じゃ無いですよ」

 エルステッド国内の治安維持は憲兵の仕事であり、日本人は補助警察官としての権限が与えられていた。

「調査はお前らの方が上手いだろ」

 ベーグルの調査員はアニマルコマンドーよりも現地人に溶け込んでいる。その点は太郎も認めるが、機密事項の漏洩が気にかかった。

「現地人にそこまで任せても大丈夫なのですか? うちとの契約期間が終わった後で、シュラーダーとかに雇われた場合は手の内が漏れると言う不安要素もありますが」

 能力ある者は出来ると判断されれば、責任ある仕事を任せられる。組織への貢献と帰属意識によっては任務の範囲も広がる。

「お前達だから大丈夫だと判断した」

 お世辞だとわかっているので感銘を受けない。

「それはどうですか……」

 淡白な反応を記にするでもなく森島は続ける。

「契約を履行する事こそ信頼を築けると認識している」

 ドワーフ王国から離れたエルステッドでの捜査任務。

「憲兵が捜査に当たっているが公爵家からの依頼だ。同じエルステッドの人間は信用出来ないんだろう。この間はアニマルコマンドーへの復職になる」

 寒冷地から熱帯地方へ再び戻る。寒暖の変化で体調を崩しそうだ。

 パーティーの仲間にも声をかけた。

 彼女達は普段から準備をしており急な仕事にも対応できた。

「エルステッドか。魔石をさばくのにも良いかもね」

 大学で手に入れた魔石。ドワーフ王国でさばくには危険すぎる代物だった。

 今の所は、箪笥預金に近い形だ。

「エルステッドは暑い国らしいですね。私、行くのは初めてです。クレアさんはどうですか」

「私も南の方には今回が初めて」

 ペピとクレアも楽しそうに会話している。リーゼからも反対意見は出なかった。

 今回の任務を拒否する者はなく、全員参加の形となった。


     †


 情報収集こそ調査員の本来任務。しかしエルステッドでの活動は予想外だった――

 エルステッド王国北部サカイ県、ビクトリア湖のアジシオ川河口のサロベツ。

 サカイ県で資源収集に勤しむ日本人技術者を守る警備員、アニマルコマンドー第2大隊の宿営地となっていた。

 眼下に見える川ではモアと呼ばれる鳥の群れが水浴びをしていた。

 モアは人間の身長ほどの大きさで食用に適している。

(たまにはフライドチキンも良いな)

 宿営地のグラウンドに砂塵を巻き上げて太郎達を載せたUH-60Jが着陸する。

 ヘリコプターから外に出ると熱風が押し寄せてきた。降り立った太郎は周囲を見渡し感慨深げに吐息をはく。

(また戻って来たな……)

 肌を刺す暑い日差しと乾いた空気。靴底に感じる乾燥した地面。エルステッドでは不快な記憶しか無いが、何故か懐かしさを感じた。

 経験済みとは言え寒冷地からの移動は体を慣らす時間がかかる。皆、軽口を叩く余裕も無く、荷物の傍らにしゃがみこんでぐったりとしている。

「あっつい!」

 悲鳴をあげる女性陣を置いて、迎えに来ていたアニマルコマンドーの隊員と二言、三言と言葉を交わす。

「お疲れ様です。ベーグルの山田です」

「お疲れ様です。大丈夫ですか……?」

 ぐったりしている連れの姿に太郎は乾いた笑い声を漏らす。

「乗車」

 手荷物を迎えの軽トラックに積むと、だらだらと乗り込む。

「暑いよ~」

 車外に体を出して熱風を浴び、さらにぐったりとするクレア。ミーナもローブに風を入れ熱を冷まそうとパタパタしている。

「あっつい!」

「さっきも言ってたよ」

 熱で地平線が歪んで見える。

 夏は羽虫が飛び交い暑さに太郎も苦労した。冬から春にかけての短い季節が過ごしやすい。

「山田さん、余裕そうですね」

 ペピは虚ろな瞳を向けて来る。

「あははは」

 余裕の笑い声をあげる太郎。ドライバーに断って、クーラーボックスからペットボトルを取り出してクレアに渡す。

「はぁ……美味い!」

 一気に中身を半分以上を飲み干した為、回し飲み出来ない。

 気を利かせて「人数分どうぞ」と言ってくれたドライバーに、胸ポケットから夏目漱石を1枚取り出して渡してクーラーボックスに手を伸ばした。

 今日は外来宿舎に部屋を取り、明日は王都で情報収集に当たる。


     †


 翌日、王都に入る手続きを警衛所で終えて列に並ぶ太郎達の姿があった。 

 街を囲む高い壁は城塞都市としての標準的な防衛機能だ。

「二年前は王都まで叛乱軍が迫って大変だったそうだ」

「へぇ」

 事前教育を思い出して解説する太郎。

 門を潜ると物語に出てくる様な中世の街並みが広がっている。

 ドワーフ王国の王都が開かれた商業都市だったのに対して、こちらは格式張った重々しい風格が漂っている。王都に入るのはアニマルコマンドー時代にも経験が無かった為、物珍しさを感じた。

(やはり公衆衛生は改善されているか)

 異世界系のファンタジーに見られる初歩的な改革だ。

 日本人の恩恵を受けているとは言え、生活水準は向上していない。ガス灯や電灯を普及させれば、馬鹿でもない限りいずれは鉱物資源や天然資源の価値に気付く。

 通りに敷き詰められた石畳を踏む足音が心地よく響く。

「ね、お昼にしない?」

「賛成。何か噂話が聴けるかも知れませんしね」

 クレアの言葉にミーナも同意する。

「じゃあ何処にする?」

 何でも良いと言う人程、提案する事に納得しない方が多い。

「あそこなんてどう?」

 リーゼが指差したのは大衆食堂。人の出入りが多く賑わっている様だった。

「決まりだな」

 店主のコルコゾヴィチは元傭兵で、足を負傷し傭兵稼業を諦めた。料理の腕はそこそこで、妻のビーチェと食べていくには十分の稼ぎで今では王都に店を出せた。

 店に入って来たのは見慣れない一組のパーティー。叛乱が鎮圧されたとは言え、王都以外の治安はまだ安心できる物ではない。携えた武器から傭兵であると一目でわかった。

「いらっしゃい。何にする?」

「まずは水とスープ。それと肉が食べたいな」

 ちょうど空いていた人数分の席に座り、太郎は注文する。

 料理が来るまでの間、周りの会話に注意を払う。

「シュラーダーの奴等はドワーフ同士で潰し合い共倒れを狙っていたのさ」

「エルステッドもうかうかしてられないよな」

 ドワーフ王国の内戦終結で噂は持ちきりだった。

 カウンタ席に腰かけた。酸っぱい臭いがする。厨房では何かわからない鍋が煮込まれていた。

 訛りの激しい店主。壁に並んだメニューは普段、口にすることの無い代物ばかり。

 適当に注文した太郎は少し後悔していた。

「はいよ」

 黄色く混濁した飲み物が置かれる。

「え、頼んだの水ですよね……」

 怯えた眼差しのペピ。

 クレアが出された飲み物を口に含む。酸味とどろりとした喉ごし。

「あ、美味しい」

「えっ」

 太郎も口を着ける。

(レモネードか!)

 こっちを見て片目を瞑る店主に会釈する。

 周りの会話に注意を払う太郎。公爵家令嬢の誘拐事件については噂が流れていなかった。

 一息に飲み干したペピがお代わりを注文した後、周りを気にしながら尋ねる。

「エルステッドの情勢については概要を教えてもらいましたが、犯人に心当たりはあるのですか?」

「ま、おおよそはな……」

 内戦が終わったエルステッドでは支配階層である貴族が多数亡くなり、平民にも重要な役割を与える改革が行われていた。改革を行うと既得権益を守ろうとする動きは必ず存在する。この内戦で領地を荒され一族を失い没落した貴族も少なくない。

 保守派の中の過激派は平民の権利拡大を良しとせず、テロや誘拐、脅迫を行う事で行政改革を妨害していた。

 誘拐事件の捜査機関によると、活動のの中心人物がレッグツォーニ侯爵と目されている。侯爵は内戦で息子を失っており、養子を入れなければ家名が途絶えると噂されていた。

 地元憲兵にも影響力を持っており、拷問で自白を強要できる簡単な身分ではなかった。

 エルステッドの税収を就業人口比率で見ると、第一次産業の農業が過半数を占めており、平民の意思を無視できなかった。

 古くから王家に仕える貴族の代表として隠然たる影響力を持つ侯爵家。発言には重い物があるが、歯に衣着せぬ物言いで「平民の為に我が息子達は戦ったのではない!」等と親しい者に不満を漏らしていた。

 王が貴族の権利を守らないのであれば、貴族が国を守る必要など無い。レッグツォーニ侯爵の本心ではあるが、公の場で声高々に叫ぶほど読めぬ人物ではなかった。

「――で侯爵を怪しいと思っているが色々あって手出しは出来ない」その動きは巧妙で影を掴ませない。

「そこまで解っているなら、証拠集めも始めているのよね?」

 いつの間にかビールを飲んでいたクレアが口元を拭いながら尋ねる。

「ああ。足の引っ張り合いさ」

 新たな権力構造はエルステッドの支配階層に軋轢を生み出し、水面下で闘争が始まっていた。

 軍、憲兵、商人。それぞれが利になる貴族に味方しようと動いている。

 日本人の立ち位置は距離を置いたもので、権力闘争で誰かを支持するつもりも無い。

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