水面下の欲
「ご馳走様。今日の魚の煮付け美味しかったけど……味付けがいつもと違うかい?」
「ええ、今日は彼女がお礼をしたいと……」
「どーも! 昨日助けて頂いた、しがない人魚デス! 名は『マリン』! どうか末永く貴方のお傍に✧︎」
茶目っ気たっぷりに自己紹介をするのは、昨日助けた人魚の女性。
ただし、昨日とは違って人と同じ脚が生えていた。
「あれ、脚は?」
「ああ、これです? マリンちゃんは人魚なので、とある条件下だと人間に化けれるのです☆」
キャピキャピしながら答えるマリンに「便利だなー」、と呟く彩人。
「え、あの、それだけ?」
「凄いと思うよ? ただ、ちょっとこれから大事な用事があってさ。気もそぞろなんだ」
どこか上の空で答える彩人が思い馳せるは、嶺二から送られてきたメール。
「……本当に行かれるのですか?」
「ああ。なにせ、人生初めての大喧嘩だ。帰りは遅くなるかもしれない。」
そう告げて鞄を背負う。
「じゃあ、行ってくる」
「お気を付けて」
「行ってらっしゃーい★」
2人に見送られながら彼は学校へ向かう。
残された彼女達から笑みが消え、ポツリと呟く。
「──アレは本当に【魔王】なのよね」
「貴女はそれを、彼に出会ったときにそう感じたのでしょう? ならばそれを信じなさい」
「でも、彼は正常過ぎる。抑えていたとしてもその異常は垣間見えるハズ」
彼女は彩人に救われた時から、彼が【魔王】であることに気がついていた。
「でも、彼からはそれが感じられない。ましてや、【色欲】であるなら、夢魔の貴女や私を前にして普通でいられるわけが無い」
「彼の夢を知れば分かるわ。彼の根底にある願いは全ての存在が愛で満たされること」
「──っ!?」
マリンという人魚は、それがどんな意味を持つのかを知っていた。
「あの男が、そんな恐ろしいことを……? それは、愛以外の全てを無価値にすることと同義であるのに?」
「貴女だから助けたのではなく、そこに困っている人がいるから助けたのです」
「……そっか。マリンは特別だから助けられたんじゃないんだ」
呟くマリンが嬉しそうで、嬉しそうで。
ああ、この人魚も自分と同じように何かを求めてここへ来たのだと。
アマリリスは同族意識を持ったのであった。
学路を歩く彩人の背後に、忍び寄る影がひとつ。
懐に隠した刃物を握り、気づかれないように歩みを寄せる。
(捕った──!)
あと一歩で刃先が届く距離というところで、一人の人間が割り込む。
「やあ、ツァラトゥストラ! いい朝だね!」
その人間の名は志頭 似智得。
彼をツァラトゥストラと呼ぶ少年であった。
「ああ、おはよう。その子は?」
「ああ、僕の妹だ。ほら、自己紹介は?」
そう言いながら手元の刃物を奪い取り、少女を前へ押し出す。
「……『凛音』です」
「まあ、この通り無愛想な妹だけど、良ければ仲良くして上げて欲しい」
「へぇ、凛音ちゃんか。よろしく」
「フシャー!」
差し出した手に噛み付く凛音。
「あ」
「はは、どうやら嫌われているみたいだね。まるで猫みたいだ」
噛み付かれ、血が流れているにも関わらず笑う彩人。
そんな彼に何を感じたのか、ゆっくりと後ずさる凛音。
「あ、え?」
「こら、人見知りとはいえ人の手を噛むんじゃない。全く、悪いね。取りえずハンカチを巻いておくから、早めに保健室へ行ってくれ」
「ああ、ありがとう。それと、あまり気にしないでいい。どうせ放課後、ボロボロになる予定なんだ」
「おや、それはどういう?」
「喧嘩の約束をしているんだ。勝てる勝てないに関わらず、男にはぶつからなきゃいけない時があるだろう?」
「なるほど」
互いに笑う男二人と、理解できない凛音。
「とはいえ、何もしないとは行かないしな。今度家に招待しよう。曲でも聴きながらお茶でもどうだい?」
「いいね。後日、予定が合う時に誘ってくれ。楽しみにしているよ」
手を振り、先に歩く彩人。
「さて、凛音。君にはアレをどう感じた?」
「……アレが本当に、『一色彩人』が本当に兄様の求める者なのですか?」
不安そうに尋ねる凛音に冷たい視線を向ける。
「まあ、わからないだろうね。アレを理解できるのは、それに近い何かを持つものだけだ」
似智得が凛音に向けるのは落胆、悔恨、憐憫。
理解できないことにガッカリし、後悔し、憐れんでいる。
それは、わかるものであるが故の感情であった。
「さて、放課後が楽しみだ。彼が喧嘩ね。面白そうじゃないか」
そうして時は移ろい、放課後。
「よう、彩人。お前なら来てくれると思ったぜ」
「そりゃあ、呼ばれたからな」
互いに嬉し気なのは、望む者が目の前にあるからか。
「なんだ、荒屋敷もいるのか」
「私は参加しないわよ。ただ見てるだけ」
「まあ、見るって言うことにも意味はあるしな」
そう言って携帯などを入れていた鞄を置き、嶺二の前に立つ。
「綾人、素手でやるつもりか?」
「そりゃあ、素手だろ?」
「いや、普通は拳を痛めないためにグローブとかで防護するんだよ」
嶺二が見せる手には包帯が巻かれており、打ち合っても簡単には傷つかない様になっている。
「これから用意するって空気でも無いだろ」
「綾人がいいなら構わねぇ。じゃあ──行くぞ!」
威勢のいい声とともに駆け出し、振るわれる拳。
綾人はそれを前にして微動だにしない。
(動かねぇ? 視線誘導も無し、カウンターの気配もねぇ。紙一重で躱して投げか? 念の為重心は前にし過ぎないように──)
様々な可能性が脳裏をよぎり、何があっても対応できるようにと拳を繰り出す。
鈍い音が響く。
「なんで、避けなかった」
「避けられなかったんだ」
「お前なら、避けれたハズだろ」
「どうしてそう思う? 嶺二、お前は俺の何を知っているって言うんだ?」
わざと受けた彩人に対して憤る嶺二に、冷ややかに言葉を浴びせる。
「何って、お前が強いことくらいは……」
「本当にそうか? 俺がいつ強さを見せた? カナデがいつお前らに本心を見せた?」
純粋な疑問の言葉であった。
それの意味することは、彩人もカナデも本心を見せていないということ。
「仲間だから知っている? 友達だから本心をさらけ出せる? それはちょっとばかり【傲慢】ってやつじゃあないのか?」
「……なら、教えてくれよ。彩人が、カナデが! 抱えてるその『本心』ってやつをよぉっ!」
激情を爆発させながら告げる嶺二だが、彩人の声は冷たいままだ。
「言えるわけがないだろ、そんなもの。お前らには抱えきれない、知れば押しつぶされてしまう」
「俺たちが、そんなに弱く見えるのか? その程度だと?」
「そうだ。戦闘力しか取り柄のない嶺二に、重要なことから目をそらし続けている荒屋敷。ここにはいない童子なんて、知ったらすぐに『芽吹く』だろうさ」
即ち、弱いから背負わせられない。
その言葉は、嶺二の火種に燃料をぶちまける行為だった。
「なら、見せてやる。オレが、どれだけ強くなっているのか!」
嶺二の構えが変わる。
喧嘩じみた無形から、最適化された武術としての型へ。
(本気でぶつかってでも、仲間のことを知りたいと思う嶺二はとても好感が持てる。だからこそ、俺たちみたいな異常は明かすことができない)
対して彩人は構えを取らず、両手を広げる。
「だから、試させてくれ。お前にそれを知る資格があるかどうかを」
喧嘩という呈で、彼らは互いの思いをぶつけ合い、確かめるのだ。
そうでもしなければ伝わらないものが、そこにはあるのだから。




