第十五話 『poolrooms』
Poolroomsは静かだった。
静かすぎた。
水面が揺れる音だけが、白いタイルの空間に反響している。
それ以外、本当に何もない。
風もない。
蛍光灯のノイズもない。
ただ、青白い光だけが延々と続いている。
……なのに落ち着かない。
俺は膝くらいまで浸かった水を見下ろした。
透明なはずなのに、妙に深く見える。
底が見えない。
いや、実際には浅いのかもしれない。
でも、“深い気がする”。
それが嫌だった。
「怖い?」
横から羽吹が覗き込んでくる。
「……別に」
「強がるじゃん」
「うるさいですよ」
こいつ、いつもヘラヘラしてるくせに妙に人の顔を見る。
俺は視線を逸らした。
黒瀬特区の海を思い出していた。
沈んでいく研究施設。
暗い海。
海母。
巨大な影。
……ダメだ。
思い出すだけで息が詰まる。
「Poolroomsってさ」
羽吹が水面を軽く蹴る。
「人によって怖さ違うんだよね」
「どういう意味だよ」
「深い場所が怖い人もいるし、静かな場所が怖い人もいる。君は多分、“沈む”のが嫌なんだ」
図星だった。
少しイラッとする。
「……なんでも分かったみたいに言うな」
「結構分かるよ?」
羽吹は笑った。
相変わらず掴めない。
こいつを見てると、たまに“人間じゃないもの”と話してる気分になる。
そのくせ、妙に普通だ。
普通に社会ですごしてる人間のような印象を受ける。
「……で」
俺は周囲を見回した。
白い通路。
青白い照明。
どこまでも続く水。
「出口はどこなんですか。」
「向こう」
「雑ですね、ほんとに合ってますか?」
「ほんとほんと」
羽吹は適当に奥を指差す。
俺はため息を吐いた。
信用できない。
でも、今はこいつしか頼れる奴がいない。
最悪だ。
「八重とレオンは無事なの?」
「んー、多分?」
「多分!?」
「Backroomsで“絶対”ってあんまりないし」
それもそうなのかもしれない。
……いや納得したくねぇな。
俺たちはPoolroomsを歩き始めた。
水を踏む音だけが響く。
ちゃぷん。
ちゃぷん。
一定のリズム。
歩いても景色はほとんど変わらない。
白い壁。
水。
青い光。
どれだけ進んでも同じ。
方向感覚が狂いそうだった。
「……ねぇ」
「んー?」
「ここって何なんですか」
羽吹は少し考えるみたいに天井を見た。
「現実の裏側?」
「雑」
「じゃあ、人間が“存在しないと思ってる空間”」
「……は?」
「ほら、誰も気にしない場所ってあるじゃん。古い廊下とか、使ってない部屋とか、夜の学校とか」
羽吹は水面へ視線を落とす。
「そういう“忘れられた空間”が積み重なった場所。……って説」
「説…か」
「Backroomsって誰も正解知らないし」
こいつ、本当に説明する気あるのか?
でも、不思議と嘘を言ってる感じはしない。
その時だった。
角を曲がった瞬間、俺は足を止める。
「……は?」
通路の先。
空気がおかしかった。
さっきまで青白かった照明が、急にカラフルになっている。
赤。
青。
黄色。
壁には紙テープ。
風船。
雑な飾り付け。
そして。
壁に描かれた大きな文字。
《LET'S PARTY :)》
背筋が凍った。
「……なんだ、あれ」
羽吹の表情から笑みが消える。
初めて見る顔だった。
「見るな」
「え」
「行くな。静かに下がれ」
声が低い。
さっきまでとは別人みたいだった。
俺は無意識に一歩後ろへ下がる。
その瞬間。
奥の暗闇から声が聞こえた。
『おともだち?』
ゾワッと鳥肌が立つ。
人間の声じゃない。
明るい。
楽しそう。
なのに、本能が拒絶する。
『パーティしようよ!』
『ケーキあるよ!!』
通路の奥。
何かが動いた。
黄色い人影。
風船を持っている。
笑っている。
でも。
“笑い方”がおかしい。
人間を真似してるみたいだった。
俺は反射的に右手を構える。
だが羽吹が腕を掴んだ。
「撃つな」
「でも……!」
「音出したら来る」
その瞬間。
風船がひとつ、通路の奥から転がってきた。
赤い風船。
水面をゆっくり漂う。
ちゃぷん。
ちゃぷん。
静かな音。
俺は呼吸を止めた。
『どこぉ?』
近い。
声が。
羽吹は小さく囁く。
「……走るよ」
次の瞬間。
奥の暗闇で、“大量の笑顔”が一斉にこちらを向いた。




