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最終話 3日目の夕飯『ザクザクのかき揚げ』

3日目 朝7時

朝ごはんを食べながら



「なつ美、えり……今日の夜23時には、俺、帰らないといけないんだ」


えりが「えっ」と声をもらしたその直後、太郎は続ける。


「でもその前に、どうしても会っておきたい後輩がいて。……いいかな?」



なつ美は一瞬だけ言葉を選び、そっと微笑んだ。

「……大切な人なんでしょ。わかってる。行ってらっしゃい」



「うん。ありがとう」

えりも少しだけ顔を伏せて、



「……じゃ、帰ってきたら、夕飯食べるんでしょ」

太郎は笑って、「もちろん」と答えた。



───


会社のビル。久しぶりに戻ったはずなのに、足取りは不思議と軽かった。



休憩室のソファには、見慣れた背中——中尾(なかお)が、猫背でスマホを握ったまま項垂れていた。


「……よぉ、中尾」

「うわっ……!課長!?ちょ、なに、幽霊!?夢!?」



太郎は笑って首をすくめた。


「どう思ってもいい。お前に会いに来た、それだけは本当だ」



中尾は目を見開いたまま口を開いた。

「……これ、ほんとに……夢っすか?それとも……働きすぎて幻、見てるだけ?」



「どっちでもいい。だけど一つだけ、訊かせてくれ」


太郎は目を見据える。

「お前、ちゃんと休めてるか?」



「いや……全然っす」


「なら、辞めろ。仕事なんて他にある」



中尾はぽかんとしたまま笑った。

「……課長に言われたら、ちょっとグッときますね」


「これはメモにも残らない。記録にもならない。けどお前の中に夢の中でも残ればいいと思ってる。 自分のこと、大切にしろよ。……あの時の俺みたいになるな」



しばらくの沈黙のあと、中尾は小さくうなずいた。


「……わかりました。今日、課長にこんなふうに言われたこと……忘れたくないです。思い出したら、すぐ辞表書きます」



苦笑しながら


「後、写真はちゃんと撮っておけ、ないと半眼の写真、遺影に使われるぞ!子孫に笑われるぞ!」

「あっ……はい……」

 


「後、いかがわしいものは処分、性癖バレて……死ぬほど恥ずかしいからな!」


「今はデジタルっす……」

 

「ちゃんとロックしとけ!」


「……わかりました」

中尾はクスッと笑う

 


「次の職場でも、無理するなよ」


「ありがとうございます。やっぱり課長はいつも優しいですね。俺も課長みたいな上司になりたいです」 



「ありがとう。元気でな」 

 

太郎は微笑み、ゆっくりと後ろ姿を残して会社を後にした。



───


3日目夜 17時


「ただいま」


なつ美は、かき揚げを準備していた

「おかえり。揚げたて用意するね」



千切りの玉ねぎと人参を

さっと衣をからませ、高温の油で揚げる



えりが横からのぞく

「まだ取り出さないの?これ人参の端焦げそうだよ」


「良いのよ。後1分くらいで中心までザクザクになるの。お父さんね、このかき揚げ1番褒めてくれるの」


「そうなんだ」



太郎は着替えて、テーブルに腰かけた

「いただきます!」



ザクザクのかき揚げを嬉しそうに食べる。

「さすが、なつ美の1番の得意料理!最高!」



なつ美は太郎の横顔をずっとみていた。


ただ……ただ愛しそうに。



食卓には、特別なごちそうも、派手な演出もない。


ただ、いつもの味と、いつもの茶碗と、いつもの3人がいた。



何気ない会話をして、ただ箸を動かす。

けれど、それだけで十分だった。



お互いにわかっていた。

——もうすぐ、終わる時間だということを。




太郎は何度も、なつ美とえりの顔を見た。

焼きつけるように、何度も。


あの目、あの手、声、食べ方、笑い方。

(……やっぱり、現代に戻ってきてよかった)



ほんの少しの後悔も、なかった。



——残り5分。


時計を見た太郎は、そっとグラスを置く。


「……ありがとな、ふたりとも」



「来てくれて……ほんとにありがとう」

「……うん。また、夢で会おうな」



不思議と、涙も嗚咽もなかった。

ただ、静かに、あたたかい時間がそこに流れていた。


23時。

時計の針が、ひときわ大きく「カチ」と鳴る。



太郎は、ふたりに向かってにっこり笑い——

「父さん、幸せだったぞ。ありがとう!」



大きく手を振る。


その姿は、すぅっと空気に溶けるように、音もなく消えていった。



───



奇跡の3日間の時間は

約8時間の夢の中に変換されていた。

 

夜明け前。


えりは、小さく息を詰めるように目を覚ました。

枕が、涙でじっとりと濡れていた。



夢の中で、たしかに父の声を聞いたのだ。

「……今……お父さんが帰ってきた夢……見た……」



言葉にした瞬間、胸がきしむ。

「あぁ……あぁ……っ」と、押しこらえていた涙が溢れた。



寝室の隣から駆けつけてきたなつ美が、そっとえりを抱きしめる。

何も言わず、ただその背中に手を添えていた。



「……お父さん、笑ってた……」

「……そっか」



えりは目をこすりながら顔を上げた。

「……ずっと……やさしく笑ってたの……」



なつ美は、静かに目を閉じてから言った。

「……心配だったのよ。あなたのことが」

「そういう人だった……お父さん」



しばらくの沈黙のあと、なつ美がぽつりとつぶやく。

「……私も見た気がするの。カレー食べてた」

「『うまい、うまい』って、大きな声で笑ってたの」



「きっと帰ってきたのよ。お父さん」


えりは再びうなずき、頬をぬぐった。



なつ美の肩も、ゆっくりと震えていた。

でもその涙は、どこかあたたかかった。



夢と現実の境いめで。

それは、きっと“ただの夢”ではなかった



──


朝8時

 

えりは玄関で靴を履く

鞄の横にはクラリネットの黒いケース


「今日から部活行くの?」

「うん。友達に謝りに行く」

 

「そう」


「行ってくるね」 

えりの顔はまだ暗い、けど口元は笑っていた

 

「いってらっしゃい」




──


なつ美は

静かなリビングに戻り、

椅子にゆっくりと座った。 



太郎の遺影をそっとなでる


「ねぇ……あなた……」

「生まれ変わったら、また私と結婚してくれる?」 



「私がシワだらけのおばあちゃんになって天国行っても、私だって気づいてくれる?……」




(父さん、幸せだったぞ。ありがとう) 

太郎の言葉を思い出す。


頬を涙が伝う。



「私も、あなたと夫婦になれて幸せだったよ」



「愛してる……太郎さん」



遺影の太郎は目を細め、微笑んでいるようにみえた。



  

───


真っ白な世界——


パチッと目を開いた太郎は、ゆっくりと身を起こす。


「ああ……戻ってきたのか、ここに」


辺りには何もない。けれど、不思議と冷たさはない。

そのとき、すっと顔をのぞかせた人物がいた。


「おかえりなさい、鈴木太郎さん」

案内人の佐藤だった。


「現代世界での3日間、いかがでしたか?」


太郎はしばらく黙って、それから小さく笑った。

「……よかったよ。幸せだった。心から」



「それは何よりです」



佐藤はふと思い出したように

「そういえば、大切な質問をしてなかったです」


「鈴木太郎さん、今、現世で1番感謝している"存在"は誰ですか?」


「なつ美だ」



「では、奥様に伝えたい事はありますか?ご希望であれば、奥様がここに来た時に、我々がお伝えします」



「…『ずっと、隣で支えてくれてありがとう。えりを産んでくれて、俺を父親にしてくれてありがとう。愛してる』と伝えて欲しい」



「わかりました。奥様の鈴木なつ美さんに投票でよろしいですか?」

太郎は頷く


タブレットをタップ


《ポイポイ♪》と電子マネーのp◯yp◯yみたいな音が響く

「鈴木なつ美さんに1点付きました」



「てか、ダンゴムシと俺は同じ1ポイントなの?」

「生命は等しいですから」



「まぁ……いいか」


「それで……俺はこのあと、天国とか地獄とか行くのか?」



佐藤はマニュアルをめくりながら、「えーっと……」と首をかしげた。


「はい、残りポイントが7点ありますので——」


「ポイント?」

「えっ、1回きりじゃないの? 転生先って選べるのか?」


「ええ、0点でも異世界は行けますよ。たとえば、リスや豚とか」

「リスは嫌だな。走り回るのしんどいし」



「で……7点ですと……あ、ありました。

“勇者が一度だけ訪れた湖のほとりで、ひたすら釣りをして暮らしている、普通のおじさん”」

「……地味すぎて逆にいいな」



「このおじさん、セリフも一行だけあります。“お、釣れた”です」

「……いや、俺、釣り好きだから。それで充分」



佐藤は軽く笑った。

「承知しました。手続きを進めます」


太郎はふと、視線を空に向けるようにつぶやいた。



「なあ、その世界でさ、家族が来るのを……待ってられるか?」


「はい。ご家族が7点以上お持ちなら、同じ世界に人間として行けます」



「……すぐには来てほしくないけどな。

のんびり釣りして、なつ美を待って、えりが来るのもずっと先でいい……」


「後、伝えて欲しいんだけど、

なつ美がここに来た時、おばあちゃんになっても、お前の事わかるし、変わらず愛してるから安心して俺の所に来てって」



「承知しました」

「ちなみに、“天国”と呼ばれる場所も異世界なんですよ」



「……へえ。そうだったのか」


「“異なる世界”ですからね。

そこでまた徳を積めば、いずれ現実世界で人間として人生を歩む事も可能です」


「じゃあ、また家族に会えるまで……このおじさんで待ってようかな」


「はい。それも、立派な選択です」


「社畜サラリーマン、異世界釣りライフで家族を待つ……ってとこか」


佐藤はにっこりと笑った。

「いいタイトルですね。」



「使っていいぞ」


ふたりの間に、静かな風が流れる。



「……それじゃあ、行ってきます」

「はい。また、お会いしましょう」


太郎の体は、光に包まれてふわりと溶けていった。






『死んだ俺、異世界ハーレムに転生せず、家族といつもの夕飯食べるだけの3日間』

 

  


おしまい

 


───



お読みいただき、ありがとうございました。


あとがき


大切な方を亡くしたあなたへ。


きっとその人は、

“天国”という名の異世界で、好きなことをしながら——

あなたとの再会を、のんびりと待っていると思います。


たとえ自分がおばあちゃんやおじいちゃんになっても、

その人はちゃんと気づいてくれます。


姿が変わっても、心は、きっとわかります。




この物語を、釣りが好きだった父に捧げます。


タルトタタン




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