第五話・天国の動乱
メタボの兄、太一は天国に召されて数日が経っていた。そこはたくさんの緑と色とりどりの花に包まれた素晴らしいところだった。召された者は皆善人で、何の問題もなくただのんびりと時間が過ぎ去っている。
太一はそんな天国の中で目標を持って過ごしていた。といってもその目標も天国ではごくごく自然なことだ。それは自分が幼い時にここに召された母親を探すことだ。家に母親の写真が一切なく顔はうろ覚えだが、何もしないでいるよりかマシだった。
太一がいつものように人がいそうな場所を探しうろうろしていると、突如爆発音が聞こえた。音の方を向くと、光や煙が見える。天国の平穏神話は崩されてしまったのだろうか。
天国の中央宮殿。そこには天使や天国を管理する夜麻がいた。今日は地獄の使者と会談がある日で、宮殿の会議室で行われようとしている。その会談は地獄から持ち掛けられたもので、会場には張りつめた空気が立ち込めていた。
「地獄の使節団のご到着です」
天使が重々しい声で言い、扉が開けられた。入ってくる人物を見ると、夜麻は思わず立ち上がった。
「エンマ、何しに来た!」
夜麻が叫んだ通り、そこには数人の鬼を引き連れたエンマがいた。
「久々の兄弟の再開だと言うのに、つれないね」
「貴様との縁など、とうに切ったわ!」
エンマは声を張り上げる夜麻を気にせず椅子に腰掛けた。数人の鬼はそのまま突っ立ったままだ。
「まあ、今日は使節団として来たんだ。話を聞いてよ」
夜麻は嫌々席についた。この会談はタルタロス、エリュシオンの承認を得た正式なものなので無下にはできないからだ。
「単刀直入に言うよ。天国をくれないかな?」
「何をバカげたことを…、話にならん、帰れ!」
夜麻はテーブルを思い切り叩き、その音が暫しの静寂を生んだ。だがそれは暫しでしかなかった。エンマは直ぐに口を開き言葉を続ける。
「僕はね、ふと思ったんですよ。人間はどうしようもない生き物だと。罪を犯さ
ず生きてきた人間なんていないぐらいにね。大小はあるけど、罪は罪。裁かれな
いなんて不公平だ。だから天国なんて必要ない。いや、天界なんて必要ない。冥
界だけでいいんですよ」
夜麻の怒りは頂点に達していた。夜麻にとってどうしようもない人間がいるのも事実だが、一生懸命生きてきた善人がいるのもまた事実なのだ。その善人を否定されることは天国を否定されることと同様に許しがたいことだった。
「エンマ! これは明らかに天国に対する越権行為だ。それ相応の対応を取らせてもらう!」
夜麻は立ち上がり右の手のひらから炎を生み出した。それを見てその場にいた天使は短剣を構え、鬼たちは金棒を構えた。
「望みというならば」
エンマが指を鳴らすと、待ってましたと言わんばかりに鬼たちが攻撃を仕掛けてきた。
「僕らが使うことになる宮殿だ。あんまり壊さないでね」
外からこの騒ぎが聞こえたのか、外で待機していた鬼たちも暴れ始めていた。宮殿の中と周辺で鬼と天使の争いが始まったのだ。
しかし天使と鬼では力は鬼の方が上であり、数が多くホームグランドとはいえ天使の劣勢は否めなかった。だが天使勢に戦闘専門部隊がいないわけではなかった。宮殿周辺に細い光の筋が次々と鬼たちを貫いていく。
「天国のピンチに我らあり! ヴァルキリー隊の登場よん!」
この場の雰囲気に合わないハイテンションの持ち主は紛れもなく天国戦闘部隊ヴァルキリー隊の隊長、エレン・ヴァルキューレである。
ヴァルキリーは戦闘能力に特化した天使の称号のようなもので、西洋騎士の鎧みたいなものを身に纏い、三角錐の長く大きな形状をした槍、ランスを武器にしている。それは穂先、通称スピアーヘッドと呼ばれる部分が膨らんだ形状をしていて、そこから光の筋、俗にいうビームが出たのだ。
生き残った鬼たちはヴァルキリー隊の存在は知っていたがどんな人物がいるかは知らず、少し困惑した。
「ええい、エンマ様の命令では最優先事項だ! 徹底的に叩き潰せ!」
鬼は体勢を立て直し、反撃に出た。ヤタガラスに掴まり、航空能力を得たのだ。しかし遠距離攻撃手段を持たない鬼はやはり突撃するしかない。
「あらま、悪魔みたいね~。でも悪魔退治のがお手の物よん!」
エレンはヤタガラスを狙って撃つよう指示を出し、その目論みは成功した。これらの様子をいつの間にか宮殿から脱出しその屋根の上でエンマが見ていてため息をついた。
「さすがは天国の守護者達だね。応援を呼ぼうかな」
なにやら呪文を唱えると、エンマの周りに光が生まれた。
「聖獣の名の下に我が望みを叶えよ…、空間を掌握し『麒麟』、我が下僕達を召喚させよ!」
そう言うと空間に歪みが生まれ、そこから麒麟が現れた。そして麒麟が咆哮を上げると、上空から強い光が射し、そこからたくさんの鬼とヤタガラスが出てきた。そして、それらを率いる四天王の一人増長天が現れた。
「やっぱりあの程度の戦力じゃ天国は崩落出来ないみたいですねぇ?」
「そうみたい。でも君とその部下ならやれるでしょ?」
「お任せを」
増長天は甲冑を身に付けているのにも係わらず、飛び上がりながら移動していった。鬼はヤタガラスとペアになり飛んでいった。
「やっと見つけたぞエンマ!」
エンマが振り向くと目線の先には夜麻がいた。肩で息をし、相当探し回ったようである。
「兄さんと戦うと宮殿が壊れそうだからあまり戦いたくないんだけどね」
エンマは金棒を構えた。言葉に反してやる気満々である。
「貴様、麒麟を…。まさか『四霊』すべてを!?」
「さあどうだろうね!」
エンマは金棒を槍のように構え突進した。夜麻は炎を出し牽制するも、それをものともせずエンマは間合いを詰め、夜麻に重い一撃を加えた。
増長天はヴァルキリー隊隊長を探していた。天国にとっての対抗手段がヴァルキリー隊だけなら頭を潰せば戦闘が早く終わると考えたからだ。だが理由はそれだけじゃない。
「どいつもこいつも弱そうだなぁ~。これじゃ隊長も期待できそうにねぇなぁ~」
この台詞から分かるように、彼にとって戦闘は楽しみであり、娯楽程度にしか思っていないのだ。あちこちで戦ってるヴァルキリー隊たちを見て自分の欲求を満たしてくれるのは隊長格だけだろうと判断した。
「あらん? あの鬼…、何か感じが違うわね」
エレンは増長天に気がついた。エレンが言う“感じ”とは単に見た目から判断したものではない。増長天の放つ百戦錬磨な殺気と子供染みた好奇心が交じった、不思議な感覚を感じ取ったのだ。
「なんか気味が悪いわ…」
増長天もエレンに気付き、彼女に突っ込んでいった。ニタニタ笑いながら突っ込んで来たためエレンは余計気味悪がった。
「随分積極的だけど、強引なのは嫌いなのよね!」
エレンはランスを振り回して増長天を払うも、体をひねって避けられた。
「やるなぁ! んじゃ、こいつはどうかな!」
増長天は金棒をブーメランのように投げた。エレンは金棒を避け帰ってきた金棒をランスで突き衝突を防いだ。しかしその時エレンは増長天に背を向けてしまい、その隙を突かれ背後からホールドされてた。
「ちょ、離しなさいよ!」
エレンは必死に抵抗したが増長天の腕力は強かった。増長天はそのままバックドロップの態勢を取り落下していった。
「ちょっと、このままじゃあんたも危ないんじゃないの!?」
「四天王はそんなにヤワじゃないんでねぇ」
「四天王…!?」
「それにお前ってクッションもあるしなぁ!」
増長天はエレンを下に放り投げた。
「きゃあ!」
エレンは地面に激突し、増長天はエレンを踏みつけ着地した。エレンは吐血し、暫く動けなくなった。
「ヴァルキリー隊隊長ってもこの程度かよ。つまらないねぇ。さて次行くかぁ」
増長天は次の強者を求め去っていった。エレンは気を失った。まだ戰が終わったわけではないが、この事態は天国にとって悪い方向に向かって進んでいることは確かである。