第1話 眩しい教室と図書室の隅
昼休み。俺は今日も、後輩と向かい合って弁当を食べている。
「先輩、はい。あーん……」
「いや、それは……」
「いいじゃないですか……だって、恋人ですから」
顔を赤くしながらも、しっかり差し出されるタコさんウインナー。
「……ありがと」
パクッと食べると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
……可愛い。けど、おかしい。
(これ、“フリ”だよな……?)
一時的に“恋人のフリ”を始めたはずなのに、なんかもう、後輩のノリがガチっぽい。
「先輩、今日は手つないで帰りませんか?」
「え、必要ある?」
「恋人ですから」
――俺、いつから“本気の彼女役”と付き合ってるんだっけ。
ーーーーーーーー
昼休み、教室の真ん中から明るい笑い声が響いていた。
「でさー、それがもうめっちゃ笑えて!」
輪の中心にいるのは、月野未玲。
黒髪を高めに結ったポニーテールが、笑いに合わせてふわりと揺れる。
涼やかな瞳に通った鼻筋、白く整った襟元に映える赤いリボン。制服の着こなしもきっちりしていて、姿勢すら絵になる。
見た目を一言で表すならば、大和撫子といったところだろう。あくまで見た目の話しだ。
「未玲、今日はどこ行く〜? カラオケ?」
「だねー! みんなでカラオケいこー!」
そうやってクラスの中心に自然と収まっている彼女を見ていると、ふいに胸がチクリとした。
――俺の知ってる未玲じゃない、みたいだ。
あの頃は、もっと素っ気なくて、口数も少なかった。
無口なぶん、目が合えばふと微笑んでくれて、それだけで安心できたのに。
でも今は、笑い合う相手の中に、俺の居場所はなさそうで――
「……行こ」
俺――山城泰介は、無言で席を立った。
別に避けてるつもりはなかった。
けれど、未玲のいる場所はまぶしすぎて、まるで太陽を直視するみたいで、長く見ていられなかった。
疎遠になってどれくらいだろう。中学の途中までは、毎日のように一緒にいたのに。
どうしてこうなったんだろう。
自分でも分からないまま、俺は静かな場所を探して廊下を歩いた。
――図書室。
昼間でも人気が少なくて、ひんやりとした空気が漂っている。
高く積まれた本棚の間は、音が吸い込まれていくように静かで、誰もが「ここでは声を潜めよう」と思う。
そういう空気が、今の俺にはちょうどよかった。
自分でも驚くほど自然に足が向いていた。図書室なんて、いつぶりだろう。
(……なんか、落ち着くな)
本棚のひとつに背を預け、ふと目を閉じたときだった。
どこかから、じっと見つめられているような視線を感じた。
(ん……?)
目を開けると、隣の棚のすき間から、ひとりの女子がこちらをのぞいていた。
金髪のショートカットがちらりと見える。
鋭い目元かと思いきや、どこか不安げに伏し目がちで――
耳元で、きらりと小さなピアスが光っていた。
制服は俺と同じブレザーだけど、彼女のはちょっと着崩してあって、スカートも短め。
ルーズソックス気味の白い靴下が、ゆるく足元を包んでいる。
(ギャル、不良……? 俺何か恨み買うことしたかな……)
一瞬そう思った。けれど、彼女の目つきはギャルらしい自信や鋭さとは真逆だった。
まるで、「ここにいてごめんなさい」と言いたげな小動物みたいに、おどおどしていて。
目が合った瞬間、彼女はビクッと肩を揺らした。
「あ、あの……」
小さな声。まるで、誰にも聞かれたくないとでもいうように。
その手に一冊の文庫本が握られている。
「こ、これ……おすすめ、です」
そっと差し出されたそれには、柔らかなタッチのイラストと、淡いタイトルが描かれていた。
恋愛小説だろうか。知らない作家の名前。知らない物語。
「え、えっと……」
戸惑う俺をよそに、彼女は本を差し出したまま、視線をそらしてもじもじしていた。
言葉を探すより先に、彼女は本を押しつけるようにして、小さく頭を下げた。
「す、すみませんっ」
そして、本棚の影にするりと消えていった。まるで最初からそこにいなかったみたいに。
俺は、取り残されたように文庫本を見下ろす。
――いったい、なんだったんだ。
そう思いながらも、不思議と悪い気はしなかった。
彼女の残した、少し甘くて不器用な空気が、まだこの場所に残っている気がした。
ふと、本の帯に書かれた一文が目に留まる。
「“すれ違ったままの恋が、静かに動き出す”」
なんとなく、今の自分とかぶる気がして、俺は小さく息を吐いた。