僕の明星
Prologue
僕には好きな人がいる。
不器用で、頑固なところもあって、ちょっと素直じゃないけど、僕を陽のあたるところまで引っ張っていってくれるような、道標みたいな人。初めての、僕の特別。
そんな“彼”は僕と同じユニットのアイドルだ。
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1.密かな憧憬
『最近急上昇中のアイドルグループ《Vivid★Stars》通称ビーズ。メンバーはこの5人!
1人目はしっかり者でみんなのお兄さん系リーダー、朱央ヒナタ。メンバーカラーは赤。落ち着いた大人な雰囲気と、その優しさでファンを包んでくれます。
2人目はあざとくてちょっと毒舌系、桃瀬カオル。メンバーカラーはピンク。世渡り上手でその可愛さに世間はメロメロ!
3人目はいじられ役なツッコミ系、翠ユウト。メンバーカラーは緑。
その真摯で真っ直ぐな瞳に撃ち抜かれたファンも少なくないはず。
4人目は天然で儚いミステリアス系、夜島アオイ。メンバーカラーは青。ライブでの透き通るような歌声はファンの心を掴んで離しません。
5人目は我が道を行く俺様なやんちゃ系、山吹セイヤ。メンバーカラーは黄色。ダンスが上手くてセンスもピカイチ、ワイルドなカッコ良さで胸きゅん必須です。
さて、今回はそんな皆さんに取材をさせていただきました』
自販機横のブックスタンドからたまたま手に取った雑誌を途中まで読んで、ペラペラと次のページをめくる。黄色で構成されたページが目に入って、めくる手を止めた。
『Q:あなたから見たそれぞれのメンバーの印象は?
A.そうだな〜、リーダーはもう本当にファンの皆さんと同じでアニキ〜!って感じ。カオルは何だかんだ言って弟感があるかも。俺とゆーちゃんは同い年だから、ほんと弄りがいのあるライバルみたいな。アオイくんは気ままな猫って感じです(笑)』
少し猫を被ったコメントの文字をなぞって、ため息をつく。呼び方が『アオイくん』だなんて、ほかのメンバーに比べて何だかよそよそしく感じて少し落ち込んでしまう。一応他のとこよりウチは上下関係も緩くて仲良しな方だけど、やっぱりより関わりの多いメンバーの方が僕よりも距離が近くて羨ましい。
再びため息が口から漏れる。
事務所の稽古場の休憩スペースで一人、僕こと夜島アオイはソファに腰掛けていた。
アイドルという仕事をはじめたのは2年ちょっと前。その頃はまだまだ駆け出しで人気もあまりない、《ジェミナイ》というセイヤと僕の2人組のユニットだった。それでも全く苦ではなかったし、むしろ楽しかった。そりゃ金銭的な面では苦労はしたが。
それから時が経って、事務所の方針が変わると共にメンバーが3人も増えて、ユニット名も変更された。互いにほかのメンバーと絡むことが多くなった。着々とファンは増え、気づけばここまで来ていた。無論今の生活が嫌な訳では無い。ファンにも、メンバーにも、感謝してもしきれないくらいだ。
でも、やっぱり感情はどうにもならないもので。
(どうしてこうなっちゃったんだろ……)
僕はかれこれ1年以上前から、同じユニットメンバーのセイヤに片想いをしていた。
きっかけは何だったか。
本番前、緊張で表情が固くなる僕を不器用ながらも励ましてくれたことだったかもしれないし、記念のライブでハイタッチし合ったことかもしれないし、僕の好物を覚えてくれていて、誕生日にたくさんプレゼントしてくれたことだったかもしれない。
兎にも角にもいろんな『好き』が積み重なって、『恋』になった。
最初僕は戸惑った。単なる友情とか仲間意識とか、そんなふうに思っていたものが、全く別物だと気づいたんだから。だけど、一度芽生えた感情はなかなか消えてはくれなくて。
なんとなく、雑誌に載った彼の写真を指で撫でる。輝かしい金色の髪は、自身の目にはキラキラと鮮やかに映って見えた。
アイドルで男同士。きっとこの恋は叶わない。わかってはいるけど、ああ、せめて指先だけでも触れ合えたなら。
「なーにやってんのさ、アオイ」
ビックリして、思わず雑誌を閉じる。振り返れば、カオルが不思議そうな顔でソファに寄りかかっている。
「あ!それボクらがついこの間した取材のやつじゃーん」
ちょんちょん、とカオルが僕の頬をつつく。特定の絡みが人気とか何とかで、最近はカオルと触れ合うことが多いからか、今では気安い友人のような関係だ。ちなみにセイヤ関連で多い絡みはユウトとだったりヒナタを含めて3人でとかだったりする。
「どう?どんな感じ?」
「ああ、うん…ばっちりだよ」
セイヤしか見てなかったことを誤魔化したくて、適当に当たり障りのない返事をかえす。
「そう。ボクにもみーせーて」
隣に座ったカオルに雑誌を手渡すと、すぐに受け取って該当のページをさっと開いた。
「ふふん、今回はばっちり盛れてて大満足かな。この前の酷い写真のリベンジが果たせて良かった〜。あ、ほらこれ、アオイもかっこよく写ってんじゃん」
カオルが僕の写ったページを指さす。その顔はどこかボケっとしていて、日頃から何考えてるか分からないと言われるのも頷ける。
彼のページしかちゃんと見ていなかったから、そんな写真が撮られていたとは知らなかった。
写真の違いはよく分からなかったが、カオルがいいと言ってるのだからきっと素晴らしいものなのだろう。
「おい」
「ッうわっ!?」
唐突に頭の上から大好きな声が降ってきて、大袈裟なほど驚いてしまう。
セイヤは至近距離で、ソファに腰掛ける僕らを見下ろしていた。
「んだよ、そんなに驚くことないだろ」
「アオイがビックリしちゃったのはさ、やっぱり山くんのガラが悪いからじゃないの〜?」
「はぁ〜〜??」
ポンポンと進んでいく会話に、置いていかれたような気持ちになる。カオルとセイヤのような兄弟みたいな仲も羨ましい。ユウトはセイヤによくイジられてじゃれ合ったりしてるし、リーダーは世話焼きだから、セイヤの調子が悪い時にはお母さんみたいに支えている。勿論皆が嫌なわけじゃない。皆に嫉妬する僕自身が嫌なんだ。
セイヤの周りには僕の入る隙がまるでなくて、寂しい。あの頃みたいな相棒のような関係にでもなれたらいいのに。
「ほんと、お前はなあ……」
「だって本当だもん。ね〜、アオイ。……アオイ?」
「……え、あ、えっと…うん」
違うことを考えていたせいか、反応が遅れてしまった。
「ぼーっとしてたけど大丈夫?何かあった?」
何かあったんじゃなくて、寧ろ何もないことが落ち込んでる原因なんですけど……とは言えなくて、「大丈夫」と思ってもないことを告げる。
「ならいいんだけど……なんかあったら言うんだよ?」
「そういやカオル、リーダーがお呼びだってよ。早めに行った方がいいんじゃねえの」
「はいは〜い」
そう言われたカオルは早々に休憩スペースから立ち去ってしまった。
セイヤはカオルを呼ぶ為だけに来たんだろうか。こうして会えるのは嬉しいが、それはそれでちょっと残念に思う。
セイヤは小銭を取りだし、自販機のボタンをピッ、ピッ、と2回押した。下からガコンとペットボトルが落ちてくる。1つは僕も好きなとこのスポーツドリンク、もう1つはいちばん安い麦茶。
ぼんやりとその光景を見ていれば、セイヤは「ん」とガサツにスポーツドリンクを差し出す。状況がよく飲み込めずセイヤとスポーツドリンクを交互に見つめていると、その空気に耐えきれなくなったセイヤが口を開いた。
「それ飲んで元気出せ。もう休憩終わるし早めに来いよな」
半ば押し付けるようにして、ズンズンと歩いていく。唖然としたまま、しばらくその背中を見送っていた。
あんなの、ズルいじゃないか。余計に惚れさせないでよ。僕の気持ちに全然気づいてないくせに!いや、気づかれた方が困るけどさ。
ようやく何が起こったのか正しく理解した僕は、少し火照った顔をペットボトルで冷やしながら稽古場に駆けた。
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2.隠れた嫉妬心
次のライブでの曲が決まり、本格的に練習が始まった。早朝から集まり、ステップや振り付けを覚えなきゃいけない。
「はいワン、ツー!ワン、ツー!」
ダンスの練習中、講師の人から「そこワンテンポ遅れてるよ」と指導が入る。ダンスは歌よりも苦手だから、他のメンバーより多めに注意されてしまう。ここはリーダーとセイヤが歌う場面だから、歌わない自分はどうしても振り付けを完璧にする必要があった。
「今度はちょっと早いかな。やり直し」
再び同じところを指摘され、疲れながらも返事をした。ああ、もう。なんで出来ないかな。要領の悪い自身にいらだちを覚える。ここが家ならクッションをソファに投げつけていたことだろう。
「ユウトくんそこのキレいいね。その調子で」
「ありがとうございます!」
真面目なユウトはポイントをおさえて学習するのが上手くて、ダンスも僕より上達が早く、それに驕ることもない。こんな飲み込みが悪い僕とは大違いだ。
「よかったじゃん、ゆーちゃん」
「はは、せーくんにはまだまだ及びませんて」
自然と耳に入ってくる会話に奥歯をギリと噛み締める。拳に爪が食い込む。はじめは僕がそのポジションだったのに、なんて見当違いな嫉妬心を抱えながら、スポーツドリンクを飲み干した。
「ねね、アオイ」
同じくダンス担当のカオルが話しかけてきた。
「僕もここ苦手だからさ、一緒に練習しよ!」
明るい笑顔に先程までの毒気を抜かれる。彼はここは特に苦手でもないだろうに、僕が苦戦しているのを見越してそんなことを言ってくれたのだろう。僕もいい友人をもったものだ。快く了承すると「じゃ、ゆっくりのテンポでやろうか」と彼が提案する。
「…………?」
ふと背中に視線を感じて振り向いたが、別に誰もこちらを見ていなかった。……気の所為だったかな。
気を取り直して、僕はカオルと個人練を再開させた。
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3.暴かれた劣情
「いやー、今回のライブも大成功だったな!」
リーダーの声がイベントホールの関係者通路に響く。他のメンバーも興奮冷めやらぬと言った様子で、あれが良かったとか、次はこうしてみたらどうだろうとか、口々に感想を述べている。とくにセイヤのはしゃぎようと言ったら……思い出すと、可愛らしくて頬が緩んでしまう。
しかしまあ、かく言う僕も目を閉じるとすぐに先程までの光景が浮かんでくるくらいには、まだまだライブの余韻が残っていた。ファンの作り上げるペンライトでできた光の海は色とりどりでとても美しい。そこに僕らがいれることがとても誇らしかった。
今日はそのまま会場で、スタッフも含めて皆で打ち上げをすることになった。
缶ビール片手に乾杯して、各々会話を楽しむ。ただ、僕はメンバー以外の人と話すのが苦手だったから、楽屋に忘れ物をしたなんて言ってちょっとだけその場を抜け出してしまった。
楽屋でのんびりしていると、なんとセイヤまでやってきた。来るとは思ってなかったから嬉しい誤算だ。なんでも、向こうの方では酔っ払いたちがどんちゃん騒ぎしだしたから避難してきたらしい。
2人とも缶ビールを机に置いて、座り込む。あのスポーツドリンクの時から久々の2人きりだった。もっと沈黙が多くなるかと思っていたら案外そうでもなくて、心地よい会話が部屋を支配する。あの頃に戻れたみたいで嬉しかった。
「そういや、今日のあの歌めっちゃ感情こもってたよな」
「え、どこ?」
「『高嶺の花でも恋してる♪届くはずないと分かっていても諦められないんだよ♪』ってやつ」
「そうかな……」と半笑いで答える。歌詞が今の自分の気持ちとリンクしたからだとはとてもじゃないが言えない。本人の前だと尚更。
「もしかして、そういう相手がいたりすんのか?」
笑ってそんなことを聞く彼に柄にもないほど動揺してしまって、机の上の缶ビールに思ったより強く手が当たる。零れる前に何とかしようと、僕もセイヤも手を伸ばしたせいで、変な体制になったセイヤが転けて、かぶさってきた。
なんとか零れる事態は防げたものの、状況は随分マズイものになってしまった。
僕の股の間に彼の足があって、床にぶつかるすんでのところだったから、当然体も密着している。鼻が当たりそうな距離だ。目に毒だからあえて彼の方を見ないようにしていたのに、いやでもじっくり見るような体制になってしまった。
彼のスパイシーな香水の匂いが鼻をくすぐる。お酒を飲んで赤くなった顔に、触ったら気持ちよさそうな潤った唇、汗で少し張り付いた前髪、普段よりも肌の見えるだいぶ着崩した服。本音を言うと、凄くエロかった。
(やばい、はやく、早く離れなくちゃ)
そう思っても、体は正直なもので。普段ならもう少し上手くやれただろうに、お酒が入っていたのもあったのだろう。
後戻りが出来なくなるぞと頭の中で警告音がガンガンと鳴り響くが、もう遅かった。
下腹部に熱の溜まる感覚。男なら何度だって経験したことのある感触。彼のことを仲間だと言い張りたいのなら決して固くなってはいけないそこが、だんだんと起き上がっていく感じがした。ちょうど彼の足がそこにあるせいで変な声が出そうになるのをグッと堪える。最悪だ。
こんな姿を見られたくなくて、必死に股を片手でおさえてもう片方の手で顔を隠した。
「お前……」
顔を片手で覆っていたから表情は分からなかったが、『嘘だろ』と言いたげな声色で聞こえてくる。
「っ…………ごめん」
絶望やら羞恥心やら、色んな感情がごちゃ混ぜになって、泣きそうな声になってしまった。
「い、いや…生理現象だし、仕方がないっつーか、気にしなくても全然俺は……って、おい!」
彼の健気なフォローに心が痛くなって、その場から逃げるように飛び出した。行き先は言うまでもなくトイレ。
しばらく経ってトイレから出た後も、顔を合わせるのが怖くて体調が悪くなったことにして早退させてもらった。
考えうる限りいちばん最低な方法で、彼に気持ちがバレてしまった。
その事実に耐えられなくて、僕はどうにかなってしまいそうだった。
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4.殻を破って
ライブの後、不幸中の幸いで休みを貰えた為、もとより外に出るタイプでもなかったけれど、僕は徹底的に引きこもった。
あれから、怖くてスマホのメールを一切開いていない。
(これからどうしよう)
あんなことになっておいて『あ、どうも〜』なんて言えるほど心臓に毛は生えてない。かといって気にしすぎて他の人にバレるのも、急にこの仕事を止めるのも無理。
スマホは使えずテレビも見飽きた僕は、ファンから届いた手紙を読むことにした。『体調にお気をつけて』とか『応援してます』とか、暖かい言葉で溢れていて、ツイでなくて落ち込んでいた僕の心を癒してくれる。何通か読んでいるうちに、ふと一通の手紙が目に止まった。
『はじめまして、最近貴方のファンになりました。貴方に感謝を伝えたくて筆をとった次第です。私事ですが、私には好きな人がいて、でも絶対叶わないような人で、この気持ちに蓋をして諦めようと思っていました。
でも、貴方の歌を聞いて、何も言わずに諦めるのは違うなって思ったんです。貴方の透き通るような歌声が、私の背中を押してくださいました。貴方の人に寄り添うような歌い方が私に前を向く勇気をくれました。結果がどうなろうと、この気持ちを伝えようと思います。
こんなふうにいい方向に変われたのは貴方の歌がきっかけです。本当に、ありがとうございました』
そこまで読んで、前がぼやけて見えなくなった。せっかく書いてくれた手紙に涙の後がついてしまうのを申し訳なく思いながら、言葉を一言一言噛み締める。弱った心に染み渡っていく。
想いを告げるのは怖いだろうに、それでもきちんと伝える覚悟を持っている。顔もどこに住んでいるのかも分からない子だったけれど、僕を奮い立たせるのにそんなのは関係なかった。ただ、この子もどこかで頑張っているのだと思うと、じっとしてられなかった。
今まで開いていなかったメールのアイコンをタップする。メンバーやスタッフから心配するようなメールが届いていたのに気がついて、一つ一つ返信していった。カオルからはすぐに返事が返ってきて、『お大事に』と可愛らしい兎のスタンプが送られてくる。ユウトからは『体調不良のときはヨーグルトがおすすめですよ』と、リーダーからも『暖かくして寝るんだよ』とオカンのような返信がきた。優しい人ばかりで心がふっと軽くなった。
事情を知っているセイヤからは特に連絡はない。恐らく相手も連絡するのは気まずいと思っていることだろう。
でもやっぱり、気まずいままではダメだから。勇気を振り絞って指を動かす。
『大事な話があるので、明日少しだけ時間をくれませんか』
打ったメールは案外早く既読がついた。2分くらいして、ポコン、と返信が届く。
『了解した』
たった一言。それだけではやはり彼の様子は伺えないが、むしろそれでよかった。予定を合わせて、結局僕の家で話すことになった。とはいっても彼は僕の家の場所は知らないから、近くの駅で集合ではあるが。
どうせ気持ちはもうバレてるんだ。だから、あとは盛大に振られて諦めるだけ。この先仕事で顔を合わせなきゃなんないんだし、また一から新しい関係を築き直そう。腹をくくれ、夜島アオイ。そう自分を鼓舞する。
長い長い夜が明ける。
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5.背水の陣
とうとう今日がやってきた。重たい身体に鞭打って、自宅まで向かう。隣の彼は思ったよりも落ち着いた様子だが、やはり気まずいのか時折そわそわとしている。何だか久しぶりに彼の私服を見た気がするが、ほんとになんでも似合うなこの人。足長いし。流石にジロジロ見るのもあれなので、また地面に視線をずらす。
そんな風に現実逃避している間に、とうとう目的地についてしまった。
「お、お邪魔しまーす」
彼がぎこちなく玄関に上がる。中に案内してソファに座らせた。
「広いな、この家。誰かと住んでんの?」
「いや…一人暮らしだよ」
少し彼と雑談をして、本題を切り出す。
「まず、あの時のことを謝りたくて。不快に思っただろうし。ごめん」
彼は「いいよ、俺全然気にしてねーし」となんてことないような態度で言ってくれる。その優しさが有難い。だけど、これじゃダメなんだ。まだ希望を持ってしまうから。
大きく息を吸って、覚悟を決める。目の前の彼を瞳をまっすぐと見た。
「このままじゃダメだと思ったから、全部正直に言うよ」
「君が好きだ。最初は友達として、仲間として好きだった。でも、今はそうじゃない。そういう対象として好きなんだ」
ここまでハッキリ言われるとは考えていなかったのか、彼の瞳が大きく見開かれる。中の虹彩が揺れて、動揺がみてとれた。
自身の言葉と一緒に、今までの大切な思い出が頭の中に蘇ってくる。大切な思い出と共にあった、特別な感情。その感情とも、今日でお別れだ。
「最後まで隠し通すつもりだったのに、隠しきれなくてごめん。本当に、ごめん……」
泣くつもりなんてなかったのに、やはり報われないと思うと涙声になるのが抑えられない。しょうがない事だったんだ、これは。はじめから結果の分かりきった負け戦だった。彼の目を見つめて、はっきりと告げる。
「酷い言葉で振ってよ、ちゃんと諦め切れるようにさ。そしたらきっと、前みたいな関係に戻れるはずだから。ちゃんと戻るから、ね?」
念を押すように言えば、彼は俯いた。告白されてすぐに振ってくれとお願いされるなんて、はいそうですかとすぐに受け入れるのは難しいだろう。だけど、これがきっと僕らには最適解なんだ。これだけが、僕らがまだ、ただの仲間で居られる方法。元に戻れる唯一の方法。
さよなら、僕の密かな恋。
彼の言葉を待つ。
「……っばーか」
「なんで、振られる前提なんだよ。振れるわけ、ないだろ……」
吐き捨てるように彼が言う。
「…………へ?」
フレルワケ、ナイダロ。
自分に都合の良い言葉が聞こえた気がして、自身の耳を疑った。どういうこと?なんで、どうして、と頭の中が疑問符で埋め尽くされる。こちらに向き直った彼の顔は林檎みたいに赤く染っていて、余計にわけがわからない。
そんな僕を置いてけぼりにして、状況だけが進んでいく。彼は懐から何かを取りだして、ぽいっと僕に向かって軽く放り投げた。
「……ん」
「えっ、これ……」
「俺ん家の合鍵だよ、見てわかるだろ」
いや、そりゃ見たら分かるけどさ……。
そういう話では無い。
「駆け出しの頃は俺とお前でルームシェアしてたんだから、その…今からでも遅くないと思って」
彼の言う通り、まだ2人組だった時代は家賃などを考えてルームシェアをしていた。5人組になり自身の気持ちに気づいてからは色々と耐えられなくなって、結局僕から出ていってしまったが。
今鍵を渡すということは、つまり単なるルームシェアではなくなるのだけれど、下心のある人にこれを渡すのがどういう事なのか彼はわかっているのだろうか。
「これ、いいの?」
「いいったらいいんだよ!俺ん家まだスペースあるし、1人増えたところで問題ない。だから…いつでも、来ていいから」
俯いたまま鍵の持つ手をそっと両手で包み込まれる。こんな、こんな都合のいい事って……。中々信じられなくて、ふと、その優しさが同情からきているのではないかと怖くなった。
「っ……セイヤ。同情とかだったら、僕は……」
受け取れないよと言う前に、彼は僕の言葉を遮る勢いで叫ぶように吐き出した。
「同情なんかじゃない!!俺は、好きでもないヤツに同情なんかでこんな事しない!!」
たまにシャウトとかやってるだけあって、びりびりと耳の奥まで響く。ちょっと耳が痛い。
けれど、確かに心の奥まで想いは届いた。
こほん、とひとつ席をして彼は続ける。
「……ただ、やっぱこの仕事をしている以上、ファンには夢を与え続けなくちゃいけない厳しい面もある」
「だから……この仕事を卒業する時が来たら、ちゃんと言わせてくれ。今度は、俺から」
星のようにきらきらと輝く瞳には熱が見え隠れしている。宵の明星みたいだ。
嬉しくて、声が出なくて、首をぶんぶんと赤べこのように振る。幸せが限界を超えると頬が緩んで戻らなくなることを初めて知った。
ぽやぽやしていると背中に手が回されて、ぽすっと彼の胸に埋まる形になる。
「こ、これはセーフだから」
誰かに言い訳するみたいに呟く彼に、ふふっと笑いが零れる。
もう、苦しまなくてもいいんだ。
受け入れられる喜びは、これほどまでに大きかったのか。
彼の温もりに溺れて、しばらく幸福感に浸っていた。
─────
Epilogue
あれから年月が経って、僕らはファンたちに惜しまれながらアイドルを卒業した。リーダーやユウト、カオルは芸能界に残って俳優業にチャレンジするらしい。
僕もセイヤも芸能界からは引退したが、僕はこの歌声を生かせる事務所のボイストレーナーの仕事をスタッフの方が勧めてくれて、今はそこで働いている。セイヤはダンスが得意だったから、事務所のダンスの講師に抜擢されたそうだ。
まあ、つまり2人とも一応一般人にはなったわけで。僕の左手の薬指には、セイヤと同じデザインのシンプルな指輪が鎮座している。日本だから式は挙げられなかったけど、やっぱりこれが出来るだけでも幸せだ。流石に同じ職場なので仕事のときは外してネックレスにしているが、それ以外の時は肩身離さずつけている。
仕事が終わり、一緒に家に帰ってゆったりとした時間を過ごす。久々に明日はお休み。彼が入れてくれたカフェオレを飲みながら話す時間は至福の時だ。
「お前は、俺と暮らすのが嫌で一人暮らしし始めたんだと思ってた」
唐突に昔話をするもんだから虚を突かれた。不安そうに言う彼が珍しくて目尻が下がる。
「そうじゃないよ。ただ、君と一緒にいると余計気持ちが抑えられなくなりそうだったから、泣く泣く出てっただけ」
あれから気持ちを誤魔化すをやめたら、どもることなくすらすらと素直に言葉が出てくるようになった。恋の力は偉大だ。
「そ、そうか…」
「照れてる?」
「べっつにぃ〜?」
わざとらしくふざけて言うが、髪の隙間から見える耳が真っ赤で、すぐに照れ隠しだと分かり愛おしくなる。頬にちゅ、と軽いキスを落とした。
「へえ、夜のお誘い?」
「ふふ、そういうことにしといて」
じゃれ合うようにして口付けをし合う。
2人の夜はまだ始まったばかり。
END