第二回 踊り子
第二回目は踊り子である。
詩人については個人的な趣味で触れ合うことはあったが、踊り子はあまり触れたことがなかったために事実と違った情報を紛れ込ませているかもしれない。この作品はフィクションです、いやファンタジーですと注釈を入れる必要はないと思いたい。
さて、踊り子と言えば『伊豆の踊り子』が私はまず最初に思いついた。
読んだことがあったわけではないが、話の大筋は昔何かで聞いていたと思った。だが、恥ずかしいことに私が思い出したのは森鴎外の『舞姫』のあらすじだと編集中に気づいた。『伊豆の踊り子』など最初から知らなかったのだった。
踊り子で他に思いつくとしたらヨハネの首を欲しがった古代イスラエルの乙女サロメか。
巧みな踊りで王を盛り上げ、何でも願いを叶えようとまで言わしめた。そして、洗礼者ヨハネの首という呪い染みた愛を手に入れたのだ。
彼女はヘロデ王を誘惑し残酷な願いを叶えた踊り子の一人である。
まぁ、ヨハネの首を本当に所望したのはサロメの母であり、オスカーワイルドの戯曲からサロメのファムファタール的要素は加えられたのだが。
前者二つはその成功はともかく妖艶な雰囲気と踊りで人を誑かし、願いを叶えようとしたものたちだ。しかし、一方で踊りには妖艶な誘惑意外にも、神に対する儀式の一つとしての側面もある。日本神話では天照大神を天岩戸から引きずり出すためにアメノウヅメが踊りをして見せたり、インド神話ではパールバティ―の側面の一つカーリーが酔っ払って大地を破壊するほどの踊りをして、夫のシヴァが足の下敷きにならなくては世界が壊れてしまうほどの事態になっている。
一つは誘惑、一つは儀式。
前座も長くなってしまったが、今回は『踊り子』を、どのような立場で不遇として扱われてしまうのか、適材適所はどこかを考察していこう
・踊りの特性
前座でも既述したように踊りには何も誘惑するだけではなく、神に奉納したり、神と交信したりするための手段の一つとして用いられてもいる。日本では神楽と呼ばれるものがその一つであり、鎮魂のための役割がある。荒ぶる御霊に踊りを披露することで約差異を鎮めてもらおうという考えだ。日本での踊りは主に先祖を供養するためだとか、魂を鎮めるためだとか、静けさや平和を求める儀式に使われるイメージが強い。盆踊りなどはその典型ではないだろうか。地震や津波、噴火、飢餓など様々な天災に見舞われてきた日本。そこに根付く人々は常にそういった大いなる力が眠り続けることを願ったのだろう。退屈しのぎに殺されてはたまったものではないと、人間の価値を神様に伝えるための手段としてそうして言語を介さない踊りや音楽が選ばれたと思うと切なくも感慨深い。
一方で海外、『ミッドサマー』の印象が強いスウェーデンの祝祭なども踊りがある祭りはあるし、こちらも変わらず先祖を想っているが、祝いや神への感謝が主だと思われる。ハワイでのフラダンスも文字を持たなかった時代の海の民族が神への信仰を表現する手段の一つとして確立したものだとされている。主にギリシャでは結婚式やイースターなど、人生の節目になる行事で踊りを踊ることが多く、踊りを踊ることで共同体の人々を集めたという。踊り手は厳密に決められており、喜ばしいながらも村の威信を担う踊り手は重要な意味があったとされる。またいくつかは神話をもとにした踊りがあり、それを忘れないために踊りを作ったとされる。
しかし、神に奉納する聖なる儀式としての踊りのほかに、娼婦などが男性を誘惑するときに使う煽情的な踊りもある。
フランスの歴史上、かつてバレリーナの地位がオペラのついでほどに落ちぶれていた時代にはオペラを鑑賞しに来ていた貴族たちからバレリーナは娼婦同然のように見られ、踊る彼女らを貴族が『品定め』のような目で見ていたという陰惨な一幕があった。
当時は女性が働くということが常識的ではなかったために、踊りで稼ぐというのは娼婦と紙一重の行為のように思われていたのだ。ロングスカートが主流な時代に足を出して見世物をすることは褒められた行為ではなかったらしい。勿論それでパトロンを得たり、元々の実力が高い者は気高く踊りだけで生きていくこともできたが、そういう歴史的な背景もあって人を魅了するような一面が踊り子についたのだろう。
これらにより踊りは言語のように相手の知識によって左右されるものではなく、また身分や地域にも左右される者でもなく、ただ踊るだけで人や神、魂など存在に隔たり無く語らい魅了することができる手段の一つだった。日本と海外で踊りの含有する意味が違うことにも触れたが、我々はフラダンスを見ても美しいと思うし、外国の人間だって盆踊りを嬉々として参加することもある。結局意味など考えずとも『踊り』は万人を魅了する訴求力を持っているのだ。
・ファンタジーの踊り子
『ファンタジー作品では、職業の一種として扱われることが多い。役割としては、仲間を踊りで鼓舞して能力を上げたり、敵を妖艶な踊りで惑わしたり、特別な舞を舞って神霊の類を召喚したりと、サポーター向けの職業となることが多い。』
上記、pixiv百科事典より引用。
やはり、ファンタジーにしても誘惑と神秘の二側面的なイメージが付いて回るようだ。
仲間の鼓舞はチアダンスから、妖艶な踊りはキャバレーから、神霊の召喚は神楽から。そんな風に各地の踊りの意義の集合体のように扱われているように見て取れる。
こういったファンタジー作品の主格・ドラゴンクエストにおいてはDQ4のマーニャが踊り子の代名詞となっているが、踊り子はほとんど魔法使いと同じような扱われ方しかされなかったようだ。魔法使いと同じような扱い、と言われても記憶にあるマーニャはドラゴンに変身してブレスを吐くという踊り子の究極系のような攻撃をしていたが(もはやそれは踊り子なのだろうか)
しかし、それ以降の作品では素早さの成長率が早くなるように設定され、HPや守備力が低いという戦闘には向かない貧弱なステータスにされるが、踊りは魔法扱いされないためマホトーン(呪文封じ)やマホカンタ(呪文反射)などの影響を受けず、全体に掛けられるところが魔法使いとの差別点とされた。
個人的な経験になるが、ドラクエシリーズで踊り系の技を持った敵が出てくると少し厄介に思うことが多かった自分では踊り系の技を使うことはなかったのだが、いざ『どろのにんぎょう』などがふしぎな踊りやメダパニダンスなどしてくると雑魚でもめんどくさく感じた。
戦闘には向いてない技が多いように思われるが、足を止めさせるのに力量さがあっても随分と役に立ち、味方の邪魔をするあたりが非常にいやらしい。
一方でFFシリーズにも踊り子という職業は出てくるからそれも概要を見ていこう。
『近東の島国「サベネア」から、魅力的な旅芸人の一座がやってきた。
その踊り子が舞うのは、単純に美しいだけの舞踏ではない。彼らが舞うのは「クリークタンツ」と呼ばれる武の舞踏――。見る者の魂を震わせる鼓舞の力であり、その心に生まれた負の感情を鎮める神秘の技であるともいう。
また、厳しい旅路の中で護身術を磨いてきた踊り子たちは、投擲武器と幻扇を華麗に操り、立ちふさがる者を討ち倒す。』
FF14 踊り子の公式概要より
『観る者の魂を震わせる鼓舞の力であり、その心に生まれた負の感情を鎮める神秘の技である』
このように彼女らの踊りは所謂神職系の踊りに傾いているが、一方で旅芸人の一座と言うところから俗らしさもある。
現実においても、ファンタジーにおいても、踊りというのは聖俗の合流地点であり、良き心にも悪しき心にも一様にその踊りが効くことが表されている。また魔法のようにレジストする手段が少ない(踊り封じという技がドラクエにはあるが、ピンポイントすぎる)
・纏め
踊り子を主人公とした作品のライトノベルはないのではなかろうか。だからこそ、不遇職ではなくまっとうな作品として私は書いてほしいという思いもあったりするわけだが。なんだ、マイケルジャクソンが転生したら、とかそういう俗っぽいのを見てみたい気持ちもある。
素早さが高く、その他の戦闘能力がまんべんなく低い踊り子であるが、どんな相手に対しても踊りは一定以上は効くようになっている。
またバフ、デバフが得意で、神霊に寄る辺をもつところもある。
バフ系の踊り子とデバフ系の踊り子と神秘系の踊り子。そんな風に三姉妹的に分けて三人一組にしてみるというのもいいかもしれない。踊り子は旅芸人であり、どこかの一座に所属する者。一匹狼の踊り子はそうそう珍しいものである。
主に彼女らは前線に出ることなく、特技を生かして足止めを担い、退路の確保やメインアタッカーの強化に専念したりすればいい。また神や精霊系の敵キャラにも踊りは効くだろうから、ピンポイントに踊りが弱点となる相手もいるだろう。もしくはパーティーが負けそうになった時にその素早さを生かして、退路を確保する係をやることもできる。
こうしてみると踊り子は吟遊詩人よりかは戦闘向きな能力なのだ。戦士や舞踏家とは違う筋肉の使い方をしているだけでその体のしなやかさと柔らかさを生かせる場面に突き刺さるキャラクターになる。或いはパーティーメンバーを誘惑し、操る魔性の女か。
もし読者諸君が小説を書く機会があれば、踊り子をサブキャラクターに登場させてみるといい。民族的、伝統的ダンスの由来を彼女ら、または彼らが話してくれれば世界観を深める糸口になるだろう。
それでは次回の不遇職でまた会おう。