第三幕 佐々木小次郎
雪が溶け、梅の花が咲き始めても、先生の容態は一向に回復しませんでした。
ただ、一日二度の薬湯が先生の命を細々と繋いでいます。
病は一切の慈悲も一片の容赦も持たず、日に日に先生のお体を蝕んでいきます。
雪解けまで持たぬだろう、とおっしゃられたお医者様は、春まで持った事を驚いていらっしゃいました。
その頃には、血を吐く事も珍しい事ではなくなりました。
先生が血を吐かれた時、私は桶を抱えて先生の痩せ細った背中を撫でます。
目も見えにくくなったという先生の横顔を見て、私は不意に思いました。
先生は何か大きなものに生かされているのではないか、と。
先生は来るべき何かを待っているようにも見えました。
それが一体何なのかは私には分かりませんでした。
ただ、恐ろしくありました。
たとえそれが何だとしても、先生の命を奪っていくものに間違いはないだろう、そう思っていたのです。
卯月の頃、円明流宮本武蔵様と言う武芸者の門下を名乗る人が、小倉城下に現れたという話を、先生のお屋敷に出入りする小者から聞きました。
諸国を武者修行のために巡る武芸者が城下に現れる、と言うのは昨今良く聞く話で、別段珍しくはありません。
しかしこの時ばかりは。
私は不穏なものを感じずにはいられませんでした。
そして、嫌な予感と言うものは、往々にして当るものなのです。
最初は、不幸な行き違いでした。
不幸な偶然は偶然を呼び込み、もはや避ける事ができないまでの最悪をもたらしたのです。
私は事の経緯を詳しく存じませんが、先生の門下と宮本様の門下の諍いが事の発端であった事は間違いないようです。
どちらが先に手を出したのか、非は果たしてどちらにあったのか。
それはもはや分かりません。
ただ、危うく刀を抜きかけた両方を収める手段として、両者の代表として、佐々木小次郎先生と宮本武蔵様が立ち合い、事の決着をつけ手打ちとする事だけが決まりました。
なんと無体な、と先生を知る者ならば誰もがそう思ったでしょう。
先生は御歳七十八歳、しかも立つこともできぬ死病を患っているのです。
対して宮本様は齢二十九。京で名高い吉岡一門を破り、今まで六十回余りの試合全てに勝利を収めてきたと聞いております。
誰がどう見ても、先生に勝機など有りませんでした。
しかし、どれだけ佐々木門下の者が事情を釈明しても、宮本様の門下の方々は引き下がろうとしませんでした。
恐らく、最初から病身の先生を試合まで引きずり出すための宮本様の策略だったのだと思います。
宮本様は、一方的に日取りと時間まで決められました。
――卯月の十三日。船島にて辰の上刻、決着つけ候。
明後日です。
翌早朝、佐々木門下の者達が、先生がお倒れになられてから使われる事のなくなった講武堂に集りました。
本来ならば私は出席もままならない身なのですが、先生の身辺をお世話し近状を詳しく知る者として特別に末席に座る事が許されました。
議論は一つしか有りません。
どうやって今回の試合を収めるか。
まさか向こうの言うとおりに、病身の先生に試合っていただく訳にもまいりません。
議論は大きく二つに別れました。
一つは、降参する事。
一つは降参をよしとせず、佐々木門下全員が宮本様の円明流に戦を挑む事です。
兄弟子達はしきりに議論を飛び交わせ、悩みに悩みました。
夕刻、結論が出ました。
今までずっと黙っていた一番年長の兄弟子、市川与左衛門様が、場をまとめる決断を下したのです。
「我ら佐々木一門は、円明流に降参する旨とする」
無念に泣く者もありました。
怒りに顔を真っ赤に染める者もありました。
私はその時見たのです。
何年か前、朝稽古の後に先生の秘剣の事を話していた二人の兄弟子が、悔しさに拳を握り、歯を食いしばって肩を震わせているのを。
私は気付いたのです。
私達佐々木門下は。
皆、先生が好きだったのだ、と。
たとえ城内で物干し侍の弟子だと言われ、からかわれても。
先生の強さが疑われても。
先生が変わった人だと思いながらも。
戦を挑もうと言う兄弟子達の中にあったのは、流派の名誉を守ろうという気持ちではなく、先生を守りたいという一心だったのです。
私達は皆、先生のあの武芸者には見えない優しいお顔が好きだったのです。
先生。
ああ先生。
私も先生が大好きです。
あの優しい笑顔が好きです。
笑われても平然としていた先生が好きです。
刀を構えた時に見せる真っ直ぐな眼差しが好きです。
私達門下に、自分の剣術をご教授されなかった先生が好きです。
先生の静かな生き方が好きです。
私は、先生のお屋敷に戻ると、横になられた先生に事の次第と、佐々木門下がこれからどうするか、議論で決まった事全てをお知らせしました。
先生はただ、もはや見えぬ眼で天井を静かに見つめ、
「そうですか」
と一言おっしゃられ、眼を閉じられました。
夜半、何やら物音がしたので私は眼を覚ましました。
私は、先生のお部屋の隣室をお借りして寝起きしております。
もしや先生が血を吐かれたのかと思い、襖を開け、私は驚きました。
夜明けの遠い薄闇の中で行灯も灯さず、ただ月明かりだけが照らすお部屋の中で、先生は立っていたのです。
先生は私が起きた事に気付いたようでした。
「起こしてしまったようですね。出来れば支度を手伝ってもらいたいのですが」
「支度、ですか。一体――」
そこで私は気付きました。
先生は恐らく、いいえ間違いなく試合に向かうおつもりなのです。
「夜が明ければ、船島に向かわなければなりませんので」
私は先生の足元に跪き、懇願しました。
「お願いです先生! どうかお止め下さい! お願いでございます!」
死んでしまいます。
宮本様に殺されてしまいます。
本当はその時私はそう言いたかったのです。
ですが言えませんでした。
先生はすでに死ぬおつもりだったのです。
私はただ、幼い童のように泣きすがる事しかできませんでした。
先生は、ゆっくりと膝を曲げ、私の肩に手を置かれると顔を上げるようおっしゃいました。
「私は行かねばならぬのです。私の身はすでにいつ死んでもおかしくない身。それが今日まで生きながらえた。これは恐らく天の意思でしょう。我が巌流と円明流、武芸者としてどちらが勝るか、この命をかけて雌雄を決せよ、と」
先生はやはり苦しいようで、先生の言葉の節々にはひゅうひゅうと笛の吹くような音が混じっておりました。
「私は、死が近づいている事を、知っています。ですが私は武芸者です」
先生の手からついに力が抜けました。生気に乏しい先生のお顔が俯き、額が私の肩に寄せられます。
私は先生のやせ細った背に腕を回し、しっかりと抱いて驚きました。
すっかり軽くなった先生のお体は、生きておられる事が不思議に思うほどに冷たかったのです。
「私は、病に倒れた際、このまま死ぬのだと思いました。日に日に衰え、刀も握れず、立つ事ままならず、このまま死ぬのだと思いました。しかし、」
ごほごほと胸に直に響く咳をなされた先生は、私の腕の中でおびただしい量の血を吐かれました。
夜目にも鮮やかな血は、私の夜着を濡らしました。
ますます涙が出ました。
血が先生に残った僅かなぬくもりを奪っていきます。
病が先生に残った微かな命を奪っていきます。
私は何も出来ず。
ただ、泣きながら先生を離さないように抱いていました。
少しでも力を抜いてしまうと、先生は二度と戻れぬ船島に行ってしまう気がしたのです。
「ですが、最期の一時を待つ事無く、宮本殿が現れた。ただ寝たきりのまま死を待つ事ではなく、自ら赴き、刀を抜き、死に対する事が出来る。これは幸せな事です」
先生の吐かれる息が、先生の鼓動が、次第に細く弱くなっていきます。
「私は、佐々木小次郎は武芸者として生きた。剣の他には何も知らず生きた。ならば、最後まで、死ぬ瞬間まで佐々木小次郎という武芸者として生きたい」
先生は確かにここにおられるのに。
「たとえ、我が武運拙く宮本殿に敗れ散り、骸を晒す事となろうとも」
先生は生きておられるのに。
「私の我儘を聞いて下さい。私に意地を通させてほしい。私を許してほしいのです」
納得などとても出来ず、口も開けずに私は首を振りました。
初めて私は先生に背いたのです。
以前、先生が何か大きなものに生かされていると考えた事がありました。
ですが。
宮本様と試合うために生かされていたのならば、先生は死ぬために生かされていたという事ではないですか。
それが天の意志だというのですか。
だとしたらあんまりではないですか。
何故先生が死なねばならないのか。
どうして静かに死を迎える事がいけないのですか。
武芸者とは何なのですか。
武士とは。
侍の矜持とは。
刀を持つとは。
死ぬために生きる意味とは。
どういう事なのですか。
お願いです。教えてください。
先生。
「は、あ、」
先生は苦しげに息を吐き、お顔を上げられました。
「じきに世は徳川の天下となるでしょう。機運に聡い殿も羽柴の名を捨てられ、名を細川に戻される。きっと泰平の世が来る。そうなれば、女子が刀を持たなくとも良い時代になる」
「やめて下さい先生。私は、私は先生に剣を学べて幸せでした。お傍にいられて幸せでした」
「あなたは、泰平の世で生きるために生きて下さい」
「いやです! その時は先生も一緒です! どうか、どうか私とともに――」
泣く私を見上げ、初めてお会いした時と同じく、先生は穏やかに笑われました。
「あなたは優しい人ですね」
その途端、先生のお体から、最後の最後まで残っていた何かが途切れました。
あ、あ、ああ。
先生が。
先生が。
先生、先生お願いです。
どうか返事を、返事をして下さい。
お願いです先生。
どうかお返事を――




