第7話 彼女の視線
放課後の教室に、夕陽が斜めに差し込んでいた。窓際のカーテンがふわりと揺れて、その柔らかな光の中で、俺――山城泰介は、ぼんやりと机に肘をついていた。
「……なにぼーっとしてんの、山城」
久我涼子の声で我に返る。茶色の髪を揺らしながら、涼子は机の上に肘をついてこちらを見ていた。
「いや……別に。ちょっと考えごと」
「ふぅん。……未玲、最近ちょっと変だよね?」
「え?」
その名前を聞いて、心臓が軽く跳ねる。未玲――月野未玲。小さいころから一緒で、俺にとっては当たり前すぎる存在。でも、最近の未玲は少しずつ変わっている気がしていた。
「未玲がどうかした?」
「アンタってほんっとに鈍いよね」
涼子は小さくため息をつくと、椅子を引いて俺の机に近づいた。
「未玲、この前からさ……やけに山城のこと見てるじゃん。気づいてないの?」
「見てる……?」
確かに、ふと目が合うことが増えた気がする。けど、目が合うと未玲はすぐに目を逸らす。そんな些細な変化に、俺はずっと気づいていなかった。
「……気づいてなかったな」
俺がぼそりと言うと、涼子はやれやれと肩をすくめる。
「まあ、未玲のことだしね。プライド高いし、自分から話しかけるの苦手だから……あんたが気づいてやんなきゃ」
「……そう、かもな」
言いながら、胸の奥が少しだけざわついた。あんなに近かった未玲が、俺の知らないところで悩んでるなんて、考えたこともなかった。
「なに考えてんの?」
「ん……いや、なんか……昔はもっと素直だったなって思って」
小さいころの未玲は、よく笑って、よく怒って、何でもストレートにぶつけてきた。けど、今はちょっと距離を置いてるみたいで――それが少しだけ寂しかった。
「ふぅん……ま、そういうとこが未玲なんだろうけど」
涼子はくすっと笑って、俺のノートに落書きする。
「アンタ、最近は園宮栞ちゃんと話すこと多いでしょ? 未玲がそれ気にしてるのかもよ?」
「どういうこと?」
久我がどういう意味でそんなことを口にしたのかは分からなかったが、無意識に、園宮栞の名前が頭に浮かんだ。園宮さんは落ち着く存在で、俺の知らない新鮮な世界を見せてくれる。でも――
(俺にとって、未玲は……)
教室のドアが開いて、そこに未玲が立っていた。夕陽が背中を照らして、まぶしいくらいだった。
「……涼子、泰介……何してるの?」
声は落ち着いてるのに、どこか張り詰めていた。
俺は、涼子の落書きを隠すようにノートを閉じる。
「別に……ちょっと雑談してただけ」
「……ふぅん」
未玲の目が、俺の目をじっと見ている。何かを探すみたいに。けど、俺はその意味がわからなくて、思わず視線を逸らした。
教室の空気が、急に重く感じられた。
「未玲、先帰らないの?」
「えーと、泰介のお母さんに頼まれてたことあるから泰介と一緒に帰ろうと思ったの。別に1人でもいいんだけど」
「え? 俺の母さんが未玲に? そんなこと今まであったかな」
未玲は口元をきゅっと結んで、俺の返事を待っている。涼子が目を丸くして小声で言う。
「……ほらね? こういうの、気づけよ?」
久我の言葉が耳に残る。でも――
俺は、未玲の真意を読み取れずにいた。
「……ああ、いいよ。帰ろう」
俺が言うと、未玲はほんの少しだけ、ほっとした顔を見せた。けどその一瞬の表情は、すぐにまたいつもの無表情に戻った。
夕陽に照らされた未玲の横顔を見ながら、俺は考えていた。
(なんなんだろうな……この距離感)
昔は当たり前だったはずの距離が、今はどうしてこんなに遠く感じるんだろう。
そんなことを考えながら、俺は未玲の隣を歩き出した。