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第3話 2日目の夕飯『具の溶けたカレーライス』

2日目の朝


洗面所の鏡に映る自分をぼんやりと見つめながら、太郎はふと思った。


「……手紙でも、書くか」


形には残せないと知っていた。けれど昨日、えりの顔を見ながら飲み込んだ想い。


なつ美に、ちゃんと「ありがとう」と伝えたかった気持ち。

それを、たったひと言でも書き残せたらと思った。


太郎はリビングのペン立てに手を伸ばす。

だが次の瞬間——


ビリッ。


指先に鋭い痺れが走った。思わず手を引っ込めてしまう。


「……やっぱり、ダメか」


この世界には、どこにも見えないルールがあるらしい。

メモも、録音も、写真も、すべて“残す”ことは許されない。

許されるのは、“心に触れること”だけ。


しばらくペンを見つめたあと、太郎はふっと笑った。


「……なら今日は、ちゃんと笑っていよう」


伝えられなくても、伝わることはある。

温度も、眼差しも、言葉じゃなくていい。


そう信じて、キッチンへ向かった。



「おはよー、お父さん」

「おはよう」



久しぶりに、顔を見て交わした挨拶。

それが、こんなにもやさしく響くなんて——何年ぶりだろう。


えりが中学生になってから、こんなふうに視線が合うことすら少なくなっていた。


「朝ごはん、作ったぞ」

「え? 初めてじゃない?」


「……てか、この目玉焼き、カチカチだよ」

「ははっ……だよな」


「ママ、まだ寝てるの?」

「今日は少し寝坊らしい。ゆっくり休ませてあげよう」


「……痩せたな、ママ」

「うん。でも、ちゃんと食べてるよ」


短い会話だったけれど、えりの声は前よりもずっとやわらかかった。



──


午後。

太郎はえりを誘って、近所をゆっくりと散歩する。


「ちょっと歩こうか。外、気持ちよさそうだし」

「……まあ、いいけど」


いつもの通学路。風にそよぐ草のにおいが懐かしい。


「……あ、この公園……懐かしいな」


「覚えてるか? 保育園の帰り、ここでお前よくダンゴムシ集めてたろ。

毎日10匹くらい連れて帰ってきてさ。こっそり逃がしたり、死んじゃった子たち、庭に俺が埋めてた」


「え……全然覚えてないんだけど」


「はは、そっか。でも、生き物は大切にしろよ。……いつか、意味がわかる時がくる」



公園をじっと見つめ

「俺は今ダンゴムシ達に感謝している」

「3日間ありがとう」



「なにそれ? 意味わかんない」

ふふっとえりが笑う。




「……ここで抱っこ、よくせがまれたな」

「……」


「気づけば、もう抱っこできないくらい大きくなったな」

「……うん」



沈黙が、気まずくなかった。風が心地よかった。


「部活はどうだ? 吹奏楽」

「うん……最近、ちょっと微妙」



「どうして?」


 

「けっこう前に友達とケンカしちゃって……でもお父さんが亡くなってから、皆が“かわいそう”って感じで、ケンカの事もなかった事みたいにされてて……」


「そっか……」



「ケンカの原因、私にあるんだ。……でも、謝れてないの」

「そっか……」



「……“そっか”ばっかじゃん。」

「はは……すまん」



「アドバイス、とかないの?」


「……えりはもう、答えわかってるでしょ?」

「え?」



「“謝れてない”って、自分で気づいてるじゃん。……だったら、今度会ったとき、“あの時ごめん”って言えばいい」


えりは一瞬キョトンとして、それからくすっと笑った。

「……ありがとう、お父さん」



その笑顔を、太郎は何度も目に焼きつけるように見つめた。



あと何回、この子の笑顔を見られるだろう。


そう思ったら、ただ立ち止まって眺めていたくなった。

 


───


夜、食卓には大盛りのカレーライス。


なつ美が圧力鍋で作るカレーは

煮込み過ぎて人参や玉ねぎが全部溶けてるけど、それがめっちゃくちゃうまい。


えりの部活の友達が来た時、

「具がないけど、このカレー美味しいです!」って言って、

なつ美が恥ずかしそうにしてたけど 


「違う!うちのカレーは全部溶けて旨味になってるの!!わざとだからね!」

って弁解したな……。懐かしい。



太郎はそれを、4杯もおかわりした。


「えっ、さすがに食べすぎじゃない?」


「……なんか、懐かしくてさ。ちゃんと、味わいたくなった」



いま、この当たり前の時間が、どれだけ愛おしいか。

それを、ひとさじずつ飲み込むように感じていた。



───


2日目 23時


なつ美は先に寝室で眠っていた。


太郎もそっと隣のベッドに横になる。

静かな暗がりの中、ふとくだらない思考がよぎる。


(……異世界ハーレムってどんな世界だったんだろうな)


(大学でなつ美と出会って、付き合って、そのまま結婚して……)

(浮気もせず、我ながら真面目すぎるくらいだったかも)


(ていうか……最後にしたの、いつだったかな……5年前?)


そんな中学生男子のような思考が脳内をかけめぐったところで、不意に声がした。


「……一緒に、寝ていい?」

「えっ……起きてたのか。うん、もちろん」



なつ美がそっと太郎のベッドにもぐり込む。

体温が背中越しにぴたりと伝わってきた。


「今日は……ありがとうね」

「なにが?」


「なんかね、私まで穏やかな気持ちになってた気がして」

「それは……たぶん、俺がちょっと優しくなったからだな」



「……ふふっ。そうかもね」


しばらく沈黙が続く。けれど、その静けさは居心地がよかった。



「ねえ……」


なつ美が太郎の手を取る。そして視線を外しながら、ゆっくりとつぶやく。


「……今日、久しぶりに……してもいい?」

「……ん? なにを?」



太郎はぽかんと聞き返し、

次の瞬間にその意図を悟る。


「あっ、あれ……あれか。ああ、うん、びっくりした……!」

(やばい……リアクションが完全に中学生!)


なつ美が、すこし笑って、それからぽつんと言った。


「あなたに『老けたな』って思われたくなくてずっと避けてたの……ごめんね……」



「もう……私もすっかりおばさんだから。……イヤじゃない?」



「イヤなんて、一度も思ったことないよ。むしろ——」

太郎がなつ美の目をまっすぐみる

「えっ?」

 

「……変わらないよ、なつ美は。ずっと、綺麗だ」


その言葉に、なつ美の表情がすこしだけ崩れる。

そっと太郎を引き寄せ、肩に顔を埋めながらつぶやく。


「……なにそれ。ずるい」



そして、そっと唇が重なった。


(やばい……5年ぶり……)


(俺、できるのか……44歳だぞ……?いや、やるんだ!やり抜くぞ俺…)



なつ美の手を強く握る



────

 

早朝。


すずめの鳴き声と、遠くで鳴くカラスの声が重なる。


太郎は先に目を覚まし、隣で眠るなつ美をそっと見つめた。



(やった……やりきった……)

(なつ美最高……!最高の妻だ……!愛してる!)


そう心の中で雄叫びを上げたあと、ふっと息を吐いた。


亡くなってから、こんなにも誰かを愛おしいと感じるなんて——



少し遅すぎた、

でも間に合った。そんな気がした。


朝日が、ゆっくりとカーテンの隙間から射し込み始めていた。




───


最終話 

3日目の夕飯『ザクザクのかき揚げ』

へ続きます


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