第二十九話・契約
ぐったりと倒れたメタボだったが、お嬢が駆け寄った時には意識は回復していた。ゆっくりと目を開けると、お嬢が顔を覗き込んでいた。
「俺ぁ勝ったのに、なんで倒れてんだ? まさか負けたのか?」
あまりにメタボが見当違いなことを言ったのでお嬢は思わず笑った。
「なにが可笑しいんだよ?」
「気にすんなや。それより、身体の調子はどないや?」
メタボの身体には確かに応龍が入っているはずである。だがメタボは普段と変わらず会話をしている。応龍はどうなってしまったのだろうか。
「安心せい、直ぐに出る…」
応龍の声がしたがやはり姿が見えない。それに声が聞こえた、というよりも頭の中に直接語りかけたという表現の方がしっくりくる気がした。
メタボが首を傾げていると、強烈な虚脱感が襲ってきた。
「うっ…!」
メタボは思わず片手をつく。
「メタボっ! あっ!」
お嬢はメタボを心配するのを忘れ、彼の上空に現れた応龍を注視してしまった。メタボもそれに気付き見上げてみると、腰を抜かした。
「うわっ! いつの間に!?」
メタボのリアクションを気に留めず応龍は語り始めた。
「メタボ…、貴様に宿る力を抑圧した。その代わりにわし直々に貴様の力となってやろう」
「どういうことだよ?」
「…いずれ語られる日は来よう。今からその金棒を媒介にし力を宿らせる。用があれば金棒に語りかけるがよい」
「いや、さっぱり分からねえよ!」
応龍はメタボが喚いているのを無視して金棒の中に入っていった。応龍の巨体が小さな金棒に入っていく様は圧巻だった。それが終わったらまるで嘘のだったような静寂が訪れ、ただただ金棒を眺めるしかなかった。その様子を見ていたお嬢は沈黙を守ったままの霊亀に語りかけてみた。
「…この修行はあんたらの主認定試験ってわけやったんか?」
「うむ」
あっさり霊亀は認め、もうやることは分かるだろうと言わんばかりにお嬢と向かいあった。
「ただ、お主の場合、暴走したメタボの抑止力になってもらう必要があるんでのう。そのための力とも考えてもらっていい」
「抑止力…」
忍者を倒した後、お嬢は横目でメタボの戦いを眺めていたが、鬼気迫るものがあり、単純な力だけなら勝てる者がいないとすら感じていた。現に今のメタボは力を引き出した強さと同等の力の偽者を倒している。
果たして自分は抑止力になりえるのだろうか。それ以前にメタボに向けて剣を振るうなど考えたくなかった。
「まあ、暴走さえせなんだら、ただのパワーアップじゃよ」
霊亀は口角を上げお嬢を安心させると彼女の刀の中へ入っていった。その瞬間、マスターのいなくなった今二人がいる世界に終わりが訪れた。石畳の床は崩壊し、空の至るところに亀裂が走る。
「やべえ、応龍! どうするんだよ!」
「安心しろ、この世界が崩壊しても地獄に戻るだけだ」
「んなこと言ってもよ!」
応龍の言葉だけでは到底メタボの不安は拭えるものではなかった。得体の知れない恐怖が二人を襲う。
亜依奈達は広目天の書斎にいた。情報収集のため片っ端から書類をひっくり返し、エンマの目的を探っていた。
若頭とヤッシーは見張りをしている。広目天を倒したとはいえ、まだ彼の部下である獄卒たちが多数残っているのだ。
「これは…」
亜依奈は思わず声を漏らす。出てきたのは天国攻略成功の報告書だった。亜依奈は初めてエンマが天国にいることを知った。だとするとある人物の安否が気にかかった。
「ヤッシー、若頭! 話がある」
亜依奈の声に応じ二人が書斎の中に入る。
「何か分かったのか?」
「ああ…、とんでもないことがね」
亜依奈が二の句を告げようとしたとき、光が現れ、その中から白虎に乗った多聞天が現れた。
「なっ!?」
ヤッシーは驚愕し、若頭と亜依奈は直ぐ様武器を構えた。
「そう警戒するな。私は戦いに来たわけではない。エンマ様の伝言を伝えに来ただけだ」
多聞天は白虎から降りると腰に下げた刀を鞘ごと落とし、戦意がないことをアピールした。
「四天王最強の男が何のようだい?」
多聞天は亜依奈が持つ書類を見て口角を上げて小さく笑った。
「それを見たのなら話が早い。エンマ様は天国宮殿におられる。貴様らをそこで一掃するおつもりだ」
「いやに自信たっぷりだね…。けど、そんな見え見えの罠に突っ込んで行くと思うのかい?」
ヤッシーと若頭はもっともだと思ったが、多聞天は違う。こちらには亜依奈が絶対断れないカードがあるからだ。
「亜依奈…、冷たいな。気付いているんだろう? あのお方がこちらにいることを」
「……」
あのお方? ヤッシーと若頭には皆目見当つかないが、亜依奈の様子を見れば彼女にとって大切な存在であることは分かった。
「用件は伝えた。来なければ…、分かっているな」
多聞天は勝手に言葉を浴びせると落とした刀を拾い、白虎に飛び乗った。
「…貴様らとの決着、楽しみにしているぞ」
多聞天を乗せた白虎は光に包まれ消えていった。
「今度の敵は四獣を使うのか、厄介だな」
「…今話すことはそんなことではあるまい」
「いや、分かっちゃいるんだけど…」
亜依奈は光が消えた虚空を見つめ微動だにしない。二人がどうするべきか考えていると、またも空間に亀裂が生まれ、そこから何者かが出てきた。二人は武器を構えたが、何者かが分かると直ぐにそれを解いた。
「お帰り、お嬢、メタボ」
「ああ、ただいま…」
「ふ~、マジで帰ってこれたぜ」
お嬢とメタボは信じられないといった表情で周りを見渡した。しかし、亜依奈を見てそんなことに拘泥している場合ではないことに気がつかされた。
「亜依奈さん、どうしちまったんだよ?」
「実はな…」
「天国に行く!」
ヤッシーが経緯を話そうとしたとき、亜依奈はそれを遮るように宣言した。
「あのお方というのを助けに行くのか?」
「それもあるけど、私らの目的はエンマを倒すことだからね」
メタボとお嬢は戻ったばかりで何のことだかさっぱり分からないが、エンマが天国にいる。それだけで亜依奈に従うには十分過ぎる理由になった。
「メタボ、沙羅でもいい。霊亀を呼んでくれ」
四霊の存在意義をしるメタボとお嬢はすぐ亜依奈の意図が掴めた。
「霊亀やったらうちやな。出でよ、霊亀!」
お嬢は抜刀し刀を掲げた。すると刀は光り、強烈な閃光と轟音と共に霊亀が現れた。
「いよいよ行くのかの」
「…事態は私が思ってたより随分早く進んでいた。罠だろうが何だろうが、進むよ」
皆も大きく頷いた。ここまで来て怖じ気つくような面子はこの中にいなかった。
「…その意気込みはよし。では行こう、天国へ!」
皆は霊亀に乗り、共に光に包まれた。
その先に見たものは地獄では何の縁のない、緑と暖かな光だった。
地に降り立ち、土の感触、緑の香りを堪能する。ここが天国だとはっきり認識出来た。その先に見える人物に、メタボは驚きを隠せなかった。
「兄貴…?」