17 ピエトログラード(2)
ピエトログラードの街の下を通る地下道。大人が並んで歩くには十分な高さと広さがある。
壁に象形文字でも刻まれていれば探求心を刺激されて、歴史ミステリーや冒険のロマンを掻き立てられるかもしれないが、ただの非常用通路。注意書すら存在しない。
闇の中、石畳に靴の足音がする。極力足音を立てない様に注意しているが仕方がない。
暗視眼鏡を被った太郎がパーティーの先頭を進んでいる。さながら盗賊かモグラだ。
ダンジョン探索系のゲームだと敵や罠に遭遇する。ここの用途から考えれば仕掛けられて無いのは当然だった。
(まあ、罠を自分の逃げ道に仕掛ける馬鹿なんて居ないよな)
ドワーフの建築技術は今でもしっかりしているが空調までは手が回らなかった。カビ臭さと埃っぽさに満ちた空気が肺を出入りする。空気が淀んでおり鼻炎になりそうだった。
全員、口元を布切れで覆っているが、時おりくしゃみを洩らしてしまう。
敵地への潜入。それが地面の下とは言え気取られる訳にはいかない。
腕時計の針は日の出の30分前を指していた。
(ただでさえ視界不良。歩きにくいのに予定より送れている。走る訳にもいかないし、糞……面倒臭い)
移動で使う時間を1時間多めに見積もって出発したが、敵の待ち伏せで時間をくった。
戦闘時間は10分弱だが、敵と距離が開くのを待って移動を再開した。
失った時間の皺寄せがどのような形で来るのかわからない。
敵との遭遇戦が無く移動出来ていればと考えてしまうのも仕方が無かった。
(敵が俺達を狙って待ち伏せしていたのかと言うと、それは違う。あれは偶然だ。あいつらは地下道の存在を知っていた訳ではない──)
知っていれば先回りしているか、幾らか兵士を残している。地下道の入り口に痕跡は無く、長年放置されていた証拠に苔が生えて蔦が表面を隠そうとしていた。
(他に考えられるとしたら、この先で待ち伏せていると言うのもあるか)
自分たちの移動は、足跡から敵に見つかる可能性があった。
味方の中隊を潰した後は、なぜこんな所にDDAが現れたのか情報を集めようとするだろう。
追っ手を足止めなり時間稼ぎをする為に、手榴弾を利用した簡易の罠を仕掛けてきた。もし入り口が塞がっても、大学側の出口が見つかっていなければこちらに勝ち目は残っている。
(前門の虎に後門の狼か。先に進むしかないしな……)
何故そこに敵が居たかは上の人間が考える事。事実だけを受け止め太郎達は先を進む。
†
日が沈み昇るまでの時間。そこを支配するのは夜の闇。
血と汗と死臭に満ちていた。
戦争は兵器を発達させるが、日本人の様に夜間戦闘の装備が充実していた訳ではない。
日暮れが戦闘終了を告げ、一時的な小康状態で両軍は休息を取っていた。指揮官や幕僚は戦闘が止まっていても手配や処理する事を抱えており休む暇もない。
末端の兵士は命じられて戦うだけ。休めると言う事はまだましなのかもしれない。
後退で仮眠を取る小休止。
早起きな鳥のさえずりが聞こえ目を醒ます。石畳の地面から雨の臭いがする。
「お、雨はようやく止んだな。やれやれ」
第16山岳猟兵連隊の古参兵であるハイスマイヤー軍曹は、民家の戸口から空を眺めて呟く。農家の出である為、雨の大切さは分かるが止んでくれた事にほっとしていた。
屋内では雑魚寝状態で仲間が休んでいた。
「よーしお前ら、もう一度行くぞ。シュラーダーのケツを蹴飛ばしてやれ」
朝食を済ませると小隊長であるネーベ少尉の指示で兵士達は動き出す。ネーベ少尉は歳は若いが、連帯の一員として戦場を転戦し、少なくとも生き残れるだけの運を示した。
夜明け前だが外はまだ薄暗い。
松明の篝火が列を作る。
道一杯に樽や板、土を詰めた麻袋が積み上げられている。
手分けして脇に退かし始めるが問題が発生する。
「畜生、馬鹿みたいに積みやがって。邪魔だな」
「その為に積んでるんだろ」
横倒しになった荷車を退けようとして鎖で固定されている事に気付く。
「小隊長、鎖で縛られてますよ!」
敵は住民を駆り出して市内の通りを障害物で塞いでいた。楽には移動させてくれない。
「仕方ない、別の道を行くか」
鎖を切断できる器材を装備した工兵は他の場所にいる。呼び出す時間も惜しい。
ネーベ少尉は地図を確認して移動の指示を出す。
先導するのはベテランの古参兵だが表情は優れなかった。
「嫌な予感がする」
兵士は不安と緊張を顔に張り付かせて呟いた。
進撃路は限定され、敵によって造り上げられた場所へと誘導されている。その事に薄っすらと気付いてはいたが、他の選択が無かった。
「お前の予感なんて当てになるかよ、いつも同じ事を言ってるな癖に」
陰鬱な空気を笑い飛ばす仲間達に何か言い返そうとした瞬間、矢が降ってきた。松明を持つ兵士を直接狙うのではなく、周囲を狙っている。呻き声と悲鳴が次々と沸きおこる。
「敵襲!」
身を隠す場所を探している間に、降り注ぐ矢がDDAの戦力を削っていく。
血の臭いを嗅ぎながら予感が間違っていなかった事に暗い満足感を覚える兵士。
(罠だった!)
牽制を兼ねてDDAは一般家屋を破壊して強引に進撃を再開しようとした。しかし敵にも考える頭はある。その動きも予想していた物だった。
「右側面に敵騎兵!」
「来るぞ!」
DDAの隊列に食い込む黒い楔。
衝突の瞬間、馬が走り跳ねる。砕ける音と悲鳴は馬蹄の下敷きになり押しつぶされる兵士達からの物だ。
「た、助け──」
声をあげ手を伸ばすが、馬上の騎士からは無慈悲に止めの一振りが降ろされる。
武器は強度と量産性が求められている。数人切っただけで刀身が折れる様では意味が無い。戦場での武器は叩く突くが基本であり切る効果はそれほど要求されていない。
先頭を突き進む将は、戦斧を鎌のように振るいドワーフの戦士を血祭りに上げていく。
「うわあああああ」
降り下ろす戦斧の威力は、鶏の手羽先を裂くように四肢が切り飛ばす事で物語っていた。
「ドワーフ風情が舐めるな」
脂と血糊で彩られた戦斧を手にするのはフォン・フォルベック将軍。シュラーダーに併呑された西方諸国の叛乱鎮圧で武勲をあげ柏葉付の戦功章与えられた歴戦の武人だ。
嘲笑を感じさせる言葉とは裏腹に、フォン・フォルベック将軍の表情は驕りを感じさせなかった。淡々と事実を告げただけである。反乱鎮圧を成功させた手腕は、裏を返せば相手の手練手管を知り尽くしていると言う事でありドワーフ王国でDDA相手に存分に発揮された。
重装備の騎兵が持つ衝撃力は馬の体重と加速が加わり大きい物となる。兵力差を覆す敵の戦闘能力は脅威だ。近代兵器の支援無くして戦う場合、騎兵は戦場の花形である。
「ギルホファー少佐の別動隊から報告です」
伝書鳩の通信筒から通信文を取りだした副官に将軍は目線だけで読めと続ける。
「我、ドワーフ軍と交戦。撃破せり」
ギルホファーの大隊は、撤退時の側背援護として郊外の森に待機させていた。埋伏し時期を待つ。並みの指揮官には任せられない任務だ。
当然、ギルホファーにはその判断が出来る技能を見込まれていた。
しかし、現実にはDDAに部隊の存在が発覚した。
「敵に読まれていたのか」
自分の選んだ男が失敗を犯したとは思えない。敵を侮る訳ではないが、こちらの動きを読める軍師がいた事に驚く。
「いえ。中隊規模の部隊らしく偶発的遭遇戦の様ですね」
偶発的──運が悪いとしか言い様がない。戦場では相手より失敗を少なくした方が勝つのは当然だが、偶然と言う要素も時おり大局を動かす。
「ふむ……」
運命の皮肉を感じて唸る。
相手は鹵獲した装備から通常のDDA歩兵中隊であると判明した。
「敵にばれるのも時間の問題ですな。事後の行動指示はどうされますか」
特殊任務を帯びていた訳でもない部隊だとしても、丸々一つ行方不明になって放置と言う事はあり得ない。捜索の手が回りギルホファー大隊も何れは発見される。
「予定変更。今夜に引き揚げるぞ」
本来なら一ヶ月は持たせたかったが計画が崩れた。それに、動物的勘が危険だと告げていた。戦場の感、それも悪い物ほど当たるとフォン・フォルベック将軍は経験していた。
勝利に浮かれていた部下へ追撃中止を命じると、魔法大学に向かう。
†
大学の地下にある保管庫は、城として使用されていた時から穀物等の貯蔵庫で広い空間を持つ。
適度な室温は記録紙の保存には最適だ。今では古い研究報告書や記録が保管されていた。金目の物や食糧が貯蔵されていた訳でも無い為、略奪の被害にあっていない。
窓が無く出口が一箇所しかないと言う事から暫定的な捕虜収容施設になっている。
床には大学職員が手足を縛られて転がっている。その中にジュゼッペの姿もある。
(魔石をやつらの手に渡してしまった)
ジュゼッペは抵抗せずに投降した判断が間違っていたとは思わない。
(だが、少なくとも生徒達は守れた)
シュラーダー兵が突入して来た時、大学以外に目ぼしい目標があるとは思えなかった。生徒を指揮して抵抗するのは不可能ではなかったがジュゼッペは軍事の素人。本職の軍隊相手にどこまで戦えるか疑問だ。
人材こそ国の宝と言う。ジュゼッペは生徒の避難を優先した。
適切な対応で学生の大半を大学から退去させた後、残った職員で研究資料と魔石の運び出しを行っていた。
しかし街からの持ち出しは不可能だった。シュラーダー軍は街を包囲し攻め寄せて来た。
(杖は奪われているし、武器に成りそうな物はない。どうするか……)
シュラーダー兵はよく統制されており乱暴してくる事もなかったが、大学職員に対して油断している訳でもなく、食事と排泄の時以外では手足を縛られて口を猿ぐつわされていた。
(いつまでも我々を捕らえておける物でもない。味方が街を取り戻そうとするだろうし、この状況も長くはないだろう)
DDAの応援が来て交戦に入った事は、街から聴こえる騒音で分かった。これからの事を考えていると、目の前の壁が砂埃をたてて僅かに動いた。
隙間から覗く男とジュゼッペの視線が合う。
頭に覗く黒い髪に日に焼けた顔。緑を基調とした斑模様の服。山田太郎だ――
太郎が口元に人差し指を立てる。声を出すなと言う意味、それと敵ではないと言う事はジュゼッペにも直ぐに理解できた。
見張りは外に居るらしいが、念の為に周囲を見回し、敵の姿が無い事を確認してジュゼッペは、大丈夫だと言うように大きく頷いた。
意味を悟った太郎は静かに体を隙間から出すと周囲を確認する。他の職員も太郎に気付いたが騒ぐ者は居ない。
手信号で仲間に合図して唯一の出入口である保管庫の扉に向かう。隙間から鏡を出して外に見張りが居ない事を確認する太郎。
「OK。外に敵は居ない」
太郎は初めて口を開いた。
「俺達は敵ではない。安心してくれ。DDAの要請を受けたベーグルの者だ」
ベーグル。その名前は知られている。
ドワーフ王国で国籍、種族を問わず求人を出している日本人の会社。求人広告だけではなく、公刊誌でDDAの黒ドワーフに対する反撃を大きく助けていると評価されていた。
職員の縛られた縄を手分けして切る太郎達。
「ありがとう、ありがとう」
太郎がジュゼッペの手首を縛る縄を切っている。礼を言いながら黒い刀身に目を向けるジュゼッペ。
(良い剣だ。中々の業物だな)
太郎は私物で作業用に買ったナイフを携行している。銃剣は刺殺に使う武器であり切る作業には向いていない。こう言う場合では私物のナイフが役立つ。
「君達は助けに来てくれたのか」
長時間縛られて鬱血した手首をさすりながら尋ねるジュゼッペ。
「まあ、そんな感じだ。職員はここに居るので全員か?」
正確には救出任務ではないが、正直に答えるのは憚れる。
「ああ。ここから逃げれるのか?」
太郎達が現れた通路を指差し尋ねるが即座に否定される。
「嫌、それは止めた方が良い。追っ手を撒く為に罠を仕掛けてるから危険だ」
隣で聞いていた同僚が八つ当たりの言葉を投げ掛ける。
「それでは、何処から逃げろと言うんだ。外には敵が居るぞ」
そもそも太郎は大学職員の救出は想定していない。任務遂行の邪魔になりそうなら始末する対象だった。
「大丈夫だ。俺達が騒ぎを起こしてる間に逃げれば良い」
どう騒ぎを起こすか省いて説明する。
「俺達には研究資料と魔石を処分する使命がある。これを優先するよう命じられている」
研究資料の処分と言われて顔をしかめるがジュゼッペは魔石の重要性に気付き協力を提案する。
「では私も行こう」
「あんたが?」
ジュゼッペが魔導師と言う事は理解出来たが、実戦慣れしてるようには思えない。太郎の疑問に答えるジュゼッペ。
「研究に携わった者として責任は持ちたい。それに君達はどこに保管されているか知らないだろう?」
下手にうろつくより大学職員の協力を仰いだ方が捜索も簡単に済むと太郎は考えて、ジュゼッペの同行を認めた。
「ああ、分かった。よろしく頼む……」
太郎は相手の名前を知らず言葉に詰まる。それを感じ取ってジュゼッペは名乗る。
「ジュゼッペだ」
「俺は山田。あっちの魔導師がペピ、ミーナ。弓を持って居るのがリーゼ、剣も持って居るのがクレアさんだ」
職員の拘束を解放すると武器に成りそうな物を探す。
「杖があれば私達も戦えるんだが」
そう言う職員達に対して太郎は苦笑を浮かべる。
「そうか。ま、ここは俺達に任せてくれ」
はっきり言って野戦魔導師の様に戦闘訓練を受けた訳でもない学者は魔導師とは言え戦力外だ。
(足手まといにならない内に、さっさとご退場願おう)
外の廊下を窺う。外に敵の姿は見受けられない。
(見張りぐらい残していると思ったんだがな……)
街中で戦闘を継続しており捕虜監視に兵を割く余裕は無い。捕虜の管理は時間で回ってくると考えられた。
(これはこれで、好都合だな)
階段を登り地上に出ると、夜明けの空が太陽とは違った明るさに照らされている。
街の方に火の手が上がっていた。敵は街の破壊を気にしていない。DDAを誘い込んで火攻めをしている。
「派手にやってるみたいね」
クレアは双眼鏡で前線に食い込んだ敵の動きを見てで呟いた。
街そのものを罠に作り変えた敵。味方の損害も大きな物と予想できる。
「彼らが稼いでくれた時間を無駄に出来ない。行こう」
進む先に二本の煙突が見えた。
「あの煙突がある所が研究所だ」
研究所で飼育されている実験動物の焼却炉だと言うジュゼッペ。
遮蔽物を利用して姿を隠しながら研究所に向かうと、煉瓦造りの建物が見える。
「正面が事務棟、右が飼育棟、左が倉庫……」
コの字に配置された建物をジュゼッペが指差す。
「待て!」
太郎は短いが鋭い声を放った。
中庭に飛竜が留まっている。
上が下した研究所の破壊命令は正しかった。
(あの竜、輸送用か……)
飛竜の前に積まれた木箱に気付いた。吊り下げ用のロープが準備されている。
街を奪還してから魔石や研究資料の確保を目指していては、敵に持ち出されていた可能性が高い。
(もっとも、すでにどれだけの量が運び出されているかまではわからんがな)
倉庫の周囲を敵兵が固めている。ジュゼッペに確認をとる。
「魔石があるのは倉庫か?」
「ああ、そうだ」
敵が魔石を持ち出す手段は、荷馬車が妥当な所だ。しかし周囲はDDAが囲んでいる以上、移送は容易くない。
「──で、竜ですか……」
ペピがうんざりした視線を竜に向ける。
兵からおやつに果実を手渡しされて食べる姿はのどかで微笑ましいが、紛れもなく敵だ。
「俺も竜がいるとは聞いて無かった……」
太郎の言葉を聞きながら、リーゼは竜を見て無意識の内に緊張から弓を持つ手が白くなるほど力を込めていた。
「でも、まだ残っていた」
呟くリーゼ。
「ああ、そうだな」
応じる太郎も、前回の襲撃で敵の竜は全て撃破したつもりだった。
クレアは形の良い眉を寄せながら指示を求める。
「戦争で完璧と言う物は存在しないし、竜が居るのは仕方がない。それは分かるよ。で、どうするの?」
敵の兵力は飛竜は3匹、他に歩兵が小隊規模。弓兵と魔導師は、もしかしたら研究所の中に居るのか、街の防衛に廻っているのか姿は見受けられない。
「正面突破でもする?」
84RRやPSAMの様な装備は無いが、魔法の制圧射撃と銃の火力があれば不可能ではない。
市内には他の調査員達も潜入している。太郎達が騒ぎを起こせば駆けつけて来る可能性があった。
「いや、まさか。それは、あんまり賢いやり方とは言えないな」
応援が到着する前に、敵の増援が来る可能性の方が高かった。
「でも、山田君がやれって言ったら私達は行くしか無いけどね」
嫌味を言うクレア。
「そんな事言いませんよ」
随分と噛みついてくるなと太郎は思った。
「強い敵をまともに相手するのはアレなんで、戦力を分断します。まず校舎を放火して騒ぎを起こし敵の注意を引く――」
太郎の言葉にジュゼッペは驚き表情を変える。
「その間にあんたの同僚は逃げれば良い」
火事になれば敵の注意は引き寄せられる。戦場で生きる太郎にとって単純な事だが、半生を大学で過ごして来たジュゼッペには学舎は神聖な物だと言う認識がある。
ジュゼッペの普段を知る学生や同僚が見れば目を丸くして驚くほどに激怒していた。
「馬鹿な、承服出来ない。恥を知れ! この建物にどれだけの価値があると――」
立場から来る見解の相違。価値観が違う。
「君達も魔導師の端くれだろ。君達のリーダーを説得してくれ」
ジュゼッペはペピとミーナに話しかけるが、二人の反応は淡白だった。
「ええ。でも、それを語る時は今では無いですよね」
今は戦争をしている。全てを守るなんて事は不可能だ。
ペピの言葉に信じられないと言った表情を浮かべるジュゼッペ。同じ魔導師なのに裏切られた想いだった。
「この件は抗議させてもらうからな」
ジュゼッペにしてみれば大学の権威は絶対。氏族の長老達が大学資産の損失を容認するとは思えなかった。
「無駄だと思いますが、それで納得されるなら御自由にどうぞ」
ペピの言葉に憮然とした表情を浮かべるジュゼッペ。二人のやり取りを聞いていたミーナは、現実を見ない学者とジュゼッペを鼻で笑う。
「今、私を笑ったのか!」
激昂するジュゼッペに対して、いい加減うんざりしていた太郎は銃を突き付ける。敵に利益となる物を渡すぐらいなら燃やす。それが上の決断だ。太郎は指示に従っているだけ。
「喚くなら殺すぞ」
向けられる殺意に言葉を詰まらせるジュゼッペ。突き付けられている銃の威力は知らないが雰囲気から武器だと理解出来る。
任務の障害を排除する太郎の本気を感じ取りジュゼッペは沈黙を選ぶ。
「火が付いた後、リーゼはあそこの塔の上から狙撃してくれ。ある程度、敵が混乱したら突入する」
「了解」
研究所に隣接した城壁沿いの塔は、かつて城内に詰める兵の監視塔だった。ここから街の動きも見える。
「クレアさんは1階でリーゼを援護してあげてください」
太郎の指示が恣意的な物ではなく、任務遂行を念頭に置いた物なのでパーティーから反対意見は出ない。
「それでは、宜しく」
適当な建物を燃やして来いと言う太郎の指示で、ペピとミーナは適当な校舎に火球を放つ。
「レタ・ア・マタ・ノヒ」
普通、燃焼は可燃物と酸素と熱源の三要素で発生するが魔法の場合、大気中の成分と血中の魔力が反応した酸化現象が炎を生み出す。
「ああ……!」
呻き声をあげるジュゼッペの前で校舎の外壁に穴が開けられ、内装に引火する。内装材料が日本の建築物の様に不燃化されている訳ではない。熱分解で可燃性蒸気が発生してさらに炎の勢いを増す。
同じ魔導師として同情出来る気持ちは在ったが、母校でも無い二人に躊躇は無かった。
次々と放たれる火球が、紅蓮の業火となって建物を飲み込むのは早い。
†
「ツェアフェルト軍曹、ホス軍曹の分隊は消火に当たれ」
「了解!」
炎と煙に気付いた敵は、直ぐに消火の人手を送った。
戻って来た二人と共に茂みに隠れる太郎達は、駆け出して行く敵兵をやり過ごす。
火力を集中して最初に倒そうと思っていた飛竜は空中退避していた。
「上手く行ったな」
研究所の中に居た者も出て来て火事を眺めているが、外に居る人数も減り数は20人も居ない。
竜さえいなければ、この程度の人数を蹴散らすのは片手間に思えた。
「ぼちぼち始めるか」
襲撃の配置に着くパーティーの面々。
ミーナは太郎の合図を見て、傍らに伏せたペピに声をかける。
「良い?」
「はい!」
体を起こして杖を構える二人は、息を合わせて魔法による突撃支援射撃を開始した。
「バソ・ミザキ・バソ・ラ・ナル・ベタ・ヨ・イオ・オンブン・エハ・ンド・ウ!」
「レタ・ア・マタ・ノヒ」
詠唱は慣れれば数秒の範囲に収まる。後は魔力の量が物を言う。
(よし!)
突然降り注ぐ氷の矢と火球の攻撃。魔法の弾着によって掘り返される地面。敵は混乱する。
その中を走って距離を詰める太郎。
奇襲の効果が切れる前に、敵に立ち直らせる暇を与えず叩く。
立木の根元に着くと、ひざ射ちの姿勢で太郎は銃を構えて一人、二人、三人と素早く倒していく。
その間にミーナが手前の花壇まで走り伏せると杖を構えた。
野戦魔導師の本領発揮で素早い詠唱を行うと、3発制限点射なみ連射で敵兵に火球を浴びせていく。
「やるな」
呑気に観察している時間的余裕は無い。
敵はよく鍛えられている。指示を出す指揮官を狙って倒すが、混乱はすぐに収まった。
これまでの敵は魔法や銃撃を浴びせるとすぐに壊乱した。シュラーダー兵は違う。
「ロナルト、右から回り込め!」
先程、消火を指示していた男が部下に指示を出している。
(あれが指揮官か)
太郎は銃を構え直す。
(自分から位置を暴露するなんて馬鹿か)
目立つ様に大声を出す事であえて自分達の攻撃を引き付けて位置を探る陽動かも知れないが、指示を出していた男を狙い撃ちする。
(まあ良い。殺せば一緒だ)
赤い物を撒き散らして倒れる男。
「小隊長!」
死体に駆け寄る兵士に標的を変え引金を引く。
太郎の位置に気付いた敵が、凶暴な殺意を顔に滾らせて向かって来る。
「あそこだ!」
ゲームと違い倒した敵の死体は消えない。
小銃と魔法。共に密集した集団相手には十分な効果を生み出す。しかし――
(こいつら、良く訓練されている)
攻撃を受けると直ぐに散開した。魔導師や弓兵を相手にした経験からの対応だ。それでも攻撃を受けた事に敵部隊は僅かながら混乱していたのか、部隊としての動きが鈍い。
味方の損害に怯まず突っ込んでくる敵兵達。太郎の顔が引きつる。
「死を恐れない」敵ほど面倒な物は無い。実際は仲間を殺された復讐心で死への恐怖を忘れているだけかもしれない。
険しい顔を浮かべる太郎。ゲームの様に楽にクリアとは行かない。
太郎は自分の膝が震えている事に気付いた。実戦慣れしたと言っても死ぬのは怖いと自覚している。無意識の内に体に出ていた。
苦笑を漏らし息を整える。
(応援が気付いて来るまでに片付けないと面倒だ)
気配を何となく感じて首を動かすと左手側の繁みに敵兵が倒れている。首を矢が貫通していた。
塔からの援護で、太郎の死角を補ってくれていた。
(もし気付いて無かったら……)
背筋がひやりとした。仲間の援護に感謝する。
一度に太郎が銃で対処できる数は多くは無い。太郎に攻撃が集中する中で、ミーナも額に汗を浮かべて援護の為に魔法の詠唱を行っている。
急激な魔力の消費で頭痛を覚えるが、詠唱は止めない。
ペピの視界の先では、太郎が匍匐や駆け足をしながら進んでいる。
前衛職は後衛職の盾、後衛職は前衛職の火力支援。役割分担だ。
ミーナの方は時折、杖を使った体術を交えながら魔力の消費を抑えて戦っている。
(凄いな)
ペピは戦闘特化した本職であるミーナとの違いを実感した。
視線を傍らに向けるとジュゼッペが頭を抱えて地面に伏せていた。
男の癖にだらしないとか、上級魔導師だとかは思わない。
(仕方がないか……)
学者と戦いを選んだ自分達との違い。先程の件でも価値観の違いを感じた。それは大きく埋められる物ではない。
最後の一人を射殺すると太郎は倉庫の入り口にたどり着き塔に向け手を振る。
「そこで待ってて」
「はい」
ミーナに返事を返すペピは汗を拭う。焼け漕げた草の臭いに混ざって漂う血の臭いに気付いた。
辺りに転がる死体。流れ出た血で踵まで浸かりそうな血溜まりが出来ている。
死顔に張り付いた苦悶の表情を視界に納めて、思い出した様に吐き気を覚える。
竜の巣を襲撃した時にも敵を倒したが、まだ人を殺す事には馴れない。ゴブリンならまだ罪悪感が少なかった。
これは戦争だと自分に言い聞かせて気持ちを落ち着けていると、周辺を見て回ったミーナが戻ってくる。
「周りの敵はやっつけたし、行こうか」
頷くとペピはジュゼッペに声をかける。疲労の色が見えた。
「ジュゼッペさん、行きますよ」




