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風はいつも君色に染まる  作者: シェリンカ
第七章 紅色の夕風
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5.宝物

 翔太君たちの来訪を受け、しばらくしてから目を覚ました紅君は、はじめのうちは記憶が混乱していたらしい。

 ここがどこなのか、自分は何をしているのか、よくわからないままにベッドから起き上がり、部屋から抜け出し、歩き始めた足が思ったように動かなかったことで、さまざまなことを思い出したと語ってくれた。 


「早くどこかへ行かなくちゃって、ずっと心に抱えていた思いが、火事の『希望の家』へ向かった時の思いだったんだってわかって……悔しかった……」


 昔のように川沿いの土手に二人で並んで腰を下ろし、私たちはたくさんの話をした。

 川に向かって時々、思い出したように小石を投げながら語る紅君が、どれほど悔しいかは、私にはよくわかる。

 あの事故で、三日後に私が目を覚ました時には全てが終わっていたのと同じく、紅君にとっての『その時』も、もう六年も前に終わってしまっているのだ。 


「今さらだってわかってても、どうしても園長先生に謝りたくって……近くの教会で懺悔させてもらったら、踏んぎりがついた。ちいに会う前にもう一人、どうしても俺には会わないといけない人がいた……」 

「会わないといけない人?」


 思いもかけない話に、私は首を傾げる。

 紅君は頷いてから、隣に座る私へ顔を向けた。

 もう沈みかけた夕陽が紅君の顔に影を作り、そのせいか、先ほどまでより悲しげな表情に見える。


「うん。ちいのお母さん……『約束守れなくてすいませんでした』って謝らないうちは、俺にはちいと会う資格がない気がした」 


 私ははっと息を呑んだ。


(じゃあ……紅君がこの街に来たわけは?) 


「墓前で頭を下げてきた。そしてもう一度誓いを立ててきた。『今度こそ約束を守ります。ちいのことはこれから俺が守ります』って」

「紅君……」


 肩に回した腕に力を入て、紅君が私を引き寄せるから、私はもう一度彼の胸に倒れこんだ。

 ドキドキと、体全部が心臓になったかのように緊張している私と同じほど、紅君の鼓動も速い。

 そのことがなおさら私をドキドキさせる。 


「やっぱり俺にはちいしか見えないみたいだ……何度記憶を失くしたって、次に出逢ったら、もうその瞬間からちいのことしか考えられない……なんとかして笑顔を守りたくって、それしか頭にない……こんなの自分でも恐いくらいだよ……ちいは? ……俺が恐くない?」 


「恐くなんかない!」


 夢中で叫んでから、私ははっと紅君の顔を見上げた。

 手を伸ばせばすぐに触れられるところにいてくれる人へ、そっと両手をさし伸べる。 


「恐くないよ……何があったって、誰と出会ったって、紅君が忘れられなかったのは私だもの……遠い昔の約束をずっと大事にして、それだけを大切に生きてきたんだもの……記憶があるぶん、紅君のことをずっとしつこく諦めきれなかったのは、私のほうだよ……だから嬉しい……また会えて……また傍にいれて嬉しい……!」 


 ポロリと私の目から零れ落ちた涙を、紅君が指先でそっとすくう。

 どちらからともなく頬を寄せ、何度も何度もキスをして、私たちは笑顔になった。

 私を見つめる紅君の優しい笑顔に負けないほど、私も笑顔になった。 





「行こう。ちい」 


 立ち上がった紅君がさし出してくれた手を、しっかりと掴む。

 もう二度と離さないようにと、願いをこめて握りしめる。 


 川面に残っていた夕陽の残像が、きらきらと煌きながら水のうねりに呑みこまれた瞬間、カラーンと澄んだ鐘の音が、微かな橙色と深い紫色が混ざる空へ響き渡った。

 夕暮れだというのに、まるで新しい夜明けを告げる祝鐘のように――。 


 私たちの頬を撫でて吹き抜けていった風が向かう先は、二人で自転車に乗り、何度も向かった場所。

 最後の一回は、焦りや憤りでぐちゃぐちゃになった感情で、冷静さを欠いて向かうしかなかった場所。あの時は辿り着けなかった。

 だからこれからやり直すのだ。 


 今はもうあの場所に、私たちを慈しんでくれた園長先生はいない。

 だが目を閉じればいつでも、「お帰り」と両手を広げて待ってくれている。

 だから今度こそ二人で辿り着こう。

 『希望の家』へ。


 余計な感情は全て六年前に置き去りに、小さな子供の頃の純粋な心のままに、「ただいま」と帰ろう。

 紅君が私にそうしてくれたように。

 そこからきっと、新しい未来が始まる。


 私の手を引き、先を行く紅君の歩みは、子供の頃の軽やかな彼のそれとは比べものにならない。

 だが、このほうがいい。

 急ぎすぎて多くのものを失くしてしまった私たちには、今はゆっくりと時間をかけ、次の場所へと辿り着くくらいがちょうどいい。


 そのほうが、二人でいられる時間が長いということを、欲ばりな私は知っている。

 目指す場所がたとえどんなところでも、そこまでの道のりを、時間を、これからはずっと二人で共有していられる。 


「紅君……」


 唐突に呼びかけた私に、紅君がふり返る。

 

「何?」

「好きだよ。大好き」


 何度伝えても伝えきれない想いを言葉にしたら、繋いだ手に力をこめられた。


「うん。俺も大好き。ちい」


 子供の頃に彼から貰った魔法の言葉が、またもう一度私に魔法をかける。

 何度でも何度でも。

 紅君が傍にいてくれるかぎり、これからはもう決して色褪せることはない。

 いつだってまたこうして貰えるのだから。 





 大好きな笑顔と、『ちい』と私を呼ぶ声――子供の頃から、たった一つだけ欲しかった宝物を、私はその日、手に入れた。

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