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第三夢十夜 序・あまり憶えていない友人(第二十夜)

作者: 前田雅峰
掲載日:2026/07/04

※各著作をKindleで電子出版しています。 https://www.amazon.co.jp/s?k=前田雅峰&i=stripbooks&dc

 序


 私の夢は私を責める事が多い。慰めるのではなしに。本当に、これは一体どうした事なのか。睡眠時間がこれだったら人はいつ休息すればよいのか。私はいつもその事を思う。そしてその夢の所為(せい)で起きている時間にまで苦しむのである。

 しかしよく考えてみると、私の夢は私を責めるのであるが金切声で私を指弾したりはしない。若しもそんな話だったら私だって同じ様に正気を失って無我夢中で叫んで反論しただろう。だが私の夢が私に送る呵責はいつも私自身の姿をあらためて精緻に私の眼前に展開する、それを私が見ない事が出来ない様にして冷徹に冷酷に明白に見せるという形態をとる。これ以上に恐ろしい拷問が考えられるだろうか。逃げられない。だってそれは正しくこの私なのであるから。

 私を脅かすもの、そして私を支え助けるもの。


 私は今の職場に二十年以上勤めている。だが現在の私の職場が如何なるものか、それは説明する必要も無いだろう。私はこの職場に数多く巣食う、上にへいこらする連中が虫唾の走る程に嫌いだった。何だかんだ言って彼奴らは馬鹿で利己的で永年のそんな生活と人生のために顔も()うの昔に獣じみてしまっている上に、上司の命ずるところであれば無批判にそれに従うのだった。結局要するに自分の身を護る事が全てだった訳だ。私はこの職場での勤務時間中ずっと思っていた。

「幾ら上司の命令だからといって、一度自分の人間性に照らし合わせてから意見を言うべきではないか」

「善い悪いの判断まで放擲してしまったら、それは最早(もう)人間が生きているとはいえない。そんな事までして生き残りたいのか」

 だから私は職場の誰一人として心打ち解ける事は無かった。意識的に頑強にそれを拒んだのである。その事だけ言っておけば最早それで十分だろう。私は連中と口もきかずに二十年という時間を過ごしてきた。私がこの職場で過ごしている時間は懲役という言葉が一番似合っていた。だがそんな私が或る日夢を見た。私の知らない私と同世代の男女が数人、私に親しく話し掛けてくる。不思議な事に私もそれに応じて打ち解けて言葉を交わしているのだ。

「中々貴方の様にはいかない。大したものだ」

 誰かが何かの事に就いてそう言って私の事を褒めた。

「いや、そんな事はないですよ。少しコツを掴めば、これくらいは誰にだって出来ます」

 私はそれなりの笑顔でそんな返事をしていた。皆が皆私に笑顔を向けながら何か問い掛けてくる。私はその一々に丁寧に応対していた。実際私も楽しかった。

 ところが……そのうち私の心に奇妙な感覚が湧き起こってきた。それは私が彼らの事を知っている、確かに以前何処(どこ)かで会った事がある、というものだった。随分と昔の事だ。しかしいつの事だったのか、私が如何なる立場に居た時の事か、それが分からない。私は考え始めた。

「おかしい。私は今の職場に来て二十年になる。その間心を許した友人などただの一人もいなかった。皆一人残らず滓ばっかりだったからな。そしてそれ以前というと学生時代という事になるが、これは誓って言える、彼らは私の学生時代の知り合いではない。私は学生の頃彼らと出逢ってはいない。こんな友人達はいなかった」

 私は再度私の歴史を詳細に反芻してみた。だが矢張思い当たる事実は無かった。

「学生時代でもない、趣味の友人でもない、旅先で知り合った……、いや、若しもそうだったら私が忘れる筈が無い。不思議だ。何故だ、一体何処(どこ)で……、思い出せない」

 しかし(やが)て私は或る事に思い当たった。

「そうだ。学校を卒業して今の糞職場に来る前、ほんの三ヵ月だけアルバイトをした事があったな」

 その途端、私は思い出したのだった。その時の私のアルバイト先で四五人の知り合いがいた事を。知り合いといっても彼らは私が店頭に売り子として立っていた店に時々買いにやって来る客だった。三回か四回だけ店で話をした事がある。いや、そういえば当時私は知り合いに手紙を書く事を趣味にしていて、はっきり記憶してはいないが住所を訊いて彼らにも手紙を書いたかも知れなかった。それに、そうだ、それから一度だけその私のアルバイト先の店からさして遠くないレストランで彼らと食事をした。私の給料日の事だった。何か安いものを注文してそれで皆で食べた事があった……。

 その記憶が私に戻って来た刹那、私は顔から血の気が引いていく様な気がした。私はその場で身動きが取れなくなり金縛りに遭った如くに固まってしまった。私を取り囲んでいた彼らは瞬時に霧の如くに消えて仕舞った。目覚めた私は何ともいえず気味の悪い心地になった。

「何だ、今の幻は。私は一体何故そんな事を今思い出すのか。この二十年間、本当にそんな記憶は全く私の中に甦ってこなかった。完全に忘れていたのに。突然何の理由も無くそんな事を二十年も経ってから思い出すというのは一体どうしてなのか。私は私を貫く。だから職場の糞みたいな奴等しか私の周囲に居ないのだとすれば、それはそれで一向構いはしない。此方から願い下げだ。相手にしないだけだ。だがどうだ、私が見た幻というのは。最早記憶の彼方(かなた)に沈み消えて仕舞っている、あるか無き殆ど重量の無い軽い事実を今私に思い出させて私に何を伝えようとしているのか。私はそんな幽かなものに頼りはしない。私が信頼を許すのはもっとどっしりした、影を濃く判然と地に印する完全な実体だ。そんな在るのか無いのか判ったものではない消え入りそうな小さな記憶なんかでは断じてない。何だって私の心は今頃になってそんなものを私の夢に登場させるのか。まるで私がそれを乞い求める、それに餓えているかの様に! ふざけるのはやめてもらいたい。私はそんなものは欲しくない。私の人生の全ての経験が挙げて私にそう命じている。私は私自身の歴史を離れて、そこから獲得した指針を裏切って、そんな幽霊を欲しがりはしない! そんな事は自明な事ではないか。一切の疑いを容れる余地が無い」

 私は全力で自分自身にそう叫び続けていた。しかし同時に次に述べる如きこんな感覚もはっきりと意識していたのである。

「そうだ。彼らとは色々話が出来た。勿論そんなに深い内容に就いてまで話の出来る知り合いではなかった。けれども、それでも世間話程度であれば普通に陽気に喋る事が出来たのだ。何も敵対していた訳ではない。それなら……、それなら私はその後私がこの職場に入った後になっても彼らと年に一回くらいは手紙のやり取りをするべきだったのではあるまいか。ずっと続く交友から何事か信頼出来るものが育つという事だってある。それなら彼らに対してはせめてそうするべきだったのではないだろうか」

 (やが)て私は心に叫ぶ事が出来なくなった。私の体内のエネルギーが尽きたというよりは私が叫んでいた時に心を占拠していたものに私が興味を失ってしまったと謂うべきだろうか。そう、私は全く別の事に既に気が行っていたのである。

「私は不幸なのか。私が正しいか正しくないかに関係無く、私は幸せではないのではないか。何故かそんな気が強くする。若しかして私は詰まらないものを詰まらないと判断し指摘する事ばかりしていて、私自身が真実に尊いと思い見做すものを獲得する為の努力を全く払っていない、そんな生活をしてきた、また現在しているのではないか。馬鹿らしいものに軽蔑を向ける事は何も間違ってはいない。それで正当だ。けれどもそれと自分が尊いと認めるものを創り上げる事とは全く別の事だ。私は愚かで(きたな)らしいものを軽蔑する事をして、それで何か意味のあるものを創って生きている気がしていたのでは……。そうだったとしたら、若しも本当にそうだったとしたら……」


 此処(ここ)で目が覚めた。

 ブログは毎日更新しています。

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