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マスクがない!

作者: 大枝 岳

 テレビを観ている妻の横で、私は耳掃除を始めようと耳掻きを探し始めた。

 耳毛が伸び過ぎているのか、外耳炎の治りが悪いのか、耳の中が痒くて仕方がない。綿棒の方が耳に優しいなどと言う迷信が蔓延しているようだが、否。

 耳を「掘る」という気合が綿棒には無い。

 血が滲んでも、ガリっ!と予期せぬ痛みと不安を感じさせる音があっても、やはり耳掻きの持つ「必殺」めいた底力に敵うものはない。あの爽快感、ゴロッと取れる耳糞は生きた証だ。

 居間の小棚を探してみたが、いつもの場所に耳掻きがない。

 はて?

 そう思い、テレビ中毒の妻・初江に訊ねてみた。


「おい、耳掻きは何処にある?」

「耳掻き!?ダメですよ!コロナが感染りますから!」

「コロナぁ?耳掻きでどうして感染るんだ」

「眼からも感染るんですから、耳掻きなんて持っての他ですよ!あんな古惚けた耳掻き、捨てましたわよ!」

「捨てたぁ!?何で捨てたんだ!?」

「コロナが感染るかもしれないでしょ!?」


 どいつもこいつも、コロナコロナコロナ。ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー喚きおる。

 それで死んだらそれまで。それだけの命であったに過ぎぬ。今の日本人には、やはり気合いが足りん。

 森元首相が言っていたではないか。


「私はマスクをしないで頑張る」


 そうだ。その通りだ。時代やマスメデアに躍らされてはならん。強靭な精神はバイ菌を跳ね除けるのだ。

 私にとって今必要な物はマスクでもアルコールでもない。耳掻きだ。耳糞を、これぞ!とばかりに掘りたいのだ。


「おい、ドラッグストアーに行ってくる」

「外に出るんですの!?マスクをしていって下さい!」

「馬鹿野郎。歩いて行ける距離だ。心配ない」

「ダメです!何処にコロナがいるか分からないんですから!香港では犬も感染したっていうじゃ有りませんか!」

「ここは日本だ。知らん。俺は行くぞ」

「ちょっと!ちょ、ちょっと!」

「何だ!?いい加減にしろ!」

「行くならあなた、マスクを見て来て頂戴」

「見てどうするんだ?あ?」

「売っていたら買って来てと言っているのよ」

「ふん。下らん」

「あなた、肺炎になったら死ぬわよ」

「なぁにが死ぬだ。死んだ試しもない癖に言うな」

「いいから買って来て頂戴!」


 耄碌ババアの初江にマスク購入を押し付けられたが、買う気はない。あんな物、どこにだってあるに違いない。面倒で面倒で、買いに行かないのに決まっている。テレビが騒ぎ過ぎなのだ。店に行けばあるに決まっているではないか。それが、ない?そんな事ある訳がない。ここは日本だ。一時はアメリカを上回る経済力を持ち、ニューヨークの一等地を買い上げた日本だ。ビルデングとマスクを比べてみよ。まともな経済感覚、マーケテング事情を把握している人間ならば鼻で笑う話を、テレビは延々と垂れ流し続けている。阿保らしさを通り越し、クソも出ない。あんな便所紙と同じように何処にでも置いてあるマスクが、売り切れる訳がない。

 小馬鹿にしてやろう。そう思い、私は店内を練り歩く。

 第一目標である耳掻きを轟沈した後、衛生コーナーでマスクを見る。さてはて、どんなマスクがあるのだろうか。


「買って来たではないか!この馬鹿者!マスコミに躍らされおって!」

「あら、そうなのね……私が悪かったわ。お父さん、今日は暖かいお湯に入って。夜は八海山とハモをご用意致しますわ」

「当然だ」


 うむ。この流れは至極当然。初江の耄碌、肥大妄想、陰謀癖もこれで少しは懲りるであろう。

 そう思いながら棚の前に立つ。

 タイミングが悪かったようで、どうやら棚の入れ替え時だったようだ。綺麗さっぱり、何もない。

 私はマスクをエイビデンスとして初江に叩きつける必要があった為、恥を忍んで、それこそ米兵に頭を下げてけつの穴を見せながらその穴に白旗を突っ込んで降伏するような思いで店員をとっ捕まえた。


「おい!棚の入れ替えはいつ終わるんだ?」

「はい?」

「この棚の事を言っている!いつ終わる?そしていつ商品が並ぶんだ?」

「おじいちゃんね、ちょっとお話しをよーく聞かせてもらって良いですか?」

「さっきから言っているではないか!この愚か者!」


 何だ!この腑抜けのクソ眼鏡男子は!ヘラヘラヘラヘラしおって!自分達の行なっている作業の進捗状況は愚か、何が行われているのかさえ分かっておらぬ。戦場で言えば風呂上りの姿のまま、前線に立っているような者だ。無知とは愚か過ぎて、逆に羨ましい。これはそうか、障害雇用の人間かもしれぬ。いやはや、腹を立てる相手では無かった。ワシが悪かった。優しさが第一である。


「いや、急に怒鳴ってすまん。あの、ここにマスクが並ぶのは何時頃かな?」

「はぁ!?入口に書いてあるでしょ!今日はもうマスクの入荷はありませんし、次回はいつ入ってくるのかも分かりません!失礼します!」

「何だと貴様!障害者の癖に生意気言いおって!無礼者が!マスクがない訳ないだろ!今すぐ出さないか!」

「障害者?何言ってるんです?」

「貴様の事だ!分からんのかこの無礼者!さっさとマスクを出せ!第一、貴様はマスクをしているではないか!あれだな?マスメデアに乗ったセコい商売で、儲けようと企んでおるのだな!?そんな悪事は許さんぞ!G.H.Qみたいな真似をしおって!裏を失礼する!」

「ちょ!おじいちゃん!ちょっと!おい!警察!警察呼んで!」

「何が警察だ馬鹿者!文句があるなら人語の理解出来る責任者を連れて来い!」


 店員が出入りするマジックミラーの付いた扉が在庫置き場なのだろう。私はガッツを込めてその扉を押し開いた。

 すると、小さな事務所なような場所でカップラーメンなる健康憂慮食品を啜る中年男が目についた。


「貴様はなんだ!?責任者か!?」

「え、え!?あ、あ、あなたこそ誰ですか!?」

「おい、マスクを隠してるんだろ?知っておるぞ!この経済乞食の売国奴めが!」

「何するんですか!ちょっと、やめて下さい!」


 私はバックヤアドのありとあらゆる場所を正義の杖でぶっ叩きまくり、マスクが姿を現すのを待った。

 しかし、待てど暮らせど現われはしなかった。


 気が付けば何故か私は警察官に連行され、暴れた理由などを尋ねられた(私の正義を国家の犬共は「暴れた」などとのたまっていたのが実に不可解である。私の取った行動は「正義」なのだ。)

翌日にはコロナ関連のニュースの際、私がニュースに紹介されたようであった。そう初江から聞いた。

 署から帰り、テレビジョンの中で「ドラッグストア襲撃犯」として囃し立てられる自分自身を眺めているうちに、私は何と愚かだったのかと心底肩を落とした。とんでもないトンマ、チョンボ、つまり間抜け野郎であった。

 私は攻める場所を誤ったのだ。幾ら野戦病院を潰そうとも、本部を討たなければまるで意味がないではないか。

 留置のお陰で耳奥に詰まった怒りの耳糞(ベトコン)を耳掻きの速射砲で轟沈している間に、私は覚悟を決めた。


 次に狙うのは、真丸である製造工場である。早くも、杖が武者震いを始めている。

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― 新着の感想 ―
[一言] これ、悲しい話なんですね。
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