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残念な山田  作者: きらと
16/36

16 ピエトログラード(1)

 ドワーフ王国中部の旧王都ピエトログラード。交通網も限られた山間部は孤立の危険もあったが、同時に天然の要害となる。

 黒ドワーフの反乱が発生し周囲を取り巻く状況が変わったが、幸いにしてここまで敵が攻め込んで来る事もなく住民は平穏無事な日々を過ごしてきた。

 街は優秀な魔導師を輩出することで知られるピエトログラード魔導大学を中心に学術研究機関や商店、居住区で構成されている。一種の学園都市と言えた。

 薬草の煮詰める臭いが廊下に漂っている。教室の一つでは薬学の講義が行われていた。

 ジュゼッペ・ギュンツブルグは主任指導官として教鞭をとっている。学生は幾つかのグループに別れて、ビーカーやフラスコ片手に錬金術の実習を行っていた。廊下に漂う臭いの元はここだ。

 机の間を背筋を伸ばして歩くジュゼッペ。

 教室の温度が暑いのは炎の熱だけが理由ではない。

 今年133歳に成るジュゼッペは高い身長、目鼻立ちのくっきりとした彫りの深い顔、相応の貫禄を持つ男性だ。

 女生徒の熱い眼差しを物ともせず講義を続ける姿は、同性から見れば不能者か異常者に見える。

 ため息混じりに羨望の言葉を放つ学生。ジュゼッペに言わせれば、100年以上生きれば大抵の欲望は淘汰されるらしい。

「俺なら女子に手を出してるな」

「馬鹿、お前なんか相手されねーよ。今まで声かけて成功した事あるか」

「うっせー、人の事言える面かよ。それより、売店に新しい娘入っただろ――」

 言い返し雑談を交わしていると、いつの間にか目の前に立っていたジュゼッペから叱責が飛ぶ。

「遊びじゃない、気を抜くな」

 手元のフラスコでは試薬が煮えたぎって結晶生成の適温を超えている。

「は、はい。すみません」

 謝罪の言葉を告げて慌てて火を消する学生だが、叱咤する口調は厳しく妥協を許さなかった。

「君にしてみればつまらない授業かもしれないが、基礎知識として身に付けるべき物だ。恥をかくのは君だけではない、大学や教えた私だ」

 ジュゼッペの薄い水色の瞳に見詰められて表情を強張らせる学生と静まり返る教室。

 教室の空気を引き締めるとジュゼッペは講義に戻る。

「いつも言ってるように、魔導師は魔法を使うだけではなく触媒となる物も性質を正しく知る事は必要だ──」

 大学は錬金術の一端や薬学も触れさせる事で様々な機会を与えており、卒業生は野戦魔導師だけではなく、薬師や錬金術師になり関連企業に携わる者も居た。ここでは技能の習熟のみならず、魔導師としての身だしなみ、心構えも問われており、素行不良で相応しくないと判断されれば退校も行われる。

「ガクブチアジサイは体をリラックスさせる。ビョウゲンヤナギの葉は、病人に噛ませると体の熱を冷ます。カナメマジキチは、この赤い葉を乾燥させて――」

 日本の大学制度とは異なり、国家に能力を還元する魔導師育成の専門的職業訓練を行う学校であり、大学院では戦略的価値の高い研究を高等魔導師達が担当している。

「――湯煎にかけて、ん?」

 ジュゼッペは窓の外に鋭い視線を向ける。街の外に魔力を感知した。

 内戦の勃発で、不審者や魔力の動きに注意するよう通達が出ていた。

(かなりの数の魔導師が移動してるな……この魔力、DDAとは違う)

 この内戦で卒業生・在校生を問わず、敵味方に別れた者も多い。しかし魔力の流れは大学で教える物とは違った。導き出される答えは限定される。

「先生?」

 学生の呼びかけに対して警備隊に使いを出そうと考えた瞬間、郊外に見える街の外柵に火の玉が生まれ爆発する瞬間を目撃した――


     †


 ピエトログラードは戦略的にも人的資源を供給する重要拠点であるが、警備には自警団と傭兵しか居なかった。DDAが正しく価値を認識していなかったとも言える。

 日本人の支援で体制を立て直したDDAは、ピエトログラードの防衛強化の為に郷土防衛隊から1個中隊を送り込み、地雷の埋設作業等を始める。

 しかし、遅すぎた。敵もやられっ放しではなく、不意急襲によってピエトログラードを陥落させた。

「シュラーダー義勇兵の襲来」

 ピエトログラードに駐屯していた郷土防衛隊は壊滅する前に敵の襲撃を無線で通報した。


挿絵(By みてみん)


 DDAは直ちに周辺の戦力をかき集めピエトログラードを包囲した。その中にはベーグルの調査ティームも幾つか混ざっていた。

 ピエトログラードを包囲するドワーフ軍。立ち並ぶ軍旗に狼のような小動物を描いた物がある。包囲の中核を担っているのは猟犬の異名を持つ第16山岳猟兵連隊。前線から休養の為に引き揚げていた所を呼び出された彼らは、DDAでも精強で知られる部隊だった。

 陣中に開かれた指揮所の天幕で、太郎はベーグルから来た連絡係と会っていた。

 任務説明が終わり出された缶コーヒーに口を付けながら太郎は訊ねた。

「森島課長はどうされたんですか?」

 持つのも熱かった缶が冷めるのは早い。一気飲みで残りを空にする。

 いつも契約物件の依頼を説明する森島が居ない。代わりにやって来たのはひょろりとした人相の悪い男だった。

「課長は外回りに行っている。こちらには来られない」

「そうですか」

 ベーグルは郷土防衛隊を全面的に支援している。ドワーフ王国に売り込む為に地道な挨拶回りの営業活動も行っていた。戦後を考えて有力者と顔つなぎをしておく事も大切だ。

 太郎が任務の説明を受けている間、他のメンバーは外で雑談を交わしていた。

「あんなので秘密保全だなんて、いい加減な物と思わない?」

 中隊事務所の掲示板は部外者にも丸見えで、編成や人員配置が一目瞭然だった。

 ミーナの言葉にリーゼも同意する。

「私達はある意味身内だけど、出入りする商人には敵に情報流す者だっているだろうね」

「そそ」

 油断をしてはいけない。些細な綻びから情報は漏れる。名誉や愛国心で空腹は満たされない。中には黒ドワーフに味方するのは潔しとしない気骨のある商人も居たが、多くの商人は売れる物なら何でも売るのが生きていく術と理解していた。

「あっ……」

 ペピが空を見上げて呟いた。つられて空を見ると雨が降り出していた。

 先程まで良い天気だったのに、雨は激しさを増して大雨が辺りを襲い始めた。

 肩から腕にかけて雨水が染みて来る。濡れた服が体温を奪い肌寒さを覚える。

 慌てて天幕に駆け込む者もいれば、たらいを出して行水代わりにする者も居た。男の裸を見慣れていないペピは、気まずさを覚え視線をそらすと天気の話題を振る。

「明日は晴れるかな」

「だと良いよね。雨は髪や服が濡れて痛むし嫌いだなぁ」

「うんうん」

 ミーナの言葉にクレアも頷く。湿気は腐食しやすい金属の敵でもある。武器も錆びるし、油を塗ったり手入れをしなければならない。油を塗るのは昔ながらの被覆防食法の一種であった。

「この調子なら多分、深夜には止むはずよ」

「そっか、洗濯は明日には出来るわね」

 ミーナの呑気な台詞に苦笑を浮かべるリーゼ。

「それまでに、あそこに行くと思うけど」

 クレアの視線の視線の先――街では、こんな雨の中でも猟犬連隊の先鋒が戦闘を行っている。

 傾斜した町中では雨で足元を掬われる。

 敵はシュラーダー義勇兵。黒ドワーフより戦慣れしている手練れ。猟犬連隊も伊達に前線で戦って来た訳ではない。

 精強な兵士達の戦いは、弱兵を相手にしたよりも凄惨な戦いを演出する。

「あー、そう言えばグレイスさん、何処で何をしてるんでしょうね」

 はっとしたクレアはペピの無邪気な瞳に見られて居心地の悪さを感じた。

(ミーナやリーゼは気付いてるのかな)

 太郎から死の香りがする事に――

 言葉に詰まっていると、タイミングよく太郎の声がかかった。

「はい、皆集まって」

 打ち合わせから戻って来た太郎は、任務説明の為に仲間達を呼び集める。

 与えられた天幕に移動する仲間。太郎は立ち止まっているクレアに気付いた。

「クレアさん?」

 何でもないと言うように首を振るクレア。太郎の後に続きながら天幕に入るが、心中の陰鬱な空気を払拭する事は出来ていない。

「はい」

 ペピがクレアにタオルを渡してくれた。

「ありがとう」

 礼を言って髪を拭いながら太郎を一瞥する。

(嫌な目をしている――)

 太郎の纏う雰囲気がカルナック山以降、変わった事にクレアは気付いていた。

(あの目はよくない。手を汚し過ぎた兵士が一線を越えると、ああいう目をする。もしかしたら──)

 太郎がグレイスを処分する理由なら幾らでもあるとクレアは知っていた。行き過ぎた言動と暴力。今までの行き違い。温和な性格の人間でも限界はある。仲間殺しと言う最悪の想像が脳裏に浮かぶ。

(馬鹿な。仲間を信じないでどうするの!)

 それは真実に近い想像だったが、クレアは仲間を疑う自分を叱咤する。日本人の例に漏れず太郎は礼儀正しく謙虚だった。人は変わるものだが、過去を例に出す事で自分自身を納得させようとした。

 人は群れたがり馴れ合う。そこに僅かでも打算的感情があるからだ。

 ドワーフ王国での正義は誰にあるか。善悪の判断をするのは、其々の立ち位置で変わる。

 都市部を離れると、口減らしに子供を売ったり奉公に出す事がある。子供は家の財産であり親の所有物。その事を日本人は批難していた。

『年端もいかない子供を戦わせる何て、あんたら正気か!』

 人を殺すのは容認しても子供には甘い。例え相手が武器を持っていようと攻撃を躊躇する心優しい日本人。戦場を知るクレアからすれば甘いと思う。だがその考え方は嫌いではない。

(自分達とは根本的な考え方が違う。それは分かっていた。だからと言って、仲間を簡単に殺すだろうか……)

 パーティーを上手くやっていく為に太郎を信じたかった。しかし信じきれないのも事実だった。

 皆が席に着いた所で太郎の説明が始まり、クレアも意識を集中する。

 卓上に拡げられた地図。日本人が測量した物ではなく、市販の地図をコピーした物だ。太郎は郊外の森を指差す。

 街まで赤い線が書き加えられていた。

「元々ここは旧王都。大学自体が城を再利用した物だ。でよくある話だが、この城にも秘密の脱出路がある。ここ、首切りの森まで通っている――」

 大学まで線をなぞる太郎の指。

「そんな物があったんですか」

 椅子と床の間で足をぶらぶらさせていたペピは、机の上に身を乗り出して地図を覗き込む。

「作られて100年以上使われていないらしい」

 感心するペピに笑いかける太郎は、今回の任務を気負っている雰囲気も無く落ち着いていた。

「100年って大丈夫なのかな……」

「大丈夫ですよ。昔からの建物と言えば、大学だって今でも使ってますし」

 眉をひそめるリーゼに、ペピはドワーフの建築技術を誇る。

「ま、その辺りはDDAの方も自信を持っているそうだ」

 経年劣化で埋もれているかもしれないと言う最悪の予想もしながら太郎は続ける。

「敵の警戒する市街地を避けて地下道から大学に侵入する。で、俺達が大学に行く理由だが、知っての通り大学では魔導具の研究を行っている」

 前髪を弄っていた手を止め頷くミーナ。直接の母校では無いが一般的常識だ。

 ピエトログラード魔導大学の敷地の一画に王国から助成金を受けて設置された研究所があった。

「今回の目的であるイシイ研究所──」

 魔力を増幅する結晶体、擬似的な賢者の石である魔石を使った魔導具の研究を行っている。

 魔法の発動媒体である魔石。魔力をより効率的に引き出す為に触媒となる鉱物を探求していた。

「研究成果となる資料は貴重だが、敵の手に渡す渡す訳にはいかない。そうなると、研究資料は焼却が望ましい」

 まとまった量の魔石。その価値の高さを魔導師である二人は当然知っており、ミーナとペピは目を合わせて頷く。

 太郎は告げ無かったが、研究者は必死で守ろうとするだろう。邪魔するなら排除するつもりだった。

「重要な物なら、敵がみすみす放置してるとは考えられませんよね」

「まあな」

 ミーナの言葉に苦虫を噛み潰した様な顔になる太郎。無傷で放置されているのは希望的観測に過ぎない。敵はピエトログラードの価値を知って攻撃した。必用な物は既にどこかへ移送してるかも知れない。

「備蓄されていた魔石は、そっくり敵の手にわたったと考えられる」

 通常の杖に魔石を加えた場合、魔力の消費は激しいが威力が倍増する。シュラーダーでは軍事転用で試験運用されていたが絶対数が不足していた。

 魔石は極微量な数しか見つかっていない。その為いつ何処で手に入るか解らず戦略物資として備蓄することさえ出来ない。

「少々、勿体無いがこれも処分する」

 天幕を叩く雨音が激しさを増すが聞き逃しはしなかった。

 貴重な魔石を遠慮なく破壊すると言う言葉に、価値をする魔導師2名は顔色を変える。

「ミサイルの1発でも撃ち込んで始末すれば簡単じゃないですか」

 ミーナが日本人の兵器を正しく理解した上で言った言葉に太郎は頷く。

「確かにヘリコプターからミサイル1発撃てば終わりな仕事だ」

 だが空からの支援が欲しいのはここだけでは無い。DDAはシュラーダーの動員令を聞いており、出来るだけ早く黒ドワーフの反乱を鎮圧する必要があった。機動戦力であるヘリコプターと車輛は前線に投入されている。

「関係者が生死不明で、機密の漏洩があったか確認が出来ないのは一番困る。研究者の生死を確認。資料と魔石は破棄。これは決定事項だ」

 生きてるかもしれない、死んだかもしれないでは支障がある。今後の任務遂行の妨げになる。

 皆に異論は無かったようだが、クレアの呟きが聴こえた。

「きっと、大きな火事に成るわね」

 火災で投げ出される人々を気遣うクレアの言葉に太郎は頷く。

「そうですね。ですが――」

 作戦を実行した場合、延焼で街から焼き出される避難民の保護も必要だが太郎達の仕事ではない。

「その辺りはDDAの判断する事で、途中で出会う敵は全て排除する」

 地下道の長さは概算で10㎞。移動に問題無ければ2、3時間もあれば到着出来る距離だ。

「0200起床、0230朝食、0300STA出発。首切りの森には0400に到着予定だ」

 日の出までに大学にたどり着けば良いと告げると、太郎は解散の指示を出した。

 天幕の入り口で降り続ける雨をうんざりとした顔で眺めるリーゼ。隣に並んだペピは気分を盛り上げようと話題を振る。

「もう、ご飯ですね」

 そう言われて空腹を感じたリーゼ。調査員の分も給食の申請が出されている。

「今日は温食だってさ」

 戦場での楽しみは食べる事ぐらいしかない。メニューを思い出しながら告げるリーゼの口調は軽い物だ。

「行きましょうか」

 それぞれ夕食の配膳を受けに雨の中、天幕を出る。

「山田君」

 太郎の背中に声をかけるクレア。

「何ですかクレアさん」

 振り返った太郎の顔を見てクレアは言葉に詰まる。

「ううん、やっぱり良いわ」

「そうですか?」

 訝しげな表情を浮かべるが再び先を歩く太郎。

 横に並んだペピがクレアの表情が優れない事に気付いて声をかけてきた。

「クレアさんお疲れみたいですね。風邪でもひきました?」

「ううん大丈夫。何でもない」

 笑顔で答えるクレアだったが、内心は混乱していた。

(訊いてどうする。もし、はいそうですと認めたとして私は……)

 真実が人を幸せにするとは限らない──

 最後尾を歩くミーナは苦悩するクレアを無表情に眺めていた。


     †


 腕時計がアラームで起床時間を告げる。眠気からか頭痛を感じながら太郎は寝袋から這い出すとジャージから迷彩服に着替え始める。 

 朝食として戦闘糧食を、事前に受け取っていたので、レトルトパックを開けて口に放り込む。

(もっとましな物が食べたいな)

 暖かい寝床、食事、風呂。普段の何気ない一般的な生活が贅沢だと、ここに居て感じられる。

 のんびりしている時間はない。装具を持って天幕の外に出る。女性陣は談笑を交わしていた。

「おはようございます」

「おはよう。早いね」

 ペピに返事を返しながら弾帯を締める。

 外はまだ暗い。日の出前を狙って行動しているのだから当然だ。

 小便を済ませ点呼を終える頃には移動時間になっていた。BMNT、第1薄明と呼ばれる時間で夜と同じだ。

「人員5名、出発準備完了」

 しばらくして太郎は、パーティーを整列させDDAの中隊長に報告する。首切りの森まで巡回の名目で1個中隊が護衛に付いてくれる。

「護衛なんているんですか?」

 ペピの疑問に太郎は眠たそうな目をしながら答える。

「俺が希望したんじゃないよ」

 上から押し付けられただけだし、首切りの森は包囲の外。護衛に1個中隊は過剰とも言えたが、魔石の価値を考えれば念を入れるのも仕方がない。

 単調に響く足音に耳を傾けながら周囲に視線を向ける太郎。鍛えられたとは言っても乗り物での移動に慣れた太郎にとって徒歩移動は億劫だった。

 ようやく森にたどり着いた時はほっとさえした。

 歩く事で体は暖まってきたが、木陰には雪がまだ残っている。汗で体が冷えて寒さを感じた。

「山田」

 リーゼが警戒感を露にして周囲に目を配りながら声をかけてきた。

「敵か?」

 太郎は小銃の切替レバーを「ア」から「タ」に合わせながら問いかける。小さく頷くリーゼ。後ろを振り返るとクレアは既に剣を構えていた。

「ここ、頼みます」

 クレアに任せて前を進む護衛指揮官に太郎が声をかけようとした瞬間、闇を切り裂く影が見えた。呻き声と鈍い音。倒れる兵士の鎧に黒い矢が突き刺さっていた。続いて吹き飛ぶ隊列。

 前衛の小隊に、敵の魔法と矢が飛んできたと理解するまで時間はかからなかった。

「レタ・ア・マタ・ノヒ」と聞き慣れた詠唱が聴こえてきた。火系統の魔導師の攻撃が中心で、火球が次々と中隊を襲い昼間のような明るさになった。

 溶けかけた雪と土の混ざった泥に伏せながら、罵りの声が漏れる。

「糞、待ち伏せか!」

 近くの立木に火が燃え移って松明のようになっている。

 幾ら精強な猟犬連隊とは言え四六時中、緊張感を維持するのは困難だ。首切りの森は包囲の外で、敵は居ないと油断していた。応戦の号令が辺りに響く。

 背後から悲鳴が聴こえてきた。振り返るまでもない。敵は退路を断つ積もりだ。

「糞っ」

 敵は機先を制しており、前後を塞いだ。

(何だって、こんな所に敵が居るんだ。これじゃ、大学になんてたどり着けないぞ……)

 敵の予備隊が包囲の外に潜んでいた。友軍は後背を突かれる可能性があった。

「24αから練馬。トロールと遭遇──」

 太郎は携帯無線機で敵の攻撃を受けた事を報告した。トロールは敵を意味する符号だ。

(此方は魔導師2名。敵の魔導師は数も多いな。ここで無駄弾を消費するのは不味い)

 太郎は握把と被筒部を握りながら考える。弾薬の携行数には限りがある。大学に向かうのに消費は避けたかった。

(問題は敵の魔導師だな)

 魔法の射程は精々で数百Km。大砲やミサイルの射程に比べれば確かに短い。しかし近接戦闘は何十Kmも離れる訳ではない。有視界の戦闘なら十分だった。

 位置を確認しようと魔法発動時の火光や、土砂や枯葉の舞い上がるじん煙を探す。

「山田君」

 隣に護衛の中隊長が駆けて来た。矢が至近距離に弾着し枯れ葉を巻き上げる。

「はい、中隊長!」

 落馬して泥に汚れた顔は悟った様な表情を浮かべていた。

「入り口まで数リーグも離れていない。我々は逆方向に打って出る。その間に先を急げ」

 護衛の任務を遂行し、敵の注意を引き付けると中隊長は言う。

 敵が別の兵力を配置していたら太郎のパーティーは殺られる事になる。

 それよりも後退を意見具申しようと思ったが、中隊長の顔に覚悟を見てとった太郎は頷く。

「上手く行く事を祈ります」

 神など信じていないがその時はそう言った。言うだけならただだ。

 中隊長の号令一下、雄叫びをあげて駆け出す護衛の兵士達。

(俺達の為の囮。何人が死ぬか……)

 太郎達はその場に伏せて、敵味方が遠ざかるのを待つ。

「もう大丈夫かな」

 20分後、戦場の騒音が遠くに聴こえる事を確認して太郎は姿勢を起こす。

 手信号でリーゼに先導するよう指示を伝え移動を再開した。

 優秀な追跡者の手にかかれば、人が移動した後などすぐにわかる。それ以前に足跡をくっきりと残している為、夜が明ければ素人でも追跡は簡単だ。

 自分達が糞を漏らしながら廊下を移動している様な物だと太郎も理解していた。

(だが他に選択は無い)

 出来る気配りと言えば、少しでも敵に見つからない様に体を前傾させて姿勢を下げながら走るぐらいだ。跳ねる泥に足元はすぐに汚れた。

 額から吹き出た汗が目に入り痛みを覚えて、目元を擦る太郎。

「あの人達は大丈夫でしょうか」

 後ろから投げかけられたペピの言葉に、他人に構っている余裕は無いと答える事も簡単だった。太郎はそれでも言葉を選んで答える。

「彼らは護衛の勤めを果たした。俺達は俺達の仕事を済まそう」

 犠牲を無駄にしない為にも、今出来る事は少しでも早く先を急ぎ走る事だ。

 頷くペピ。他の者も思いは同じだった。クレアも太郎への疑惑を今は抑えて任務に集中する。

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