10 ヨヨの続き
ヨヨ市内に突入したJTFは、悪鬼羅刹の様な狂獣と遭遇した。
連絡幹部を通してアニマルコマンドーからからミノタウロスの名前を告げられ、先鋒の中隊が壊滅したとの報告にコーンウォリス将軍は、まさかと呟いた。
「宝具でも手に入れたと言うのか」
その言葉に戦慄が走り幕僚はざわめく。
「宝具?」
疑問符を浮かべ蚊帳の外だった連絡幹部に幕僚のロドネイ参謀が説明する。
「子供の頃に聞かされたお伽噺ですよ」
伝承では、古代の王国は魔法文明が発達しており人を世界の端から端へ一瞬で移動させたり、空中に巨大な島を浮かべることもでき、宝具で亜人や獣を従え使役し、巨大な街をも造り上げたと言う。
「はぁ、大した物ですね」
連絡幹部は相づちを打ちながら、神話と言うより創作物の幻想世界でありそうな世界観だと思った。
「今まで確認された事は無かったのですが」
ロドネイ参謀の話振りから、所詮は御伽噺に過ぎないと思われていた事が伺える。だが現実に亜人が参戦している。
自然界での生息数は、トロールやゴブリンに比べれば希少種で数も多くない。戦闘能力もオーガに比べればましだと言えたが、生身の人間にはたまらない相手であると言う事には変わらない。
司令部が状況把握に努めている頃にも、敵と接触した味方部隊は損害を出している。
「ユラン連隊が圧されています」
「驃騎兵に支援させよう。前進命令を――」
現状を見る限り亜人の戦闘力は高い。ならば兵力の逐次投入は損害を増すだけだ。損害を抑えるにはどうするか。今まではいかに早く制圧するかだったが、今重要なのは圧倒的な戦闘力で押してくる亜人の猛攻をいかに防ぐか。エルステッド軍には日本人の手を借りるという合理的な選択が残っている。しかし、それを口にする者は居なかった。
JTFの戦略が戦術レベルの抵抗に覆される戦況。具体的な対抗策が出ないまま戦力の逐次投入が行われる。
「宜しいですか」
推移を見守っていた連絡幹部が焦れて口を開く。
「幸いにして亜人の数もそれほど多くありません」
都市に若干の被害が出るが、空爆でミノタウロスの展開する区画ごと始末してしまおうと提案する。
それに対してエルステッド軍の指揮官、幕僚達は反応が薄い。建物の確保と言う王の命令に縛られていた。
(まだまだ甘いな)
第2次世界大戦中、第3次ハリコフ攻防戦でパウル・ハウサーのSS装甲軍団は総統の死守命令に逆らい後退した。命令違反ではあるが、後にソ連軍を叩き戦略目標のハリコフも奪還している。戦況に合わせ無理をせずに戦い、損害を最低限に抑える見極めは指揮官に求められる技能だ。パウル・ハウサーは正しく選択をした。
政治判断が絡むと軍事行動は制限され手緩くなる。エルステッドの貴族達には、勝たねば負けるのは自分達だと言う自覚がない。コーンウォリス将軍も例外ではない。
戦争は突き詰めればいかに合理的に効率良く敵を倒すかが重要だ。卑怯などと言うのは言い訳に過ぎない。競技ではなく戦争なのだから、強さとは武器の力だ。相手より優れた兵器を持てば勝負は楽に終わる。お上品に相手に合わせて戦い、負けては意味が無い。
コーンウォリス将軍の視線はノートPCのモニターに映し出され航空偵察の映像にあり、連絡幹部の言葉は素通りしていた。
「戦争で損害が無いなんてあり得ない。命令服従する事だけが正しいとは限らない」と喉元まで上がってくるが言葉には出さない。
冷ややかな反応に、黒い羊はどこの群れにもいると言う言葉を思い出す。
(この場合の異分子は、王の命令に縛られない自分か)
日本人の目的は資源の確保、王侯貴族のご機嫌を取ることだ。敵を効率よく排除する事ではない。彼等の面子を保つ為、裏方と言う事を忘れてはならない。
(それにしても、虫にミノタウロスか。今後も強力な敵が現れるなら装備の高上が必要だな)
ここには未だ人跡未踏の秘境が存在した。日本人にとって未知の生物はまだまだいる。
戦闘本能だけで動く野獣は、人を凌駕する力を見せる。亜人も同様だ。幾ら鍛えられた部隊とはいえ、ミノタウロスと正面から戦っても人間には対抗できないと損害が物語っている。
最悪の場合、勢いに乗じて敵が包囲を破る可能性も考えられた。
小さいとはいえ、万単位の残党が逃げ込んだ街。市街戦は兵を飲み込むと言うのも頷ける。
戦争に必用なのは感情ではなく兵士。投入された第44大隊戦闘団は歯車としての役割を果たしていた。敵の反撃で味方は崩れている。前進を阻止すべく矢が敵に向かって放たれていく。
敵は2人掛かりで向かって来る。数で勝るエルステッド軍に対する対抗手段だというが、局地的に見れば包囲軍の一部しか攻撃に参加してない。敵の方が数で勝っている。
「糞くらえっ!」
敵の顔面に斬撃を叩き込み頭を半分切り飛ばした。彼我の兵士が敵を倒し生き残るために戦う。永遠に思える闘争。だが兵員にも限りはある。
第44大隊戦闘団には弓兵から有りったけの矢玉が援護として放たれた。亜人の強靭な肉体の前では効果が薄く、気休め程度にしかならないが、同じ人間相手なら十分だ。効果は敵の呻き声や叫び声で確認できる。
弓で無双は出来ない。弓兵は離れた所から狙撃する様な運用をしない。求められる効果は砲兵に近く敵の突撃破砕、制圧、阻止。一般部隊と同様に組織編制されないと戦場では使えない。
致命傷に至らない場合は苦痛と障害を与える。運の良い者はその後に止めを刺される。
矢山小隊に損害は今の段階では出ていない。だが末端の兵の命は安い。
一般隊員は出向の自衛官の様に特別職国家公務員でも正社員でもないが、各種保険に入っている。企業の様なサービス残業はない。 未経験の戦場が体験できる。日本人の品性を貶めなければ、勤務時間外に何をしてもかまわない。
ミリオタには趣味と実益を兼ねた職場で、様々な戦闘を経験できるが、契約期間中に死ぬ確率が高い。
その為、契約期間の更新を受けるか断るかの返事は自分自身に委ねられ、会社に縛られる事無く自由に退職できる。
「3班が亜人と遭遇。追尾を受けています」
ミノタウロスの追跡から撒こう住宅街を移動中だった。
「他の班は異状無く後退中か」
まともに相手をして混戦に巻き込まれては意味が無い。弾薬がどうしたって少なすぎる。
「空からの支援を要請してはどうですか?」
先任が手っ取り早い解決策を進言する。現状の交戦規定では、手足を縛られては動けない。
「中隊長がLOを通して交渉中だ」
王の命令は絶対と言う価値観で過ごしてきた貴族にとって、忠誠こそ名誉だ。命令を違えると言う考えはない。組織の維持、国家の統治と言う面では良い事だが、柔軟さがない。
(だからこそ、革命軍を根絶やしにするとも言えるか……)
王に逆らう反逆者にかける情けはない。平和の為と言う出来レースとして、この戦闘も痛ましい過去の記憶として直ぐに風化する。
実戦を経験した者は、言われる前に行動が出来る。経験から死の脅威を察知する。
対策を考えるまでJTF司令部は、これ以上の損害を抑える為、戦況の如何に関わらず前進を停止した。
日本人もまた、危険が迫らない限りは淡々と任務をこなすだけだ。
今現在、敵の追撃を受けている3班は、敵の注意を引き付け中隊残余の撤退を支援し、後衛の任務を十分果たしていた。
「曲がれ、曲がれ!」
走れば良いと言う物ではなく、方向転換で敵を撹乱する。
追い付かれれば確実な死が待っている。援護しながら交互躍進と言う教範通りにはいかない。荒い呼吸を繰り返しながら、ひたすら走っていた。
当初、8体確認された追跡者は2体に減っている。
(このまま逃げ切れれば良いが……)
危機的状況で命の軽さを実感する。
アニマルコマンドーは人材を派遣する会社だ。太郎達は契約社員として派遣先で働くのが職務。
言ってみれば派遣会社と契約を結び給与を貰う形だ。
職場は地域の巡回、輸送警護、直接戦闘等多岐にわたる。契約先は現地政権であるエルステッド王家であり法的にも地位は守られている。
雇用契約を日本政府と結ぶので、調子に乗った貴族から無理難題を吹っかけられた場合は実力で排除する事ができる。
雇用契約の期間は3ヶ月で、双方の同意が得られれば引き続き働く一般的な雇用形態だが、多くはそれまでに戦死又は負傷し、あるいは自主的に退職していく。代わりは補充する為、辞めたい者は引きとめない。
「あそこに入るぞ」
平屋の民家が目の前に見える。建物に駆け込んだ。中は家具が少なく穀物倉庫か、集会場の様だった。高橋は扉の前に手近な机を立てかけた。
(あの怪力では気休めにもならないだろうな)
他の班員は、無線で連絡を取ったり、負傷者を奥に連れていき休ませたりしている。状況は、既に棺桶に片足を突っ込んでいる。
2階から呻き声が聞こえた。跳び跳ねそうになりながらも声は出さない。お互いの顔を見合わせる。班長に続きそっと階段を移動する。
敵の負傷者が置き去りにされていた。騒がれたら敵に気付かれてしまう。
決断は早かった。素早く銃剣で刺殺を図る。
傷が重いと言うのもあり、近寄る気配にも気付かない敵兵。
「がぁ……!」
刺された瞬間、口を開き眉間に皺を寄せ苦悶の表情を浮かべた。絶命する瞬間の生にしがみつこうと言う意思、刺された事に対する恨み。そう言った諸々の感情が瞳に現れていた。死体をそのままに、配置に就く。
(弾の残りが少ない)
それが不安だった。
壁の隙間から外を窺っていた高橋が短く告げる。
「来た!」
ミノタウロスは鼻が良いのか、太郎達の潜む建物に真っ直ぐに向かってきた。
「何で分かるんだよ」
発汗による体臭や硝煙が動物的嗅覚で感知されていた。
(チート過ぎる性能だな)
体当たりは扉を突き破る所か、玄関から扉を5mも吹き飛ばした。
吹き飛ばされた扉を受けて伊賀が咳き込んでいる。
(何て馬鹿力だ)
唖然とするが班長の指示が飛んだ。
「撃て!」
ミノタウロスの上半身に射撃を集中した。恐るべき亜人とは言え、減装薬とは言え至近距離から7.62㎜弾を食らった。戦斧を落とし血を流して倒れる姿を見て息を吐く。
血を流しているが致命傷ではないのか倒れながらも動いていた。
「糞まだ生きてやがる。あまり効いてないのか」
7.62㎜NATO弾減装薬が殺害に至らないにしても、傷を負わせ動きを鈍くするだけの効果はある。残りの弾数を気にしていられない。連発に切替え弾幕を張った。
弾幕を張ると言う選択は、悪い物ではない。
ミノタウロスの生命力に呆れながらも、止めを刺そうと高橋が近付く。広がった血溜りに油断したのかもしれない。
「待て」
班長が制止するも、倒れていたミノタウロスの体がぶれた。
弱ったふりをして相手の油断を誘う。単純な手を見抜けなかった――
理解した瞬間には遅く、高橋にミノタウロスの手が伸びていた。
鷲掴みにされた高橋の頭部が鉄帽ごと握りつぶされた。呆気なく潰れた頭蓋骨。脳髄や血液が顔の穴から溢れる音が耳をつく。崩れ落ちる高橋の体を受け止めようと秋山の顔に血飛沫がかかる。
秋山の腕が高橋に触れる前に、ミノタウロスに掴まった。
人形の様に、秋山の腕が肩からもぎ取られ班長に向かって投げられた。秋山は傷口を押さえしゃがみこんで絶叫をあげる。射界の邪魔になって射てない。
(笑った)
太郎にはミノタウロスの口角がつり上がった様に見えた。
(手榴弾!)
太郎は手を伸ばして空を掴んだ。
(あ、糞……)
建物に被害を与えるなと言われたので今回は持って来ていなかった。
班長は奥の階段に視線を向け指示をする。
「上だ、上に行け!」
班長の手には手榴弾が握られていた。
(班長は持って来ていたのか)
ミノタウロスが秋山の頭を蹴り飛ばし瞬殺した。
(すまん)
助けられない事を内心で謝罪しながら、階段を駆け登った。
班長は手榴弾を階下に落とす。爆発の振動を背に受けながらも倒したと言う確信が得られない。
窓から外を見ると夕日が沈みかけていた。他のミノタウロスが路地をうろうろしている姿が見えた。
「班長、外にはまだあいつの仲間が居ますよ」
どうやって逃げるか質問をした。
敵から見つから無いように逃走できれば言うこと無いが、何処に敵がうろついているか分からない。
「屋根伝いに移動する」
少なくとも制空権は握っている。上から叩かれる恐れはない。
「よっ、と……」
窓から屋根に上がり3班は隣の家に屋根伝いで移った。ミノタウロスがいかに化物染みた身体能力を持っていると言えど、跳躍力が2階建ての屋根まで上がれるとは自分達の知識では現実的に考えられなかった。それでも気付かれない様に、音を殺して進む。
(ゲームとかだとヘリコプターが迎えに来るけどな)
太郎の前を進む伊賀の姿勢が崩れた。
「あっ……」
手を伸ばして止める間もなかった。腐った屋根の部分を踏み抜いて、伊賀が屋根から滑り落ちた。背負っていた携帯無線機も当然、一緒だ。
「ううっ」
呻き声をあげて悶える伊賀。足を骨折している。
「伊賀!」
「足が……」
起き上がれない伊賀に物音を聞き付けてミノタウロスが殺到してくる。
「糞!」
屋根から降りようとする太郎を班長が押し倒した。
「敵は俺達に気付いていない。動くな」
それは、伊賀を見捨てると言うことだ。
激情に駆られ班長に何か言い返そうとする太郎の耳に悲鳴が入る。
「助けて、助けて!」
泣き声をあげる伊賀を前に、弾を使い切った太郎は手も足も出なかった。目の前で降り下ろされる戦斧が伊賀の腹部に食い込んだ。みしみしと音を立て肉の繊維を切り裂く。伊賀は驚愕の表情を浮かべながら血を吐き出し痙攣した。
スプラッター映画さながらの解体を見せられる。
伊賀をバラバラにすると満足したのかミノタウロスは去っていく。惨殺される様を茫然と見ていた太郎と井上に声がかけられた。
「行くぞ」
班長の指示に反発を持ったが、戦場で生き残りたければ従うしかない。
「行こうぜ」
井上が促し太郎は起き上がる。
屋根からそっと下を覗き周囲を確認する。敵兵の姿は見当たらない。戦場の騒音は無く静かだ。
荷車に積み上げられた乾し草の上に飛び降りる。
細い路地を走っていると猫鳴村での戦闘を思い出す。
蝿が目の前を飛んでいた。羽音に煩わしさを覚え、停まった壁を殴る。食事を終え満腹していた蝿は、壁を汚す染みに変わり果てた。
空が飛べれば帰れるのにと、太郎の思考を霞める戯れ言。視界の隅に蝿の集る死体が見える。
顔面を砕かれて赤い肉の断片を覗かせた死体が仰向けに倒れている。野晒しになっているのは、他の仲間が逃げ出した後だと解る。腐敗はしていないが死の臭いがする。
高橋と秋山、伊賀が死に、3班で生き残ったのは3名。脳裏から呼び起こされる仲間の死に様。
全く緊張感が無かった訳ではない。それでも敵は弱体化していると楽観視していたのは否定できない事実だ。
状況だけ見れば、街は包囲され敵の補給も遮断されている。邁進がエルステッド軍だけではなく、アニマルコマンドーにもあった。
「ピクニックのようなものさ」
そう言っていた同僚が死体になった。
(まだ死にたくはない)
「振り切った様だな」
緊張感が解れ大きく息をはく。
今更ながら手足が震えている事に気付いた。
死と対面して怖かったのだ。
第3班現在員2名、事故4名。
事故の内訳、伊集院入院。高橋、秋山、伊賀死亡。




