第四十話・兄弟
メタボとお嬢はエンマに向かって駆け出す。だがエンマの出す炎が、これ以上近付くことを許さない。
「君たちの相手は兄さんの後にして上げるよ。面白そうだからね」
鳳凰と麒麟が帰ったため、エンマはそれらの力の恩恵はない。それでもヤマはエンマにとって倒せる相手だと言うのだ。
「舐めた真似を…。お前らっ! 心配せんでも、わしがエンマを倒す!」
ヤマはそう言うが、メタボとお嬢はこの手で、地獄組の手でエンマを倒したいという気持ちが強い。
二人は意地でも炎の壁を越える必要があった。
「わしは炎を制する存在…、貴様が炎の化身というなら、わしは貴様をも制してみせるっ!」
「僕は兄さんのキャパシティを超えてるよ。思い通りに出来るなんて考えない方がいい」
ヤマの拳を、エンマは飄々と避ける。
「それに、兄さんは炎を操るしか能がないんでしょ? それじゃ僕には勝てないよ」
「く…」
確かに炎の化身であるエンマに、炎を纏った拳ではダメージが少ない。エンマもろとも焼き尽くすほどの絶対的な炎が必要だ。
しかしこの世界にそんな炎は存在しない。いかに天国の長といえど、そんな炎は作り出せないのだ。
「ま、兄さんに対しても生半可な炎は通用しないけどね」
ヤマは炎を制する存在。故に大抵の炎の攻撃は打ち消しコントロールすることが出来る。だからエンマはヤマに対して攻撃することはなかった。
だがこれはエンマがヤマを倒せないことを意味しない。骨が折れるが倒せない相手ではないのだ。
「全てを焼き尽くすほどの炎を見せて上げるよ」
エンマ自身が発火し、炎のオーラを形成する。それが大きくなり、巨大な火柱となった。
「さようならだ、兄さんっ!!」
これだけ強大な炎を見せつけられても、ヤマは引き下がるわけにはいかなかった。夜を制し炎を操る存在である“夜麻”。この名にかけて、エンマの火を制する。
「エンマぁっ!!!」
ヤマの咆哮が、炎の壁を吹き飛ばす。それでもエンマの纏う火は消えない。
ならばエンマの炎に真っ向から立ち向かうのみ。
ヤマの炎が大きく膨れ上がる。
そして二つの炎がぶつかりあう。
大きな爆発が起きた。
この爆発は容赦なく天国宮殿を瓦礫に変えた。
メタボが、お嬢が、太一が、エレンが、若頭が、ヤッシーが、サレナが瓦礫の中に埋もれていく。
粉塵が晴れ、瓦礫の山と化した天国宮殿の跡が見えた。
ヤミとチャムと亜依奈は、皮肉にも鳳凰が残した牢のおかげで瓦礫から逃れていた。三人が見たのは絶望的な景色だった。
立っているのは一人。
エンマだった。
「あははっ! 勝ったっ! 鳳凰や麒麟の力なんかなくったって僕は兄さんに勝てたんだ! あはは、あはははははっ!!」
エンマの笑いが谺する。
それをかき消すように、立ち上がる二つの影があった。
その正体は、メタボとお嬢。
エンマは笑うのを止め、二人を見た。
「面白いね、君たち…」
メタボとお嬢は粉を払い、エンマを見る。
「あのおっさんぶっ倒されちまったか」
「けど好都合や…。この手でエンマを倒せるんやからなっ!」
メタボとお嬢はエンマに突っ込んだ。
お嬢はエンマの首目掛けて刃を向ける。エンマの首は繋がったままである。
炎を纏った手で刀を受け止めたのだ。
「僕を殺すには、火を殺す必要がある。君にそんな真似が出来るかい? 鬼退治のお嬢さん」
「こいつ…」
「敵がお嬢だけて思うなっ!」
エンマの背後から、メタボの金棒が狙いをつける。だがフッとエンマは姿を消し、メタボはお嬢を殴りそうになった。
「危ねっ…!」
相手は炎の化身“焔麻”。生半可な攻撃は通用しない。そもそも刺殺出来る相手かどうかすら分からない。それでも二人は武器を振るうのを止めない。
「君は確か鬼の子…、ヤミの子だったね」
「なっ…」
メタボはヤミから話を聞いていない。当然太一と自分がヤミの子であり、半分鬼の血が流れていることなど、知る由もなかった。
だがメタボに取って自分が何者であるかなど、些末なことだった。
「なるほどな、だから俺は変に強いのか。ありがたい話だぜ。おかげでてめえをぶっ倒せるんだからよぉっ!」
メタボは金棒を突き刺す姿勢でエンマに突進する。だがエンマはそれを受け止めてみせた。
「君といい、その兄貴といい、ヤミの子にしては好戦的だね」
「母親の顔はちょっとしか見てねえっ! てめえ倒して挨拶くらいしねぇとなっ!」
メタボはさらに力を込める。だがエンマはビクともしない。二人の力が拮抗し動かない隙をついて、お嬢はエンマに飛びかかった。
「甘いねっ!」
エンマは片手でメタボの金棒を抑え、空いた手でお嬢の刀を取った。
「二人は普通の人間じゃない…、でもそれだけだね。それじゃ僕には勝てないよ」
メタボとお嬢は一旦距離を取った。
「俺達がそれだけの存在か…」
「よう見てから言いやっ!」
メタボとお嬢はとにかく攻めることにした。エンマはヤマを倒すため強大なエネルギーを使ったのだ。攻めていけば、隙が生まれると考えたのだ。
「…つまらないな。そうだ、天国ごと燃やし尽くしてしまおう」
エンマは突いてきたお嬢の刀を避け、彼女の後頭部を蹴り飛ばした。お嬢は瓦礫の山へ埋もれていく。
「てめえっ!」
メタボは横薙ぎに金棒を構えエンマに向ける。エンマは屈んで金棒を避け、ビュッと空を切る音がなった。
「大振りだねっ!」
エンマは立ち上がる勢いを利用して、メタボにタックルした。
「がっ!」
メタボは瓦礫の山に飛ばされ埋もれてしまった。
「天国の全部が灰になる…、ワクワクするね…」
エンマはまた強大な炎を纏い火柱を形成する。
「どうしてだよ…。てめえは天国を支配したいんじゃなかったのか!?」
メタボは瓦礫の山から這い出て、叫んでいた。持国天も、多聞天も、エンマが天国を支配することを、天国を地獄にすることを望んでいた。
「そのためにこの地を灰にする必要があるのさ! この世界を、兄さんでなく僕の世界にするために!」
いや違う。多聞天は言っていた。天使を見返したいと。そしてヤマを見返したいと…。
「てめえ…、兄貴が嫌いなんだろ?」
「そうさ! 目の上のたんこぶ…、うっとおしくて仕方なかったよ! 君だって分かるだろう? 兄を持つ君なら!」
「そうだな…」
メタボは金棒を杖代わりに立ち上がった。チラと瓦礫の山を見る。だが直ぐにエンマを睨み付けた。
「確かにうざってえし、ムカつくし、インテリぶった嫌な奴だ。けどよ、ぶっ倒して、兄貴の物ぶっ壊して満足しようなんざ、思ったことねえよ」
「何…?」
エンマは奇異の目でメタボを見る。
「俺はそこまで兄貴のこと嫌いじゃねえからな。てめえだってそうだろ?」
「黙れ…」
「そこまで兄貴に執着するくらいだ。本当は相手してほしくて仕方がなかったんじゃねえのか?」
「黙れよ!」
エンマはメタボに向かって火球を放つ。しかしそれはメタボでなくチャクラムを燃やした。
「いつ僕がインテリぶったんだよ」
チャクラムを投げた主、太一がメタボに微笑みかける。目を覚ましメタボの窮地を救ったのだ。
「雰囲気がインテリぶってんだよ」
メタボも太一に微笑み返した。
エンマには兄弟が和気藹々としていることが理解できなかった。
エンマにとってそれは幻想でしかないのだから。
「なら兄弟仲良く消してあげるよ!」
エンマの炎が太一とメタボに襲いかかる。
「へ、俺達がただの兄弟だなんて思わねえことだなっ!」
メタボは飛び上がり、太一は迂回して炎を避ける。そして目指す先は一つ。
「くたばれエンマっ!」
金棒を構え落ちてくるメタボ。エンマは炎で迎撃しようとするが、それは憚られた。
チャクラムがエンマに迫ったからである。それに気をとられ炎を出すタイミングが遅れた。そして初めてエンマに攻撃が当たる。
「ぐぼっ!」
横薙ぎに出された金棒がエンマの頬を捉えた。倒れることなく踏み止まったが、それはニ撃目を作る隙を与えた。
「ぐばっ…」
突き出された金棒はエンマの身体を貫いた。
「なぜだ…、僕は焔の化身であるはずなのに…」
エンマは瓦礫が崩れ砕ける音を伴い倒れた。
「てめえだって人間だったってことだろ? 焔の化身とか、地獄のてっぺんとか以前によ」
「僕が人間…?」
「兄貴に嫉妬して無茶苦茶やって、んでスッキリして…。そういうのをやるのは人間なんだよ」
メタボの側までやってきた太一が続きを引き受けた。
「それを止めるのは人間だから、僕達が止めた。それだけだよ」
エンマが人間であるはずがない。だが彼の心は間違いなく人間だった。
「…ちっ」
エンマは両手を上げ、炎を生んだ。
「こいつまだ…!」
メタボと太一が身構える。だがエンマが生んだ炎は、どういうわけかエンマを包み、彼の身体を燃やし始めた。