第三十七話・力の理由
地獄の住人でも死ぬことがある。寿命はないし、老いもないので、死因はただ一つ。殺害である。持国天、広目天、増長天は激闘の末倒され冥府の裁きを受け亡者の一人になった。故にもう死ぬことはない。それはお嬢、エレン、サレナを苦しめていた。
三人共亡者に対抗出来る武器を持っていない。つまりこの勝負に勝利はない。出来ることは四天王達を引き止め、メタボや亜依奈達の邪魔をさせないことだ。
「長期戦覚悟はいいが、いい加減倒れてくんねえか?」
「冗談、あなたこそ引っ込んでなさいよ!」
エレンと増長天はお互い武器を失い、満身創痍になりながらも殴り合っていた。生きているエレンにとっては限界に近い。増長天はエレンの右ストレートを彼女の右側に回り込んで避け、脇腹を蹴り飛ばす。
「いい加減楽になってしまえよ…」
「ぬかせ! こんな形で輪廻から外された仲間の仇…、取らせろやぁっ!」
流石のお嬢でも集中力が乱れ、剣筋がまともではない。ただ彼女を突き動かしているのは、仲間を信じる想いだけだった。持国天はお嬢の刀を少し身体を向けて避ける。そしてお嬢を蹴り飛ばした。
「大した実力もないくせに頑張りますね。千里眼を使わなくても、今のあなたの動きが見えますよ?」
「それでも、エンマのエゴに天国も地獄も滅茶苦茶されるわけには!」
エゴ、か…。広目天は中々的を射ていると思ったが口には出さない。ただの尖兵と成り下がった自分は、やはりエンマのために動かねばならないのだから。それが地獄のルールだ。サレナのジャベリンを避け、戟の矛先の逆をみぞおちに突く。
「うっ…!」
サレナは片膝をつき、何とか吐き気をこらえた。
持国天達が止めを刺そうと近づく。
お嬢は手に力を入れ、刀を強く握る。その時ふと、鍔に目が入った。そこには亀を象った紋章が刻まれていた。霊亀と契約した印である。お嬢は霊亀との話を思い出した。彼らは世界と世界の間を管理する者達である。天国と地獄はもちろん、もしかしたら地獄とタルタロスを繋ぐかもしれない。
試してみる価値はある。
お嬢は決死の覚悟で立ち上がった。
「何のつもりだ? まるで勝つ見込みがあるみたいじゃないか」
「その通りや…。まあ見てみ!」
お嬢は叫び、華奢な身体から巨大な亀が現れた。霊亀である。と言っても屋内に収まるよう前回現れた時よりも小さめである。その姿に持国天達は驚愕せずにいられなかった。
「四霊だと…まさか!?」
持国天はお嬢がしようとしていることに勘づき、阻止しようと近付く。だが霊亀の巨大な足が行く手を塞ぐ。
「霊亀よ…。タルタロスへの道は開くことは出来るんか?」
「わしを誰じゃと思っておるんじゃ? 容易いことじゃわい」
「なら、こいつらを居るべき場所に帰したってくれ!」
「ええじゃろ」
霊亀は大きく息を吸うと、吐き出すと共に耳を突き刺すような強烈な咆哮を響かせた。すると空間に歪みが生じ、巨大な穴となった。
「さあ奈落の亡者達よ、ハデスが待っとるぞ」
巨大な穴はブラックホールのように持国天達を吸い込み始める。
「ぐぐ…、まだ暴れ足りねえんだよぉ!」
増長天の叫びも虚しく、穴に吸い込まれてしまった。エレンは少し複雑な面持ちでその様子を見ていた。
「さすがに…、四霊には抗えませんか」
広目天は抵抗を止め穴に吸い込まれていった。
「地獄の亡者でしかない貴様がこれほどの力を…。何故だ!」
持国天の疑問に答えたのは霊亀だった。
「地獄が変わる時が来たんじゃよ。それをエンマに知らしめるためにこの子のような存在が現れたんじゃ。わしはその手伝いをしているに過ぎん」
持国天は霊亀の言葉を咀嚼し沈黙のまま穴に吸い込まれた。霊亀は三人が吸い込まれたのを見ると穴を消した。
「ありがとうな。助かったわ」
「気にすることではないわい。四霊の不始末を片付けただけじゃ。まだぬしらにはやることがあるじゃろ?」
「せやな…、また助けてもらうで」
「うむ」
そう応えると、霊亀はお嬢の中に入っていった。
「どうして僕の顔を見てそんなに驚くんです?」
太一はそう聞かずにはいられなかった。初対面であるはずのヤミが自分の顔を見て驚くのである。天国の長であるヤマは顔を背けたままであるし、異常に思えた。
「…貴方が死んでここに来たのも運命の思し召しなのかもしれません。お話ししましょう。…私の息子よ」
「息子!?」
今度は太一達が驚く番だった。だが無理はない。初対面で、しかも天国后妃であるヤミが自分のことを息子だと言ったのだから。とても信じられることではない。
「嘘、でしょう? だって僕は人間として生きて死んだんですよ」
「そうでしょう。私は現世で貴方と雅人を生んだのですから」
もはや声を上げることすら出来なかった。皆は黙ってヤミの言葉に耳を傾ける。
「私は天国で生まれました。古来に蓮の池で蜘蛛の糸を垂らした伝説はご存知でしょう? 私はそこに落ちて現世へ行ったのです」
太一は蜘蛛の糸を垂らした先の世界は地獄ではなかったかと思ったが、亜依奈が蓮の池の世界の連結は不安定で、どの世界にも繋がる可能性を秘めているとフォローしてくれた。
「現世で私を介抱してくれたのが利彦さんでした」
利彦。早川利彦。確かに太一の父親の名前だった。
「私は彼の優しさに触れ、子を育みました。…とても幸せでした」
それが太一であり、メタボであった。だかこう聞かされても、太一は目の前の女性を母親と認識できなかった。
ただ、亜依奈とヤッシーは納得していた。メタボの人間離れした身体能力や、火事場のクソ力的な底力はヤミの息子である由縁だったのだと。そしてソルジャーソングを聞いた太一がフェアシュテーエンを発動させることが出来たのもヤミの息子であるゆえかもしれない。
「そんな生活も終わりが来ました。天国に私の居場所が知れてしまったのです。現世で子を作ることは重罪でありましたが、従うほかありませんでした」
しかし今はヤミはエンマに幽閉されていたとはいえ、天国の后妃とまでなっている。そこに疑問が残った。
「本来ならタルタロスに送られる重罪を庇ってくれたのはヤマでした。彼は私を后妃として迎えることで救って下さったのです。節操のない女とお思いでしょうが、彼の想いも真剣だったのです」
ヤマはヤミが現世へ落ちる前から彼女のことを好いていた。やっと帰ってきた彼女がタルタロス送りと知ってしまえば、救わずにはいられない。失いたくなかったのだ。
「母のいない生涯を歩ませて、本当に申し訳なく思っています…」
ヤミは太一に深々と頭を下げた。
太一はどうすればいいものかと頭を掻く。
「…確かに貴女が母親だと言われても、すぐに受け入れることはできません。けど、貴女の子であったからここまで戦ってこれたならば、僕は貴女に感謝します」
「太一…」
それは親子の会話というにはあまりにも他人行儀だった。ヤミは無理もないと納得する。
「ありがとう、母さん」
太一の言葉を聞き、ヤミの頬に一筋の涙が通った。そして彼女は太一に抱きつく。
「私を母と認めてくれるのですか…」
「母さんが人間だろうと鬼だろうと天国后妃だろうと関係ないよ。メタボも母さんが母親で良かったって言うよ」
「ああ…」
運命に抗えず、天国后妃として生きてきた自分を恥じていた。だがこの時ばかりは生きていて良かったとヤミは思えた。