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第一幕 先生

 私の剣の師は、佐々木小次郎という人です。

 私の父は、豊前小倉城主羽柴越中守様の母衣衆を勤めておりました。

 そのご縁で小倉藩師範役である佐々木先生に弟子入りする事が出来たのです。

 先生は確かに長身でありましたが、武芸者と言えば肩の広い体躯の立派な人が多く、また御城に出入りする父の御同僚の方々は皆逞しくありました。

 私が十二の頃、すでに先生の髪は雪のように白く、顔の皺は深く、手足は冬の細木のようでした。

 それが私には奇異に映ったのです。

 さらに悪い事に、先生は目細でいつもにこにこと笑顔でいらっしゃいました。

 場所が講武堂でなければ、ただの老人にしか見えなかったでしょう。

 ……この方は本当に我らに剣や兵法を教授できるほど強い人なのか。

 その時私はそう思いました。

 今思えば何も知らぬ童の目であった、と後悔する事しきりなのですが。

 ですが、すぐに疑念は晴れたのです。

 先生は板張りに正座する私の前に座り、双眸の高さを私と同じくすると、


「佐々木小次郎と申します。よしなに」


 と穏やかに仰いました。

 その時の先生の目。

 白くなった眉と皺に隠れた眼が、まるで刀が鯉口を切られて鞘からスッと抜かれる一瞬のように鋭く光ったのです。

 私の心にあった疑念の雲は、陽光が差し込む冬の晴れ間のように消し飛んだのでした。

 先生は変わり者であったと弟子ながら思っております。

 まず、名前が変わっておりました。

 幼名のままで名前を持っておられなかったのです。

 先生は自らが起こした流派にちなみ、巌流と号しておりましたが、先生はなぜか自分からその名を使う事はありませんでした。

 稽古の合間に、一度気になってお聞きした事があるのですが、先生は、


「元服を行うのをうっかり忘れてしまったのです」


 と、いつものように笑顔ではぐらかされてしまいました。

 そんな馬鹿な話はないだろう、と思い、最初の内は事ある事にお聞きしたのですが、答えはいつも同じ。

 ついには、あまりしつこく何度も聞くのは不敬だろうと思い、聞く事もなくなりました。先生の名前は弟子の私にも分かりません。

 次に変わっているのは先生の佩刀です。

 いえ、正確には腰に差しているわけではないのです。

 先生の刀は備前長船長光という銘です。

 これがただの刀ではなく、長さが三尺三寸もあるのです。

 こんなに長い刀を腰にできる訳もなく、先生はいつも右手に携えておられました。

 刀があまりにも長いので、先生の刀は『物干し竿』と呼ばれ、先生はその物腰から『物干し侍』と城内で影口を叩かれておりました。

 影口を聞くたび、私や弟子の者達は歯痒い気持ちになるのですが、なぜ先生が抜刀するのも大変なこのような刀をお持ちだったのでしょう。

 一度だけ刀に打ち粉を打つ先生に聞いた事があります。

 先生の剣の師は、富田五郎左衛門入道勢源様という、中条流小太刀を学んだお方らしいのです。

 小太刀の使い手であった富田勢源様は、越前朝倉家に仕えておられた頃に眼病を患い盲目となったため、家督を弟治部左衛門様にお譲りになると、若かった佐々木先生を従え、諸国遊行に出られました。

 先生は若い時分、富田様が自らの小太刀修行に延々と立ち会い続け、富田様がどんどんと刀を短くしていくにつれ、先生の刀は合わせてどんどんと長くなっていったそうです。

 そうしてついに先生の刀は『物干し竿』と揶揄されるほどの極端な長さになってしまいました。   

 いくら師の言いつけとは言え、あまりに惨い話です。

 剣は長い方に利があり、短い方が不利です。

 剣術では、同程度の力量を持つ者同士が立ち合った場合、刀の長さが勝負を決めると言われるほどなのです。

 長い方が有利といえども限度という物が有ります。ここまで長くては取り回しが不便で仕方ありません。

 先生は長刀に対し不利な小太刀を極めようと試みる富田様の犠牲になったようなものなのですから。

 私は、城内で後ろ指を差され笑われる先生に、たまりかねて言いました。


「先生。不敬と承知で申しますが、先日お聞きしました話、富田勢源様というお方はすでにお亡くなりになられたのでしょう? ならば、もう刀を尋常な長さに変えても良いのではないでしょうか」

 

 先生は少し驚いたような顔をなされ、次にいつもの穏やかな顔になり、


「あなたは優しい人ですね。『物干し侍』と呼ばれる私の事を思って言ってくれたのでしょう」


 何も言う事が出来ず、私は頷きました。

 先生は右手の刀を私にも見えるように持ち上げて仰いました。


「この刀とは、腐れ縁とも言える長い付き合いです。もはや体の一部、いや、分身と言っても良いでしょう。『物干し竿』は私自身なのですよ」


 この時、私は先生のおっしゃられた事の意味を半分も理解しておりませんでした。

 武士が剣とともに生きるという意味を。







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