第2話 1日目の夕飯『普通の唐揚げ』
1日目の朝
淡い光が、差し込み
太郎はゆっくりと目を開けた。
懐かしい天井。
寝室の天井に浮かぶ小さなシミまで、記憶どおりだった。
身体を起こすと、シーツがさらりと音を立てる。
夢じゃない。いま、自分は“3日間だけ”この場所に戻ってきている。
静かにドアを開けてリビングへ向かうと、
目に飛び込んできたのは、テーブルに置かれた——自分の遺影。
(……やっぱり、俺は……亡くなったんだな)
額縁に手を伸ばして、ふと表情が引きつる。
(って、えっ……俺、半眼じゃない!?
うそでしょ……これしか無かったの? いや……たしかに写真嫌いで、まともに写ってたのこれくらいか……)
自業自得の後悔とともに、がっくりと肩を落とした。
──
カップの音が静寂を破った。
振り返ると、台所でコーヒーを注ぐなつ美の姿があった。
「……なつ美……?」
思わず名を呼ぶと、彼女はふと振り返ってこう言った。
「——あら。夢で……会いに来てくれたの?」
その表情には、驚きも涙もなかった。
けれど、痩せた頬と目の下のくまが、1ヶ月の重さを物語っていた。
太郎の胸が、音もなく締めつけられる。
「……なつ美」
言葉がうまく出てこないまま、太郎はそっと彼女を抱きしめた。
しっかりと、逃さぬように。
「ちょっと……なに……」
戸惑う声。
でも、なつ美はそのまま、太郎の腕の中にいた。
「……ごめん。なにも言えなくて……愛してる。ずっと」
なつ美の手が、そっと太郎の肩に添えられる。
「……いきなりいなくなるなんて……ずるいよ」
「本当に……大変だったんだから」
彼女の声に怒気はなく、ただ疲れと静かなやさしさが滲んでいた。
「夢ってわかってる。わかってるけど——
こうして抱きしめてもらえるなら、それだけで、嬉しいよ」
太郎は何も返さず、そっとその背を撫でた。
朝食の支度をふたりで並んでするのは、いつぶりだろう。
なつ美がトマトを切り、太郎が皿を並べる。
目が合うたび、ふっと笑い合った。
涙を隠すための、柔らかな嘘のような笑顔で。
「えり、そろそろ起きてくるわよ」
階段の上から足音が降りてくる。
制服姿のえりが、そっと顔をのぞかせた。
「……お父さん……?」
一歩。
そして、もう一歩。
えりがゆっくりと近づいてきて、小さな声で言う。
「これ……夢なんだよね……だって、お父さん……もう死んじゃったもんね」
「えり」
「お父さん……ごめん。……ごめんね……!」
えりは声を詰まらせながら、崩れるように泣き出した。
太郎はそっと近づいて、娘を抱きしめる。
「謝ることなんか、なにもしてないよ」
「……あの朝……洗面台で“邪魔、どいて”って言っちゃった……。
あのまま学校行っちゃって……私、ずっと後悔してたの……」
「そうだったっけ? 覚えてないなぁ」
「……本当?」
「ほんと。仮に覚えてても——
そんなことで怒ったりしないし、大丈夫だ」
えりは嗚咽をこらえきれず、太郎の胸で泣いた。
太郎は娘の背中に手をまわし、やさしく髪を撫でる。
───
えりが登校した後。
リビングでふたり、静かにコーヒーを飲む。
「ねぇ……帰っちゃうの? すぐ?」
なつ美が問う。
太郎は黙って、懐中時計を見せた。
「あさっての夜、23時まで」
洗い物をしていたなつ美の手が、ふっと止まる。
「……そう」
「なに食べたい? なんでも作るよ」
「そうだな……唐揚げと、カレーライスと、あと……かき揚げ」
「焼肉とかお寿司じゃなくていいの?」
「うん。なつ美の“いつもの夕飯”がいいんだ」
なつ美はふっと笑い、「了解」とだけつぶやいた。
───
「ちょっと書斎、行ってくる」
2階に上がると、引き出しの中がきれいに整理されていた。
「まぁ……一ヶ月経てば、片付くか……」
通帳の場所を確認し、ふと思い出す。
「あっ……あれ……処分したのか……」
(……ない。俺の大人の本……やばい、見つかった!?)
「……最悪だ。俺の性癖ばれてる……死にたい」
ガクッと崩れかける太郎。
(……ま、俺、もう一回死んでるし。もういいか)
──
リビングに戻ると、なつ美がコーヒーを差し出してくれた。
太郎は一口すすり、ふぅっと息を吐く。
「……いろいろ迷惑かけて、ごめん」
「いいのよ。手続きだらけで気が紛れたし。
戸籍、銀行口座、保険の申請——ずっと動いてたから」
「……ありがとな」
「あなた、ほんとに真面目だったのね」
「え……なんで?」
「スマホ、確認したのよ。お世話になった方の連絡先を調べようと思って。……でも、変な履歴も、いかがわしいのも一切なくて安心した」
(いや……、いかがわしいものは書斎に……)
なつ美がふっと目を細め、口元をニヤリとゆがめた。
「まさか……巨乳好きだったとはね」
「ぶっ!!」
太郎は盛大にコーヒーを吹き出した。
「ちょ、待て、それ言うなよっ!?!?」
なつ美は肩を揺らしながら笑い、
「先に死んじゃったあなたが悪いのよ」
そのあっけらかんとした声に、太郎は思わず苦笑いするしかなかった。
なつ美は、笑いながらカップを取り直し、
ふっと表情をやわらげて言った。
「……ありがとう、太郎さん。ずっと一途だったの、知ってるから」
「……俺はなつ美だけだよ。最初から、今もこれからも」
言葉にした瞬間、なつ美の頬がほんのすこし赤くなった。
ふたりのあいだの空気が、すこしだけやさしく揺れた。
───
午後。
リビングの陽が少し傾く頃、太郎はソファでうたた寝をしていた。
「ただいまー!お父さん、まだいる?」
「まだいるよ」
えりが帰宅し、ふたりで部活やクラスの話をして笑い合う。
なつ美は夕飯を用意する。
鶏もも肉を包丁で切り、ポリ袋に入れ
調味料を入れよくもみ込む、すりおろした生姜を多めいれる。片栗粉、強力粉をいれ、高温の油で揚げる。
太郎が嬉しそうに後ろからのぞく
「普通の唐揚げよ。高い鶏肉でもないし、本当にこれで良かった?」
「これが食べたかったんだ」
「なら良いけど……」
夕飯はなつ美が作った、生姜がきいてるサクサクの唐揚げ。
「いただきます!」
一口食べた瞬間、胸の奥に込みあげてきた懐かしさ。
(うわ……泣きそう……、耐えろ耐えろ)
太郎は明るく言う。
「うまいな。やっぱり、なつ美の唐揚げがいちばん好きだ」
なつ美は、黙って太郎のずっと横顔を見つめていた。
その夜、太郎はいつもと同じように皿を洗った。
特別なことは何もない。けれど、もう二度と戻らない——そんな一日だった。
それは確かに、ささやかな奇跡だった。
第3話 2日目の夕飯『具が溶けたカレーライス』続きます
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