第4話 距離と余白
次の日の昼休み。
いつものように、教室の空気から逃げるようにして、俺は図書室に向かっていた。
特に目的があるわけじゃない。ただ、静かな場所にいたいだけで――昨日のような、あんな出来事がまたあるなんて、考えてもいなかった。
けれど図書室の扉を開けたとき、視線がふっと交差した。
「……こんにちは」
「あ、うん。こんにちは、園宮さん」
金髪の子――園宮栞さんが、また同じ席に座っていた。
昨日と同じように、ブレザーの袖を少し長めにして、文庫本を胸に抱えるように持っている。
目が合った瞬間、少し驚いたような表情をしたけど、それ以上に――うれしそうに、見えた。
「こ、ここ……いつも、誰もいないので。もし迷惑じゃなければ……」
「あ、ううん。大丈夫。俺も、ここ落ち着くなって思ってたとこだし」
なんだろう、この空気。
会話はぎこちないのに、不思議と嫌じゃない。
彼女は、昨日よりもほんの少しだけ、俺との距離を詰めていた。
「昨日の本、読んでくれましたか……?」
「あ、うん。最初だけ、ちょっと。でも、なんか雰囲気よかった」
「よかった……っ」
彼女の目が、ぱっと明るくなったのを見て、思わず「かわいいな」と思ってしまった。
そのことに自分でびっくりして、少しだけ視線をそらす。
「えっと……山城先輩、あっ……ごめんなさい、馴れ馴れしくて……」
「ああ、ごめん。呼び方、それでいいよ。俺も、園宮さんって呼んでるしさ」
「はい……!」
園宮さんは、こくこくとうなずいた。
その手元には、何やら小さなメモ帳の切れ端みたいな紙があった。
「これ……あの、本好きな人たちの間で、ちょっと有名なブログのリストなんです……。もしよかったら、あとで見てみてください」
「へえ……ありがと」
素直にうれしかった。
誰かにこんなふうに何かを“わざわざ用意してもらう”なんて、ずいぶん久しぶりな気がした。
それと同時に、ふと頭をよぎる影があった。
――未玲。
名前を出したわけでもないのに、彼女の顔が思い浮かんだのは、なんでだろう。
最近、未玲とはほとんど話していない。
同じクラスにいて、席もそこまで遠くないのに。
でも、なんとなく“目を合わせないようにしてる”のは……たぶん、俺の方だ。
あの頃のままでいてほしかった。
でも、変わったのはきっと彼女だけじゃない。俺も、あの頃とはもう違う。
「山城先輩……? あの……どこか痛いとか……」
「え、ああ、ごめん。ちょっと考えごとしてただけ」
「……よかった」
ほんの小さな声だったけど、その一言に、思わず胸の奥がふっと温かくなった気がした。
けれど。
「……あれ? 泰介じゃん。なにしてんの?」
その声が、図書室の空気をひやりと変えた。
未玲だった。
図書室の入口で、未玲がこっちを見ていた。
ポニーテールが少し乱れている。教室ではいつも完璧な制服も、今日はボタンがひとつだけかけ違っていて、それが妙にリアルだった。
「……あれ? その子、誰?」
言い方はあくまで自然だった。けれど、その目は笑っていなかった。
「あ、あの……っ」
園宮さんが小さく縮こまる。
その姿を見て、俺はとっさに言った。
「図書委員の……一年生で、園宮さん。たまたま一緒になって……」
「ふぅん」
未玲はそれ以上何も言わなかった。けれど、そのひとことがすべてを語っていた。
未玲の視線が、言葉にできない感情を押しつけてくるようだった
(……面倒なことにならなきゃいいけど)
そんなことを考えながら、俺は自分でも気づかぬうちに、園宮さんのほうへ体を向け直していた。