15 おつかいイベントのオチ
標高が上がると気温が下がり肌寒さを覚える。標高の低い山登りでも油断をしてはいけない。まして、ここは魔獣が出ると言われるカルナック山。
戦闘を想定した準備が万全とは言えない。だが警戒は怠っていない。
溶けかけた雪が辺りに残っている。踏み荒らされた様子は無かった。
噂や伝承に怯えニワカ草の採取以外で村人が立ち入る事は普段でも少ない。
ゴブリンが住み着いたと言う最近では近付く物好きも居ない。お陰で木材の伐採もこの山周辺は避けている。効率の低下は村人の収入をさらに減らした。
(金が入ったら、入っただけ使いきる何て馬鹿かよ)
村人達の貯えは僅かで、儲けは日々の生活や飲み代等で消えていた。だから傭兵を雇えなかったと宿屋の女将から聞かされた。
(同情する気も起きないな)
いつ失業するか先の事は分からない。いざと言う時に備えて貯えるのは当然だ。
(人助け何て俺はしないからな)
ほいほいと引き受けてヒーロー気取りをするほど馬鹿ではない。実際の所、正直者は利用されて損をするだけと理解している。
美人な女将の視線にも耐えた自分を太郎は褒めたくなった。
太郎達は夜明けと共に宿を出た。
「ふぁ……」
欠伸をしながら瞬きする太郎。
溶けた雪で泥濘と化した往路。嫌々気分なので足取りは重く、鼻唄混じりにピクニック気分とはいかない。
「とっとと、ニワカ草を見つけて帰るぞ」
ゴブリンの出没を聞いていたので警戒をして進む。今回は追跡では無いので先頭を務めるのはグレイス。
女性の背中に隠れて戦うのは男の矜持が許さないと言うつもりは太郎に無い。
(性格は最悪だが腕だけは確かだからな)
戦士として場数を踏んだ仲間の技能を信頼している。
グレイスの得物は基本的に槍だが、狭い洞窟内での戦闘を想定して剣を携えている。
武器に愛着を持つのは良いが、時と場所を選んだ装備の選択は当然だ。リーゼも幅をとるロングボウではなくショートボウを選んでいる。
太郎も出来れば9mm機関拳銃やH&KMP5の様な短機関銃の類いが欲しかった。
(近接戦闘で振り回すのにこれじゃあな……)
肩から提げた64式小銃を見てため息をはく。勿論、ベーグルの上層部も装備調達に動いていた。日本の関与が万が一、諸外国にバレて困るなら外国製の武器を使えば良いと言う考えだった。しかし調整は難航している。
茂みから掻き分けて進んで来る物音が聴こえた。音のする方向に鋭い視線を放つグレイスの姿に合わせて武器を構える面々。いきなり音がするからと発砲したり魔法を撃ち込むのではなく周囲を警戒する。
飛び出た小動物の白い影が見えた。ゴブリンではない。
「犬か」
白い犬が3頭、駆け寄ってきた。緊張感が肩から抜ける。リーゼは矢を弦から離しミーナも杖を下げた。しかしグレイスは表情をこわばらせて後ずさる。
「どした?」
訝しげな表情を浮かべる太郎だが、返ってきた反応は意表をつく物だった。
「ま、魔犬だ……」
「は?」
予想外の言葉に間の抜けた台詞が出てしまう。
脂汗を浮かべ槍を構えたグレイスは震えている。本気で恐怖を感じている様子に太郎は戸惑った。
それほどの脅威に思えなかったが、歴戦の傭兵であるグレイスが怯える相手だ。銃を構え直して距離を取る。
「ケルベロスの子犬ね」
一方、リーゼは臆する事無くしゃがんで手を差しのべた。
鼻をひくひく動かして足元をぐるぐる回っていた子犬は近付いて来る。
「これがケルベロスですか?」
ペピはリーゼの手を舐めてじゃれつく子犬の様子に近付いて観察する。頭が多い以外は普通の子犬だ。
「大丈夫、この子達は噛んだりしない。私も森でよく出逢ったけどケルベロスは人懐っこくて襲って来たりしないよ」
山地や森林での生活に慣れたリーゼの言葉に警戒を解き皆集まってくる。太郎も銃口を下ろした。
「ふふ。可愛いね」
犬を怖がるグレイスとは対照的に、パーティーの面々は手を差し出して撫でている。
山田が抱き上げると、子犬は顔をペロリと舐めてきた。
「あ、私も抱きたい」
手を伸ばして来るクレアに子犬を渡して、ふと犬とのキスは感染症を呼び危険だと思い出す太郎。
「ん――」
周りに集まるパーティーの中で1人だけ離れた距離をとるグレイスに気付いた。
「何をそんなに怖がっているんだよ。ただの子犬だぞ」
人畜共通感染症を知ってる訳がないし、怯え方は異常だった。
「馬鹿、そいつの親がいるはず何だよ!」
クレアに抱かれて大人しく背中を撫でられる子犬を指差してグレイスは怒鳴った。
「うん?」
それでと続きを促す。
「私の所属していた傭兵団がこいつに襲われて壊滅したんだ」
リーゼはグレイスの言葉に顔色を変えて反応する。
「ケルベロスと戦ったの!」
森で生活をする物にとってケルベロスは頼もしい守り神であると同時に手出しをしてはならない神獣だ。
「もしかして、ケルベロスに殺気を向けたりした?」
「ああ、牽制のつもりで殺気を向けたかもしれない」
殺気を放つと言う事は「お前を攻撃するぞ」と言う敵対行動に捉えられる。
軍艦が火器管制レーダーを相手の船に照射するのと同じ事だ。
そんな事をすれば厳しい自然界に生きるケルベロスの事だ。脅威を排除にかかるのも当然、自業自得だ。
「運が良かったね……」
グレイス達がケルベロスを小物と思って放った殺気は自殺行為だった。
「ああ、そうだな。本当にそう思うよ」
否定はしない。グレイスが助かったのは死体の下に隠れていたからだ。
グレイスは、口元に流れて来た仲間の血の味を忘れない。無意識に体が震えていた。運良く生き残れたけど仲間は全滅、30人がたった一頭のケルベロスによって死んだ。その時の恐怖を思い出して身震いをする。
†
「あそこですね」
特にケルベロスの親と戦うと言う強制イベントも無く、子犬達と別れて地図に書かれた洞窟までやって来た。
入り口から吹く風は生臭い腐敗臭と糞尿や汗の混じった物でゴブリンの存在を証明していた。
「臭いわね」
クレアが口元を布切れで被いながら言った。ここに比べれば、先日に襲撃した竜の巣の臭いなんて香水みたいな物だ。
「ふん、燻り出した所を始末するか」
足元に散らばる枝を蹴飛ばすグレイス。ケルベロスに怯えていた時とは一転して不敵な態度だ。太郎はそんな様子を見て呼吸音だけで笑う。
クレアが意図する事に気付いて注意する。
「あー駄目駄目。それするとニワカ草が死んじゃうよ」
木の枝を集めて火をお越し煙を送り込む。ファンタジーではよくある巣から誘い出す手だが、出入り口が1つとは限らない。洞窟の奥行きの長さによっては、煙でいぶり出しを行っても徒労に終わる可能性も高い。
「ちっ」
舌打ちをするグレイスにミーナが意気揚々と声をかける。
「さくさく片付けしましょう」
戦いの場こそ、野戦魔導師にとって本領発揮の出来る場所だ。昨日はグレイスとリーゼに美味しい所を持っていかれた為、消化不良だった。一方、同じ魔導師でもペピは緊張の色を浮かべていた。ペピにとっては初めての本格的戦闘。
クレアがペピの肩に手を乗せて視線を合わせた。表情の強張りを解き解そうと笑いかける。
「ニワカ草を見付けたらすぐに帰るし、そんなに緊張しないで。ね」
「は、はい」
村人に断った通り本格的な討伐は行わない。ニワカ草を確保したら無駄な戦闘はせずに速やかに引き上げる予定だ。戦闘をせずに済むなら、それにこした事は無い。
「行くぞ」
グレイスは剣を構えて先に入る。
(これでケルベロスが出てきたら、使い物に成らなくなるんだろうな)
グレイスの意外な弱点を知ったが、リスクを考えて太郎は顔をしかめる。
グレイスが足を踏み入れて間もなく剣戟のぶつかり合う騒音が聞こえてきた。
「早速かよっ!」
洞窟に入ると暗闇から見張りがグレイスに襲いかかって来た。見張りとは言え、装備が行き渡っていないのか不揃いな格好をしている。
後を追って入ったクレアが吹き矢を構えたゴブリンを倒す。
「はいはい。慌てなくて良いですよ、っと」
軽やかな剣捌きだ。
「馬鹿がっ!」
同じくしてグレイスも2匹を斬り倒す。入り口周辺に転がる死体は4匹。
「よく反応出来たわね」
クレアの誉め言葉にグレイスは死体を蹴って答える。
「いきなり斬りかかって来たんだが、臭いで居るのが分かったんだ」
隠れたつもりでも体臭が激しく、動けば臭いが巻き起こり側に居ると知らしていた。
「なるほどね」
歩く汚物とまで言わないが、ゴブリンが自分の位置を体臭で暴露しているのは確かだった。
「この辺りにニワカ草は生えてないわね。奥を探しましょう」
ミーナとリーゼが周囲を確認して報告する。
「OK。前進だ」
太郎は懐中電灯を振りながら言った。グレイスは不快そうに眉をひそめながら呟く。
「これで無かったら、あいつらぶち殺してやるからな」
あいつらとは洞窟の場所を教えた村人事を指している。
「そうだな」
太郎も頷く。殺すかどうかはともかく、ゴブリン退治に利用されただけなら承知しない。
奥に向かうと明かりは届かなくなる。松明に火を付けるミーナ。魔導師が居ると火種に困らず便利だ。
太郎を通してベーグルから懐中電灯を借りる事も出来たが、電池もただでは無いし、身近で手に入り安上がりな物で代用し極力節約をしていた。
「ああ、そうだ。ゴブリンの武器は獲物や敵を狩る為に毒や痺れ薬が塗られているのよ」
「えっ」
ゴブリンとの戦闘経験があるクレアが思い出した様に解説する。
太郎もエルステッド国境地帯で戦った事があるが、虫のイメージが強すぎて個々のゴブリンにまで注意を払っていなかった。
「クレアさん、そう言う大切な事はもっと前に言ってくださいよ」
毒なんて聞いて無かった為、毒消しを大量に用意をしていない。
「今思い出したんだもん」
太郎の抗議に舌をぺろりと出すクレア。可愛く似合うけど憎たらしく思えた。
「パクリ草とコピペ茸から採った猛毒で、正常な判断が出来なくなった所を討ち取られるそうよ」
ニワカ草が毒消しに効くとは言え、処置が遅ければそれだけ毒の影響を受ける。世の中には、ゴブリンとの戦いで後遺症に悩む負傷者も多い。かすり傷1つでも貰ったら大変だと気を引き締める。
(毒か……)
ゲームなら即効性のある毒消しで毒も消えるだろうが、効果が現れるまで時間がかかる。
「ゴブリンの連中も何だってこんな人里近くに着たんでしょうね」
ペピの疑問も当然だ。ミーナが雑談に応じる。
「繁殖期以外はもっと山奥の場所とかで生活するってイメージだよね」
他者を尊重するなら相互不干渉が望ましいが、そうも言ってられない。人は貪欲に生活圏を広げる。厄介事には関わらない事が一番だが、ゴブリンと人の生活圏が被る為にいさかいが起きる。
「お前ら余裕持ちすぎだろ。もっと緊張感持てよ」
溜め息混じりに太郎が言った瞬間、足音が聞こえてきた。
「来るぞ!」
グレイスとクレアが備える。
RPGのダンジョン探索だと階層を降りたり、エリアを奥に進むと敵のLVが上がりボスキャラの様な物が現れる。ここでは自分達の侵入に対してぞろぞろと敵が向かって来た。
「熱烈な歓迎だな。ペピにとっても良い練習だろ」
グレイスは笑顔で斬り合っている。怒鳴り返すペピ。
「迷惑です!」
すでに20匹以上は倒している。
ドワーフに限らず同族を討たれれば躍起になって襲いかかって来る。太郎達は招かれざる存在であり、当然の反応だった。
頭上は鍾乳石が垂れており、足元は地下水で滑る。頭を打って苛々したグレイスが呟く。
「ニワカ草はどこだ」
「洞窟の中までは調べてないらしい」
書き写したノートをヒラヒラさせる太郎。
「糞、使えないな」
太郎もダンジョン系のRPGは嫌いだった。五里霧中と言った感じの状況にフラストレーションは高まる。
「入り口までしか書いてないんだよ」
薄暗い闇の中で切り合う前衛を援護しながら徐々に進んだ。
クレアとグレイスの振るう剣はゴブリンの血と脂肪分に汚れている。切れ味の悪くなった剣を、斬り倒したゴブリンの粗末な衣類で拭う。
「疲れたわね」
そう言いながらゴブリンの頭を軽々と切り飛ばすクレア。
「だよな」
応じるグレイスも凄まじい笑みを浮かべながら止めを刺している。返り血を拭うのも億劫なのか汚れるに身を任せている。
「おっと!」
太郎の横からゴブリンが飛び出て来た。岩影に隠れていたが体臭で接近に気付かせた。
降り下ろされるゴブリンの斧を銃で受け止めながらが9㎜拳銃を引き抜く。
振り返ったグレイスの目に、太郎が組み強かれて絡み合っている姿が映った。
「何じゃれてるんだよ」
太郎が言い返そうとした瞬間、新手の集団が前方から向かって来た。
「ペピ、援護をしろ。奥にいる奴に火をお見舞いしてやれ」
パーティーは思いやりと助け合いが無いと機能しない。個人の技能が優れていても連携が出来ていないと敵に突かれる。
「私より、ミーナさんの方が得意なんですけどね」
グレイスの言葉に呟きながらも詠唱をして魔法を紡ぎ出す。郷土防衛隊で班行動の基礎を教えられていたから、役割分担の上で攻撃指示に疑問を挟まない。
「レタ・ア・マタ・ノ・ヒ」
火球が洞窟内を照らし出しゴブリンを数匹弾き飛ばした。
「息が臭いんだよ!」
怒鳴り声を上げて拳銃の引金を引く太郎。9mmパラべラム弾は組み強いていたゴブリンの腹部を撃ち抜く。
力が抜け体重を預けて来るゴブリンの体を振り払う太郎。起き上がると、まだ息のあるゴブリンに止めを刺す。
前では、火達磨になったゴブリンが叫び声をあげて転げ回っている。
「レタ・ア・タルマ・ノヒ」
ペピの放った炎は、野戦魔導師のミーナに比べると威力も小さいが効果は十分だった。見た目の派手さが敵の士気を打ち砕いた。
原始的装備しか持たないゴブリンは、最初は勢いよく抵抗していたが仲間が次々に倒され歯が立たないと理解すると洞窟の奥に逃げて行く。
「賢明な判断ね」
野性動物の本能で強敵と悟ったのだろう。クレアが額の汗を拭いながらゴブリンの判断を評価した。
パーティーの最後尾に居たリーゼがニワカ草の発見を報告する。
「在ったわ」
リーゼの周りに集まりニワカ草を確認する。
「じゃ、ニワカ草を摘んだら帰ろう」
ゴブリンは害獣と言える。群れをなし人家を襲い奪い尽くし殺し尽くす。どこの国でも討伐を定期的に行っているが繁殖力が高い。出来るなら、ここで叩けるだけ叩いておくのが望ましい。
だが、またゴブリンが出てきても自分達には関係ない。ニワカ草は情報提供の代価として渡す代物だ。必要な物を手に入れれば洞窟に用は無い。
「これだけあれば十分ね」
手分けして周りのニワカ草を集め、それぞれの道具袋を一杯にしている。クレアの言葉にミーナも頷く。
「余ったらあの道具屋に売り付けてやる?」
「街で売った方がお金になるよ」
危険手当てと言うわけだ。
女性はしっかりしていると太郎が感心していて、ふとグレイスが居ない事に気付いた。
「グレイスは?」
「一人で奥に行ったのかも」
心配はしていない。簡単に倒される様な腕ではないからだ。
「何してるんだあいつは。連れてくるから先に出口を確保していてくれ」
太郎は奥に向かいながら指示する。
(これ以上、変なイベントのフラグはいらないぞ)
ボスの類いにも遭遇せず無事帰れると思っていただけに面倒に思えた。
ゴブリンの死体がグレイスの元に導く道標になっている。
(腕は相変わらず凄いな)
感心しながら先を急ぐと剣戟の音とゴブリンの咆哮が聴こえた。交戦中だと判断し、応援に行こうと脚力を加速させる。
「グレイス──」
開けた場所に出た。
足を負傷してうずくまったグレイスがゴブリンに囲まれている。クレアの言っていた毒を思い出す。
小銃を構えて太郎は引金を絞った。背後からの奇襲、まともな防具を身に付けていないゴブリンを倒すのは簡単だ。
ゴブリンの死体がグレイスの上に将棋倒しの様に積み重なる。呻き声をあげて、グレイスは自分が生きている事を知らせる。
歴戦の傭兵と言っても無敵ではない。窮鼠猫を噛むと言う様に油断していれば、本来は格下のゴブリンに足元を掬われる。
太郎は死体を靴先で蹴りながら生死を確認し進む。
グレイスに近付き手を貸そうとした太郎だが、ふとした考えが脳裏を過った。このまま死んでくれた方が精神的に負担が軽減される。
「早く助けろよ馬鹿!」
ゴブリンに後れを取った事に対して照れ臭さもあったのか、グレイスの口調はキツい物になった。
近寄る足を止めて溜め息を吐く太郎。グレイスの心情など分からない。ただ身勝手な物言いに虫唾が走った。
言葉と言う物は難しい。些細な事かもしれないが、それがきっかけで争いは往々にして起こる。
「お前なぁ……」
2ヶ月近く行動を共にして来て、色々と我慢する事もあった。
ツンデレだと思って耐えるにはデレ成分が足りな過ぎる。
体育会系のグレイスは叱咤が激励となり人を成長させると考えている節があった。しかし誉められて伸びる人間も居る。太郎は罵声を浴びて伸びるタイプではない。
「何か、もうどうでも良いや」
自嘲気味に笑う太郎。
「は?」
不信に思いグレイスは声をかけるが太郎から返事は返って来ない。苛つきながら睨み付けたグレイスは太郎の瞳に黒い光を見た。
ベーグルに雇用された指揮系統から考えるなら太郎のほうが序列は上だが、彼女には舐められており関係改善は望むべくも無い。他の仲間への影響もありパーティーで太郎は見くびられていた。
次の瞬間、太郎は手榴弾の安全ピンを抜き転がした。
立ち去る太郎の背中と自分に向けて転がって来た物体を見て現状認識をするまでに時間がかかった。
M26破片手榴弾。その効果はグレイスも知っている。
安全レバーが跳ね上がり撃針が雷管を叩き延期薬、起爆筒、炸薬と発火、着火、爆発の行程を済ますまでに太郎が離れる時間は十分だった。
「なっ──」
言葉を紡ごうとした瞬間、閃光がグレイスの視界を覆い意識を寸断した。太郎に対する自分の行いを後悔する時間も無かった。
爆発の衝撃で洞窟が崩れる中、太郎は出口を目指して走った。途中の分岐に蛍光液体の入った棒状の物体が交通誘導の目印に置かれている。仲間の残した物だ。
任務以外での初めての殺人行為だが太郎に後悔も罪の意識も無かった。自己弁論するならグレイスの性格は太郎と合わなかった。いずれ起きるであろう指揮系統の乱れを取り除いただけだ――
砂埃を浴びて汚れる太郎の顔は、口元を歪めて笑みを浮かべていた。
「山田さん! 急いで」
明るい出口からペピの声が聴こえる。太郎が飛び出ると同時に入口も土砂で塞がれた。
「ああ、ああー。これは掘り返すのも一苦労だね」
クレアが呆れ顔で言った。ニワカ草が採れる貴重な場所だが他人事であり動揺は無かった。
「村人に教えた時の顔が見物ですね」
ミーナが意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「うんうん」
自分達をただで使おうとした村人に良い感情を持っているわけも無かった。
村人は洞窟からゴブリンを追い出して欲しかったが、洞窟まで潰されたら元も子も無い。まんまとしてやったのだ。
「それでグレイスは?」
グレイスを始末して来たばかりの太郎だったが、男として一皮向けて成長したのか心に動揺も無く平然と答える。
「ああ、ゴブリンと戦った跡はあったが見当たらなかった」
戦いの痕跡しか見ていないと言う太郎の言葉を疑う素振りも見せず、仲間からは淡白な反応が返って来た。
「そうですか。ま、はぐれても自力で戻って来るでしょうね」
子供じゃ無いんだしと言うミーナの言葉にクレアも同意する。
「だね」
付き合いは短いが、グレイスの戦士としての手腕を皆買っていた。
太郎がどさくさに紛れてグレイスを始末したという真実は土砂と共に埋もれた。
†
「山田君、わざわざ手間をかけたね。ありがとう」
灰色の頭髪に青い瞳、高い鼻の下に髭を蓄えた男性が太郎達の前に居る。シエラの夫、アルフだ。
(リア充め、もげれば良いのに)
内心で辛辣な言葉を投げつけながら太郎は謙遜する。
「いいえ、お気になさらず」
顔色は優れないが、シエラに支えられて礼を言うアルフ。青い瞳には知的な色を湛えており、学者か教師が似合いそうな風貌の小男だ。
「薬師も以前は居たんだが、老齢で亡くなってね」
「病気になったらどうするんです? こんな田舎だと大変でしょう」
田舎と言う言葉に苦笑を浮かべるアルフ。
「その時は、街まで出かけるしかないね」
雑貨屋は傷薬や風邪薬等の薬草は揃えていたが、地元産のニワカ草は用意していなかった。いつでも手に入ると言う油断が品不足に繋がった。
「それで、古代史の魔王に関して調べているそうだね」
社交辞令は終わり本題に入った。
「はい。貴方が第一人者だと伺いまして」
魔王なんて不確定要素は戦争計画を進める上でも障害か判断が付きにくい。わからないから調べるのは当然の事だ。
「はは、そこまで買って貰えると照れ臭いな。君達も宝探しで一攫千金を狙っている口かい?」
「似た様な物です」
場所を変えて書斎に通される。
「古代魔法王国を治めていたのが一般的に魔王と呼ばれる者で、絶大な権勢を誇った様だ」
何らかの重力制御で空に浮かべられた島々。亜人を産み出し従えた王。それらが伝承により伝えられている。
(話し半分としても相当な科学力を誇った王国だな)
国滅びて山河あり。記録も幾つか残っている。
見せられた古書には光輝く宝石を持つ王が描かれている。
「これは死霊山脈の近くで出土された物だ。触ってみたまえ、我々が今使っている紙よりも質が良い」
「つるつるしてますね」
市場に出回っている紙はざらざらとする。インクもペンで書いた写本ではなく印刷技術が使われていた。
「今の技術では作る事が出来ない代物だよ」
死霊山脈の周囲では、こう言った遺物や遺跡が発掘されていると言う。
「で、この宝石だが――」
指差された魔王が持つ宝石。光を四方に放っている。
「これこそが魔力を引き出す源、賢者の石ではないかと言われている」
(このパターンで行くと、次は魔力の暴走による王国の終焉か? ベタだな)
賢者の石とは魔力を増幅する何かの機械。ロスト・テクノロジーの一種ではないかと考えられた。
「擬似的な賢者の石である魔石についての研究なら各国で行われている」
魔石は結晶体で魔法の効果を増幅する性質を持つ。言わば、魔法の触媒だ。
「それで、本物の賢者の石はどこにあるんですか」
擬似的と言うからには原型を記す資料があったはずだ。
「魔法王国の王都だね。伝承によると魔法王国の王都は死霊山脈を越えた先にあると言われている。もっとも、今でも魔法の結界で守られているから越えた者は居ない。私もいつかは挑戦したいがね」
立ち塞がる壁は神秘と恐怖に包まれている。
「死霊山脈?」
「あの山は挑む者の魂を呑み込むと言いう」
シュラーダーの北部国境の先、世界の果てと言われている死霊山脈は飛竜でさえ越えられず、雲の中に入って戻ってきた者は居ない。
「幾度も挑戦する者がいたが成功した者はいない。神の雷に射たれ命を失うと文献には残っている」
(敵対勢力の支配地域を抜けて、何だかわからん山を越えろか)
パーティー1つで物事全てを解決出来る物ではない。
(はい無理。今回はここまでだな)
ドワーフ王国の戦闘が終わってないのに、シュラーダー領内を横断して行くと言う事は任務の範疇を越えている。組織に所属する以上、組織のやり方がある。
†
太郎から調査報告を受け取ったベーグルの担当者は労いの言葉もなく、任務終了を告げた。
「――で、次の仕事だが」
重要拠点であるピエトログラードが敵に奪取され、奪還作戦の支援に参加しろとの指示を受ける。




