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変わってしまった婚約者にキラキラフィルターかけてたら、フィルター部分が独立してきた。

作者: ぽんぽこ狸



 マーガレットは婚約者のバージルと向き合っていた。彼はソファーにふんぞり返って、マーガレットに言った。


「それで事務官たちからは才能があると、大絶賛されてな。まぁ、このメイフィールド伯爵家を継ぐものとして当然のことだが」

「……」

「剣術の方も稀に見る才能だと言われるし、お前と違って私は友人も多い、父上はこんなに優秀な跡取りがいてさぞ鼻が高いだろう」


 自慢げに言う彼に、マーガレットは「素晴らしいことですね」と返す。


 視界の端では、ローテーブルの上に置かれた生き生きとした美しい花々が生き生きとしすぎて、花瓶から抜け出す。

 

 それからテーブルの上へと移動して手足はないのに、両の葉で手をつなぎ、ワルツを踊りだす。


 紅茶にぶつかってはいけないので、マーガレットは少し紅茶をずらす。


「一時期傾いていたとはいえ、今ではなんとか家業も安定しているし、私が跡を継ぎもり立て行く構想も常にしている」


 姿勢を正すと、幼い子供が描いたような簡素な作りの猫がやってきて、ぴょこんとマーガレットの膝の上に乗った。


「世の中、大事なのはここだ。わかるかマーガレット」


 彼は自分のこめかみをトントンと指さしてハンサムな笑みを浮かべる。


 しかしマーガレットの視界の中で彼だけは、普通の人間とは大きく違う部分がある。


「はい」


 マーガレットは彼の問いかけに言葉少なに返答を返す。


 バージルの周りは、異様なほどにキラキラと輝いていた。


 魔法の光とよく似たそれは、マーガレットがかけているキラキラフィルターである。


「本当にわかっているのか? ちらちらと別の所ばかり見て、やっぱりお前は変人だな」

『やっぱりマーガレットは変わっているね、妖精さんでも見えているのかな、可愛いね』


 そして声は二つ聞こえる。


 これはフィルターをかける必要があるときだけこうなるものであり、マーガレットは聞き心地のいいほうだけを聞いて言葉を返す。


「そう、ですか?」

「……なんで恥じらっているんだ気持ち悪い」

『……ああもちろんだよ。マーガレット』


 なぜこのような現象が起こっているかというと、それは彼がマーガレットの婚約者で、幼い頃から彼が変わってしまったからである。


 マーガレットは物心ついた時から過剰な妄想癖があった。


 そして変わってしまった彼。


 それから、この部屋の中にある一つの絵画。それらが合わさってバージルのキラキラフィルターが生まれたわけである。


 フィルターという技術は最近のもので、特殊なガラスに美しい魔力の光を定着させたものを絵画にかけ、美しく装飾したり注目を集める箇所を作る。


 それがフィルターだ。


 丁度このメイフィールド伯爵家の応接室にも小さなものがあるが、元は隣国の技術だ。


 高額な品だが、今では広く普及している。


 その技術は、まるで恋する乙女が相手を見るときと似ているのだという話を聞いて、マーガレットの視界の中のバージルもそうなった……と思う。


 そしてフィルターが強すぎてバージルは黒髪なのに、キラキラした目に眩しい金髪に外見も変わってしまっている。


「ま、まぁいい。だからこそ、私は言いたいんだ。お前のようなみょうちきりんな女、私にはふさわしくない。常々父上にはそう言っているのに、そのたびに目くじらを立てて」

『でも、私は不安なんだ、マーガレット。こんなに可愛らしい君はとても私に見合っている女性とは思えない、こんなに胸が苦しく張り裂けそうな思いを抱えている』


 ちなみにバージルとフィルターの言葉はおおむね結論が一致するようになっている。


 毛色は違うが、話がかみ合わないことがないのは自分の妄想力のたまものだろう。


 こんなふうに人との会話にまで参戦してくる妄想などマーガレットだって珍しいと思っているが、長く続いている現象なので今更不思議でもなんでもない。


「だから、今度こそ次のパーティーでお前との婚約破棄を承諾させて見せる。フレデリカも連れて行って、いかにお前が私にふさわしくないか証明してやる」

『次のパーティーで私は自分の至らなさを父に伝えようと思う。止めないでくれ、マーガレット君を思ってのことなんだ、愛している美しい、私の愛しい人』


 キラキラフィルターはペラペラと甘い言葉を吐き出して、マーガレットは思う。


 ……この人は本当に、私のことをほめてくれますね。


 一応、心のどこかとても奥深い所では、バージルの本当の言葉も理解しているが、見ないふりをしてそう思いフィルターの言葉に照れつつも返答を返す。


「そんな、悲しいです。私はあなたと一緒に居たい。幼いころからの中ではありませんか。……バージル」

「はっ、同情を買おうとしたって無駄だ。当の昔にお前に心なんてない。地味でつまらなくて、そのうえ何を考えているかわからない女なんて私はまっぴらごめんだ」

『すまない。それでも耐えられないんだ。私の心はずっと君のもの、でも君の本当の心を知ることなどできない、その不安に押しつぶされそうなんだ』


 ギャップの激しい二つの言葉が響いても、マーガレットには変わらずキラキラした方の言葉しか届くことがない。


 膝の上の簡素な猫が『にゃあ』と妙な泣き声をあげて、びょんと飛び上がりテーブルの上の花に食らいついた。


 ……あらいやですわ。また滅茶苦茶な妄想ですわね。


 猫と花の不思議バトルをちらと見つめつつもマーガレットはこぼされては大変なので、紅茶を手に取って急いで飲んだ。


「私にはもうフレデリカという自分で選んだ女性がいるんだ。お前なんてお払い箱……いいや、顔だけはいいからな愛人にならしてやってもいいぞ」

『私の心はもう決まっているんだ、マーガレット。けれどもし、またどこか遠い未来、出会うことができたなら、二人結ばれる未来もあるかもしれない』

「そんなの、待てません。それに寂しいです、バージル」


 猫と花の大乱闘を見つつも、マーガレットはバージルの提案に寂しいと返す。


 なんのフィルターもかかっていない状況ならば、きっと憤って、対策を考えるべき発言だけれど、マーガレットが認識しているのはキラキラした言葉のほうだけで、目を伏せて彼に言う。


「ふんっ、知るか。とにかく次のメイフィールド伯爵家で行われるパーティーにはきちんと参加してくれよ。君とのことを”家族全員”に認めさせて見せる」

「……」


 彼の言葉にマーガレットは、はいともいいえとも返せなかった。


 これ以上彼を繋ぎ止めておくことは難しいと思う。


 けれども、だからと言って、彼とは別れてはいけないと言う思いが強く、阻止したい気持ちがある。


 それがどこからやってくるのか、マーガレットはわからない。


 しかし彼との婚約はとても大切で、幼いころからの絆のようなもので、消し去ってしまいたくはないのだった。


 ちなみに乱闘は、花瓶の中の花が加勢して花が勝った。







 当日、マーガレットはきちんと参加したが、彼はフレデリカという浮気相手の女性を連れていて、彼女をエスコートしていた。


 普段だったら、彼の父親であるメイフィールド伯爵がきちんと彼を叱ってくれるが今日ばかりは多忙な様子で、姿が見えなかった。


 もちろん婚約者ではない女性と楽しそうに会話をして、マーガレットを放置しているバージルは、参加者たちから非難の目線を向けられているが彼らはその目線に気が付いていない。


「ねぇ、バージル様、本当に大丈夫かしら、伯爵様はわたくしのことを認めてくださる?」

「もちろんだ。フレデリカ、父のことだ認めざるを得ない状況にしてしまえば折れるに決まってる」


 彼らはしめしめと作戦を立てている。


 彼らの声はマーガレットに届いてはいたが意識の外なので、フィルターはなりを潜めていた。


 それよりも、マーガレットの妄想は、こういう人がおおくなる場所ではとても騒がしい。


 あらぬところに花が咲いていたり、絵画がおしゃべりしていて、噂話を繰り広げる。


 いるはずのない子供が走っていって、飲み物を運んでいた使用人にぶつかると、現実に存在している使用人はつまずいて、持っていたグラスを揺らした。


 ……あら珍しい。干渉してますね。


 マーガレットの妄想には稀にこう言った事があった。


 それはきっと、現実から逆算された直感のような妄想で、なんだか注意散漫な使用人がいるという状況を無意識に理解していて、子供の妄想が走っていく。


 それでこういう事情が起きているのだとマーガレット自身は考えていた。


「あ、来た来た。フレデリカ、君はただ静かに頷いていてくれればいい」

「ええ」

「おい、マーガレット、何をぼうっとしている」

『こっちに来てくれマーガレット、その可愛い顔を私に見せておくれ』


 呼びかけられて、マーガレットは返事をしてバージルのそばによる。


 こういう状況にはなったけれど、正式な婚約であることや、家同士の長年の付き合いのことをきちんと話題に出して、どうにかしなければと彼のことを見つめる。


 バージルは相変わらずキラキラとしていて、そのサラサラの美しい金髪は変わらない。


 彼はやっぱり、マーガレットにとって必要な存在で、幼いころからずっと変わらず大切な人だ。


 そう思い直せるはずだった。


「バージル、何ということだ。……その女性がフレデリカ嬢か」


 しかし、幻滅したかのようなメイフィールド伯爵の声がして、同時に彼の金髪は頭のてっぺんの方から少し黒ずんでいる。


 …………今までこんなことなかったはずです……。


 不思議に思いつつも、やってきたメイフィールド伯爵の方へと視線を向けると。


 そこには、キラキラを纏ってないのに、金髪のバージルがいた。


「!!」


 目を見開いて、マーガレットは体をびくつかせて驚いた。


 先ほど走っていた名も知らぬ子どもが金髪バージルのことを見上げて呆けて立っていた。


「…………」


 ……ど、どういうこと、ですか。何故、え? 自立? フィルターさん自立したんですか?


 あんまり、バージルとフィルターの言動がかけ離れすぎていて、嫌になって自立して登場してしまったのだろうか。


 そんなことまったく想定していないし、自分の中でもありえないと思う。


 ならば、妄想外の出来事か。

 

 しかし、驚いたからと言って妄想外の出来事だと決めつけることは今までの経験上できない。


 キラキラバージルと目が合う。


 彼はとても複雑そうな面持ちでマーガレットのことを見つめていて、それから元のバージルへと視線をやった。


 そして、とても深く眉間にしわを寄せた。


「父上、いい加減認めてください。私の気持ちはマーガレットにありません。それにマーガレットは幼いころ勝手に決められた婚約相手です。こんなに跡取りとして努力している、優秀な私に本当に愛する人との結婚という最高の幸福を奪うおつもりですか!」

「……バージル、そういうことではない。君は……」

「父上、これはどういうことですか」


 そしてとても冷たい声で、キラキラバージルはメイフィールド伯爵に問いかける。


 するとバージルは、キラキラバージルに向けても声をかけた。


「兄上、兄上からも言ってください。私を補佐する立場として、せっかく留学から帰ってきてこれからというのに、私がこんな不遇を受けてつぶれてしまっては意味がないと!」

「……」

「……」

「マーガレットは地味で、実家からの持参金だってたいして期待できない。それなのに、彼女を伯爵夫人に据えてやって、一生、私の稼いだ金で贅沢をさせてやるなんてそんなことっ、耐えられない!」


 バージルの言葉にはフィルターがなぜかかからない。


 そうして、正しい言葉を聞きながら、マーガレットはゆっくりとバージルを見た。


 彼のフィルターは真上からざぶんと水をかけられたかのように、流水によって流されてキラキラとした光も、金髪の髪も流れ落ちる。


 まるで幻だったかのようにきえてしまう。


 中からはもうずいぶんお目にかかっていない、マーガレットのことを見下した目をしている本物のバージルが姿を現した。


「それに比べてフレデリカは優秀で、魔力も下級貴族にしては多いし、何より愛嬌がある。父上や兄上だって、フレデリカのような愛らしい女性が屋敷の女主人の方が鼻が高いはずだろう?」

「ふふっ、嬉しいわ。バージル様」


 マーガレットには目もくれず、婚約者がいながら自分の囲った女性を家族にアピールする男。


 フィルターで見ていた優しさも、愛情もかけらもない人。


 それがバージルである。


「……バージル。結婚とはそういうことではない。すまないリアム、まさか今日こんな行動を起そうとは思っても見なかった。君の帰還を祝う宴だというのに」

「いえ、父上。謝罪は結構です。それよりも」

「ああ、わかっている」


 メイフィールド伯爵とリアムと呼ばれたキラキラフィルターは短い言葉を交わす。


 さらに「申し訳ない、マーガレット嬢」と一言、謝罪をしてからバージルに向き合う。


「バージル」

「父上、父上ならわかってくださるはずだ」

「バージル!」

「っ」

「色々と言いたいことはあるがまずは、一つ。言わせてくれ」


 メイフィールド伯爵は鋭い視線をバージルに向けて、彼は少し身をこわばらせた。


「こんな場で、婚約者の令嬢に見せつけるように浮気相手を連れてくるなど恥を知れ! これがどれだけ品のないことかわかっているのか」

「だ、だがっ」

「言い訳は聞きたくない。君には確かに期待していたし、家の事業が傾いたときにリアムを留学に出してしまってから、君のやる気を重視して立派な跡取りになるように手を回した」


 有無を言わせないメイフィールド伯爵の言葉に、バージルは黙り込み、フレデリカを抱き寄せた。


「しかしその結果がこれか、君をただ増長させ、自身の婚約者すら大切にせずに、目移りしてそれが自分の権利だとでも思っているのか。婚約とはきちんとした契約だ」

「……」

「マーガレット嬢が何かしたわけでもないのに、自分の都合で他人をこんなにも貶めて救いようもない。君はなにもわかっていない。こんなことをして結婚相手を変えられると思ったら大間違いだ」


 メイフィールド伯爵はバージルをしかりつけ、きっぱりとした答えを出す。


 バージルはとても傷ついたような顔をしつつも、それでも彼はフレデリカから手を離さずに、マーガレットに軽蔑的な視線を向けた後、笑みを浮かべた。


「だとしても……そうは言っても父上、もう、私はきめてしまったんだ。このフレデリカの中には私と彼女の子供がすでに息づいている!」


 切り札のようにそう宣言した彼に、マーガレットは、彼のその言葉と行動を直視した。


 そして彼に残っていた最後の情さえも冷えて消え去って、跡形も残らない。


 言われている正論をきちんと考えもせず、もうやってしまったのだからと自分の立場を過信して、公の場で口にするその態度。


 芽吹いている小さな命すら材料にして使うその様子に、どんなフィルターをかけたって、どんな妄想をしてももう補うことなどできない。


 ……最低な人ですね。


 そう気が付いてしまった。しかしそれは不思議と悲しくなかった。


「なん、だと? ……そんなことを……っ、……」


 メイフィールド伯爵はショックを受けた様子で一歩下がってよろめく。


 その様子を見ていたキラキラフィルター……もとい、リアムが前に出て、とても冷静に言った。


「それはとんでもないことだね。バージル。もう後戻りはできないよ。父上も決断をしてください。彼はもう、手に負えない、変わったんです」

「あ、ああ……その通りだ」

「バージル、君はもうメイフィールド伯爵家の跡取りでもなんでもない、ただの欲望に狂った男だ」

「は? なぜ、私の下につく兄上にそのようなことを言われなくてはいけないんだ!」

「……そう決められていたのは、私が君に譲ったからだ。しかし、君は変わった私が知らないうちに……もうそのつもりはない、私には領地でぬくぬくと過ごしてきた君と違って留学で得たものがたくさんある」

「なっ、何を言って……」

「君を切り捨てる選択をするのは、この家のためになるそして……蔑ろにされたマーガレット嬢にも向き合うために、私たちは君と同類ではないと示さなければならないだろう」


 彼は家のためというだけではなく、マーガレットのためにもそうして決断すると言葉を添えてくれて、バージルの心無い言葉たちのつけた傷が少し和らぐ。


「バージル、いくら跡取りだろうと傲慢に振る舞っていてはいつかこうして人は離れる。それを教訓として、生きていくんだね」

「っ……あ、あり得ない。私は……メイフィールド伯爵家の……」

「行くぞ、その女性とともに、君の処遇を決めなければ。すまなかったマーガレット嬢、しばし我々に時間をくれないか……それにリアムからも話があるのだろう」

「……はい」


 メイフィールド伯爵はバージルの肩を掴んで連れて行きつつ、そうしてリアムへと視線をやった。


 するとリアムは、一歩マーガレットに近づいて、そのキラリとした金髪がさらりと揺れる。


 それから悲しそうとも嬉しそうともつかないような複雑そうな顔をしてマーガレットに言った。


「後日、事情を説明させてほしい。都合のつく日はあるかな」


 聞かれて頷く。


 マーガレットの方も、彼について深く知りたいと思う。それにどうしてかとても心惹かれるのだ。


 それが、マーガレットの理想の姿に近い容姿をしているからなのか、それとも別の何かなのか見定めたいと思ったのだった。

 





 マーガレットとリアムの間にはとても気まずい雰囲気が流れていたが、応接室の中はマーガレットからすればとても忙しない。

 

 以前バージルと話をした場所と同じなので、猫と花がリベンジマッチを床で繰り広げているし、天気がいいので陽光がさんさんと差し込み窓枠の影を床に落としている。


 その影を指で伝って、舞踏会にいた顔の見えない金髪の少年が遊んでいた。


「……」

「……まずはバージルの処遇について話をするね」

 

 リアムは、相変わらずキラキラはしていなかったが、とても優しげでキラキラフィルターとして存在していた時とまったく同じ外見に見える。


 しかし言う言葉は違った。


 フィルターの方は隙あらば愛の言葉をささやいていたが、彼はとても建設的な話をする。


「彼は、婿に出すことにしたよ。もちろん、フレデリカ嬢は跡取りではないし、フレデリカ嬢の家の方とお話して彼女の母方の実家の小さな村で皆で見張っていくことになった」

「厳しい、処遇ですね」


 今までの人生からいきなりそんなふうに転落して、バージルもフレデリカもとても荒れるだろうし、大変な未来になるだろう。


 そう思うと、マーガレットは自然にそう口にしていた。


 それに彼らの間に息づいている小さな命は罪もないのに、その苦しい状況に置かれて生まれてくるなんて不憫だと思った。


 思うと同時に、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたような気がした。


 聞こえてきた方を向けば、猫が花と結婚して子供をこしらえている、赤ちゃんの鳴き声ではなく、小さな子猫の「みゃー、みゃー」という声だった。


 ……和解したのね。でも突然、子猫は飛躍しすぎです。


「さぁ、そうかな。私はそうは思わないよ。彼が言っていた通り、愛する人と一生添い遂げられる権利だけは手に入れたんだ。ままならない人生ですべてを手に入れられるわけじゃない。バージルが選んだ。それだけだよ」

「……はい」


 リアムの言葉は正しくて、マーガレットはただ静かに目を伏せて同意した。


 しかしその様子で、気落ちしていることが分かったのか、リアムは少し優しい声で付け加えた。


「……それにね。二人の間に、本当は子供なんていなかった。そう言ってしまいさえすれば、フレデリカを娶れると思った、二人の作戦だったんだよ」

「作戦?」

「うん。だから、不幸になるのは本当にあの二人だけ。君が悔やむ必要なんてどこにもないよ」


 さらに言われて、マーガレットはちょろちょろと走り回る子猫たちを視界の端に収めつつも、驚いて、そして改めて彼らの愚かさとその処遇に納得がいった。


 ……そっか、可哀想な子供はいなかったんですね。


 そうなれば彼らの責任は彼らが持つべきだと思えるし、たしかにあれだけ愛していると言っていたフレデリカと一緒になれたのだ。離れ離れではない。


 それだけはきっととてもいいことだ。


「お気遣いありがとうございます。リアム様……そうですね。納得のいく処遇だと思いました」

「ならよかった。……それで……婚約破棄の話や、もろもろの詳細を話す前に……私は一つ、君に言わなければならないことがあるんだ」


 一つ頷くと彼も笑みを浮かべるがまたすぐに、強張った表情をする。


 綺麗なグリーンの瞳に見つめられて、マーガレットはどんなことだろうかと首を傾げた。


 はたと視界の端に、窓枠の影で遊んでいた子供が立ってこちらを見ていることに気が付いた。


「……」

 

 ちらりとそちらを見ると、彼はとても見覚えのある顔をしていた。


 バージルのキラキラフィルターを子供にしたみたいな容姿だった。


「……私のことを、覚えている?」


 リアムは少し声を震わせてとても緊張している様子で静かに言った。


 その問いかけには少しの期待も含まれているように感じたが、答えとしては、覚えていない。


 彼のことはまったくもって記憶にない。だから初めて会った時、混乱したし、いまだって話をするのに緊張している。


 だから、答えは否だ。


『そんなことないよ。マーガレット』


 しかしマーガレットの思考を空想の少年が否定する。


 それから、マーガレットの元に、トコトコと歩いてきた。マーガレットの腿に手を乗せて、小さく微笑んで見上げた。


『ずっと私のこと、見ていてくれたよね』

「まだ、幼い頃みたいに、不思議なものが見えている?」


 彼らの声質は、大人と子供で違うけれど、系統が似ていてこの小さな少年がリアムなのだとわかる。


 するとマーガレットの脳裏には、封印していた記憶が閃いて途端にとても耐えきれないほど悲しくなった。


 けれども目の前にリアムがいることによって、同時に胸が苦しくなるほど嬉しくなった。


「……」

『やっと本当のことがわかったね。なら私の役目はこれでおしまい。愛しているよ、マーガレット』


 そうして少年は瞬く間に大人になって、いつものキラキラフィルターが現れる。


 それからマーガレットの額にキスをして、砂の城が崩れるようにさらりと消えていく。


 マーガレットの隣に座っていた猫も花も驚いて、子猫たちは団子のようになってじゃれていた。


 ジワリと涙がにじむ。


「ごめんね。変なことを言ってしまったかな。目の動きが小さなころみたいに、あちこちを見ていて……素敵な大人の女性になった君がまだ、あの時のように私を待っているんじゃないかと……実は小さなころ会ったことがあって……っ」


 黙り込んだマーガレットに、彼は覚えてもいないし見えてもないと判断したらしく自分の発言をフォローするように話し出した。


 しかし、マーガレットが涙をこぼしたことによって、言葉を止めて心配そうにこちらを見た。


 そして真実を思い出して、マーガレットは言葉を選んで彼に言う。


「…………覚えていますよ。それにずっと見えてますよ。見てました、バージルを通してあなたのことを」

「……」

「帰ってきてまだ、覚えていたら結婚してくれると言ったではありませんか。リアム、私は変わった女の子なんです。子供だましでもずっと真に受ける様な変わり者なんです」


 そうしてやっと、バージルにだけあんなに精巧なフィルターがかかっていた理由を理解した。


 マーガレットは昔から、このメイフィールド伯爵家の二人と仲良くしていたが、特に優しくてかっこいいリアムのことが大好きだった。


 妄想癖が激しくて侍女たちからも家族からも遠巻きにされていた時、マーガレットの不思議な世界の話を聞くのが楽しいと言ってくれた彼に酷くなついていた。


 その中には幼いながらも恋心があったと思う。


 けれどメイフィールド伯爵家の事業は傾き、子供二人を育てることが難しくなった。


 まだ幼いバージルを養子に出してもう二度と故郷に戻れないよりも、子供ながらに優秀だったリアムを留学という形で隣国に出すことが決まった。


「……ほ、本当に? 疑ってるわけじゃないんだ……でも、あんなに小さかったし……私だって、君のことをずっと気にかけて、この日を楽しみにしていたけれどっ……あまりに驚いて」

「私も少し驚いています。自分の執念深さに」

「執念……というか、そんな悪いものじゃないよ。マーガレット、君はただとても深く愛情を持っているんだよ。だから、私のことを……」


 動揺するリアムに、マーガレットは苦笑して返した。


 彼と離れ離れになるという話をされて、マーガレットはもちろん嫌がった。


 そして納得させるために、彼は帰ってきても覚えていたら必ず結婚しようと約束した。


 それは、ただの子供だましで、忘れてきっと幸せになれるだろうとその時はまだ善良だったバージルを婚約者に据えて国をたった。


「……ありがとう。マーガレット。大切に思ってくれていて、君が私を忘れて幸せになれるようにとバージルをあてがったのに、すまない。傷つけて、苦しめて、待たせて」


 謝るリアムに、マーガレットは小さく首を振った。


「いいえ。私はずっと大丈夫ですよ。あなたがずっと助けてくれましたから」

「そう、か。……うん、そうだね。君がそう言ってくれるからにはもう謝らない。それよりも、私は君に言わなければならないことがあるね」


 それからリアムは自分を落ち着かせるように短く息を吸って、それから背筋を伸ばした。


「待っていてくれてありがとう。マーガレット、私と結婚してほしい」

「はい……リアム。私は、あなた以外とはありえません」


 





 マーガレットは、パレットを片手に絵筆を走らせていた。


 たいした技術はないのだが、リアムとの結婚を決めたあの日に生まれた子猫たちが大分時間をかけて大人になったので、家族の肖像が一枚ぐらいは必要だろう。


 しかし猫たちは静かにしていない。


 キャンバスの向こう側の広いソファーで縦横無尽に動きまわっている。


 ……なかなか構図が難しいですね。


 吟味しつつも進めていると背後に気配を感じて、マーガレットは振り返って見上げた。


「君の絵ってものすごくユニークだよね」


 リアムはのぞき込んでそう口にする。


「……ユニークと言うよりも、もはや奇行だということは理解しています。あなたからすればなにもないソファーを題材にしつつ、花柄の猫家族を書いているんですから」

「っふふ、いやっ、言われてみたらそうなんだけど、可愛いよ。猫、花柄でもいいじゃない。私は好きだよ。君のそういうところ」


 彼は喉を鳴らして笑って、絵の中の猫をほめる。


 リアムとはこうしてやっと結婚したというのに、彼はキラキラフィルターだった時のように、甘い言葉を次から次に吐くようなことはない。


 好きだとか、そういうことは言ってくれるが、やはり妄想と現実は違うのだと思う。


「猫、可愛いですよね……わかります。わかってます」

「……」


 そして、半分ぐらい妄想に生きてきたマーガレットも素直になるということが難しい。


 感情を表に出さなくても妄想の世界では通じるので、少々感情表現が乏しかった。


 しかし、リアムはマーガレットのその少し拗ねたような声を聴いて、困ったような嬉しいような顔をする。


 それから絵を邪魔しないように、ポンと肩に手を置いてから頬に手を添えてゆっくりと口づけた。


「っ!!」

「君も可愛いよ。マーガレット、絵が出来たらエントランスに飾ろうか」

「…………ふ、不意打ちやめてください、びっくりします」

「君は昔からそうだよね」


 少し意地悪にわらう彼に、マーガレットはうまく言葉を返せない。


 仕方がないことなのだ妄想はこんな風にマーガレットを突然驚かせるような行動を取ったりしない。


 それに頬に柔らかい唇が振れる感覚のようなマーガレットの知らないものを与えたりしないのだ。


 だから、彼からうごかれると驚くし、過剰に反応してしまう。

 

 分かっていてそうする彼を恨めしく思いつつも、可愛いという言葉も頬へのキスも嬉しくて堪らない。


 マーガレットはこの幸せな生活が続いていくことが苦しくもあり、とても深く幸せでもあったのだった。








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